story08 〜覚醒〜



 その日、月は出ていなかった。
 新月の日。
 最初に月読の処に行ってから半月ほど経っていた。
 伽耶が用意していてくれたおかげで中には簡単に入れた。
 以前と違い、敢えて門番を追い払っていてくれたので、なんやかやしなくて済んだのだ。
 伽耶に居場所を聞けば、今地下牢に居ると言う。圭麻も其処に居る筈だ。丁度良かった。伽耶を部屋に戻るように言い、それから地下牢に向かった。




バシッ

 如何にもな良い音が地下牢に響く。
 今時鞭での拷問などアリかとも思うが、けれどそれが伝統的なやり方なのだろう。当たり前のようにしている辺り、何とも言えない。
 そう思いながら、拷問されている側の筈の圭麻は妙に冷めていた。
 身体に痛みはあるが、決して耐えられないほどのものではないし、そもそもこういう事には鈍いと昔から言われているのだ。
 何時も注意しろ、警戒しろと言われていたし、何時かこんな事にもなるぞと脅されもした。それも、自分を心配しての事だったから、妙に気恥ずかしくて嬉しかったのも憶えている。
 そこまで考えて、圭麻は自嘲的な笑みを漏らす。
 何故今頃になって平和だった時の事など懐かしむのか。そんなものは要らないのに。
「何だ?痛めつけられるのはそんなに楽しいか?」
 月読がその笑みを見て嫌味っぽく言う。
「そんなんじゃありませんよ」
 見た目からすればかなり酷い傷だろう。伽耶が見たら卒倒してしまうかも知れない。
 服はビリビリに裂けていてほとんど使い物にならないだろう。
「この剣の使い方をお前は知っているんじゃないのか?此れはお前が作ったのだろう。前世に伊斯許理度売命という名を持つ者」
 月読は圭麻にその剣を見せる。確かに、自分のよく知っている剣だ。
「言ったでしょう、その剣はあの方にしか扱えない。そう作ってあるんです。貴方がどうしようと、その剣の本当の力を引き出す事など出来ません」
「なら、お前なら作りかえられるだろう?」
「何…?」
 月読の言葉に圭麻は目を見開く。
「この剣を作ったお前なら、また作り変えることも可能だろう?私が扱えるように、お前が作り変えればいい」
「そんな事をする訳が――――…」
「させるまでだ」
 月読がそう言えば圭麻はまた鞭打たれる。月読の連れて来た兵が圭麻を鞭打つ。
「っ!」
 鋭い鞭は圭麻の肌を引き裂き、傷つけていく。何度も、何度もそれを続ける。
 普通の人間ならば此れに絶えることなど出来はしないだろう。毎日毎日、癒える前に傷は増えていく。ノイローゼになるかも知れない。
 けれど、圭麻はそんな事にはならないと確信していた。しなければいけない事がある。こんな痛みも、身体の傷も問題ではない。死にさえしなければいいのだ。己の目的の事を考えて、その為にこうしていると思えば、そんなものは苦でも何でもない。
 月読も流石に苛付いて要るのだろう、剣を傍らに置き、自分が圭麻を鞭打ち始めた。強く、容赦なくそれは続くが、それに屈する様子は全くなかった。

