〜記憶・前編〜



 深い、緑の香りがした。風が運んでくる。
「誠、帰って来たんだ。いつも香りを運んで来るからすぐに解かる」
 空が誠に駆け寄る。
 緑の香りと一緒に血の匂い。それはいつもの事。
「意外と早く帰ってきたなぁ」
 十歳前後の子供たちが集まり、休憩するちょっと開けた空間で椅子に腰掛けながら、緑の髪に青の瞳をした少年が言う。髪を背中ぐらいまでのばしているが、それでもしっかりした体つきをしているので女に間違えられることはない。活発な感じがする。
「簡単だったんだよ、斎」
 誠が微笑して言う。
「誰も俺達みたいな子供が人殺しをするとは思わないだろうからな」
 斎の机を挟んだ向かい側に座っている、紫色の髪に、深い朱鷺色の瞳をした少年が本を読みながら呟く。眼鏡をかけていて、こちらの少年の方は華奢な体つきで、女に間違えられてしまいそうだ。
「なぁ、智。お前そのかたっ苦しい本読むなよぉ」
 斎は智が熱心に読んでいる本を取り上げる。
「返せよ!」
「やぁだねっ」
 そうやって言い合っている二人にくすくす笑う声が聞こえた。
「あの四人、いーっつも一緒に居るんだぜ」
「そうそう、しかも皆女みたいなのがさ。一人は本当に女だし、もう一人は女みたいに髪が長いし、あとの二人は顔が女くせーの」
「しかも異色児だろ?あいつら――…」
「え?誠もそうだっけ?」
「どのみち変わんねーよ」
 わざと聞こえるようにその二人は話をした。
「んだよ。文句あるなら正面から言えよ。それでも男かよ!」
 斎がぶすっとして言う。
「どーせ勝ち目ないって解かってるからさ。こそこそ嫌味言うしか出来ないんだ」
 智が向こうを睨みつけながら言う。
「そうそう、あいつらこの前減俸くらったんだよ、それで八つ当たりしてんだって!」
「あんまり言ったら可哀想じゃないか?」
「「甘い!!」」
 誠の言葉に、きっぱりと言い返す。さっき喧嘩していたのが嘘のように二人は息ぴったりに。
「ああいう奴にはこれぐらい言って丁度いいんだよ。ただの弱虫なんだから」
「そうだぞ。どうせ僻んでるだけなんだからな。ろくに仕事こなせないから妬んでるんだ。そうそう、この間逃げ帰ってきたじゃないか、その代わりに空が―――…」
 斎と智の話を聞いて二人は泣きながら逃げていった。
「ばーか、泣き虫!」
 べーっと舌を出して斎が言う。
「あれぐらいで泣くんなら言わなきゃいいんだよ、陰口なんて」
 智が呆れたように言う。
「二人とも子供らしくな〜い。まだ十歳のくせにぃ」
 空はそう言うが、顔はおもいっきり笑っている。
「まぁ、子供らしくないのは俺達の特権だな」
 誠が溜息を吐きつつ言う。
「不思議だよね、私達皆同い年で、こうやって話してるなんて」
「皆異色児で?」
「誠は違う」
「知ってるさ、そんなこと」
 三人の会話は面白い。まるで歌みたいにテンポがいい。
 その三人の話を聞いて、誠が笑う。これがいつも決まりだった。しかし、今日は違った。
「どうしたんだ?誠」
 斎が誠の様子がおかしいのに気づいて尋ねる。
「今日、綺羅の所にも行ったんだ」
「うーわ、最悪!俺あの人嫌い」
 斎が顔を顰めて言う。
「おい、人に聞こえるぞ。主さんに告げ口されたらたまったもんじゃない」
「それは言えてる〜」
「それで今日は疲れてんのか?主さん、いっつも綺羅のとこ行く時は誠連れてくからな」
 斎が熱を計るように誠の額に手を当てる。斎の手は冷たくて気持ちいい。
「もう休んだ方がいいんじゃないか?あの結界解くの、かなり疲れるだろ?」
 智が誠の体調を心配して言う。
「いや、この後主さんに呼ばれてるんだ」
「さっき仕事してきたばかりだろ!?」
「いいんだよ。仕方ないさ」
「誠…無理はしないでね?」
 自分の体調を気遣ってくれる三人の心遣いが嬉しい。
 誠は微笑んで頷いた。
「それじゃ、もう行くよ」
「ああ、俺達も起きて待ってるよ」
 智の言葉に、誠は苦笑した。そして、主の部屋に向かう。

「主さん?誠です」
 鷲の彫刻を施してある取っ手を回してドアを開ける。部屋に入ると、四十代後半の男が迎え入れる。
 部屋の中は雑多なものはなく、ごく少数の資料で本棚を埋めているだけだ。主は綺羅の元に出掛ける時以外はほぼこの部屋で一日中過ごしている。此処で依頼を受けたり、書類を整理したりするのだ。
