綺羅が皆を食堂に呼んだ。 綺羅の話がある時は何時も食事のついでな気がする。面倒くさがっているのだろうか。 本当に皆揃っての食事は、なんだか久方ぶりではないだろうか。否、綺羅と葵、空に宝を含めると初めてになるのではないだろうか。 そう考えて箕郷は笑う。 何だか皆妙にすっきりしている。一晩寝て考えもすっきりしたらしい。 朝の空気は静寂で満たされていて、その中でも綺羅の神殿は特別に綺麗な空気を生み出している。頭がすっきりとしていて、今まで考えていた事を纏め上げるのには丁度良かった。 昨日の晩から、皆それぞれの想いに耽っていた。誠の事、自分の事、これからの事…。 「さて、話というのは他でもない。亜希も皆の元に戻ってきた、誠の件も一段落ついたようだ。それで、今度は本題、カルミナの王女、沙耶姫の救出についてだ」 そう、一番最初の目的はそれだ。沙耶を助けるために此処に来たのだ。色々遠回りをしていたけれど、無駄ではなかった筈だ。色んな出会いがあったけれど、それは確かに自分の中に大きなものとして残っている。 「けれどその前に一つ話がある。私達の行動は、カルミナとフロレア、両国を敵に回す事になるだろう。それは解かるね?私達はこの戦争を止めようともしているんだから」 皆頷く。そう、二つの国を敵に回して、孤立する。 「それでだ、私が考えたのは、この中に居る空を除いた女性達と、誠と要に戦線を離脱してもらいたい。沙耶を助けに行った後、サミロンに留まっていて欲しいんだよ」 「え!?」 突然の綺羅の言葉に皆驚く。 「どういう事?何で今更…」 箕郷の言葉に、綺羅は微笑む。 「これから、更に戦況は悪化するだろう。その状況下で五人の女性は足手まといでしかないんだよ。君達を守りきれるとは思えない。だから、安全なサミロンに滞在して欲しいんだ」 「ちょっと待てよ!何で俺と誠まで…っ、俺達が居なくなれば戦力が格段に落ちるだろう!」 要が不満を言う。 「確かにそうだろうね。けれど要、確か君の兄はカルミナの上層部に居るんじゃなかったかな?」 「っ!!」 要は驚いたように目を見張り、綺羅を見る。 「私にはそれぐらいの事を知るのは簡単な事だよ。それでだ、君の兄は戦線に出てきて戦ってくる事も有り得るだろう。いや、むしろ進んで出してくるんじゃないのかな?その状況下で君が寝返らないと言い切れるかい?誠にしても同じ事だ。フロレアには謙が居るからね」 「寝返るだと!?ふざけるな!俺は、兄貴を殺すためにお前達に、誠に着いてきたんだ!ずっとそのために殺し屋をやって情報を集めてきたんだ!!!寝返るなんてそんな事ある筈無いだろうっ!!!」 要が怒鳴りつける。その内容に皆驚き要を見る。麻希は要の隣で不安そうに見上げている。要が自分達に着いてきた目的など知る由も無かったのだ。自分達が目にしたのは誠と要の取引の様子だけである。 誠は要の目的を知っていたのだろうか?箕郷はちらっと誠を見る。何か考えている様子で、要の事を見ては居ないようだった。 「私はそれが信用出来るとは思えないんだよ。家族の情にほだされるかも知れないからね。護達は問題ないんだよ。彼の父親も以前から大臣達を怪しんでいたようだから一軍ごとこちらに取り込んでしまえるからね」 悠然と微笑みながら言う綺羅は美しく壮大でありながら冷酷だった。 なんて酷い言葉を言うんだろう。 けれど、要は言い返せなかった。いや、驚いて声が出なかったのかも知れない。 要は、少し考えるようにして口を開いた。 「誠はどうなんだ?誠が向こうに行くというのなら、俺はそれに従う。