〜殺し屋〜



 深い、深い森の中。聞こえるのは風に揺られて木の葉が擦れる音、鳥の囀る声、後、この森に住む動物の鳴き声。
 麻希はその森で薬草や果物を探して歩いていた。
 同じような処が延々と続くこの森では目印がなければきっと帰れないだろう。
 あちこちに目印になるようなものが置いてあった。
「こんなおっきい森、初めてだなぁ」
 そう言って上を見上げる。葉の間から入ってくる光が眩しい。
「そろそろ帰ろうかな…」
 そう言って進行方向を変える。

ガサッ

 何か音がして後を振り向く。近くにあった茂みから出てきたのはトラだった。
 トラは低く唸っていて今にも飛び掛りそうだった。
 麻希は足が竦んで動けない…。
 それでもどうにか逃げようとする。でもなかなか足が動かない。
「ガアアア!!」
「きゃぁああ!!」
 トラが飛び掛ってきた。
 麻希は思わずしゃがみこんで目を伏せる。

 ?

 何も来ない。恐る恐る顔を上げてみる。
 トラが目の前に倒れていた。
「どうして…」
 何があったのか解らなかった。
 トラの額からは血が出ていた。辺りを見回すと、ちょうど後の所に人が立っていた。
 その人は黒と赤の色調がやたらと目立った。黒い髪、赤い瞳、服は黒いシャツに赤い半そでのジャンパーをかるく羽織っていて、ズボンも黒だった。
 その印象はまるで豹のようだと思った。
「貴方が…助けてくれたの?」
 ちょっと戸惑ったが声をかけてみる。
「別に…邪魔だったからな」
 素っ気無いが、確かに助けたということだろう。
 麻希は立ち上がってその男の処へ行く。
「あの、ありがとう」
 男は何も言わなかった。
「あの、お礼したいし、皆の処に行くまでにまた襲われたりしたら嫌だし、一緒に来てくれる?」
 それでも男は何も言わないので、麻希はその男の腕をひっぱる。
「何か言ってよ」
「礼が貰えるんなら行ってもかまわないけど」
 少し溜息をついていう。
 歩きながら麻希はその男にいろいろ質問する。
「さっきのトラ、どうやって倒したの?」
「物に力を込めて打つ、射撃の力だ」
 聞いたが良く解からない。でも、また聞くと機嫌を損ねそうなので止める。
「名前は?私は麻希」
「要(かなめ)」
 要と名乗った男は自分からは何も言わない。麻希はそれ以上は何も言わなかった。


「ただいま!」
 麻希は他の皆がいる場所について叫ぶ。
「あ、麻希、お帰り。…その隣の人は?」
 航が質問する。
「要って言って、私がトラに襲われそうになったの助けてくれたの」
「それは、有難う御座います」
 誠が腕を差し出す。要はそれに少し嫌そうな顔をしながらも握手する。
「こんな処に何で人がいるんだ?」
 聖が男と視線も合わせずに言う。
「それはあんた達だって同じだろ、俺の勝手だ」
 聖はその要の言い方に腹を立てた。
「なんだよ、その言い方!!ちょっと聞いただけだろうが!!」
「聖、落ち着けよ」
 殴りかかりそうな勢いの聖を誠は止めに入る。
「気に入らないからって、やたら喧嘩するなって」
 それを聞いて聖はかぁっと顔を赤くする。
「うるせぇ!!」
 そのままそっぽを向いて張ってあったテントへ入っていってしまった。
「ごめん、五月蝿くて」
「別に…」
「あ、これお礼」
 麻希が来ていろいろな果物を渡す。要はそれを受け取ってどこかへ行ってしまった。
 麻希はその後ろ姿を名残惜しそうに見ていた。
「彼には、また会えますよ」
 誠が麻希に言う。
「え?」
「会いたいんでしょう?」
 誠はそう言ってにっこり笑う。
「誠ちゃんて良く解かんないわ、なんで会えるって解かるのよ」
「う〜ん、カン?」
「当てになんないじゃん」
「でも、多分当たるから」
 にこにこ笑って言うもんだから麻希は溜息を吐く。それでも何だか誠の言うことは信じてしまう。
「ところで、麻希」
 誠はにっこり笑って言う。
「要はどうやってそのトラを倒したんですか?」


