第一話 〜星の中に〜



 自動車の排気音がする。
 この街に晴れた日は少なく、曇りの日が多い。
 やたらな自動車の多さがそうさせるのだろう。
 道はいつも渋滞。そのくせ交通整備がされていないから事故も多い。
「キリストが居た頃はこんな風になってるなんて思わなかっただろうな。な、エリヤ」
「キリストが実存したかどうかも怪しいものだな」
 ビルの屋上から地上を見下ろしながらエリヤは答える。
「ユダ、お前はどう思う?今の地上を」
「最低だな。空気は汚いし、水は不味い。キリストが奇跡を起こしたってんなら一瞬にしてここらの空気と水を綺麗にして欲しいもんだな。昔はもっと綺麗だったんだろうにな」
「昔と変わらないモノもある」
「教皇の石頭か!」
 ユダは笑う。
「そんなことを言ってはダメよ!」
 少女の怒鳴り声に二人は振り返る。
「教皇様のことをそんな風に言ってはダメ!どんな罰があたるか…」
「罰だって?マリア、お前そんなこと信じてんのか?神様が俺達に何したってんだ!!」
 ユダはマリアに詰め寄る。
「六年前、俺達は教皇によって親を殺されたんだ。当時十歳の子供ばかりを集めて何をするつもりだったか知らないがな…。その上でまだ神を信じてるなんて言うのはお前ぐらいだ」
「エリヤ!」
 まだ諌めようとするマリアにエリヤが近寄る。
「俺達が何のために此処に集まっているのか忘れるな。裁きは俺達が下す。神じゃない」
「そういう事だ。親が俺にこの名前を付けてくれた事を感謝するぜ。キリストを裏切るなんてな!」
「ユダ。ペトロと一緒に買出しに行ってくれ。それからイザヤには先に戻るように言っておけ」
「りょーかい!」
 ユダは階段を下りていく。
「エリヤ…」
 マリアはエリヤを責めるような眼差しで見つめる。
「エリヤ、貴方は何のためにその名前を頂いたの?主を悪く言うなんて!」
「お前の両親はよほど熱心な宗教家だったらしいな。自分の娘にマリアなんて名前を付けるんだからな」
「それは貴方の両親だって…」
「違うさ。俺の両親は理想論者じゃない。俺がどんな人間なのかも解かっていた」
「だったらどうして…」
「それが正しいと思ったからだ。俺は教皇なんかに怯えて暮らすつもりはない。気に入らないなら俺達の傍に居る必要はないだろう」
「……」
 マリアは俯いて何も言わない。
「マリア、どうする?」
「罪を、背負うのなら、貴方と共に…」
 もう、ずっと昔に戻れない所にまで来ているのだから。


「エリヤはマリアと一緒か?」
 食べ物を袋に入れて持っているペトロがユダに問う。
「ああ、気になるか?」
「マリアは強情だからな」
「それでもきっとマリアはここから離れられないぜ。他に行くところもないし、お前も居る。第一、マリアはエリヤに惚れてるみたいだ。エリヤはイイ男だからな!」
「おい、エリヤの名前をそんな大声で叫ぶな」
 ペトロがユダを制する。
「俺自身、聖書で書かれていることは正しいと思うよ。マリアは、その想いが強いだけだ」
「ふん、さすが兄妹、宗教家の親に育てられただけはあるな」
「別にキリストを信じてる訳でも、教皇を正しいと思っている訳でもないさ。ただ正しい事も書かれていると言っただけだ」
 ペトロは一拍置いて言う。
「……だけど、俺も天の裁きなんていうのは期待するつもりはない。殴られても、もう片方の頬を差し出すとか、両親の死を許して天国に行くとか、そんな事は出来ないさ。両親の死を前にして殺した相手を許すなんて、それこそ本当に情のない行いだと思うからな」
「はは!ペトロ、お前もイイ男だよ!行こう。きっとエリヤ達が待ちくたびれてるぜ!」
 ユダとペトロは歩く速度を上げて、大通りからそれて、もう使われていないビルに入っていく。


