森の中を歩き続けてもう三週間が過ぎた。 フロレアの国土の三分の一が森林で、城から離れている北の地方はほとんど土地が開けていなかった。 箕郷達三人は聖獣を探すために北に向かっていた。 「その聖獣が住む山まで後どのくらいなの?」 森の中で腰をおろして休憩している箕郷はすぐ前に座っている誠に聞いた。 太陽は真上にきている。もう夏で暑いのだが、樹が陰を作ってくれるのでいくらばかりか涼しい。森を出たらもう少し暑いだろうが、北に向かっている分涼しいだろう。 「後、丸一日くらいですね。山の麓に村がありますから、そこで宿をとって、明日山に入ります」 「そっか、なんかすっっごい歩いたよねぇ。一生分くらい歩いたかも」 「じゃぁ、帰りにもう一生分歩かなければいけませんね」 「うっ、やだなぁ」 箕郷は溜息を吐く。ここ三週間歩きっぱなしだ。 「そろそろ出発しましょう。早く村に着いてゆっくり休んだほうがいいでしょう」 「うん」 箕郷達は立ち上がって歩き出す。 旅の間、司はほとんどしゃべらない。暗いオーラが漂ってきそうで怖い。それに (司ってあんまり誠のこと好きじゃないみたいなんだよね。何でだろ?) 誠は優しいし、司に何か悪いことをしたとも思えなかった。誠は気付いているのだろう。気付いているから、自分から司に話し掛けたりすることはほとんどないのだ。 「そういえば、司の力ってなんなの?」 「え?」 「司が力を使っているところなんて見たことないから」 他の皆が力を使っているのを見たことはある。けど、司のは知らない。 「……」 司は何も言わない。 「別に、知らなくてもいいでしょう?」 「え?」 誠が口を挟む。 「その人の力がどんなものかなんて、本当は知らない方がいいんですよ。言いたくない場合だってあります」 「誠?」 何を言っているのかよく解らない。 「欲しくない力だってある、人に知られたくない力だってある。言いたくないなら黙ってないでそう言えばいいでしょう」 最後の言葉は司に言っていた。言葉にトゲがあったような気がするのは気のせいだろうか。 「余計なお世話だ。口を挟むな。俺の問題だ」 司は誠を睨む。誠はそれを見て溜息を吐く。 「そうですね」 誠は司の言葉に反論する気はないらしい。 「あの…」 箕郷は不穏な空気に寒気を覚えた。喧嘩している訳でもないのだが、こういう状況は何と言うのだろう。 「と、とりあえず先に進もうよ」 その言葉しか思いつかなかった。司も誠もそれを聞いて歩き出す。箕郷はそれを見てほっと胸を撫で下ろす。 けれど、それ以降誰も何も話さなくて沈黙が重かった。その分、早く村に着けたのだが・・・。 村の名前はリバールといった。 三人は村を歩く。質素だけれど、賑やかな村だ。フロレアの最北端にあたる村。 冬になれば雪に埋まってしまう。今が夏で本当に良かったと思う。 「早く宿探そうよ」 「そうですね。荷物を置いてから、明日の山登りに必要な物も買わなければいけないし」 そんな話をしながら歩く。 「きゃっ」「うわっ」 突然、何かが箕郷にぶつかった。 「ごめんなさい、大丈夫ですか!?」 「う、うん」 ぶつかったのは魚売りの少年だった。肩に桶を二つかついて桶の中には魚が入っている。それを売っているのだ。 「ああっ!魚が!!どうしよう、親方に怒られるっ」 その魚がぶつかった拍子に落ちてしまったのだ。少年は泣きそうな顔をしていた。 服も質素で着古してぼろぼろだった。十五歳ぐらいだろうか。 「あの、ごめんね、魚…」 「いいんです、僕がぼーっとしてたのがいけないんです」 少年はそう言ったが、雇われているのだろうから魚がダメになってしまってはその親方からなんと言われるか解らない。 「落ちてるの全部でいくらですか?」 その少年が魚を拾っているので、誠も屈んで言う。 「え?でもこんな地面に落ちた魚じゃ…」 「大丈夫ですよ、洗えば食べられないこともないだろうし…あぁ、でも少し量が多いかな。半分は君が貰ってくれますか?」 誠は優しく笑いかける。 