第二話 〜在るべき道〜



 過ぎ去りし雲の幻影
 浮かぶ姿に瞳が映る

 波のハザマで過ぎ去り行く景色
 時が過ぎればそれを生まれ行く時まで誰が戻すことが出来るだろう
 きっと誰もが其処に漂う
 雲は人々の夢の固まり

 心に残る夢がその瞳をひきつけて
 君の心はそのままの夢
 いつか過ぎ去るその日のままに
 いつか君はその日の君へ



「カズマ、アンタまたモノ壊したね!!」
 香奈の怒鳴り声が家中に響き渡る。奇妙な三人の同居生活も五日目になった。
「わりぃって、な?ホントわりぃ!!」
「反省してるんならもっと気をつけてよね、ホントにもうっ!」
 劉鳳がこんなにこのカズマと一緒にいるのも珍しいことだ。普通ならとっくに喧嘩をして、また追って追われての関係になる筈なのだから。
 それもこれも全て香奈という少女の所為だろう。彼女と一緒に暮らそうと言われて、今の自分は動けないし、カズマも今のところ行くところが無いことから、結局そのまま居座っているのだ。
 それで、何故喧嘩をせずに済んでいるのかと言えば、一応対応策を練ったからで、それは簡単なこと『二人きりにならない』というものだった。けれど、それは意外なほど効果があるようで、カズマは劉鳳の寝ている部屋に入らなければいいだけだし、もし部屋に入る時は必ず香奈と一緒。もし喧嘩に発展しても、香奈が止めてくれる。
 香奈は意外なほどに二人の性格を把握しているようで、二人を止めるのは朝飯前のようだった。
「相変わらず騒がしいな」
 劉鳳が溜息を吐くと、香奈は苦笑する。
「ま、それだけが取り柄とも言えるんじゃない?」
「確かにな」
「何だよ、その言い草はっ!!」
「思ったままのことを言っただけだ。悪いか?」
「あのなぁっ!!」
 傷の出来る喧嘩をしなくなった代わりに、口喧嘩が増えた。
 それも、最近のカズマの楽しみの一つではあったのだ。それを劉鳳本人に言う気は毛頭ないが。
 香奈はいろいろなところからバイトを仕入れてきて、カズマもそれに付き合わされる。そして劉鳳は家でお留守番。そんな感じだった。
「ね、明日は仕事ないし、劉鳳の怪我も治ってきたから少し外に出ようか?」
「え?」
 香奈の突然の申し出に劉鳳は目を見開く。
「いいでしょ?たまにはね。じっとしてたら身体なまっちゃうよ。せっかく鍛えてんのに」
「俺も?」
「当然、荷物もちは貴方よ〜♪」
「そうきたか…」
 カズマはがくっとうなだれる。最近香奈のいいように扱われている気がする。気のせい…ではないだろう。
 けれどそれは不快なものではなくて、どちらかというと、わくわくする、という感じだった。人に命令されるのは嫌いだし、自分の道を行くタイプのカズマが何故そんな風になってしまうのか、劉鳳も、カズマ自信も不思議で仕方なかった。
 まぁ、世の中にはそれだけの人間が居るということだろう。
「んじゃ、張り切ってお弁当作りますかね、今から」
「俺も手伝うんだな?」
「よく解かってらっしゃる」
「いい加減な」
 カズマは苦笑しながら答える。
 香奈の作り出すその場の雰囲気は不快なものではなくて、どちらかというと、カズマや劉鳳の本質に合っている。生ぬるいわけでもなく、かといって、乾いたような感じでもない。奇妙な緊張感と、それから昂揚感。
 そう、一瞬の緊張と、そして、和やかな空気の中にある辛辣な時。
 大切なものを忘れることなく過ごさせてくれるのはとてもありがたかった。それが香奈本人が意識しているのか、それとも無意識なのかは解からないが、それでもカズマと劉鳳はこの共同生活をそれなりに有意義に過ごしていた。


