〜仮面〜



 深夜の城下町。
 辺りは静まり返っていて、微かな物音も大きく響く。
 亜希を救出するため城門の前に箕郷達は居た。
 由宇と美也は危ないからと綺羅の所に残った。箕郷は無理を言って着いて来た。
 航は由宇と美也について綺羅の所に残ることになった。
 今居るのは、護、聖、麻希、要、司、誠、箕郷、空、祐、優、宝の十一人だ。
「宝、予定通りに」
 誠が宝に向かって言う。手に持っている杖を掲げて宝は呪文を唱える。
「聖なる闇よ、光の間を縫い、我が身を隠せ。我等の姿、闇となれ」
 唱え終わると箕郷達の姿は見えなくなる。
 不思議な感覚だ。自分の身体の感覚もちゃんとあるのに、視線を自分の身体に移しても、自分の手すら見えない。
「此れは十分しかもちません。早く」
 宝が言い、皆走る。足音を立てないように。
 城門の見張りの目を掻い潜り、城の中に入る。
 城内の地図を頭の中に思い出しながら走る。姿が見えないので気をつけないと逸れてしまう。
 姿を消して城の内部に入り込み、東の塔まで行く。姿が見えるようになったら、宝が催眠効果のある術をかけて進む。そういう段取りだ。
 十分経ったのだろう。東の塔に入って暫くすると前の人の姿が見えた。誠だ。
 箕郷が一番後ろらしい。後ろを振り返っても誰も居ない。
 階段を上って暫くすると道の脇に人が眠っているのが見えた。宝が術をかけたのだろう。
 今のところ上手く行っているらしい。
 ずっと走っているので心臓がドクドク大きな音を立てている。耳が熱い。
タッタッタ、タッタッタ…。
 足音が妙に耳につく。何度目かの踊り場に出た時、急に誠が足を止める。
 すぐ前を走っていた司、祐、要も足を止めて誠を見ている。
 三人は誠が足を止めたので止まったらしい。
 何となく解かる。要も司も誠のことを気にしていたから気づいたのだ。祐は解からないが。
 祐の方を見ると視線が合う。祐は視線を廊下の先に移す。そちらを見ろと言うように。
 箕郷はそっちを見る。よく見ると人が立っている。箕郷は息を呑む。
「謙さん…」
 誠の呟きに要が視線の先の人物に意識を移す。
 誠の様子が変なのには気づいていた。前を走っていた祐が誠が立ち止まったのを見て空と目配せしているのも。後ろにいる誠の空気が一瞬にして緊張した。
 自分が気づかなかった存在に誠は気づいた。
 闇に紛れるようにして立っていた彼を。闇に気配を押し殺していたその姿を。
「八年ぶりだな」
 謙は微笑する。黒い服、黒い髪、黒い瞳。なんて深い闇だろう。
 誠の緊張する気配が伝わってくる。誠の言う『特別な人』だとすぐに解かった。
 そして、この再会を歓迎していないことも。
「俺は『約束』を守った。『答え』を聞かせてもらえるかな?」
 謙の瞳には誠しか映っていない。誠の瞳も彼しか見ていない。
「『答え』は…」
 誠はぎゅっと手を握り締める。震えているのが自分でも解かる。
 謙が誠に一歩近づく。肩が揺れる。
「あ…」
 声が出ない。喉の奥で詰まってしまう。
「イエスかノー。それだけ言えばいい」
 優しい声。誰もがそう感じる声だった。


