「鳴女さん、聞きたい事があるんです」 颯太が鳴女に尋ねる。 「どうして、圭麻はオレ達まで目覚めさせたんですか?隆臣一人を目覚めさせればそれで済むし、なにより、邪魔する人間が居なくて楽な筈だ」 「スサノヲが目覚めるには、あの剣と、それから全ての勾玉との共鳴が必要なのです。だから、彼があの剣を手に取ったとき、勾玉が光り、共鳴したんです。彼はそれを知っていたからこそ、貴方達を目覚めさせ、そしてスサノヲの復活を謀ったのです」 「そうか、オレ達が目覚めなければスサノヲが復活する事は無い。それに、月読が居なければオレ達もあの力を必要とする事はなかったし、目覚めなくても済むんだ。だから貴方はオレ達に月読を殺すように頼んだのですね?」 「はい」 鳴女は頷く。あんな事を頼んだのも彼女の本意ではないだろう。スサノヲを目覚めさせたくなかった彼女の、必死の策だったのだ。しかし、それももう遅い。スサノヲは目覚めてしまった。今出来る事は、天照の元に行き、彼女を守る事だった。 「鳴女さん」 結姫が言う。 「夜が明けたら、すぐに天照様の元に向かうわ。場所を教えて」 毅然とした瞳で見つめてくる結姫を、鳴女は驚いたように見つめ、それから頷いた。 「解かりました。案内します」 これで、この時の会話は打ち切られた。 夜は静かだった。 神王宮に居ても、誰も彼等を捕まえようと考える者など居なかった。それよりも、月読が居なくなった事で宮内は慌しくなり、それから暫くの時をもって沈黙した。 伽耶の尽力だ。 隆臣の姿を見たものは直ぐに逃げ去り、そして、その他の兵も、一時期神王宮を離れる事になったので神王宮には結姫達四人と伽耶しか居ない。 伽耶は自室に引きこもってしまっている。どんな父親であれ、その死はショックだったのだろう。誰も声を掛けようとは思えなかった。 その四人の間にも全く会話は無かった。それだけ信じられない事だった。信じたくない事だった。今、この時もスサノヲは天照を殺そうと其処へ向かっているのだろう。 「ねぇ、皆は知ってるんでしょ?昔の…」 結姫が其処まで言って、泰造は頷く。 「ああ。まだ記憶が全部戻ったわけじゃないけどな」 「教えて、知ってる事でいいから。あたしにも解かるように教えて欲しいの。昔の隆臣と、圭麻の事。あたしだけ知らないなんて嫌だよ」 結姫のその言葉に皆顔を見合わせる。 そして、笑って頷いた。 「そうだな、どうせこのまんまじゃ寝れやしねぇし。昔話でもするか?笑い話もたーっぷりあるしな」 泰造がそう言うと那智も笑って頷いた。 「そうそう、特にあの二人の話題だったらなー♪」 「何から話す?」 皆楽しそうに話し出す。それを見て、結姫も笑った。楽しい事があったのは間違いないから。辛い事ばかりじゃなかったのは間違いないから。 だから、大丈夫。 きっと何か理由がある。きっと話せば解かりあえる。 だって、あの時見た二人の瞳は、あんなにも優しげだったのだから。 そして、三人の話に、結姫は耳を傾けた。 「なぁ、スサノヲ、こんな噂あるの知ってるか?」 天宇受売命がにやにや笑いながら言う。 意思の強い瞳と、しなやかな髪、とてもプロポーションのいい体型をしているだけに、その言葉使いでさえ尊大さを感じる。 「何だ?」 スサノヲが聞き返す。今此処には五人居る。質問をした天宇受売命と、答えたスサノヲ、そして、聞いているのは布刀玉命、天手力男命、伊斯許理度売命である。 ![]() 「はぁ!?」 その言葉に、流石のスサノヲでさえ、とんでもなく情けない声を上げる。 「何だよそれは!!」 「えー、都の女の子の間じゃもちきりの噂だぜ?」 「デマだろ、そりゃ。大体なんでオレとイシコリなんだよ。大して年変わらねぇのに…」 スサノヲが頭を抱える。 「そりゃ、お前がイシコリには必要以上に甘いからだろ。イシコリも年相応に見えないぐらいこどもっぽいっつーか純粋っつーか」 「…ああ、畜生っ、んなデマ流されててたまるかっ!噂を広めたのは誰だよっ、今すぐシメてきてやるっ!!」 スサノヲはイライラと立ち上がる。 其処に居る皆は確かに、自分がこんな事を言われたら嫌だろうと思ってしまうので止めない。 「あ、待ってください、スサノヲ様っ」 「何だ?イシコリ」 「あの、止めておきませんか?