「誠、仕事だ。今すぐ行ってもらいたい。地図と写真はこれに入れてある」
 そう言って主は誠に封筒を渡す。
「解かりました」
「それでは、よろしくたのむ」
「はい」
 それだけで部屋を出る。
 誠は、出掛ける前に一度自室に戻る。
 自室は大体の人間は二人部屋だ。しかし、誠や空達は違う、一人部屋だ。
 部屋に戻って封筒を開ける。
 【フロレア王国  司令官  晟(あきら)】
 写真を見ると、いかにもな感じの男だ。黒い髪に、黒い瞳。眼鏡がやけに嫌味に光る。
 髪はオールバックにしてあって、まだ三十代ぐらいだろう。
 次に地図を見る。城下の方だ。予想通り、かなりでかい家なのだろう。印がつけてある場所は他の周りの家に比べて敷地が広い。
(家に忍び込めってことか)
 はぁっと誠は溜息を吐く。
 此処は十五歳以下の子供に人殺しをさせている。そういう組織だ。
 十五歳を越えると、十分な金を持たされて世間に出て行く。
 此処に居る子供は大抵は親に捨てられた子供だ。しかし誠は違う。家族が居た。
 家との連絡はほとんど取っていないが、皆元気なのだろう。
 此処で暮らしているのは、どうしてもお金が必要だったからだ。自分みたいな子供が手っ取り早く金を稼ぐにはこの方法が一番良かった。
 誠は優秀な人間だった。頭も良く、仕事も完璧にこなした。
「おい、誠!まだ居るか?」
 斎が部屋に入ってくる。
「何?」
「いいから来いよ!」
 誠は斎に着いて外に出る。
 斎に連れられてきてみれば、空と智がそこに居た。
「誠、あのね、これ…」
 空が手に持っていたのは、四色の同じ大きさの石がついたペンダントだ。
「どうしたんだ?これ…」
「三人で作ったんだよ」
「もち、原料からな」
「よくやるなぁ」
 誠は苦笑する。
「パワーストーンだからね、持ってるときっと助けてくれる。一人一個ずつ」
 智が言う。皆一人一つ手にとる。
 空は水色、斎は緑色、智は紫、誠は深い青色だった。
「ずぅっと一緒だからな」
 斎が誠に言う。
「お互い、ずっと傍に居る事なんて出来ないのは解かってるけどさ、それでも、これ持ってたら、何処に居ようと俺達には解かる」
「ずっと見てる」
「だから、忘れんなよ!」
 三人の息の合った話し方。誠の好きな三人の。
 誠は微笑む。
「ありがとう」
「よっし!」
「斎は五月蝿い」
「あっ、ひっでー!その言い方はないだろ」
「俺の知ったことじゃないね」
「あ、ねぇねぇ、もうすぐ夏祭りじゃない?」
「そういいやそうだな」
「いよっし、町に繰り出そうぜ!!」
「お祭り男」
「だーっ、辛口男!」
 三人の会話を聞きながら、誠は笑う。
 リズミカルな話の飛び方は聞いていて飽きない。
「それじゃ、俺はそろそろ行くよ」
「おう、待ってるからな」
 斎が笑って言った。
 誠はそれに微笑み返してその場を後にした。


 闇の中、塀を飛び越え、屋敷の中に入る。
 木々が生い茂る中、低い犬の唸り声が聞こえてくる。
 番犬を飼っているのか、と誠は低く溜息を吐く。
 誠はそのまま気にした様子もなく歩いていく。唸り声を上げていた犬は暫く誠を見つめていたが、そのうち何事もなかったように走っていく。
 家の中に忍び込み、辺りを見回す。
(書庫か…)
 その部屋は辺りにびっしり本が詰まった棚が置いてある。
 誠はドアに近寄り、音を立てないようにドアノブを回し、少し隙間を開ける。
 廊下が続いている。辺りには誰も居ないのを確認して書庫から出る。
 明かりが漏れている部屋を見つけ、忍び寄る。開いた隙間から覗くと、間違いなく晟だ。
 部屋には本人以外誰も居ない。
 誠は部屋に入って扉をさっと閉める。晟はこちらに気づく。
「何故お前のような子供が此処に居る」
 流石に司令官、と言ったところか。威圧感がある。でも誠にしてみればどういということは無い。
 誠は微笑を浮かべる。
「貴方を殺しに」
「ふん。お前のような子供がか?」
「そうですよ。…サヨウナラ」
 誠はすぅっと右腕を左から右へと移動させる。
「ぐっ…」
 晟はうめいたような声を出したが、それで終わりだった。
 最初にごとっと首が落ち、その後に身体が倒れた。風が刃のように鋭く晟の首を切り落としたのだ。
「旦那様っ!誰かっ、誰かぁ!!」
 行き成り叫ぶ声がして誠は慌てて振り返る。女性が恐怖に顔を歪めている。
(しまった!)
