第一話 〜災厄の記憶〜



 全てが消えたのは一瞬だった。
 何が起こったのかなんて、解からなかった。
 ……解かりたく、なかった。


 一瞬で目の前が真っ白になって、次に音が聞こえなくなった。その後、すぐに意識が遠のいた。
 気がついたら、一面火の海だった。
 何が起こったのか解からなくて、ただ呆然としていた。
 額が熱い。どくどくと何か液体が目にかかって、前がよく見えない。目をこすり、ついた液体を見る。
 愕然とした。
 血。
 赤の色。
 周りは赤。赤一色。
「…父さん、母さん…?」
 呟いた言葉が擦れている。喉が、渇いた。熱い。
 村の家はほとんどが壊れて、燃えている。家を支える柱も、屋根も、全部一緒くたになって倒れている。あちこちで黒い煙と、そして、赤い炎。息苦しさを感じながらも、両親を探す。
 ふらふらと立ち上がり、重い足取りで歩き出す。
 身体中のあちこちが痛い。ほとんどの家が原型を留めていない。自分が何処に居るのかも解からなくなりそうだった。
 それとも、此れは自分が知っている場所とは全然違うところなのだろうか。
 そう、まるで地獄だ。
「父さん、母さんっ!!」
 額から血が止め処なく溢れてきて、それを拭いながら、必死で両親を呼ぶ。
 一体、何があったのだろう。他に人影が見当たらない。誰の声も聞こえない。聞こえるのは風の音と、炎が木を燃やすパチパチという音だけ。すぐ近くにある森ですら静寂に包まれている。
 眩暈がする。貧血かも知れない。
 何処かに、誰かいないのだろうか。辺りを見回す。
「う…っ」
 人の呻き声がして、そちらに走っていく。
 声のした辺りをきょろきょろと見回し、家の瓦礫の下になっているのだと気づく。
「誰…?」
 火が燃え盛る瓦礫の下を覗き込んで言う。そこから見えるのは腕だけ。血がついているのが解かる。
「怪我…してる?」
「…その声は……いいから、早くお逃げ。月読様が兵を連れて此処に来る前に。でなきゃあんたも殺されちまうよっ!!」
「でも…っ」
「いいから、あんた一人で何か出来るようなことじゃないんだ、いいからお逃げっ!」
 自分だって大変なのに気遣う声。切羽詰った言い方。知っている、近所の気のいいおばさんだ。
 どうしていいか解からず、その場に立ち尽くした。
 ミシッと音がする。
 焼けて墨になった柱では、屋根が支えられなくなり、その家は崩れ去る。
「あ…っ!!」
 目の前の光景に愕然とする。家が崩れ、中に居るおばさんの声がぷつりと止んだ。
「おばさんっ!」
 呼びかけても返事はない。
 見殺しにしてしまった。何も出来なくて。優しい人だったのに。
 心臓が大きく波打つ。どくん、どくんっと耳の傍で聞こえてくる。心臓は、こんな所にあったのだろうか。
 震える足で立ち上がる。
(他に、人が居ないか見ないと…。父さんと母さんも……)
 誰か、居ないだろうか?他の人も家の下敷きになってしまったのだろうか?父さんと母さんも?
 急いで家があったであろう場所まで戻る。火は強く、あまり近づけない。
「父さん、母さんっ!!」
 名前を呼ぶ。家の下敷きになっているとしたら、もう焼け死んでいるのではないだろうか。
 嫌な思考を振り払うようにぶんぶんと頭を振って、その所為で余計に眩暈がしたが、それでも家に段々と近づいていく。
「…母さん…?」
 呼びかけても誰も答えない。
 居ないのだろうか?ひょっとしたら逃げたのかも知れない。
 そう思ったとき、ドシャッと音がして、いくつかの木片が崩れ落ちる。
 そして、そこから見えるもの。
「……っ!!」
 焼け爛れた皮膚。二人の、人だったもの。
 あれは………。
「父さん…か、あさん……?」
 顔すら見分けがつかない。けれど、此処は間違いなく、自分の家なのだから。
 赤黒く変色した皮膚。皮は剥がれ落ちて、血も焦げている。苦しそうにもがいた跡が見て取れる。思わず、その場に座り込んだ。
 本当にこれは「人間」だろうか。本当に、自分の両親だろうか。それでも、男女の区別ぐらいはついて、男の方が女の方を庇っているのが見て取れる。どうして、こんな事になってしまったのだろう。
「どうして…っ」
 息を呑む。見ていられなくて、それでも目が逸らせない。凝視したまま、その場から一歩も動く事が出来ない。
 本当に両親なのか、確認すらできないような顔で、それでも間違いないと心のどこかで思っている。ウソだと思いたいのに。

