空と太陽の瞳 act.5



 イーグルとランティスとジェオ、三人は最近よく一緒にお茶をする。
 と言うよりは、イーグルのためのお茶会に、ジェオが準備をする係、ランティスはイーグルの話相手という感じですっかり位置付けられているのだが。
 イーグルの前には甘いお菓子、ランティスの前には果物や甘くないお菓子。好みが違うのだから仕方がないが、それでもただお茶をする為だけにこれだけ用意するジェオは大したものだと、ランティスはいつも感心させられるのだった。
「そういえば、ランティス」
「何だ」
「明日、もし女性に何かプレゼントを渡されそうになっても、受け取ってはいけませんよ?」
「……?どういうことだ?」
 行き成りの意味不明の言葉に疑問を浮かべる。
 そもそも軍の内部に女性は非常に少ない。殆ど男だらけと言っても過言ではないのだ。其の状況で女性にプレゼントを貰う機会など早々あるとは思えない。
 ジェオは何か思い至ることがあるのか、苦笑いを浮かべている。
「これはオートザムだけの風習なんですけど、明日は女性が想いを寄せる男性にお菓子をプレゼントする慣わしがあるんです」
「お菓子を…?」
「まぁ、お菓子と一緒に自分の甘い気持ちも受け取って欲しい、とそういう解釈なんだと思いますけど。ランティスが甘いものが苦手だと知っているのは、僕とジェオだけでしょう?もし受け取っても貴方、食べられないじゃないですか」
 なるほど、そういう意味か。
 意味は理解したが、まだ軍に入ってそう経っていない自分に想いを寄せる者など、そう居ないと思うのだが。
「だからと言って、俺に渡してくる者など居ないだろう」
 そのまま思ったとおりに言うと、イーグルとジェオが顔を見合わせて溜息を吐いた。
 訝しげに二人を見ると、イーグルが苦笑いを浮かべる。
「ランティス、自分が女性達にどんな風に評価されているか、知らないでしょう?」
「無口で無表情…じゃないのか?」
「それはうちの隊での評価です。そもそもうちは男性しか居ないんですから。…ああ、ランティスは他の隊の人と接触する機会がないから知らないんでしょうかね」
「…どういう意味だ?」
 益々もって訳が解からない。自分は何処に居ようと、大体は『無口・無表情・無愛想』と言われるのだ。それ以外の評価をする者などイーグルぐらいだろうと思っていたのだが。
「ランティス、女性陣には結構人気あるんですよ?背が高くて、落ち着いていてカッコいいとか」
「中身を知らないから言える台詞だけどな」
 中身は何だと言うのだろう。自分が落ち着いているかどうかは、よく解からないのだが。
「まぁ、それにそういう意味合いでなくても、義理で上司に渡したりとか…何でもいいから欲しい、という男性も多いですし」
「しかし、渡される物を態々断るというのは…」
「受け取って食べられなくても、僕は処理出来ませんからね」
「……」
 何か言う前に先手を打たれてしまった。
 実際、受け取っても食べられない自分は、何れイーグルに回すしかなくなるのだが、イーグルが受け取らないとなれば、他に処理する当てもない。
「何故、無理なんだ?」
「……甘いものが好きな僕だって、毎年苦労してるんです。他の人の分まで受け取れません」
「その日は部屋いっぱいにプレゼントの山が積まれるからな、イーグルの場合」
 二人の言葉に、納得せざるをえない。
 確かにイーグルに想いを寄せる女性というのは多いのだろう。ビジョン家の跡取りであり、何しろこの容姿。モテて当然というところなのだろう。
「特に、明日は男性も女性も殺気立ってますから、気をつけた方がいいですよ。貰えない男性の逆恨みも怖いですからね」
「うちの隊は割りとそういうのは興味ないヤツが多いんだがな。仕事命というか…それもどうかとは思うんだが」
「ジェオは貰ったりするのか?」
「まさか、ジェオに渡す勇気のある女性なんて居ませんよ。ジェオ程お菓子作りの得意な人はそう居ませんから」
 イーグルがくすくすと笑いながら言う。ジェオは何とも言えぬ顔をして、イーグルを見る。
「全く貰わない訳じゃないぞ」
「はいはい、お母様やご姉妹からでしょう?」
「そんなこと言ってると、もうお前にお菓子作ってやらんぞ」
「…それは困ります」
 ジェオの言葉に、真剣な顔でイーグルは言う。余程ジェオの作るものが好きらしい。
「でもジェオだってモテない訳じゃないんですよ?ただ、お菓子作りで勝負するのは分が悪い、というだけで」
「俺の話はもういい。兎に角だ、ランティス。明日は気をつけろよ。下手したら戦場に出る方がマシだってことになるかも知れないからな」