 晟の方に気を取られすぎていて、周りの気配に気がつかなかった。らしくない失敗だ。
 誠はチッと舌打ちをして、女性の横をくぐり抜け、廊下に出る。
 屋敷の中が騒がしくなる。
 屋敷の使用人や用心の為の兵が出てくる。やたらと人数が多い。
 誠は苛立つ。だから本人宅での仕事は嫌なんだ。
 誠は人数の少ない方に向かって走り、剣を抜く。
 一直線に切りつける。誠を捕まえに出てきた人は驚いて怯む。
 誠はそのまま走り抜ける。
 しかし、皆すぐに気を取り直して誠に剣を向ける。
 誠はその間をくぐり抜け、前居に居る人間を切り倒す。
「ちぃっ」
 人の間を全て通りきった時には、右腕は深く切りつけられていたが、誠は走るのを止めない。
 ドクン ドクン ドクン ……
 こういう事は別に初めてじゃない。なのに、何故か今日は心臓の音がやけに五月蝿い。
 汗がどんどん出てくる。
「はぁ…はぁ…」
 後ろから人が追ってくる。止まりたいのに止まれない。先に行きたくない。
 目の前は闇だ。真っ暗な闇。自分の腕に流れる血だけがやけに鮮やかに見える。
 ドクン ドクン …
 違和感。何かが変だ。闇が…。まるで誰かの結界の中に知らずに入り込んだようだ。
 行ってはいけない。なのに……。
 ドクンッ
 誠は立ち止まる。目の前に人が居る。
 黒い闇を纏っている。一瞬、本当にそう思った。黒い服。夏だというのに長袖を着ている。
 寒い。
 この人の纏っている空気は、なんて冷たく、寒々としているのだろう。
 誠は一歩退る。
 しかし、男の手がすっと伸びて誠を捕らえる。
 近くに来てやっと顔が見える。黒い瞳、黒い髪。さっき殺した男と同じ特徴をもつ、あの男よりも若い…少年。
 微笑を浮かべている。
「成る程」
 少年が声を出す。声変わりのしていない声だ。静かに闇の中を心地よくその声が滑っていく。
「お前が父を殺したのか」
 ああ。そう、思った。ああ、そういうことか、やっぱり。
「謙様!」
 追いかけてきた人間が少年を呼ぶ。ぞろぞろと走ってきた人々に少年は溜息を吐く。
「お前達はもう休め。この子供の処分は俺がする」
「しかしっ」
「父は死んだ。今日から俺がこの家の主だ。文句はあるか?」
「い、いえ!それでは失礼します」
 人々はぞろぞろと部屋の中に消えていく。
 誠は恐る恐る謙と呼ばれた少年を見る。年はまだ十代の前半ではないだろうか。少なくとも誠よりは年上だろう。
 謙は誠と視線を合わせる。口元には笑みが浮かんでいる。
「怯えなくてもいい」
 謙の声音は優しかった。
「お前が殺さなければ、どうせ俺が殺していたからな」
 くっくっと謙は喉を鳴らして笑う。
「俺を…どうするつもりですか」
「ああ…。そうだな。まず名前と年を教えてもらおうか」
「え?」
「まさか、解からない訳じゃないだろう?」
「誠。十歳です」
 必要な事だけを答える。
「俺は謙。さっきのあいつが名前を読んでいたからもう解かっているだろうが…。年は十三だ」
 これではただの自己紹介だ。誠は訝しげな顔をする。
 しかし、逃げ出す事も出来ない。今はこの謙の空間に捕らわれてしまっている。
「何だ、怪我をしているのか?」
 そう言って誠の腕を手に取り、傷口に綺麗な布を巻きつける。
 一体何を考えているのだろう、この人は。
「今時珍しいな。風守人か」
「なんで…」
「俺も力も似たようなものだ。ただ俺は闇を領域としているだけのこと」
「闇…」
 あの違和感はその所為だったのか。
