空と太陽の瞳 act.4



 オートザムに来てから数ヶ月。
 自分でも信じられないぐらいに穏やかな時を過ごしていた。
 軍に仮登録とはいえ所属しながら、『穏やか』というのは可笑しいかも知れないが、自分がオートザムに来てから目立った戦闘があった訳でもなく、矢張り『穏やか』というのが適切だろう。
 そうして、オートザムでの暮らしにもすっかり慣れた休日。
 ランティスの休日の過ごし方は、毎度それ程変わらない。遊びに行くというような友人が居る訳でもないし、それなら何処か居心地のいい場所を見つけて昼寝でもしている方が有意義だ。
 そう思い、オートザムの中にいくつかある人工庭園に足を運んでは其処でゆったりと昼寝をする。しかし、そうして人工庭園に向かう時、大抵いつも先客が居るのだった。
 本当に、数はそれ程多くないにしても、いくつかある人工庭園。いつも行く場所もタイミングもバラバラで、それなのにいつも、必ずと言って良いほど、ランティスが向かった先に彼は居る。例えば木の上だったり、芝生の上だったり、その庭園で一番寝心地のいい場所に陣取って、寝息を立てている。
 別に会うのが嫌な訳ではない。むしろ、会いたいと願っているのかも知れない。
 だから、無意識のうちに彼の気配に反応して、自分が彼の居る場所を選んで足を運んでいるのかも知れない。そして彼は、彼の場所に、無口な闖入者を笑顔で招き入れ、二人で何を話すでもなく昼寝をする。そんなひと時が、何よりランティスの心を融かしてくれる。
 今日は何処へ行こうか、と考えて、ふと思いついたのが、軍施設の内部にある監視塔だった。見学に来た際に一度見ただけであったが、あそこからは、祖国のセフィーロが望めたのだ。
 懐かしさと、何も出来ない己へのもどかしさが同時に胸に去来する、セフィーロ。
 そう考えると、どうにも御し難い衝動が体を突き動かして、ランティスは監視塔へとバイクを走らせた。


 監視塔に着くと、驚いたことに先客が居た。
 いつもは人工庭園で昼寝をしている彼が、此処に居ることに驚く。しかし、矢張り自分が無意識のうちに彼を探しているのかも知れない、と思ってしまう。
 監視塔の先端から足を下ろして寝転んでいる彼にゆっくりと近づく。
 上から寝転んでいる彼を覗き込むと、どうやら起きてはいるようだった。
「危ないぞ」
「大丈夫ですよ。慣れてますから」
 突然現れたランティスに、驚いた様子も見せずにイーグルはにっこりと笑顔を見せる。寝転んだままゆっくりとランティスに手を伸ばしてくるので屈み込むと、その手が頬に触れる。
「やっぱり、同じですね」
「?」
「セフィーロの空と、同じ瞳…」
 そう呟いて、イーグルはゆっくりと身を起こす。そして、セフィーロを見上げて呟いた。
「セフィーロは、僕の憧れなんです」
「憧れ?」
「……此処に初めて来たのは、僕がまだ子供の頃です。父に連れられて、この場所で、セフィーロを見ました」
 昔を思い出すように懐かしげに目を細めて、イーグルは語る。その瞳は、セフィーロを見つめたまま。
「其の時に、初めて知ったんです。本当の空の色を…透き通るような、青い色……。セフィーロはたった一人の『柱』が支える国…セフィーロがあんなに美しいのは、きっと『柱』がとても美しい心の持ち主だからなのだろうと…」
 イーグルはランティスを振り返り、真剣な眼差しを向ける。
「ランティス、僕の夢は、オートザムにあのセフィーロのような青空を取り戻すことなんです」
 言ってから、今度は少し照れたように笑った。
「馬鹿みたいだと、思いますか?」
「いや…」
 ランティスは首を横に振り、イーグルの隣に腰を落とした。
「出来るだろう。お前になら…」
 お世辞でも何でもなく、そう言った。誰よりも強い心を持ったこの少年ならば、きっと出来るだろう。やり遂げるまで、諦めたりはしないだろうから。
 イーグルはランティスの言葉に、一瞬驚いたような顔をしてから、嬉しそうに微笑んだ。
