誠は少し空ろな瞳をしながら戻ってきた。 起きて待っていた三人は、顔を見合わせてから誠に近づいてくる。 「如何したんだ、誠?」 「失敗したのか?」 「気分悪いの?って、怪我してるじゃないっ!」 口々に三人が心配して声を掛けてくるのに、誠はほっとする。なんと言うか、気が抜けた。 「大丈夫」 薄く微笑んで見せれば、心配の色が完全に消え去ったわけではないけれど、三人とも胸を撫で下ろした。 「本当に如何したんだ、一体?」 「うん…」 つい先刻あった事を言おうかどうか迷ってしまう。 この三人には関係の無い事かも知れない。あの人は、この三人には話して欲しくないのかも知れない。だけど、もし、男で自分が確定なのだったとしても、それじゃぁ、空は?彼の大事な人は?どちらかなんて決ってないのではないだろうか。だとしたら、きっと空にも関係あることで、知る権利だってある筈だ。 やっぱり、この三人に隠す事なんて出来はしない。 だから、つい先刻の事を誠は三人に話す。謙と会った事、結合者の事、綺羅の事…。 三人は真剣な面持ちで聞いていた。上手く説明できたかどうかは解からないけれど、三人は三人なりに理解したようだった。 一通り全部話したところで、斎が盛大な溜息を吐いた。 「ま〜ったく、何で俺達ばっか振り回されんのかね」 「同感だね。そもそも誠が犠牲になる義務なんて欠片だって無いんだからね」 斎の後に続いて、智も言う。 ほら、こういう奴らだ。 自分だけの勘違いじゃなくて、皆同じなのだ。同じように、それぞれがそれぞれとして生きて、認め合ってる。だから傍に居るんだ。 「もし私が選ばれたとしても綺羅になるのだけは嫌だわ。絶対拒絶しようねっ!!」 空は誠に手を握って言う。誠はそれを微笑んで返す。 「うん。でもやっぱり世界が崩れてしまうのは嫌だから、何か方法を探さないとね。世界の均衡を保つ方法を」 「だよなー。それで死ぬのも阿呆だし」 「なぁ、その謙って奴は何か手がかりみたいなの知らないの?」 「いや、聞いてない。何か知ってるかな?」 「少しでも手がかり知ってるからそんなこと言ってるんじゃないか?だってさ、何にも無いところから、行き成りそんな発想は出てこないだろ?」 「そうか…そうだな」 智の言葉に誠は納得する。 「でも、その謙って奴はどうしてその事を知ってたんだ?誠だって知らなかったのにさ」 「馬鹿。誠には綺羅はわざと話さなかったんだよ。絶対拒否ると思ってるだろうし」 「そっか。って、お前馬鹿ってなぁ」 「馬鹿は馬鹿だろ」 「ちょーっと二人とも、問題はそこじゃな〜い」 「おー、そうだったそうだった」 「やっぱり馬鹿じゃないか」 「だーーーっ!!」 誠は苦笑する。こんな話をした後でもこの三人はいつも通りだ。 「誠、また会う約束はしたんだろ?」 「ああ」 「だったらさ、その時に俺達も行っていいか?全く関係ない訳じゃないんだしさ、協力者だって多いほうがいいだろ?」 智の申し出は有難かった。 確かに、智の言う事はもっともだった。けれど、あの人はそれで良いと思うのだろうか。あの人なら、許してくれそうな気がする。 そう思って、誠は頷いた。 何も知らないけれど、だけど何故か信用してしまった。何故だろう?いい人でないことは確かだと思うのに。でも、あの人は嘘を吐いてなんていなかった。それだけは確かだし、あの笑みも、声も、眩暈がするほどに優しかった。 何故なのだろう。 何故、あんな風に優しくしてくるのか。 解からなくて混乱する。 纏っている空気と、あの笑みと声のギャップに驚かされる。 あの人は、一体なんだろう? 会う約束をしていた。 その場所に三人と一緒に来れば、あっけない程にあっさりと承諾してくれた。 「実際、君の友人にも会ってみたいと思っていたんだ」 そしてまた言う。 「そのうち、彼女も紹介しよう」 「美人!?」 そう尋ねたのは斎だった。 隣で智は呆れている。空は斎の腕を抓る。 「いっで〜〜〜〜っ!!!何するんだよ!!」 「女の人のことになると、す〜ぐ此れなんだから!