今日は朝からイーグルの機嫌が悪かった。 機嫌が悪いというよりは、兎に角朝から逃げようとしていた。 「………」 「拗ねても駄目だ」 むすっとした表情で睨みつけてくるイーグルを、ジェオは仁王立ちで行く手を遮る。 今日イーグルが着ている服はいつもとは違う、白を基調とした正装で、ジェオもまた同じように、こちらはどちらかと言えば緑を基調にした正装だ。 他の面々はいつもと変わらないが、この二人だけは正装をしている。 その理由と言うのも、オートザム国大統領が本日、軍の視察に訪れることになっているからだった。 「だが、何故そんなに嫌がるんだ…?」 「来たら解かるよ」 ランティスの疑問に、セルシオは肩を震わせながら答える。不機嫌なイーグルと対照的に、セルシオは朝から楽しげだ。 オートザム国大統領と言えば、イーグルの父親だ。確かに公の場で父親と会うのは気恥ずかしい面もあるだろうが、だからと言って此処まで逃げる必要もないのではないだろうか。 「…ジェオの馬鹿。分からず屋」 「馬鹿でも分からず屋でも結構。これも仕事だ」 朝から二人は睨み合ってこの調子だ。というより、嫌がるイーグルを無理矢理ジェオが引きずって連れてきていた。其の時からこの調子で、ようするに、朝から仕事らしい仕事は何もしていない。 というよりは、イーグルを此処に引き止めることこそが仕事、ということだろうか。 「…。ジェオ」 「ぶっ!?」 にっこりとイーグルが笑顔になったかと思うと、突然ジェオの顔に何か吹きかけ、くるりと向きを変えて逃げ出した。 「ランティス、捕まえてくれ!」 ジェオの言葉に咄嗟に反応して、ランティスは素早くイーグルの前に回りこみ、左腕を掴む。 「……ランティス、何でジェオの言うことを聞くんですか」 「いや…」 恨みがましく睨みつけてくるイーグルに、返事に窮する。しかし、ランティスは悪くない筈だ。逃げようとするイーグルが悪いのであって。 「司令官は僕ですよ?」 「しかしだな…」 仕事から逃げようとする司令官を捕まえるのは悪くない、筈だ。兎に角イーグルを捕まえてはいるものの、何故逃げるのかも解からないのだから、何とも答えられない。 暫くイーグルはじーっ、とランティスを睨みつけていたが、不意に視線を落とした。 諦めたのだろうか。 「ランティス、イーグルの右手を押さえろ!」 咄嗟に飛んできた声に反応して、空いている方の手でイーグルの右手を掴んだ。その手には、先程ジェオに吹きかけたものと同じ物が握られている。なるほど、同じ手を使って逃げようとしたらしい。 「…邪魔しないでください」 「馬鹿言え。俺の作った物で、何も知らないランティスが痛い目見るのは流石に可哀想だろうが」 先程の声はセルシオらしく、イーグルが今度はそちらを恨みがましく睨みつけている。というか、一体このスプレーは何なのだろうか。 ランティスの視線の先に気づいたのか、セルシオがそのスプレーの説明をする。 「胡椒、唐辛子、その他諸々の刺激物で作った催涙スプレーだ。取り敢えず、ちゃんと洗えば目が赤くなる程度で済むぞ。ということで、ジェオ、さっさと顔洗って来い」 「…お前なっ、そんなものを作るな!」 「相手を怯ませるには有効なんだぞ。こういう用途で渡した訳じゃない。それより、むさい男の泣き顔なんぞ見たくないからとっとと顔洗って来いよ」 ジェオはまだ何か言いたげだったが、顔を洗いに行った。セルシオは溜息を吐き、イーグルに近寄ってスプレーを取り上げた。取り敢えず、未だにランティスはイーグルの両腕を掴んでいる状態のままなのだが、どうしたらいいのだろうか。 「ランティス、取り敢えず手はそのままで注意事項だ。足元も油断するなよ。どっから何が飛んでくるか解からないから」 「セルシオ!」 「言っとくが、味方攻撃するために渡した訳じゃないからな」 「セルシオだって、時々自分で作った物で味方攻撃してるじゃないですか!」 「加減は弁えているつもりだ」 というか、それ以前にこんな物作らないで欲しいのだが。そして、正装の時にはこんな物は身につけないで居て欲しい。取り敢えず、ランティスはイーグルの手を握ったまま、足元の気配にも気をつけてこのままの状態で居るしかないらしい。 「大体、何でそうまでして逃げるんだ?」 「ランティスには解かりませんよ…」 「父親に会うのが嫌なのか?」 「…会うのが嫌なんじゃなくて、会った後に起こる事が嫌なんです」 拗ねた顔でそう呟くイーグルに、ランティスは尚更訳が解からない。 そうこう会話しているうちに、ジェオが戻ってくる。 