何時も衝撃は赤と共にある。 炎の赤、血の紅…。 そして、鼻につく、錆びたこの、匂い―――…。 大きな街に着き、なかなか良い宿に壱夜と圭麻は腰を落ち着けた。 壱夜と圭麻が出会ってから結構な月日が経過していた。 壱夜は定職についておらず、スリ、万引きなどで日々を暮らしていた。最初は戸惑っていた圭麻も、もはや止める気にもならず見ていた。彼がこういう生活をしているのを止める権利は自分にはないのだと思ったから。 本当に悪い事をちゃんと知っている人だと思ったから。 彼が居なければ、自分はもはや本当に一人になってしまう。だから、彼に着いていくしかない。そのためには、彼のする事を否定する事など出来はしないのだ。そして、壱夜は意外に圭麻に優しくしてくれる。扱いは粗雑で乱暴だが、触れてくる手は暖かかった。 食事をした後、壱夜は圭麻を部屋に残して出掛けてしまった。何をしているのかは知らないが、こんな事は度々あった。 圭麻は問い質そうとは思わなかったし、その権利がないのも知っている。けれど、壱夜のしている事が、「悪い事」であるのは間違いなかった。ただ、それを圭麻に見せようとしないだけなのだ。スリをしているのは知っていたけれど、それ以上の事は、絶対圭麻には見せない。 何故かと聞こうとは思わなかった。 話すときになったら、話してくれると思ったから。 一人で居るのはつまらない。壱夜が帰ってくるまでは、ずっと、一人。 そういう時はいつも焼かれた村が頭をちらつく。宿のベッドに寝転がってぎゅっとシーツを掴む。あの悪夢は一生消えないのだろうか。今思い出しても吐き気がしてくる。額が熱くなる。 息が苦しくなる。あの時のおばさんと、黒こげになっていた両親。燃え盛る炎と血と、人が燃える匂い。まざまざと思い出せる。 目の前が真っ赤になる。 シーツをさらに強く握り締める。瞳をぎゅっと瞑って、思考を追い払おうとするが、そう考えれば考えるほどにあの時の事がより鮮明に思い出される。振り払えない過去が頭の中を駆け巡る。 (泣きたい…) そう思った。 けれど、泣けない。 泣けない。 ガタンッ 行き成りドアが開く音がして、はっとベッドから顔を上げる。 「壱夜さん…ッ!!」 ドアを開け、そのまま後ろ手で閉めると、壱夜はずるずるとドアに沿って座り込む。様子を訝しがりながら圭麻は慌てて壱夜に駆け寄る。 近くに寄ってよく見ると、壱夜の服が血で濡れている。 「壱夜さん、怪我…してるんですか!?」 「あー、だいじょぶ、違う」 「だけど…」 否定する壱夜に圭麻はなおも心配そうにする。 その様子を見て、壱夜はぐいっと圭麻を抱き寄せる。 「なッ、壱夜さ…ッ」 「人、殺してきたんだよ…」 圭麻の耳元で壱夜はぼそっと呟く。 「え…?」 壱夜の言葉が信じられずに、圭麻は目を見開く。 「嫌なら、オレともう一緒に来なくてもいいんだぜ?引き取り先ならいくらでも探してやるよ」 壱夜は自嘲的な笑みを浮かべる。 圭麻は身体中が震えるのが解かった。それが何故なのかが解からない。けれど、身体中が震えて、けれど、必死で首を横に振った。 壱夜の傍を離れたくはない。けれど、だけど。 「わか…解かりませんッ…どうしたらいいのか解からないっ!!」 圭麻は叫ぶ。そして、そのまま自分のベッドに潜り込んだ。 解からない。だけどショックだった。けれどそれが何なのか解からなかった。 布団を頭から被りながら、必死で何かを考えようとするが、けれど頭の中がパニックになっていて意味の解からない事柄ばかりが浮かんでくる。何を考えたら良いのだろう。解からない。 気配で、壱夜がゆっくり立ち上がり、隣にならんだもう一つのベッドに歩いていくのが解かる。 恐い。 そう思った。けれど何が恐いのか解からない。 一体何なのだろう。どうしたらいいのだろう。解からない。解からない解からない。 ベッドの中で考え込んでいるうち、何時の間にか圭麻はうとうととし始め、終いには眠ってしまった。 「ばっかみてぇ」 壱夜は自嘲気味に呟く。 何を言っているのだろう、自分は。眠ってしまった圭麻を見つめながら、壱夜は思う。 圭麻から離れたくないのは自分なのに。 離れて欲しくないと思っているのに。それでも、圭麻が自分と一緒に居ていいのかどうか解からない。 人殺し。 