俺は誠に雇われたんだからな」 その言葉で一瞬にして視線が誠に集まる。その様子はある意味滑稽ですらある。けれど、皆段々と対象となる人物が変わっていくのにその人間を見ないではいられない。おかしなものだ。 「……俺は、向こうに留まります」 少しの沈黙の後、誠は言う。 「正直、俺はあの人と向かい合った時戦う自信なんてない。綺羅の言う通り寝返る可能性だって高いだろう。それなら、戦線から離脱して、何にも手を貸さず、誰にも味方せずにいる方が良いと思う」 これは、誠の本音だろう。皆、誠の言葉に納得する。一番悩んでいるのは誠だ。敵にも味方にもなりえる。ひょっとしたら敵なのかも知れない。此処に居ない方が良いだろう。 「どうかな、要」 綺羅は要にふる。 「誠に従おう。俺も向こうに留まる」 「これで決定だね。さて、それじゃぁ本題だ。沙耶の救出について」 すっと皆の表情が固くなる。 沙耶の救出。始めて沙耶に逢ってから何ヶ月も経ってしまった。沙耶は無事だろうか?酷い目に合わされていたりはしないだろうか? 「私はこれまでこの世界の人間にサミロンに行けないように術をかけていた。当時居なかった航達には掛かっていないけれど、護達にはその術が掛かっているからね。その術を君達だけ解く。実際どうやって助けるかは君達の自由だ。私はその沙耶が捕らえられている中の様子までは流石に解からないからね。優達の方がよく知っているだろう。それはまた皆で決めるといい。後はゆっくり食事をしよう」 綺羅は微笑んで締め切る。 あとは皆黙々と食事をするだけだった。 しかし、本題の方が短いとはどういう事だろうか。 「あ、要、此処に居たの?」 綺羅の神殿から出て少し外れた森の木の影に要は座り込んでいた。見つからないと思ったのに、麻希にあっさり見つかってしまった。 「何か用か?」 ひょっこり顔を出した麻希を見上げながら要は問う。麻希はちょこんっと要の隣に座る。 「うん。あの、さっき要が言ってたことなんだけど…お兄さんを殺したいってホント?」 「…ああ」 麻希の問いかけに要は頷く。 「どうして?」 「姉妹仲の良いお前には理解できないだろうな。兄弟が争うなんて。…理由はまだ言えない。でも、何時か話すから」 「…誠ちゃんは知ってたの?」 「ああ、言わなくても解かってただろうな。それから祐も…」 要は麻希とは視線を合わせずに言う。気まずいと思っているのだろう。 「ねぇ、要。私達、付き合ってるんだよね?」 「…何だよ行き成り」 「付き合ってるんだよね!?」 麻希の言葉に要はちょっと驚く。 「…ああ」 「だったら、一人で悩まないで私に話してね。何も出来ないかも知れないけど、何も言えないかも知れないけど、私、要の事はちゃんと知っておきたいから」 真剣に言う麻希に要はふっと笑う。 「ああ」 何時だって麻希は暖かい。自分の予想しない言葉を突然言ってくる。それは嫌なものではないから居心地が良くて仕方が無いのだ。 「約束だからね」 「ああ」 麻希が居るなら大丈夫だ。自分は決して此処を離れたりはしないだろう。それに、まだ気になる奴らが居る。聖とだって決着はつけていないし、誠の事も気になる。サミロンに残る事になっても、麻希と誠が居るのならいいだろう。 あの二人から離れるなど自分にはもう想像が出来なくなっている。 そう、此処は暖かい場所だから。 護と亜希は連れ立って歩いていた。 振られて一晩して、亜希も落ち着いたようだった。 綺羅の結界の中の森は静かで、邪魔するものなど何も無い。 護は亜希を呼び出した。少し緊張した面持ちでいる護と、なんとなく気まずい雰囲気のまま亜希は歩く。 