過ぎ去りし雲の幻影 浮かぶ姿に瞳が映る 波のハザマで過ぎ去り行く景色 時が過ぎればそれを生まれ行く時まで誰が戻すことが出来るだろう きっと誰もが其処に漂う 雲は人々の夢の固まり 心に残る夢がその瞳をひきつけて 君の心はそのままの夢 いつか過ぎ去るその日のままに いつか君はその日の君へ それは、突然だった。 怪我ももうほとんど治りきっていて、そろそろ此処を出て行かなければならないな、と思っていた時だった。 聞いたときは、一瞬心臓が止まりそうになった。 「HOLDがこっちに…?」 カズマがうめき声にも似た声を漏らす。 「そう、だから二人とも、早く此処を離れなさい。追われてるんだからね」 香奈の声は冷静だった。けれど、二人は納得がいかない。 行き成りこんなこと。 「追われてるなら香奈も同じだろうがっ!!」 「馬鹿っ!奴らは私に会いに来たのよ!?隠れるだけ無駄なの!!幸い貴方たちのことはばれてないと思うしね」 「香奈に会いに来た…?」 行き成りすぎる、何がなんだか解からない。 行き成りHOLDが此処に来るという。どうして香奈はそんなことを。 「いい加減ばれる頃だと思ってたけどね。私はお尋ね者だし。町の人達は黙っててくれてたけど、やっぱりばれる時はばれるのよ」 ふぅ〜っと溜息を吐いて香奈は言う。 慌てている様子はないが、流石に緊張しているようだ。 「だからといって香奈を此処に一人で置いていくわけには…」 「貴方たちが居たら余計に話がややこしくなるでしょうが。解かってないなぁ」 「香奈っ!」 「行こうぜ、劉鳳。あいつらが来るのも時間の問題なんだろ?」 「だが、カズマっ!!」 渋る劉鳳にカズマは苛立つ。 「俺たちが此処に居たって何が出来るって訳でもねぇだろうが。とっとと消えたほうが香奈のためなんだよ!!」 カズマの言っていることは劉鳳にだってよく解かっている。 だけど、ここで香奈を一人にして本当にいいのだろうか? 「やっぱり俺も此処に残った方が…」 パシンッといい音が響く。 香奈が劉鳳の頬を叩いたのだ。 「いい加減解かりなさい!!貴方が此処居ても邪魔なの!!アルター能力もろくに使えないくせに此処で何するっての!?こっちが迷惑なの!ただでさえ大変なのに余計な面倒掛けさせないでよ!!」 「…っ」 「ほら、行くぞ、劉鳳」 黙り込んだ劉鳳の腕を掴んでカズマが連れて行く。 「二人とも、幸せになんなきゃダメだよ」 「んじゃ、香奈、またな」 「運が良ければねぇ♪」 カズマの言葉に香奈はにっこりと笑って答えた。 今から何が起こるか解かっていない訳ではないだろう。けれど、カズマも香奈も、どうしようも無いことは解かっていた。今の自分達には何の力も無い。そして、劉鳳がそれでも納得しないだろうということも。 「ホント、頑固なんだもんなぁ」 香奈は出て行った二人を見送って溜息を吐いた。 「水守に聞いた通りだわ」 今から来るのはHOLDの人間。HOLYで無いということはやはりカズマ達が居ることは知らないと思っていい。 劉鳳の怪我が治るまで待っていてくれただけ有難いと思っておこう。 水守も劉鳳もカズマも、自分が正しいと思ったことの為に生きている。自分もそうだ、正しいと思うことの為に生きている。 「さぁて、せめて話し合いが出来るといいんだけどねぇ」 香奈の家からある程度離れた森までカズマは劉鳳を引っ張ってくる。 二人きりになるのは久しぶりだ。しかし、今の劉鳳は気味が悪いくらいに静かだった。 「おい、劉鳳?」 流石に心配になってカズマは劉鳳を見る。 「また、何も出来ないのか?…何もっ!!」 「まだ香奈がどうにかなるって決まった訳でもねぇだろ?あいつ口上手いしうまいことはぐらかして何とかするんじゃねぇの?」 