「有難う御座います」
 そうして、イーグルはまたセフィーロを見上げた。監視塔から見える、ランティスの祖国を、真っ直ぐな憧れの眼差しで。
 けれど、ランティスはイーグルのように真っ直ぐな眼差しで祖国を見ることは出来ない。セフィーロを見れば、どうしようもない、やるせなさがランティスを襲う。こうして自分がオートザムで穏やかな時間を過ごしていている間に、かの国の柱や、自分の兄は、互いへの想い故に苦しんでいるのだと思えば、そう安らいだ気持ちで居られる筈もない。
「…ランティス?」
 呼びかけられて、はっとイーグルを見る。心配そうな顔で、ランティスの顔を覗きこんでいた。
「どうか、したんですか?」
「……」
 何と伝えればいいのか、解からなかった。
 純粋にセフィーロに憧れているこの少年に、真実を伝えることが果たして良い事だろうか。態々、落ち込ませるようなことを言いたくは無い。
 そんなランティスを見て、何か理解したのかイーグルは真剣な眼差しで言った。
「本当は、聞かない方がいいのかと思っていたんですが……」
 一瞬、悩むように視線を落として、けれどすぐにまたランティスに視線を合わせた。
「貴方は、何故セフィーロを出て、旅をしていたんです?」
「……」
 イーグルの問いかけに、ランティスは尚更戸惑う。それを伝えることは、イーグルを傷つけることになる。あの国に憧れている彼には、辛いことだろう。
 けれど、イーグルは何もかも解かっている、というような微笑で、ランティスの頬に手を添えた。
「大丈夫です、僕は傷ついたりしませんから」
「イーグル…」
「ね?」
 にっこりと笑ってそう言う彼に、ランティスは頷く。
「セフィーロは、『柱』が全てを決める国だ」
 一度言葉を切ると、解かっている、と言うようにイーグルが頷く。ランティスは自分の頬に添えられたイーグルの手を握った。
「『柱』は常にセフィーロの為、その国に住む人々の為に祈らなければならない。……自分のために何かすることは、決して許されない。誰かを愛することも…決して、許されはしない」
「…ランティス」
 イーグルの表情が悲しそうに歪む。まるで、自分の心を映したかのように。
「今の、セフィーロの『柱』は、エメロード姫という少女だ。俺は、セフィーロでエメロード姫付きの親衛隊長として働いていた。そして…俺の兄は、神官として姫に仕えていた」
 はっと、イーグルの視線が見開かれる。ランティスが、それ程『柱』に近しい存在だとは思っていなかったからだろう。
「『柱』であるエメロード姫と、俺の兄であるザガートは、互いを深く想い合っている。けれど、それは決して許されない…エメロード姫が、セフィーロよりも、ザガートを想い、祈ればセフィーロはすぐに崩壊してしまうだろう」
「…」
「愛し合っているのに、二人は決して結ばれることが出来ない。俺は…『柱制度』を終わらせる方法を探すために、セフィーロを出たんだ」
 イーグルの悲しげな瞳を見たくなくて、ランティスは視線を伏せた。
 しかし、不意に体を包んだ温もりに視線を上げる。イーグルが、ランティスをそっと抱き締めたのだ。
「ずっと、一人で苦しんでいたんですね」
 そう、囁く声と、自分より随分と小さな体が与えてくれる温もりに、ふっと肩の力が抜けた。
「だからずっと、そんな悲しそうな目でセフィーロを見て居たんですね…」
「イーグル…」
 それ以上は互いに何も言わなかった。
 ただ、そうして抱き締めてくるイーグルの温もりに、悲しみが融かされていくのが解かった。祖国を離れ、こうしてただ何も出来ずに旅をしている自分が、こんな風に癒されていてはいけない筈なのに。
 それでも、こうして与えられる温もりを手放すことは出来なかった。
 本当はずっと、こうして誰かに話してしまいたかったのかも知れない。ただ、何も言わずに自分を受け入れて許してくれる人に、自分の持っているモノの重さを、預けてしまいたかったのかも知れない。