 深い森の中、大きな木の根元に腰を下ろしている人影があった。
「ターゲット確認、ったく馬鹿にしてるのか…平和ボケした腑抜けの集まりじゃないか」
 木の上の方を見上げる。木の葉の間から漏れる光が眩しい。
 もう初夏の陽気だし、少し汗がにじみ出る。しかし、もう一つ別の汗がその影に流れた…一瞬自分ですら竦んでしまうほどの殺気。まだ体の中に残っていた。
「まぁ、一人だけ…ただでは勝てそうにないのがいたな…」
 少なからず恐怖感があった。しかし、それに勝る好奇心もあった。それに、依頼があれば何があろうと殺すのが殺し屋の鉄則だ。


 日も暮れ、夕食を済ませて皆思い思いの時間を過ごしていた。
 皆がキャンプしている処から少し離れたところにある切り株に航は座り込んでいた。
 ただ静かな気分だった。何も考えずに静かにいた。それが心地よかった。
「航さん?あの、皆と一緒にいないんですか?」
 美也が航に近づいて話し掛ける。
「え、ああ。一人で少し考えたいことがあって…」
「考えたいこと?」
「うん…」
 少し間を置いてから航は話し出す。
「俺って、結局なんの役にも立ってないのかなって…」
「え?」
「なんか…いてもいなくても変わらないような気がするし…」
「そんなことないです!!」
 美也はそんな泣き言を言う航にむきになって怒鳴る。航はそんな美也を見るのは初めてで少し唖然とする。
「航さんが役に立ってないなんてこと、絶対ありません!」
「ありがとう…でも、俺ってやっぱり年長者としての威厳って言うのが全然ないんだよな」
 航は苦笑しながら言う。
「あの、えと、でも…それはやっぱり親しみやすいってことで…」
 慌てて否定しようとしてなんだか凄く当たり前みたいなお世辞になってしまった。
「それにきっと…俺か誠か選べと言われたら皆誠についていくだろうな…」
「そんなこと…!私は何があっても航さんについていきます!!!」
 それを美也が言うとはっとする。これではまるで告白と同じだった。しばらく嫌な沈黙が続いた。
「あ、えと…ありがとう」
 航は少し照れくさそうに礼を言う。
 その時、ガサッっと草が擦れる音がして二人は同時に振り返った。
「あ、お邪魔してすみません。できるだけ皆一緒にいた方がいいと思うので、目の届かないところには出来るだけ行かないで欲しいんです。今は」
 誠は一気にそれを告げてにっこり笑う。それから、
「こういう処にお邪魔するのは不謹慎だと思ったんですが…」
 と付け加える。
 そうすると二人のやり取りをずっと見られていたのだろうか…気になったが怖かったので敢えて二人とも聞かなかった。
「今はって?」
 航が少し気になったように言うと誠はまたにっこり笑う。
「すぐにカタが着きますから」
 作られたようなその笑顔に航は寒気を覚えた。


 翌日。
 一行は少しでも早く森の中を出ようと歩き出す。
「しかし、何処まで続いてるんだ?この森は…」
 優が呆れたように声を漏らす。
「おっきぃよね、この森。何時どこから獣が出てきてもおかしくないんだもん」
 箕郷は溜息混じりに言う。

ザァァァァ……!

