story11 〜真実〜



 何故、という言葉しか浮かんでこなかった。
 何もかもが解からなかった。
 伊斯許理度売命は憂鬱な表情をしている。スサノヲが天照に反逆した。構図はこんなにも簡単なのに、その想いはとても複雑だった。
 スサノヲが天照に反逆する事など、有り得なかったから。
 自分だけが知っていることだった。スサノヲが天照を愛していると。姉弟としてではなく、一人の女として愛していると。そして、天照もまた、同じようにスサノヲを愛していると。
 それは、伊斯許理度売命だけが気付いていた真実だった。
 そして、だからこそ解からなかった。どうしてスサノヲがこの神殿を襲ってくるのか。
 『破壊神』と呼ばれるに相応しいほどの暴挙に、皆困惑しながらも納得しているのが信じられなかった。どうしてそんなに簡単に納得できるのかと。
 そしてもう一つ。
 天照の様子がおかしかった。
 彼女は伊斯許理度売命にとって誰よりも敬愛する人物だった。ただ闇の中に閉ざされていた自分を救い出してくれたのは彼女だ。彼女と、そしてスサノヲ。二人が居たから今の自分は在る。
それなのにどうして。
「天照様…?」
 呼びかけても返事は無い。何かおかしい。
 そう、天照は呼びかけても何の返答も返さなくなっていた。もはや、其処には居ないかのように。しかし、其処に居るのは確かな事だった。こんなにも眩い光を放てるのは彼女だけなのだから。
 何時からだろう。
 スサノヲが天照に反逆するのが早かっただろうか。それとも、天照の様子がおかしくなるのが早かっただろうか。
 一番最初は、何処からだっただろうか。
 天照と一番最後に話したのは?
「あれ…?」
 最後に話したのは、鏡を渡した時だ。
「まさか…」
 そこまで考えて思考が中断される。
「またスサノヲが来たぞっ!!」
 誰かの声がする。
 天照の元に来るには必ずこの部屋を通るだろう。誰かが戦っている音がする。しかし、誰にもスサノヲを止める事など出来はしない。
 壁は四つ。布刀玉命、天手力男命、天宇受売命、そして伊斯許理度売命。
 四人を倒さなければ天照の元にはたどり着けない。
 此処は一番最後だ。すぐにスサノヲは此処までたどり着くだろう。彼は『破壊神』だ。実践的な戦いにおいては天手力男命を凌ぐとも言われている。
 何故、こんな事をしているのだろう。
 スサノヲがやって来た。視線が合い、二人とも其処から一歩も動けなくなる。
 変わらない。何も、変わってなんか居ない。
 スサノヲは、今でも天照を愛している。今、スサノヲがこうしているのは…。
「イシコリ…」
 スサノヲは声を漏らした。
 彼も、動けなかったのだ。伊斯許理度売命の瞳に湛えられた悲しみを見てしまったから。
 スサノヲは、段々と伊斯許理度売命に近づいてくる。視線を合わせたまま。
「スサノヲ様っ!」
「悪かったな、イシコリ…」
「え?」
 行き成り謝られて何が何だか解からず伊斯許理度売命はその言葉しか出なかった。
「結局はオレの我侭だ。姉上がもうオレと会わないと言ったからといって、お前を悲しませる理由にはならないな」
 スサノヲは苦笑する。
「え、天照様が…?」
 まさか、という風に伊斯許理度売命はスサノヲを見つめる。
「言われたんだ。この前に会った時にな。もうオレとは会わない、もう来るなってな。だから逆上して此処を襲ったんだ。納得がいかなかった…。でも、こんな事をしても何もならないな。いいよ、お前になら掴まっても」
「どうして…?」
「お前はちゃんと知ってるだろう。オレ達の事。だから、いい。何も知らない奴にとやかく言われるのは嫌だけどな」
 そう言って笑うが、でもその笑顔は哀しげだった。
「スサノヲっ!!」
 後ろから追って来た布刀玉命達がスサノヲを呼ぶ。
「へいへーい。大人しく掴まってやるよ」
 彼らが来ると一変して尊大な空気をスサノヲはその身に纏った。
「え?」
 意気込んできた彼等は拍子抜けする。
「イシコリに説得されちまったもんでね」
「スサノヲ様っ!」
「乱暴はしないでくれよ、こっちも抵抗しねぇからさ」
 何かを言おうとした伊斯許理度売命の言葉を遮り、両手を挙げて降参のポーズを取るスサノヲに、戸惑いながらも皆納得してしまう。
 伊斯許理度売命が説得した、という点で納得してしまったのだ。
「もう二度とこんな事するなよ」
 布刀玉命は溜息を吐いた。
「ああ、悪いな」
 スサノヲはさして悪びれもせずに言う。今までの態度となんら変わりが無い。
 違う。
 こんなのは違う。
 スサノヲが悪いわけではないのに。
 悪いのは誰だ?
 そう、悪いのは…。
 連れて行かれるスサノヲを見送りながら伊斯許理度売命は考える。
 一体、誰の所為でこんな事になったのだろう。