 護達は一気に最上階まで駆け上がる。扉の前に居た兵を眠らせる。
「鍵がかかってるな」
 優が呟く。
「おい、こいつが鍵持ってるぞ!」
 聖が扉の前に居た兵のポケットを探り、鍵を取り出す。
 鍵を開ける。
 ガチャッという音がしたかと思ったら、扉が勝手に開く。
キィ……
 軋んだ音と共に中の様子が見えてくる。
「亜希!」
 護が呼ぶ。目の前に亜希が居る。ベッドの上に腰掛けている。
「お姉ちゃん…」
 目を見開いていた亜希が麻希を見て微笑む。
「一緒に帰ろう。話したい事もたくさんあるんだよ」
「ええ」
「怪我はないか?」
「大丈夫。良くして貰ったわよ?」
 あっけらかんと答える亜希に麻希は苦笑する。
「お姉ちゃんったら相変わらず…」
「元気で良かったじゃん」
 聖が笑って言う。
「そちらの方達は?」
 亜希が宝と空を見て言う。
「えーっと話が長くなるから帰ってからね」
「色々あったのね」
「うん」
「誠さんは?来てないの?」
「え?あれ、そう言えば…」
 麻希が今気づいて言う。
「大丈夫。下に居るわ」
 空が答える。
「下に?」
「ええ」
 空は微笑む。
 大丈夫。そう、大丈夫。空は半分自分にそう言い聞かせていた。
「早く行きましょう。気づかれないうちに」
「うん」
 そうしてまた階段を下りていった。


「『答え』はノーです」
 誠はやっとのことで声を出す。
「ノー…ね。断るか…」
 謙は呟く。そして誠を見る。
 その瞳に不意に光が走った。
 謙はもう一歩踏み出し、左手で誠の腰を掴んで引き寄せ、右手で顎を捉えて視線を合わせる。
 誠は急のことで避けることも出来ない。視線を逸らしたくてもその瞳に捕らえられて逸らすことが出来ない。
 謙の身長は誠より十センチばかり高い。覗き込まれる瞳に息苦しさを感じながらも、その瞳に引き込まれる。
「大分変わったな。雰囲気は甘くなったか。居た環境がよっぽど平和だんったんだろうな」
 謙は落ち着いた声で言う。
「だが、その瞳は昔のままだ。俺と会ったばかりの頃と」
 懐かしむように言い、そして今度は冷酷に言い放つ。
「ノーだと言ったな?だったら俺を殺してみろ」
「なっ!?」
 誰もが自分の耳を疑う。何を言っているのだろう、この男は。
「断るということは必然的に俺の敵になるということだ。だったら今、俺を殺してみろ。生憎、俺の両手は塞がっているからお前から攻撃されても防ぐことは出来ないだろう。逆に、お前は両手とも空いている。その腰にぶら下がっている剣で俺を突き刺すことも、お前の力で切り裂くことも出来る。どうだ?俺を殺してみろ」
 誠は目を見開いたまま動けないで居る。否、震えている。
「出来ない…」
「何故?出来るだろう、お前なら」
 そう、出来る。常の彼なら表情も変えずに相手を切り裂くだろう。しかし、彼にこの男を殺すことなど出来るだろうか?ひょっとしたら、彼にしてみれば自分達を殺せといわれた方がまだ楽だったかも知れない。
 そう考えた要は、あまりにも冗談にならないのでそれ以上は考えないようにする。
 息を詰めて二人を見守ることしか出来ない。
「…出来ないっ」
「どうして?」
「出来ない、できない……やめて…」
「出来るだろう?」
「っ、できないっ!!」
 誠がそう叫ぶと、謙が誠を支えていた手を放す。誠は支えるものを失ってそのまま座り込んでしまう。
「出来ないのなら、『答え』は保留だな」
 誠を見下ろしながら謙は言う。
「ほ…りゅう?」
 震えた声で誠は呟く。何処か安堵したような声。
 箕郷は何も考えられなかった。耳の傍に自分の心臓があるんじゃないかと思うほどに心音が近くに聞こえて考えることを邪魔していた。
「今度会った時にまた『答え』を聞かせてもらおう。君の仲間も戻ってきたようだしね」
 それだけ言うと、謙はまた闇の中へ消えていった。
 誠は呆然と座り込んでいる。
「誠…」
 要が誠に声を掛けようとする。
「おい!何してるっ!?」
 上から聖が走ってくる。他の皆も、亜希も一緒だ。
「誠?どうしたんだ、座り込んで」
 聖が誠に近づく。
「聖、先に城から出ててくれ、皆と一緒に。誠はちゃんと連れてくから」
 祐が聖を止めて言う。
「……解かった。行こうぜ」
 そう言って皆走っていく。
「祐…」
「三人とも、さっきのことは誠にとって解かっていたことだ。解かっていてこんな風になっているというのがどういうことか解かるよね?」
 箕郷、司、要に祐が言う。
「ちゃんと連れて行くから、先に行っててくれる?」
 三人は誠のことを気にしながらも聖達を追いかけていった。
「さて、と…」
 祐は誠に近づく。
「立てる?それとも腰が抜けた?」
「先に行け」
「そういう訳にはいかない。連れてくって約束したからね」
 祐は誠の肩に手をかける。すると、誠はそれを勢いよく振りほどく。
「俺に、触るなっ!」
 誠の反応に祐は溜息を吐く。
「いい加減にしろよ。こんな所で捕まる訳にはいかないんだ。謙の望みも、聖達の願いも此処で捕まったら無意味になる」
 誠は祐を見つめる。
「どちらかの願いだけでも叶えたいんだろう?いや、謙の望みを無視できない」
「俺は、もう…」
「別に俺は構わないんだ。アンタがどういう道を選ぼうとアンタの道だ。他の奴も感づいてる。被れなくなったからといって大した問題はないだろう」
 祐は誠の腕を掴んで立ち上がらせる。
「すまない、祐…」
「気にしない、気にしない。俺は君達の変化を見ていくのが楽しみなんだ」
 祐は誠と城の外に出る。
 誠の瞳には今まで隠れていたものが映し出されていた。
 戻れば気づくだろう。この瞳の中に現れた光に。知っている者も知らない者も、彼の変化を望んでいるのはごく僅かしか居ない。
 しかし、祐は喜んでいた。
 進み始める。新しい道へ。彼の本当の姿が映し出される。


