今思えば、何時も泣きそうな顔をしていた。 それを必死で我慢しているのかと思えば、そうでもないらしい。 泣けない人間なのだ。 それがきっと、誰も気づかなかった彼のトラウマ。 そう、今まで一度たりとて彼の泣き顔を見た事など無かったのだ。 隆臣と圭麻、もしくはスサノヲと伊斯許理度売命。両方であるのか。彼らが天照の元に向かうのに、他の皆は手も足も動かす事など出来はしなかった。ただ呆然と見守っている事しか出来なかった。 スサノヲの決意と伊斯許理度売命の想い、それは変え難くあるものだという事が解かってしまったから。それ以上に、このままの状況に自分達も疑問を抱き始めてしまったから。けれど、世界が滅びてしまう事に納得する事も出来なかった。 そして、考えているうちにもはや手を出す事など出来ないのだと解かってしまった。 この世界の運命を握っているのは、あの二人なのだと。 「圭麻、お前も一緒に来い」 スサノヲの言葉に、圭麻はただ頷く。もはや、スサノヲも隆臣も一人の人物であるから、どちらの名前で呼んでも構わないのだろうが、圭麻、伊斯許理度売命は彼をスサノヲと呼んだ。 それは、鏡を壊す事が、『スサノヲ』の意思だからだ。 明確に、圭麻も『圭麻』ではなく『伊斯許理度売命』なのだが、それでもスサノヲは圭麻と呼んだ。彼が彼である証のように。 「一緒にやるんだ」 圭麻はもう一度頷く。 そして、スサノヲは圭麻の腕を握る。天照の光は強い。常人は簡単に焼き消されてしまうだろう。それに耐えられるの破壊神であるスサノヲだけだ。 スサノヲから離れれば圭麻も焼き尽くされてしまうだろう。 二人は天照の光の中心に向かう。スサノヲはゆっくりと剣を抜いた。それを、圭麻もしっかりと握る。天照には意識がない。今、自分達がしようとしている事も解かってはいないだろう。 「圭麻、オレが考えてる事、解かるな」 スサノヲがじっと圭麻を見る。 「はい」 圭麻は、哀しそうな顔をして頷いた。解かっている、スサノヲが何を考えているのか。 そして、二人は剣を持ち上げ、鏡に突き刺した。眩い光が辺りを照らす。何も見えなくなるほど真っ白な光。その中で、圭麻はスサノヲの声を聞いた。 「イシコリ、前言った事、撤回する」 「え?」 圭麻は、スサノヲが自分を『イシコリ』と呼んだことに疑問を抱き、聞き返した。 「お前泣いていいよ。いや、泣いた方がいい」 「スサノヲ様…?何を」 圭麻がその目を見開いたのを、スサノヲは感じ取る。 「何時か、泣けるようになるといいな、イシコリ…。無駄話は此処までだ。頼むぞ、圭麻」 聞き返したかったが、スサノヲの言葉でそれも出来なかった。 圭麻はぐっと剣を掴み、瞳を閉じた。 光が収まり、周りが見えるようになった頃、其処には天照様と思しき女性が倒れているのと、黒い羽根の消えた隆臣、そして、薄く輝く円い球体を抱いた圭麻だった。 光が消えたので、辺りは暗くなった。 何処よりも暗く。辺りは真っ暗だった。ただ、発光するものは圭麻の抱くその球体のみだった。 「…どうなったの?」 結姫が駆け寄りながら問い掛ける。 「鏡は無くなりました。そして、スサノヲも、隆臣の中から消えました」 圭麻が言う。 「どういう事だ?」 颯太が問い掛ける。 「此れが、オレの造る、最後のものです。この中で、初代天照様とスサノヲ様は、永遠に眠ります。誰の邪魔をする事もなく、誰が邪魔する事もなく、一番近しい場所で、永遠に…」 圭麻は微笑む。 「そして、此れが新しい太陽になる。今度こそ、何の犠牲も無く、永遠に回り続ける太陽に…」 そう言いながら、圭麻は皆から離れる。 気がつけば、辺り一面がただの野原になっていた。神殿の面影は何処にも無い。あの眩い光にかき消されてしまったようだった。 「結姫、一つだけいい事を教えてあげます」 「え?」 「スサノヲ様は、何時だって、天照様の事が好きだったんですよ、何度生まれ変わろうと、どんな人格になろうと、それだけは変わらなかった」 「圭麻、それって…」 結姫は目を見開く。 「圭麻っ、お前どうしてそう、余計なことばっかり」 「本当の事でしょう?」 圭麻の言葉に隆臣は溜息を吐く。 そう、ずっと結姫の目を見る事が出来なかったのは、その分結姫に対して好意を抱いていたから。純粋で優しい彼女に、自分は視線を合わせる事が出来なかった。 汚れて欲しくなくて。 「オレも、もう眠ります」 「…え?」 微笑んでそう言う圭麻に、皆一瞬何を言っているのか解からなかった。 「オレがしなければいけない事も、もう終わりました。もう、何もしなくていい」 「圭麻?何言って…」 結姫が問い掛けるが、圭麻はただ微笑んだ。今までにない程に優しく、穏やかに。 「さようなら」 その言葉が言い終わるか言い終わらないかの内に、一陣風が吹いた。 一瞬だ強く、皆の視界を奪う。そして、次に目を開いた時には、圭麻の姿は無かった。 「…圭麻?」 名前を呼んでも、返事は無かった。 圭麻は、それを最後に皆の前から姿を消した。 そして、数時間後、再び辺りは光に包まれた。 嫌いじゃなかった。 むしろ、好きだった。 『圭麻』は優しい人間だった。喩え、両親や村人に疎まれていたとしても、そんな人達に対して恨みを抱く事は無かった。