〜久遠〜



 歩きつめれば、人は疲れる。
 けれど歩かなければ何も進まない。
 だから―――。
 迷わず先に進もう。一歩一歩を歩んで行こう。


「まず、この霧をどうするかだよね」
 司に告白されたことや自分の気持ちはさておき、今は目前の問題を解決しなければならない。
 悩むのは後でだってできる。
「無茶を解かって霧の中に入っていくか、それとも此処に留まるか…」
 司も考える。
「この空間自体に意味があるかどうか解からなければどうにもできません」
「意味?」
「この空間だけ霧がかかっていないという事は、此処に何かしらの意味があって、それで霧がかかっていないか、それとも俺達の生存場所としてこの場所が用意されているのか…」
「霧を出した奴が何を考えて俺達を此処に居させるのか…か」
「この霧が誰かの意思で出されたのは間違いありませんからね」
 誠は腕を組む。そして意を決して言う。
「霧に入りましょう。ひょっとしたら何かそのことできっかけがつかめるかも知れない」
「ここでこうしていても仕方がないもんね」
「すぐにでも出発した方がいいか?」
「そうですね。食料にも限りがあるし……」
 誠と司の間の空気が柔らかくなったと思う。昨日は二人で何を話していたのだろう。


 荷物を整え、すぐに出発する。はぐれない様に細心の注意を払いながら。
「下りているのか上っているのかさえ解からないな」
「多分、登っているんだと思いますよ。だんだん空気が薄くなってきている」
 確かに、なんだか息苦しくなってきている。
 霧の中というだけで息が詰まりそうなのに、さらに息苦しいなんて最低だ。
 どれぐらい歩いただろう?
 霧がだんだん薄くなってきていた。
「あれ?此処は…」
「さっき居た場所と同じところだな」
 司は溜息混じりに言う。
「へぇ…」
 誠は興味深げに言う。
「誠?何感心してるの」
 箕郷はちょっとムッとして言う。
「いや、よく考えたら単純なことだったんだなと思って」
「どういうことだ?」
「俺達の目的地は最初から此処だったんですよ」
「え?」
 何を言っているのかさっぱり解からない。
「最初からこの場所は『特別な場所』だったんですよ。それに気づくかが俺達への問題だった」
「もっと解かりやすく言って…」
「つまり、此処に聖獣がいるってことです」
「え――――っ!だって何回もここは調べたんだよ?」
 箕郷は大きな声を出す。
「俺達は聖獣の創った空間に入り込んだんです。そして此処は唯一残された生存場所。此処に聖獣が居ることに気づくかどうか、そして気づかなければ一生、此処から出られないでしょうね」
 誠の説明を聞いて解かったというように言葉をつなげる。
「つまり聖獣は俺達の力量を見ているということだな?洞察力、観察力、そして此処で生き抜く生存力」
「そう、そして気づけば見えてくるはずだ、此処の本当の姿が」
 箕郷にもなんとなく解かった。つまりちゃんと目を開けば、此処の本当の姿が見えてくるのだ。
 そう、聖獣の住む場所が…。


