第六話 〜一人じゃない〜



 その日、月は出ていなくて、ただ闇の中星達が瞬いていた。
 穏やかな日、それは突然。
 何も知らない自分、何も出来ない自分、それが恨めしかった。
 大人達の手に自分は捕らえられて、両親が死んでいくのを見ているしか出来なかった。
『父さん、母さん!』
 いくら叫んでも戻らない過去。夢に魘される日。
 それは皆、同じ夢。
 父さんと母さんの死にゆく顔が見ていられなくて目を閉じる。不思議と涙は出てこなかった。
 悪夢だと解かっていても、目の前に広がるのは紛れも無い事実。
 起きた後の息苦しさも……。
「エリヤ、どうしたの?」
 夢に魘されて起きたエリヤの気配を感じてペトロの横で眠っていたマリアが起きだす。
「いや、夢見が悪かっただけだ」
「そう…」
 エリヤは汗をかいた額を拭う。何の夢か言わなくても解かるだろう。マリアの顔が曇っていくのが解かる。
「気にするな。俺だけの夢じゃない」
 そう言ってエリヤは再び横になる。マリアは暫くエリヤを見つめていたが、また横になって静かな寝息が聞こえてくる。
 マリアは、ダリスに頼まれた事を受けたと知ったら何というだろう。
 教皇を信じ続けるマリア。何が彼女をそうさせるのか解からない。
 信じられる事など何も無い。自分には、何も…。
「エリヤ、起きてるか?」
 イザヤがむくりと起き上がって言う。
「何だ」
「ちょっと話がある。出よう」
 起き上がったエリヤにイザヤは言う。心なしか緊張しているようだ。
 イザヤに続いてエリヤは部屋から出る。他の皆はぐっすり眠っているようだ。
「ダリスと何を話した?」
 イザヤは行き成り切り出す。
「……教皇を殺すように頼まれた」
「はっ、やっぱりそうか。何となくそんな気はしてたんだ。ダリスと話してから妙に暗かったからな」
「イザヤ…」
「ダリスはお前に頼むんだな」
 悔しいのか、自分じゃないことが。
「一人で行こうなんて考えるなよ。お前一人だけに罪を背負わせるわけにはいかないからな」
「しかし…」
「いいか?嫌でも俺は着いて行くぞ?」
 イザヤはエリヤに反論の余地を与えない。
「お前は一人じゃないんだ」
 エリヤは目を見開く。
「イザヤ、それは…」
「救われたよな、お前もそうだろう?」
「……ああ」
「やっぱりな。あいつはそうなんだよなぁ。いつダリスと会ったのか聞かせてくれないか?」
 イザヤの展開の早い会話にエリヤは少し戸惑う。
「……お前も聞かせてくれるんだろうな?」
「もちろん」
 エリヤは微かに溜息を吐いて話し始める。
「ダリスと会ったのは六年前だ。教皇のところに連れてこられて数日が経った時、俺は教会を抜け出そうとした…」


