第二話 〜言葉の記憶〜



 貴方と会った事で、全ての世界が変わった。
 貴方に会わなければ、きっと自分は生きては居なかった。
 だから、ずっと―――…


「額の傷、もう大分いいみたいだな?」
「はい」
 壱夜の言葉に圭麻は頷く。
 一緒に行動するようになって一週間が経った。
 二人は何処へともなく歩を進めた。気が向けば三日間森に寝泊りしたし、村に入って温かいご飯をたらふく食べたりもした。壱夜は働いている風でもないのに、金は際限なく出てくるようだった。
 何処から収入を得てくるのか不安だったが、壱夜は最初に「汚い事もしている」と言った。それでも彼に着いていくと決めたのは自分だ。この状況以上の何も望む事は出来ないだろう。
 実際、圭麻はまだ八歳の子供なのだ。
「お前、運がいいよな」
「え?」
「村の奴ら全員死んだのに、お前だけ生き残ってさ。ラッキーじゃん」
「そう…なんでしょうか…?」
「生きてる分だけラッキーだと思っとけよ。生きていたくても生きていけない奴だってたくさん居るんだからよ」
「…はい」
 自分だけ生き残ってしまった事。罪悪感。
 何も出来ない自分に。目の前で死んだ、あの優しいおばさん。自分に力があれば、あの人だけでも助けられたかも知れなかった。けれど、自分には見ているしか出来なくて、それが情けなかった。
 それでも、自分は生きていて良かったと、壱夜は言う。
 生きていて、ラッキーだったのだと。
「遠くから見ても凄かったぜ、アレは。なんてぇんだろうな。鉛球みたいなのがいくつか村に飛んでってさ、あとはどっかーーんと。ホント、お前が生きてるのなんて奇跡に近いぜ。もっと大怪我してたっておかしくねぇんだからさ」
「鉛球…?」
 その時の事は断片的な記憶しかなくてよく解からない。気がついたら一面火の海だった。
 全てが消え失せたあの瞬間。
 目の前が真っ白になって、音が聞こえなくなって、何もかもが崩れ去った瞬間。
「ん?憶えてねぇ?」
「その時の事は…よく解かりません」
「そ?ま、仕方ねぇだろうな。あんな事があったんだし。さぁってここらで一儲けしよっかね」
「え?」
 此処はちょっと大きな街の中腹の市場で、一儲けと言うにも何をするのか訳が解からない。
 疑問符を浮かべた圭麻に、壱夜はにやりと笑う。
「スリ」
 壱夜は圭麻の耳元で囁きかける。
「え、ちょっ!」
「大人しくしてろよっ」
 何か言いかけた圭麻の頭をぼすっと叩き、壱夜は圭麻から離れていく。
 汚い事というのはこういうことだったのか…と思うと少し呆れてしまう。いつ捕まるかも知れないようなことをずっと続けているのだろうか?
 何を考えているのか解からない男の行動に圭麻はどうしたら良いのか解からない。
 悪い事だ。
 本当なら止めるべきだろう。
 だけど。
 そう、自分には他に何も無いのだ。きっと、彼以外。
「圭麻っ、すぐこの街離れるぞ」
「えっ!?」
「ばれた」
「ええ!!?」
 べぇっと舌を出し、圭麻に言う。壱夜は圭麻を抱え上げて走り出す。後ろから誰か追いかけてくる。
「いっか?何も言うなよ?オレの名前言ったら此処で捨ててくかんなっ!!」
 そう言われれば何も言えない。圭麻は壱夜にぎゅっと捕まって、成り行きが収まるのを待つしかなかった。