心の底から笑う事を知っていたのは、彼だった。 そして、両親が死んだ時には本気で悲しんでいた。 誰よりも、何よりも。自分の所為で死んでしまったことで、自分を恨み呪う程に。そう、『伊斯許理度売命』とは違う、とても優しい少年だった。 自分にはもう持ち得ない、ただ純粋な心を『圭麻』は抱き続けていたのだ。 そして、その優しさの所為で壊れそうになってしまった。 けれど、そんな『圭麻』を『伊斯許理度売命』は好きだった。多分、愛していた。自分と魂を同じくしながら、ひょっとしたら、全く違う道を歩めるのではないかと思った。 此れまでの五年間、『圭麻』は一度も表に出る事は無く、心の底に引きこもってしまったままだった。 けれど、もう安らかになろう。眠ろう。 今度は、新しく始めるために。 一年後。 神王宮は暫くの間混乱していたが、それでも伽耶の尽力で平静を取り戻した。 近く、伽耶の婚儀が行われる予定だった。喩え心に誰を想っていても後継ぎを残さない訳にはいかなかったのだ。此処には、まだこの世界を統治するものが必要だった。 結姫達も平穏無事な暮らしを送れるようになり、全てが何事も無かったかのようだった。 「伽耶さん、結婚するんだって?」 颯太の問いに結姫が頷く。 「うん。そう言ってた。どうしても神王宮に跡取を残さなきゃいけないからって…。伽耶さん、圭麻の事は…」 「あいつ、生きてるかどうかも解からないからな、どうしようもない」 隆臣の言葉は冷たいと思うが、それは事実だった。圭麻が行方不明になって一年。四方八方探したが、いっこうに見つかる気配はない。 伽耶は、自分の想いに耽るよりも、今自分に出来る事をすると決めたのだ。 神王宮を残せるのは自分しか居ない。月読のような政治ではなく、もっと人の為の政治をしていかなければないらない。混乱したこの世界の中で、ただ一つ神王宮だけが頼るところとなるのだ。 それに、喩え圭麻が傍に居たとしても伽耶の想いに応えるとは限らないのだから。 「圭麻、一体どうしたのかな…?」 呟く結姫に隆臣は溜息を吐く。 「喩え生きていたとしても死んでいたとしても、あいつはあいつの望むままの結果を得られたんだろう。幸せだろうさ」 隆臣の言葉に、結姫は頷く。 隆臣はもう結姫への視線を逸らしたりはしなかった。お互いの気持ちを確認し合い、お互いにとって一番良い関係を見出した。 「幸せになれればいい」 隆臣は、本当にそう思った。 泣けない少年だった。泣く事が出来なかったのだ。泣きたくても。 一度でも泣き喚く事が出来なたなら良かっただろうに。それでも、彼は泣く事が出来なかった。それは、『伊斯許理度売命』が村で受けた迫害の所為だというのは明らかだ。そして、それに今になるまで自分は全く気づかなかった。何時も笑っていたから。 泣いてもいいのに。泣いても、誰も責めはしないのに、泣けなくなってしまっていた。 次に会う時は、泣けるようになっているだろうか。 今まで、スサノヲと天照のために、そのためだけに何度も転生を繰り返してきたのだから。今度は、自分の為に生きて欲しいと思った。 「ほんとにさ、良い奴なんだよな、圭麻はきっと…」 泰造が言う。確かに、良い奴なのだろう。実際の圭麻などお目にかかったことは無いのだが。 「そうだな」 「会えるといいなぁ、また」 「今度は普通に仲間としてな」 皆笑いながら話す。 他愛も無い話を、圭麻ともしたい、そう思う。ずっと一緒に居る事が無かった圭麻。一時でも心休まる時があったのだろうか? 無かったら、哀しいと思う。幸せであって欲しいと思う。 優しい少年だから。 買出し当番の隆臣と結姫は、市場を見ながら歩いていた。 当たり前の生活も、何か物足りないと感じながら、それが得られる日が、確実に来るかどうかも解からないと解かっていた。 『眠る』と言った彼の言葉の意味を考えるたびに、嫌な思考に苛まれる。それは誰もが同じだっただろう。けれど、その思考を決め付ける事だけはしたくないとも思っていた。 『眠る』が『死』だとは思わない。彼は幸せそうだったと思う。最後に、一番幸せそうな微笑を残していった。そんな彼が、死を選ぶとは思えない。何より、あの人格は『伊斯許理度売命』であって『圭麻』ではない。そして、『伊斯許理度売命』は『圭麻』を自分とは違う人間のように考えていたように思えた。 だとしたら、『伊斯許理度売命』が『圭麻』の存在を無視して死ぬ事は無いだろう。 そう思う。そう思うのだけれど、あの時の圭麻は何か決意のようなものが感じさせられて…。 「隆臣っ!」 結姫の呼びかけに隆臣ははっとする。思考に嵌ってしまっていたのだ。圭麻が行方不明になってから幾度も同じ事を繰り返し考えていた。 「隆臣、あれ…」 結姫の言葉に隆臣はその視線を追う。 隆臣ははっとして、結姫の顔を見る。見間違いではないのだろうか。 しかし、違う。二人は思わずそちらへ走っていく。 「圭麻!!」 二人はその名を呼ぶ。 名前を呼ばれて、圭麻は振り返った。 「お前っ、何時から此処に…ずっと探してたんだぞ?」 隆臣の言葉に、圭麻はきょとんっとした顔をする。 それから、にっこり笑って言った。 「あの、どちらさまですか?」 ![]() Fin |