「ちょっと話が違うんじゃないかなぁ」 男はそう言って溜息を漏らした。 「僕は、邪光(じゃこう)が暴れて困っているから来てくれって言われたんだけどねぇ」 「何言ってんだ!金は渡しただろ!さっさと退治してくれっ!!あんた、邪光ハンターなんだろっ!」 「それはそうなんだけどねぇ」 男はまたしても溜息を吐く。男は前髪を長く伸ばしていて、その表情を窺い知る事は出来ない。のびた後ろ髪は紐で一つに束ねてある。暢気そうな延びた口調に、彼に依頼した村人は苛立つ。 「この邪光はどう見ても怯えている子供にしか見えないんだけどね」 男達の目の前に居るのは小さい獣だ。大き目と耳とふさふさの尻尾が今は威嚇してぴんと立っている。 キツネに似ている気もするが、キツネとは違う模様がついている。 邪光というのは大人になれば三メートルもある、凶暴な生き物だ。まれにいる人間以外にも特殊な力を持っている生き物で、専門のハンターがそれを退治することになる。普通の、訓練を受けていない人間では返り討ちにされるからだ。 しかし、今目の前に居るのは子供で、どう考えても村を襲っているようには見えない。 「この子の親は?」 「あんたが来る前に村を襲ってきて、大人数人がかりでやっと殺したんだ。死傷者が大量に出た。また村を襲ってくる危険がある奴をこのままにしておく訳にはいかねぇ」 村の代表らしき男が言う。 「だったら、今度も村人で何とかすればいいんじゃないの?」 「近づけないんだよ!警戒心が強くて。だからあんたを呼んだんだ!早くこいつを殺してくれ!」 「う〜ん、僕は何の罪も無い子供の邪光は殺したくないんだよね」 煮え切らない男に村人は更に苛立つ。 「やっぱり邪光ハンターに頼むなんてやめときゃよかったんだ!そんな暢気そうな男に邪光が殺せる訳ないじゃないか!!やっぱり私達の力で殺しておけばよかったんだ!!」 突然一人の少女が出てきて叫ぶ。皆驚いてその少女を見つめた。 「何が『罪も無い』だ。そいつの親は私の父さんを殺したんだ!!邪光なんてこの世から居なくなっちまえばいいんだ!!」 男は叫んだ少女をじっと見つめる。 「…君が、お父さんを殺されて怒る気持ちも解からなくは無いよ。自分の親を殺されたんだから。でもそれは、この小さな邪光も同じ事だ。この邪光がもし大人になって、村人に復讐したとしても文句は言えないよね」 「なっ!」 少女は男の言葉に驚く。 「人間と邪光は違うわ!だって邪光は…」 「違わないよ。邪光はただ生きるために生き物を狩っているだけだ。ただその狩られる側に人間も入っていたというだけ。人間は生きるために邪光を殺す。お互い自分が生きるためにやっている事だよ。人間の君に感情があるように、他の生き物にもちゃんと感情があるんだよ」 「でも…」 「でも、そうだね。とりあえずこの邪光がこの村から居なくなればいいんだよね?」 男は言葉を遮って話しながら結論を出す。 「あ、ああ…」 「お金も貰ったしね。今更此れを返すのも困る」 そして男はにっと笑って目の前で威嚇し続けている邪光にしゃがんで手を伸ばす。 「おいで」 子供の邪光はその言葉にぴくっと耳を震わせ、低く唸りながらその手に近づき、鼻でくんくんと匂いをかぎ、それからじっと男を見つめてぴょんっとその手の上から男の肩まで登った。 「この子を此処から連れて行けば文句ないよね」 村人達は驚いて男を見つめる。 「まさか、邪光が人に懐くなんて…」 「僕には邪光の血の匂いがしみついてるからね。それじゃ」 男は笑ってその場を後にする。 村人は呆然とそれを見送った。 男は森の中を歩き、小さな小屋にたどり着く。 其処には一人の少女が居た。 「あ、おかえりなさい」 少女は笑顔で男を出迎える。茶色の髪とそれより濃い茶色の瞳。やわらかい髪が背中まで伸びている。年のころは、十七、八ぐらいだろう。男とは不釣合いな感じがするが、男もまだ少年と呼べる年から出たのはまだ半年ぐらい前の事だ。年は二十歳になったばかりである。 「ただいまぁ」 へらへらと笑いながら男は戻ってくる。この小屋が家という訳ではなく、旅の途中の仮宿である。 「あら、その子は邪光の子供?」 「うん、依頼してきた村に行ったらね、親の方はもう殺されてて、子供のこの子を殺してくれって言うもんだからね」 「それで連れて来ちゃったの?貴方らしいわね」 少女はくすくすと笑う。 