 翌日。
 窓から区切られた青空でなく、視界一杯に広がる、何処までも続く空を、劉鳳は見た。
 今でも思い出す、彼女の言葉。
 ああ、こんなにも自分の中にある。忘れられないもの、忘れてはいけない人。忘れられない過去。忘れてはいけないもの。
 刻み込む、その一時一時が、劉鳳を蘇らせる。本質へと。
「劉鳳、あんまりそんなしかめっ面してると、顔に張り付くよ?」
 香奈の言葉にはっと意識を現実に戻す。香奈は空を見上げている。後ろからカズマが荷物を持って歩いてくる。
「空が近いねぇ」
「香奈…」
「いろいろね、水守に思い出話も聞かされたんだよ。馬鹿みたいに無邪気だった頃のね」
「でも、彼女は変わらない」
 劉鳳は呟く。変わらない、昔のまま。どうして変われずに居られるのか。幸せだったのだろう、それほどに。
「ねぇ、劉鳳。水守は変わらないんじゃなくて、変われないんだよ。人はそう簡単に変われない。劉鳳、貴方もね、表面上どんなに変わっていても、そう簡単に中身までは変わらないよ。水守もちゃんと気づいてる、劉鳳が昔と変わらずに居ること。けれど、昔と違う感情が表に出ているのが悲しいだけだよ」
「香奈、俺は…」
「さぁってと、此処で休憩!」
 劉鳳の言葉を遮るようにして香奈は言った。
 空を見て、忘れないで。君の気持ち。僕の気持ち。変わらない気持ち。
 けれど人は変わるもの。それでも香奈は、自分の中身を変わらないというのだろうか。
 香奈の瞳は水守に似ている。同じような信念をもった、それを貫き通すだけの力を秘めている。ただ、水守と違うところが、状況判断が上手くて、周りとの間隔をとるのが上手いのだ。
 不器用な水守、だけど優しい水守、すこし強引で、強気で……何も変わらない。
 そこまで考えて、自分は最近いつも彼女のことを考えているな、と思う。
 心配…なのだろうか。
 それとも、ただ、会いたいのだろうか。
「カズマ、大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇよ、一体目的地は何処なんだよ!?」
「さぁ、ね。いいじゃん、別に無くたって」
「はぁ!?」
「最後に家まで戻れればいいんだよ」
 はっはっは、と豪快に笑いながら香奈は言う。
 近くにあった石に腰掛けながら、劉鳳は二人のやり取りを見ている。包帯はまだ取れない。
 腕の傷が深かった。体中に浅く残る傷跡。
 どうして、香奈は自分達が厄介な相手だと解かっていて助けたのだろう。知っていた筈だ、自分の顔も、カズマの顔も。
「香奈は…アルター能力者を怖いとは思わないのか?」
 劉鳳の言葉に、香奈は一瞬目を見開き、そして苦笑しながら答える。
「怖くないよ」
 香奈は劉鳳とカズマに言う。香奈の言葉は一つ一つが何かの呪文のように二人には聞こえる。
「私はね、それに属するからといって、何かに偏見を持つ人が一番嫌いなの。アルター能力者だからと言って、畏怖の念を抱く人達も、ネイティブアルターだからと言ってそれを批判するHOLYやHOLDも、HOLYやHOLDだからと言って恨み言を言うネイティブアルターもね」
 カズマも劉鳳も心当たりがあるだけに言い返せない。
「人は、誰だって一個人の意見がある筈だよ。それを見もしないなんて私は嫌だ。アルター能力者も人間。違う人間。だからこそ、私は理解したいと思うの。アルター能力者と普通の人々の違いって何?何か違う?私は違いなんてないと思う。アルター能力というものが、人々を隔てるなんてことはないと思う。それは、二人にだって解かるでしょう?」
 カズマと劉鳳は思わず顔を見合わせる。
 全てを知って受け入れてくれる人が居る。それが事実。だから、嘘なんてなくて。
 なくしてから大切だと気づくなんて嫌だから。失いたくないものはいっぱいありすぎて困るほどに。守りたいものがある。それはアルター能力者であろうが、そうでなかろうが変わりの無い事実。
「私は、人の本質を見たいと思う。劉鳳のことも、カズマのことも、私は好き。ちゃんと知っているもの、自分がどんな人間か、いいところも、悪いところも、ちゃんと。そして、周りに合わせなければ何も出来ない誰かとは違う。だから好き」
「香奈…」
 カズマが言う。
「俺は、確かにHOLYやHOLDの遣り方が気に入らなくて、いろんな人間を襲った。いろんな人間を傷つけた。だけど、それを間違ってるとは思わないぜ。俺が遣りたくて遣ったことだ。他の誰でもない、俺が。だけど、今度からはもっとちゃんと人を見ることにしとくさ」