 綺羅の所に戻った皆は静まり返っていた。
 亜希との再会を喜ぶ間もなく、祐と共に戻ってきた誠の変化に皆戸惑っていた。
「……」
「っだぁ〜〜〜〜〜っ!!!この空気止めろ!!」
 聖が叫ぶ。
「大体、もう協力できないってどういうことだよ、何があったんだ!?」
「言葉通りの意味だ。俺はもう協力できない」
 そう言って誠は部屋から出て行こうとする。
「ちょっと待って、誠!」
 箕郷が呼び止めようと誠の腕を掴む。
「俺に触るな!!」
 びくっと箕郷は手を放す。誠はそのまま部屋から出て行く。箕郷は慌てて後を追いかける。
「一体、どうしたんだ、あいつ?」
 優が呆然として言う。
「今までつけていた仮面が剥がれたって事だろう」
 要は溜息を吐きながら言う。
「一体、あの時何があったんだ?」
 護が尋ねる。
「謙に会った」
 司が言う。司も、一体何がどうなっているのか理解しきれない。
「謙に?捕まえに来たんじゃないのか?」
「違う。あいつは始めから誠が目的だった」
 航の問いに司はすぐ否定する。
「その時のこと、詳しく聞かせてもらえないかな?」
 綺羅は微笑して言った。


 箕郷が誠を見つけたのは綺羅の神殿の中庭だった。
 もうとっくに夜は明けているのに、誠の瞳はまるで夜中のように暗かった。
「誠…ねぇ、もう一度考え直し…」
「五月蝿いっ!俺に近づくな。無理なんだよ、もう。あんた達の味方じゃいられない」
 誠は髪をくしゃっとかき上げて言う。
「それは、あの謙って人の所為?」
「違う!!あの人の所為じゃない、謙さんの所為じゃない!」
「どういう関係なの?何で…」
「もういい加減にしてくれ!あんたには関係ない!!」
 誠がイライラしているのが解かる。こんな誠は今まで一度だって見たことがない。
「誠、女の子相手なんだからもうちょっと優しく言えない?」
「くう、今の俺にそんなことを求めるのか?」
「はっははぁ〜、ま、ねぇ、もうちょっと丸くなる努力してもいいじゃな〜い?」
 空は誠に睨まれても全然動じない。
「無理だな。これは俺だ」
「うっわ。今までが誠じゃないみたいじゃん、それじゃぁ」
「お前、斎に似てきたな…」
 誠は眉を顰める。そして溜息を吐く。
「ったく、懲りないな」
 誠は苦笑する。箕郷は誠の瞳が和らいだのが解かった。
 箕郷は其処に居たくなくて、走って部屋に戻った。
 どうしてだろう?自分が知らないことばかりで、苦しい。
 どうすれば知ることが出来るんだろう?どうすれば…。