「あの、でもそんな…悪いです。見ず知らずの人に…」 少年は遠慮して言う。 「君、名前は?」 「え…雫(しずく)です」 「家族は?」 「あの、母と、弟が二人に妹が一人です」 「彼女にぶつかったのも何かの縁です。父親がいないのなら大変でしょう。俺の名前は誠。名乗り合ったんだから、もう見ず知らずの人じゃないでしょう?」 「私は箕郷、んでこっちの無口なのが司。遠慮しなくていいんだよ、って私のお金じゃないから私が言うのも変だけど…ぶつかったのは私もいけないんだし」 箕郷は誠に続いて自己紹介をする。 「でも、だめですよ。そんな……」 まだ遠慮する雫の手を取って誠はお金を渡す。 「俺は君にお金を払った。この魚はもう俺のものです。これをどうしようと俺の自由です。三人じゃ食べきれないし腐らせるのももったいないから貰って欲しいんです。貰ってくれるでしょう?」 「あ、ありがとうございます!」 「それに、家族は大切にしないと」 誠はにっこり笑う。雫は思わず赤くなった。 「はい。本当に、ありがとうございます」 雫はぺこりとお辞儀する。 「それじゃぁ、半分ね」 落ちている魚を半分に分けて箕郷達は雫と別れた。 「それにしても、結構有るね。半分にしても食べきれないかも」 「だったら干物にすればいいですよ」 誠はそう言うと、どんどん歩いていく。それからその後直ぐに宿を見つけて、荷物を置いて必要なものを買い揃えて、日が暮れる頃には三人とも疲れきっていた。 その日は満月だった。 誠は宿のベランダに出てぼんやりと月を眺めていた。誠は、こんな風に夜空を見るのが好きだった。 暗黒の宇宙に輝く月、いろいろな星達。太陽ほど明るくなくてもみんな一生懸命光り輝いている。この星の中で自ら光を放っている恒星はどれだけあるだろう。恒星でなくても光を反射し、輝こうとしている。そして、その光は、今、こうして此処に届いている。その間、どれほどの年月を重ねるのだろう。 「誠」 そんな風に空を見ていた誠に声がかけられる。後に振り向くと箕郷がいた。 「寝ないの?」 「箕郷こそ」 「私は、何だか寝付けなくて」 そう言って箕郷は誠の隣に座る。 「俺は、空を見てたんです」 「空?」 「はい」 そう言って誠は箕郷から視線を外して再び空を見上げる。輝く星。 「こうやって、空を見上げると落ち着くんです。昼間の空より夜中の空がいい。静かで、何にも考えなくていい…」 満月の光に照らされた誠はとても綺麗だった。夜風に髪が靡く。 「そういえば、前にもこんな事、あったよね」 「え?」 「菫の花畑で……」 「ああ…」 亜希が消えてしまったその日の夜。二人で闇の中にいた。月と星に照らされて、夜風に髪を靡かせて。 「あの時、村を出て行くつもりだって言ったよね?あの時は教えてくれなかったけど…。護達に聞いたの。誠は本当は兄弟じゃないって。だから出て行くつもりだったの?」 「それもあります。でも…」 誠が視線を落として話そうとした。その時 「箕郷」 後から声がした。司だ。これでは本当にあの時と同じだ。 「早く寝ろ。明日は早い」 「うん」 箕郷は立ち上がり、部屋に入っていく。 (また、聞きそびれちゃったな…) 箕郷のそんな思いとは裏腹に、誠は少し安心していた。雰囲気に呑まれて、話してしまいそうになったけれど、本当に話していいものか……。 夜はまだまだ長い。誠は、しばらくそのまま空を見上げていた。 城下町の中でも、大きい屋敷。一目で金持ちだと言うことがわかる。 中は、それほど派手ではなく落ち着いた雰囲気を持ったものだった。昼間は屋敷の使用人がいて賑やかなのだろうが、今は夜。静かで凄然としていた。 そんな屋敷の一室に二つの影があった。一人は眠っているようだった。 「あの子に、刺客を送ることになったよ」 漆黒の髪、瞳。そして、闇そのものを纏っているかのような服。返ってこないと解かっていて、傍らに眠る少女―――いや、女性と言うべきか―――に声をかける。語りかける声は何処か楽しげだった。 