護は何の話があるというのだろうか。 昨日、自分は誠に振られたばかりで。立ち直っているかといえばそうとは言い難い。何よりも、自分がどうしたらいいのか解からなくなってきていた。護は、自分にどんな話があるのか。 こんな、身勝手な自分に。 「亜希…」 護は小さな声で亜希の名前を呼ぶ。その顔は真っ赤だ。 「亜希、俺は…」 護はこの上なく緊張していた。想いを伝えなければと思う。今しかないのだから。沙耶を助けに行ってしまえば、もう亜希に告白する機会などなくなってしまうのだから。けれど、昨日亜希と誠が何を話したかなんて想像がつく。 不謹慎ではないだろうか。 「何?」 亜希は何も解かってないようで問い返す。 「俺は、亜希の事が…」 顔が熱い。息が出来なくなりそうな程、心臓が脈打っている。こんな事に耐えられるのだろうか。 けれど、伝えなければ後悔する事も解かっていて。 「亜希の事が好きなんだ」 「え?」 やっと言って、護は大きく息を吐く。何だかすごく体力が消耗した気がする。亜希はぽかんと護を見つめた。 「別に返事とかは良いんだ。居なくなる前に言っておきたかっただけだから」 真っ赤になって言う護に亜希はくすっと笑う。 「護さん」 「は、はいっ」 「ありがとう。気持ちはすごく嬉しいから、前向きに考えてもいい?」 「それは、勿論っ!!」 護は自然と声が大きくなってしまう。それを聞いて亜希はくすくすと笑う。 そうだ、前向きに考えよう。自分を想ってくれる人が此処に居るのなら。此処に居る事が許される事ならば、落ち込まずに前向きに考えていこう。時間は止まることなく流れ続けていくのだから。 サミロン、箕郷達が元住んでいた場所には翌日の夜に行く事になった。昼間だと、急に現れたのを人に見られては拙いからだ。 明日には、クロアナから元の世界に戻る事になる。妙に哀しい気分だ。此処の生活に慣れて、今から元の世界に帰る事。箕郷は溜息を吐いた。此処が、自分が今まで兄だと思っていた人達が生まれた場所。そして、自分が出会った人達が生きてきた場所。 学校に居る友達より、此処に居る仲間との絆の方が重いと気づいて、離れたくないとも思った。 司達はクロアナに残る。そして、代わりに誠達が来る。 そういえば、学校はどうなっているのだろうか。向こうの生活は。由宇は突然居なくなった訳だし、大騒ぎになっていてもおかしくない筈。ひょっとしたら、かなり大変な事になるんじゃないかと、何だか先行きの不安を感じる。 沙耶を助ける事はちゃんとできるだろうか。 箕郷は広い綺羅の結界の中の森で木の根元に座り込んでいた。見つかるようで見つからない、見つからないようで見つかる、綺羅の結界の中は不思議な空間だった。 「箕郷、こんなとこに居たのか」 声を掛けられて箕郷ははっとそちらを見る。 「優…」 優はよっと箕郷の隣に座り込む。 「どうかしたか?」 優は夕暮れ時の空を見上げ、なんでもないことのように箕郷に尋ねる。 「うん、明日、戻るんだなぁと思って」 「そーだな。あー、タバコ吸いてえ。向こうに戻ったら好きなだけ吸えるんだよなあ、いいなあ、お前ら」 「優、皆未成年…」 「あー、そういえばそうか」 優は苦笑を浮かべる。 「向こうにしかない食べ物とかさ、なっつかしいんだよなあ。もう何ヶ月も食ってないのかと思うとさ。ファーストフードとか。俺達ずっと此処に居るまんまだったら絶対食べれなかったんだよな」 「うん…私も、優達が来なかったら、此処に居ないんだよね…」 「俺達と離れる事になって寂しいかも知れねぇけど、ま、一生の別れってこともないだろ。