 何とか追いかけてきた人間を撒いて、壱夜は抱えていた圭麻を下ろした。
「はぁ〜、今日はついてなかった…」
 壱夜は溜息を吐く。
 それに圭麻は呆れるしかない。
「何時もこんな事してたんですか?」
「ん?いっろいろと〜♪ま、賞金が掛かるようなことはぜってぇしねぇけどな。顔が売れるのなんて絶対にごめんだし?お前と会ったあの時もちゃんと覆面してったろ?」
「つまり、本当に賞金掛かりそうな時は何時も覆面してるんですか?」
「お、物解かり早いな、お前」
 そう言うと壱夜は圭麻の髪をぐしゃぐしゃかき回す。本当に信じられない人だ。
 悪びた様子もなく平気でそんなことを言う。一体どんな事をしているのか解かったもんじゃない。
「そんな人が、一体どうして俺を助けたんですか」
「ん?人の生死に関わる事だったら別だよ、別。そういうのは放っとけねぇの、オレは」
「はぁ…」
「あ、信用してねぇな?本当だぞ。月読の兵士が居るのにわざわざ出向いてやったオレを信用しないなんて、酷いにも程があるぞ、お前」
 壱夜には言われたくない、と思ってしまうのはおかしい事ではないだろう。
 でも、本当に月読の兵士が居るのに助けに来てくれた。絶対に危険なことだと解かっていたのに。変な人だ。
「あー、お前の親の敵って一応月読になんのか?」
「え?」
 考えた事も無かったが、確かにそうなるのだろう。
「はぁ」
「まぁ、それでも敵討ち〜なんて考えるなよ。そんな面倒な事してる暇があったらとにかく明日の生活を何とかしろ!」
「…さっきの、失敗したんですか?」
「まっさかぁ。オレが追いかけられるだけの人間だと思うか?」
「いえ…」
「だっろお?オレ様ってば逃げ足だけは他の誰よりも速いんだぜ」
「自慢になってないと思うんですけど…」
 圭麻は溜息を吐く。
 変な人だ。本当に。だけど、悪い人じゃない。悪い事をしていても、悪びれずに何だか不思議と嫌悪感を抱かせない。
「ま、これがオレの生き方なんだよ。オレも家族いねぇし、奇麗事ばっかで生きていけるような世界でもないしな。それでも、命の大切さだけは誰のも変わらないと思ってる。喩え、どんなに悪い事やってる奴でも、家族は居る筈だし、誰かは大切に思ってくれてる。だから、誰も死んじゃいけねぇんだよ、本当はな」
 誰かは、大切に思ってくれてる。
 あのおばさんも、自分を助けようとしてくれた。
「もし、誰かのおかげで命を救われたなら、その人に感謝して、そいつの分まで生きろ。つーか、ま、それは奇麗事だけど、その人が何の為に生かしておいてくれたか考えとけよ。お前は、村人全員の命を背負ってんだぜ?」
「村人…全員の?」
「お前が死んでみろよ。あの村の記憶は、誰の中に残る?皆忘れちまう。お前が覚えてろよ。お前が死ぬまで、一生な。村人全員の命は、お前に託されてんだよ。お前が死ぬまで、村だって死にやしねぇ。って、なんかくさい事言ったかな?」
 そう言い終わってから照れたように笑う。
 壱夜の笑顔は夕日のようだと思う。明るく、輝いていて、目に焼きついて離れない。
 自分は生きていて良いのだと、彼は言ってくれているのだ。生きて、あの村の人達を憶えている事が自分の義務なのだと。自分にはすべき事が、生きる目的があるのだと。
 だから、生き続けろと。
 ずっとぐだぐだと悩んでいた自分にそう言ってくれたのだ。
「オレが、生きていれば?」
「そういうこと」
 圭麻は微笑む。嬉しかった、きっと誰に言われるより、彼の言葉だから。奇麗事など言わない彼の言葉だから。
 壱夜は少し驚いたように圭麻を見て、それから言った。
「お前、笑うと可愛いなぁ」
「え…か、可愛い?」
「おお、可愛い」
「…あんまり嬉しくないんですけど…」
「そりゃそうだな」
 くっくっと笑って、それからつい先刻すってきた財布を取り出す。
「うっわ、けちくせぇの。五百ルクしか入ってねぇぞ」
「けちって…」
 すっておいてよく言う。すられた本人は困り者だろう。せっかく買い物に来ていたのだろうに。
「だって、あのおっさん、あの街の中でもか〜なり金持ちだぜ?んで財布に入れてるのがたった五百ってけちじゃねぇか」
「どうしてそんなこと知ってるんですか…」
「下調べはばっちりしてるからな」
「そうですか」
 なんだか圭麻は頭が痛くなってきた。この人は一体どういう人間なのか本気で解からなくなってきた。
 いい人なのか悪い人なのか、大雑把なのか細かいのか。
 いい加減なところがあるなと思えば、実は誠実なところもあって、一週間暮らしただけでは何も解からない。
「今日はどっかに宿とるか?さっきの街にはいけねぇけど」
「はい」
 それでも、着いて行きたいと思った。この人ならきっと大丈夫だから。
 二人は歩き出す。次の場所へ。定住もせず歩き続けるだけの旅。すぐに月日は過ぎるだろう。それが楽しみでもあり、もったいなくもあって、だから、傍に居る時間が大切だった。
 次の街は歩いて小一時間の場所だった。