噂なんてそのうち消えますよ」 その言葉に、スサノヲははぁっと溜息を吐く。 「あのなぁ、お前も当事者だぞ?」 「え、でも、オレは解かっていて欲しい人が解かっていてくれればいいですから。スサノヲ様もそうでしょう?」 そうやって話すのに照れながらもにっこり笑うさまは何とも言えず可愛い。そんな風に伊斯許理度売命に言われれば、スサノヲもそれ以上は何も言わず、伊斯許理度売命の頭を撫でながら解かった、という風に頷く。 「仕方ないな。けど、今度噂聞いたら知らないからな」 「はい」 そして、伊斯許理度売命は微笑んで頷いた。 「そうやって甘いところが稚児って言われる所以だろ」 布刀玉命は溜息を吐く。 「イシコリの言う事なら聞くもんなぁ、スサノヲってさ」 「うるせぇっ」 スサノヲはぶすっと拗ねたように言う。 「スサノヲ様も、本当に好きな人だけ解かっていてくれれば良いんでしょう?」 ワンテンポずれた伊斯許理度売命の言葉に、スサノヲの顔は真っ赤になる。 「え、スサノヲに好きな奴居たのか?」 「初耳ーっ」 「えーっ、誰だよっ」 他の三人は興味津々といった様子で聞いてくる。 「関係ないだろ、お前らにはっ。イシコリもどうしてそういう所にだけは鋭いんだよっ!!」 そう言われても、と伊斯許理度売命は苦笑した。 「あの頃は平和だったよなー」 颯太が、はぁっと溜息を吐いた。 「なぁ、そいや、何でスサノヲってあんなにイシコリに甘かったんだ?」 「アレ?那智、知らなかったのか?イシコリの一族はさ、高天原の中でも忌み嫌われてる種族だったんだ。それで、その種族はもう生き残りがイシコリしか居なかったんだけどさ、親もあいつが幼い頃に死んでしまっていて、あいつ、住んでた村で虐待受けてたらしい。誰も引き取り手居ないし、見るに見かねた天照様の命でそれを助けに行ったのがスサノヲ」 颯太の説明にふーんと那智は相槌を打つ。 「だから、イシコリは天照様には忠実だったし、スサノヲに懐いてたよ。虐待を受けてたって信じられないほど純粋な奴だったし、スサノヲも自分が助けた相手って事で妙に情が湧いたみたいだな」 颯太の説明に結姫も那智も興味津々といった感じで聞き入っている。 「ああ、オレもさ、スサノヲについてってその村行ったぜ。本当に酷い有様だった。身体中傷だらけでさ、見ていられねぇの。その時、そう、スサノヲがさ、さっきみたいに自分の上着を脱いでイシコリに着せたんだ。傷を隠すようにさ」 泰造は昔を思い出しながら言う。 そうだ、二人とも変わったわけではない。何も変わっていない。スサノヲの不器用な優しさも、イシコリの純粋な心も、きっと昔のままなのだ。 どうして、こうなってしまったのだろう。 何度目かのその疑問がまた頭の中を過ぎっていく。 小高い丘が皆の集会所みたいなものだった。 天照の神殿からそう離れてもおらず、都の様子を一望できるその丘が皆のお気に入りだった。 「ほんっとに、スサノヲって変な奴だよなァ」 天宇受売命はスサノヲに向かって言う。 「何が」 眉を顰めて言う相手に、天宇受売命は笑う。 「だってさ、スサノヲってオレ達より位が上のクセに、いっつもこうやってオレ達とだべってんじゃん。いいのかよ、こんな事しててさー」 「良いんだよ。オレは破壊神。戦争がなきゃ用無しなんだよ」 「それにしたって、普通オレ達みたいな位の低い部下なんて相手にしないぜー?」 天宇受売命の言葉に、スサノヲは少し考える。 「そりゃまぁ、上の爺共が五月蝿いからだろうなぁ。オレには合わないし。あんなところでじっとしていられる姉上は尊敬するぜ」 スサノヲは溜息を吐いて言った。彼は、天照の実の弟だった。姉はこの高天原においての最高権力者であり、スサノヲはこの都を守る砦だった。 忠実な主従関係でさらに、とてもなかのよい姉弟愛で結ばれていると思われていた。 「天照様も、あそこが窮屈でない訳ではないでしょう」 伊斯許理度売命が苦笑しながら言う。 「だから、オレ達が外の様子を天照様に話して差し上げるんです」 にっこりと微笑みながら言われれば、また違った感慨が皆の心に生まれる。 「そうだな。オレ達が天照様に話してやんねーとな。あんな頭の固い爺どもには絶対出来ないような話をさ」 天宇受売命が笑って言う。 