空と太陽の瞳 act.12



 穏やかな午後。
 ランティスはテラスにあるテーブルで一人お茶を飲んでいた。
 少し前まではイーグルとビジョン邸内の人工庭園で昼寝をしていたのだが、今はゆっくりと一人で寛いでいる。意外にもこの邸内の居心地は良く、必要以上に構って来ない上に、必要な時には正にタイミング良く声をかけてくる使用人に、ランティスは驚くばかりだった。
 イーグルは今、書庫を見たいと言ったセルシオに着いて行っている。ヴォルツはどうやら何処かでのんびりと午睡に浸っているらしい。
 しかし、どうも此処に来てからイーグルの様子がおかしい気がする。
 ランティスやセルシオ達から離れたがらないのだ。絶対に誰か側に居なければ落ち着かないらしい。客である自分達を持て成しているととれないこともないのだが、勝手知ったる我が家でそれでも自分達の側から離れないのには違和感が残る。
 お茶を飲みながらそうして物思いに耽っていると、執事のセドリックがやってきた。隙の無い身のこなしはランティスでさえ感心する。
「ランティス様、お茶のお代わりは如何ですか?」
「ああ、有難う」
 礼を言ってカップを差し出すと、セドリックが新しくお茶を注ぎ足す。此処のお茶も矢張り高級品なのだろう。香りが高い。
 一口茶を飲むと、香りが口の中にまで広がる。
 普段イーグルやジェオとお茶をしている時に飲む物とは全く違う。
「この度は、有難う御座います」
 突然、セドリックが深々と礼をしてきて、何の事かとランティスは眉を上げる。
「イーグル様が誘っていらしたのでしょう、此処には」
「ああ」
 実際、殆ど強制的なものに近かったが、だからと言って礼を言われる程のことではない。これだけのもてなしをされて、感謝しなければならないのはこちらの方だと思う。
 しかし、セドリックは微笑を浮かべて続けた。
「イーグル様は、この家ではお寛ぎになれないのです」
「どういう意味だ」
 自分の家で寛げないとはおかしな話だ。訝しげに問いかけると、セドリックは何処か悲しげな表情になる。
「あの方は、この家で働く者を信用されていらっしゃらないのです。旦那様が居られる時ならまだしも、一人でこの家に帰って来られた際には、いつも何処か張り詰めていらっしゃる」
「まさか」
 否定しようとするが、セドリックは首を横に振る。
「イーグル様が生まれた頃より見守ってきた私ですら、信用されては居られないのです。恐らく、イーグル様にとっては御自身で選ばれた軍での御友人の方が余程信用出来るのでしょう。ですから、今回もイーグル様はランティス様方をお誘いになったのだと思います」
「家では、寛げないからか?」
「いえ、私どもを気遣ってでしょう。信用はなさっておられないのに、それでも私どもを気遣ってくださる。ご自身がこの家で寛げない事を私どもが気にしている事に気づいていらっしゃるのですよ」
「……」
 ランティスは、何とも言えず沈黙する。それこそイーグルは、ランティスには警戒も何もすることなく近づいてきたというのに、それが生まれた時から側に居る家人を信用していない、とは俄かには信じ難いことだ。しかし、セドリックの表情と、此処に来てからのイーグルの態度を見ると、納得せざるを得ないものがあるのも事実だった。
「ランティス様達のお側に居る時は、イーグル様も安心しておられる御様子。これからも、あの方の事を宜しくお願い致します」
「…ああ」
 頷く以外に、出来る事などないだろう。
 恐らくは、誰よりも其の事を憂えているのは彼なのだろうから。
 しかし何故、イーグルはこの家の者を信用していないと言うのだろうか。どうにも問いかける事が出来ず、その疑問はお茶をと共に飲み込んだ。


 その日の夜は、食事だけでなく酒も振舞われた。
 どうやら酒豪であるらしい、ヴォルツが所望したようだ。それに乗じてイーグルやランティス、セルシオも自然と酒を口にしたのだった。
 ランティスは弱くは無いが、決して強くもなく、酔うとどうにも其の間の記憶がなくなってしまうから加減して飲んでいたのだが、ヴォルツを含め、イーグルやセルシオも随分酒には強いらしく、半端ではない量の酒が確実に三人の胃袋へと消えていった。
 ヴォルツは酒には強いし、良く飲むが酔わない訳ではなく、顔を赤らめ上機嫌になっている。イーグルは飲んでも乱れないタイプらしい。セルシオは完全にザルだと言うことで、本当にいくら飲んでも顔色一つ変えない。
 この三人に合わせて飲んでいたら、早々に記憶が飛ぶのは間違いなく、流石にそれではまずかろうと頭を冷やすためにテラスに出た。