いい加減にしなさいよ、まだ十歳なのにこんなんじゃ先が思いやられるよ、全く」 「いいだろ、放っとけよ」 「被害にあった女性が可哀想だって言ってるんだよ」 智と空を相手に斎は反論する。 「んだよ、言っとくけどな、まだ俺だってそんな手出したりしてねぇんだぞ!!13までは我慢しようって…ぐっ!!」 そこに容赦なく鳩尾に智の拳が入る。 「そういう問題じゃない事を理解しろよ、斎」 「まともに入ったぁ〜〜〜〜〜っ」 何処に居ても何をしていても相変わらずな三人を見て、誠は笑う。 実際少し緊張していて、どうしようもなく不安だったのだけれど。三人が一緒で良かった。 「すみません、行き成り」 「いや、こういうのもたまには良いだろう。君がどんな環境に居るのか伺える」 謙はふっと笑みを漏らしながら三人を見る。 暖かい視線。今は昼で、日の光に当たっている所為か、夜見るのとは大分印象が違う。纏っている尊大な空気はそのままだけれど、あの闇のような服もそのままなのだけれど、今は、彼のそばに彼の領域とする闇がないから。 なにを考えているのか解からない。 どういう人なのかも解からない。だけど、初めて会った時から逆らえなかった瞳。 「あの、それで…世界を救う方法って、何か手掛かりになる事を知っていませんか?」 誠は謙に尋ねる。 「そうだな。手掛かりも何もなくては探しようがない。一つだけ、方法があるらしい。それは代々このフロレアの王と司令官だけが知ることの出来るもので、父もそれを知っていたらしい。聞き出す前に君が殺してしまったがな」 「すみません…」 「気にする必要はない。アレで頑固だからな、俺が訊いても答えてはくれないだろう」 「じゃぁ、どうやってそんなの知るんだよ?」 斎が横から口を出す。 「うん、だからすぐには無理だから。君達は君達で出来るだけ、その方法を探して欲しい。俺は、いずれ軍の司令官になる。『約束』するよ。それからもう一つ。そのフロレアが知ってる分では不完全らしい。カルミナも同じように半分だけ、手掛かりが伝わっているらしい。それを知ることが出来れば、何とかなるかもしれない」 「でも、どうやって?」 空が尋ねる。 謙は真剣な瞳で四人を見る。 どくんっと心臓が高鳴る。聞いていいことなのか、迷ってしまう。 「…俺は、必ず軍の司令官になる。だから誠、君にはカルミナに行って欲しいんだ」 「カルミナに…?」 「君だったら、カルミナに入り込み、それを探る事も可能だろう?」 「でも、それは…っ」 誠は斎達に視線を巡らす。 それは、彼らと離れ、あの場所を離れ、一人になるという事ではないのか。 そんな事を、しなければならないと、言うのだろうか? 「別に今すぐ決めなくてもいい。決心も必要だろう。とりあえず考えておいてくれ」 「……はい」 どうしたらいいのか解からない。この三人から離れたくなかった。居心地が良くて、いつも自分の事を気遣ってくれて。四人で居る事が当たり前だった。自分たちがどんな事をしていても、自分たちだから許しあえた。 だけど。 離れなければ、この世界を救う方法はないというのだろうか。自分達の暮らす場所を守れないのだろうか。 「他に、方法は?」 智が尋ねる。皆同じだった。誰かが離れる事が、まだ覚悟できない。 「これが、一番確実な方法だろう。別に今すぐというわけでもない、急いで考える必要もないさ」 四人は顔を見合わせる。 どうすればいいのだろう? その日はそのまま四人は帰っていった。其処は、一時の安息の場所だったのだ。 「誠、どうするんだ?」 智は帰り着いてから誠に尋ねる。 「解からない、どうすればいいんだろう…」 「こんなに早く離れなきゃいけないの?」 空は不安そうに言う。 誰もがそう思った。あと五年。そう、あと五年あると思っていたのに。 急がなければいけないのだろうか。時間はどれぐらいあるのだろう。きっと、誰が選ばれても、皆それを拒否しただろう。それが解かっているから、だから皆の問題だった。これは、誠だけの問題ではなかった。 離れたくないという想いは、皆同じだから、だからこそ。 