〜メッセージ〜



 四時間たち、もう昼時。
 霧はいっこうに晴れる様子を見せない。三人はとりあえず昨夜野宿した場所に戻り、昼食をとった。
 食料は約三週間分。余裕はあるが、いつまでもこうしている訳にはいかない。
「解かんないよ。一体どうしたら霧が晴れるのか」
「そうですね。でも…」
 箕郷の言葉に返し、途中で言葉をとぎらせて誠は考える。
「でも?」
 続きの言葉が出てこない誠に箕郷が聞き返す。司は黙り込んだままだ。
「いえ、何でも有りません。確信があるわけじゃないし…」
 そう、確信があるわけじゃない。けれど、可能性はあった。
 これは、自分達が敵と呼んでいるフロレアの人間の仕業なのか。それは有り得ないと思う。誠は自分の力の強さを知っている。けれどその自分の力でも霧はびくともしなかった。今、この世界に誠の力を超える人間がどれだけいるだろう。
 それ以前にそれほどの力の持ち主が、こんな辺境の地まで来て自分達の邪魔をすることなど有り得るだろうか?無いに等しいのではないか。そういう人間ならもっと中枢部にいて影で国を動かしているだろう。
 綺羅に等しい程の力を持っているのならば。
 だとすれば可能性は一つ。誰かが自分達を試している。おそらく、その『誰か』こそが自分達の探している聖獣…。
「こうなると、何か策が思いつくまではあまり歩き回らない方がいい」
「うん」
 昼からは其処からほとんど動き回らなかった。
 『誰か』は、一体自分達の何を試そうとしているのか・・・。誠はずっと『誰か』に見られているという感じがした。それは綺羅だろうと思っていた。が、何かが違う。確かに綺羅も自分達を見ているだろうが、もう一つ、何か好意でも悪意でもない関心が自分達に向けられているような気がした。


 夕方、誠は辺りをもう一度見に行くといって今は居ない。箕郷は司と二人だ。
 会話がなくて気まずい。司は朝から、いや、昨夜誠と話してからずっと何か考えているようだった。
 司はずっと誠と話した事を考えていた。『告白』。確かに今は箕郷も兄妹じゃないと知っているし、何の問題もない。
 けれど、兄妹として暮らしてきたのに今更何を言うのだろう。箕郷にとって自分は兄でしかないのに、いきなり告白して何が返せるだろう。
 誠に威嚇するつもりが逆に返されたのだ。自分の言うことを解かっていた、その上で。何もかもそつがない。
 言わないままで、ずっといられる筈がないのだ。誠に威嚇していないで告白しなければ、変わらない。箕郷に人が近づくのを見ているだけで良い訳がないのだから。
 今は二人きり、それなら…
「箕郷」
 決意を決めた顔で箕郷の名を呼ぶ。
「何?司」
急に司が話し掛けてきたので少し驚きつつも箕郷は司を見る。
「俺は、ずっと前から、初めて会った時から、お前が好きだ」
「え…」
 箕郷は一瞬司が何を言っているか解からなかった。
「お前は覚えていないだろうけど、十三年前、初めて箕郷に会った。その時からずっと今まで箕郷が好きだった」
 ガサッ
 草を踏む音。振り返ると誠だった。
「あ、ぁ―――すみません」
 そう言って誠は向きを変えて去っていく。
「え、ちょっ誠!?」
(聞かれた!?)
 箕郷は思わず誠を追かけようとする。それを司は箕郷の腕を掴んで引き止める。
「誠は知ってる」
「え?」
「俺が箕郷を好きだっていうのは知ってる。兄貴達も」
 箕郷は目を見開く。
「兄貴達は最初から知ってた。誠は…多分初めて会った時から気付いてただろうな」
 司はいつになく雄弁だった。
「どうして…」
 司ははにかんだように笑う。それ自体信じられないが…。
「俺達が箕郷の家に来たのは、俺が箕郷の家がいいって言ったからだ。だから、兄貴達はずっと知ってた。他の奴らは気付いてないだろうけどな…」
「司。あの、何かいつもと違う…」
「本当はずっと気持ちを言うつもりはなかったんだ。だから気付かれないように必死だった。でも、兄妹じゃないって今は箕郷も知ってるしな。本当はずっときっかけが欲しかったのかもしれない。自分を変えるきっかけが…」
「きっかけ?」
「誠が言ったんだ。告白しろって」
「え…誠が?」
 箕郷は驚く。
「ショックか?」
「それは…」
 ショックだった。自分でもよく解からないけど、ショックだった。
「別に付き合いたいと思っているわけじゃない。ただ、気持ちを伝えておきたかったんだ」
 司がこんなに話しているのを見たのは初めてだった。
「でも、言ったからには少しは考えて欲しい」
「うん…」