何故自分がこの男を励まさなければいけないのかと思うが、こうも頼りない劉鳳を見るのはかえって嫌だ。 敵なのだ、自分が認めた、自分だけの、たった一人の敵なのだ。 そんな奴のこんな弱い姿を見るのは嫌だ。 「大体、香奈の言うとおりだろ?今の俺たちに何が出来る?香奈に迷惑かけるだけだろうがっ!!」 「アルター能力も使えない…か。それが無ければ今の俺には何の価値もないんだな……」 かつて否定していたものに今まで支えられてきたのだと思うと皮肉で仕方が無い。 守りたいものの為に強くなった、忌み嫌っていたアルター能力も、自分の目的の為に行使した。けれど、それで今の自分は何が得られたのだろう?アルター能力に頼って、それ以外に何も出来ない人間になってしまったのだろうか? 「おいおい、それは考えがひねくれ過ぎだろ?確かに今の俺達はアルター能力使えねぇけどさぁ、あの場合は結局誰だって同じ…」 「守りたいものが目の前にあるのに、それを見捨てろというのかっ!?」 「そんなこと言ってんじゃねぇよ!俺だって出来ることならあの場に残りたいって思うぜ?だけどそれじゃぁ香奈が納得しないだろうが!!」 守りたい、そう思うのに、自分にそれだけの力が無いことがどれだけ不甲斐ないか。 守りたいと思うようになっていた、香奈を。 強い存在だった。とても。だけど、彼女は紛れも無く普通の人で。 「何かあってからじゃ、遅いんだっ!!」 「んなことは解かってるよ!だけど本当にどうしようもないだろ、香奈は今まで俺達を庇ってくれてた!今此処で俺達が出てって俺達に何かあったら、今まで香奈がしてきたこと全部が無駄になるんだよっ!!」 何とか劉鳳を納得させなければならない。 カズマだってこんな別れ方は嫌だった。納得できないと思う、だけどしなければいけない。 今、カズマが発している言葉は半分は自分に言い聞かせているものだった。 「……」 「なぁ、お前が元気ねぇと張り合いねぇんだよ。俺はまだお前とやり合いたい。こんなとこでくたばってる訳にはいかねぇんだよ」 これは本音だった。 こんな所で死ぬ訳にはいかない。まだ、劉鳳との決着もついていないのに。何より、劉鳳がちゃんと自分を見るようになるまでは、自分だけを見るようになるまではそんなことは許さない。 「劉鳳…」 カズマがもう一度呼びかけたとき、バーーーァン…っと銃声が鳴り響いた。 劉鳳とカズマは目を見開き、次の瞬間劉鳳は香奈の家へ走り出そうとする。カズマは慌ててそれを止めに入る。 「おい、待てよ劉鳳っ!!」 「どけっ、香奈に何かあったら…っ!」 「まだそうと決まった訳じゃねぇだろ?威嚇なのかも知れねぇ。それに今から行ったんじゃどのみち間に合わねぇよっ!!!」 「間に合うかも知れないだろうっ!?」 劉鳳もカズマもお互い必死だった。相手の言っていることは解かるし、正しいとも思う。けれどやっぱり二人の選ぶ道は全然違う。 相手を納得させた方が勝ち…という訳でもないだろうが、この場合カズマに分がある。劉鳳をここに引き止めておけばいいのだから。 「香奈っ…」 「馬鹿野郎っ!!今俺達が行ってもどうしようも無いって行ってんだろうがっ!!!」 怒鳴り散らすと、劉鳳はびくっと肩を震わせる。 何におびえているのだろう、こいつは。誰かを失うことにか?それなら、自分だって怖い。だけど、そいつの意志を無視してまでして良いことではないと思う。 そいつの為を思うのなら、こうするべきなのだ。喩え、納得できなかったとしても。 劉鳳の顔は真っ青だ。もし、これで本当に香奈に何かあったとしたら、こいつはどうなるのだろう…。でも、それは自分も同じで。 そうこうしている間に小一時間はたっただろうか。 「行こうぜ、劉鳳。もう、HOLDの奴らもいないだろうしな…」 カズマは低く呟くように言う。 