第八話 〜誰のために〜



 安息日。教皇を殺す計画の決行の日。
 マリアは、ダリスと一緒にエリヤ達を見送った。
「無事に帰ってきてね」
「ああ」
 マリアは教皇を殺す事に納得した訳ではないだろうが、それでももう何か言うつもりは無いらしい。
 エリヤ達を見送った後、マリアは溜息を吐く。
「心配か?」
 ダリスの冷たい問いにマリアはかっとなる。
「当たり前じゃないっ!」
「何が心配なんだ?エリヤ達が怪我をするかも知れない事か?それとも教皇を殺した後の事か?」
「え?」
 マリアは目を見開く。どちらと聞かれて答えられなかった。
「どちらにしても必要ないな。エリヤに教皇は殺せない」
「どういうこと?」
「帰ってくれば解かる」
 ダリスはそれだけ言って屋上に向かう、マリアも何となく着いてくる。
 星と月が瞬いている。
 なんて綺麗な空。風はマリアの髪を掬い上げ、遊んで過ぎていく。
 それはダリスも同じ事で…。
 柔らかな髪を楽しそうに風は弄んでいく。
 其処に居るのが当然というように、まるでいくつかあったパズルを組み合わせて一つの絵になったようにダリスは其処に立っていた。
 暗闇の中でも彼の姿だけは決して見失ったりしないだろう。
 さっきまでの怒りが冷めていくのが解かる。
「私には……」
 マリアが話し始めたのに気づいて、ダリスはマリアと視線を合わせる。
「私には、解からないわ。どちらが心配かなんて…解からない。両方なのかも知れない」
 ダリスはマリアを暫く見つめ、口を開いた。
「誰でも、先のことは不安になる。特にそれが好きな者に関する事なら」
「…ありがとう」
 か細い声でマリアは言う。そして、しっかりした瞳でダリスを見る。
「貴方は、一体何を知っているの?」
「何も。俺は俺の望むようにするために動いているだけだ」
「じゃぁ、何を望んでいるというの?」
「言えない」
 ダリスの答えにマリアは不満の色を浮かべるが、何も言う言葉が思いつかない。
 そして、ただ静かに時は過ぎていく。


 エリヤ達は教会の前まで来る。
 しかし、四人は中に入るか入らないか迷っていた。
 何故かと言えば、教会の中の明かりが全て点いており、門の付近も全面照らし出されていた。
「どうする?エリヤ」
「……」
「そんなところで何してるのさ」
「!」
 行き成り声を掛けられて皆其方を見る。
「ヨハネ…」
「行くんだろう、教皇を殺しに」
 四人は顔を見合わせて言い淀んでいる。
「安心しろ。中に見張りは居ない」
「この電灯は?」
「僕が点けた」
「なっ!」
 あっさり言うヨハネにユダが怒鳴ろうとするが、イザヤに取り押さえられる。
「何故こんな事をしたんだ?俺達はばれたのかと思って中には入れなかったんだぞ」
 ペトロがヨハネに言う。
「………………八つ当たり」
「なっ!?」
「なんだそれ!?」
「落ち着けユダ!」
 ペトロとユダは怒るが、イザヤやエリヤは何も言わない。
 少なからず理由は解かっているから。
「理由は解かったよ。でも此れはちょっと心臓に悪い」
「理由って何だよ!?」
 ユダが怒鳴る。
「だから、怒鳴るな。原因はな、ダリスだ」
「え?」
「君達ばっかりダリスに逢うなんて、ずるいだろう?」
 ユダは怒る気も失せたようにその場に座り込む。ペトロも呆れたような顔をしている。
 しかし、イザヤもエリヤもある意味同類なので一方的に責められない。
「気持ちは解かるが、何もこんな時にしなくてもいいだろう」
「こんな時だからするんだよ。他に機会も無いしね」
「……」
「行こう。遅くなるよ?」
「…ああ」
 エリヤは溜息を吐いてヨハネの後を着いていく。他の皆もその後に続く。
「ダリスに頼まれたんだろう?」
「ああ」
 ヨハネに聞かれた事にエリヤは頷く。
「全く、ダリスも馬鹿なことを…」
「え?」
 呟いたヨハネの言葉にエリヤは反応する。
「何でもない。こっちだよ」
 ヨハネは教皇の居る場所に案内する。
「前と部屋を変えたのか?」
「ああ。前の部屋は物置になってるよ。前の部屋じゃエリヤ達が来たらすぐ見つかると思っているんだろう」
「成る程」
「この先を真っ直ぐ行ったら教皇の部屋に着く。僕は君達に着いて行くわけにはいかないからね」
 皆はヨハネの指差した方を見る。
 その先は明かりも灯っていなくて、真っ暗だった。
「エリヤ、本当に教皇を殺すつもりか?」
「え?」
「教皇を殺せばどうなるか、お前が解からないはずは無いだろう?」
 ヨハネの言葉を、エリヤは目を見開いて聞いている。
「それでも行くのなら、行けばいい」
 それだけ言ってヨハネはエリヤ達の傍を離れていった。
「……エリヤ、行こう」
「ああ…」
 エリヤは歩きながら考えていた。
 教皇を殺せばどうなるのか……。そんなこと、いくらでも考えた筈だ。
 教皇を殺す、殺す殺ス、コロス、教皇を……。
 エリヤが気づいてた時には、もう扉の前だった。
 エリヤはゆっくりと扉を開ける。
 真っ暗だった廊下に光の線が差し、闇を段々と侵食していく。
 光の向こうで教皇はエリヤに気づき、目を見開く。
「エリヤ……戻ってきてくれたのか?」
 教皇の言葉をエリヤは鼻で笑う。
「そんなはず無いでしょう。俺達は裁きを与えに来たんだ」
「裁きだと!?お前達に私が殺せるというのか?」
 エリヤは無言で拳銃を教皇に向ける。
 しかし、エリヤの頭の中には先刻のヨハネの声が渦巻いている。
 ―――教皇を殺せばどうなるか―――
 そうだ、罪を背負う事は覚悟している筈だ。
 ―――誰のために?―――
 それは…―――。
 エリヤは自分の手が震えているのが解かった。
 ―――忘れるな。俺も一緒に罪を背負う―――
「エリヤ、どうしたんだ?」
 ペトロがエリヤを呼ぶ。
(殺せない)
 そう、今の状態では教皇を殺す事など出来る筈が無い。
「帰るぞ」
 エリヤは言う。
「え?何で?」
「とにかく帰るんだ!!」
 そしてエリヤは部屋から出て行く。他の皆も戸惑いながらもエリヤに続く。
 エリヤ達は走って教会を出ようとする。
 ふと気づくとヨハネは門の傍に立っていた。
 エリヤ達四人は立ち止まる。
「殺せなかったんだ?」
 ヨハネの言葉にエリヤは答えない。
「僕は、君があのまま教皇を殺すような馬鹿じゃなくて良かったと思うよ」
 エリヤはそれだけ聞くと門を抜け、走り出していく。ペトロとユダも後を追う。
 イザヤはヨハネに向き合っている。
「ヨハネ、エリヤは、ひょっとしてダリスを……」
「行きなよ」
 ヨハネの言葉に、イザヤは走ってエリヤを追いかける。
 ヨハネはイザヤを見送りながら呟く。
「全く、馬鹿なのはダリス一人で十分だよ」