 曇った夜空は真っ暗で、しかも汚れた空気から遮断するためのドームに覆われている。味気のない景色だが、いつの間にかそんな風景にも慣れてしまっていた。
 夜のひんやりとした空気は、酒で火照った体には気持ち良い。
 そうして暫く涼んでいると、不意に後ろに人の気配を感じて振り返る。其処に居たのはセルシオで、たっぷりとワインが注がれたグラスを持って少し足を引きずりながら、ランティスに近寄ってくる。
「イーグルは」
「酔ったヴォルツさんの相手してるよ。さっきから上機嫌だからな。俺は専用機の話題出される前に退散してきた」
「…杖はいいのか」
「これぐらい歩くだけで、杖なんて要らないよ」
 苦笑いを浮かべて言うセルシオに、昨夜のイーグルとの会話を思い出す。
 セルシオはランティスの隣まで行き、テラスの柵に両肘を置き、空を見上げる。そして気持ち良さそうに目を閉じた。
「涼しいな」
「ああ」
 頷いて、セルシオの横顔を見つめる。
「お前が、専用機を持つのを嫌がる理由を、聞いた」
 セルシオは、空に向けていた目をランティスに向ける。ただ、其処から特別な感情を読み取る事は出来なかった。酷く静かな目だ。
「イーグルか」
 頷くと、ふう、と溜息を吐いた。
「ランティスって、イーグル以外の人間に興味ないんだと思ってたけどな」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だよ。それに、それで良いと思ってる」
「何故」
 くすり、と笑みを漏らしてセルシオは答える。
「イーグルが、一番甘えられる人間だからだよ、お前が」
「そうか?」
「そうだ」
 確信に近い笑みでそう言われると、何を言う気にもなれない。セルシオはグラスに入ったワインを一口飲んだ。
 イーグルのことだけ考えていればいい、とセルシオは言うが、ランティスはそれだけを考えるのは無理だと思う。セフィーロの事も、そして、オートザムで親しくなった、ジェオやセルシオの事も、気にならない筈がない。
「……ヴォルツは、最期に何か遺したいんだろう」
「解かってるよ」
 ランティスの言葉に、セルシオは目を閉じる。その表情が辛そうで、思わず其処から視線を逸らした。解からない訳はない。セルシオの気持ちも、ヴォルツの気持ちも。
「あの人の気持ちは、解かってる。最期までメカニックとして生きたいという、あの人の気持ちは。でも、生きている時間をそれだけ引き延ばしたいと思って、何が悪い」
 ぐっと、グラスを持つ手に力が入る。ピリッと、ヒビが入り、中に入っている赤ワインが漏れ出し、セルシオの腕を伝っていく。
「何れは必要になる。でも、それまでは逃げたって構わないだろう」
「何れ?」
「……俺の、ファイターとしての欠陥を補うためには、どうしても専用機は必要だからな」
 その欠陥、というのが何なのか、ランティスには解からない。しかし、ランティスが理解していようといいまいと、セルシオはどうでもいいのかも知れなかった。
「でも、限界ギリギリまでは、逃げたいんだよ、俺は」
「…だったら、ヴォルツにそう伝えれば良い」
「え?」
「待ってくれと、伝えればいいだろう」
 驚いたように目を見開くセルシオを、ランティスは淡々と見返す。今までそんな事も考え付かなかったらしい。矢張り、其の事に関しては相当煮詰まっていたのだろう。
 暫くランティスを見つめた後、急に苦笑いを浮かべた。
「そうだな、確かに、そうだ。話して、納得してくれない人じゃない筈なのにな」
 そう言う様はまるで自分自身に確認しているようにも思える。昨夜、セルシオはヴォルツに遠慮している、と言っていた。普段ならこの上もなく冷静な判断をくだせるセルシオが、其処まで悩んでいたのは、その遠慮からくるものなのだろうか。
「サンキュ、ランティス」
 そう言って笑った顔は、珍しいくらいに穏やかなものだった。そして自分が手に持っていたグラスを見て、少し困ったような顔をする。
「参ったな、謝って許してくれるかな。弁償って言われたら困るんだけど…」
 そう言いながら、中に戻っていく。一言の断りも無かったが、別にそれが気になる事はない。そして殆ど入れ違いにイーグルがテラスに出てきた。
 恐らく、先程の二人の会話を聞いていたのだろう。
「余計な事だったか?」
「いえ、有難う御座います」
 問いかけると、微笑が返って来た。
 先程までセルシオが立っていた場所に、イーグルが立ち、同じように柵に肘を付き、空を見上げた。
「僕の言葉では、駄目だったでしょうから」
 目を閉じてそう呟く姿が、先程のセルシオの姿と重なる。けれど、浮かぶ感情は全くの別物だった。抱き締めたい、と思うのはイーグルだからなのだろう。