黒を纏う青年とは逆に、眠っている女性は長い、青銀の髪が部屋に入ってくる満月の僅かな光に照らされ、そこだけ、別の空間かと思ってしまうほど明るい光を放っていた。 その、漆黒の闇に消されることもなく。 「適当な人間を送ったよ。早ければ明日にはそれぞれの元に着くだろう。すぐ倒されるだろうけどね。あの子達を見張らせている人間の方がよっぽど優秀だからね。まぁ、あの子の場合、気付いていても何もしないだろうけど……」 青年は青銀の髪を手にとって軽く口付ける。 「早く会いたいからね。あんまり時間も取らせたくないし、大臣の機嫌も損ねたくないからね」 そう言い終わった後、青年は立ち上がり、自室へと戻っていった。 「箕郷、あいつと何話してたんだ?」 部屋に戻ると司が聞いてきた。 「え?」 突然の問いに箕郷は驚く。 「別に、特に何も」 「……そうか」 なんとなく誤魔化してしまったけれど、誠は人に話されたくない事かもしれない。それに、本当に話すような事など何もないのだし…。 (別に、嘘はついてないよね?) 自問する。そして、ふと気にかかった。 「何で、そんな事聞くの?」 「…気になったから」 「え?」 「あいつと何話してたのか気になったからだ」 「え…」 あまりにも素直な返答に、箕郷は赤くなる。 「あいつは、信用できない」 司の次に出てきた言葉に箕郷は言葉を失う。 「何処までが本当で何処からが嘘かわからない。信用するな」 「え、でもっ」 箕郷は反論しようとする。 「もう寝ろ。…お休み」 箕郷の言葉を遮って言う。そのまま司はベッドに入っていった。 (確かに、誠は司より何考えてるか解からない所あるけど…) そんなことを考えながら箕郷もベッドに入る。 誠は、基本的に優しい人だと思うのに。そう、思いたいのかもしれない。時々、何を考えているのか解からない表情をする。 いつも、その後直ぐに笑って誤魔化す。だから、皆騙される。 誠は、誠のする事は、全部嘘なのか本当なのか。でも、昼間の雫と言う少年に優しくしていた誠は本当だと思う。本心でああしていたと思う。 (誠は、まだ外にいるのかな…) うとうとそんな風に考えているうちに何時の間にか眠ってしまっていた。 外にいた誠はそれからしばらく空を眺めていた。 暗い所は落ち着く。何も考えなくていい。何かを考える必要なんてない。 だから好き。 あの時、司が邪魔をしてくれてよかった。でなければ話していた。自分のことを。 (あまり、知られたくないな) 溜息を吐いて部屋に戻る。二人とももう眠ってしまっていた。 二人は気付いているだろう、自分が嘘で固めていることを。司にはそれ以外の事でも嫌われているようだけれど。 「本当に、俺は人に好かれるような人間じゃないんだよ」 低くそう呟くと、誠もベッドに入っていった。 暗い。漆黒の闇。どっちが前か後なのか、ただ自分は逃げていた。 腕に怪我をして、赤い鮮血が暗闇の中でやけに目立つ。 自分は何から逃げているか。こんなに必死に。闇の中を。 先に何かある。そんな気がした。 知っている。この先に何があるのか、そこは、更に黒い、深い闇。そこには…… 「誠!」 はっと声がして目を覚ます。服は汗でびっしょり濡れていた。 「大丈夫?魘されてたけど…悪い夢でも見た?」 箕郷が誠を気遣う。司は眠っている。 「悪い夢…か。一概にそうとも言えないけど……」 「え?」 それは、自分にとって、いい夢か、悪い夢か…。 「でも、今回のはなんだか嫌な感じがするな」 予感、何か良くないことが、近い将来起こりそうで。 「誠?」 「大丈夫ですよ。夜明けまでにはまだ時間が有りますから、もう一眠りしましょう。起こしてしまったようですいません」 「うん…」 箕郷はそう言ってベッドに戻る。 今日は、何だかいつもより闇に近い気がする。森の中ではいつも火を焚いていたから…。 黒い…。 この夢は一体何を暗示しているのか。悪い事が起こらなければいい。 明日はもう山に入るのだから。 「いい天気!快晴だねぇ」 箕郷は元気よく言う。澄み切った空が気持ちいい。 