第十二話 〜憧れ〜



 最初の目的はたった一つだった。
 『生きる事』それだけだった。ただ自分のためだけに教皇に取り入った。
 だけど、それが『たった一人の誰かのため』になるなんて思いもしなかった。
 彼に会うまで。
『教皇に取り入ってどうするつもり?』
『それは俺が聞きたいな』
『僕は自分のためにしている事だ』
『なら、これから俺のためにしてくれないか?』
 まさか、本当にそうなるなんて思いもしなかった。


「今日は此れぐらいにしておけ」
 声が聞こえてはっとする。此れは拷問だ。平和を愛する宗教の教皇がこんな事をしていていいのか考えものだ。
「死んでしまったら話にならんからな」
 ここまでやっておいて死んでしまったらも何も無いと思うが。
 服はもうぼろぼろで役目を果たしているのかさえ解からない。鞭で打たれて、身体中が傷だらけ、血だらけだ。
 そして、それを平然と見ている自分が一番変しいのかも知れない。
 毎日、同じ事を繰り返して飽きないのか。
「毎日毎日、こんな事ばかりしていて飽きませんか?」
「なにっ!?」
 教皇の頭にカッと血が上る。
「此れが趣味だというのなら、何も言いませんが」
 息も切れ切れのくせに言う言葉は減らない。こっちにも感心するものはある。
「黙れっ!」
 教皇は彼を蹴り上げる。そして何度も何度も蹴り付けた。そのうちに彼は気絶した。
「教皇様、このままでは死んでしまいますよ」
「っ、…そうか。ヨハネ、こいつに食事を運んでおけ」
「はい」
 ヨハネは微笑んで答える。彼もよくやる。その笑顔でずっと教皇を騙し続ける。
 ヨハネと自分は同じだ。彼によって生き方を変えられた。
 たった一つ違うのは、彼が自分を必要としていないという事だ。
 彼は、ヨハネを必要としているだけで。
 自分はただの一度も彼と言葉を交わした事が無い。
 教皇と、拷問に加わっていた側近は出て行き、残されたのは見張りの自分とヨハネだ。
 ヨハネは食事を取りに階段を上る。
「ねぇ」
 声を掛けられはっとヨハネを見る。
「僕が戻ってくる前に此処から出て行ってくれないかな?」
「しかし…」
「これから僕がする事、もう見飽きただろう?」
 その言葉に自分は真っ赤になる。
「見たくないだろう?出て行ってくれ」
「…はい」
 知っているのだ、ヨハネは。自分が彼に特別な感情を抱いている事を。
「もし彼に何かしたら赦さないよ?」
「はい」
 そう言ってヨハネは此処から出て行く。
 身分が違う。ヨハネは自分より権力がある。逆らえない。
 彼はいつも毅然とした態度で教皇に拷問されている時ですら声一つ漏らさない。
 どうして彼はそうであるのだろう。知りたくても自分はその術を持たない。
 彼を背に自分は地下から出なければいけない。
 このまま……。


 食事を持って地下に戻ってみると見張りはもう居なかった。
 気づかない筈が無い。ずっと彼の事を見ていたのだ。あの男は。
「ダリス」
 呼びかけてみるが、ダリスは咳をして口に溜まった血を吐いただけだった。
「ダリス、起きろ」
「っ―――…」
 揺らしてみて、やっと意識が覚醒し始めるが、これでは食事を取る事も出来ないだろう。
 ヨハネは溜息を吐く。
 生かせておきたいのなら。それぐらい考えればいいのに。
 ヨハネは持っていた薬と、水を口に含み、ダリスに口移しで飲ませる。
「んっ――」
 ごくんっと飲んだのを確認するとヨハネは口を離す。
「ダリス」
 もう一度揺り起こすと、ダリスは薄っすらと瞳を開ける。
「ヨハネ」
 ダリスはヨハネの名を呼び、自分の身体を立て直す。もっとも、腕は鎖に繋がれ、どうにもならないが。
「いつも、すまないな」
「僕は良いけどね、役得だし」
「――お前の趣味は解からないな」
 ダリスが呆れた様な顔をする。
「ダリスだけだよ。それに、すまないと思うなら、もうちょっと考えて発言したら?」
「俺は、人を怒らせるのだけは得意みたいだからな」
 ダリスは笑みを漏らし、そして真剣な顔になる。
「どうしても公開処刑まで持ち込まなければいけない。期日は早くなるほうがいい」
「公開処刑を心待ちにしているのは君ぐらいなものだよ」
「そうだな」
 ダリスはふっと笑う。
「子供らしくないよ」
「ヨハネに言われたくは無いな」
「その口、もう一度塞ごうか?」
「…遠慮しておく」
 ダリスは苦笑する。
「君と会ってから、もう四年か…。全然変わらないな」
「人の事言えないだろう」
「口」
「……」
 ダリスを黙らせて、ヨハネはその隣に座る。
「ダリス、僕はね、自分のために生きてたんだよ。君に会うまでは。それが、君に会ったら世界が一変した」
「ヨハネ」
「懐かしいよ。僕は今より捻くれてた」
「今より?」
 ダリスの言葉にヨハネは笑う。
「ホント、懐かしいよ…」