 闇を領域とする謙。自分は彼の領域内に入り込んだのだ。
「俺は別にお前を傷つけるつもりはない」
 謙は言う。
「ただ俺に協力してもらいたいと思ってね」
「協力?」
「ある人と…君の運命に関わる事だ」
「ある人?」
 誠は謙に対しての警戒をほとんど解いていた。不思議な事だが、それは謙が自分に対して何の不信感も抱かずに話し掛けてくる所為だろうと思う。
「俺の大切な人だ。そして、結合者の候補の一人」
「結合者…?」
 聞き覚えのない言葉に誠は眉を顰める。
「知らない…か。まぁ、あの綺羅なら話さなくてもおかしくは無いな」
「綺羅…?一体何の事を…」
「まず結合者のことを詳しく説明するべきかな?とりあえず俺の部屋に来るといい」
「いいんですか?」
 尋ねれば謙は微笑む。
「君は俺に勝てない、誠。それに傷の手当てもきちんとしなければな」
 そう言われれば着いていくしかない。解かっていた事だ。此処は彼の領域内で、今は夜。
 闇は不可侵。風で闇は払えない。
 彼はさっと先に立って歩き出す。誠はその後に続いた。まだ成長しきっていない少年の姿には不釣合いな落ち着きと存在感。闇の中の空気が重くのしかかってくる。
 部屋に入ってみると、やけに殺風景な部屋。
 ベッドと本棚。そしてテーブルと椅子が二つ。それだけだった。
「綺羅とは何か、知っているか?」
 謙はベッドの脇の棚から薬箱を取り出しながら誠に問う。カーテンの開いた窓からは月明かりが漏れている。月だけがこの闇を溶かしている。
「綺羅は、世界の均衡を保つために居る…」
「そうだ。では、綺羅は一体どうやって生まれるか知っているか?」
「どうやって生まれるか…?」
 今までそんな事は考えた事がなかった。居て当たり前の存在なのだと。どうやって生まれるかなど、考えた事など、あるはずがなかった。
 綺羅は若く、年をとらない。性別がなく、そしてこのクロアナ一の実力者であると。
 それ以外の事は、全くと言っていいほど知らない。
 謙は自分で誠に巻いた布を取り、誠の傷の手当てをする。消毒し、包帯を巻いた。
「綺羅は、何百年か、何千年かに一度、結合によって生まれる。いくつかの候補者を挙げ、その中で最も相応しいとされる男女が結合し、一つになり、綺羅が生まれる」
「結合…?」
「まぁ、ようするに二人の人間が一つの身体になるということだ。綺羅に性別が無いのはその所為だ。無い、というよりは両性具有でけれどその器官は果たしていない、といったところか」
「その、結合の候補の一人に、あの…貴方の、大切な人が……?」
 戸惑い気味に尋ねる誠に謙は微笑する。
 それは当然の反応だろう。男女が一つになる。それがどんな気分なのか想像出来る範疇には無い。
「そう言うことだ。そして、その候補者の中に、君も入っている」
「俺…も?」
「本来、結合者は風守人がなる物だ。現在は風守人などそうは居ないからな、他の人間になるが君は違う。現存する、たった一人の風守人だろう。君は、候補というよりも確定者だ」
「確定…」
 誠は呟くような声しか出てこなかった。
「それは、つまり俺が、『綺羅』になるという事ですか?」
「ああ、そうだ。君はそれをどう思う?」
「どう…?」
「君は、大人しくその役目に甘んじるのか?」
 大人しく?そんなこと考えた事も無くて、行き成り聞かれても解からない。
 結合というのは一体どんな風に行われるのだろう。綺羅は、一体何時からその時を刻んできたのだろう。
 綺羅になったら、自分の今の人格はどうなる…?