 突然、人の話し声が聞こえ出して、はっとする。
 気を取り直して慌てて立ち上がり、様子を伺う。村の人ではないようだった。
「村は全滅のようだな?」
「人っ子一人居ないみたいだぞ」
「さすが、月読様の新兵器ってのは大したものだ」
 月読、という言葉にさっと警戒する。慌てて何処かに隠れようとするが、どんどん近づいてくる声に、何処に隠れたら良いか解からない。とりあえず、人の声がしない方に走り出す。
 どうにかして逃げなければいけない、そう思っても、どうしたら良いか解からない。
 すぐに見つかってしまうのではないだろうか。
 声がだんだんと近づいてくる。どうにかして逃げなければ、自分も殺されてしまう。あの、おばさんの言った事が本当なら。
(……殺される?)
 どくんっ、と心臓が大きく脈を打つ。
 その場から動けなくなる。生きていてもどうすることも出来ないではないか。両親も、村の人も皆死んでしまって、一人生き残っても。
 それなら、今死んでしまってもいい。生きて、どうするというのだろう。
 だんだんと声が近づいてきて、それでも動けない。
「おい、あそこに子供が居るぞっ!」
 ついに見つかってしまっても、そこから一歩も動けず、呆然と人が来るのを見つめていた。
「他に人が居ないか確認しろ。まだ居るかもしれないからな。もし生き残っている人間が居たら、容赦なく殺せ」
 リーダーらしき人間が他の人間に命令する。月読の兵なのだろう、皆同じ服を着て武装している。他の人間が散り散りになっていくのに、その命令した人間だけは自分に近づいてくる。
「生き残っている人間が居るとは思わなかったな。だが、月読様の命令だ。この村の人間を皆殺しにしろとな」
 男は、剣を鞘から抜き、突きつけてくる。
 視線を逸らす事もせず見ていると、男は逆に戸惑っているようだ。
「他には生き残ってる奴はいません」
 他の男達も圭麻の周りに集まってくる。
「そうなると、この子供だけか。運が良いのか悪いのか知らんが、やけに肝の据わったガキだ。怯えもしない」
 別に肝が据わっている訳じゃない。ただ、どうしていいのか解からないだけなのだ。
 生きていても、どうすることも出来ない。何も出来ない子供だから、生きるのも死ぬのも、目の前の男達に決められてしまうのだ。
「構いませんぜ、とっとと殺してしまいましょう」
 部下の一人が、前に出て、剣を抜く。
 恐怖がないなんて言ったら嘘だ。だけど、動いたって逃げ切れない、そして、逃げ切ったって生きていけない。
 ここで死んでも、誰も何も思わない。
 自分の大切な人達は皆、死んでしまったのだから。今更、何が残っているというのだろう?
 部下の一人が剣を振り下ろしてくる。思わず目を瞑り、頭の上に手をやって庇う。まだ、こんなに生きる本能が残っているのが悲しい。
 もう、これで終わりだと思った時、さっと何かが自分を抱えて引き寄せるのを感じた。目を開くと、顔を布で覆った、覆面の男が、自分を庇っている。
「え…?」
 覆面の男は剣を抜き、さっと月読の兵達を散らす。
「何者だ!!」
 月読の兵達は一斉に覆面の男を威嚇する。
 男はさっと自分を抱えて間合いを取り、口元に笑みを浮かべる。
「ただ通りがかっただけだけどな。こんな子供に大人が大勢でやることじゃぁねぇだろ?」
「月読様の命令だ。その子供庇うのなら、お前も一緒に殺す事になるぞ!!」
「それは嫌だな。でもこいつを見殺しにするのも嫌なんだよ」
 笑みを浮かべたまま、覆面の男は自分を抱えたまま月読の兵に向かって直進する。
 慌てたのは月読の兵だ。その真っ只中に子供を抱えて飛び込んでくる男が信じられない。覆面の男はその中を突き切り、慌てて剣を抜いてくる兵達を自分の剣で薙ぎ倒していく。
 兵の間を抜けると、男はそのまま森の中に入っていく。
 訳が解からず男にしがみ付いていると、男は優しげに声を掛けてくる。
「大丈夫か?ちょっち大変かもしれねぇから、我慢してろよ!」
「え?」
 聞き返す間もなく、男は軽々と木の上にジャンプする。そこから、木の枝を飛び移り、追って来る兵を上から伺いながら離れていく。
 頭がくらくらする。額からは血が未だ流れ続けているし、限界が近い。
 気分が悪くて、頭の中が真っ黒に塗りつぶされていくような感覚だった。そして、何時の間にか意識を手放していた。