「…そんなに酷いのか」
「セルシオ辺りは毎年逃げるのに苦労してますよね」
「あんなに慌てるあいつを見られる機会はそうないから、こっちとしては面白いがな」
 完全に人事とばかりに、二人が話題に挙げるセルシオは、確かにモテる部類には入るのだろうか。容姿は整っているが、どうにも性格的に一筋縄ではいかない気がするのだが。
 それを言えば、イーグルの隊に居るものは全員そうなのかも知れないが。
「僕としては、明日が楽しみですけどね」
「そりゃ、お前はいいだろうよ」
 くすくすと笑うイーグルに、ジェオは呆れた目を向けた。



 そして翌日。
 確かに、軍全体、というか、この国全体が何処か浮ついた空気に満たされている。
 この国では非常に珍しい事だ。
 そしてイーグルは、朝から女性達に囲まれていた。本当に、男だらけの軍の何処にこれだけの女性が居たのかと思うぐらいだ。
「イーグル様、私の作ったクッキー、受け取っていただけますか?」
「私のも受け取ってください。長持ちするように今年はチョコレートにしたんですよ」
「あら、私だって今年は頑張ったんですから」
「有難う御座います。全部、美味しく頂きますね」
 取り囲んで手渡してくる女性達に、イーグルはにっこりと笑顔を浮かべてそつなく受け取る。これまでに一体いくつ受け取ったのか、数えるのも難しそうだ。しかも、どうやらイーグルに渡す菓子類は全て保存を大前提に考えられているらしい。でなければ食べられずに捨てられてしまいかねないからだろう。
 それだけ、半端でない量なのだ。
「な、凄いだろ、あれ」
 ジェオの言葉に、ランティスは無言で頷く。
 イーグルは今日一日、ずっとあの調子なのだろうか。
 軍に居て殆ど見かけることのなかった女性が、今日はやたらと多い。人数的に増えた訳ではないのだろうが、それだけ此処に集まってきた、という事なのだろう。
 しかも居るのはイーグルのところばかりではない。NSX艦内のあちこちで、この状態なのだ。
 事実、ランティスの所にも何人かの女性が渡そうと声を掛けてきた。ただし、前日に注意されていたおかげで、受け取ることはなかったが。
「何故かうちの隊はモテるヤツが多くてな、だからこそ、他の隊のヤツらに尚更僻まれるんだが」
「そうなのか?」
「イーグルぐらいになると皆諦めもつくんだが、モテるだけモテて逃げ回ってるヤツも居るからな」
 そう言って指差した先には、セルシオが女性に囲まれている姿が見えた。
「セルシオ、今年こそ受け取ってくれるわよね?」
「そうそう、毎年毎年逃げ回ってないで、いい加減観念しなさい」
「俺だって毎年受け取らないって言ってるだろっ」
 言い募る女性陣に、セルシオも負けじと言い返す。
「じゃ、はっきり解かる理由を言って頂戴。私たちのことが嫌いなの?」
「嫌いって訳じゃ…」
「じゃあ、いいじゃないの。受け取るだけなんだから簡単でしょ」
「そうよそうよ」
「いっつも逃げてばかりで、まともに私達の気持ちを聞きもしないんだから」
 詰め寄られてセルシオはじりじりと後退る。
「だからっ、そういうの受け取るのは困るんだってば!」
「何で?」
「ううっ…」
「あ、何か失礼なこと考えてるわねっ?セルシオ!」
 その女性がセルシオの名前を呼んだ瞬間に、くるりと向きを変え、走り出した。ようするに、逃げたのだ。
「あーーーっ、また!待ちなさい、セルシオーーっ!!」
「そうよ、待ちなさい!!」
 その逃げたセルシオの後を追いかけるように女性達が走り出す。
 セルシオの足も速いが、軍に所属するだけあって、女性達の足も速い。あっという間に姿が見えなくなった。
「あー、結局こうなるんだな」
「毎年の、ことなのか…?」
 何となく、セルシオが哀れに思えてくるのは自分だけではないのだろう。他のセルシオの様子を見ていた者たちも、何処か哀れみを含んだ眼差しを向けてセルシオが走り去った方向を見ていた。
「まー、セルシオが好きなお嬢さん方は過激というか、熱烈というか……一人ならマシだが集団化すると怖ろしいんだよ、あれが…」
 確かに、自分もあんな風に囲まれたら逃げるかも知れない。
「だったら素直に受け取れば…」
「彼女たちが作ったものは、何が入ってるから解からんから食うのが怖いんだと。でも受け取って食わなかったらそれはそれで後が怖い、と」
「………災難だな」
「全くだ」
 しかし、ああまで怖がるということは、本当に何か入っていたことがあるのだろうか。