 気が付けば周りの霧はすっかり晴れていた。
 そして目の前には大きな遺跡とも呼べるものが聳え立っていた。
「此処に…聖獣が居るの?」
「多分な…」
「中に入ってみましょう」
 地上からゆうに三百メートルはあるだろう。これが麓の村から見えないとは…。
「下から見えないように結界が張ってあったんだな」
 司が呟く。
 左右対称のまるで城のようなそれはすべて赤いレンガでできていた。
 中央の一番高い塔、そこの最上階が淡く光っていた。
 三人は視線を合わせると誰からともなく歩を進め、遺跡に入っていった。
 中は凄然とし、からっぽだった。しかし、壁の彫刻は明らかに聖獣の存在を象徴している。
「聖獣ってどんな生き物なの?」
「龍の化身と言われています。人型を取っていたという話もありますけど…」
「龍…」
「大きさを自由に変えることができると。まぁ、龍の化身と言っても似ても似つかないらしいですが…」
「どんなだろう…」
 目の前にある階段を三人は上っていく。
 最上階まで一気に上ると、そこには大きな扉があった。
 朱色の、自分たちの身長の五倍はありそうなそれは、鉄製で、いかにも重そうだった。
 司が手を掛けようとすると、扉はひとりでに開いた。
 扉が開ききると、体長三十メートルはありそうな大きな獣が横たわっていた。
「皆さん、よくいらっしゃいました。こちらに来てください」
「しゃべれるの?」
 箕郷の惚けた質問に聖獣は目を細める。
 その瞳は澄んで青く、体は白い体毛に覆われていた。
 胸にはふさふさの白い長毛、耳はまるで犬の耳のようだ。背中には大きな白い翼が生えていた。
 尾は猫のそれによく似ていて、絶えず動いている。
 確かに龍とは似ても似つかない。
「貴方達のことはずっと見ていました」
 静かな声で聖獣は言う。
「実力と心ある方でなければ此処には入ってこれません」
「心?」
「貴方達が此処にきた目的は知っています。二つの国の戦争を止めるために…」
 聖獣は密かに瞳を閉じる。
「もし、貴方達が此処に来る事が出来たなら、決めていたことがあります」
「決めていたこと?」
 箕郷は率直に問う。司は何も言わずただじっと聖獣を見つめていた。誠は瞳を閉じて静かに聞いていた。
「私は貴方達に協力することは出来ません」
「え!?」
「私の命はもう短いのです。ですから、貴方達に私の子を託したい…」
「子供?」
「あそこに祭壇があるでしょう。その上に…」
 三人は祭壇に近寄る。そこには一つの卵が置いてあった。
「これが、貴方の子供?」
「はい、もうすぐ生まれます。もう、時間がない……その子を、よろしく頼みます…………」
 そう言って聖獣は密かに息をひきとった。
「聖獣にもやはり『死』というものはあるんだな…」
 司が呟く。
カリッ
 そう音がしたかと思うと卵が割れ始めた。三人は静かに卵を見つめる。
 だんだん卵の罅割れが広がっていく。
 そうして、卵が完全に割れると中から聖獣の子供が出てきた。
「キュ〜ゥ」
 鳴き声を出し、体をぶるぶるとふる。そして目を開けて真っすぐ箕郷を見る。
「可愛い」
 目をぱちくりさせ、尻尾を振ったその姿はとても愛らしい。
 そして小さい翼をはばたかせて箕郷の周りを飛び回った。
「箕郷のことを母親だと思ったのかもな」
 司が言う。
「え?どういうこと?」
「刷り込み。動物によくあるだろ。最初に動く生き物を見たら母親だと思う。お前、こいつの母親ってことだ」
「そっか、じゃ、名前付けようかな」
「お前、どっからそういう発想が出てくるんだ?」
 司は溜息を吐く。今日はよくしゃべる。
「え?ダメかな?」
「いいんじゃないか?」
 司はもうどうでもいいと言うように言う。
「う〜ん、それじゃどうしようかなぁ…。あ、久遠(くおん)ってどうかな?」
「久遠…いい名前ですね」
 誠が呟く。
「ホント?久遠、久遠!」
 箕郷が呼ぶと嬉しそうに飛び回る。
「久遠も気に入ったみたいだね」
 箕郷は久遠と一緒に戯れる。子供みたいにはしゃぐ箕郷を見て、司は思わず頬を緩める。
 誠はそれを見てふっと笑う。
「なんだよ」
 誠の様子に気づいた司は不満そうに言う。
「いや、貴方は箕郷のためならきっとどんな風にでも変われるんですね?」
「悪いか?」
「いえ、羨ましいんです。そこまで誰かを想える事が」
 そう言う誠の瞳には言いようのない感情が湛えられていた。
「お前も居るって言ってただろう?特別な人間が…」
「貴方が箕郷を想う気持ちとはぜんぜん違いますよ。けど…」
 言いかけて誠は言葉を止める。
「けど?」
「その人が居なければ、今の俺は居ないから…。あの人がいなければ、俺は生きてすら居ない」
「誠…」
 誠の様子から冗談でないのは明白だった。誠がそんな事を言うとは思わなかった。司は驚きと共に誠を見つめる。
 司の様子を見て誠はにっこり笑う。
「貴方と居ると、ついしゃべりすぎてしまいますね」
「俺はお前が誰を好きだろうと関係ない。ただ箕郷を傷つけるなら絶対に許さない」
 誠は微笑む。本当に優しく。
「俺は、貴方達の敵にも味方にも為りえる。そういう人間ですから」
「お前?…」
「ねぇ、帰らないの?」
 一通り久遠と遊んだためか箕郷は二人に話し掛けてくる。
「そうですね。明日出発しましょうか」
「今日はゆっくり休むんだな。明日バテても俺は知らないからな。帰り道の方が疲れるんだ」
「解かってるもん」
 子ども扱いされたのにムスッとして箕郷は言う。
「そこら辺がガキなんだよ」
 司はくっくっとのどを鳴らして笑う。
 箕郷は呆然とする。誠は司の隣でくすくす笑う。
「なんだよ」
 二人の様子を見て司はムスッとする。
「だって、司がこんな風に笑うなんて思わなかったから」
「変わったんですよ、箕郷のために。自分の感情を表現しなければいけないと思ったから。そうでしょう?」
 司はなんだか見透かされたようで気に入らない。箕郷は真っ赤になっている。
「二人とも本当に素直ですね」
 誠の笑みに二人は反論する気にすらならない。しかも久遠は何故かすっかり誠に懐いている。
「それに変わろうと思って変えられるのはすごいことですよ」
「すごい事?」
「そうですよ。普通、なかなか変われないから」
 誠は優しく微笑む。本当に優しく。
「お前も、変わったな…」
「え?」
「笑い方が」
 司の言葉に誠は戸惑う。どういうことか解からない。
「心の底から笑っていただろう、今。作り物の笑顔じゃなくて」
 あからさまに解かるような変化じゃないけれど、確かに変わったのだと。
「そう…ですか?」
「ああ」
「そう言えばそんな気もする」
 箕郷も頷く。
 誠は何も言わない。何か考えているみたいだ。
 しばらく嫌な空気が流れる。
「あの…誠?」
 箕郷が恐る恐る誠を呼ぶ。
「もし、俺が変わったというのなら、きっとそれも運命なんでしょうね」
 あの時から自分で変化を望んだことなんて一度だってなかった。
 自分で変わる力なんてないと思ってた。
 やっと声を出したと思ったら、訳の解からないことを言われて箕郷は困惑する。司は誠に近づいていって肩を掴む。
「もう寝よう。疲れてるんだろう?」
「はい」
「先に外に出てろ。俺は箕郷と話がある」
 誠は頷き外に出て行く。箕郷は訳が解からないままだ。
「司?」
「箕郷、誠の今の様子、どう思う?」
「どう思うって…何か、変わったとは思うけど…」
「あいつ、本当は今の状態から変わりたくないんじゃないか?」
 箕郷は司の言っていることもよく解からない。
「誠は、今の状態から善くなるのも悪くなるのも望んでいない。変わることを怖れているような…」