「綺羅になったら…『俺』は、どうなるんですか?」
「『綺羅』になれば、二つの人格は共存する事になる。人格はそれぞれ残るが、一緒になるうちに融合するだろう。思考も相性のいい人間同士で結合するからな」
 謙は黒い瞳で誠を見る。
 こんな形で、こんな風にそんな事を知らされるなんて思ってもみなかった。
「結合は、何時行われるんですか?」
「綺羅が死んだとき。そうなるな。時期が近づいてきているから、今候補者が挙げられている。そして、昨今生まれてくる異色児は、その候補者の最たる子供達だ」
 誠は、はっと謙を見つめる。
 謙は知っているのだろうか?自分の大切な友人たちが異色児であるということを。だから、こんな事をいうのだろうか。
 知っていてもおかしくは無いだろう。彼は闇を領域とする人。闇と同調し、どんな情報をも手に入れる事が出来るのだから。知っていて当然なのかも知れない、自分の事も、自分の友人の事も。
 だから、彼は笑って自分を見ているのだろうか。
「君は、大人しく結合するか?」
「しない、と言ったら、どうなるんですか?」
「世界は崩れ、滅びるだろう。拒否をするのは簡単だ。嫌だと望めば、それだけで済む」
 誠は謙が何を考えているのか解からない。
 彼は自分に協力しろと言った。では、一体何を協力しろと言うのだろう。結合を拒否する事を?それとも、結合を望む事を?
「貴方は、一体何がしたいんですか?」
「俺は、彼女の望む未来と、君の望む未来の先を同じにしたい。それだけだ」
「望む…未来?」
 訳が解からない。一体何なのだろう。一体自分にどうして欲しいのだろう。
 彼は、一体自分をどう思ってこんな事を話しているのだろう。
「俺は彼女を手に入れたい。彼女でなければならない。他の誰でもなく。結合した存在ではなく『彼女』が。彼女もそれを望んでいる。誠はどうだ?何をしたい、何を手に入れたい?」
「俺は……」
 俺には、一体何があるのだろう?
 考えても、何も思い当たらなかった。
 何も、無かったのかも知れない。始めから。
 大事なものはある。守りたいものもある。だけど、手に入れたいものなどあっただろうか。手に入れたい未来など、あったのだろうか。
 自分のための何か。人のための何かではなく、自分のための。
 たった一つ、望む事。
 目の前に居る人は何だろう?今、彼は自分と向き合っている。自分という存在を望んでいる?『綺羅』として結合しない自分を望んでいる。
「俺は…俺でありたい」
 その為に。自分には一体何が出来るのだろう。
 斎達もそれを望むだろう。自分でない自分など、時の狭間に取り残される自分など、彼らは望んでいない。
 それは自分の思い上がりだろうか?そうじゃないと思う。
 誠は、先刻斎達に貰ったペンダントを握り締めた。
「俺が、俺であるために、結合する訳にはいかない…」
 誠は謙と視線を合わせてそう答えれば、謙は笑みを濃くした。それは、思った以上に優しい笑みだった。
 謙は、すっと誠の頬に手を滑らせる。
「なら、世界が破滅に向かわない道を探せ。君の手で。君の望む未来を手に入れるために」
 穏やかな光が謙を照らしていた。
 不思議な感覚が胸に鬩ぎ合う。この人は、一体自分の何なのだろう。今まで感じたこと無いこの感覚は何なのだろう。
 どうしたらいいかなんて解からない。
 どうしようもないのかも知れない。
 それでも。
 彼の言っている事を実行しなければ。
 彼に、失望などされたくは無い。
 自分の、大切なもの達を失いたくなどない。
 だから、自分の我侭なら、それは探さなければ。
 そう、答えは決っている。
 何も言わず、だから頷いた。手に入れたい未来を、彼と、自分と、彼の大切な彼女のための未来を。


 だけど、彼は自分が大切でそれを言っていたのだろうか?


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