空と太陽の瞳 act.11



 ビジョン邸の前に着き、ランティスは思わずそれを見上げてしまう。
 元々オートザムの居住区は高層マンションが立ち並んでいるし、貴族等の家はそれ相応に大きなものなのだが、ビジョン邸はおそらく、オートザムの個人邸の中では最大のものだろう。
 何しろ、現大統領の実家であり、歴史的にも名高い名家である。
 イーグルはそんなランティスの驚きに目もくれず、家の呼び出しブザーを鳴らす。家人の声がして、イーグルがそれに答えると、すぐにドアが開いた。
「これはイーグル様、お帰りなさいませ」
「久しぶりですね、セドリック。今日はお客様も居るんです。暫くお泊りになるので、部屋の用意をお願い出来ますか?」
「お客様、三名様ですね。すぐにお部屋のご用意をさせて頂きます。まずは中にお入りになって、リビングでお寛ぎくださいませ」
「有難う御座います」
 セドリックという、老執事に促されるまま、イーグル以下、ランティス、セルシオ、ヴォルツは家の中に入り、リビングに案内された。
 セルシオが杖を付いているのを目敏く見つけ、メイドが二人セルシオの脇に立ち、さり気無く支えた。手馴れた様子に思わず感心してしまう。リビングに通され、ソファに座ると、ほっと息を吐く。
 気を張る事はないと言われたとはいえ、初めて来る家で、更にこれだけ大きな家、そして使用人。緊張しない方がどうかしている。それはセルシオやヴォルツも同じらしく、どうにも落ち着かない様子だ。この家で生まれ育ったイーグルは慣れたものなのかも知れないが、三人にとっては異次元に近い。
「どうにも据わりが悪い。やっぱりこういう豪邸は俺の性には合わないな」
「それはワシも同じじゃて。生まれてこの方、こんな豪邸に入ったことはないんじゃからな」
「そう言わないでください。何日か居れば、すぐに慣れますよ」
 そうは言うが、この家だけでも迷ってしまいそうな広さなのだ。慣れるのに数日で済むものだろうか。それでも結局此処に来てしまったのだから、今更何を言ったところで遅いのだが。
 そう話しているうちに、先程の老執事がお茶を持って来た。
「どうぞ」
 そうして、暖かい湯気が立ち上るカップを四人の前に置いた。
「申し遅れました、私、ビジョン家の執事長を務めさせて戴いております、セドリック・カムリと申します。何か御用が御座いましたら、何なりとお申し付けください」
「セドリック、今日は、父上は?」
「大統領官邸で泊り込みのようで御座います。暫くは帰って来れないとご連絡戴きました」
「そうですか。偶に僕が休みなっても、本人が此れじゃ、会いようがないんですよね」
 苦笑いを浮かべるイーグルに、セドリックも優しげな笑みを浮かべた。
「旦那様もお忙しい方ですから。ですがいつも一番にイーグル様のことを考えていらっしゃいます」
「お客様の前でそういうことを言うのは止めて下さい。ところで、部屋の用意は出来ましたか?」
「ええ、ご用意出来ました。ところで、お食事は如何なさいますか?必要であればこれから作らせますが。それとも、もうお休みになりますか?」
 セドリックの問いかけに、イーグルはお茶を一口飲んで答えた。
「食事はまだなんです。お願いできますか?」
「畏まりました。それではもう暫くお待ちください。一旦お部屋へ向かわれるのでしたら、其処にいるメイドに声をお掛けください。案内させて頂きます。そちらの方は足の具合がよくないようでしたので、二階の客間で一番階段から近い部屋にさせて頂きました。もし不自由があるようでしたら、何なりとお申し付けください」
「有難う御座います」
 セドリックの言葉に、セルシオが礼を言う。
 一を聞いたら十は帰って来る答えに、若干呆気にとられながら、ランティスはセドリックを見る。自分が普段無口なだけに、これだけよく話す人間には感心する。まぁ、今のランティスの周りには、随分よく話す人間が多いのだが。
 セドリックが一礼して立ち去ると、セルシオがふぅっと溜息を吐いた。
「ホントに、執事の居る家なんて初めてだぞ、俺は」
「これも経験ということで。一旦部屋に行きますか?」
「いいよ。大した荷物がある訳でもないし」
「しかし、良かったのか?ワシみたいな老いぼれまで一緒に呼んで」
「いいんですよ。ヴォルツさんにも是非来て頂きたかったんですから」
 にっこりと笑顔を浮かべるイーグルに、ヴォルツはそうか、とだけ言った。