「大体っ、どうせすぐには解かんねぇんだろ?今すぐって訳じゃねぇんだろ?大丈夫だって!!」 斎は無理矢理と言って良いほどに、そう結論付ける。 けれど、その斎の言葉で他の三人も少しほっとする。そう、今すぐじゃない。謙も言っていた。 「次に会う約束もしたし、その時にはあの謙って人の恋人も来るんだろ?」 智が言うのに誠は頷く。 「そう言ってた。どんな人かは解からないけど、あの人が大切に想ってるぐらいなんだから素敵な人なんだろうな」 「う〜ん、不思議な奴だったよな、謙って」 「なんか、掴めない感じ」 智と斎が言う。 確かに、触れようとすればすっと消えて、遠い場所に居るような人だと思う。はっとすれば目の前にいて、何か言ってくる。 もっともな言葉で、けれど無茶を言う。だけど、彼は彼で真剣なのだと解かってしまっていて、反論などできない。優しいのか優しくないのかも解からなくて、混乱する。 「だけど、悪い人じゃないと思う」 「いい人でもない気がするけどなぁ」 斎は苦笑しながら言う。 それには反論できなくて、誠も苦笑いを浮かべる。 「そうだ、夏祭り。明日だよ!!」 空が今思い出したように言う。 「あ、そう言えばそうじゃん。すっかり忘れてたな」 「行こうか、四人で。最後になるかも知れないし?」 「賛成〜♪」 「ただし、騒ぎすぎるなよ。特に斎」 「なんで俺ばっかりっ!」 「お前以外にいないからだよ」 「言えてる〜。いっつも騒ぎ起こすの斎だもんねぇ」 「何だよそれぇっ」 「事実だろ」 相変わらずの会話に誠は笑う。 それを見て三人も顔を見合わせて笑う。これが、一番大事なこと。笑いあう事。 笑顔を忘れなければ、自分達がどんなに汚い事をしていても、手を血で染めていようと、それでも幸せになる事は許されるのだと信じられるから。仲間がいるだけで、幸せだと思うから。 だから四人はずっと一緒に居たのだ。 「やっぱり派手だねー、お祭は」 空が感想を言う。 皆思い思いに祭を楽しんでいる。色々なお店は安くて目に付く商品をここぞとばかりに売り込み、この明るい雰囲気から皆財布の紐も緩み、買ってしまう。案外祭りが終わった後には要らないものがたまっていたりするのだ。 「今日は皆仕事入んなくて良かったよなぁ」 斎が笑って言う。 「そうだな。明日は皆仕事だけどな。しかもバラバラ」 「主さん、俺達が仕事するおかげでがっぽり稼いでんだぜ?」 「ずるいよな、成人して渡されるお金なんて、その一部しかない」 「主さんも収入ないと困るんだよ」 「それにしたって絶対がっぽり溜め込んでるぜ、あれは」 「ま、私達のお小遣いとかもあるし」 「何時か主さんの金庫開けてみたいな」 「いいなぁ、それ」 皆して話しながら笑う。こういうのはいいと思う。こういう風に笑いあえて、嬉しい。何故だろう、こうしている時間が、あと少ししかないと、何処かで感じとっている自分が居る。明日は仕事だ。 そして、それからまた謙に会いに行く…。 「ほら、誠、暗い顔してないで楽しもうぜ」 考え込んでいる自分に気づいた斎が声をかけてくる。 「楽しめる時に楽しんでおこうよ、ね、誠」 「先より今を楽しんどけよ、後で後悔しても知らないからな」 空も智も、誠の背中を押していく。何時も、彼等に励まされる。前向きな彼らが羨ましくて、好きだ。 離れたくなんてない。 傍にいたい。 けれど、それもすぐ壊れてしまう予感。 だから、今を目一杯楽しもう。 今日の仕事は一人。誰も居ない。 の割りに、ノルマが高い。 (主さん、俺のこと買いかぶってるんじゃないか…?) 誠は溜息を吐く。 今日殺さなければいけないのは推定六十人といったところか。全員雑魚でもこの量はないんじゃないだろうか。そもそも、全員雑魚とも限らないんだけれど…。 依頼は今誠が忍び込んでいるパーティに出席している人間を「全員」殺す事。一人でも逃せば、依頼は完了しない。もし、失敗すれば、それだけ大量の慰謝料が依頼主に払われる事になり、そうなれば主さんは自分を当分食事抜きに処すだろう。 どうして自分達が主さんに従ってしまうのか。