とうとう一ヶ月経ってしまった。 ペトロは重い溜息を吐く。 「なんだよペトロ」 ユダが眉間に皺を寄せる。 「いや、とうとう当日なんだな、と思うとな」 「気に病まない、気に病まない」 イザヤがペトロに言う。 「もうすぐダリスが来る筈だ」 エリヤも少し緊張している様子だ。何時も落ち着いているのとは違い、そわそわしている。 当日。今度こそ教皇を殺すために。 「皆、ダリスが来たわよ」 マリアの言葉にイザヤが真っ先に飛び出し、ダリスに抱きつく。 「邪魔だ、イザヤ」 エリヤがダリスからイザヤを引き剥がす。 「何だよ、自分がダリスに抱きつく度胸が無いからって…」 「何か言ったか?」 「い〜え」 イザヤがぐちぐち言うのを軽く押さえ付けてエリヤはダリスに向き直る。 「やるんだな。今日」 「ああ」 エリヤの言葉にダリスは頷く。 「まぁ、どうせ忍び込むのは夜になってからだな」 まだ日は暮れていない。 「今夜もヨハネが?」 「ああ。その予定だが。それがどうかしたのか?」 「俺、あいつ嫌い」 ユダが不満を漏らす。 「この前がこの前だからな」 ペトロがまた溜息を吐く。 「今日は大丈夫だろう」 「そうそう。絶対問題ないぜ」 エリヤとイザヤが言う。 「何で解かるんだよ」 ユダがむっとして尋ねる。イザヤはニヤッと笑う。 「そう、何故なら今日はダリスが居る!」 「……はぁ?」 ユダがとぼけた声を出す。イザヤは大笑いする。 「考えてもみろ。この間、何で俺達にあんなことしたと思う」 「ダリスが俺達にばっかり会うから?」 「そう。だからダリスを困らせるような事はしない」 イザヤの言葉にユダは納得する。 「好きな奴を困らせるなんて絶対しないよなぁ」 「そういうこと!」 「あいつにも人間らしい感情があるんだな」 ユダは妙に感心してしまう。 「だな。あれ八つ当たりだもんなぁ」 「本人目の前にしてする話か?」 ペトロが苦笑して言う。ダリスは気にしていない風だが、どう思っているかは解からない。 「ダリスはあんまり感情が表に出ないよな」 ユダがダリスをじーっと見つめる。 「そんなに見つめても何もでないぞ」 ダリスが溜息を吐きつつ言う。 「表情出ないかな?」 「止めろ」 ユダの言葉にエリヤが怒る。 「何でエリヤが怒るんだよ!?」 「減る」 「はぁ!?」 「ぷっ」 エリヤの言葉にユダは素っ頓狂な声を上げて、イザヤは思わず吹き出す。 「ははっ、お前が見たらダリスが減るんだってよ」 イザヤは腹を抱えて笑う。 「何だそれぇ!?」 ユダはむすっとする。エリヤはばつの悪そうな顔をしてイザヤを睨みつける。しかし、イザヤは笑うのを止めない。 「減りはしないが、気分のいいものじゃないな」 「ダリス、ちょっと聞きたい事があるんだけど…」 「何だ?告白でもすんの!?」 「ユダ!」 「怒る事無いだろ?あ、ホントだから怒ってるんだ?」 「違う!!」 ペトロは顔を真っ赤にして怒る。 「何やってんだあいつら。なぁ、ダリス」 イザヤがダリスに話し掛けるが、ダリスは真剣な瞳でペトロを見つめている。 「ダリス?」 名前を呼んで肩を掴むと、はっとイザヤの方を向く。 「どうかしたのか?」 「いや、なんでもない」 イザヤは問うが、ダリスは首を横に振る。 「…そろそろ日暮れだな」 エリヤの言葉に皆はっと静かになる。 「出発しよう」 エリヤの言葉に皆頷く。 ピリピリとした緊張感に皆妙に敏感になる。 「いよいよなんだな」 ペトロは溜息を吐く。 こんな緊張は何度味わっても慣れない。 皆、静かに準備して、教会に向かう。 「なぁ、ペトロ。ちょっと聞いていいか?」 教会に行く途中、イザヤが小声で尋ねる。 「何だ?」 「さっき、ダリスに何を聞こうとしてたんだ?」 イザヤは、さっきのダリスの様子が気になって仕方なかった。 「ああ、その事か」 ペトロは一瞬エリヤを見て、それからイザヤに視線を移す。 「何で、エリヤなんだろう」 「え?」 イザヤはペトロの言っている意味が解からない。ペトロは何と言おうか考えて視線を漂わせる。 「えっと、つまり、皆エリヤを中心に集まってきてる。誰が言うでもなく、エリヤに着いて行くべきだと皆思ってる。何でそう思ってしまうんだろう。教皇もエリヤを特に欲しがっている。ダリスもエリヤに対してまず考えてる。何でエリヤは特別なのかな。エリヤだって俺達と同じ筈だ。