 カズマが肩を竦めて言うのに、香奈は微笑む。
「今度があればの話だな」
「何か言ったか!?」
「お前の馬鹿さ加減にも呆れるものがあるな。今までお前にそういう仕事を回してきたのは誰だ?俺は詳しくは知らないが、姿を少しぐらいは見たことがあるぞ。そいつが死んだんじゃないのか?」
 劉鳳の言葉に、カズマの何かがブチッと切れた。
 香奈も劉鳳も何となく予感していたことなので慌てない。
「そうだよ、HOLDが俺のダチを殺したんだっ!!あいつはっ、あいつは何も悪くねぇのに!!!」
 気がつけばカズマは劉鳳に掴みかかっていた。
「でも、俺が殺った訳じゃない」
「んなことは解かってる!!だけど、てめぇだって解かってんのかよ、自分達が何してたか、理想とか秩序とか振りかざして、てめぇは何してた!!?結局お前だって人ひとり助ける事だってできねぇんだろ!!?」
「それは…誰に言った言葉だ?」
「解かってるよ、俺だよ、俺だって…守りたいものがあるっ!!アンタだってあるんだろ、それぐらいっ!!」
「……」
 劉鳳は黙り込んで答えない。
 守りたいものならある。命をかけてでも守りたいものが。しかし、今の自分に何が出来るだろう?
「答えろよっ!オイ!!」
「はいはい、怪我人に掴みかかるのはそこまでね。あんまりイライラしててもいいこと無いよ」
 香奈が止めに入ったので、カズマはちっと舌打ちして、劉鳳から手を放す。
 気に入らない、妙にすました顔をしていちいち挑発してくる。自分が馬鹿だと言われているような気がして腹立たしい。
「ねぇ、結局守りたいものって、人によって違うんだよ、でも、必ずあるの」
 香奈が話すと、二人は必ず黙り込む。一言一句聞き漏らしてはいけない気がして。
「皆、その守りたいものの為に生きてる、戦ってる。誰だってそう。自分の信念や、家族や、他にはきっと醜いものだっていっぱいあると思う。だけどね、忘れないで、きっとそれでもその人はそれを守るために必死で生きてるんだよ。二人だってそうでしょ?」
 二人は黙っているが、香奈はそれを肯定と受け取る。
 不思議だと思う。こんな年で悟りきっているような少女。けれど、それは不快なものではない。どうすればこんな風になれるのかとつい考えてしまう。彼女のように確固たる意志と思考を持っていれば、どれだけ強くなれるだろう。
「私はね、自分を持って生きている人が好きなの、忘れないで、貴方達は一人じゃない筈。だって、いつも二人のことを想ってくれる人が居る筈だもん。気づかなくても絶対居る筈。でなきゃ、そんな風にはなれないよ」
「そんな風?」
「安心して生きていくこと。いつも回りの誰かに支えられてるから。そして、だからこそ傷ついた人を守ることもできるんだよ。守ろうとしてもそれが出来ないのなら、今度はその人のために生きるんだよ。そうでなきゃいけない」
 香奈はさっと立ち上がる。
「行こう、道はまだまだ途中だよ。立ち止まるのも良いけど、長すぎちゃダメ。前を見て、後ろを見て、それから右も左も。きっと何かある筈だよ、二人にとって大切なものが。だって、大切なものはいつもすぐ傍にあるんだから。忘れないで、失って不幸だと思うなら、それをもっている間は幸せなんだって。幸せな時はずっと続くわけじゃないけど、その時があったことも事実。その事実を否定しないで」
 香奈が歩き出すと、カズマと劉鳳も慌てて立ち上がる。
 二人は思わず顔を見合わせる。
 何を言っているのか、何の為に言っているのか、二人には十分解かっていた。
 過去を否定していては生きられない。過去は捨てきれない。だから、それを否定せずに受け止めていかなければならない。否定したい過去があるなら、それ以前はきっと幸せだった思い出。
 辛いことがあったから霞んでしまうけれど、幸せなことがあったから不幸だと思う。
 だから、その幸せな時を手放さないで、生きていく。
 自分達と変わらない年頃の少女に教えられる。きっと、自分達が避けていたものを目の前に突きつけて、それでも受け入れさせるだけの強さがある。
 こういう強さは、羨ましい。
「んっとに、清々しいほど強引な奴だなぁ、お前」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
「そうしといてくれ」
「ねぇ、私ね、二人のこと好きだよ。それも忘れないでね。いつか離れることになっても、その時の想いは永遠に変わらないから。形あるものはいつか壊れるけど、形ない、その想いだけは何時までも壊れることはないんだよ」