 森の中、一人溜息を吐く。
「俺って間が悪いのかな…」
 以前にも航と美也が二人で居るところを邪魔してしまった。
「大体、告白奨めたの俺だからな…。上手くいってるといいけど…」
 別に自分が誰の告白現場を目撃しても何も問題はないとは思うのだが、普通は嫌なのだろう。その辺のところはよく解からないし、好きだと思う人もいなかった。そういう状況ではなかったというのもあるのだろうけど…。
 別の意味で特別な人はいる。自分と『約束』をした人…。そして、もう一人、自分を此処に繋ぎ止めている人。
「いつ戻ればいいんだろ」
 暫くこうしているしかないだろうか…。
 もうすぐ、日が暮れる…。



 暗い部屋。もう日が暮れ、真っ暗だ。
 カーテンの開いた窓から淡い月の光が漏れてくる。
 もうこの部屋に閉じ込められて何日たつだろう。三週間ぐらいまでは数えていたが、それもやめた。
 待遇は悪くないし、食事も豪勢だし。見張りも結構優しい。誰が連れてきたのか解からない。気がついたら此処にいた。
 此処が何処なのかは解からないが、窓を見下ろすとかなり高い場所なのが解かった。
「気分はどうかな?」
 そう言って部屋に入ってきた黒い服の男。かなりの権力者らしい。
「この状況ではとても良いとは言えません」
 ちょっと皮肉を言ってみる。
「明かりは点けた方が良いよ。目が悪くなる」
 自分から聞いてきたくせに返答を全く聞いていないようだ。
「どうして私を攫ったんですか?」
「答えるとでも思ってるのか?」
 圧倒的な余裕。自分は弱者で向こうが強者。解かり切っている返答。
「君の王子様はいつ助けに来てくれるかな?」
「え?」
「今はもう少し時間がかかるな。俺も早く会いたいんだけどね」
「どういう意味ですか?」
 この人は一体何を知っているのだろう。
「君が待ち焦がれる人は、今、霧の中だよ。誠はね」
「誠さんが?」
「誠が上手く霧を抜けられるといいけどね」
 男は漆黒の瞳を細めて言う。
「誠さんのこと、知ってるんですか?」
「誠とは大切な『約束』があるんだよ」
「『約束』?」
「誠の将来をかけた『約束』をね」
 男はまるで独り言を言っているようだ。自分など視界に入っていない。自分を通して誠を見据えているのだ。
「一つだけ言っておくよ。君を攫ったのは俺の意思じゃない。俺も気に入らなくても従わなくてはいけない人物が居るんでね。今は」
「今は?」
「そのうち、状況が変わるってことさ」
 そう言って男は部屋を出た。
 暗い階段を下りていく。
「確かに俺の意志ではないけどね。利用できるものは使わせてもらうよ」
 コツコツという足音だけが響き、消えていく。


「どうしたらい〜んだろ…」
 司に告白された。けれどそれは別に嫌なわけじゃない。ただ…
「どうして、あんなにショックだったんだろ」
 誠が司に告白を奨めたこと。最初から解かっていたのに、誠は、自分達の中の誰も見てないこと…。
「私は一体、誰が好きなんだろう―――」
 司のことをどう思っているか自分でもよく解からない。カッコいいっていうのも解かるし、自分自身惹かれていると思っていた。口では否定するようなことを言っていたけど、実際はよく解からない。司に手を握られて赤くなったりしたけど、これが『恋』とか言うものなのか解からない。
 誠に対する気持ちも解からない。
 優しい人だと思った。でも実際は違っていた。誰とも深く関わらない。冷たい瞳。誠が一体どんな人なのか解からない。
 心の奥底で何を考えているのか解からない。特別な人なんていないのかも知れない。皆同じで。
「私、誠のこと何も知らないんだ…」
 今、近くに誰も居ない。自分だけ二人と離れてきたのだった。よく考えたかったから。
 誠はあれから何事もなかったように戻ってきた。本当に自分のことなんてなんとも思っていないのだ。
 誠に家族はいるのだろうか。綺羅との関係は?八年前、一体何があったのだろう。血塗れで降りてきた『天使』。
 誠は綺麗だ。男でも女でも見惚れてしまうだろう。笑顔が、凄く綺麗だ。でも、その笑顔は嘘だ。嘘で固められていて、それでも綺麗だ。
 誠は一体何処から来たのだろう。知らないことだらけだ。
「私は、司と誠の一体どっちが好きなんだろう?」
 好きという気持ちが解からない。考えてみれば初恋もまだだった。
 誠のことは気になるけど、それが恋なのか解からない。司のことは好きだけど、恋愛感情なのか解からない。
「自分のことも解からないのに、他人のことが解かる訳ないよ…」
 どうしたらいいのか解からない。
 私の好きな人って誰?


