これからどうするか、が一番の問題だった。 月読の追っ手から逃げて、とりあえず落ち着ける場所を探し、山に入って何とか暮らせそうな既に使われなくなった山小屋を見つけた。 そこにひとまず落ち着く事にして、これからが問題だった。月読を殺すという目標は揺らいでいないが、自分達が前より真剣に捜索されているのは明らかだ。賞金リストにも載ったのかも知れない。 やり難くなった。早く月読を殺してしまった方がいいだろうか?それとも落ち着くまで少し時間を置くか。それが問題だった。 「本当にどうするんだよ、これから」 泰造が胡座をかいて座りながら言う。 「どうするかな…」 颯太は椅子に座って溜息を吐く。椅子は四脚しかないので、必然的に誰かが床に座る事となった。結姫と那智は論外にされて、颯太と隆臣も座ると押し通され、何故か下に座らされる事になったのが泰造だった。最初は不満を漏らしていたが、今ではすっかり見下ろされるのに慣れている。元々平民気質だったのだろうか。 「そうだ、あれあったじゃん、あれ!」 「あれ?」 那智の突然の発言に皆疑問に思う。 「あれだよ、神獣鏡!鳴女さんに連絡すれば少しは状況変わるかもしれないだろ?」 「そうか、神獣鏡。なんで気がつかなかったんだ!」 那智の発言に皆はっとする。鳴女に助言を求めるのは良いかも知れない。鳴女は元々自分達の上に立つ人間、彼女の指示を仰いでみよう。 「結姫、持ってるよな?」 「うん」 結姫は頷いてポケットから神獣鏡を出す。 それにしても、どうやって連絡をしたら良いのだろうか。それが問題だった。鏡を連絡に使うなどとは訊いた事もないのだから当然だ。しかし、それを今まで誰も疑問に思わなかった事も不思議だが。 そうやって考えていると、突然神獣鏡が光を放ち、すぅっと立体映像が浮かび上がった。 「鳴女さん…」 触れる事は出来ないが、その立体映像は完全に鳴女の姿をしていた。 「月読を殺すのは、失敗したのですね?」 鳴女の言葉に結姫達は真剣な面持ちで頷く。 「月読はオレ達を追っています。此れからどうしたらいいでしょうか?」 颯太が鳴女に問う。 「貴方達の状況はある程度解かっています。けれど、ここで月読を殺すのを諦めるわけにはいかないのです。お願いします、月読を殺してください。現在彼の計画は着々と進んで―――…」 「計画…?」 颯太が訊き返す間もなく、鳴女の立体映像は掻き消えてしまった。皆が一瞬静まり返る。 「一体どうしたんだ?」 「きっと大変なんだろ。天照様のお世話をあの人一人でしてるんだろうし」 「そうだね…」 きっと彼女も大変なのだ。なのに彼女に頼って居るわけにもいかないだろう。自分達の役目は月読を殺す事なのだ。喩え本意ではないにしても。 「彼の計画って一体何なんだ?」 「月読が何か企んでるって事かな」 「計画というのが何なのか、解からないと何とも言えないな」 会話は行き詰まるが、する事ははっきりしている。月読を殺す事。それは決して違えてはいけない事なのだと、それだけははっきりしたのだ。そうしなければ、何か不味い事が起きてしまう。世界を揺るがすような事が。 「じゃ、どうする?何時やる?」 隆臣が尋ねる。 現実問題としてはそれが一番大事なことだ。何時、どうやって中に入り込むか。 「…またあいつが手引きしてくれるかな?」 颯太が考えて言う。 「えーーっ、あいつの所為でこないだは散々な目に合ったじゃんか!!」 那智が文句を言う。 「でも、それ以外の方法は考えられないからなぁ」 泰造は溜息を吐く。実際に誰かに手を貸してもらわなければ神王宮には入れないだろう。 それはよく解かっていた。出て行くのはまだ容易いが、中に入るのは至難の業だ。手を貸してくれる人が居なければまず入れないだろう。 それだけ神王宮の警護は完璧と言えた。 「あいつなら言わなくても協力してくれるだろ」 隆臣は溜息を吐いて言った。まず間違いなく、手を貸してくれるだろう。それは奇妙な確信だった。