 四年前、意味は解からないまでも、教皇が自分に執着しているのに気づいて教皇の機嫌を取り、部屋を一つ貰えるまでにヨハネはなっていた。
 自分自身のために。下手な苦労はしたくなかった。
 両親を殺された恨みはもちろんあった。大人になるまで教皇に仕えて、十分、自活できるようなったら、殺してやろうと思った。

 ある日、貴族との対面に付き合わされた。それはヨハネにとってどうでもいいものだった。何故苦労せずに育った貴族の顔など見なければならないのか。
 不満しかなかった。
 中央の座に教皇が座ったところで、正装した貴族が顔を上げた。
 自分と変わらない年の少年が一人、其処にひれ伏していたのだ。
「して、お父上の代わりにダリス、お前が後を継ぐというのだな?」
「はい」
「しかし、お前には兄が居た筈だが?」
「はい。しかし、父の遺言ですので」
「ならば、私が言う事は何も無い」
 教皇は満足そうに笑って言った。その時、ふと少年と目が合った。
 何故、この少年はこんな瞳をしているのだろう。低い物腰とは裏腹に、瞳は野心に燃えていた。
 殺伐とした瞳は、すぐに教皇に向けられた。
 茶の淡い色の髪と、青い瞳はいかにも優しそうな感じがするのに、表情は淡々としている。
「教皇様」
 ヨハネは思わず教皇に言った。
「少し気分が悪いので席を外してもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ。そうだな。無理をしてはいかん」
「失礼します」
 そう言ってその場を出て行く。どうして彼は従者を一人もつけずにこんな所に現れたのだろう。
 まだ自分と変わらない年頃だ。
 話がしたい。
 聞き耳を立てて彼が出てくるのを待つ。
 話が終わったらしい。彼の足音がヨハネの耳に響いてくる。
 扉を開け、閉める。
 言う言葉は決っている。
「教皇に取り入ってどうするつもり?」
「それは俺が聞きたいな」
「僕は自分のためにしている事だ」
「なら、これから俺のためにしてくれないか?」
 ダリスの言葉にヨハネは目を見開く。
「どういう意味?」
「ちょっと此処では拙いな」
「…僕の部屋に」
 そのままヨハネはダリスを部屋に案内する。
 どういう事なのか全く解からない。この少年のために何をするというのか。
「話してよ。さっきのはどういう意味?」
「教皇を殺したいんだ」
「はぁ!?」
「教皇が二年前、何故十歳の子供を集めたのか知りたくないか?」
「ちょっと待って!さっきから話が飛びすぎだよ」
 ヨハネの頭は珍しく混乱していた。何がどういう事なのかさっぱり解からない。
「つまり、君は教皇を殺したいと思ってる。そして、その原因は二年前の事にある。違うか?」
 この少年は何を考えているのだろう。ただ自分に力を貸したいのか、それとも貶めようとしているのか…。
 答えあぐねている自分にダリスは言う。
「すぐに答えない時点で認めているようなものだ。俺は君と同い年で、本当なら俺も二年前に捕らえられるはずだった。しかし、俺は捕まらなかった。どうしてだか解かるか?」
「貴族の息子だからだろう」
「そうだ。そして、その事に父は嘆いた」
「何故?自分の息子は捕まらなかったのに…」
 ダリスはじっと床を見つめている。
「平等ではないからだ。父は、本当にキリストを信じていたから。勿論父は俺が捕まる事を望んだわけじゃない。しかし、父はこんな事をした教皇を深く悲しんだ」
 其処でヨハネは、はっと思い当たる。
「君の父上は亡くなったんじゃ?」
「ああ。病気になって。父は俺に子供が集められた本当の意味を教えてくれた」
「本当の意味?子供達が集められた事に意味があるのか?」
「ある。君の両親が殺されたのもその為だ」
「僕の両親が殺されたのも?」
 ヨハネは目を見開く。
 ダリスは黙々と話している。
「君は、ヨハネという名前だな?」
「ああ、でも如何してそれを?」
「教皇は聖書に出てくる人物の名前を持つ人間を集めている。キリストが死んで丁度三千年。その年に生まれた聖者の名を持つ子供が欲しかった。他の子供は人々が気づかない為のおまけみたいなものだ。君や他の聖者の子供の親を殺したのは、聖者に親という存在が居ては都合が悪いからだ」