「こんなに小さいのに殺すなんて出来ないからねぇ」 男は方に乗っている邪光の子供の頭を撫でながら言う。少女が近づくと、邪光は警戒し、毛を逆立てる。 「ところで、どうやって懐かせたの?」 「どうやってと言われてもね〜〜。僕には邪光の血の匂いが染み付いてるから、仲間だと思ったんじゃないかな」 「それじゃあ私には懐かないわね」 少女が残念そうに言うと、男はくすっと笑う。 「大丈夫だよ。此れ、手につけてみて」 男は荷物の中から小さなビンを取り出す。中に赤い液体が入っている。 「これ、何?」 「邪光の血」 「…変な趣味があると思われるわよ?」 まじっとなって少女が言う。 「高く売れるんだよぉ、薬になるから」 苦笑しながら言う男に、少女も笑って男から地の入ったビンを受け取り蓋を開ける。それから指にその血をつけて、邪光の子供にその指を近づける。邪光はくんくんと匂いを嗅いで、じっと少女を見つめる。すると男から少女にぴょんっと飛び移る。 「わっ、可愛い」 邪光は少女の肩に乗り、その首筋に頬を摺り寄せる。 「血の匂いが落ちたらまた警戒されるんじゃないかしら?」 「邪光は賢いし一度憶えたものは忘れないから大丈夫だよ」 「名前何にしようか」 少女は邪光を抱いて嬉しそうにしている。 「つけない方がいいよ」 男は言う。気まずそうな顔をしているのがその前髪で顔が良く見えなくても解かる。 「大人になるまでには五、六年かかるけど、大人になれば邪光は理性を失って僕達を襲ってくる。そうなれば殺すしかなくなるんだよ。だから…」 「五、六年も一緒に居たら名前を付けていようといまいと、とても大切に想っているようになってるわ。変わらないもの。殺さなければいけなくなるまで思う存分仲良くしていけばいいのよ」 少女は微笑んで言う。それを聞いて男も苦笑する。 「君には敵わないなァ」 二人は笑いあう。この二人は兄妹という訳ではなかった。恋人といえる関係ではあるのだが、誰も信じないし、少女にこの男は勿体無いと誰もが思う。少女は誰から見ても綺麗で可愛らしいし、男は誰から見ても怪しげだった。しかし本人達はそんな事を全く気にしていない。 この世界は『クロアナ』と呼ばれ、『カルミナ』と『フロレア』という二つの国が存在している。現在その二つの国は戦争中である。この『クロアナ』の住民は誰しもが何らかの力を持っており、風、火、水などを操ったり、別の世界への扉を開く事が出来たりする。そして別の世界は『サミロン』と呼ばれ、この『クロアナ』の住人のような能力は持っていない。しかし、その『サミロン』には数年前から綺羅がクロアナの住人全てに術をかけ、出入り禁止となっていた。綺羅とはこの『クロアナ』において最強といわれる術者で、この世界の均衡を保つ役割を果たしている。 今二人が居るのは、カルミナの北部地域の森の中である。 「のうわッ!!」 とても情けない声が聞こえたかと思うと、男が前のめりに派手にこける。 「…大丈夫?」 「ふあ、何とか〜」 顔からこけた男は口に入った土をぺっぺっと吐き出す。 「前髪上げたら?顔隠してるから躓くのよ」 「僕は自分の顔が嫌いなんだよ」 「あら、私は好きよ?」 少女はにっこり微笑む。男は苦笑する。 「君だけならいいけどね。この顔も一応商売道具の一つだからねぇ」 「私はいつも見ていたいのに、まだ三回しか見た事ないんだもの。ずるいわ」 「仕方ないよ。いつも見せていたら意味がないんだから」 「そうね。ずっと一緒に居ればまた見れるものね」 少女はいつも暖かい微笑みを浮かべている。幸せであって欲しいと思う。この笑顔が途絶えたりしないように。男は何も持っていない。それでも少女は笑う。 「次の村まであとどのくらい?」 旅をしながら、いろいろな仕事を貰っていく。邪光は数が減らない。仕事はいくらでもあるのだ。 二人とも目的あっての旅ではない。 目的は無くても旅は出来る。 「もうすぐだよ。ほら」 男は指を差す。森の終わりが見え、村が見える。 村はごく小さいなもので、それでも旅人や商人が時折立ち寄るのだろう、宿屋がある。しかし二人は村に入った時点で注目を浴びてしまう。その原因が邪光の子供であるという事に気づくのにさして時間はかからなかった。 「おい、あんた達っ」 村の代表らしい男が二人に話し掛けてくる。 「そいつは邪光だろう。そんなものをこの村に入れないでくれ」 「まだ子供ですよ」 男は答える。 