「あんまりはしゃぐと後で疲れるぞ」 司がはしゃぐ箕郷を嗜める。 「解かってるよ」 それでもなんだか箕郷はうきうきしている。久しぶりにベッドだったのでよく眠れたのだろう。 「元気ですね」 珍しく、誠が司に語りかける。 「そうだな…」 司は誠と視線を合わせず、箕郷を見ている。 「元気なのも、素直なのも羨ましい。俺にはきっと無理だ……」 「?誠?」 司は訝しげに誠を見る。いつもと表情こそは変わらないが、雰囲気が違って見える。何かあったのか…。 「お前、昨日は箕郷と…」 何を話していたんだと聞こうとした時、ふっと視線を感じた。 「箕郷!」 司は箕郷の腕を掴んで引き寄せる。 「え?なに!?」 箕郷は驚いて司を見る。表情が険しい。 「お客さんのようですね…」 誠は溜息を吐く。茂みから五人の男が出てきた。その男達は皆同じ服を着ていた。そう目立たない服。 「フロレアの軍人か」 司が呟く。 「軍人!?そんな人がなんで?」 箕郷は男達を見つめる。司は箕郷の腕を掴んだまま放さない。下手に放すと危険だ。 「申し訳ないが、貴方がたのお命、貰い受ける」 「誰の、命令ですか?」 「答える筋合いはないな」 誠の言葉に男達の代表らしき人が言う。 「いやでも、吐いてもらいますよ」 誠の視線が冷たいものに変わった。男達は一瞬怯むが、一斉に誠達に向かってくる。 しかし、男達が誠に触れる前に一人の男がぼろぼろに切り裂かれた。男達は驚いて立ち止まる。切り裂かれた男は気絶していたが、まだ息があるようだった。 「かまいたち、貴方がたが俺に触れる以前に、風が貴方がたを傷つける」 「ちっ」 男の一人が炎を出す。炎は誠に向かっていくが途中で見えない壁に遮られて誠に届かない。風が、誠を守っているのだ。 逆に風が炎を跳ね返した。 「うわっ」 男は間一髪の処で避けた。 男達は、火、水、雷、あらゆる力があったが、どれも誠に届くことすらなかった。それより、跳ね返されて自分の力で自分が怪我をする始末だ。 「ちくしょうっ」 力を使うのは止めて男達は猛然と誠の方に突き進んだ。けれど、やはり誠に触れる事さえ出来ずに、全員かまいたちに切り裂かれた。その間、誠が表情を変える事はなかった。疲れた様子も、哀れむ様子も見せず。 ぼろぼろに切り裂かれ、鮮血が飛び、皆地に倒れてしまった。 誠は男達に近づき話す。 「もう一度聞きます。誰の、命令ですか?」 男の一人が口を開く。 「ゆ…ずる…様の……」 そこまで言って男の意識は途切れてしまった。 「謙?」 司が聞く。誠の表情が暗い。 「フロレアの、軍の総司令官です」 「なんで、フロレアの軍が私達を狙ってるの?」 「亜希が、フロレアの軍に、もしくは軍に命令をした人間に捕まっているっていうことです」 誠が答える。亜希は、フロレアの国に人質に取られたのだ。箕郷達はフロレア王国全てを敵に回したことになるのだ。 「じゃぁ、また来るの?こういう人達…」 「いや…多分来ないと思いますよ」 「え?」 「でなければわざわざこんな雑魚を送ってくるわけがない」 雑魚…とすんなり言ってしまうあたり酷いと思ったが口には出さなかった。 「あの、何でそんなこと。誠の強さ知らなかったかもしれないのに…」 「……」 誠は答えない。 「行きましょう、先に」 はぐらかして先に進むように促す。 「あの、待って。この人達の手当てしないと…」 「え?」 誠は驚いたように言う。 「あ、あの。確かに襲ってきたのは酷いと思うけど、命令されただけなんだし、怪我してるの、やっぱり可哀想だだと思うし…」 箕郷は少し遠慮がちに言う。さっきの誠は怖かった。要と戦ったときより、冷酷な瞳で。なんの躊躇もなく人を傷つけて…。 「早くしてくださいね。出来るだけ先に進みたい」 「うんっ」 箕郷は男達に近寄り手当てする。司は傍らで箕郷に言われて手伝っていた。誠は、それをじっと見つめていた。 誠には予感があった。 この先、何かが起こりそうな。自分にとって、そして何より箕郷にとって大変なことが……。 |