「そうだな。ウヅメがまたこんなドジやったとか、布刀玉命がまた川で溺れたとかー」 天手力男命がにやにや笑いながら言う。 「何だよそれっ!!」 布刀玉命がすかさず文句を言う。 「でも本当にふっくん、しょっちゅう溺れてるよなー」 「そのふっくんって呼び名止めろよ、ウヅメっ!!」 「じゃ、たまちゃんがいい?」 「あのなぁっ!!」 顔を真っ赤にして抗議する布刀玉命に、天宇受売命だけでなく、皆笑う。 「でも、本当にこうやって皆笑っていられる日が何時までも続くといいですね」 「そうだな、オレの出番なんて無い方がいいよな。そしたらサボっても居られるし」 伊斯許理度売命に同調したように、ふざけた言葉をスサノヲが言う。しかし、それが本音である事を皆知っていた。スサノヲとは、とても優しい男だから。『破壊神』などという言葉とは、似ても似つかないほどに。 壊れるなんて思っても居なかった、こんな日常が。 自分達の手で壊す日が来るなんて、思ってもみなかった。 今自分達が向かっているのは天照の神殿だ。世界を滅ぼすために、世界の光を消滅させるために。そのためにスサノヲを目覚めさせた。そのために、生きてきた。 どんなに傷つこうと、この目的だけは違えるつもりはなかったのだ。 圭麻は、直ぐ近くに居る男の顔を見ようとする。しかし、それは叶わない。胸に押し付けられるようにして抱きかかえられている。飛ぶのにはこの方が楽だと、彼が言ったから。 見上げても、前を向いていて、その形のいい顎すじしか見る事は出来なかった。 「スサノヲ様?」 何となく気になって、圭麻は彼に呼びかける。 「何だ?」 「隆臣の心は残っているんですか?」 彼は少し驚いたようにして此方を見る。視線が合い、何だか奇妙な感じに捕らわれる。 「今更、そんな事を気にするとは思わなかったな」 「どうなんですか?」 「今は、融合している最中、と言ったほうがいいな。まだオレのスサノヲの人格しか出ていない」 そう言った言葉はいやに素っ気無かった。 微かな不安が胸の中をよぎった。確かなものではなかったから、気にしないようにしたけれど。 「お前は?」 「え?」 「お前はどうなんだ。『圭麻』の人格と『伊斯許理度売命』の人格。今のお前は、イシコリだろう」 「はい…」 圭麻、伊斯許理度売命は頷く。 「『圭麻』の人格は、もう何年も出ていません」 そう、自分はずっと『圭麻』ではなく『伊斯許理度売命』だった。彼がその事に気づいたとしても、圭麻は、伊斯許理度売命は何の疑問も持たなかった。 「五年前からずっと、『圭麻』の人格は眠っています」 「そうか」 スサノヲは、ただ相槌をうった。あまり言葉は出さない。けれど、伊斯許理度売命にはそれが嬉しかった。 『圭麻』は両親の死を目の当たりにした時、完全に伊斯許理度売命と人格を入れ替わってしまった。幼い『圭麻』にはその衝撃は重すぎたのだ。 喩え、自分のことを疎んでいたとはいえ、両親は両親。圭麻は両親の事が好きだった。まさか、自分の所為で殺されるなんて夢にも思わなかった。 その分傷つき、だから伊斯許理度売命に、切り替えたのだ。自分が傷つかぬように。 スサノヲも、伊斯許理度売命も、他の天ツ神とは違い、意識と記憶が最初から融合しているという事はなかった。それは多分、意識と記憶に誤差が生じる所為だろう。 目的の為に、二人の心は生まれ変わった魂と相容れない人格を形成してしまっている。それでも、時間をかければ融合できない事は無かったが、『圭麻』はそれを拒否し、完全に伊斯許理度売命にその身体をあけわたしたのだ。 それが一時的なものなのか、それとも今後ずっとなのかは解からない。けれど、伊斯許理度売命自身は、圭麻に戻ってきて欲しいと思っていた。 今すぐでは困るけれど、何時か…。世界が滅びてしまえば、それも叶わないだろうが。 伊斯許理度売命は微苦笑する。 「どうした?」 雰囲気を察し、スサノヲが伊斯許理度売命に声を掛ける。 「いえ」 そして、また何処か不安に駆られる。 これから万事上手くいくはずだ。 天照の元に行き、この世の太陽を消滅させる。 そうすれば、自分達の目的は達成される筈だった。 なのに、この不安は何だろう? ―――ずっと昔に感じた事のある、この不安は…。 |