第十一話 〜計画と思惑〜



 いつも家は落ち着ける場所ではない。
 自分とそりの合わない人間ばかりだ。兄も、母も。
「ダリス、教会の方がお前に近いうちに来るようにと言っていたよ」
 母があくまで事務的に告げる。
「最近、出歩くのが多いんじゃないか?今も出て行こうとしているし…。仮にもあんたはこの家の当主なんだ、あんまり出歩くんじゃないよ。示しがつかないじゃないか。大体、この間も厄介なものを運んできてくれて…」
「ご心配なく」
 ダリスは気にした風でもなく言う。
「これから俺が行うことはこの家とは何の関係もありませんから。貴女が心配するような事は何もありませんよ」
「ならいいけどね」
「そして、もし俺に何かあった場合、兄ジルに全ての権利をお渡しします」
 母の言葉がぐっと詰まったのが解かる。
「それでは、俺はこれから出掛けますので」
 何か言いたそうな母を尻目にダリスは家を出る。
 こんなことでこの家を潰したりはしない。父の残したこの家を。


「この間はごめんなさい」
 ダリスが着くなりマリアは謝る。
「いや、俺が悪いのに変わりは無い」
「だけど…」
「まず始めに俺はそれぐらいの事を考えておくべきだった。君は怒って当然だった。それでも俺の怪我を治してくれたしな。謝る必要は何も無い。それから此れを」
 ダリスは一枚の紙をマリアに渡す。
「これは?」
「ペトロの墓の場所が書いてある。あまり大っぴらにする訳にもいかなかったが」
「っ、ありがとう…!」
 マリアは涙を零してダリスから受け取った紙をぎゅっと握り締める。
「エリヤ、これからどうする?もうしたくないなら教皇を殺す事はしなくてもいい」
「いや、俺はやる。ペトロを殺されて、このまま何もしないで終わるなんて事は出来ない」
「そうだぜ!このまま教皇に恨みを晴らさないでおけるか!」
 エリヤの言葉にユダが同調する。
「今度の日曜に決行する。いいだろう?ダリス」
「俺は構わないが―――、次は俺は行けないぞ」
「…ああ。構わない」
 ダリスの言葉に、エリヤは頷く。
 そこに、イザヤがダリスの傍に来て腕を引っ張る。
「ダリス、話がある。上に…」
「ああ」
 ダリスが頷くのを確認してイザヤはほっとする。
 イザヤとダリスは二人で屋上に向かう。確かめなければならない。どうしても…。
 屋上に着いた二人は向かい合う。
「ダリス、聞きたい事があるんだ。これは、ペトロがお前に聞こうとしていた事だ」
 イザヤの言葉にダリスは表情を変えない。
「エリヤの事だ。俺は、エリヤが何なのか聞きたい」
「何、とは?」
「俺達はエリヤに頼りきっている。何故だ?エリヤだって俺達と変わらないのに。教皇だってエリヤには特に執着している。エリヤが特別だと思っている。何故だ?」
 イザヤが言い終わって、ダリスは少し黙る。
 何と言おうか考えているようだった。
「エリヤというのは隠し名だ」
「隠し名?」
「そうだ。エリヤというのは、イエスという名の代わりに付けられた。その存在を隠すために付けられた名前だ」
「え?それって、それじゃエリヤは…」
「キリストの力を引き継いでいる。聖書でキリストは『エリヤ』と呼ばれる事があった。しかし、それは間違いに過ぎない。しかし、今のキリストはそれを隠し名にしているんだ。力そのものはキリストが行うような奇跡ではなく、人の心を捕らえる信頼や、統率力、そういうものがエリヤにはある」
「何だよ、それじゃぁ…」
「人を動かす力なんだ。教皇はそれを欲しがっている。カリスマ性とも言うべきものがエリヤにはある」
 ダリスのその言葉にイザヤは少し沈黙する。そして意を決したように言う。
「もう一つ聞いていいか?じゃぁ、ダリス。お前は何故その事を知っているんだ?どうして…」
「イザヤ、それは言えない」
「何故?」
「今は言えない。そのうち解かる事だ」
「何でだよ!?俺は何も知らない!お前、一体何考えてんだよ!?」
 イザヤは怒鳴る。
 悔しくて仕方なかった。ダリスは誤魔化さない。だけど、言いたくない事は絶対に言わない。
「解かる事なんだよ、いずれは」
「いずれって、いつだよ?一体何年付き合ってると思ってるんだよ。なのに俺は何も知らない。馬鹿みたいじゃないか!!」
 息を乱しながらイザヤは言う。六年間。そう、ずっと自分だけ。自分の方だけが彼を想ってきたのではないか。
 自分ばかりが全てを彼に見せてきたのではないか。
 彼は貝だ。堅く、閉ざされた――…。
「イザヤ」
 名前を呼ばれてはっと我にかえる。
「俺はまだ何も言う事は出来ない。俺からは何も言えない。だが、解かる事だ、近いうちに」
「近いうちに?」
 イザヤの声は擦れていた。
「もう下に戻ろう」
 そう言ってダリスは階段を下りていく。イザヤもその後に続く。
 何を考えている?
 自分の知らない事。
 何のために?
 何も知らない。
 何も―――…。
「ダリス!」
 階段を下りていたダリスの足が止まる。
「俺は、お前が何処に居ようとお前と共にある。それだけは一生変わらないからな!」
 イザヤの言葉にダリスは目を見開く。
 そしてイザヤはダリスを追い越して走っていく。
 ダリスはそれを見て溜息を吐く。
「いつも言い逃げだな」
 そう、六年前も―――。