そもそも誠や要がずっとあそこでじっとしていられるかっていうと謎だしな」 優は笑って言う。それにつられて箕郷も笑う。 「ま、明日がんばろうぜ、あ、実際助けに行くのは明後日か?」 「うん。学校、大丈夫かなぁ?」 「うーん、箕郷と美也はともかく、由宇の事があるからな…でもま、大丈夫だろ」 「根拠は何?」 優のいい加減な言葉に箕郷は呆れたように言う。 「勘」 「当てにならないよ、そんなの」 「でも、多分大丈夫だって。箕郷の困るような事にはなんねぇよ」 「だからどうしてそう思うの?」 「向こうに着いたら解かるって。今日は早めに寝ろよ。夜更かしなんてすんじゃねーぞ」 「解かってるよっ」 立ち上がった優に続いて箕郷も立ち上がる。 兄妹として育った人と、この数ヶ月でその関係が大分変わってしまった事を感じた。司とも、優とも。航は変わらないけれど、美也と付き合い始めたようで変な気分だ。優は何が変わったのかは解からないけれど、何処かが変わった。わざと「妹」でないようにしていると思う。 司が、自分の事を好きだと言った所為だろうか?優達はずっと知っていたのだし、司と航の間の違和感を優が繋いでいるのかも知れない。 兄であったり、他人であったり、気を使ってくれているのだと思う。 きっと、優が大丈夫だというのなら、本当に大丈夫なのだろう。 そう、明日もと居た世界に帰るのだから。悩んでいたって仕方ないのだから。 ―――誰カ――― 微かに、震える声を聞いた気がした。 誰の声だっただろう。 夢を見ているような気分だった。 ―――必要トシテ――― 言葉が、頭の中に響いた。 ―――痛イ――― サミロンへの道を開くのは航だ。最初来る時もそうしたように。 向こうに着いてから一晩は、美也と由宇以外は箕郷の家で過ごす事になる。それから、沙耶を助けて、一部を除いてすぐにクロアナに戻る事になる。 航が来る時もそうしたように、呪文を唱えはじめる。 「我が守護たる地の神、天の神、時空の神、我の願い聞き届け、我の望む路を開きたまえ!」 航が言い終わると、目の前に黒い霧が現れる。こちらに来た時と同じだ。 黒い霧は段々と大きくなって皆を呑みこむ。 行きの時には解からなかったが、よく見ると霧の中はいろんな空間が入り乱れているようだった。一歩でも動けば全く別の場所に出てしまうだろう。しかしそれも一瞬の事で何時の間にかまた箕郷の見覚えのある屋敷の前に立っていた。 沙耶が捕らえられている屋敷。 「此処が、箕郷達の世界?」 麻希が呟く。 「とりあえず、上手く戻ってこれたみたいだな」 航が呟く。 「さて、此れからだけどー」 優がぐーっと伸びをする。 「航は美也を送ってって、俺は由宇を家まで送ってく。んで、司と箕郷は家まで案内する。それで良いよな?」 優の言葉に誰も文句はない。 そこで、三つの道に分かれて、皆は歩いていく。それでも箕郷達の場合はかなりの人数になる。司と箕郷、誠、聖、護、要、麻希と亜希、宝と空、全部で十人。航と優が戻ってくれば、十二人。全員あの家で寝られるだろうか、と不安になる。 まぁ、部屋は二つほど余っていた筈だし、女の子を自分と同じ部屋に寝かせれば大丈夫だろう、と考える。 電気一つついていない家。何ヶ月もずっと帰ってこなかった家。目の前にすると妙に懐かしさがこみ上げてくる。 鍵を開けて中に入り、玄関の明かりをつける。そういえば、向こうには薄暗いランプしかなかった気がする。すこし埃がたまった廊下。あとで掃除しなければ。家の中の電気を全て点けて、一応皆をリビングに案内する。皆もの珍しいのだろう、辺りをきょろきょろ見回している。 落ち着いているのは誠と要ぐらいなものだ。 