何も変わらない筈なのに、皆エリヤを特別だと思ってる。それが何故なのか気になるんだ」 「ああ…」 そういうことか。だったらきっと…。 「きっと、ダリスは知ってる。そう思ったんだな?」 「ああ」 イザヤはペトロを見つめる。エリヤのこと。自分はそんな風に考えなかった。当たり前だと思ってた。 ドクンッ イザヤはビクッと痙攣したように震える。自分の身体を抱きしめるようにして腕を摩る。 (今のは何だ!?) 嫌な汗が出てくる。 (今、一瞬見えた映像は何だ?) イザヤはペトロを見る。イザヤの様子には気づいてないようだ。 もうすぐ教会に着く。 (気にするな) 自分に言い聞かせて、イザヤは深呼吸する。 気にする必要は無い。あんなもの、気にする必要なんてない。 もう、教会は目の前だ。 「いらっしゃい」 ヨハネは門の前で出迎える。 何時も不思議に思うが、どうやって見張りを引かせているのだろう。 緊張した様子もなく、ヨハネは笑っている。 今日は下手な意地悪も無いようだ。 「ヨハネ、教皇は?」 ダリスがヨハネに尋ねる。 「奥の対面室に居るよ」 「解かった」 それだけ会話するとダリスは先に進む。皆はダリスの後を追う。 「ヨハネは来ないのか?」 「場所は解かっているからな。先回りしているだろう」 エリヤの問いにダリスは答える。 「そうか」 エリヤは呟くように言う。 皆、静かに対面室に歩いていく。扉の前まで来て、一度エリヤは立ち止まる。そして、皆の顔を見回す。 ギィッ…っと音を立てて扉を開ける。 教皇ははっとエリヤを見る。ヨハネは教皇の隣に居る。 教皇はダリスに気づいて笑う。 「はははははっ!そうか、ダリス、貴様の差し金か!!」 教皇は座っていた椅子から立ち上がる。教皇の後ろでヨハネは眉間に皺を寄せて教皇を見ている。 「成る程、そういうことか。エリヤが私を殺せなかったので、貴様も着いてきたのだな」 「勝手な解釈をするのは別に構わないが、それで後悔しても知らないからな」 エリヤが教皇に銃を向ける。 「真実が何であるかは地獄で見極めろ」 ペトロも教皇に向けて銃を構える。教皇の顔が醜く歪む。 「死ぬのはお前だ!」 教皇は叫んだかと思うと、ペトロに銃を向けて撃つ。 ズキュンッ! 耳鳴りがするほどの音がしたかと思うと、ペトロが倒れる。 「ペトロ!」 マリアが悲鳴を上げてペトロを助け起こす。 ペトロの左胸の辺りから血がドクドクと溢れ出している。 「ペトロッ」 マリアの瞳から涙が溢れ出す。 いきなりの事に皆は呆然とする。一体今、何が起こった? 教皇はもう一度銃を構える。今度は銃口をエリヤに向ける。 「エリヤ!」 ダリスが叫んだと同時に教皇が引き金を引く。ダリスはエリヤをその場から押しのける。 「ダリス!!」 今度はエリヤとイザヤ、ユダが同時に叫ぶ。ヨハネもダリスの名を呼びそうになるが、堪える。 ダリスの右腕から血が滴り落ちる。 「ダリスッ!」 エリヤが真っ青な顔をしてダリスに駆け寄る。 「掠り傷だ、気にするな」 ダリスは右腕を押さえて、じっと教皇を見据える。 「ダリス…」 「しっかりしろ、エリヤ。お前はその程度の男か?今、自分が何をすべきか考えろ。迷っている暇は無いんだ」 「今、俺が何をすべきか…?」 エリヤはダリスを見つめ、それからペトロを見る。 「引こう!早く。イザヤ、ユダ、ペトロを支えて外に出るんだ!」 エリヤの言葉にイザヤとユダは自分の肩にペトロの腕を回し、支えながら部屋を出る。 「ま、待て!」 教皇が再び銃を構えたのを見て、エリヤは教皇の向こうに二発撃った。 教皇はビクッと怯えて銃を取り落とす。 エリヤはその間に教皇の部屋から出て行く。部屋を出て行く時、エリヤは一層憎憎しげに教皇を睨みつけた。 ペトロをあまり歩かせる訳にもいかず、近くの公園に入る。 「ペトロッ、しっかりして!」 ベンチの上に寝かせられたペトロにマリアは呼びかける。 「マリア…」 ペトロは薄く瞼を押し上げてマリアを見つめる。 「ペトロ、今すぐ治療を…」 「ダメだ。どうせ助からない」 イザヤの言葉に、ペトロは首を横に振る。 「何言ってんだよ!」 「解かるさ、それくらい。自分の事だからな」 ペトロは微笑を浮かべながら言う。息は段々荒くなっていく。 「マリア、泣くなよ。泣かれたら親父達に顔向け…出来ない、だろ」 「ペトロ…」 マリアの瞳から大粒の涙が溢れ出している。