 誠が外に出ると一陣の強い風が吹いた。
 風は誠の髪をさらい、また彼方に飛んでいく。
 誠の焦燥を癒そうとしているようだった。
 誠は自嘲の笑みを漏らす。
「変わった…か」
 皮肉なものが浮かぶ顔はまるで自分を責めているようにも見えた。
「変わりたくないんだ。いや…変わりたいのか。本当はこの場から逃げ出してしまいたいんだ」
 誠は自らを抱きしめるようにして瞳を遠い空に向ける。
「逃げたいんだ。運命に踊らされるままに生きるより、死んでしまった方が楽なんだ…」
 瞳を閉じる。まぶたの裏に『あの人』の顔が浮かんだ。
「『約束』さえなければ…」
 破ることは出来ないと知っているから『約束』をしたのだ。
 『あの人』を俺が蔑ろにすることなんて出来ないと知っているから…。
 自由になったつもりで囚われている。きっと自分から。
 そこから逃げ出すことなんで出来るはずがないのだ。


「霧から出たか」
 絵を眺めていた謙は呟く。
「もうすぐ会えるな…」
 嬉しそうに絵を眺める彼の姿を見るものは誰も居ない。
 ただ、静けさだけが彼を包んでいた。
「やっと、待っていた時が来る…」


 翌朝、箕郷達は出発の準備をする。
「これからまた歩かなきゃいけないのかぁ」
 箕郷は溜息を吐く。
「久遠ちゃん、羽があるんだから、飛んで連れてってくんないかなぁ」
 昨日、出会った聖獣に箕郷は呟く。そんなこと、この小さな久遠に出来るわけはないのだが。
「ク、キュウ〜」
 箕郷の言ったことが聞こえたのか、ぐるぐるあたりを飛び回って、ポンッと煙が立ったかと思うと、さっきの百倍大きくなった。(大体十五メートルぐらい)
「く、くーちゃん?」
 どしんっと地面に下りると箕郷の頬をぺろりとなめた。
「聖獣って大きくなるんですね。そういや、自由に大きさを変えられるとかって…」
 誠は感心したように呟く。
「これなら綺羅の処まで一気に行けそうだな」
 司は大きくなった久遠を振り仰ぐ。
「久遠、私達を乗せてってくれるの?」
 久遠は箕郷の言葉に頷いて三人を背中に乗せる。
 最初は驚いたものの、三ヶ月もかかる道程をひとっ飛びで帰れるし、楽だ。こんなに良いことはないだろう。
 意外に図太い三人は、久遠に乗って綺羅の処に帰っていった。


 綺羅の神殿に着くと、他の皆はもう戻って来ているようだった。
 しかし、やけに皆静かだ。綺羅の方を見るとそのとなりに一人の見たことのない少年が立っていた。 少年は三人に気がつくとにっこり笑って言った。
「初めまして、俺は祐(たすく)と言います。よろしく」


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