キッチンに行って、やっぱり其処にも埃が溜まっているのを見て苦笑する。リビングに置いてあるテレビを見て、向こうにテレビはなかったな、と思うと今日はつけない方がいいな、と思う。向こうの生活にないものを見せて、すぐ帰る人にまで奇妙な感情を生む事になるだろう。 箕郷は、航達が戻ってくるまでの間…とキッチンの掃除をした。明日は絶対使わなければいけないのだから、今のうちにやっておかなければ…そう思って考えると、明日の食事もいるのではないか。そういえば、今日は厳密に何月何日だろうか。カレンダーは何ヶ月も前のもので当てにはならないし…。冷蔵庫の中のものはほとんど使えなくなっているし、電気は余分に振り込んでおいたから通っているけれど、食品の賞味期限は待っていてくれないではないか。 箕郷は溜息を吐いた。 コンビニに行かなきゃ。 冷蔵庫の中を確認して、腐っているのもが無いかを確かめる。野菜は全部捨てなければいけないだろう。卵と、牛乳も。調味料なんかはまだ使えるが、やはり明日のお弁当が…と考える。 喩え簡単なものでもお弁当はちゃんと作らなけば。今の時間空いているのはコンビニだけ。 だから、コンビニに行かなければ。 「司。私コンビニに行ってくるね。冷蔵庫の中何にもないんだもん」 「一人で行ったら危ないだろう。俺も着いてく」 「司は皆と一緒に此処に居なきゃ。困るでしょ」 「それじゃあ、誰か一緒に行ってもらえよ。一人で夜道は危ないだろ」 箕郷と司の会話に、皆興味を示す。当然といえば当然なのだが。しかし、あんまり騒ぐ人を連れて行くのもな、と思うと誠と要しか居ない。そして、要とでは絶対に間が持たない、と箕郷には自覚がある。そして、司にも解かっていた。 「誠、箕郷と一緒に行ってやってくれないか?」 司の言葉に、誠は頷く。何処へかは解からないだろうが、まぁ困る事にはならないだろう。 箕郷は誠と連れ立って家を出た。財布をしっかりと握って。 確か、コンビニは家から十分ぐらいのところにあった筈だ。少し大きな道路沿いに。そう言えば、向こうには車なんてなかったなと思う。誠は驚いたりしないのだろうか。 「誠は、こっちのもの、珍しいとは思わないの?」 箕郷は思ったとおりのことを言葉に出して問う。それを聞いて誠は微笑む。 「珍しくない訳ではないですけど、知識としてはある程度知っているんですよ。向こうの人はこっちの事を」 (あ、敬語…) 元に、戻ったんだと思った。否、これが『元』かと言えば違うのだろうけど、今までのように接しようとしてくれているのだ。箕郷は少しほっとした。刺々しいままの誠とこれから生活していくのは何だか息苦しくなりそうだったから。 知りたいとは思うけれど、このままで居て欲しいと思う。矛盾していると自分でも解かっているけれど本当の誠を受け入れられるほど自分は大人ではないのだと思う。 「何で、こっちの人は向こうの事を知らないの?」 「……こっちの人は、少しでも不思議がるとそれを恐怖の対象とみなすでしょう?まぁ、クロアナの人間も少なからずそういう事はありますけど、自らがそういう力を持っているからある程度は受け入れられる。けれど、サミロンの人間は何の力もない。科学というもので立証出来ないものは異端と見なす。だから、クロアナの人間は自分達の世界のことを隠しているんです。それに、こちらの人間にクロアナの事を話して、信じると思いますか?」 誠にそう問い返されて箕郷は首を横に振る。 多分自分も、沙耶の話だけでは簡単に信じきれなかっただろう。翌日には夢だと思っていたかも知れない。