ペトロは腕を伸ばし、指でマリアの涙を拭ってやる。 マリアはペトロのその手を両手でぎゅっと握り締める。 「笑って、マリア…」 ペトロの言葉に、マリアは何とか笑おうとして、逆に変な顔になる。 「愛してるよ、マリア………愛してる……」 「ペトロッ!」 今、ペトロは呼吸していない。生きていない。マリアの叫びも聞こえない……。 死んでしまった。 マリアはペトロの手を握り締めるが、何の反応も感じられない。 「ペトロ、ペトロ……ペトロ」 名前を呼んでも返事が無い。マリアはペトロにすがり付いて泣く。 誰も声を掛ける事は出来なかった。たった一人の家族。 それを失ってしまった悲しみは……。 「……っ」 一瞬息を呑んで目を見開く。 マリアから青白い光が発せられて、ペトロの傷が塞がっていく。 「これが、マリアの力?」 ユダが呟く。傷を治す力。 「もう、遅いわ」 マリアは自分の身体から発せられる光をじっと見つめながら言う。 「もう、遅い。傷を治してもペトロは帰って来ないもの!!」 マリアの叫びは痛いほどよく解かった。身体についた傷は治っても、死んだ者は生き返ったりしない。 皆、マリアを見る事が出来ない。 しかし、エリヤはマリアに近寄り、手首を掴む。 「もう一人、怪我してる奴がいる」 ふっとマリアがダリスを見る。 そして、右腕から流れ続ける血を。 「……」 マリアは無言でダリスに近づき、傷に手を当てる。すると、見る見るうちにダリスの傷は塞がっている。 パンッ 甲高い、いい音がした。マリアがダリスの顔を叩いたのだ。 「貴方さえ居なければ……」 マリアは肩を震わせながら言う。ダリスは眉一つ動かしていない。 「貴方さえ居なければペトロは死ぬ事なんてなかったのに!貴方さえ来なければ、教皇様を殺そうなんて言わなければ、ペトロはこんな事にはならなかった!!」 そう叫ぶとマリアはくるりと向きを変え、走っていく。 「マリア!」 イザヤがマリアを追いかける。 「…ダリス」 エリヤの声にダリスは其方を向く。 「マリアは………」 「優しい子だな」 ダリスは言う。マリアに対する怒りなど感じられない。 「態々俺の怪我を治していった」 「ああ…」 エリヤはほっとした様に笑う。 「マリアは、イザヤが何とかしてくれるだろう」 「ペトロはどうする?」 「俺の家に連れて行こう」 ダリスはペトロに近づく。ダリスは自分のコートを脱いでペトロにかぶせる。 「俺は今日はこのまま帰る。ペトロは俺が責任を持つ」 「…そうか」 エリヤの呟きと共にダリスはペトロの遺体を抱き上げる。 「またな」 「…ああ」 エリヤとユダはダリスが見えなくなるまで見送った。 「待てよ、マリア!」 イザヤはマリアの腕を掴んで引き止める。 「ダリスを殴るんなら、俺も殴れよ」 マリアは、はっと向き直る。 「どうして?」 「見えたんだよ、俺…」 「え?」 「ペトロが血まみれに倒れる映像が」 イザヤの言葉にマリアは目を見開く。 「解かってたのに、止める事が出来なかった。だから俺も殴れよ」 「でもそれは…今までそんな事無かったんでしょ?だったら…」 「ダリスも同じだ」 「え?」 「ダリスはなんでも知ってるように見えるけど、実際はそうじゃない。ただの人間なんだ。先を予想するこなんて出来ないし、ましてや誰かが死ぬなんて解かる訳がない。俺たちだって一度は引き受けたんだよ。だから…」 「解かってる!解かってるわ、そんなこと。誰が悪いのかも。でもどうしたらいいの?ずっと信じてたのに」 「マリア…」 「もう、何を信じたらいいのか解からない…」 「エリヤを信じろ。俺たちの行く路を示してくれるあいつを」 イザヤは其処まで言って考える。結局自分もエリヤに依存している。ペトロの言っていた事は当たっている。 聞かなければいけない。ダリスに。 「くそっ、ダリスめが。エリヤを嗾けおって…」 教皇は苦々しく言う。ヨハネはそれを隣で聞いている。 「エリヤはダリスを大分心配していたな。他の者も…」 それだけ言って教皇はふっと笑う。 「そうか、それはいい。エリヤの弱点はあいつか!そうだ、あいつがどうなろうと私には何の関係もない。なぁ、ヨハネ、そうだろう?」 「…はい」 教皇が高笑いするのをヨハネは苦々しく思う。 (……ダリス、君の思い通りになったよ。君の……) ヨハネは教皇に解からないように深い溜息を吐いた。 |