 宿はすぐ取れて、二人は部屋に入る。
 二人部屋の安宿。流石に高い宿には泊まれないだろう。
「結構安い宿見つかって良かったなぁ」
 どかっとベッドに座り込んで壱夜は言う。
「オレ、お前に会えてよかったな」
「え?」
「お前が居ると飽きねぇもん。言葉にはあんまり出ないのに、表情には出まくり」
 くっくっと笑いながら壱夜は揶揄う。
「なっ」
 圭麻は顔を真っ赤にする。
 揶揄われているのが解かるだけに、余計に恥ずかしい。
「お前のそういう素直なとこ、すっげぇ好き」
「す…っ」
 今度はさらに別の意味で真っ赤になる。
 壱夜は今度は本当に腹を抱えて大笑いする。
「い、壱夜さんっ!!」
 文句を言おうとすると、ぽんっと頭を叩かれる。
「ちびっちゃいただのガキならオレも構ったりしなかったのになぁ」
「……え?」
「お前、死人みたいな顔してんだもんな。放っとけねぇよなぁ」
「…死人?」
「死んでねぇけど、もう死んでるような顔してたぜ?生きるってこと諦めてるような顔。そういうのは放っとけねぇの。お前さ、自分がどんな人間か解かってねぇだろ?」
「え?」
「こうさ、構いたくなるんだよな。放っとけないし、思わず面倒みたくなっちまいそうなぐらい、儚げに見えて。ま、見た目だけだけどぉ」
「??」
 訳が解かっていない圭麻に、壱夜は苦笑する。
 本当に解かっていない。こんな風になんの報酬もなしに自分が人助けなんてしたのは初めてなのだ。
 だから、こいつを守る義務が自分にはあるのだと思った。
 こういう直感は信じている。
「とりあえず、お前はオレが守ってやるよ。どんなことしてもな」
「あんまり、悪い事はしないでくださいね」
「保障は出来ないな」
 クスクス笑いながら壱夜は圭麻にじゃれつく。
 行き成り抱きかかえられて圭麻は慌てるが、どうすることも出来ない。
「軽いよなぁ、お前。どんくらいまで重くなっかな?」
「え?」
「オレの身長追い越すぐらいにはでっかくなるかな?」
 そうなったら良いと思って。
「でも追い越されたらショックかもな」
「それまで、一緒に居ていいんですか?」
「…当たり前だろ」
 一瞬驚いたような顔をして、壱夜は言う。
 言葉が満ちてくる。
 そう思った。壱夜は、本当はあまり人と話したことが無かったのだ。
 話す人など居なかった。
 話す人間が出来たことが嬉しかった。圭麻に出会えてよかった。自分だって知らなかった。こんなに言葉が自分の中に溢れていた事を。こんなにも自分が言葉を話せたことを。
 だから、これからも一緒にいたい。
 それがお互い同じ想いなら、大丈夫だろう。だから、「当たり前」だと言う。
「んじゃ、これから食事でも行くか?」
「はい」
 圭麻は微笑む。
 それにどんな力があるかなど、圭麻は知らないだろう。自然に笑う事こそが、何より大事なのだと。
 だから、これからも。
 見ていきたいのだ、この、取り残された少年を。


BACK   NEXT



小説 R-side   タカマガハラTOP