現実に兄として育っていた三人がそのクロアナの中にある王国の王子だと言わなければ。 「あ、此処だよコンビニ」 箕郷が指を差して中に入っていく。誠もそれに続く。籠を手にとって中に食品を入れていく。牛乳、パン、お茶の葉…。人数は多いから多めに買っておかなければ…。そして新聞を手に取って日付を見る。 十月七日。 もうそんなに時間が経っていたのか、と実感してしまう。夏休みが間に入っていたから、出席日数は大丈夫だとは思うけど、不安だ。留年はしたくないと思う。そういえば、司は留年決定ではないのだろうか?否、それ以前に高校を卒業する気はないのかも知れない。 レジでお金を払い、家に戻る。 明日は学校に行かなければいけない。少し、憂鬱になった。 明日は大丈夫だろうか? ―――オ願イ――― また、声が聞こえる。 ―――何モ出来ナイナンテ嫌ナンダ――― 誰の声だったか。 ―――誰カ――― 翌日、箕郷と司は二人で登校した。電車に乗って。満員電車が日常だったのだなぁと思い返すとさらに憂鬱になる。向こうではそんなものなかったのに。昨日の帰りは良かった。電車は空いていたし。 箕郷が溜息を吐いたのに、司が気づく。 「久しぶりだと辛いか?」 「当たり前だよー。向こうはそんな事なかったもん」 「そうだな」 そう言って司は苦笑する。司は、表情が増えたな、と思う。司は変わったのだ、やっぱり。 (私も、変わったのかな…?) 自分では解からないけれど。変わったとしたら、何処がどんな風に変わったのだろう。 学校に着くと、やっぱり懐かしい気がして。美也におはよう、と挨拶するのも以前のままで。 「箕郷、おはようー」 郁と幸恵が挨拶してくる。あまりにも変わらなさ過ぎて違和感を憶えてしまう。 「久しぶりだね、いいなー、三ヶ月も旅行なんてー。美也はともかく何で由宇が一緒で私達が一緒じゃないのかってとこは疑問だけどね」 「えっ?」 幸恵の言葉に一体どうなってるのか解からず疑問符が浮かぶ。由宇が自分達と一緒に旅行に行った事になっている?何故?? 其処にちょいちょいっと由宇がこっちに手招きしているのが見えた。幸恵と郁にちょっと行ってくると言って箕郷と美也は由宇の方に行く。 廊下に出て三人は話す。あまり人に聞かれたい話でもない。 「どうなってるの?」 箕郷が尋ねる。 「解かんないよぉ、もう。家に帰ってもお母さんもお父さんも『旅行はどうだった?』って聞いて来るんだもん。びっくりしちゃうよ」 由宇は溜息を吐く。 「本当にどうなってるのかしら。私達が知らないところで綺羅が何かしてくれてたのかも…」 「うーん、綺羅がそんな事するかなあ?」 美也の言葉に箕郷は否定的だ。どうしても綺羅は自分達の事を見て楽しんでいる感が否めない所為だろう。 「その事優に聞いてもにやにやしてるだけだよ?何か知ってる、アレは絶対に!!」 「優が?うーん…?」 其処で予鈴がなってしまう。この話はまた後で、という事になった。 放課後、これからどういう事かちゃんと話そうという時に、教室内がざわめいた。 否、学校中だったのかも知れない。 「うそー、カッコいいーー」 「カッコいいっていうよりは綺麗って感じだよ、誰かのカレシかなぁ?」 その言葉にぴくっと反応してしまったのは箕郷だけではなくて、思わず美也と目を合わせてしまう。 「ねぇ、箕郷、美也、こっちおいでよ、すっごい美形だよっ!!」 郁が手招きする。 箕郷は恐る恐る近づいて外を見る。 (やっぱり…) 嫌な予感が的中してしまった。 「やっぱり、誠さんですわね、あれ…」 美也が呟く。 「うん…」 箕郷の口からは溜息が漏れる。 