それは、自分が一番侵してはいけない禁忌としていたモノだった。 それに手を出してしまった。許される事ではない。だけど、圭麻には傍に居て欲しい。矛盾している。 「ホントの事なんて、言わなきゃいいだけなのにな…」 言わなければ、圭麻は何も問い掛けたりはしないだろう。だけど。 それでも、どうしようもないではないか。 そう、自分の一番大事なものが、変わってしまったのだから。 朝、圭麻が目を覚ますと、壱夜のベッドには何もなかった。壱夜自身も、壱夜の荷物も。 「っ!!」 圭麻は驚いて起き上がる。 部屋中見回しても壱夜の所持品は何も置いていない。 (置いていかれた…?) 昨夜、壱夜は何と言っただろうか。もう、一緒に来なくてもいい、そう言わなかっただろうか? 圭麻は慌てて自分の荷物を持ち、部屋の外に出る。壱夜は何処にいるだろう? 宿の受付まで言って、其処の主人に聞いてみれば、つい先ほど出て行ったと言う。圭麻は急いで街の中に足を踏み入れた。 「壱夜さん…っ」 名前を呼ぶが、答える声はない。 街中を必死に走り回りながら、壱夜の姿を探す。 恐い。 恐い。 ひたすらに恐かった。 置いていかないで欲しい。もう誰も。自分を置いていかないで欲しい。 息を切らしながら、必死に探して、その姿さえ、思考の中ではあやふやになってしまっていて。如何してだろう。こんなに、こんなに必死になっているのに、何故、その後ろ姿しか思い出せないのだろう? あの黒い髪と青い瞳をちゃんと思い出せないのだろう? 恐い。 忘れてしまうのが。 泣きたい。 哀しい。 あの人が居ない。 壱夜が、居ない。 「壱夜さんっ」 泣きたくて。でも涙は出てこない。 「はぁっはぁ…嫌だっ」 「何が嫌なんだい?」 「っ!」 後ろから声がしてはっとし、振り返ると、見知らぬ男が立っている。 顔は知らないが、その服には見覚えがある。 (月読の…っ) その顔に張り付いた笑顔が恐い。足ががくがくと震える。冷や汗が頬をつたう。 「圭麻くんだね?一緒に来てもらえるかな?」 ぞくっと背筋が凍る。 名前を知られている。まずい。 逃げなければ。 だけど、足が動かない。 「さぁ」 男が手を差し出す。 圭麻は動けないまま、男を凝視する。 恐い。まだ、死にたくない。 恐い。 「そいつに、触んじゃねぇっ!!!」 声がしてはっとする。聞き覚えのある声が、そして、憶えのある腕が、自分を抱き寄せる。 「貴様っ、邪魔をするなっ!!」 「うるせぇっ!こいつを連れてどうするつもりだよ!!?」 二人は人の多い道の往来で怒鳴りあう。 ざわざわと人がこちらに注目している。 「月読様の命だ。死んでもらう。火はきちんと絶たねばならん」 「させるかっ!!」 壱夜は剣を抜き、男に切りかかる。咄嗟の事に男は防げない。 血飛沫が辺りを真っ赤に染める。壱夜が、男を殺したのだ。壱夜はそのまま圭麻を抱え、その場を駆け出した。 圭麻は壱夜にしがみ付きながら、何が何だか解からず、ただ混乱していた。 壱夜が自分を助けてくれた。それは、嬉しい。だけど、自分の所為で壱夜が人を殺してしまった。頭が重い。ぐわぐわと変な不協和音が頭の中で鳴り響く。どうしたら良いのか、解からない。 「此処まで来れば大丈夫だろ」 小さな森の中で壱夜は圭麻を下ろす。が、圭麻は壱夜にしがみ付いたまま離れようとはしない。 「…圭麻?」 壱夜が優しく圭麻に声を掛ける。 「…もう、急に何処かに居なくなったりしないでください…」 「圭麻…」 か細い声で言う圭麻の言葉が、壱夜にとってどれだけ嬉しい事か。こんな自分でも、まだ一緒に居る事を望んでくれるのか。 「話してくださいっ、何も、何も知らないままだと、答えなんて出せないからっ!話して…昨夜、何をして、どうして人を殺すことになったのか…話して、下さい…お願いです……オレは、壱夜さんと離れたくない………」 圭麻は必死に声を絞り出して言う。 真実を。 圭麻が望むのはそれ。壱夜は、嘘を吐けない。圭麻の前では、嘘が吐けなくなる。尋ねられれば答えなければいけなくなる。圭麻の瞳は、何時だって哀しくて、何時も泣いてしまいそうだ。 「昨日の夜は、この街の金持ちの家に盗みに入ってたんだよ。結構高価なものとか盗んで闇市で売るんだ。それ自体は上手くいったんだよ。ただ、闇市から戻る帰り道、月読の兵と会ったんだ。