それは、自分達の生きる術を主さんが握っているからだ。この組織がなければ自分達は生きていけない。主さんは自分達が逆らえない絶対的な存在なのだ。ただ殺していればいい。そうすれば悪いようにはされないし、将来的に申し分ない教育も受けられる。だから、此処を逃げ出そうという馬鹿な子供は一人として居ないのだ。 最初から気が進まなかった。嫌だなぁと思いながら、此処に来た。 だって、この人数はないだろう。しかも、一人残らずときた。 「早く終わらせよう」 誠は溜息を吐き、風を呼ぶ。パーティに出ている人間。そこの範囲に及ぶ風で結界を張る。綺羅が張るような合理的な結界でなく、ただ出た瞬間に切り裂かれる類のものだが。 此れだけでも結構疲れる作業なのだ。心して掛からねば、足元を掬われかねない。下手をすると返り討ちに合うだろう。 まず、一人目の首を、風で離れた場所から落す。 パーティは一気に叫びの渦と化し、何人かが逃げ惑うようにしてそこから離れていく。 そして、そのおかげで逃げようとした数人がまた風の結界に切り裂かれて死ぬ。もう、誰もこの中から出る事は出来ない。 誠はもって居た剣を抜く。屋外パーティだ。どにかして逃げようと皆四方八方に逃げる。その度に切り裂かれる。そう、此処に居る全員、まさか自分が殺されるなどとは夢にも思っていなかっただろう。殺し屋なんて災難は、自分には降りかからないと何処かで過信している。 馬鹿な人達。 罵る言葉しか浮かんでこないのはそれだけ自分が屈折している所為だろうか?ただ、相手の気持ちが解からないだけなのだろうか? 誠は一旦忍んでいた場所から飛び出す。あとは剣で戦うしかない。今力を使っていると、結界に綻びが出る可能性がある。素早く何人も切り捨てていく。あたり一面血の海と化した。 目に見えて素人ばかりだ。問題なかった。それでも注意は忘れない。こんな子供が切り込んでくるとは思わなくて辺りは騒然としている。子供だと舐めていると切られる。連鎖反応で恐怖は環になって広がっていく。 どれだけ切っただろう?自分の息も上がって来ている。怯えて逃げ惑う人々は、反撃しようとはしない。けれど、逃げられると厄介だ。追いかけるだけで体力が消耗されてしまう。こんな子供相手に逃げ惑う大人も馬鹿だ。何故だろう、嘲いたくなってしまう。それは、彼らが悪いわけではないのに。 ヒュッ 誠は一瞬目を見開いた。 殺気を感じ、一瞬にして大きく間合いを取る。 何時の間にか其処に居るのは自分と相手の男だけだった。他の人間は皆殺し終わったようだ。 (一番厄介そうなの、最後にしたな…) 誠は心の中で溜息を吐く。 これも自分のミスだ。ちゃんと処理しなければならない。どうすればいいだろうか。 相手は大人で力もある。自分を殺す気でいる。誠は、結界を解いた。相手は一人、結界を残しておく必要はない。しかし、息が上がっている。相当体力を消耗してしまった。そして、相手はこういうことに心得のあるプロだろう。そう見て間違いない。万事休す、といったところか。しかし、此処で負けるつもりも毛頭ないのだ。 誠は、剣を相手向けて、威嚇の体勢をとる。 「まさか、こんな子供がこんなに大量の人間を殺すとは思わなかったな」 男は、皮肉めいた笑みを浮かべた。素人ではない。下手をすれば此方が怪我することは明らかだ。体力の消耗さえなければ、なんとかなったのに、そう思うとどうしようもなく可笑しくなってくる。 「だけど、俺はそう簡単には殺せねぇぜ?」 男は剣を向けて切りかかってくる。応戦するが、やはり疲れている所為か集中力が続かない。 誠は後退り、男が隙を見せないか慎重に探る。しかし、相手は簡単に隙を見せるような男ではなかった。逆に相手に追い詰められ、逃げ場はない。だが、負けるわけにはいかない。誠は力を使い、風で一瞬相手の視界を奪い、その間に相手の脇をすり抜ける。すかさず、風の刃で男を切りつけようとするが、さほど威力があるものは出ない。 男はにやっと笑うと、すぐさま男の足元にある土が風除けの壁を作る。 (土の使い手か) そうなれば、此処ら全域は彼のテリトリーとなる。