普通ならあんな事をされておいて信用する、というのも可笑しいが、圭麻の手はまず自分に害を及ぼさないと解かっていた。 そして、絶対に手を貸してくれると。 颯太は外に出た。 外に出て風を感じながら本を読むのは好きだ。それは昔からのくせみたいなものだった。 緩やかな風は丁度良くて、木陰に腰を下ろして本のページをめくった。緑の色はとても落ち着く。草木の緑と、空の蒼が滲んで綺麗に霞む。そんな風景を木下から見上げる。 「颯太、また本読んでんのか?」 「泰造も読むか?」 「冗談、オレ三分で寝ちまうよ」 「だろうな」 「むかしっからお前本好きだもんな。本の虫」 「言ってろ」 そう言って二人は笑い合う。 「なぁ、泰造は覚えてるか?」 「ああ、ずぅっと前もこうやって話してたよな。ちょっと高い丘の上で」 「そうそう、皆一緒に」 それは遠い昔。やはり間違いないのだろう。自分達は初代守護者の生まれ変わり。 「一番驚いたのはあいつだよな」 「ああ、まぁ、確かに全然性格変わってるけど…。でも、何が変わってても仲間だったのに間違いはないんだし」 「圭麻…か。今の名前は。昔は可愛かったよなぁ」 泰造は空を見上げて昔を思い出す。 「そうだな。素直で優しくて、何か別の意味であぶなっかしかった」 颯太はくすくすと笑う。 「んでいーっつも心配してたのがさ、スサノヲ。あいつが買出し行くといっつも着いてったの」 「それは仕方ないだろ。買出し行く度にかつあげされてたんじゃ」 「だって、お前も言っただろ、布刀玉命」 「そりゃそうだけど、お前も納得してただろ。天手力男命」 「那智が天宇受売命で、隆臣が建速須佐之男命、圭麻が伊斯許理度売命」 楽しかった昔を思い出す。それは遠い昔。まだ部分的な記憶しかないけれど、それでもそれは楽しかったと思う。 「なぁ颯太、結姫は…」 「解かってるよ。オレも今考え中なんだ」 「そっか」 「でも、多分考えてるので間違いないよ」 「うん、早く皆、安心して平和に暮らせるようになるといいなぁ」 そして、二人は遠い遠い昔を回想する。 ―――風が緩やかに流れていた。 「お〜い、布刀玉命!!」 「何だよ、天手力男命」 布刀玉命が書物をめくっていると、小高い丘の上に天手力男命が上ってくる。緑に萌える草はさらさらと音を立てて揺れている。 「フルネームで呼ぶのめんどくね?」 「タヂカラオ、一応礼儀だ」 「お前の名前略しようがないぜ」 「略してる奴が居るだろ、しかも超テキトーな感じに」 布刀玉命は溜息を吐いて言う。 「お前、その呼び方したら嫌がるじゃん」 「当たり前だ」 頭を抱えて言う布刀玉命に天手力男命は笑う。 それは当たり前の風景だった。 「で、何の用だ?」 「そうそう、イシコリに此れ直して貰ってたんだよ」 そう言って泰造は金属の棒を颯太に見せる。鋼鉄砕だ。鋼鉄の棒と、まさしく岩をも砕く怪力を以って天手力男命はそれを振るう。 「前より具合が良くなった感じするんだよな。流石だよ、あいつは。作るもの何でも良いもんだし」 「そうだな。あいつの作るものが何で良いか知ってるか?」 「ん?何で?」 「心が入ってるからだよ。あいつは物を作る時、一つ一つ心を織り込むんだ。イシコリは、どんな物でも大切に作るから、どれも蔑ろにしないで、自分の想いを詰め込むから良い物が作れるんだよ」 「成る程な。確かに、あいつらしいや」 天手力男命は布刀玉命の隣に腰を下ろす。 風がとても気持ちいい。髪を揺らす風がくすぐったい。 「ところで、そのイシコリは?」 「今買出し行ってる」 「…大丈夫か?この前も集られてただろ、あいつ」 「大丈夫だろー、そう何度も何度も」 布刀玉命は心配するが、天手力男命は楽観視している。確かにそうであればいいが、それですまなさそうなのもあの伊斯許理度売命なのだ。 そう話しているうちに、遠くに人影が見えた。 「お、帰ってきたみたいだぜ」 天手力男命が立ち上がってその人影に目を凝らす。 それは一人ではなく二人だった。