「誠、これからどうする?」
 要が誠に尋ねる。
「…暫くは此処に居る。他に行く所もないしな…」
「お前、本当は謙の所に行きたいんじゃないのか?」
「選べないから此処に居るんだ」
 夜が更けても夕食を摂りに来なかった誠に会いに要は中庭に来た。
「誠…俺はお前がどんな道を選ぼうと、お前に着いて行くつもりだ」
「……馬鹿だな、麻希はどうする?」
「それは…」
「俺はいい。昔の仲間が居る」
 誠は静かに言う。
「何もなくても、俺は生きていける。謙さんが居れば、それだけで生きる理由になる」
「誠、俺はお前に雇われてるんだ」
「要…」
「第一にお前のことを考える。そう誓った」
 要は誠に言う。自分が何を大切にしているか。
 麻希は大切だ。何より代えがたいものだ。でも麻希には家族が居る、仲間が居る。
 確かに、誠にもそういう人が居るだろう。でも、彼を見ていると放っておけなくなる。彼の仲間はそんな彼を支えてくれるだろうか?
「本当に、馬鹿だな。俺にそんな価値なんてないのに…」
「価値は俺が決める」
 要は譲らない。どうしても放っておけないという想いが要を動かしていた。
 誠は一人で居たくないくせに人を拒む。
「どっちが馬鹿なのかはお前が一番よく知っているだろう」
「ああ…そうだな」
「他の奴等、お前の変貌振りに驚いてたな」
「俺は、何も変わってない」
 自分の本当の姿、性格。それを見ても気にもとめない人間は貴重だろう。
「俺が変わったんじゃない。俺が変えていたんだ」
「自己暗示をかけるなんてな。しかも中途半端な。聖も気づいてた」
 要の言葉に誠は苦笑する。
「解かってるさ。聖はあれで勘がいい…。怒ってたな」
「当然だろ、もう協力できないなんて急すぎんだよ」
 行き成り聖の声がして二人は振り向く。
 あからさまに怒っている。
「お前はいっつもやる事が行き成りなんだよ!」
「……仕方ないさ」
「自分で仕方ないなんて言うな。あの男、嫌味なんだよ。今でも寒気がする」
 あの男というのが謙を指しているのはすぐに解かった。
「聖があの人に何を感じたのかは知らない。でも俺にとってはあの人は…」
「解かってるよ。特別なんだろ。だけどあいつとお前の間に何があったのか知らない。どう感じるかは俺の知っている範囲でしか判断できないからな」
 聖の言うことはもっともで、誠に反論は出来ない。
「って、そんなこと話に来たんじゃなかった。飯食え、飯!葵が心配してんだよ」
「葵?」
「そうそう、お前のことすっげぇ心配してる!」
「誠、行った方がいいぞ。そのうち綺羅が何かするかも知れないからな」
「…そうだな」
 誠は、食堂に向かって歩き出す。
「世話の焼ける」
 聖は溜息を吐く。溜息の数と共に、夜は更けていく。


 朝焼けの光と共に箕郷はむくりとベッドから起き上がる。
 他の皆はまだ眠っている。
「よしっ」
 箕郷は意を決したようにベッドから下りる。皆を起こさないように荷物を持ち、部屋から出て行く。
 目的地は決まっている。
 箕郷は駆け出した。