お前の事、聞いてきた…」 壱夜はその場に座り込んで話をする。圭麻はじっと壱夜を見つめ、話を聞いていた。 「見かけたら知らせろってさ…どうするのかって聞けば『反逆罪により死刑となる』だぜ?冗談じゃないっ!!我慢できなかったんだよ、お前が、こんな奴らに、何も知らない奴らに汚名を着せられて殺されるのなんかっ!!!そう思ったら、もう勝手に身体が動いてた。人、殺すのなんて初めてだったけどなぁ…」 「じゃあ、オレの為に…?」 圭麻は愕然とする。 最初から最後まで、全部自分の所為ではないか。壱夜が人を殺してしまったのも、その為に傷ついてしまったのも、全部。 そしてその時にようやく、昨夜から何がショックだったのか解かった。 壱夜が、人の命は大事だと、人を殺すのだけはダメだと言った壱夜が、人を殺してきた、と言ったからだ。彼の言っていた事が彼自身によって覆された気がして、彼の言葉自体が信用出来なくなりそうで、ショックだった。 そして、もう一つ、彼が自分と離れることを考えたという事。離れたくなかった。離れたくなんかない、今でも。 一番恐いのは、壱夜が自分から離れていくことだ。恐くて、それが恐くて仕方なかった。 だけど、全ては自分の所為だったのだ、全てが。壱夜が人を殺してしまって、あんな風に自分に言ったのは。全て……。 「ごめんなさい」 圭麻は、ただ、謝ることしか出来ない。 「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい…っ、オレの、所為で……っ!!!」 「違うっ!!」 必死に謝る圭麻に、壱夜は怒鳴る。 「止めろっ!お前の所為なんかじゃねぇんだよ!!此れはオレが勝手にした事なんだ。オレが、お前に死んで欲しくなかったんだよっ!!!何があっても、お前に死んで欲しくない、オレの我侭なんだよ!!!」 そう叫んで、壱夜は圭麻を抱きしめる。 「壱夜さ…」 圭麻は驚いて目を見開く。 壱夜がそんな風に自分に対して言うのは初めてだ。いつも一歩引いて、圭麻個人を抜きにして話をしていた人だから。自分は、絶対に必要な人間ではないのだと思ったから。偶然拾ったから、一緒に居るだけなのだと、そう思ったから。 「お前の為じゃなかったら、人殺しなんてしなかったよ…」 強く抱きしめられて、痛かったけど、嬉しい、と圭麻は思った。 此れでまた、信じていられる。この人は、嘘を吐かない。だから、信じていられる。 「壱夜さん…」 抱きしめられたまま、圭麻は呟くように言う。 「まだ、一緒に居ても、良いですか?」 圭麻の問いに、やっと壱夜は圭麻を身体から離して、驚いたように圭麻を見つめる。 「一緒に、居る気か?人殺しだぞ、オレは…」 「貴方が…壱夜さんがいいのなら、一緒に居させてください…。構わない。壱夜さんが人殺しでも、それがオレのためなら……嬉しい……だから、一緒に、居させてください」 「ああ、一緒に居よう。オレは、お前と離れたくないんだよ。お前が、一番大事になってるんだ…」 壱夜がそう言うと、圭麻は嬉しそうに笑った。 そんな風に笑うから。 だから、大事なんだ、と壱夜は思う。 少しの間も、目を離していたくない。だって、圭麻は泣かない。 泣けない。 だから。 傍に居ないと。誰かが。どうせなら、自分が。 傍に、居たい。 「ああ、もう柄にもねぇ事ばっか言ってんな、最近は」 壱夜は溜息を吐いて言う。 圭麻はそれを聞いて笑う。 笑った顔が好きだから。だけど、きっと泣いた顔も好きだ。だから…。 (泣いても、良いんだ) それなのに。 圭麻は泣かない。 多分、これから先も泣いたりはしないだろう。どんなに哀しい事が起こっても。 泣く事はないんだろう。 それでも、傍にいたい。圭麻が少しでも安らげるように。 泣きたくても泣けない子供は、どうやったらその悲しみを癒す事が出来るだろう。 「行くか。どっかに宿とんねぇとな」 「はい」 二人は立ち上がり、森の中を歩き始めた。 生きたいと、そう思った。 まだ、生きていたいと。この人と、一緒に歩む道は、楽しい事ばかりではないけれど、今は絶望の淵にいるわけではないのだ。 そう、今は。 その後、圭麻の方には何ともなかったが、壱夜に賞金が賭けられる事となる。 月読の、反逆者として――――…。 |