 月は出ていた。星も出ていた。雲は無かった。
 必死に走る。追っ手が来ないうちに。木々の間を抜け、草をかき分けて人通りの少ない、道とも言えないような場所を進んでいく。
 こんなところには居たくなかった。逃げたい、一刻も早く。こんな所には居たくない…。
 ザッと草道を抜けると、其処には小さな池があった。この教会とはかけ離れた、やけに神聖な香りのする場所だった。月や星が水面に映り、ぼうっと光っているように見える。
 エリヤは思わず息を呑んだ。
 少年が水辺に佇んでじっとエリヤの方を見ている。
「お前も、抜け出してきたのか?」
 エリヤは声が出たと思った瞬間にはもう遅かった。
「君は、抜け出してきたんだ?」
 失言だと悟るのに時間はいらない。少年の問いで彼が抜け出して来たわけではないのだと解かる。
 しかし、今更誤魔化しようが無い。
「どうしてこんな時間にこんな所に居るんだ?」
 何か聞かれる前にエリヤは自分から質問する。
「この時間のこの場所が一番綺麗なんだ」
 エリヤはそう話す少年の顔をまじまじと見つめる。
 茶色い、やわらかそうな髪、深い青色をした瞳、月に照らされて透き通るような白い肌。自分とは正反対の特徴を持っている。いかにも育ちの良さそうな感じがする。
「此処から抜け出すのは無理だ」
 少年の言葉にエリヤははっとする。
「どうして」
「見張りがいる。出られる門は一つしかないし、途中に柵がある。子供には越えられない。それに門には熱光線がしかけてあるんだ」
 少年は静かに言う。あまり表情は変えないが、目はとても優しかった。
「だけど、此処には居たくない」
「何故?」
「此処はすごく血の匂いのする人間が居る。それに両親を殺した奴のところになんか居られない。此処は穢れきっている」
 エリヤは凛とした声で言う。
「どうしても此処を出たいのなら、もう少し待てるか?」
「え?」
「星の読み方は知っているか?」
「ああ、前に父さんが教えてくれた」
「抜け出したいのなら協力してもいい。やり方も星で知らせる。ただ、もしそれを実行するのなら犠牲が必要になる」
「犠牲?」
「ああ、そうしなければ此処からは出られない」
 少年はエリヤを見つめる。試すように。
「此処から出たい。犠牲を出しても、此処に居るよりはずっとマシだ」
「君の、名前を聞いてもいいか?」
「エリヤ」
「エリヤ――、そうか、俺の名前はダリス。よろしく」
 そう言ってダリスはエリヤに右手を差し出す。エリヤもそれに応える。
「――此処を出て、それからどうする?」
「解からない。俺には何も残っていない。家族も、友達も、住む場所も…一人で何が出来るのかも解からない」
 ダリスは少し表情を歪める。
「そんな事は無い。今は確かに一人かもしれないが、そんなことがずっと続く筈が無い。お前なら全て取り戻せる。家族も友人も家も、取り戻せる。前と同じにはならないかも知れないが、お前は一人じゃないんだ、大丈夫だろう」
「一人じゃない?どうしてそんなことが言える」
「お前がエリヤだからだ。だからこそ、きっと前以上のものが手に入れられる」
「よく解からない。どういう意味だ?」
「そのうち解かるさ」
 ダリスの言葉が何を意味しているのか解からない。だけどそれが真実なら、いい。
「だけど、溜め込んだままでは次に進めない」
「?」
「泣いていないだろう?両親が死んで、泣いてないだろう」
「どうして…」
「見ていれば解かる。悲しみを吐き出さないと次に進めなくなるんだ」
「次に?解からない。哀しい筈なのに、涙は出なかった。俺は本当に両親のことを想っていたのか…」
「あまりにも悲しみが大きすぎると、涙は出なくなる。絶望の中に追いやられれば希望が見えなくなる」
「泣く事が出来ないのは…」
「認めた方がいい。自分の悲しみを。認めて、受け止めて――、それから希望を見つけるといい」
 ダリスの言葉が胸に響く。認めていなかった?両親の死を。悲しみを。だから泣けなかった?
「弱い自分を受け止めれば、強くなれる」
 弱い自分――…。そう、弱い。だから両親が死んだことは認めたくなかった。何も出来ない自分。両親が殺されたと口に出してはいたけど、心の中では認めることが出来なかった。
 認めなければいけない。両親の死を、自分の弱さを…。そう思うと自然に涙が溢れてきた。
 泣いているエリヤの隣で、ダリスはただ水面を見つめていた。
 ダリスに涙を見せても不思議と嫌な感じはしなかった。エリヤが泣き止むまで、ダリスはずっと隣にいた。


「…やっぱりダリスってかっこ良いなぁ…」
 エリヤの話を聞いてイザヤは溜息を吐くように言う。
「子供らしくない」
「人のこと言えないだろ、お前…」
 イザヤは苦笑する。
「お前の話も聞かせてくれるんだろう?」
「ああ、そうだな」
「お前があんなに懐くんだったらよっぽどなんだろうな…」
「いいだろ、ダリスは特別なんだ」
 イザヤは嬉しそうに言う。
「早く聞かせろ」
「そうだな。俺もやっぱり六年前。教皇のところに連れてこられて一ヶ月ぐらい経った時……」


 まるで迷路のようだ。白い壁、支柱、手すり…何処に行っても同じような景色に見える。
「まいったな、完全に迷った…」
 イザヤは溜息を吐く。
 入り組んでいるのでもう此処が何処かすら解からない。
「書庫に行こうとしただけなんだけどな…」
 イザヤはもう一つ大きな溜息を吐いた。
 外に面した廊下の窓から大聖堂の屋根が見える。十字架が屋根の頂上についているので良く解かる。
 大聖堂からの距離を見て此処が何処なのか知ろうとする。
「あ、そうか!其処を右に行けばいいんだ」
 イザヤは走って角を右に曲がり、一つの扉を勢いよく開ける。
「当たりだ!」
 イザヤは妙に嬉しくなる。広い室内に本棚が並んでいる。
「何が当たりだって?」
 本がびっしり敷き詰められた書庫から声がする。微かに漏れて入る日光が書庫の中で舞う埃を映し出す。だけどそれは、汚いものではなくて、まるで光の粒子のようだった。
 その光の中に一人の少年が、脚立の上に座って本を読んでいたのだろうが、今はイザヤの方を見つめている。
「や、あの、一回道に迷って…だから此処を見つけられて嬉しかったんだ」
 イザヤは妙に気恥ずかしい気分になる。
「ああ、此処は迷いやすいし、三ヶ月ぐらい此処に居なければ覚えられないだろうな」
 少年はイザヤが道に迷った事を、別に恥ずかしい事だとは思っていないらしかった。否、逆に当たり前の事だと言っている。
「君は、此処に捕らわれて来たんじゃないのか?」
「いや、俺は貴族の家だから、教皇も手が出せない」
「俺と、同い年?」
「君が捕らわれてきたのならそうだろうな」
 イザヤは少年に走り寄る。
「俺、イザヤって言うんだ。君は?」
「ダリス。よろしく、イザヤ。俺は時々この書庫を利用しているんだ。ひょっとしたらまた会うかも知れないな」
 そう言ってダリスは脚立から本を持って下りてくる。
 十歳の少年にしては妙に落ち着いた感じがする。貴族だからなのだろうか、それとも彼の本質なのか…。
「イザヤか。預言者の名前だな」
「そうそう。俺、天気予報できるんだ。結構当たるし」
「そうか、じゃぁ明日の天気は?」
「明日は曇りだな。うん、間違いない」
「明日になったら結果が解かるな」
 ダリスは少し考えたように言う。
「また、会おう」
 そう言ってダリスは本を持って部屋から出て行った。