 焚き火の前に座り、炎を眺める。誠と司の二人。箕郷は今はいない。
「お前にあんなところを見られるとは思わなかったな」
 司は嘆息する。なんだか一日前より表情が豊かになっている。
「俺も昨日の今日で告白しているとは思いませんでした」
「箕郷は、やっぱり困ってるな。こうなることは解かっていたんだ。でも、本当はずっと言いたかったのかも知れないな。だから誠がああ言ってくれて決心がついた」
「迷惑と言われた訳ではないんでしょう?」
「ああ」
 司の言葉は素直だ。嘘をつかない。本当に感謝していればちゃんと態度であらわしてくれる。気に入らなくても。以前より空気が柔らかくなったのが解かる。
「だったら、大丈夫ですよ」
 誠は笑って言う。上手くいけばいい。本当にそう思った。
「お前は、好きな奴は居ないのか?」
「え?」
「誰か、特別だと思う奴はいないのか?」
 誠は、司の質問に躊躇する。なんと答えていいか解からなかった。
「……特別な人…は、います。恋というのとは違いますけど」
 誠の答えに司は驚く。やけに素直だ。
「その人がいるから俺は生きていける」
「誰のことだ?」
「言えません」
 言える筈がないのだ。その人は、先日俺達を狙って来た五人組をよこした張本人なのだから。
「俺の知っている奴か?」
「いえ、でも近いうちに会うかもしれません…」
「どういうことだ?」
 司は怪訝そうな顔をする。
「それは、会えば解かりますよ」
「?」
 司には訳が解からなかったが、それ以上は聞かなかった。誠が懐かしむような、悲しそうな、そんな顔をしていたから。
 誠は彼を想っていた。謙という、軍の総司令まで登りつめた人を。
 全てを、誠の全てを変えた人を、そして、彼と交わした『約束』を。彼と会った時、自分は何と答えられるだろう。
 自分達の進む道に必ずいるあの人を。会いたい気持ちと会いたくない気持ちが交差する。
 きっとまだ始まっていない。始まるのはこれから。あの人、『謙さん』に会ってから……。




   時間は重く 風は軽く 流れに身をまかせて過ぎていく
   時間を記憶に刻み付け 風は永遠に流れ続ける
   人の記憶より不確かなものを見て それを覚え人に伝える
   その風の記憶を読むは風守人
   数百年に一人生まれし 永遠の記憶を読むもの
   その記憶 流れに乗って風守人に伝えん
   そは『時間の風』―――――…


 歌声が街のざわめきを止め、空気を清める。街の人々は皆、歌を唄っている女性に目を向け、立ち止まる。
 彼女が作り出す静寂は神聖だった。彼女の周りだけは全てのものが光って見えた。
「『時間の風』?」
 偶然その場に居合わせた麻希達は唄っている女性を見る。
「確かそんな歌あったなぁ」
 麻希の呟きに聖が答える。
「どんなだっけ?」
「永遠の命を持つ者が 永遠の記憶を統べる者」
 要が歌の文句を言う。
「知ってるの?」
「こっちの国ではよく流行ってたからな」
「そうなんだ」
 麻希が感心したように言う。

   囚われの少女は 城の東の塔に眠る
   城は少女を歓迎し 少女は三月の時を重ねる―――…。

「詩が違う」
「え?」
 要がぽつりと言う。
「そこは『永遠の命は 力を同じくする者により破れる  代わらんとする命は数人の候補者を挙げる――…』のはずだ」
 青銀の長髪を靡かせ唄い踊る女性は艶やかに歌を唄い終わった。
 見物していた人達も歌が終わったのでまた街はざわめきを取り戻した。
 要は女性に近づき声をかける。
「詩が違ったようだが?」
 声をかけた要の方に女性は銀色の瞳を向ける。
「貴方がたを待っていたのです」
「何?」
 女性は静かに微笑む。
「私の名前は静香(しずか)と言います。貴方がたがお探ししている人は私は知っています」
「どういう事?お姉ちゃんを知っているの?」
 麻希が不思議そうに聞く。
「彼女は今城に囚われています。私はそれを伝えるために此処で唄っていたのです」
「お姉ちゃんは城に居るのね!?」
「私はそれをある方に頼まれたのです。彼女は城の東の塔、最上階の部屋に居ます」
「ある方とは?」
 護が尋ねる。
「それをお教えすることはできません。けれどきっといつか貴方がたもお会いする方です」
 それだけ言うと静香は麻希達と別れていった。
「城の東の塔。最上階…。そこに亜希がいるのか…」
「手がかりになるな。本当かどうか確かめないと」
「城にどうにかして潜り込むしかないよな」
 聖と要は話す。この二人、時々妙に気が合うのだ。
「明日城の周辺を調べよう」
 本当に亜希がそこに居るのか。確たる証拠はないが、今は静香の言ったことを信じるしかない。

 まだ始まったばかり―――…。


BACK   NEXT



小説 R-side   オリジナルTOP