「子供でもだ。いつ襲ってくるか解かりゃしない」 「邪光の子供人間を襲ったりしない。それにこの子が大人になるまであと、五、六年もある。そんなに長い間此処に居るつもりは無いから安心してください」 この場は、男も礼節を弁えた話し方をする。 「それでもその邪光はさっきから俺達に対して威嚇しているじゃないか。子供達を傷つけたりしないと言い切れるのか?」 確かに、さっきから邪光は毛を逆立てて警戒している。 それで男は自分の荷物を一旦下ろす。それから遠巻きに見ている子供においで、と手招きする。子供達の何人かが顔を見合わせて、それから男に走り寄ってくる。 男は赤い液体の入ったビンを荷物の中から取り出す。 「此れ何?」 子供の一人が興味をそそられて尋ねる。 「邪光の血だよ。薬になるんだ。此れを指につけて、この邪光に近づけてごらん」 そう言われて、子供の一人が男の言われたとおりにする。そうすれば邪光がくんくんと匂いを嗅ぎ子供イに飛び移る。子供達の中で歓声が上がる。 他の子達も同じようにして邪光を懐かせる。 「此れで大丈夫でしょう?」 村の代表に男は笑ってみせる。 「まぁいいだろう。どれぐらい此処に滞在するのかね?」 「予定はありませんがね。旅の身です。一日二日宿に泊めていただければ」 「解かった。嫌な気分にさせてすまなかったね。この村の宿屋は向こうにあるよ」 「ありがとうございます」 男はぺこりと頭を下げて礼を言い、村人の代表が指した方向に少女と邪光を連れて向かう。 「良かったわね、受け入れられて」 「うん」 二人は笑いあう。 そして宿屋にて一泊することとなった。 翌日。 邪光は村の子供達の間で人気者になっていた。 見た目は当然の如く可愛いし、懐いてくれるので嬉しいのだ。男の連れの少女は子供達と一緒に戯れている。男はそれを傍で見ていた。 「名前は、キキちゃんって言うのよ」 「キキちゃん!」 少女に教えてもらったのが嬉しくて子供達はその邪光の名を呼ぶ。 「そんな名前付けてたの?」 男は少し呆れたように尋ねる。 「可愛いでしょう?」 「う〜ん…」 男は苦笑する。 しかし、子供達もそう呼んでいるし、撤回する事も出来ないだろう。何より邪光自身も喜んでいるようだった。 「お姉ちゃんは、名前なんていうのー?」 「私?私は清花(さやか)って言うのよ」 少女はにっこりと笑って答える。 「じゃぁ、そっちのおじちゃんは?」 「おじ…っ」 子供のその言葉に男はずるっと足を滑らせる。 「僕はまだ二十歳だよー」 「えー―っ!!」 「嘘だぁ」 子供達の反応に男はしくしくと泣き崩れる。嘘泣きだが。 「前髪上げればいいのよ」 「それはちょっと…」 男は苦笑いを浮かべて言う。 「おいっ、お前…っ!」 呼びかける声にはっとそちらを見る。 「何でお前がこんな所に居るんだ!?」 旅の人間らしい男が、男を指差す。 「何だ?知り合いかね?」 村の代表が驚いたように訪ねる。 「知り合いも何も…。何故こいつを村に入れるんだ?こいつは『不幸を呼ぶ者』だぞ!!」 その旅人の言葉で一瞬にして村の空気が変わる。男は溜息を吐いた。 「一緒の村に住んでた人?」 「多分ね」 清花の問いに男は頷く。 「それじゃ、そろそろこの村はお暇しましょうか」 男が立ち上がると清花もそれにならう。子供達はぽかんとその様子を眺めている。男はそれを見てにっと笑う。 「よく聞いて。この子はとても君達になついていたけど、それも今だけだ。大人になったら邪光は君達を襲ってくるだろう。だから、邪光に無闇に近づいたりしない事。自分より背の高い邪光を見かけたらすぐ逃げる事。子供の邪光でも興味本位に近づいたりしない事。近くに親が居る事が多いからね。解かった?」 「うん」 男の言葉に子供達は神妙な顔つきで頷く。 「じゃあ、キキちゃんの親は?」 子供の一人が尋ねる。 「人間に殺されたんだ。だから人間が恐いんだよ、この子は。それじゃ、さっき僕が言った事、ちゃんと守ってね」 子供の一人の頭を撫でて男は言う。 「じゃぁね」 そう言って男を清花は走って去っていく。 旅人は慌てて男を追いかけようとする。 「おい、待て!!」 呼び止めようとするが、二人は答えない。 「待てよ!敢(いさむ)!!」 その声を振り切るように二人の姿は見えなくなった。再び会う事があるだろうか。 旅人は複雑そうな表情で二人が消え去った方向を見つめた。 |