 イーグルがヴォルツを慕っているのは傍から見てもすぐに解かる。一見すると、祖父と孫、というような雰囲気だ。イーグルもそんな気分がしているのかも知れない。
 暫くすると、食事が運ばれてきた。これも、いつも食べている物と比べられないくらいの、豪勢な食事である。
「これは凄いな……流石ビジョン家ってとこか。行き成り来たのにこれだけの食事が出るんだから」
「僕は、ジェオやセルシオが作ってくれる御飯の方が好きですけど…」
「お前、プロと俺やジェオの片手間料理を一緒にするなよ」
「好みは人それぞれなんです」
 セルシオは苦笑いを浮かべるが、褒められて悪い気はしないだろう。
 料理を食べてみれば、どれも本当に美味しいものだった。ビジョン家で出る食事だ。当然高級な食材を使い、一流のコックが調理しているのだろう。それに何より、久しぶりに帰って来た主を精一杯もてなそうという、暖かさがあるように思えた。
「美味いな」
 正直にそう呟くと、イーグルが笑みを浮かべる。
「そうですか?」
「うむ、確かに美味いな。こんな高そうな料理、滅多に食う機会もないじゃろうからな、今のうちに食っておこう」
「だからって、慌てて食べて喉に詰まらせたりしないでくださいね」
「そんな馬鹿なことをする訳ないじゃろう」
 憎まれ口を叩くヴォルツだが、それに答えるイーグルは楽しそうだ。
 セルシオとヴォルツが一緒に来る、ということで、内心少し大丈夫なのだろうかと思って居たが、ヴォルツが専用機の件を切り出さなければ、至って平和な会話が進むようだ。
 一通りの食事が済むと、イーグルはセドリックを呼んだ。
「彼らはあまり堅苦しいのがお好きではないので、こちらから呼ぶ時以外は出てこないで貰えますか?」
「畏まりました」
 また一礼して去っていくセドリックを見送って、イーグルが立ち上がる。
「さて、それじゃあ部屋に行きますか?メイド達に案内させますが」
「場所さえ教えてもらえば自分で行ける」
 ランティスがそう告げると、セルシオとヴォルツも頷いた。どうにも、メイドという存在自体に慣れないのだ。それにどうも、先程からやけにメイド達から視線を感じるのが、気になって仕方ない。セルシオもそれは同じらしく、珍しく落ち着かない風情だ。
 この何処かむず痒い視線から早く逃れたかった。
 それに気づいたのか、イーグルがくすくすと笑う。
「ランティスやセルシオみたいに素敵な男性が来たから、気になっているんですよ、みんな」
「俺はどっちかってーと、監視されてるような気分になるよ」
 セルシオの言葉に、ランティスも頷く。その様子を見て、イーグルは笑いながら、
「じゃあ、僕が案内しましょう。メイド達にも下がらせます」
「頼む」
 結構真剣にそう言うと、イーグルはメイド達に下がるようにと伝える。多少不満そうな顔をしては居たが、すごすごと部屋から出て行った。


 その後、イーグルにそれぞれ部屋に案内され、ランティスも宛がわれた部屋のベッドに腰を下ろし、ようやく落ち着いた気分になった。
 そうして辺りを見回すと、客間、というにも豪奢なものだった。置いてある調度品も、どれも一級の物であろうことは見て解かるし、座っているベッドだって手触りにしても、スプリングの具合にしても、普段軍で宛がわれた部屋の物と比べるまでもないくらいに違うのだ。
 この家で育ったのに、よく軍のあのような設備で満足していられるな、とランティスは思わず感心してしまう程だ。此処で慣れていたら、軍での暮らしなど、不自由なものでしかないように思える。
 しかし、ランティスにしてみれば、これだけ豪奢な部屋はどうにも慣れない。ずっと旅をしていて、あまり贅沢の言える生活ではなかったから、余計になのかも知れないが。セフィーロではそれなりの地位ではあったから、もっとまともな生活もしていたのだ。
 ベッドに寝転び、天井を見上げる。
 何だか、今更ながらに奇妙な心地がする。こうして、今、自分は現オートザム大統領の本宅に居るのだ。イーグルと出会わなければ、此処に来ることはまず無かったに違いない。それが嫌である筈もなく、イーグルの側に居ると、ランティスは忘れかけていた温もりを思い出すのだ。
 そうして考え事をしていると、不意にドアをノックする音が聞こえた。
「誰だ?」
「僕です。開けてくれますか?」
 イーグルの声を聞き、ランティスはドアを開けた。