 ヨハネは段々頭が冴えてきた。今まで疑問に思っていた事がどんどん解かっていく。
「それで、僕に何をして欲しいの?」
「エリヤや、他の逃げていった子供を知っているか?」
「ああ。まさか此処から逃げ出す人間が居るとは思わなかったよ。しかし、馬鹿じゃないのか?結局教皇に追われることになるのに」
「それだけ此処に居なくなかったという事だ。此処の空気は淀んでいるし」
「ああ、それは僕も感じている」
「そして、そのうち二人は俺が唆した」
 その言葉にヨハネは思わず吹き出す。
「縁があったからな」
「成る程。それで?僕は何を?」
「彼等は再び此処に戻ってくるだろう。教皇に復讐をしに」
「その手引きをするという事か」
「そうだ。でも一度だけじゃない。彼等は教皇を殺す事まではしないだろう。しかし、教皇が死ななければ終わらない。俺は彼等に教皇を殺すように言う」
 ヨハネはイマイチ納得できない。
「ちょっと待って。彼等の苦しみを終わらせるつもりなら、彼等の手を汚すのは・・・」
「そのつもりは無い。彼等は教皇を殺せない」
「じゃぁ、君が殺すの?」
「いや、俺は殺さない。父の遺言なんだ。俺も彼等の手も汚さない。教皇を焚きつけて、それから教皇は俺を殺そうとするだろう」
「っ!?」
「公開処刑だ。見せしめにするだろうな。そこで誰が悪いのかはっきりさせる」
 ヨハネは自分は震えていることに気づいた。
 何故彼はこんなにも強いのか解からない。
「君は、自分の死を以って教皇を貶めるつもりか?」
「ああ」
 ダリスは静かに答える。
「父が何より望んだのは、ヨハネやエリヤ達が何よりも望むようにする事だ。教皇はエリヤ達を祭り上げて絶対的な権力を手に入れようとしている。それだけは絶対にダメだ。そして、エリヤ達が普通の人間と変わらない暮らしを望むのなら、俺は自分の死を以って教皇を訴える」
 どうしてこんな事が出来るのか解からない。如何してそんな風に受け入れようとするのか…。
 だけど一つだけはっきり解かった事があった。
 ヨハネは何よりダリスの望みを叶えたかった。そして、その上でダリスを死なせたくなかった。
 自分と同じ年の子供が自分達のために死のうとしている。
 善意じゃない事は確かだ。自分も、彼もたった一人の人間の為に動こうとしている。
「解かった。協力しよう。だけど君の父上が君が死ぬ事を望むとは思えないけど?」
「それは解かってる。だけど、俺には此れしか浮かばない。此れ以外のことはする気にはなれないんだ」
 ヨハネは溜息を吐く。
 彼を救わなければいけない。何より、彼の心を。
「僕はあくまで僕自身の為に動く。それでも構わないね?」
「ああ」
 それからヨハネはダリスに近づく。
「よろしく、ダリス」
「よろしく」
 二人は握手する。
 不思議な出会いだった。だけど、それは無くてはならないものだ。
「ダリス、僕はね、君も幸せになって欲しいと思うよ」
 ヨハネは微笑む。そのヨハネの言葉にダリスは驚いたような顔をする。
 彼は自分がどれだけ人の心を捕らえるのか気づいていないかも知れない。
「僕はただ君の思い通りに生きる人間じゃないからね」
「―――頼もしいな」
「それはどうも」
 ダリスの溜息にヨハネは笑顔で答えた。


「ダリス、いい事教えてあげるよ」
 ヨハネはダリスの隣に座ったまま言う。
「公開処刑の日が決った。その日、上手くすればエリヤが現れるかも知れないと思っているらしい」
「いつ?」
「明後日」
「そうか」
「……嬉しそうだね」
 ダリスの様子を見てヨハネは不満そうに言う。
「もう、甚振られなくて済むからな」
「どうだか」
 ヨハネは溜息を吐いて立ち上がる。
「ゆっくり休む事だね。明日も拷問だよ」
「ああ」
 ダリスは苦笑する。
 ヨハネは手を振って地下から出て行った。


 待っていた時が来る。
 もうすぐ、死刑執行――…。


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