「…ああ」 劉鳳は頷き、二人で香奈の家に戻る。 最低だった。 家は滅茶苦茶で、そこら中が荒らされている。 「ひでぇ…」 「香奈はっ!?」 劉鳳は慌てて家の中に入る。 鼻につくのは血の匂い。目の前に広がる光景に息を呑む。 何だろう、これは。何だろう? 劉鳳はよろよろと後退る。後ろに居るカズマにぶつかって、如何していいか解からず、ただ視線を逸らす。 「おい、劉鳳、一体どうした…」 その光景を目の当たりにしたカズマも言葉が出ない。 「香奈…」 カズマが呟くと同時に劉鳳は肩を揺らす。これが、香奈なのだろうか? 最初に脳天を打ち抜かれている。即死だっただろう。痛みは無かったのかも知れない。だけど。 腕が変な方向に折れている。片方の目は抉り出されていて…何処にも無いところを見ると実験用に持ち帰られたのだろう。 カズマもこの有様は直視できない。瞳をそらして、ぎゅっと拳を握り締める。 「香奈…?」 劉鳳は呆然としながら香奈に近づく。 これは本当にあの香奈なのだろうか?つい数時間前までは自分達に笑いかけていたのに。 香奈の傍まで来ると、劉鳳は膝をつく。 「香奈…嘘だろう?こんなのは…嘘だっ」 これが事実だなんて認めたくなかった。こんなことがあっていいはずが無いのに。如何してこんなことになるのだろう? 如何して、また何も守れないのだろう? 「香奈……っ!!!」 何も、守れない…………。 それから如何しただろう。 二人は別れて、また別々の道を歩いた。 カズマも、劉鳳も、香奈が居なくなったことによって変わってしまった。 カズマは守ることを放棄し、劉鳳は記憶を失った。 ――――失うぐらいなら、何も無かったことにすればいい―――― それが二人の出した、共通の結論だったのかもしれない。 喩えそれが逃げだったとしても、それでも、その時はその道しか選べなかった、それほどに、香奈の出来事はあまりにも悲惨だった。 夜空の下、腰をおろし、二人で空を見上げながら話した。 「そう、香奈さんが…」 水守は劉鳳の話を聞いて静かに呟く。 「水守、君は彼女と仲が良かったんだろう?」 「ええ、何も知らない私に、とてもよくしてくれたわ…とても、素敵な人だった…」 涙は、出てこない。実感が無いからなのかもしれない。 いつも彼女は前を向いていて、快活に笑っていた。人と接するのが上手くて、とても羨ましかった。自分とはかけ離れた、とても魅力的な人だった。 自分に出来ないことをすんなりしてくれて、それでいて劣等感を相手に感じさせたりはしなかった。謙遜するでもなく、威張るでもなく、ただあるがまま自然に振舞っていた。 「私は、彼女のことを尊敬していたわ」 「ああ、俺もだ」 どれだけアレが夢だったら良かったと思ったことだろう。 「俺は、何も出来なかった。彼女を助けることが出来なかった…っ!」 「劉鳳…」 「守りたかったのに、何も出来なかった…」 「劉鳳、後悔ばかりしていないで。香奈さんの為に、これから如何したらいいか考えて?香奈さんが何を望んでいたのか、彼女の為に何をするのが一番良いのか、考えて」 「…彼女の、為に…?」 「ええ」 水守は頷く。 何が出来るだろう。自分に。彼女はもう居ない。彼女が願っていたこととは何だろう? ――――二人とも、幸せになんなきゃダメだよ―――― 「幸せに…なれと」 「え?」 「俺と、カズマに幸せになれ、と言っていた…」 彼女は、自分が死ぬかも知れないということが解かっていたのだろうか?それなのに、どうしてあんなことが言えるのだろう? 「そう、それじゃぁ、貴方が幸せになるにはどうしたらいいの?」 自分にとって幸せとは何だろうか? 母が居て、絶影が居て、父や、水守。皆が生きていた、あの頃……。