「全く、酷い目に合った…」 まだ少し目を痛そうに擦っているが、何とか平気そうだ。目は少し赤くなっているが。そして、ランティスとイーグルを見た後、目を瞬いた。 「…随分と妙な格好だな」 「出来ることなら腕を放したいんだが」 「僕としても放して欲しいです」 「いや、そのままで居てくれ」 「…」 向かい合って腕を掴んでいる様はどうにも奇妙だ。見ようによってはダンスを踊っているようにも見えないことは無い。 ジェオは最初のうちは驚いていたが、すぐに慣れてどうでも良さそうな風だし、セルシオは逆に面白がって見ている。何故、自分がこのような状態で居なければならないのか、ランティスは酷く納得がいかない。 「そろそろ大統領が来る時間だな」 「うー…」 「さて、覚悟決めて行くぞ」 ジェオが時計を見て確認すると、唸っているイーグルの腕をランティスから放し、今度は自分が掴んで引っ張っていく。殆どずるずると引きずられるようにして、イーグルはNSXの搭乗口まで引っ張って行かれた。 セルシオは面白がりながらそれに着いていき、何となく手持ち無沙汰のランティスも、その後に続いた。特にすることが無かった所為だし、イーグルが何故そんなに嫌がるのかも気に掛かる。 搭乗口の傍にイーグルとジェオは並び、それより少し後ろにランティスとセルシオは立ち止まる。二人以外にも数名のファイターやメカニックなどが様子を伺いに来ている。まるで見物客のようだ。否、まるで、ではなく、本当に見物しに来たのかも知れない。 暫くすると、搭乗口が開き、数名の男性が中に入ってくる。其の中でも一際目立つ正装の男性が、この国の大統領であり、イーグルの父親でもある、イオス・ビジョンだ。 親子ではあるが、あまり似ては居ない。イオスは長身で、焦げ茶色の髪は見栄え良く固めてあり、漆黒の瞳を持っている。見た目はまだ二十代後半ぐらいにしか見えないが、恐らくはもう40に手が届く年の筈だ。イーグルに比べると男らしい…と言うとイーグルが怒るかも知れないが、どちらかと言えば野性味溢れる風情で、親子と言われても共通項を見出すのは難しい。 敢えて似ていると言えば、その強い瞳だろうか。 その大統領が中に入り、イーグルを認めた途端の事だった。 「イーグル!」 ぱっと顔を輝かせ、駆け寄る。イーグルは一瞬怯んだように後退るが、そんな事は気にもせずに抱き締めた。 「閣下っ!」 「イーグル、会いたかったぞ!家に帰っても滅多に居ないからなぁ」 「止めてください、人前で!公私混同はしないでくださいと何度も…っ」 「冷たいな。久しぶりに会った父親に対して、それは無いだろう?」 「僕を軍に入れたのは貴方でしょう!」 そう言葉を交わしながらも、イオスはイーグルをしっかりと抱き締めて離さない。そのイオスの顔は、大統領のものではなく、すっかり父親…しかも親馬鹿の類の顔だ。緩みきっている。 イーグルは何とか父親の腕から逃れようとしているが、父親の方が大分長身である上に体格もいい所為か、どうにも抜け出せないで居る。 「はーなーしーてくーだーさーいーっ!!」 「嫌だ!」 即答して息子を放そうとしないイオスに、ランティスは暫く唖然としていたが、ジェオや、イオスと共に来た者達――恐らくは秘書やボディガードの類だろう――は苦笑いを浮かべながらも微笑ましく見守っている。ようするに、いつもの事なのだろう、これは。 「何ヶ月ぶりだ?半年ぐらいか?ちゃんと御飯は食べてるか?睡眠は…?」 「お会いするのは前回の視察の時ですから、丁度半年前です。睡眠も食事もちゃんと摂っていますから、ご心配なさらず…いい加減に放してください、本当に!」 「どうしてお前はそう冷たいんだ!半年も会ってないのに、平然と…もっと休日に家に帰ってきてくれれば…」 「閣下!!仕方ないでしょう、纏まった休みなんてそう取れないんですから」 イーグルは、兎に角必死にイオスから離れようとしている。人前でこうして父親に抱き締められているのは、相当恥ずかしいのだろう。 それにしても、これが本当にこの国の大統領の姿なのだろうか。 隣に居るセルシオは楽しげに肩を震わせている。確かに、見ようによってはイーグルがいつものペースを完全に崩されている様は、人によっては楽しいのかも知れない。流石に、ランティスはそうは思えず、逆に可哀想に思えてくるのだが。 「本当に、日を追うごとにティアナに似てくるな、お前は…」 「あーもうっ、閣下!いい加減にしてくださいって!!」 