普段ならば風でその土を崩す事も出来ただろうが、いかんせん、体力を消耗しすぎている。そして問題は、その程度の距離まで相手の力が及ぶかと言う事だ。 そう考えている間にも男は誠の足元をすくい上げる。慌てて避けようとし、後ろに飛ぶが、切り立った土の奥から男が切りかかってくる。体勢が悪い、よけられない!! ドスッ 何かが突き刺さる音がする。 ぎゅっと目を瞑っていた誠は、それが自分が剣を突き立てられた音で無い事に気づくのに少し時間がかかった。誠が目を開けると、其処には黒い背中が見えた。 「……ゆずる…さん」 誠は思わず目を見開く。先刻の音は、謙の腕に剣が突き立てられる音だったのだ。謙は、誠を庇ったのだ。その行為が信じられなかった。何故、自分を庇ったりするのか。その腕からは赤い血が滴り落ちてきていた。 「どうして…」 その声を聞いているのかいないのか、謙はこちらを見ず、誠に切りかかってきた男を見、それから一瞬で首をはねてしまった。 男は呻き声一つ出す事は出来なかった。 そして、謙は誠の方を見る。 誠は訳が解からなくて、どうしたらいいのかも解からなかった。誠は生まれてからずっと、誰かに庇われたことなどなかったから。それだけの力が誠にあった。幼い頃から危害を加えようとするものは例外なく風の刃に切り裂かれて死んだ。まだ、力のコントロールが上手く出来なかった頃だ。 まだ幼く、自我が発達していない頃でさえ、大人を切り刻むほどの力を有していた。だから、誰かに庇ってもらう必要など、ありはしなかったのだ。だから、謙が自分を庇った事に酷く驚いていた。 「らしくない失敗だな」 謙の言葉にはっとする。 「…ノルマが高すぎたんです」 言い訳のような言葉が出てしまうのは、やはりこの人に失望されたくないからだろうか。事実ではあるが、此処で言うべき言葉ではないような気がする。しかし、出てしまった言葉はどうしようもない。 「まぁ、これだけの人数が居れば仕方ないか。人が来る前に出て行ったほうがいいな」 「謙さん、どうして…」 さっきと同じ質問をする。最後まで言わなくても解かるだろう。誠の問いに謙は微笑んだ。 「君に死なれては困る」 その言葉に、どうしようもない戸惑いを覚える。 今まで自分は、誰かを殺す事を躊躇った事は無かった。目の前で人が傷つけられるのに何の感情も湧かなかった。幼い頃から人を殺すという行為を当たり前に行ってきたから。そして、身近で、親しい人間が誰かに傷つけられるところを見た事がなかったから。それは自分が知らないだけで、誰もが持っている感情だったのかも知れない。きっと、自分が殺してきた人間にも、大切に想い、想われる人がいたのではないのだろうか。もしそう思っても自分は同情する気にすらならないが、目の前で彼が傷つけられて、しかも自分を庇った傷を見せられて、自分はショックを受けていた。そう、人が傷つく事に初めて怯えた気がする。他の人間はどうなってもいいと思っている自分は冷たいだろうか。ただ、彼が傷つけられた事が悲しかった。そう、きっと今まで知らなかっただけで、空や斎、智が傷つけられたとしても、自分は同じようにショックを受けただろう。ただ、自分にとって大切な人が無事で居れば良いと言う自分本位な考えを、初めて理解した気がした。 自分は、もう既に大事なものとそうでないものを、完全に区別してしまっているのだ。 死んでしまいたい。 自分に生きていて何の価値があるのだろう?死んでしまえば何かに煩わされる事もなく、何に悩む事もないのに。そうすれば、何も選ばなくても済むのに。どうして、それが出来ないのだろう。 死んでしまえれば、どんなに楽だろう。 それから一週間ほどして、また謙に会う。今度は謙の彼女も一緒だ。 初めて会うが、誠達は息を呑んでその少女を見つめた。青銀の髪、銀色の優しげな瞳が綺麗だった。その年でその落ち着き、誰もが見とれずにはいられないような容姿をしていた。 謙が彼女を大切にするのも解かる気がする。 確かに、綺羅も綺麗だけれど、綺羅の中性的な美しさとは違う、完全に女性的な美しさを持っていた。 