 そのドアを開けた先には、にっこりと笑顔を浮かべたイーグルが、枕を持って立っていた。服は、いつもランティスが見ている軍装とは違い、薄く白い肌着だった。
「ランティス、この部屋で一緒に眠っても良いでしょうか?」
「…一緒に?」
 何故、とまず疑問に思う。イーグルには自室がある筈だし、それは恐らく、この客間などよりもずっと豪華で、イーグルにとって馴染みのある部屋の筈だ。
 その疑問を察したのか、イーグルは少し悲しげな笑みを浮かべた。
「僕、今まで友達に、家に泊まりに来て貰ったりとか、泊まりに行ったりとか、したことないんです。だから、一度、遊びに来た友達と一緒に寝たりとかって、してみたかったんです」
 悲しげな笑みを浮かべながら、上目遣いでランティスの様子を伺うように見つめてくるイーグルに、思わず溜息を吐く。
「駄目…ですか?」
「いや、俺は別に構わないが。ベッドは一台しかないし、二人で寝るには狭いと思うが」
 そもそも、あんな風にイーグルに見つめられて、断れる筈がない。わざとやっているのか、いないのか。どちらにしても、結果は変わらないだろうが。
「くっついて寝れば大丈夫ですよ。ね?」
 既に枕持参のイーグルには、何を言っても無駄だろう。ランティスは苦笑いを浮かべて、イーグルを部屋に招き入れた。
 イーグルは嬉々としてランティスのベッドに、自分が持って来た枕を並べる。まるで子供のようなその様子に、微笑ましくなる。
 それだけで、まぁいいか、という気分になって、結局二人で身を寄せ合ってベッドに入ったのだった。元々小さいサイズでないとはいえ、男二人寝るには狭いベッドだ。自然イーグルを抱きこむような形で横になる。
「ふふっ、何だか、妙な感じですね」
「こうしたいと言ったのはお前だろう」
「そうですね」
 そう言って笑って、ランティスの胸に顔を埋めてくる。柔らかい髪を撫でると、気持ち良さそうに目を瞑った。
「……ランティスは、セルシオとヴォルツさんのこと、どう思います?」
「どう、とは」
「二人の仲、どう見えますか?」
「悪いとは言わない」
 良いとも言えないが。それを感じ取ったのか、イーグルは真剣な表情を浮かべる。
「あの二人には、もっとちゃんと、解かり合って欲しいんです」
 二人とも、僕にとっては大切な人ですから、とイーグルは微笑を浮かべる。その笑顔は、何処か悲しげだった。
 その様子を見て、今まで気になっていたことを、ランティスは尋ねる。
「セルシオは何故、専用機を持つのをああも頑なに拒むんだ?」
 イーグルは少し迷うような表情を浮かべ、ランティスの服をぎゅっと掴んだ。
「……ヴォルツさんが最後に一人で作り上げた専用機はFTOです。FTOが完成したのは5年前、その後ヴォルツさんは丸一ヶ月、起き上がることが出来ない状態になりました」
「…」
 それはつまり、専用機を一人で作り上げるということは、それだけ大変な作業だということなのだろうか。ランティスは、実質がどういうものなのか、全く解からない。
「最初から最後まで、一人で作り上げるには、膨大な精神エネルギーと体力を必要とします。若い頃ならば兎も角、今のヴォルツさんの年齢と体調を考えれば、次に一人で専用機を作り上げるのは、間違いなく命がけの作業になります」
「それで…」
 それで、セルシオはああも頑なに断っていたのか。もし専用機を作ってもらえば、ヴォルツの命の保障はないから。
 それならばセルシオが断るのも頷ける。しかし、ヴォルツの気持ちも、何となく解かってしまうのだ。それはイーグルも同じなのだろう。だからこそ、二人の事に目立った口出しはしないでいるのだ。
「セルシオは、ヴォルツのことを苦手にしているのだと思っていた」
「苦手…と言うよりは、遠慮をしているんだと思います。お互いに」
「お互い?」
 セルシオは兎も角、ヴォルツの何処が遠慮をしているのだろうか。思わず聞き返すと、イーグルは苦笑いを浮かべる。
「誤解されやすいですけど、ヴォルツさんも、色々と思うところはあるようですよ」
「よく解からん」
 その答えにまたイーグルは悲しげな笑みを浮かべて、ランティスの胸に顔を埋める。
「今回の事が、あの二人の話し合う機会になってくれればいいんですが」
「…そのために誘ったのか?」
「それもありますけど、皆とゆっくり休日を過ごしたかったのも本当です」
「そうか」
 ゆっくりとイーグルの髪を撫でると、嬉しそうに目を瞑る。
「もう、寝ましょうか」