 それから何度となくイザヤはダリスと会った。
「本当にイザヤの天気予報はよく当たるな」
「だろ?これだけは得意なんだ」
 イザヤは笑うがあまり元気が無い。
「どうかしたか?」
「いや、ちょっと…な」
 イザヤは口ごもる。
「なんか、凄く虚しい気がするんだ。教皇は気に入らない子供は平気で打つし、何をしても怒るだけでさ」
「打たれたのか?」
「俺はそんなこと、ないけどさ。気に入らない子供を此処においておく必要なんてあるのかな」
 イザヤは俯く。
「教皇には両親も殺されてるし、此処に居る理由だって…」
「此処から出たいのか?」
「ああ…。あ、でもお前と会いたくない訳じゃないんだ。ただ、此処に居るとどうしても一人だって感じがするんだ。何もない、一人だって」
「お前は一人じゃないさ」
「お前が居るからか?」
「いや、一度同じことを言った人間が居る。会う事になる、不思議な力に導かれて」
 ダリスはイザヤが顔を上げると今までに無いくらい穏やかな顔をしていた。
「ずっと繋がっているんだ。だから、お前は一人じゃない。何があっても」
「一人じゃ…ない」
「そうだ。他にもいる。お前の大切な仲間になる人間が」
「お前は…違うのか?」
 イザヤは真剣な顔をしてダリスに尋ねる。
「俺は違う。イザヤ、お前が出会う仲間に、俺はなれない」
「どうして…」
「俺は一人だ。何があっても一人でなければならない」
 ダリスの声はやけに静かに響いた。
「そんなことはない!俺が居る。俺はお前の傍に、ずっと!!」
「それはダメだ。お前は此処から出るんだ」
「…何故?」
「仲間に出会うために。お前が望むのなら、俺と再び会う事も出来るだろう」
 イザヤは信じられなかった。ダリスの言っている事が理解できなかった。
「よく、解からない。何を言っているんだ?」
「後で解かる。だから今は俺の言う事を聞いてくれ」
「ダリス?」
「此処を出るんだ。会えるから。幸い、教皇は俺達が此処で会ってる事を知らない。どうやって出るかは星で知らせる。俺は、もうお前とは会わない」
 星の読み方はダリスに教えてもらったから知っている。しかし…
「どうしてもう会えないんだ?」
「教皇に怪しまれるわけにはいかない」
 ダリスは平然と言い放つ。
「お前は、それでいいのか?平気なのか!?」
 イザヤはダリスに掴みかかる。
「イザヤ、一生会えない訳じゃない」
「それでも…」
「イザヤ」
 悲しんでない訳じゃない。瞳を見れば解かる。それを口にしないのは何故だ。
「お前は、それが望みなのか?」
「ああ」
「そうすれば、お前は満足なんだな?」
「ああ」
「解かった。此処から出るよ。お前とはもう会わない。でも、俺は絶対に離れない。俺の心は、絶対にお前の傍を離れたりはしないから!」
 そう言ってイザヤは書庫から駆け出していく。
「イザヤ!」
 ダリスに名前を呼ばれても振り返らない。
 どれだけ救われているか解からなかった、ダリスに会っている時間だけが楽しかった。
 だから、ダリスがそれを望むなら叶えたかった。

 教会から抜け出して、ダリスの言う通りエリヤ達と出会った。
 だけど、エリヤ達も大切だったけれど、ダリスの噂は必ず聞き逃したりはしなかった。
 ダリスが家を継いだことも、どんなことだって聞き逃したりなんてしない……。


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