 星空を見上げていたダリスは視線をマリアに向けて言った。
「エリヤ達が戻ってくる」
「え?」
「下に行こう」
 ダリスが階段に向かうのにマリアは急いで後に続く。
「あのっ、エリヤは本当に教皇様を殺してないの?」
「ああ。怪我も無いだろう」
 ダリスとマリアは部屋に行く。其処でエリヤ達を待っていた。
 マリアから見ればダリスは、何を考えているのか解からない人間だった。
 エリヤもイザヤもダリスの前ではただの子供になってしまうような感じがする。彼の何があの二人を其処まで信用させたのだろう。
 彼の何を理解したのだろう……。
 全てを知っているような言動や、あまり感情を見せない表情から何を感じているのだろう。
 不意に、人が階段を駆け上がってくる音がする。
 ダリスはゆっくり立ち上がり、閉じられた扉をじっと見つめる。
 足音が近づいてきて、バンッと勢いよく扉が開いた。
「ダリス!!」
 エリヤはダリスに走り寄り、両腕を掴んで頭をダリスの胸に押し付けて俯く。
 マリアの目からもエリヤが震えているのが解かった。
「解かってたんだな?俺が教皇を殺せないと解かっててあんなことっ!!」
 エリヤが叫ぶようにダリスに言っている間に、他の三人も部屋に入ってくる。
 マリアは何があったのか知ろうとペトロを見たが、ペトロは首を横に振るだけだった。
「エリヤ、教皇を殺せなかったんだな?」
「そうだ!殺せる筈が無い、殺せる筈が!!」
「何故?」
「解かっているだろう!!」
 エリヤは怒鳴りながらもダリスの顔を見ない。皆、こんなに取り乱したエリヤを見るのは初めてだった。
「エリヤ、落ち着け」
 イザヤがエリヤをダリスから引き離そうと、エリヤの肩を掴むと、エリヤはそれを振り払って部屋から出て行く。
 ダリスは溜息を吐く。
 イザヤは額に手を当てて呆れたように言う。
「お前の所為だぞ、ダリス。お前じゃなきゃ、エリヤはあんな風にはならない」
「俺は別に教皇を殺すなと言った憶えは無いが?」
「よく言うよ、解かっていたくせに。ヨハネも……」
「おい、一体どういうことなんだ?」
 ユダはイザヤに聞く。ペトロもユダも、そしてマリアもさっぱり解からないらしい。
「ダリス」
 イザヤが一言名前を呼ぶと、ダリスは解かったとでも言うように溜息を吐いて部屋から出て行く。
「おい、どういうことだよ」
 ユダはもう一度イザヤに問う。
「さぁ、どういうことかな」
「おいっ!」
 ユダの文句を無視して、イザヤは天井を見上げた。


