第十三話 〜前夜〜



 静かなる空気の中で、いつも漂ってくる恐怖の香り。
 ピリピリとした緊張感が辺りを包む。
「はぁ〜〜〜〜」
 ユダが大きな溜息を吐く。
「止めろ、空気が重くなる」
「もう十分重くなってるっての!」
 イザヤの言葉にユダは言い返す。
「今日、ヨハネが来るんだろ?」
 ユダがエリヤに問う。
「その予定だが…」
「この場所知ってるのか?」
「大丈夫だろう。『見つける』のがヨハネの力らしいから」
「俺は何だろーな。解かってねーの、俺だけじゃん。ペトロは死んじまったし」
 ユダは他の三人を見て言う。
「ペトロは多分、『知る事』だったと思うんだ。ペトロは俺達が当たり前に思っていた事まで疑問に思う。それがペトロの力なんじゃないのかな。エリヤのように、実際に見える力じゃないのかもしれない」
「ああ。そういうことか」
 ユダは納得する。
「じゃぁ、ペトロは知る事が出来たのかしら?本当に、満足して…」
「大丈夫だと思う。ペトロが最後に知りたいと思った事は俺がダリスから聞いたし」
「…そう」
 イザヤの言葉にマリアは微笑む。
「じゃ、俺の力は何なんだよ」
「……う〜ん?人をだます力とか」
「いや、それはヨハネの方が上手いだろう」
「だよなぁ」
 苦笑しながらイザヤは言う。
「まぁ、解からないのもいいんじゃないか?これから解かるかも知れないという楽しみがあって」
 エリヤが言う。
「ああ、そうだな。そうかもな」
「そもそもユダの場合、良い力とは思えないしな」
「なっ、何でだよ!?」
 エリヤの言葉にユダが怒る。
「俺を裏切るから」
 エリヤはにっと笑う。
「エリヤの勝ちだな」
 イザヤが笑いながら言う。マリアも笑っている。
「お前らなぁっ!」
「大丈夫よ、ユダは。そうでしょ?」
「当たり前だ!」
 マリアの言葉にユダは勢いよく頷く。
「随分楽しそうだね」
「ヨハネっ!?ノックぐらいしろよ!」
 行き成りヨハネが声を掛けてきたので皆驚く。
「遅かったな」
 エリヤがヨハネに言う。
「ちょっとね。良かった、ちゃんと星は見てたんだ」
「ああ。ところで話っていうのは?」
「公開処刑の日が決った。明日の午前九時、中央公園でする事になる」
「…そうか」
 エリヤは沈鬱そうな顔をする。
「ダリスは喜んでたよ」
 ヨハネの言葉に皆の肩ががくっと落ちる。
「あ〜あ。心配してる自分が凄く虚しくなってきたっ!」
 イザヤが言うのにユダも頷く。
「右に同じ。何か微妙に腹も立つけど」
「私達の気持ちなんて考えてないみたいね」
 マリアは溜息を吐く。
「あいつらしいと言えばあいつらしいな。余計に邪魔してやりたくなる」
 エリヤの言葉に皆頷く。
「当然だろ」
「あのままダリスの思い通りになるなんて面白くねぇよ」
「あの人には絶対生きていてもらわないと」
 口々にそう言うのを聞いてヨハネも笑う。
「ヨハネ、作戦を教えてくれ」
「ああ」


 男は悩んでいた。
(どうすればいいんだっ!)
 頭を抱えるしかない。まさか、こんな事になるなんて思ってもみなかった。
 ダリスの見張りをしている彼は、ヨハネにダリスに薬を飲ませるように頼まれたのだ。
『僕は今日、ちょっと用があるから、彼に薬を飲ませておいてくれないかな。もちろん、僕のような飲ませ方はしちゃダメだからね』
 ヨハネの声が脳裏に蘇る。彼の恐さはよく解かる。自分より何歳も年下であったとしても。
 それでも少しは希望を持っていた。彼さえ気絶しなければ飲ませる事が出来ると。しかし、彼はいつもと変わらぬ減らず口で教皇を怒らせ気絶してしまった。
(同じやり方が出来るなら役得と思わない事もなかったのに)
 そもそもヨハネがそんなことを許す筈もないが。
 もし、そんなことをしたらどうなるか解かったものじゃない。
 とりあえず、ダリスを起こそうと肩を揺らす。
「おい、起きるんだ。おい!」
 男はどうあってもダリスを起こさなければならないと思っていた。
「ほら、起きてくれ、頼むから…」
「んっ…」
 男の願いが通じたのか、ダリスが覚醒し始める。
「ほら、起きてください」
 何故か口調が丁寧になる。ダリスは薄っすらと瞳を開けて男を見る。
「貴方は?」
 擦れた声で男に尋ねる。
「ヨハネに頼まれたんです。貴方に薬を飲ませるように。ほら、とにかくまずは此れを…」
 男はダリスの口に薬を入れ、その後水を流し入れる。
 ダリスが薬を飲んだのを確認して男はほっとする。
「俺は貴方の味方です。大丈夫ですか?」
 男はダリスを労わる様に声をかける。どうしてダリスがこんな事をしているのか男は知らない。
 知りたいとは思わない。ダリスと会話できるというだけで嬉しかった。
「貴方は見張りの?」
 ダリスは今度はしっかりした瞳で男を見つめる。
「はい」
 顔を覚えていてもらえた。それだけでやけに嬉しかった。まるで何かスターにでも対面しているようだ。いや、男にとってダリスは紛れもなく、声を掛けるのもおこがましい、スターだった。
「ずっとヨハネが俺に薬を飲ませるのを見逃してくれていたんですか」
「あ、はい。俺は望んで教皇に仕えている訳ではありません。俺は貴方の力になりたい」
「ありがとうございます。しかし、俺は何もする事が出来ない」
 申し訳なさそうにダリスは言う。男は微笑む。
「いいんです。俺は貴方のする事を見ていたいだけなんです」
 スターはスターでいい。深く関わる事はなくても、彼を見ていられればそれでいい。
「俺は、貴方とヨハネが初めて出会って話していたのを知っています」
「え?」
「その後すぐに貴方はヨハネの部屋に入って行ってしまったけれど…。俺はその時思ったんです。貴方の行く末が見たいと」
 男はそれだけ言うとダリスの傍を離れる。
「ありがとう。貴方に幸運があることを祈ります」
「それはこちらの台詞です」