「甘いものが嫌いという訳じゃ、ないんだな?」
「だったらもう少し言い訳が立つんだがな」
 そう言ってジェオは笑う。
「ま、普段が憎たらしいぐらいに落ち着いているヤツが、あれだけ慌ててるのを見れるのは滅多にないからな。可哀想だとは思うが、なかなか楽しい」
 確かに、普段人に散々嫌味を言っている姿からは想像出来ないような様子だったから、彼の毒舌で言い包められたことがある者にとっては、一種爽快なのだろう。
「あの…ランティスさん…」
 不意に声を掛けられ、ランティスは声のした方に視線を向ける。
 大人しげな小柄な少女が、頬を赤く染め、視線を俯かせていた。何を言おうとするのか、この時点で解かってしまった。
「あのっ、これ受け取ってください。私の気持ちです!」
「…いや、俺は……」
 甘い物は苦手だから、と言おうとしたところで、ぱっとその女性が視線を上げた。目に涙を溜めて必死の様子を見ると、受け取らないのは酷く可哀想な気がしてしまう。
「受け取るだけで良いんです。捨ててしまっても構いませんから!」
「……それは、出来ない」
 確かに、食べずに捨てるだけなら簡単だ。けれど、それでは彼女が一生懸命これを用意した意味は何処にあるのだろう。ランティスはこの女性の名前すら知らないのだ。
 しかしそのランティスの返答をどう思ったのか、瞳からぽろぽろと涙を溢れさせ、走り去って行ってしまった。
「おい…」
 声を掛けようとしたが、時既に遅し。女性の姿は見えなくなってしまっていた。
 泣かせてしまったことで、酷く憂鬱な気分になる。イーグルのように振舞えれば、傷つけることも無いのかも知れないが、それでも、こういう性格なのだから仕方が無い。
「ランティス」
 声を掛けられ、はっとそちらを見ると、イーグルが居た。女性達の輪の中から抜けてきたようだ。
「…彼女の名前、知っていますか?」
「いや」
「だったら、貴方が気にすることはないんです」
 いっそ残酷とも言える言葉に、ランティスは目を見開く。しかし、イーグルはその様子に一瞬苦笑を浮かべて、しかし其の後酷く真剣な顔で言った。
「彼女は自分の名前を名乗りもせず、ただ貴方に気持ちを押し付けようとしたんです。そして、貴方の言葉を誤解して、勝手に傷ついた。全て彼女の独りよがりの気持ちが招いたことです」
「しかし…」
「ランティス、貴方は優しすぎます。こと恋愛に関しては、誰も傷つけないでいられるなんて有り得ないんですよ?しかも彼女は、貴方の言葉を何一つまともに聞かずに、勝手に自分で結論をつけて勝手に傷ついた。そのために、貴方までが傷つく必要は全くない。貴方と彼女は、ただの赤の他人です」
 確かに、イーグルの言っていることは正論だろう。誰も傷つかないでいるということは有り得ない。誰かの想いを受け入れれば、誰かの想いを拒絶することになる。
 けれど、そう簡単に納得出来るものでもなかった。
 そんなランティスの割り切れない気持ちに気づいてか、イーグルは優しく笑った。
「もし、貴方に彼女の気持ちを受け入れるつもりがあるのなら、彼女を探せばいい。けれど、もし無いのなら、何もしない方がいいんです。下手に期待を抱かせる方が残酷です。そして…もしまた彼女に想いを伝える勇気があるのなら、その時に名前を聞けばいい。これ以上、何かする事なんて出来ないんです」
「そう、だな…」
 確かにそうなのだ。
 ただの明るいイベントごとではない。人の想いが其処にあるのなら。
 自分の何処が良くてあんな風に言ったのかは解からないが、それでも、もし今度彼女が話しかけてくることがあったら、もう少し優しく出来ればいい。
 そう思うしか、無いのだろう。
「見かけによらず、苦労する性格だな、ランティス」
「見かけによらずというのは失礼でしょう。ランティスは最初から優しい人ですよ?」
「はいはい。と、そろそろ演習に行かんとヤバいな」
「そうですね。行きましょう、ランティス」
 ジェオの言葉に、イーグルがつられたように時計を見る。
 イーグルに促され、ランティスは演習のためにファイターメカの格納庫へと向かったのだった。


 そしてすっかり日も暮れたころ。
「ランティス、ジェオ、ちょっと手伝ってもらえますか?」
 イーグルに声を掛けられて、二人は嫌な予感を覚えた。
「……また、部屋に運ぶのを手伝えって?」
「…」
「はい。お願いします。僕一人じゃ無理なので」
「だったらそんなに受け取るなよ…」
 ジェオが深々と溜息を吐いて言うのに、ランティスも頷く。其処には山のようにお菓子の入った箱が積まれていたのだった。