「はじめまして、静香といいます」 静香と名乗った女性は微笑んで四人に自己紹介をする。 静香と謙が二人そろっているとまさに完璧だと思えた。何も欠けた所の見当たらないパズルのように。 それにしても、この六人で集まって何かをすると言うわけではなく、ただ一緒に過ごすだけだった。誠の心はずっと揺れていた。皆の傍を離れたくない気持ちと、それから、謙の願いを叶えたい気持ち。何を優先すべきかが解からない。 「ところでさ、あの人誰?」 斎が一人の男を指差す。 それを見た謙が微笑んで答える。 「画家だよ。誠を描いてもらおうと思ってね」 「え?」 「記念に、ね」 謙は微笑むが、何か含んだような感じの物言いに訝しむが、之と言って嫌がる理由もない。 「じっとしていないといけないんですか?」 「いや、自由に動いていていい。彼が描くのは誠をモデルにしたイメージみたいなものだからね」 「…はぁ」 何だかよく解からない。その画家は必死に筆を取っている。何だか自分がモデルになっていると思うと、妙に居心地が悪い。 「大変ね、あの人に気に入られて」 「え?」 声を掛けられて誠は驚く。静香は微笑んで誠に言う。 「あの人の愛情表現はいつも解かり難いもの」 「愛情表現…?」 誠は訳が解からなくて聞き返す。そもそも気に入られているなどとは思えない。その瞳は優しいけれど、何をどうとって彼の真実を見抜けば良いのかいまいちよく解からない。今までこんな事はなかったのに。 「彼は、自分にとってどうでもいい人間は、それこそ何の表情も浮かべずに自らの手で殺せる人よ。まして、庇ったりなんかしないわ」 「…知って…?」 誠は思わず目を見開く。謙に先日助けられた事は、智達にさえ言ってはいなかった。何故か言えなかったのだ。そして、彼がその事を人に話すとも思えなかった。 「彼の傷の手当てをしたのは私だから。とても意味を取り難い話し方をする人だけど、素直じゃないだけなのよね。どうして怪我をしたのかって聞いたら、『大勢の敵を前にした一匹の犬を助けだんだ』って言うの。最初は一体何の事か解からなかったわ。だって、どうみたってその傷は剣で傷つけられたものだから。だけど、今日会って貴方だって解かったわ」 「どうしてですか?」 彼女の言い方も何処か謎めいていて、誠は疑問を隠せない。 「だって、彼が貴方のことをとても気に入っているのが解かるもの。それに貴方も彼の事を信頼しているのが解かったし、貴方の仕事も彼から聞いているから」 静香は微笑む。穏やかで、静かで、不思議な人だった。 「本当に、俺は気に入られてるんですか?」 解からない。どうしてだろう、あの人は何時だって自分を助けてくれるけれど、何を考えているのか解からない。ただ利用したいだけなのかも知れないし、我慢しているだけで本当は嫌われているのかも知れない。それが不安になるのは、やはり自分が何処かで彼に依存している所為なのだろうか?彼に嫌われたくないと思っている。 「ええ。本当に、あの人は気に入らない人間が目の前で苦しんでいたとしたら止めを刺していくような人よ。とても残酷で、酷い人。もし貴方が死んだとしても、彼は別の候補を探せばいいだけだもの。彼が貴方を庇ったと言う事はそれだけ気に入られていると言う事よ。…私は、貴方が羨ましいわ。あの人は貴方を必要としている、貴方はあの人を助けられる。けれど、私は守られている事しか出来ない。こっちが嫉妬してしまいそうなぐらい、あの人は貴方の事を大切にしているわ」 それが、本当なら。 嬉しいと思う。あの人に必要とされている事。気に入られている事、あの人を助けられると言うのならそうしたい。 自分は何を選べばいいのだろうか。 それから何ヶ月も時が経った。誠は選べぬまま、ただ謙と会う機会を増やしていった。 もう冬に差し掛かり、何処かで決意していた事を確信に変えるときが来た気がする。 依頼の相手を見たとき、誠は愕然とした。 ターゲットは『謙』。 そう、こういう事態が起こらない筈がなかったのだ。 