 そうして鞭打つ中に隆臣達は現れた。
「やめろっ!!」
 静止の声を掛けて、隆臣が月読の持っている鞭を掴む。
「隆臣っ」
 圭麻が顔を上げて隆臣を見る。
 結姫達は圭麻に近づく。
「圭麻、大丈夫?」
「今その傷治してやるよ」
 そう言って那智が左手で勾玉を持ち、右手を圭麻に翳す。そうすれば、みるみるうちに傷は塞がっていった。あとは破れて意味がなくなってしまっている服だ。これは那智でも治しようがなかった。
 しかし、その前に目の前で対峙している隆臣と月読だ。
「ふん、やはり現れたか」
 月読は皮肉たっぷりに言った。
「とんでもなく悪趣味だな」
 隆臣は掴んだ鞭をぐいっと引っ張り月読の手から離し、放り投げる。
「隆臣っ、その剣をっ!!」
「だめですっ!!」
 圭麻の声に即座に否定の声が上がる。その声の主は鏡から立体映像で現れた鳴女だった。
「ダメです、その剣を手にとってはっ!!!」
 鳴女は必死な様子で訴える。圭麻と鳴女の言葉は相反する。
「隆臣っ、剣を取ってっ!!」
 隆臣は一瞬迷いながらも圭麻の言葉に従った。月読の傍らにある剣をその手に取った。
 その瞬間、隆臣の周りに黒い風が吹いた。剣と共鳴し、他の勾玉も光る。
「隆臣っ!!」
 結姫が叫ぶ。風の中の隆臣の姿は見えない。
 轟音と、風が辺りを撒き散らし、誰もその様子を窺い知る事は出来なかった。
「ああ…」
 鳴女は悲嘆の声を上げる。
 風が止み、辺りが静まり返る。一瞬、誰もが目を疑うだろうその姿を。
 隆臣の背には黒い翼が生え、髪は幾分伸び、そして以前より顔立ちが少し大人びたように思える。
「お前っ!」
 月読は驚愕の声を上げる。
 隆臣は月読をチラッと見、それから剣を月読に向かい一振りした。そうすると、月読の身体は塵となり、最後に助けを求めるような叫び声だけを残して消えていった。
「隆臣…?」
 結姫が確認するようにその名を呼ぶ。しかし、隆臣は結姫には一瞥もくれはせず、その手に握る剣で圭麻の手足を縛り付けている鎖を断ち切った。
「スサノヲ様…」
 圭麻は隆臣の前に跪き、礼を取る。
「貴方に永久の忠誠を…」
 その姿を見て、隆臣はふっと笑い、自分の着ている上着を脱ぎ、圭麻に投げかけた。
「それを着ていろ。イシコリ、お前にこの世の滅びを見せてやる」
「はいっ」
 そして、圭麻は隆臣から差し伸ばされた手を取った。本当に嬉しそうに微笑んで。
 それから目を明けていられないほどの強風が辺りを吹き散らし、そして、再び目を開けた時、其処に隆臣と圭麻の姿は無かった。



「お前らしいお膳立てだな」
 隆臣、否、建速須佐之男命は笑いながら言った。
 此処は既に大地ではなく、空だった。スサノヲの翼で、二人はその都の上空を飛んだ。圭麻はスサノヲの腕にしっかりと掴まる形でその顔を見上げた。
「そうですか?」
「ああ」
 くくっと喉を鳴らして笑うスサノヲに、圭麻も笑う。
「何時から目覚めていた?」
「片鱗は物心ついた頃には既に。完全に目覚めたのは両親が殺された十歳の頃です」
「大変だな」
「いえ…」
 そのスサノヲの物言いは優しげなもので、圭麻は戸惑いを覚えてしまう。否、圭麻自信も既に「圭麻」ではなく、イシコリだったのだが。
「幼い時から、子供らしくないほど才知が長けていると言われて気味悪がられていましたから。両親が亡くなった時、悲しみもしましたが、反面ほっとしても居たんです」
「…そうか」
 そのスサノヲの言葉からは哀れみが感じられる。
 どうしてだろう、この人は。こんなにも哀れみ深く優しくしてくれる、自分に対しては。破壊神たる彼が、どうして此れほどまでに哀れみ深くなるのだろう。それこそが彼の苦悩と、決意の原因でもあるのに。
「行こう、天照の気配がする」
「はい」
 圭麻は頷いた。
 自分は、天照に絶対的な忠誠を誓っていた。何より尊ぶべき大切な人だと思っていた。仲間と、そして天照。
 全てを愛していた。
 天照に、永久の忠誠を誓った…。