「一人受け取れば皆受け取らないと失礼でしょう?それに、僕はセルシオみたいに逃げ回って疲れ果ててあんな状態になるのは御免です」
 そう言ってイーグルが指し示した先には、ぐったりとした様子で蹲っているセルシオが居た。
「セルシオ、お前、こんなとこに居たのか」
「もう嫌だ。やっぱり今日は休んでおくべきだった…」
「今日休んでも明日に持ち越しになるだけだろ」
 ジェオが呆れた様子で言うと、セルシオがじろっと睨みつける。
「お前も一度、俺の立場になってみるべきだ。そうしたら絶対そんな口利けないからな」
「なりたくねーよ」
「何で俺のところに来るのって、ああいう怖いのばっかなんだろ…」
「流石に僕は毒も惚れ薬も盛られたことはないですからねぇ」
「俺だって毒盛られたことはねぇよ!」
 惚れ薬はあるのか。
 そう一瞬思ったが、突っ込まない方がいいのだろう。
「一人ずつならまだいいんだ。集団で来るともう、身体が本能的に逃げる」
「重症だな」
「しかしモテない男性にしてみれば、貴方は羨ましい対象になるんですけどね」
「そうだよ、おかげでこれから一ヶ月は逆恨みされて、モテない野郎どもの嫌味を一身に受けるハメになるんだ…」
「…お前、それはやり返してるじゃねーか」
「当たり前だっ、出なきゃやってられるか!」
 そう叫んだ後、やっぱり疲れているのか、ぐったりと肩を落とした。
「この調子ですから、セルシオに手伝ってもらうのは無理そうですね」
「兎に角、部屋に運べばいいんだな?三人でなら何とか一度で運べるだろ」
「…いいよ。俺が運ぶ」
「どういう風の吹き回しですか?」
 疲れ切った様子だったセルシオの言葉に、イーグルが驚いて問いかける。セルシオはゆっくり立ち上がるとカードキーを取り出した。
「ようやく壊れてた貨物用のバイクが直ったんだ。試運転も兼ねて部屋まで運ぶよ」
「そういうことですか。早めにヴォルツさんにお願いしておけば良かったのに、他の人に頼むから遅くなるんですよ?」
「…だってあの人、俺が顔出すたびに『専用機を持て』ってそればっかだからさ」
「それだけセルシオのことを考えてくれてるって事じゃないですか」
 イーグルの言葉に、セルシオは溜息を吐く。
「バイク持ってくるから、乗せるのは手伝えよ。そのままイーグルの部屋までなら送ってってやる」
「そりゃこっちとしては助かるけどさ」
 ランティスもジェオも、イーグルの部屋から然程遠くない場所に自室を持っているから、確かに助かる。しかし、セルシオの部屋は随分離れていたような気がするが。
「こっからが本題」
「ん?」
「…今晩、誰かの部屋に泊めて」
「……セルシオ、お前な」
「絶対っ、部屋の前に居るんだよ!待ち伏せしてんだよ!!」
「成る程、セルシオの常ならざる親切は、そういう裏がある訳ですね」
 セルシオは顔の前に手を合わせて三人に懇願する。余程嫌なのだろう。其処までして渡そうとする方もどうかと思うのだが。
 イーグルは苦笑いを浮かべて言った。
「今日の夕御飯、セルシオが作ってくださいね」
「!勿論、それぐらいならお安い御用!!」
 ぱっとセルシオは顔を上げてほっとしたように笑う。
「それじゃ、バイク取ってくるから、待っててくれ」
 そう言ってセルシオは走って行った。
「急に元気になったな、あいつ…」
「久しぶりにセルシオの手料理が食べられるの、楽しみですね。ジェオとはまた違った味付けで美味しいんですよ」
「ああ、無駄に手先が器用だよな」
「僕としては色々助かってますけど」
 そう言ってイーグルはくすくすと笑い声を漏らす。
 何が助かっているのか、ランティスには解からなかったが、わざわざ問いかける気も起きなかった。というよりも、それ以前にどうにも大量に積まれた菓子類から漂ってくる甘い匂いに、徐々に胸焼けを起こしかけていた。
 しゃべる気力もなかったのだ。
 この調子では、暫くイーグルの部屋には近づかない方が無難だろう、とランティスは思ったのだった。



 そして翌日から、ジェオたちの言葉通り、女性陣から只管逃げていたセルシオに、今度は一つもお菓子を貰えなかった男達が嫌がらせをするようになった。
 しかし、それに対しては図太いもので、セルシオはそうした嫌がらせを悉く避け、更には必要以上の報復に出たのだった。
 それから一ヶ月、軍内部では情けない男の断末魔の悲鳴が時折聞こえたのだった。



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