「何、箕郷、美也、知り合いなの?」 郁が二人に詰め寄って尋ねる。その言葉に他の女子も集まってくる。 「何、箕郷のカレシ!?」 「ちっ、違うって〜〜〜っ」 箕郷は首を横に振って否定する。そんな風に見られたら今後どうなるか解かったものではない。 「じゃあ何なのよ?」 「あの人は旅行中に知り合った人で、箕郷のお兄さん達が用事でしばらく家に帰って来れなくなるからその間一緒に暮らしてくれる事になったのよ」 美也がぺらぺらと嘘をまさに本当の事のように話す。 「じゃ、あの男の子と二人きりって事?」 「いいえ、誠さんの親戚の人もいっしょですの」 「へー、そうなんだ。今日は何か用事で迎えに来たのかな?」 クラスの皆は美也の出鱈目な言葉をあっさり信じた。否、あながち嘘でもないのだけど…。 「あ、二年生のお姉さま方にナンパされてるよー、あの人」 箕郷はその声につられて外を見る。 誠は苦笑いを浮かべながら必死に遊びに行こうと誘っている女の子達に断っている。 「誠って、女の子の誘い断るの苦手だっけ?」 「ほら、向こうはこんなに積極的な女の人っていなかったから」 「成る程。あーいうのに慣れてないんだ。おもしろーい」 困っている誠を見て思わず笑ってしまう。 「でも、私達に会いに来たんじゃない?行かなくて良いの?」 由宇に言われてはっとする。 「あ、そうだね。行こう、美也」 「ええ」 美也はにっこりと微笑んで頷いた。 校門の前に居る誠に向かって三人は走っていく。 「誠、一体どうしたの?」 誠は三人を見止めてほっとしたように笑った。ああいう女の子は余程苦手らしい。 「ええ、優に放課後直ぐにあの屋敷の前に来るように連れて来いと言われて…」 「ふーん」 呼ぶのは誰でも良かった筈なのに、わざわざ誠をよこしたのは、絶対面白がってるからだろうな、と三人は思う。 「そうだ、何か私達がこの数ヶ月旅行に行ったって事になってたんだけど、どういう事か誠、解かる?」 箕郷が誠に尋ねる。 「ああ、それは多分…」 「俺の所為だな」 誠が言いかけたのを引き継ぐように箕郷の後ろから司が言う。 「え?」 箕郷は驚いて振り返る。 「俺の力は記憶操作だからな。箕郷と両親の記憶もそれで作り変えた。完全に使いこなせる訳ではないから、あまり意味は無いけどな」 「…そうなんだ」 箕郷達は少なからず驚いていた。司にそんな力があったなんて。 だから今までその力を使おうとしなかったのか、と納得した。そして、誰が自分や両親の記憶を入れ替えたのか考えればすぐに解かった事も。そう、航も優も自分達の前でその力を使っていたのだから。 「行きましょう、皆が待っていますから」 誠が居心地悪そうに言う。 さっきから女生徒の視線が誠に集まっていたのだ。それに皆苦笑をもらさないではいられない。 「大変だな」 司がからかう様に言う。 「困りますよ、こういうのは」 そう、あからさまに好意の視線。そういうものに誠は慣れていないだろう。容姿だけでも当然のように人を惹きつけるのだけれど、それをこんなに大人数から浴びせられれば居心地が悪いだろう。司はある意味慣れてしまっているのだけれど、誠の場合は、好意の視線と同じく、畏怖の視線も多かったのだろう、こうまであからさまでは仕方ない。 「慣れろよ。こっちでは当たり前だからな」 「そうですね…」 誠は溜息を吐いた。 屋敷の前には皆集まっていた。日差しが少し傾いている。 「以前来た時は地下に閉じ込められてたよな。場所は変わっていると思うか?」 優が航に尋ねる。 「いや、多分変わってないんじゃないか?優達が侵入したのも一度きりだったしな」 「沙耶を航の力で向こうに帰せばいいよな。