「箕郷がいない!」
 司が言う。
「どういうことだ?」
 航が尋ねる。
「神殿の何処を探しても見つからないんです」
 美也は航に言う。
 朝食の席だ。今度は誠も居る。司と美也が箕郷を探したが見つからない。
「一体、何処に行ったんだ?」
 ろくに土地鑑もない箕郷が一人で出歩くなんて危険だ。
「誠、何処に居るか解かるかい?」
「さぁ?」
 綺羅の問いに誠は気のない返事をする。
「調べてみればいいだろう?」
「貴方の方がよく知っているはずだ!」
 そう言って誠は机に拳を打ち付ける。誠は綺羅を睨みつけるが、当の本人は気にした様子もない。
 皆、誠が行き成り怒声を上げたので驚いている。
「調べてみれば解かるよ」
 そう言われて誠は席から離れる。
 皆は誠が何をするのか興味をそそられる。
 誠の周囲に風が集まっているのが解かる。でもそれでどうなるのか解からない。
「風の声を聞いてるんだよ」
 綺羅が言う。
「風の、声?」
 誰かがそう言った時、急に風が止んだ。
 ちっと舌打ちするのが聞こえる。
「居場所は解かったかい?」
「解かりましたよ。貴方が俺を其処に行かせようとしている事もね!」
 イライラとした口調で誠が言う。
「別に私が彼女を唆した訳じゃないんだよ?」
「解かってる!貴方は何もしない!!」
 それだけ言って誠はその場から出て行く。
 皆、何がどうなっているのかさっぱり解からない。
「謙の処だよ」
「え?」
「誠に何があったのか気になるみたいだね、箕郷は」
 綺羅は微笑して言う。
「俺も気になるんだけど?知ってるんだろ、綺羅」
 聖が言う。
「そうか…まぁ別に話してもいいだろうね」
 綺羅の声だけが辺りに響いた。


 やっとのことで箕郷は謙の家を見つけた。
 そして使用人を通して会いたいと言うと、すぐに中に通された。
 あまりにあっさりしているので気が抜ける。かなり広い家を見回しながら廊下を歩く。
「こちらの部屋でお待ちください」
 使用人はそれだけ言うと部屋から出て行く。
 此処は応接室らしい。壁に絵がかかっている。
 天使の絵だ。天使が空を飛んでいる…。
「これは…」
「気に入っていただけたかな?」
 声がして箕郷は振り返る。部屋の入り口に謙が立っている。
「この絵のモデルは…」
「そう、誠だよ。彼が十歳の時に画家を呼んで描かせた」
 黒い服。この間とは違う服だが、イメージはまるで変わらない。
「さぁ、座って。敵地に堂々と乗り込んで来る、威勢のいいお嬢さん」
 箕郷は言われるままに座る。
「話は…誠のことかな?」
「はい」
「誠に手を出すな、とか?」
「違います。私は、ただ知りたい。過去の誠に何があったのか」
 心臓は段々速さを増している。でも、知りたい。知らなければ何も変わらない。
「面白いな。それだけの為に此処まで来るなんてね。教えてあげよう。ただ、俺は長々一人で話すのは嫌いでね。ちょっと小細工をさせてもらうよ」
 謙は掌を箕郷の真正面に向ける。
「オヤスミ」
 その声が聞こえたかと思うと箕郷は急に眠気に襲われた。
 あっという間に箕郷は眠ってしまった。
「謙さん!」
 息を切らした誠が部屋に入ってくる。
「意外と早かったな」
「彼女に何をしたんですか」
「眠ってもらっただけだよ。今頃、君の昔の夢を見ている筈だ。不満かな?」
「……」
 謙は微笑する。
「起きるまで待ってあげるといい。それまでゆっくり思い出話でもしよう」
「謙さん、その前に亜希が逃げたことで何か…」
「心配してくれるのか?大丈夫だ。綺羅が関わっていることを仄めかしたらすぐに諦めた。全く意気地がないな」
「そうですか…」
 誠はほっとした表情をした。
「俺を恨んでいるかと思ったけどね」
「そんなことはありません。絶対に」
「そうかな?」
 そう謙が言うと、誠の瞳は悲しげに歪んだ。
「悪いな。こうも素直に反応されると逆に困る。瞳の方が君の感情をよく伝えてくれる。ああ、犬みたいだな」
「…謙さん…」
 誠は赤くなる。謙は笑う。
「さぁ、誠も座るといい。ゆっくり話そう」
 誠は座り、時間は流れ始める。
 それは、とても静かな時間。


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