「鳴女さん、一体どういう事なの?」
 結姫が鳴女に問う。鳴女は立体映像で触れる事すら出来ないが、その表情からは焦りの色が見える。
「隆臣は一体…」
「あの人は、『破壊』を力とする、スサノヲです。彼は、今天照様の処に向かっている筈です。天照様を、殺すために…」
「まさかっ、隆臣が、スサノヲがそんな事する筈…」
 那智が驚いて言う。
「皆さんは、まだ完全に思い出していないのですね」
 鳴女が言う。
「お話します。遥か昔より繰り返されてきた、この戦いを」
「戦い…?」
 結姫は繰り返す。状況が全然読み込めない。他の皆は何かしら少しは知っているようなのに、自分には全くそれが解からない。
「皆さんも気づいているでしょう、貴方達は、初代天照様に仕えていた従者の生まれ変わりです。昔はスサノヲも、皆もとても仲がよく、平和に暮らしていました」
「うん」
 颯太は頷く。
 確かに、皆仲が良かった。ならどうしてスサノヲが天照を殺すと言うのだろう?
「圭麻という彼、伊斯許理度売命は、誰よりも天照様に忠誠を誓い、何よりも天照様を第一に考えていました。しかし、ある時スサノヲが天照様に反逆したのです」
「反逆!?」
 泰造が声を荒げる。信じられなかった。
 スサノヲは大雑把ではあったが、面倒見の良い、とても頼り甲斐のある人物だった。そのスサノヲが反逆などとは考えられない。
「はい、度々天照様の神殿を襲い、我々と戦ってきました。伊斯許理度売命も同様に、スサノヲから天照様を守り、助けていました。そしてある時、ついにスサノヲを捕らえる事が出来、牢の閉じ込める事が出来たのです。けれど、スサノヲは再び牢から出て天照様を襲いだした」
 鳴女は悲痛な面持ちで話す。
「どうして…」
「伊斯許理度売命が、天照様を裏切り、スサノヲの側に寝返ったからです」
「それこそ信じられないっ!!」
 颯太は叫ぶ。そうだ、誰が信じられるだろう。彼はとても優しく穏やかな人間で、「裏切り」なんて言葉はまるで知らないというような人物だった。
 けれど、鳴女が嘘を言っているようにも見えない。確かに、今の彼は以前の彼とは全然違い、どうしたのだろうとも思ったけれど。
 だけど、それは信じたくない答えだった。
「誰も最初は信じられませんでした。あれほど思慮深く、優しく、天照様に忠誠を誓っていた彼だからこそ。けれど、それは間違いのない事実です。彼は天照様を裏切り、スサノヲに味方したのです」
 颯太も皆もまだ全ての記憶を思い出してはいなかった。だからこそ更に信じられない。
「長い間、その抗争が続き、決着が付かぬまま、スサノヲが生まれ変わるたびに私達も生まれ変わり、同じ事を繰り返してきたのです。スサノヲが着く前に、天照様をお救いしなければなりません。どうか、早く天照様の元へ…」
「ちょっと待ってください」
 颯太が静止の声を掛ける。
「天照様を救う事には依存はありません。ですが、一つ、結姫の事を…。結姫はひょっとして…」
「はい、初代天照様の生まれ変わりです」
 颯太の言いかけた事を受け継ぎ、鳴女は言う。
「あたしが、初代天照様の?」
 結姫は驚く。そんな事を言われても実感など沸かない。
「はい、しかし、天照様の生まれ変わりの人間は、初代天照様の記憶を持つ事は無いのです」
「どうして?」
「理由は解かりません。しかし、その記憶を持たないのと、スサノヲが天照様を襲うようになったのとは何か関連があるのかも知れません」
 鳴女は答える。
 何故、こんな事になったのだろう。誰もが思う。
 こんな不毛な戦いは続けたくないと。そして、理由が知りたいと。しかし、その理由を知っているであろう人物は二人とも此処には居ない。


 パリンッ
 音が鳴った。
 それは最後のグラス。そして、紫色の石は音を立てて砕けた。それは、全ての記憶を取り戻した証拠。しかし、他の石はまだ割れない。全ての記憶を取り戻しては居ないから。
 記憶は、まだ薄暗い闇の中に眠っている。



「イシコリ、お願いがあるの」
 伊斯許理度売命が忠誠を誓った女性、天照が言った。
「鏡を作って欲しいの」
「え?」
「貴方の意思を介さない鏡を。誰もが惹き込まれそうなほど澄んだ鏡を。貴方の意思の代わりにあたしの意思を織り込んで作って欲しいの」
 その言葉に、伊斯許理度売命はどう返していいか解からなかった。
 何故必要なのかも、何に使うのかも解からない。
「一体何に使うのですか?」
「太陽を、永遠に輝かせるためによ」
 天照のその言葉を伊斯許理度売命は理解出来た訳ではなかった。けれど、その言葉は悪い意味には捉えられないし、作ってもいいだろうとも思った。
「貴方になら出来る筈よ、お願い」
「…はい」
 伊斯許理度売命は方膝を付き、礼を取った。



―――――…それは、遥か昔の事。



BACK   NEXT



小説 R-side   タカマガハラTOP