誠と要が相手を近寄らせないようにしておけばいい」 「念のため、宝を先頭にしておこう。出来るなら戦いたくないし、宝の催眠の魔法は有益だろう。頼むぞ、宝」 航の言葉に宝は頷く。 「あまり大人数で行くのも問題あるでしょう。沙耶と会った事のない女性は此処に残っていてもらった方がいいんじゃないですか?」 「そうだな…つー訳で由宇と麻希と亜希、此処に残ってろよ」 誠の言葉に聖が頷いて言う。 「えーーっ、此処まできてそれはないでしょ!?」 麻希が文句を言う。 「俺も此処に残る」 要が言う。 「そだな、念のため用心しておいた方がいいだろうから、いいよな?」 要が残ると言ったのと、聖の追加の圧力に麻希はしぶしぶ頷く。 「それじゃあ、行こうか」 この事は誰にも知られていない。簡単に行く筈だ。 見覚えのある扉を開け、皆して地下に足を踏み入れる。 果たして、沙耶は其処に居た。 「沙耶っ!!」 箕郷は低い声で沙耶に呼びかける。沙耶ははっと顔を上げた。 「貴女達は…」 「助けに来たよ、沙耶」 驚いたように目を見開く沙耶に、箕郷は言う。 「さぁ、誰か来る前に行こう。宝、鍵を壊せるな?」 航が尋ねると、宝は頷く。 「少し離れててください」 宝の言葉に、沙耶は少し後退る。 宝がなにやら呪文を唱えると、ガシャッと音を立てて鍵が壊れる。 「さぁ、早く出てッ!」 優が沙耶の手を引く。航が呪文を唱え、道を開く。誠と箕郷と美也はそこから少し離れて様子を見る。 「誰だっ!其処に居るのは!!!」 声がしてさっと振り返る。 見つかった!そう思って航達の方を見る。まだ其処に居る。引き止めなくてはいけない。 「おいっ、侵入者が居るぞっ!!」 男の声に人が集まってくる。 「誠っ!」 「俺一人で十分です」 誠は落ち着き払って言った。 男が此方に向かってくるのに、誠は素早く交わして腹に拳を入れる。 「力を使うまでも無いけど、面倒くさいのは嫌なんで…」 誠は風を呼ぶ。集まってきた男達を鮮やかに切り裂いていく。何だか楽しそうに見えるのは気のせいではないだろう。放課後の事でかなりストレスが溜まっていたのだろうか。 誠はあっという間に男達を一掃してしまった。 箕郷は航達の方を見る。もう霧に囲まれていた。 「皆っ!!」 「箕郷…」 司の声がする。 「またな」 最後、それだけが聞こえ、霧は消えてなくなった。 「またね…」 箕郷は呟いた。そう、また。きっとまた会えるから。 「さぁ、俺達も出ましょう、要達が待ってる」 誠に言われて箕郷は頷く。 倒れている男達を跨ぎながら外に出るのは少し嫌だったが、外に出る。 要達が待っていて、上手くいったことを知らせるとほっとした顔をした。其処で、美也と由宇は自宅に帰り、箕郷も誠達と共に家路に向かった。 暫くはまた違う生活が待っているだろう。 それもいい。皆が居るから。きっとまた会えるから。 だから、頑張ろう。明日も明後日も。きっと大丈夫だから。簡単に切れたりはしない絆だと思うから。 長い旅は終わってしまったけれど、きっとまた新しく始まる。 旅の終わりは、きっと何かの始まりとなるのだから―――…。 ―――誰カ――― 声がする。そしてああ、と納得した。 此れは自分の声だ。昔の自分の。 ―――頼ッテルバカリナンテ――― そう、何も出来なくてもがいていた頃。 ―――誰カカラ必要トサレタイ――― ―――存在意義ヲ――― 弱くて、誰かに頼るしかなかった頃の自分の。 ―――此処ニ居テモ良イト言ッテ――― だから、そう、だから守り続けたい。 弱い自分は捨てたのだから…。 第一部終了 |