 夜は静まり返る。
 その夜が来る前にイザヤは火をおこす。
「ただいま。あれ?エリヤ達はまだ帰ってないのか?」
「ああ、雨具を買いに行ってるんだ。明日は雨が降るからな」
「なるほど」
 帰ってきたユダとペトロにイザヤは答える。
「天然天気予報士だな、イザヤは」
「もし間違えて雨にでも濡れたら大変だからな」
 自動車の排気ガスの所為でここの街に降る雨は強力な酸性雨だ。雨に濡れたら病気になってしまう。
「明日は雨か。出歩かない方がいいな」
 ペトロが呟く。
「いや、明日は首都に行く」
「エリヤ!帰ってきたのか」
「何のためにこんなモノ買いに行ったと思ってるんだ。明日は雨が降っている間に首都に入る。そろそろいい頃合だ」
「とうとう行くんだな」
 イザヤは曇った空を見つめる。
「すぐに行動に移す訳じゃない。明日はとりあえず其処で落ち着ける場所を探す」
「どのみち変わりはしないさ。首都に入れば俺達の危険も増す。戦争は近い」
「知られずに近づいた方が分はあるな」
「本当にするのね?」
 マリアは心配そうに言う。
 ペトロはマリアの肩に両手を掛けて言う。
「マリア。俺達は別に教皇を殺すわけじゃない。捕らえられている人間を逃がすだけだ」
「教皇を殺すにしてもその後のあいつの出方次第。俺達があそこから逃げてくるのに少なからず犠牲者を出した。これは罪滅ぼしみたいなもんだ」
 イザヤも言う。
「でも、教皇様にも何かお考えが…」
「それで俺達の親を殺すのか?」
「それは…」
「マリア、俺達は今更止められない」
 イザヤはマリアの方を見ずに言う。
「そうだな。明日は朝早い。しっかり食べて早く寝る事だ」
 エリヤも言う。
「賛成。本当にもう今更。解かってるだろ?マリア」
 イザヤがふざけた調子で言う。
「マリア、何か作ってくれよ。皆マリアの作った美味しいご飯が食べたいんだ」
 ペトロの言葉にマリアは頷く。
「ええ、そうね。すぐに作るわ」
 そうしてマリアはガスの通っている部屋にユダ達が買ってきた食糧を持っていく。
「……マリアは、どうしてあんなに信じていられるんだろうな」
 イザヤは呟く。
「両親は、本当に教皇のことを尊敬してたんだ」
 イザヤの呟きにペトロは答える。
「俺達がハーフなのは知ってるだろ?今時国際結婚なんてそう簡単に認められることじゃない。そんな両親を教皇は保護してくれたんだ」
「確か日系だったよな?」
「ああ。だから両親は教皇に心酔してたし、マリアも…。俺は前から何となく胡散臭いとは思ってたけど、まさか両親が殺されるなんて思ってもみなかった」
「そう言えば、エリヤも日系だろ。綺麗な黒髪」
 そう言うユダにエリヤは視線を向けただけだ。
「答えたくないってか」
 ユダは大げさに溜息を吐く。
「エリヤは家族のこと、あまり話さないな」
 イザヤの言葉にエリヤは眉を寄せ、背中を向けて部屋から出て行こうとする。
「おい、エリヤ!何処行くんだ?」
「屋上。イザヤ、まだ雨は降らないんだろう?夕食が出来たら呼びに来てくれ」
「あ、ああ…」
 エリヤはそのまま部屋を出て行く。
「俺達って、エリヤには弱いよな…」
 イザヤは溜息を吐く。
「仕方ないさ。みんなエリヤに拾われたんだ。あいつが居なきゃ、今頃俺達どうなっていたか・・・」
 ペトロが言う。
「まぁ、お前は特にそうだったろうな。マリアも一緒だったし」
 ユダの言葉にペトロは苦笑する。
「お、いい匂いがしてきたぜ!」
 マリアの作っている夕食の匂いだ。
「う〜、この匂いの所為で余計に腹が減ってきたぁ」
「まだもう少し時間かかるだろ」
 イザヤがユダに言う。
「それに、マリアの飯は美味いが、お祈りをしなきゃ食わせてもらえない」
「意地になってんだよ、あれは!どーしてあそこまで意地になれるのか理解不能だっての!」
 ユダは空腹の為にいつもより気が短い。
「そう言うなよ、ペトロの妹なんだから仕方ないだろ」
「あ、なるほど」
 イザヤの言葉にユダは納得する。
「どういう意味だよ」
「俺達の中でお前が一番頑固者」
「なんだそれは!!」
「どうしたの?」
 そこに夕食を運んできたマリアが訊く。
「夕食出来たんだな!エリヤを呼んで来る!!」
 ユダはすごいスピードで走っていく。ユダを見送ってまたペトロに視線を移す。
「ペトロ?」
「あ、いや…」
「ペトロが頑固だって話してたんだよ」
「イザヤ!」
「ペトロ…」
 マリアは苦笑する。
「だめだよなぁ、兄貴がこんな石頭じゃ」
「オイ!」
「何、怒鳴ってるんだ?ペトロ」
「エリヤ!」
 戻ってきたエリヤは呆れたような顔をしている。
「まぁ、どうせイザヤとユダが二人でペトロをからかってたんだろう」
「流石エリヤ。物解かりが早い」
「いつものことだろう。それより早く食べよう」
 賑やかな夕食をとった五人は、その後、深い眠りに落ちた。


 教会で、教皇が話している。
「まだエリヤ達は見つからないのか?」
 肥満で中年の男が言う。
「申し訳ありません」
「いや、怒っている訳ではないのだよ。ヨハネ、お前は私の為によくやってくれている。ただ、お前ががんばって探しているのに見つからないのが悔しいのだ」
「そんな風に言って頂けると僕も気が楽です」
 ヨハネは教皇に頭を下げながら言う。
「これからも探してくれるか。お前が見つけて説得すれば奴らも此処に戻って来ると思うのだ」
「はい、喜んで」
 ヨハネは一度深く頭を下げて、教皇の前を後にする。
 暗い廊下。今日は曇っていて月が出ていない。明日は雨が降るだろう。
「馬鹿な教皇さん。あんたは子供ってものを甘く見すぎだよ」
 ヨハネは教皇に近づき、自室を宛がわれるほどに信頼を得た。
「僕と同じ、六年前に集められた子供。誰もアンタに傅きはしないさ」
 自室に入り、目の前に居ない相手に話し掛ける。
「エリヤ、早く来い。待ちくたびれてるんだ」
 深い、深い闇が辺りを覆っている。
「親の敵を出し抜くために。協力してやる。だから、早く来い」
 窓から何も見えない外を見つめながら、ヨハネは近いその時を待ちわびていた。
 どこかで、一羽の梟が鳴いている。


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