 いきなり突風が吹いた。それと同時に不吉な予感がそれぞれに吹き込んできた。
「皆さん、動かないで、出来るだけ一箇所に固まってください!」
 誠の一声に皆が反応する。
 皆が一箇所に固まって緊張が続く。

キイィィィ…ン……

 金属音がした。耳が痛くなるような音だった。
 一瞬沈黙が起こる。皆の視線が集まったのは誠だった。剣を構えて何か弾いたような感じがした。
「すぐに俺から離れて!」
 響く声、咄嗟に皆が従ってしまう。そしてその声と同時に人影が誠に襲い掛かる。
 金属が弾き合う音がする。一瞬の事で目にも止まらない。
 剣を打ち合い弾けると同時に二つの影もまた飛びのいて距離をとり、止まる。
 誠に襲い掛かったのは赤と黒の色調が妙に目立つ人影。黒い髪、赤い瞳。黒のシャツの上に軽く羽織っているような、赤い半そでのジャンパー。
「要!?」
 麻希が驚いて声をあげる。
 要はその声を聞いてちらと麻希に目をやるがすぐに誠に視線を戻す。
 麻希はその目が合った瞬間、眩暈がするほどの恐怖を覚えた。初めてだった。恐ろしいほどの殺気。これ程強いものが自分に向けられるのは今まであの平和な村であるわけがなかったのだ。
「お前が初めてだな、俺の射撃を避けた奴は…」
「それは光栄ですね」
 誠は外面だけにっこり笑ってみせる。
「今回のは貴方の誤算ですよ。麻希に自分の能力を教えた」
 要はそれを聞いて鼻で笑う。
「初めから解っていても避けられる奴はそうはいないと思うがな…最初からこの能力で貴様等を殺すつもりはない」
 「殺す」その言葉にみんな過敏に反応した。襲ってきたのは何か理由があるだろうとは思っていたが…。
「殺し屋か……そろそろ来るころだとは思ってましたけどね」
 その誠の言葉を聞いて聖が怒鳴る。
「そろそろって何だよ!!お前解かってたのかよ!?」
「つけられてたの気が付かなかったのか?」
「悪かったな気づかなくてっ!だからって何も言わねぇのかよ!!」
「止めろ、気が付かなかった俺達が悪いんだ」
 誠に怒鳴りつける聖を護が止める。
 そのやり取りを聞いている間、要は何もしない。何もしゃべらない。
「で、なんでわざわざ俺を狙うんでしょう?」
「お前さえ殺ればあとは雑魚だ」
 その要の言葉に聖は激怒する。
「んだと!!ふざけんなよ!!」
 聖の言葉を聞いて要は聖を睨みつける。その瞬間、聖は言いようのない恐怖感を感じた。殺気、とんでもない…足が竦みそうなのを何とか我慢しているのがやっとだった。
「この程度で怖気づくようなら相手にならないな」
「っ!」
 何も言い返せなかった。自分はまともに要と戦ったら勝てないだろうという事がもう簡単に予測できた。
 まともに要と対峙して、一番要の殺気を直接浴びているはずの誠は顔色一つ変えずに、微笑すら浮かべているというのに……誠の実力なんて知らないが、たぶん自分より遥かに強いのだろうと思うとたまらなく悔しくなった。
 誠は黙って立っている。要は視線を戻すと攻撃をしようと構える。
 それを見て誠も剣を構えて要を見る。さっきまでと明らかに雰囲気が変わって空気が凍る。
 最初に要が飛びかかる。豹のように体を撓らせながら素早く誠に切りかかる。誠はそれを軽く受け流す。
 要の浮いた腕を素早く左手で掴んで捻り上げる。そして地面に押し付けて剣を手から放させて誠は体重を要の腕にかける。
 一瞬だった。あっという間に要は身動きが取れなくなった。
 皆その様子を唖然と見ていた。目にも止まらない速さで、あっという間に誠が優位に立ってしまったのだ。
「どうした?殺れよ…」
 要が皮肉っぽく言う。
「ねえ、俺達の仲間になりませんか?」
「!?」
 捕まえた手は緩めずに誠は言う。誠の言葉に、要も他の皆も驚いた。
「今…俺が仲間になると言っても、いつか裏切るかもしれないぞ?」
「その時はちゃんと俺が殺してあげます」
 二人の会話に誰も介入しようとはしなかった。無駄だと思っていた。
 ただ麻希は心の内で誠に感謝していた。要を殺さなかったことを。
「依頼は絶対に遂行しなければならない」
「なら、俺が君を雇います」
「金は有るのか?ちょっとやそっとじゃダメだぞ?」
「代償は君の命です。断れば殺す」
「……依頼を受けよう」
 それを聞いて誠は要の腕を放してやる。要はそれを確認して起き上がり抑えられた腕をさする。
「これからよろしく」
 誠はさっきまでのことが嘘のようににっこりと笑う。要はそれに対して何も言わない。
 他の皆は少し雰囲気が和んだことに安堵する。皆誠や要の方に近づいていく。