 捕らえられたスサノヲは、牢に閉じ込められた。
 見張りが居ないのは、もう逃げないと思っているからだろうか。確かに、スサノヲ自身、もう逃げるつもり等毛頭なかった。
 不毛なのは始めから解かっていたから。ただどうしても納得が出来なくて。
 会いたかった。
「スサノヲ様」
 声がしてはっとする。
 牢に伊斯許理度売命が近づいてくる。牢の前まで来ると、その場に膝を付いて座った。
「イシコリ?」
「スサノヲ様、教えてください。天照様と最後に言葉を交わしたのは何時ですか?」
「え?」
「教えてください、お願いします」
 伊斯許理度売命の真剣な瞳にスサノヲは戸惑う。
「確か、一週間ぐらい前だと…」
「やっぱり…」
 伊斯許理度売命の反応をスサノヲは訝しげに見つめる。
「一体どうしたんだ?」
「ひょっとしたら、天照様はもう、オレ達と会話をする事は二度とないかも知れません」
「どういう事だ?」
「天照様に頼まれたんです。鏡を造って欲しいと。一つの事意外何も考えられなくなるような鏡を造って欲しいと頼まれて、それで造ったんです。出来たのが丁度一週間前で、だから…」
「待てよ、どういう事だ?第一、何で姉上がそんなものを必要としたんだ?」
 会話が読めなくてスサノヲは伊斯許理度売命に説明を求める。こんな状況では何がなんだか解からない。一体どういう事なのか。
「きっと、天照様は貴方への想いを断ち切るために鏡を使って、光を照らす事、それ以外を考えられないように御自分の心を封じ込めたんだと思います」
「何で、そんな事する必要があるんだよ」
 それは伊斯許理度売命も、何度も理由を考えた。考えて、考えて出した結論は、恐らく間違いのないもので。けれど、それをスサノヲに言うのは酷く躊躇われた。
「言えよ。お前は解かってるんだろう?」
「それは、多分…スサノヲ様の事を考えるあまり、天照様は自分の職をまっとう出来なくなりそうだったのだと、思います」
「なに…?」
「天照様も解かっていたでしょう。スサノヲ様を想う事は決して報われないと。だからこそ、その想いの所為で心を…闇に呑まれそうになっていたのかも知れません。報われない想いを抱え続ける事に耐えられなくなって、闇が段々天照様の心に侵食してきたのでしょう。天照様はこの世の光です。彼女が闇に呑まれれば、光照らす事など出来なくなる」
「闇…」
 スサノヲは呟く。
 闇など、正体不明のものだ。何時の間にか人の心に入り込み、犯していく。それはどうしようもないほどあっけなく人の心の隙間に入り込んでくる。
 天照も、その闇に呑まれそうになったというのか。そんな事は信じられなかった。天照は何時も輝いていた。闇など感じさせずに。
 そして、その闇に呑まれるきっかけは、自分だと。
「天照様も人間です。闇は、どんな人間の心の中にも居る。きっと、天照様はそれがどんどん広がっていくのに気づいたのでしょう。だから、オレに心を封印できるようなものを、作らせたのだと思います…」
 伊斯許理度売命は哀しそうな顔をする。
「ああ、そんな事で良い筈がない。あの人の心が消えてしまうなんて…。お前の力で、鏡を割る事は出来ないのか?」
「いいえ、天照様に、オレの心は入れないようにと言われていたので、オレの力で壊す事は出来ません。だから、スサノヲ様、お願いです、鏡を壊してくださいっ!」
 そう言って伊斯許理度売命は頭を下げる。
 何故、彼が頭を下げるのだろうか。伊斯許理度売命は、何も悪くない。ただ天照に忠実に従ったまでの事。それなのに彼は、今自分を責めているのだ。自分の所為だと思っている。
「イシコリ、お前は悪くない。悪いのは、オレ達なんだ…」
 姉弟で愛し合ってしまったから。
 だから、自分達が悪いのだ。
「オレを、此処から出せるか?」
 その言葉を聞いて、伊斯許理度売命ははっと顔を上げる。
「はいっ」
「よし、天照の鏡を壊そう。そして、もしそれで世界が滅びたとしても、オレは構わない。お前はどうだ、イシコリ」
「はい、オレも、その覚悟は出来ています」
 何かを犠牲にして得られる平和なんていらないと思う。
 そんな平和は、紛い物でしかない。その平和の所為で誰かが傷つくなら、そんな平和は最初から壊してしまった方がいい。
 伊斯許理度売命は、牢の鍵を開ける。
「イシコリ、泣くなよ…?」
「はい」
 スサノヲの言葉に、伊斯許理度売命は、静かに頷いた。
 それが全ての始まり。
 そこから何もかもが変わってしまった。
 全てそこから…。