 日曜日。何時もより一人少ない妙な違和感に少し慣れてきた頃。
 人間、どんな事にでも慣れるものだ。
 それが妙に哀しい事だというのは今まで気づかなかった。
 忘れる訳ではない。でも慣れるのだ。悲しみにも、一人欠けた寂しさにも。
「行こう」
 エリヤが低く呟くように言うのに、皆は頷く。
 今度こそ教皇を殺す。この悲しみを忘れないためにも。
 二度も失敗して、その度に味わった想いは決して良いものではない。しかし、それでも心に強く根付いたのだ。
 教会の前まで来ると妙な違和感がある。
「どうしたんだ?一体…」
 イザヤが呟く。静かだ。静かなのに、何故か騒がしい。空気がざわめいている。
「エリヤ」
 呼ばれたので其方を見る。ヨハネだ。いつになく真剣な顔に嫌な予感を覚える。
「ヨハネ、一体どうなってるんだ?」
「教皇を殺しに行ってはダメだ」
「だから、どうしたんだ!?」
 エリヤはヨハネの肩を掴む。
「ダリスが教皇に捕らえられた」
「え…?」
 エリヤは目を見開く。頭がなかなかヨハネの言った言葉を受け入れない。
「とにかく僕の部屋に行こう。話は其処で」
 ヨハネに言われてエリヤは呆然としたままヨハネに着いて行く。他の皆も信じられないというような顔だ。
 ヨハネの部屋に入っても暫く皆黙ったままだった。
 ダリスが捕らえられた?
「どうして…」
 エリヤがやっと声を出す。考えている途中に零れ落ちたという感じだ。
「この前、エリヤ達と一緒に教皇を殺しに来たからだ」
 ヨハネが答える。
「教皇は自分を殺そうとした罪を前提としてダリスを捕らえ、その上でエリヤ達の居場所を吐かせようとしているんだ。エリヤ達には自分を殺せないようにしてね」
「ちょっと待てよ」
 イザヤが言う。眉間に皺を寄せて、必死に考えているようだ。
「ちょっと待て、その事にダリスが気づかない筈無いだろう?なのに何で…」
「そうだ、何でダリスは俺達と一緒に来たんだ?」
 イザヤの後をついでユダが言う。
「ダリスは始めからそのつもりだったんだよ」
 ヨハネの言葉に皆耳を疑う。
「始めから、教皇に捕まる事を前提にやっていた事なんだ。もっと言えば、ダリスは死ぬつもりだ」
「え?」
「何だよそれ!?」
「教皇は捕まえたダリスを殺すつもりだろう。もともと鬱陶しく感じていたんだ。公開処刑を行ってみせしめにするつもりだ」
「殺される?ダリスが?」
「ちゃんと全てを話す。それが俺にダリスに頼まれていた事だ」
「お前、知ってて、それで協力してたのかよ!?」
 イザヤがヨハネに掴みかかる。
「オイ、イザヤ…」
 ユダが止めに入る。
「知っていたよ。僕はその上で彼に協力したんだ」
「なっ!?」
「だけどみすみす彼を死なせるつもりは無い」
「え?」
 イザヤが思わず掴んでいた手を放す。
「僕がダリスに頼まれていたのは君達に全てを話すところまでだ。その後の事なんて責任は無いからね。ちょっと聞いてくれるかな?」
「ああ」
 四人はしっかりした調子で頷いた。


 薄暗いじめじめとした場所にダリスは入れられた。
「まだ吐かないのか?」
 教皇の言葉に見張りは首を横に振る。
「いいえ、まだです」
「何をしても構わん。なんとしても吐かせるんだ」
「はい」
 地下牢の一番みすぼらしい部屋にダリスは両腕を鎖で繋がれていた。
 白いシャツには血が滲み出している。
 まだ、大したことは無い。ダリスはそう思った。別にこれぐらいの事は何でもない。
 傷の痛みも、空腹も大したことは無い。
 自分のたった一つの望みを叶える為に。
「教皇様」
 ヨハネが地下の階段を下りてきて教皇を呼ぶ。
「お客様が見えました」
「おお、ヨハネ。そうか、すまないな」
 そう言って教皇は階段を上っていく。ヨハネはそれを見て見張りに言う。
「彼に食事を。教皇様がまだ死なれては困るというからね」
「はい。解かりました」
 そう言って見張りは階段を上っていく。
「凄い格好だね」
 ヨハネはダリスを見て言う。
「まず言う台詞がそれか」
 ダリスは溜息を吐く。ヨハネはくすくす笑う。
「エリヤ達が来たよ。四人で。言っておいたからね。ちゃぁんと君の考えを」
「―――そうか。すまない」
「恨まれても知らないよ」
「構わないさ、自己満足だからな」
「あっそ」
 ヨハネは溜息を吐く。
「ダリス、全てが君の思い通りになるなんて思わないでね」
「え?」
「それじゃ、お元気で」
 ヨハネはそのまま地下を出て行く。
「何を考えているのか解からないな」
 ダリスはまた溜息を吐いた。ヨハネは、何を考えているのか解からない。
 初めて会ったときからそうだった。
 まるで騙し合いだ。けれどそれを自分は楽しんでいた。
 明らかに。


 廃ビルに戻ったエリヤ達は気分を落ち着けるのに時間がかかった。
 一気に色んなことを知りすぎた。
 ダリスの考えも、ヨハネの思惑も。
 今まで知らなかった事を知りすぎて混乱している。
「何か、気が抜けた気分」
 イザヤが言う。
「でも、何か逆に許せなくなったな。思い通りにはさせたくない」
 ユダがしっかりした瞳で言う。
「死なせないさ。もう誰も」
 エリヤが言う。
 決めたんだと、その瞳が語っている。強い意志を。
「ダリスを死なせはしない」
 だからこれから動かなくてはならない。
 たとえそれをダリスが望まなくても。
 所詮皆自己満足の上で生きているのだから。


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