 ランティスは、ゆっくりとイーグルの背に腕を回した。
 まだ自分の何分の一も生きていない少年に、甘えてしまっている自分に自嘲しながら、もう暫く…この温もりに甘えていたかった。

 どれ程の間そうしていたのか、不意にイーグルがランティスから体を離した。
 その瞳には、紛れも無い、ランティスに対する労わりが見て取れた。
「ランティス…確かに、セフィーロの存在は悲しいのかも知れません」
「…」
「でも、やっぱり僕にとって、セフィーロは憧れです。あの青い空は、僕の目標です」
「ああ」
 その、優しく強い瞳が、何処も翳ってはいないことに気づいて、ランティスは安堵する。自分の語った内容が、イーグルの瞳を曇らせてしまいはしないかと、不安があったから。
「ランティス、貴方に貴方の目指すセフィーロがあるように、僕にも、僕の目指すオートザムがあります。だから…」
 ふわりと、イーグルが笑う。
 その、強い瞳は優しくランティスを包む。
「一緒に探しましょう。セフィーロを本当に美しい国にする方法を。そして…オートザムに青空を取り戻す方法を。一人じゃ無理でも、二人だったら出来るかも知れないでしょう?」
「…ああ」
 この少年は、なんて強いのだろう。
 何年もの間、ずっとランティスが抱え込んでいた重荷を、あっさりと軽くしてしまった。何も解決した訳ではない。それでも、何処か諦めていたランティスを、また前に進めるように導いてくれる。
「一緒に頑張りましょう」
「イーグル」
 名前を呼んで、イーグルの手を握る。自然と、笑みが浮かんだ。
「有難う」
「…ふふっ」
「何だ」
「貴方の笑った顔、初めて見たな、と思って」
「そう…だったか?」
 余り意識しない事だから、自分ではよく解からないのだが。
「ええ。いつも無口で無表情・・・皆にそう言われているの、知っていますか?」
「…」
 それは知っている。いつも何処でも、大体そう評価されるのだ、自分は。イーグルは沈黙を肯定と受け取ったのか、可笑しそうに笑う。
「でも…本当はとても優しいこと、僕は知っていますから。それに、ランティスはどちらかと言えば口より目で語る人ですからね」
「目で…?」
「ええ。機嫌が良いとか悪いとか、困っているとか楽しんでいるとか・・・貴方のその目を見れば、大体解かります」
 そうなのだろうか。自分のことは自分ではよく解からないし、そんな風に言ってきたのはイーグルが初めてだ。それとも、イーグルが特殊なのだろうか。
 けれど、そうして何も言わずに理解してくれるからこそ、彼の傍は心地良いのかも知れない。
 そう思って、またセフィーロを見上げた。ただ純粋に美しいと思うことはないけれど、先ほどまでの、刺すような胸の痛みは感じない。自分には何も出来ないのかも知れない。それでも、何かを成し遂げたいと思う心は何れ形になると信じたい。
 そしてもう一つ。
 この少年の傍に居たい。そうして、彼がどれだけ強く、大きくなって行くのかをこの目で確かめたい。
「ランティス」
 名前を呼ばれ、イーグルを見る。
 暖かな笑みを浮かべる彼に、笑い方にも色々な種類があるのだと、改めて気づいたような気がする。
「これから、暇ですか?」
「ああ、予定はないが」
 そもそも、予定を作るような相手も居ない。
「それじゃあ、これから僕の部屋に来て、お茶しませんか?たまにはジェオ抜きで、二人だけというのも良いでしょう?ジェオ程ではないにしても、僕も結構淹れるのは得意なんです。それにジェオは僕の部屋にもいっぱいお菓子を隠してるんですから、食べちゃいましょう」
「……俺は、甘いものは食べられないぞ」
「大丈夫です。この前、ランティスのために買ってきた果物が冷蔵庫に入っていますから、それを切りましょう」
 楽しげに笑いながらそう言うイーグルに、ランティスも頷いた。
「そうだな。お邪魔しよう」
「本当ですか?」
「ああ」
「じゃあ、行きましょう。早速」
 イーグルはそう言って立ち上がり、ランティスの腕を引っ張る。