けれど、それが何故自分に回ってくるのか。こんな事になるなんて。 受け取って中を見た誠は主さんの言葉を思い出す。 「今回は智達三人も同行させる。依頼は必ず果たせ」 そう言われた時は何のことか解からなかった。けれど、そう、始めからこのつもりだったのだ。謙と自分達が通じているのが解かっていて、この依頼が来た時に利用しようとしたのだろう。そう、自分達なら謙が油断するかも知れないと思ったのだ。 誠は自分が震えているのに気づいた。何故、自らの手でこんな事をしなければいけないのか。 殺せない。 そう、自分に謙は殺せない。喩え空達とて謙を殺す事など出来ないだろう。それだけ長い時間を過ごしてきた。だから、どうしていいのか解からなかった。三人も、この依頼を受け取っている頃だろうか。 部屋の真中で座り込んでしまった自分が滑稽ですらあるが、それを気に留められるほど、今の誠は冷静ではなかった。 「誠!!」 斎達が走りこんでくる。 「主さんの依頼…」 其処まで言って、四人は顔を見合わせる。皆、同じだ。 殺したくない。そう思っている。 そして、殺せないと。 彼を殺す事など何処の誰であろうと不可能なのではないだろうか。そう、彼と少しの間でも過ごせば解かる。彼は、優しい人間なのだ。そう、自分にとって必要な人間には、とてつもなく優しい。そして、その優しさを受けてしまえば、誰が彼に逆らえようか。 そして、その想いが一番強いのが誠であろうことも皆解かっていた。 誠は、自分が頼れる年上の男性が今まで居なかった。なにより自分の方が強かったし、頼れるほどの力をもった人間に今まで会った事がなかった。けれど謙はあっという間に誠を捕らえてしまった。 どんな事をしても彼に逆らえない事を誠に知らしめた。そして守ってくれた。 そんな相手を、初めて、誠が頼って、そして力になりたいと思った相手を殺せるだろうか? 「主さんは、決行はいつでもいいって言ってた」 空が呟く。 「今度、謙と会うのは何時だ?」 「四日後だよ」 「どうにか、ならないか?」 殺さずに済む方法はないだろうか。 「一つだけ、ある」 「え?」 智の言葉に、皆そちらを見る。 「依頼人を、殺すんだ。依頼の時に主さんは既に金を貰っている。損害を賠償されなければ、主さんだって文句を言わないだろう。それには、依頼人を殺して、文句を言う人間を無くせばいいだけだ」 「だけど、依頼人って誰だよ」 「そんなのは誠が直ぐに調べられるだろ」 智の言葉で、皆僅かな希望を得た。そう、依頼人さえ殺してしまえば、誰も文句は言わない。 自分達は残酷な事を言っているだろう。けれど、それが自分達が当たり前に過ごしてきた世界なのだ。冷たい人間だと罵られようと、それは決してそれ以後変わる事が無い。守って欲しければ気に入られるしかないのだという事だ。 誠は風を呼び集めて、その記憶を探る。 だれも言葉を発しなかった。邪魔をしてはいけない。 「…解かった。彼の父親と対立していた軍隊長だ。あの人の父親を殺すのを依頼したのもこの人なんだ………」 誠がそれだけ言うと、風はすぅっと消えていった。 「軍隊長か。やってやれない事はないな」 「司令官としてのあの人の父親が邪魔になって、今のうちに一族を滅ぼしてしまおうって腹か」 「そうだな…やるか。警戒心は強いだろうけど…」 四人はぼそぼそと相談する。こういう話は人に聞かれては拙い。 そう、次に謙と会う日にその男をも殺す事にしたのだ。 その日の誠は様子がおかしかった。 けれど、予定を実行するのを止めるかという問いに、誠はそれを頑なに拒否した。 謙と会う前の時間にそれを終わらせてしまいたい。その男の行く先は前もって調べてあるので問題ない。軍隊長の先回りをして、物陰に身を潜める。やって来たのを確認して、それから、力を使い殺す予定だった。 三人は誠の心配をしていた。どうも様子がおかしい。 「おい、来たぞっ」 斎の声に皆そちらを見る。丁度いい、一人だ。 「力を…」 智が言い掛けた時、誠は飛び出していく。 「おいっ!!」 急いで呼び止めたが、誠はあっという間に男の方へ向かっていく。