「要…どこか痛くない?」
 麻希が心配そうに話し掛ける。
「別に…」
「おい、麻希。なんでそんな奴心配するんだよ、俺達を殺そうとしたんだぜ?」
 聖が不満そうに言う。
「でも、仲間になるって言った。今はもう仲間でしょ?」
「…」
 聖も要も何も言わない。麻希は少し不安になるが、誰もなんともなくて本当に良かったと思う。
「誠、あの……」
 箕郷は誠に何か言おうとするが何を言っていいか解らない。殺すとかそういうことを実際聞くと不安だったし、誠もまるで今までとは別人のように見えた。全然知らない、怖いもののように思えた。
 誠は箕郷を見るが何も言わなかった。ただ薄く微笑んだ。
 その笑顔は何も今までと変わらないのに、要に「殺す」と言った言葉は本気だった。本気だったと思う。

「誠、解っていて話さなかったのが最善の策だったのか?」
 誠の肩を掴んで航は誠を探るように見る。「すぐにカタがつく」誠はそう言った。
「見張られているのなら、気づかないふりをするのが一番だと思ったんです」
 誠はそのままの笑顔を崩さずに言う。 知っていたのに言わなかった。しかも要が相手だと言うことも解っていた。誠は本当にどこまでが本気なのか解らない。

 それから皆はもう歩を進めることもなく其処で野営した。
 皆はどっと疲れを感じたらしくすぐに寝入ってしまった。起きているのは要と誠だけだった。
「あいつらはあんたの本性を知っているのか?」
「本性?俺にそんなものがあると?」
 要の言葉に誠は笑う。
「少なくとも二、三枚皮を被っているだろう。内にどれほどの殺気があるのかもあいつらは気づいていない」
「君に俺を詮索する権利はないでしょう?俺も君を縛り付けるつもりはない、情報が欲しいだけです。君を雇った人物と仲間の情報…今はそれが一番欲しい。あとは何かあったとき味方になるかどうかは君自身が決めると良い。ただ、俺達と一緒にいるのは君にも都合がいいはずでしょう。聞いたことがありますよ、君のことは」
「そんなことはどうでもいい。あいつらは、殺しはできない、俺が手伝わなくてもいいのか?」
「汚いことは全部俺がやる。あの人たちはそのままで良いですよ」
 そう言った時さっきと全然雰囲気が違うことに要は驚いた。
「なぜ、そこまであいつらに肩入れする?」
「君には関係のないことです」

 それからしばらく沈黙が続いた。
「…これから何処へ行く?」
「綺羅のところに…彼はきっと力を貸してくれるでしょう」
「あいつは中立だからな…安全なのに変わりはないだろう」
 要の言葉に誠は苦笑する。
「そうですね……彼は中立の上にクロアナ一の術者だから」
 少し穏やかな空気が流れる。
 綺羅と誠は知り合いなのだろうか?誠が一体どういう人間なのか詮索する権利が自分に無いことも要は解っていた。
 ただ、他の仲間とは違うものが誠にある。それだけは要には解った。
 要が仲間になった理由も誠は知っていた。誠はどれだけの情報を持っているのだろうか。
 最近まるで感じたことの無かった穏やかな空気に触れながら夜は更けていった。


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