 ずっと、昔の事だった。
 母と話した事をずっと忘れていた。
 過去を思い出すのが辛かったから。けれど、それは何よりも大切な事だった。
『貴方はきっと苦しむわね。この名前を与えた事によって』
『母さん?』
『エリヤ、これは貴方の名前であって貴方の名前ではないわ。神から与えられた名を、私達は隠したの』
『隠した?どういうこと?』
『この名前は特別な名前よ。人を導くための名前』
『何それ?』
 其処で母は困ったような顔をして父を見た。
『とにかく大切な事は、私達が正しいと思って付けた名前だという事だ。否定する事は何もない。それだけは忘れるな』
『?うん』
『エリヤ、名前は人に力を与えるわ。貴方は貴方の思うように生きて。自分が正しいと思ったことをするのよ。貴方自身が心の中で感じる通りにしなさい』
『うん』
 これが心に何時の間にか住み着いていた。
 何が大切なのか、何より自分の心が赴く方向に考えるようになっていた。
 何より大切な心のあり方。
『父さん、母さん!』
『エリヤ、忘れるな、何より大切なのはお前の想いだ。自分の考えを信じるんだ』
 家が燃えている。
 拳銃を持った男が父を撃った。その後母も撃たれてその場に倒れた。
 自分は捕らえられていて、傍に駆け寄る事すら出来ない。
 何も出来ない。

 同じだ。両親の時も、ペトロの時も、自分はただ見ている事しか出来ない。
 だから、ダリスはなんとしても助けたかった。
 何より大切な事。自分の想いを。
「絶対にダリスを死なせはしない」
 エリヤは固く決意する。
 初めて会ったときから不思議で何を考えているのか解からなかった。
 やっと解かったのに。自分達の為に死ぬなんて許さない。
 明日で終わりだ。何もかも、終わらせる。
「エリヤ」
 マリアが声を掛けてくる。
「明日なのね?」
「ああ」
「明日、終わったらどうするの?」
 マリアの言葉にエリヤは少し考える。
「解からないな。終わってから考えるさ。それより今は明日の事だ」
「そうね」
 マリアは微笑む。ペトロが死んでからずっと塞いでいた。
「もう、教皇を殺す事に抵抗は無いのか?」
「無い訳じゃないわ。人を殺す事はいけない事だと思う。それでも、教皇様はやりすぎたのよ。してはいけない事をし続けてしまった」
 エリヤは頷く。
「ユダが…自分が殺すと言ってきた」
「ユダが?」
「額の傷の恨みを晴らしたいんだそうだ」
「そう…そうね。ユダならそう思うかも知れないわ」
 マリアが頷く。
「もし、本当に俺に人を動かす力があるというのなら、本当に今、そうしたいと思う」
「ええ」
 そしてエリヤは笑う。
「多分、人の心を動かすのはダリスだ。ダリスにはそれだけの力がある。俺達は今までダリスの思い通りに動かされてきたんだからな」
「本当にそうね。私達の知らないところまで彼は考えていた…」
「もう休んだ方がいい。明日は早い」
 エリヤが言うのにマリアは頷き、そして言う。
「ねぇ、一つ言っていい?貴方、優しくなったわ。表情や言葉が。ダリスが来てからよ」
「…そうか?」
「ええ」
 マリアはくすくす笑う。
「私は笑っていなきゃいけないの。ペトロの為に、両親の為に」
「ああ…」


 闇の中、ヨハネは自分の部屋を見回す。
「此処も今日で最後かな」
 不思議と名残惜しい気がする。ダリスやエリヤ達と話した場所。
「ダリス…」
 彼の命を救うために。
 もう、時間は無い。
 その日、ヨハネは初めてベッドで寝た。


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