そして、剣を抜き、息を吐く間もなく軍隊長の首を切り取ったのだ。 「何やってるんだっ、馬鹿!!」 智は軍隊長の血を浴びて真っ赤になった誠の腕を引き、急いで其処から離れる。他の二人には先に謙の所に行くように言ってある。 「誠、どうしたんだ?」 理由を聞くが、誠は何も答えない。一体何があったのだろう。行き成りこんな無謀な事をするなんて。今は真昼間だ。こんなところを誰かに見られたりしたら拙いのに。 「とにかく、謙さんの所に行こう」 智は誠の腕を掴み引っ張っていく。腕を放せば何処かに消えてしまいそうな気がした。 「本当に、此れは一体どうしたんだ?」 謙もちょっと驚いたように誠を見る。全身血まみれで現れれば、流石の謙も驚くのは当然だ。 「いや、此れは…」 智が説明しようとした時、誠はそれを手で制する。 「謙さん、俺、カルミナに行きます」 「え?」 「誠!!?」 皆突然の言葉に驚く。 「本当に今日はどうしたんだよ、誠…」 斎が心配そうに言う。 「今日、主さんに連れられて、朝早くに、綺羅に会った…」 誠がぼそりと言った。 謙は目を細める。綺羅は何でも知っている。謙と誠が会っている事も、誠が『綺羅』という人間について本当の事を知ったことも。 「綺羅は、俺に代わりはいくらでも居るんだと言ったんだ」 「え?」 「俺が拒絶しても、俺が居なくなっても、代わりはいくらでも出て来るんだと…だから、俺は……」 代わりなんて誰にもさせられない。もしかしたら、斎や智が代わりになるかも知れないのに。 「何とかなるなら、俺は、カルミナに行きます」 そう、何とかなるかも知れないなら。結合をせずに、この世界を保てるのなら。代わりなんて誰にもさせられない。代わりなんて…。 たとえ誰であったってそんな目には合わせたくはないのだ…綺羅の候補と言う事はそれだけ異端であると言う事なのだろうから。苦労してきた人間に、更にそれを増やせというのだろうか。 「そうか」 謙はそう短く答えた。 「誠、君がカルミナに行って、絶対に戻ってくると言う確証はあるか?」 「え?」 突然の問いに誠は顔を上げる。 「俺は、君と再び会うまでにこの国の司令官になっていると『約束』しよう。もし、その『約束』が守れていたなら、君は俺の下で働かないか?答えは君が選べばいい。もし『約束』を俺が守れていなかったら何も答えなくていい。けれど、守れていたら、再び会った時に『答え』を聞かせてくれ」 「………はい」 それは、謙の誠に対する最後の戒めだったのだろう。絶対に、再び会うまでは生きていろと。絶対に、再び会おうと。 誠は、それに静かに頷いた。 「もし、その時になれば、綺羅は俺を傷つけるかも知れない」 「え?」 「俺は、君が『答え』を出すのに邪魔な存在だからね」 「どういう意味ですか…?」 「君は俺が居る限り自由に選ぶ事が出来なくなるだろう。君が俺の物になれば、綺羅は間違いなく俺を邪魔だと思うだろう。結合させるために俺を殺すという事も考えられる」 「そんな…っ!!」 「ゆっくり考えてくれ、君がどうするのか。俺は簡単に傷つくような人間じゃない。それは解かっているな?」 「……はい」 誠は頷く。そう、まだ決めなくてもいいのだから。まだ先があるのだから。 迷っても、それでも決めなければいけない選択は目の前にある。 「すぐに、行きます。迷いたくないから」 「誠…」 誠は斎達の方を見る。 「智、此れを、持っててくれるか?また会う時まで」 「ああ。絶対、また会おう」 「うん」 誠は微笑んだ。 そう、すぐに出発しよう。ずっと顔を合わせていたら行けなくなりそうだから。 誠は風を呼ぶ。そう、自分は飛んでいける。風が力を貸してくれる。出発しよう。 今自分にできる事は謙との『約束』を心に止めている事だけ。どんなに死にたくても、この約束がある限りは生きている。生きなければいけない。彼を裏切る事は出来ないから。 とにかく、カルミナへ。そして、彼の願いを叶えるために。 そして、カルミナに向い、其処で、聖達に出会った―――…。 |