 気がつけば、パチパチと火の音がする。
 はっと起き上がれば、ずきっと額が痛む。さっきまでは熱しか感じなかったのに、今ではずきずきと痛み出している。
 包帯が巻かれていて、つい先刻の事が夢ではないのだと実感させられる。
 火の音の正体は焚き火だった。
「お、気がついたか?」
 男が声を掛けてきて、そちらを見る。恐らくさっきの覆面の男だろう。布は取られていて、顔が見える。
 黒い髪、優しげな青い瞳。
「あ…ありがとう…ございます」
 礼を言うと、男はにっこり笑う。
「ま、俺が勝手にやったことだしな。んで、お前、これからどうする。お前が気絶してる間に村を見てきたけど、本当に全滅みたいだったぜ?」
「これから…」
 呆然と考える。どうすると聞かれても、どうしようもない。自分だけが生き残ってしまった、現実。
「何処にも、行くところなんてありませんから…。どうにも出来ません」
 そう、何処にも。両親は死んでしまった。親戚だって居ない。何処にも、行くところなんてない。
 ふいに、両親の死んだ時の姿が頭をよぎる。あの、赤黒く変色している、皮膚。皮がむけた肌。苦しそうに歪んだ、見分けもつかないような顔。
「どうして…オレだけ生き残ったんだろう……」
 何故、自分だけ取り残されてしまったんだろう。あの地獄から。あの優しい人達から。
「くだらない事言うなよ。それじゃぁ助けたオレが間抜けみたいじゃねぇか?」
「…っでも…!」
「行くところなんて何処にでもあるだろう。生きてる限り何処にだってあるんだよ」
 男は粗雑な言葉で言う。
 思わず、じっと男を見つめてしまう。
「何ならオレと一緒に来るか?大変だろうけどな」
「え?」
 男はにやっと笑い、言ってくる。
「色んなとこ歩き回って、いろんなことしてる。汚いことだってな。それでも良いんならオレに着いて来てもいいぜ?オレも一人旅には飽きてきた頃だしな」
「…一緒に?いいんですか?」
 何処にもないと思っていた。行くところなんて何処にも。
 生きる目的も、大切な人も皆居なくなった。だから、自分には何もないのだと。
「お前がいいならな。オレの名前は壱夜。お前は?」
 男はぽんっと頭の上に手を置いてくる。
 笑った表情は何処か安心して、自然に自分の名前を言った。
「…圭麻」
「圭麻か。それじゃぁ、これからよろしくな」
 男は、粗雑な言葉に似合わないほど、自然に笑った。
 不思議な男だった。


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