「ああ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 イーグルが目を閉じるのを見つめて、ランティスもそっと目を閉じた。
 腕の中の温もりを感じながら、すぐに睡魔は襲ってきた。
 睡眠は、二人にとって何よりの憩いである。



 四人の中で、一番朝早く起きだしたのはセルシオだった。一人で階段を下りるのは流石に大変だったが、どうにもメイドの手を借りる気にはなれず、結局一人で下り、リビングに行った。
 其処に居たメイドにお茶を頼むと、間をおかずにヴォルツが下りてきた。すぐに二人分にお茶を追加してもらい、そのソファに二人で向かい合わせに座った。
 こうしてヴォルツとゆっくり二人で過ごすのは初めてかも知れなかった。ヴォルツは、いつも口を開けば「専用機を持て」とそればかりだったから。
 何を話すでもなく、お茶を飲んでいると、セドリックがやってきた。
「朝食のご用意が出来ましたが、お召し上がりになりますか?」
「有難う御座います、戴きます。ところで、イーグルとランティスはまだ寝ているんですか?」
「そのようで御座います。イーグル様は休日の朝はいつもごゆっくりされておりますし。これからお起こししに行こうかと」
「じゃあ、俺が行きますよ」
 そう言ってセルシオが立ち上がると、セドリックがそれを制する。
「しかし、セルシオ様は足の具合がよろしくないのでしょう。無理はなさらないでください」
「いいえ、少しは動かないと、身体が鈍ってしまいますから」
「そうですか。それでは、宜しくお願い致します」
 セドリックが深々と頭を下げるのに苦笑しながら、リビングを出た。どうにも、あそこまで過ぎた敬語を使われると、こちらまで丁寧な口調になってしまう。元々セルシオは年長者には敬意を表することにしている。尊敬に値する人間に対してのみ、ではあるが。
 セルシオは杖をつきながら階段を上る。下りるよりは上る方が楽だ。メイドが手伝いたそうにしているのを幾度か目にしたが、丁重に断る。そうして、最初にランティスの部屋の前まで来た。ランティスは、セルシオの部屋の隣だった。
 一応ノックをしてみるが、返事は無い。
 予想済みのことである。これぐらいで起きてくるなら、もっと早く起きるだろう。
 ドアを開けると、しかし、流石のセルシオも一瞬、脳の機能を停止させた。目の前に飛び込んできた映像は、ショックが大きかった。
 よりにもよって、ランティスとイーグルが一つのベッドで寝ているなんて。
 もしこれをジェオ辺りが見ていたら、それこそ雄叫びを上げて二人を問いただしていたに違いない。そして、この家中にその事が知れ渡っていただろう。しかし、流石にセルシオはあらぬ誤解をしたりはしない。まだ理性的だ。
 この状況を見たら大体の展開は予想できる。
 これで、裸で寝ていられたりしたら、セルシオはまず間違いなくランティスを再起不能にしていただろうが、二人ともちゃんと服を着ているし、穏やかに寝息を立てている。体を寄せ合って寝ている様はまるで仲の良い兄弟のようではないか。若干一緒に寝るには年が行き過ぎているが。
 そう、危惧することは何も無い。
 だがしかし。
 そう、自分の心の平穏は、目の前の光景に間違いなく乱されたのだ。その責任はとってもらっても構わないだろう。どのみちこの二人は起こさなければいけない訳だし。
 そんな不穏なことを考えながら、セルシオは二人が寝ているベッドに近づいた。二人とも全く起きる気配がない。無用心もいいところだが、二人とも立派な戦士だ。赤の他人が近づいたのなら、すぐさま目を覚ますだろう。それで起きないという事は、それだけセルシオが信用されている、ということに他ならない。
 だがしかし、今回その信用は命取りである。
 セルシオは無言で二人が掛けているシーツをめくった。これくらいでこの二人が起きる訳がないことも予想済みである。
 そして、にっこりと笑顔を浮かべた。セルシオという人間を知らないものならば、思わず見蕩れてしまいそうな、そして、セルシオを知る人間ならば、裸足で逃げ出すような笑顔である。
 ランティスの丁度、鳩尾の上に肘を垂直に立て、セルシオは真っ直ぐに勢い良くそれを落とした。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