伊斯許理度売命と一緒に居るのは建速須佐之男命だ。伊斯許理度売命の荷物を半分持ちながら丘の上に上がってくる。 「お前ら、こいつに買出し行かせるの止めろよ、また絡まれてたぞ、こいつ」 スサノヲは溜息を吐いて言う。 「だって、こいつが行ったら店のおばちゃん割引してくれんだよ」 天手力男命が言う。 「オレが行ったって割引なんてしてくんないもんなー」 「お前が行くだけ無駄」 「何だよっ、解かってるよそれぐらいっ!!おばちゃん達はイシコリの可愛い爽やかな笑顔をお望みなんだよなー」 天手力男命が溜息を吐いて座り込み、空を見上げる。 「お前も笑ってやればいいのになぁ、布刀玉命」 「誰が。面白くもないのに笑えないよ」 天手力男命の言葉に布刀玉命はむすっとした顔をする。 「イシコリは面白くなくても笑ってるぜ?」 「あれは天然だろっ!!」 「お前ら本人目の前にして何話してんだよ」 二人の会話にスサノヲは溜息を吐く。隣で伊斯許理度売命は苦笑していた。さっきから一言もしゃべっていないが、ずっと其処に居たのである。 「それにしても、どうしてそうことごとく絡まれるかね、お前」 「危機感がないんだろ。何時もの事だって。そこら中に笑顔振り撒いてるもんだからいいカモだと思われるんだろう」 「だからこいつに買出し行かせるなって言ってるだろ。今日だってオレが通りかからなかったらどうなってたか…」 スサノヲは溜息を吐く。 「すみません、助かりました」 「お前ももうちょっと気をつけろよ」 「はい」 そう言って伊斯許理度売命はにっこりと微笑んだ。 「…本当に解かってんのか?いいよ、もう。次買出し行く時はオレも着いてくから呼べよ」 「はい、助かります」 「素直だった」 「ああ、異常なほど素直だったな」 「って何か、オレ達昔を懐かしむじーさんみたいじゃないか?」 颯太と泰造は顔を見合わせて嫌そうな顔をする。 「冗談じゃねぇよ、オレはまだ十五だっ!」 「当たり前だ」 何か変な気分になってしまった。 それは遠い昔の事なのに、昨日の事のように記憶の中に蘇った。それは、信じられないほど変わらない自分達で、違うのは、性格の変わってしまった圭麻だけだ。 でも、本当に変わってしまったのだろうか?過去を思い出してしまった今では、無闇に彼を嫌えない。それは、彼があんなにも素直で優しかったからだ。 信じてもいいと思ってしまう。 全ての記憶が戻った時には、また昔のように戻れるのではないのだろうか? そう思ってはいけないだろうか? ![]() しかし、神王宮にはそんなものは全く関係なかった。室内に篭る其処の人々には。 圭麻は清く晴れた空を見上げた。此処に居る何人がこの空を見上げるだろうか。空を見上げる事を、此処に住む人間は忘れてしまっている。 そんなものだろう。人はどんどん忘れていくのだ。けれど、その中にごく僅かだけ、忘れられないものが紛れ込む。それは忘れてはいけない事なのだろうか。 圭麻は溜息を吐く。 自分には目的がある。その為にはどんな事でもする。ナーバスになっている場合ではない。今、人が何をしようと、関係ないだろう。今、自分にとって大切な事は決っている筈だ。 そう、ずっと前から。 「圭麻さん、どうしたの?」 隣に居た伽耶が心配そうに尋ねてくる。それを見て、圭麻はにっこりと笑う。 「何でもありませんよ。天気がいいなと、思っていただけですから」 「本当に、いい天気」 伽耶もつられて外を見る。快晴の空。伽耶は外の風景を見るのが好きだ。一度も神王宮の外に出た事がない所為だろう。外への興味は誰よりもある。 そして、自分も今知っている外の知識は五年前の物だ。 五年前、神王宮に来てから一度も外には出た事がない。決して月読は圭麻を神王宮の外に出したりはしない。信用していない訳ではないだろうが用心深い。外に出たら気が変わって、此処から出て行くとでも思っているのだろう。 そんな筈は無いのに。今此処から離れる事は出来ないのに。 早く、早くまた、彼らが此処に――――… |