「オレ達は、天照様に代々受け継がれている鏡を壊すために、此処に居るんです」
 圭麻の言葉に、皆驚きを隠せない。
 全く予想しなかった事だった。スサノヲと伊斯許理度売命の目的。
「あの、それじゃぁ、今の天照様は?何かおかしくなってるの?」
「現在の天照様は、恐らく鏡による作用で光を放つ事が出来るんです。現在の天照様の意識も、おそらく鏡によって魅入られている筈です」
「じゃぁ、鏡を壊したらどうなるの?」
 結姫の問いに、圭麻は静かに答える。
「鏡を壊せば、現在の天照様の力は無くなり、世界の光は失われてしまうでしょう」
 圭麻の言葉はある程度予想していたものだった。しかし、それを受け入れるにはどうしても難しいものがあった。あの鏡を割れば、光は失われてしまう。この世から光がなくなるという事は、この世の滅びを意味しているのだから。
「二人とも、世界が滅んでも良いと思ってるのか?」
 颯太の問いに圭麻と隆臣は顔を見合わせる。
「良いと思っている訳じゃない。だが、あの人の心を、ずっとあそこに閉じ込めておく訳にはいかない。あのままでは、ずっとあの人は一人鏡の中で生きていかなければいけないんだ。オレは、世界よりもあの人の方が大事なんだ」
 隆臣の言葉に、結姫の胸は痛んだ。
 天照を大切に想う隆臣。否、スサノヲなのか。あんなに想われていて、羨ましいと思った。隆臣は自分を見ないから。自分が喩え天照の生まれ変わりでも、隆臣は自分を見ようとはしない。
 何時も視線が合わない。
 それが、とても痛かった。
「だから、オレはこの世界が滅びようとあの鏡を壊す。一番大事なのが何なのかよく解かってるからな。後悔はしたくない」
 隆臣は哀しげな笑みを浮かべる。
 何度も何度もあの鏡を壊そうとした。その度に彼等に阻まれた。彼等には彼等の守るべきものがあるから。けれど、自分にはなによりも大事な想いがあった。それを消化できないまま前に進む事など出来はしない。
 世界の平穏と天照の心。天秤に掛ける事は出来ない。
 けれど、それでも天照の心を取り戻したい、という己の欲求が強かったのだ。ずっと昔から、彼女だけを愛してきたから。彼女の全てを愛してきたから。
 此れが、スサノヲの心だと自覚して、酷く隆臣は納得した。
 そう、だから結姫と目を合わせる事が出来なかったのだと。
 納得してしまえば簡単だった。自分は、スサノヲは想いを遂げるだろう。そう、それで全ては決まる。
「圭麻、行くぞ」
「はい」
 隆臣の言葉に圭麻は頷く。
 そう、天照の鏡を壊して、全てをやり直すために。



――――…喩え世界が滅びようと、心にあるのはひとつの想いだけだから



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