「どうして…」
 エリヤはダリスを目の前にして問う。
「どうして、俺に教皇を殺せと言ったんだ」
 ダリスは答えない。
「俺が教皇を殺せないと解かってて、あんな事を言って!!」
「―――エリヤ、俺はお前が教皇を殺せないとは思っていない」
「じゃぁ、どうして…」
 ダリスは瞳を閉じる。
「お前が、今回教皇を殺さないのは、確かに俺の仕組んだ事だ」
「ヨハネも知っていた」
「あいつは勘が良いからな。エリヤ、お前が今回手を汚していたら、ヨハネは罪を問われるだろう」
「?」
「前から、教皇の部下はヨハネを怪しんでいたらしい。今回教皇を殺していれば、ヨハネはそいつに訴えられていた」
「それじゃぁ、その疑いをヨハネから逸らすために?」
「ああ。でも、次は教皇を殺す。その時は俺も着いていく」
 その言葉にエリヤは目を見開く。
「次?お前も?」
「そうだ」
「馬鹿な!」
 エリヤは怒鳴る。
「俺が何のために教皇を殺そうとしたのか解かっているのか!?俺は……」
「エリヤ、始めから俺がお前に頼んだ事だ。始めから俺が罪を背負うのは解かっていた筈だ」
「違う!そうじゃない!!お前が罪を犯す必要は無いんだ!!」
 ダリスは溜息を吐く。
「――エリヤ、いつかは教皇を殺さなければならない。そうしなければ終わらない。教皇は自然を汚し、俺達の住む世界を汚した。お前は迷っている暇なんて無い筈だ。罪を背負う事がなんだ?俺はそんなことで自分を見失ったりはしない。エリヤ、次は俺も着いていく。いいな?」
「俺は、お前に罪を背負わせたくない」
「背負う事の何がいけない?エリヤ、解かっている筈だ。そうだろう?」
 まるで小さな子供をあやすようにダリスは言う。
「着いて来るだけだな?本当に、着いて来るだけだ。手を下すのは俺だ」
「ああ。解かってる。他の皆も心配している。下に戻ろう」
「ああ」
 エリヤは頷く。さっきまで取り乱していたのが嘘のようだ。
 ダリスとエリヤは二人で部屋に戻っていった。


「エリヤ」
 二人が部屋に戻ると心配そうにマリアが駆け寄ってくる。
「もう、大丈夫なの?」
「ああ。大丈夫だ。次は失敗しない」
「やっぱり、また行くの?」
「ああ」
「じゃぁ、その時は私も行く」
「マリア!」
 ペトロがマリアと止めようとする。
「危険だ。そんな事はダメだ!」
「危険なのは解かってる!だけど、私一人、何もしないで此処に居るなんて出来ない」
「マリア…」
 ペトロはエリヤを見る。
「仕方ない。十分に気をつけるんだ。いいな?」
「ええ」
 エリヤは溜息混じりに言う。マリアはほっとしたように笑みを漏らした。
「俺はそろそろ帰るが、お前達も早く休むといい」
「ああ…」
「次に会うのは、教皇を殺しに行く時だな」
「ダリスも行くのか?」
 ユダが尋ねる。
「ああ。俺も何もしないわけにはいかないからな」
「……ダリス」
 イザヤに呼ばれてダリスは其方を見る。
「お前、変なこと考えてないよな?」
「変なこと?」
「………」
 イザヤは何か言いたそうにしているがなかなか言葉が出てこない。
「嫌な予感がするんだ。だから…」
「イザヤ、俺は何も出来ない」
 ダリスはイザヤに言う。
「お前が何を感じているのか解からないし、それを知る術も無い。俺には何も言えない」
「そうか…そうだよな」
「それじゃぁ、また」
 ダリスが部屋を出て行くのを皆は見送る。
「ダリス。次はいつ?」
「一ヵ月後に」
「解かった」
 そしてダリスは自宅へ帰っていった。


 星空を見上げながらヨハネは椅子に腰掛けていた。
「言い訳に僕を使うのか…」
 ヨハネは深く溜息を吐く。
「一ヵ月後…ダリスも一緒に……」
 闇が彼を包み、呟きはそれに飲み込まれる。
「やっぱり馬鹿だよ…ダリス」
 ヨハネはさっきより一層深い溜息を吐いた。
 頭の中はもう眠りの淵に居る。
 白い闇に頭の中を侵食されながらも、最後まで彼の声が頭の中に残っていた。

 ―――――自由を得るために―――――


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