兎に角大統領はイーグルに構い倒し、イーグルは只管文句を言い続けるが、大統領もそこはそれ、全く気にした風もなく、一頻り抱き締めた後、ようやくイーグルから離れた。 やっとのことで開放されたイーグルは、肩で息をしている。 これが毎度の事ならば、嫌がるのも無理はないのだろう、確かに。 しかし、イオスの親馬鹿ぶりは離れてそれで終わり…ではなかった。二人の様子を見守っていたジェオに視線を移すと、しっかりと手を握った。 「ジェオ、いつもイーグルの面倒を見させてすまないな」 「いえ、閣下にそう言って頂けるだけで光栄です」 「これからも、イーグルをよろしく頼む」 「はい」 「閣下!何を言ってるんですか!!ジェオも普通に答えないでくださいっ!!」 …改めて思う。 これは、軍の視察ではなく、ただの息子に会うための口実であり、息子と仲良くしてやってくれ、と親がその友人達に頼み込むような、そんな行事だ。 ようするに、矢張りどうしようもない、親馬鹿なのだろう。 ジェオに挨拶をした後、イオスはこちらに歩み寄ってくる。セルシオの前で立ち止まり、またしっかりと手を取った。 「久しぶりだね、セルシオ。イーグルが君に迷惑をかけてはいないか?」 「いいえ、閣下。大丈夫です」 にっこりと笑って答えている様子を見て、セルシオでも大統領相手では遠慮をした物言いをするのか、と意外に思う。だが、 「戦闘に置いても、イーグルが真っ先に突っ込んで行きますから、逆に心強いぐらいですよ」 「…そうか。やっぱり、そうなのか」 更に続いたその言葉に、例え大統領相手でも、セルシオの対応は変わらないのだな、と妙に実感することとなったのだった。 イーグルは余計なことは言うなとばかりにセルシオを睨みつけているが、当の本人は気にした様子もなくにっこりと笑顔を浮かべている。 そして、イオスはセルシオの後に、ランティスに視線を向ける。 「君が、ランティスかね?セフィーロからの旅行者という…」 「…はい」 何故、自分のことを知っているのか、と問うべきなのだろうか。それとも、矢張り他国から入国してきた者にはそれなりに注意している、という事なのか。ただ単に息子の部隊に入ったから気になっているだけなのか。 どれなのだろう。 「いろいろと噂は聞いているよ。何しろ、ファイターメカの演習でイーグルに勝ったそうじゃないか」 「はぁ…」 「いや、別に怒っている訳じゃないよ。むしろ感謝している。イーグルはあれで無茶ばかりするからね、それを止めてやれるぐらいに強い人が身近にいてくれると安心だ」 「閣下、ちょっと止めて下さい!」 「何故だ。父親として息子の事を頼むのは当然の事だろう」 「貴方は息子の同僚を鑑定しに来たのではなくて、視察に来たんでしょう!!」 イーグルが隣で怒鳴っているのを矢張り全く気にせず、セルシオはランティスの手を取って握り込む。 「今後も、息子の事をお願いする。何せ本当に、見た目によらず頑固者で無理ばかりするから…」 「閣下!!」 「事実だろう。黙っていなさい。兎に角、よろしく頼むよ、ランティス」 「………はぁ」 何とも、気の抜けた返事しか出来ない。というよりは、普通はこれは、一国の大統領がする事ではないだろう。どう考えても、目の前に居るのはオートザム国の大統領ではなく、ただの親馬鹿だ。 イーグルは顔を真っ赤にしながら父親を止めようとするが、何処吹く風、と言った調子でこの後もイーグルの隊に居る者たちに次々と声を掛けて行った。 そしてそれから30分程したところで、ストップが掛かった。 イオスと一緒に来た、側近らしき男が声をかける。 「閣下、そろそろ移動するお時間です」 「もうそんな時間か?」 「はい。時間が押していますので、次の場所へ参りますよ」 「…次回は、もう少し此処に居る時間を延ばせないか?」 「馬鹿を言わないでください。こうして此処で好き勝手させているだけでも、大したサービスなんですからね。我侭は大概にしてください」 「う…っ」 「それじゃあ、行きますよ」 そう言って、その秘書に半ば引っ張られるようにして、イオスはその場を後にした。 その拗ねた様子を見て、ランティスは確信する。イーグルとイオスは、間違いなく親子だ。…拗ねた様子が、全く同じだ。 イオスが立ち去った其の後は、台風が過ぎた後のように静かになった。 父親の隣で怒鳴り続けたイーグルは、ぐったりと疲れ果てている。無理もないだろう。イオスは、イーグルより更に我が道を行く人間だと、短い時間の間でもよく解かった。 「ジェオ…もういいですよね?これ以上、此処に居る必要はないですよね?」 イーグルが地の底から這うような低い声で、ジェオに問いかける。