 その感情のまま抱き締めると、イーグルは抵抗もなくランティスの腕に収まる。安心しきったその様子に自然と笑みが浮かぶ。
「余り知りすぎていると、逆に言葉が伝わらない。人間関係っていうのは、難しいものですよね」
「言葉でなくとも、伝える方法はあるだろう」
 少なくとも、イーグルのセルシオに対する想いは伝わっている筈だ。昨夜ランティスにセルシオとヴォルツの事を話したのも、こうしてランティスが何がしかの言葉を告げるのを期待していたからではないのだろうか。ならば、間接的であるにしろ、イーグルもセルシオを助けた事になる。
「…そうですね」
「余り冷えると、体に毒だ。中に入ろう」
「僕より長い間外に居た人が、何を言っているんですか?」
 くすくすと笑いながら、イーグルはそれでも頷いた。
 テラスから中に入ると、セルシオがヴォルツに話しかけていた。というよりは、殆ど眠り掛けているヴォルツを、セルシオが起こそうとしていたのだが。
「ヴォルツさん、起きてください。こんな所で寝たら風邪をひきますよ」
「風邪なんぞひかん!」
 殆ど寝ぼけた様子でも、きっちりそう答えるヴォルツの様子に、ランティスはイーグルと視線を合わせて苦笑した。
 そして二人が中に入ってきた事に気づいたセルシオが同じように苦笑する。
「ランティス、ヴォルツさんを運んであげてくれ。俺の今の足じゃ流石に無理だから」
「解かった」
 頷くと、ヴォルツに近づく。
 こっくりこっくりと頭を揺らしているヴォルツを、セルシオに手伝ってもらい背に乗せる。小柄な体は本当に軽い。
「今日はこれでお開きですね」
「そうだな。もう寝るか。イーグル、もうランティスの部屋で寝ようなんて思うなよ」
「えー、いいじゃないですか、此処に居る間ぐらい」
 セルシオの言葉に、イーグルがそう言うと、ランティスは溜息を吐いた。朝、また同じように起こされるなら、本気で勘弁して欲しいのだが。
「じゃ、セルシオの部屋で寝てもいいですか?」
「自分の部屋で寝ろよ」
「折角泊まりに来て下さってるんですから、いいじゃないですかー」
「……解かったよ」
 我侭を言うイーグルに、セルシオは仕方が無さそうに溜息を吐く。
 とりあえず、自分に被害が及ばないことを良しとするべきなのか、それとも簡単に代わりが出来てしまうことを落ち込むべきなのか、ランティスは複雑な気分で階段を上ったのだった。



 翌朝。
 流石にセルシオと一緒だとイーグルの朝もそれなりに早いようで。
 ようするに、ランティスが起きてきたのが一番遅かった。とは言っても、矢張りセルシオが起こしに来たのだが。乱暴な起こされ方をしなかっただけ良しとするしかないのかも知れない。
 午前中は、イーグルとセルシオがチェスをしているのを、ヴォルツと二人でのんびりと眺め、昼食を取り、昼寝でもしようかと思った頃。
 呼び鈴が鳴り、誰か客が来たようで、セドリックが応対に出た。
 暫くすると、イーグルの前に来て一礼する。
「イーグル様、お客様がお見えになりました」
「あ、来たんですね」
 にっこりと笑って頷いたイーグルの様子と、その言動から以前から解かっていた来客なのだろう。一体誰が来たのかと首を傾げる。
「誰が来たんだ?」
「すぐに連れて来ます」
 ランティスの問い掛けにそう答えて、イーグルは足早に客を迎えに行った。
 そして数分もしないうちに、イーグルが客を連れてきた。
「よう、元気そうだな」
「お邪魔します」
 現れたのはもう此処一年程ですっかり見知った人物と、この間知り合った女性。
「ジェオ、エテルナ…。お前ら、何しに来たんだ?」
「何しにはねえだろうが。俺はイーグルに呼ばれて来たんだぞ」
 セルシオの言葉に、ジェオが不満そうに呟く。
 手にはなにやら大きな箱を持っていて、中からは微かに甘い匂いが漂ってきている。恐らくはジェオの作った菓子の類だろう。
「私は、たまたま今日休暇でジェオの家に行ったら、イーグルの家に訪ねるところだと聞いたので、一緒についてきました。セルシオさんの足の状態も見ておきたいですから」
 にっこり笑って言ったエテルナに、イーグルも笑い返す。
「お客様は大歓迎ですよ、エテルナ。賑やかな方が嬉しいですし」
「まあ、イーグルならそう言うと思ったけどな。ほら、お前のご注文の品だ」
 そう言って大きな箱をイーグルに手渡す。それを受け取りながら、イーグルは何処か悪戯が成功した子供のような顔で言った。
「それじゃあ、始めましょうか」



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