「…そうだな」
 壊れることなんてない、人の想い。感情は変わっても、その時あった想いは永遠に人の心に残り続ける。
「にしても、お前本当に俺達と大して年かわんねぇくせに考え方は老けてんなぁ、五十のババァかよ」
「そ〜れはどういう意味かなぁ?カズマくん?」
 香奈に睨みつけられ、カズマはたじろぐ。
「馬鹿かお前は?」
「馬鹿って言うな!!」
 劉鳳に言われて、カズマは怒鳴り返す。香奈はそれを聞いて笑う。
 平穏な今の日々。
 それが続かないことはどこかで解かっていた。そして、自分達が今のこのままの状況に甘んじていたくないことも。
 守りたいものがまだ自分たちにはある。けれど、今の香奈との生活もとても貴重なものだった。それでも、劉鳳の怪我が治れば自分達は此処を離れていくだろう。
 それでも、今を忘れないで生きていくことが大切なのだと、彼女は言う。
「ね、帰ろうよ、遠回りしてさ!」
「どうせならどっかで一泊してかねぇ?」
「だーめ、お金ないの!!」
「泊まる気はあるんだな?」
「ふっふっふ、三人一部屋でいいならね!!」
「げっ、こいつと同じ部屋で寝んの!?それはパス、ぜってぇパス!!」
「同感だな、この男と同じ部屋で寝るなんて考えただけでおぞましい」
「なんだと!?何だよそれっ!!」
「貴様もいいように言っていただろう、さっき」
「それと此れとは別だ!!」
「いい加減その自分本位な考え方を直したらどうだ!?」
「うるせぇ、てめぇに言われる筋合いはねぇよ!!」
「はいはい、ストップストップ〜」
 永遠に続きそうな二人の口喧嘩に流石に呆れて香奈が止めに入る。
「きりが無いから止めてよ、楽しいんだけどあんまり長いとうんざりするから」
 香奈のその言葉に二人はどっと疲れを覚える。自分達二人の口喧嘩を楽しんで聞いているような人間などそうはいない。
 否、一人だけ居るかもしれない…。
「なんか、香奈に似たような奴に心当たりがあんだけど…」
「俺もだ…」
 二人は同時に頭を抱えた。
 似ているのだ、話の運び方とか、独特の価値観とか、そもそも、二人をここまで上手くあしらう様な人間など、一人しか思い浮かばない。
「クーガー…」
「ああ、似ている」
「何かさぁ、あいつに似てると思うと逆にムカついてこねぇ?」
「喧嘩ならやめておけ、上手くかわされるのがオチだからな」
「やっぱそう思うか?」
「こらこら、二人して何話してるかな!!」
 香奈が苦笑しながら二人の会話を遮る。
「似てるぜ、本当に。クーガーに…」
「ああ、そ…。どうでもいいよぉ、そんなこと…」
「こっちとしてはどうでも良くないっ!!俺はあいつにたんまりと恨みがあるんだっ!」
「どんな恨みだ?」
「そ…それはっ」
 どもるカズマに劉鳳と香奈は怪しげな視線を送る。
「何か弱みでも握られているんだろう」
「うっ…」
 図星だったらしく、カズマは言葉に詰まる。
「へぇ、カズマの弱みねぇ…、今度会ったら聞いてみよ♪」
「止めろっ!!」
「そんなに必死になるんだからよっぽどなんだろうなァ」
 弱みなら有り余るほどある。
 十二歳になるまでサンタクロースを信じてたとか、魚を焼くとただの炭になるだとか、そんな情けないこっぱずかしい弱みならたんまりと。
 そして、それをこの二人に知られるのだけは死んでも嫌だと思う。
 そうなればどんなことになるか解かったもんじゃない。
「うるせぇな、ほっとけよ!!」
「まぁ、機会があれば聞かせてもらおうじゃない♪」
 それを特上の笑顔で言われれば、カズマは項垂れるしかない。
 香奈と劉鳳とカズマは、不器用で不自然な関係を、それでも楽しんでいた。
 気に入らない人間と一緒に居ることなんで出来ないと思っていた。それでも、誰かのためなら出来ることを知った。
 我慢じゃない、無理でもない。気に入らない相手でも、同じ人間を大切だと、守りたいと思うのならそれは一時の同士になるのだ。そして、一時の同士はまた敵にもなるのだと、二人は自覚している。


 夢を忘れないで
 君の見た夢
 それはきっと大切な何かの印だから

 いつも貴方のそばに居るのは誰?
 君と共に生きているのは誰?
 どんなに羨ましいか  どんなに妬ましいか
 君は知らない

 それでも君を大切だと思う自分がいるから
 だから守っていこう君と一緒に
 君の見た夢

 それはきっと大切な何かの印……。



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