けれどそれはもう戻ってこないもの。 だったら、今、幸せになる為には? 守りたい人が居る。 「水守…君を、守りたい――…」 「劉鳳…」 「君と、シェリスや、他の皆と、一緒に平和に生きていければ、それが一番の幸せだ」 「…ええ。私はいつでも貴方と一緒にいるわ」 水守は微笑む。失わないように、自分にできるだけのことをしよう。 皆と一緒に生きていくために。いろいろな人、大切なもの。何かを守りたいと思う。 今、一番守りたいと思うのは彼女だ。何の力も無くて、それでも、彼女は自分をずっと探していてくれた。香奈の言うように、彼女は無茶ばかりするから、放っておけない。 「ねぇ、香奈さんが以前に私にこう言ってくれたの」 水守は星を見上げながら立ち上がる。 「人の生きていく道はいろいろあるけど、結局は自分の選んだ道を進むだけ。人がどういう道を選ぼうと、自分の道を揺るがしてはダメ。自分を違えては、きっと誰に対しても不誠実になってしまうから。だから、私は私の思うように生きるし、あなたはあなたの思うように生きて…きっと、何処かで交わる道がある筈だから。だから、こうして今一緒に居られるんだから」 「……彼女らしいな」 劉鳳は静かに微笑む。彼女らしい、そんな風に言うところが。 妙にしっかりしていて、それでも何故か放っておけないと思った。何か、とんでもないことをしでかしてしまいそうで。 やっぱり、そういうところは似ているのかもしれない。 「水守、彼女の年は、いくつだった?」 「…確か、貴方と同い年だった筈よ」 「そうか」 劉鳳は水守を見上げる。水守はいつも前を見ている、上を見上げて、ただ自分の正しいと思う道を進んでいく。 「水守、きっと俺は…君のことも大切だけれど、香奈の事も……」 「いいのよ、劉鳳」 水守は振り返り微笑む。 「香奈さんは貴方のことが好きだったわ。ずっと…そう、言ってたの。だから、いいのよ」 きっと彼女を大切に想う気持ちは同じだから。 だから、失わないように必死に手を伸ばして、だけど彼女には届かない、届かない場所に行ってしまう人だったのだろう。 水守の口から発せられる香奈のこと。それは意外なようで、でもそうじゃないようで。 ただ、如何して自分が想われるのか解からない。 「如何して、俺なんかの事を…?」 「なんかって言わないで、貴方を想う人はたくさんいるのに、その人に失礼だわ。香奈さんにも、シェリスさんにも、私にも」 彼女と見上げる空はこんなにも近かっただろうか? この空は、いつか彼女も連れて行ってはしまわないだろうか? 出ている月に雲がかかる。ぼんやりとぼやける月光、それはとても不思議で鈍い。 「ただ、貴方を見ていれば誰だって思うわ。自分も、前を向いて生きていきたいって。喩え貴方と反発することになったとしても、それでも私は私の道の前で前を向いて進んで生きたいと思うわ。貴方は、人にそう思わせるのよ。きっと、カズマさんもそういう人ね…」 水守の声が耳に心地よく届く。 月にかかっていた雲が次第に離れていく、それでも微かにちぎれた雲が目に移る。 過ぎ去った雲の影が未だにそこに残り続けていく。 それは、香奈のようだと思う。傍に居たのは短い間。それでも、見る人間にとても強い印象を与えて、喩え離れてしまっても、其処にある影は残り続ける。 彼女の言葉の一つ一つを忘れないように。 そうして生きていけば、きっと何処かで彼女の目指した道と交わるのだろうか? 雲は消えていく、何処かに けれど、人の残した想いは何処かに消えることはない 其処にずっと残り続けるもの だから君の想いを この心に刻みつけよう 君の告げた一つ一つの言葉を忘れないように だから君はその日の君でいて 忘れないように、また君の幻と会う日まで……。 Fin |