「そんなに急がなくてもいいだろう」
「善は急げと言うじゃないですか。ね?」
 その無邪気な笑顔にランティスもついつい笑みを返しながら、二人は休日のお茶会へと足を運んだのだった。



 そして休み明け。
 ジェオがセルシオからファイター訓練の報告を受けた後、不意に彼が切り出した。
「なあ、ジェオ」
「何だ?」
「ランティス、何か変わったような気がしないか?」
「そうか?相変わらず無口で無表情なヤツだと思うが」
「…ホント、あんたってイーグルしか見えてないのな」
 溜息を吐いて嫌味を言うセルシオに顔を顰める。別にイーグルの事しか考えていない訳ではない、と思うが、生活の大半がイーグルで占められているのも、また事実だろう。
「まぁ、俺や他の奴らと居る時は今までと変わらないけどさ、イーグルと居る時だけは…前から少しはそんな感じしてたけど…休み明けてから尚更かな。雰囲気が柔らかくなったっていうか…」
 そう言ってセルシオは二人を見る。
 今日はそれ程忙しくは無く、割と時間があるから、ランティスの事をやたらと気に入っているイーグルは何かと彼にくっ付いている。ランティスもそれを嫌がるでなく受け入れているが、それは彼が面倒見のいい性格だからなのだと思っていた。
 けれど、言われて見れば確かに……イーグルと居る時だけは、ランティスは何処か張り詰めた空気を消し去って、穏やかな表情をしているように見える。ただ、顔はいつもの無表情だから、雰囲気が、と言うべきなのかも知れないが。
「そうかも知れないな…。でも、いい事じゃないか」
「そりゃそうだけど。悔しくないのか、ジェオ」
「何が?」
「イーグル取られて」
「お前な…」
 確かに、いつもイーグルの世話を甲斐甲斐しくしているジェオに対して、そう冷やかしてくる声がない訳ではない。だがしかし、そういうからかいの言葉を甘んじて受けるほど大人しいつもりもない。
 ジェオはセルシオの首にぐいっと腕を回して絞める。当然冗談のレベルで、だが。
「どーして、すぐそういう発想になるんだよ!」
「ジェオがイーグル特別扱いしてんのは事実だろっ」
「だったらお前ならあのイーグルほっとけんのか?」
「…………俺はお前ほど面倒見はよくない」
 明言は避けてそう言う辺り、同じ穴の狢ではないのだろうか。ジェオはセルシオから腕を放すと、軽く溜息を吐く。
 それを見て、セルシオはにやっと笑う。
「でも良かったな、ジェオ」
「?」
「お前がクビになった時の後任が出来たじゃないか」
「なんで俺がクビになんなきゃいけないんだ!」
「イーグルが無茶した後始末の役目はお前だから。いつかそうなるんじゃないかな、と…。上層部はイーグルを解雇する勇気ないだろうし」
「…止めろ、ちょっと冗談じゃ済まん」
 本当にいつかありそうで嫌だ。顔を顰めるジェオに、セルシオは声を立てて笑う。
 それを見てジェオは今度は深々と溜息を吐いて、二人を見た。
「本当に、あいつにならイーグルを任せられるかな」
「え?」
 ジェオが呟いた言葉は、セルシオには聞こえなかったようだ。
 何でもない、と首を振り、けれど少しだけ、ランティスに期待していた。
 確かに、イーグルは誰の心もあっさりと融かしてしまう。けれど、イーグルの本当の心を見れる者はどれだけ居るのだろう。今一番イーグルの近くに居ると自負している自分でさえ、時折本当のイーグルは何処にあるのだろうと考えてしまう。
 でも、もしかしたら…ランティスならば、イーグルの心を融かすことが出来るのだろうか。
 今まで、あんなに無邪気に誰かに甘えるイーグルは見たことがなかった。それは、ランティスが特別だから、ということではないのだろうか。
 もしそうなら…それはきっと良いことだ。
 二人を見つめながら、これからずっと、こんな時間が続けばいい、とジェオはそう思うのだった。



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