 ランティスは声にならない叫び声を上げ、まともに入った鳩尾を押さえて暫く蹲っていた。
 見事に決まった。随分痛そうだが、大丈夫だ。ランティスはこれぐらいでは死なない。流石にその様子を感じたのか、イーグルが目を覚ます。
「……どうかしたんですか、ランティス?」
「お早う、イーグル。目は覚めたか?」
 寝ぼけた様子で目を擦るイーグルに、セルシオは優しく言う。鳩尾を押さえたまま、ランティスは恨みがましくセルシオを睨み付けた。
「…もっと優しく起こせないのか?」
「だったら、お早うのキスでもしてやろうか?」
 にっこりと笑ってそう言うと、ただでさえ青くなっている顔を更に青くしてランティスは首を横に振った。此処で頷かれても嫌なものだが。
「お早うのキス…?」
 寝ぼけたイーグルが、セルシオに抱きついてきて、頬にキスをする。
「お早う御座います」
「お早う、イーグル」
 セルシオもイーグルの頬にキスを返すと、今度はなにやら複雑そうな顔のランティスが目に入った。当然、セルシオにもイーグルにも、色気の色の字も入らないやりとりである。というか、イーグルが寝ぼけているからこそである。
 しかし、イーグルはそのランティスの様子に気づいた様子もなく、にっこりと笑顔を浮かべて、今度はランティスにもキスをしようとする。
「ランティスにも、お早うのキス〜…」
「イーグル」
 キスされそうになったランティスは、珍しく顔色を真っ赤に変えているが、其処を止めに入る。
「ランティスは、お早うのキスをされるのは嫌なんだそうだ」
「…そうなんですか?」
 小首を傾げている様は酷く可愛らしく映る。しかし、これも全て、寝ぼけているからに他ならない。先程から青くなったり赤くなったりのランティスは、また複雑そうな表情を浮かべている。そんなにイーグルにキスして欲しかったのだろうか。
 どっちにしろ、そんなもの許しはしないが。
「……お前は、俺の事が嫌いなのか?」
「そんなことはないぞ?嫌いなヤツとは、俺は口も利かない」
 ランティスの問いにそう答えたのは全くの本心である。むしろランティスは気に入っているぐらいだ。
「そう…なのか?」
「そうだ。ほら、イーグル、ちゃんと起きろよ。セドリックさんが、朝食出来たって言ってたぞ。食べるんだろう?」
「…食べます」
「じゃ、起きて。部屋に戻って着替えるんだ」
「はい」
 イーグルを立ち上がらせる。まだ半覚醒のイーグルは素直に立ち上がるが、明確な意識はない。ランティスはどうしてこうも自分とイーグルへの扱いが違うのだろうかと、本気で悩んでいるようだった。だがしかし、そんなことはセルシオの知ったことではない。
「ランティスも、さっさと着替えてリビングに行けよ。しっかり目は覚めただろう?」
「…ああ」
 深々と溜息を吐いて頷くランティスを尻目に、セルシオはイーグルを伴って部屋を出たのであった。


 朝食の席でも、イーグルはまだ寝ぼけ眼である。
 イーグルは朝が弱い。それはもう皆が知っていることであるから、誰も気にしては居ない。とりあえず、ちゃんと朝食を摂っているし、そのうちはっきり目が覚めるだろう。
 ランティスは、どうにも朝からついていない、と思う。
 何故、朝からこんなに苦しい思いをしなければならなかったのか、本気で理解出来ないのだ。しかし、セルシオに文句を言う勇気は、流石にない。
 本能がセルシオに逆らってはいけないと警告している。
「イーグル」
「はい…?」
 セルシオが名前を呼ぶと、イーグルが何処かぼんやりした調子で返事をする。
「此処、ついてるぞ」
「何処ですか?」
 セルシオの指摘に、イーグルの顔を見ると、確かに食べかすが口元についてしまっている。イーグルはとろうとするが、どうにも見当違いの場所を擦っている。
「此処だよ」
 そう言ってその口元についている食べかすを手で取ると、そのまま自分で食べてしまう。あくまでも自然な動作だが……良いのだろうか。
 イーグルは、子供扱いされるのは余り好きではない。利用出来る時には充分利用するが、そうでなければ、完全に臍を曲げるのだ。だが、それすらも気にした様子はなく、イーグルは平然と受け止めている。これも矢張り、寝ぼけている所為なのだろうか。
 兎も角も、これからの数日間、ずっとこの調子なのだろうか、と思うと、ランティスは少しばかり、憂鬱になるのだった。



BACK   NEXT



小説 B-side   魔法騎士レイアース