ジェオは苦笑いを浮かべて答えた。 「ああ、お疲れさん。暫くは休憩して貰って構わねーよ」 「いっそこのまま帰りたいです」 「流石にまだ、仕事が残ってるからそれは無理だがな」 そう言いながらも、ジェオはイーグルが出て行くのを苦笑いを浮かべたまま見守った。 「…良かったのか?」 「あれ以上拗ねられると、手が付けられなくなるからな」 「そうなのか?」 「ああ。加減を見ないと痛い目に合うからな」 長い付き合いの所為か、ジェオはすっかり悟りきったようにそう言う。しかし、放っておいては戻っては来ないのではないのだろうか、イーグルの場合。 しかし、その疑問は尋ねるでもなく氷解した。 「そうそう、二時間ぐらいしたら、迎えに行ってやってくれ。多分、お前達が初めて合った、軍施設の人工庭園に居ると思うから」 「そうなのか?」 「休日でもないから、そう遠いところには行かんだろ。二時間ぐらいすれば落ち着いてくるし、逆に誰も迎えに行かないと、返って拗ねる」 「よく解かってるんだな」 「付き合いは長いからな」 苦笑いを浮かべているが、ジェオも大概過保護ではないのだろうか。結局解かっている範囲でイーグルを甘やかしているように思えてならない。 そう考えながらも、ランティスも実は人の事が言えないということを、自分では解かっていないのだったが。 そして二時間後。 ランティスはジェオに言われた通りに人工庭園に向かう。 確かに、イーグルは其処に居た。始めて逢った時は木の上で寝ていたが、今回は根元で蹲っている。ランティスは何と声を掛けたらいいものか解からず、無言で歩み寄る。 すぐ傍まで行くと、イーグルはようやく顔を上げた。 「イーグル」 名前を呼んで屈み込むと、不意にイーグルが抱きついてきた。その様子に溜息を吐く。 「父親にも、こうやって甘えればいいんじゃないのか?」 「あんな、公衆の面前でですか?」 「俺には人前ででも平然と抱きついてくるだろう」 「ランティスはいいんです」 一体何が違うのだろうか。そう思ってはみても、聞いたところでどうせ無駄だろう。溜息を吐いて、イーグルの背中を軽く叩いてやると、尚更強くしがみ付かれた。 「そろそろ戻るぞ」 「……もう少し、待って下さい」 ぎゅっと抱きついてくるイーグルの背を撫でながら、ランティスは自然と笑みが零れる。先程までと全く違う、子供のような様子が、微笑ましく思える。 「滅多に家に帰らないのは、あの人だって同じなんですよ?」 「…そうか」 「会いたくない訳じゃないし、嬉しくない訳でもありませんけど……やっぱり時と場所は考えて欲しいじゃないですか。自分の父親があんな風になるところを見て、恥ずかしくないと思いますか?」 「いや…」 確かに、恥ずかしいだろう。ランティスでも、そう思う。自分の両親はそんなタイプではなかったが、イオスはイーグルを目に入れても痛くない程に可愛がっているのはよく解かった。 「しかし、お前は父親に似ていると思うがな」 「え…?何処がですか?」 「性格がな…」 「…尚更どういう意味ですか…」 最初は驚いたような顔をしていたイーグルが、性格が、と言った瞬間に不機嫌そうになる。どうやら、イーグルもあの父親の性格は持て余しているらしい。 「あの側近の男に引っ張っていかれた様子なんて、ジェオに引きずられて行ったお前とそっくりだったがな」 「何ですか、それは!」 思い出して、思わず笑みを漏らすと、イーグルが心外とばかりに怒る。しかし、実際そう思うのだから仕方がない。 「でも、そういうところが、皆に好かれる理由なんだろう」 「…ランティス」 ランティスの言葉に、怒っていた様子のイーグルが、一瞬にして黙り込み、じっと見つめてくる。その様子を見返しながら、ランティスはイーグルの頭を撫でた。 「戻るぞ、本当に。ジェオが怒る」 「はい」 そう促し、立ち上がると、今度は素直に頷く。イーグルも立ち上がり、ランティスの腕に自分の腕を絡めて歩く。ランティスも、引き剥がす気にはなれず苦笑いを浮かべるだけだ。 イーグルは楽しげに笑みを浮かべながら、ランティスの腕に体重をかける。 「ランティス、有難う御座います」 「…え?」 何に対しての謝辞なのか解からず問い返すと、にっこりと笑顔が返って来た。 「何でもありません」 「?」 ふふっ、と楽しげに声を漏らしながら笑うイーグルを疑問に思いつつも、それ以上深く問い返すだけ無駄だ、とこれまでの付き合いで解かってしまっている。 ただ、機嫌が直ってよかったと、そう思うことにしたのだった。 |