第七話 〜再生〜



 神王宮で送る日々に伊斯許理度売命は段々と慣れていった。
 教師が教えてくれることは実に有意義だったし、それを伊斯許理度売命はすんなりと吸収していった。
「教師は物覚えのいい生徒が出来て喜んでいたよ」
 月読は笑って伊斯許理度売命に言った。
 忙しいだろうに、それでも一日に一度は顔を出していく。
「あれは仕官を育てる仕事もしているんだが、そこの連中はどうも物覚えが悪いらしくてな、不平不満ばかりを私にぶつけてくる。もう少し優秀な人材はいないのかとな」
 クスクスと笑う月読に伊斯許理度売命は曖昧に笑った。
「お前に教えるのは楽しいらしいよ。何と言ったって物覚えが早いし、応用力もいいそうだ。紹介した私としても嬉しい限りだな。何と言っても反抗しないし素直だから教えていて気持ちがいいんだそうだ」
 褒め言葉の連続に伊斯許理度売命は顔を赤くした。
「すぐに必要な過程は修了するだろう。その後は一ヶ月ほど私の傍に居るといい。政治を学ぶには実際に見てみるのが一番いいんだ」
「はい、どうも、ありがとうございます」
 礼を言う伊斯許理度売命に、月読は笑みを消した。
「一つだけ、言っておくことがある。政治は汚いことがたくさんある、そうしなければ罷り通らないことの方が多い。人を騙す事もだ。お前にそれを教えるのは心苦しい面もある。しかし、それをしなければお前も成長出来ないだろう。人を騙す事、裏切る事がどうしても嫌なら今のうちに言っておくといい。また別の道を考えるさ」
「いえ、いいんです。それで、天照様が助けられるなら、オレは…」
 伊斯許理度売命は、必死で言い募ろうとするが、月読は手を翳して遮る。
「焦るな、イシコリ。ただ、言って置いただけだ」
「はい…」
 伊斯許理度売命は目を伏せる。その様子に月読は微笑を浮かべた。
「私は天照に関することに直接手を出すことが出来ない。だから間接的にでもお前を助けることで天照を救うことに繋がるのなら、それでいいんだ。最初に言ったように。解かっているな?」
「はい」
 月読の言葉に、伊斯許理度売命は真っ直ぐ視線を返した。
「それでいい。イシコリ、人と話すときはその人間の目を見ろ。嘘をついているかどうかは、その目を見たら大体解かる」
「はい」
 しっかりと頷いた。これからもすることが、まだまだ沢山ある。



 神王宮に赴くと、月読と伽耶が玉座に座りながら待っていた。
 颯太は、来るまでにずっとどんな風にして話すか考え、構築していた言葉を月読に話した。
 圭麻が見つかっていることを知った伽耶は驚いていたし、そして、当時の記憶がないことにもショックを受けていたが、月読はその間顔色一つ変えはしなかった。
 それが訝しく思えて、みんなは不安になった。
「話は解かりましたが、それで、私に何をして欲しいのです?」
 月読の言葉に、颯太は一瞬言葉に詰まる。
「ただ、圭麻に会っていただきたいのです。何になるのかは解かりません、ただ、そうした方が良いような気がするのです」
 曖昧な言葉だ。これで人が動かせるなら誰も苦労はしないだろう。
 けれど、こう言うしかない。
「解かった、会いましょう」
「本当ですか!?」
 月読の言葉に、泰造は嬉しそうに叫ぶ。
 その様子を見て月読は苦笑した。
「あまり大きな声を出さないでくれませんか。兵に訝しがられるから」
「あ、すいません」
 窘められ、泰造は謝る。
「それじゃぁ、近いうちにまた圭麻を連れて…」
「いや、私から会いに行きましょう」
「えっ?」
 颯太の言葉を遮って言った月読の言葉にみんな驚く。
「しかし…」
「お忍びで街を歩くのもいいでしょう。それに多分、私が会いに行った方がいいような気がする。伽耶も、会いに行きたいんだろうしな?」
 そう月読が伽耶に視線を向けて言うと、伽耶は曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
「はい」
 月読は、伽耶の気持ちを知っているのだろうかと、不思議に思う。夫婦になった二人には二人の、お互いの了解というものがあるのだろうか。
 そう思いながら、それでも月読が会ってくれるというのに、ひとまずみんな安心した。



 南部地方で洪水が起こったという報告があった。
「被害の状況は?」
 月読は報告に来た者に尋ねる。伊斯許理度売命は月読の隣でその話を聞いていた。
「詳しい状況はまだよく解からないのですが、少なくとも死傷者は千人を越えるかと思われます」
「…解かった。兵を五百人、救済の為に出してくれ。貯蔵庫から食料も持っていかせる。あと、医者を五名選出して一緒に送ってくれ」
「御意」
 報告に来た者は、深々と頭を下げて退出した。
 月読は溜息を吐いた。
「洪水か…。もっと早く水路の整備が出来ていれば良かったんだがな…」
「月読様…」
「洪水が起こってからの被害に対する費用がいくらぐらいかかるか知っているか?」
「……いえ」
「水路の整備にかかる費用の五倍はかかるんだよ」
 月読は苦笑いを浮かべる。
「水路を完成出来なかったのを今更悔いても仕方がないけどな。洪水で破壊された家、田畑、人、いろいろな物の災害を補うためには多大な費用がかかる」
 話すだけ話して、月読は黙り込んだ。
「そうだ、イシコリ、新しい道具を作ったそうだな?」
「…はい」
 話題を一変させ微笑む月読に伊斯許理度売命は戸惑いながらも頷く。
「ずっと、渡そうとしていたんだろう?私に」
 今朝からその契機を伺っていたのに、月読は気づいていたらしい。伊斯許理度売命は、作った道具を月読の前に出した。
「神獣鏡と神華鏡です。天照様のいる神殿と、神王宮を繋ぐ物になればと思ったのですが…。これを使えばこれを持つ者の位置が解かるようになっています」
「そうか。じゃぁ早速使ってみようかな。貴重な物になるだろう。行き来するだけでも大変だからな、あそこは」
 月読は笑みを浮かべて言った。



 突然の月読の来訪に隆臣は驚いた。
 いくら何でも今日来るとは思っていなかった。
「いらっしゃい、って言った方がいいのかな?」
 隆臣は皮肉な笑みを浮かべて言う。その様子を見て月読は笑った。
「言われても少しも歓迎されている気がしないから必要ありませんよ」
 隆臣の嫌味をさらりとかわすのは凄いものだとみんな思う。
「で、アンタが圭麻のことどうにかしてくれるってのか?」
「まず、会って彼と話してからにしよう」
 隆臣の問いにも笑みで受け流す。見ている方は冷や冷やするやりとりだが、月読はそれを楽しんでいる節がある。
 月読はそのまま奥に入っていく。誰も止めはしなかった。次の間の扉を開けると、そこに圭麻が居た。はっとした瞳で圭麻は月読を見る。
「……あなたは?」
 記憶の何処からか、何かを探るような瞳で、圭麻は言った。
「私は月読だよ」
「月読様…?」
「今日は彼らに頼まれてね、君に会いに来た。やっぱり少し大きいかな、昔よりは」
「やっぱり覚えてんじゃねーか」
 月読の言葉に隆臣は毒づく。
「私は何も覚えていないなんて言ってないけど」
「知らん振りしといて何言ってやがる」
「必要ないなら何も言う必要はないと思っていたんだ。その方がみんな穏やかに過ごせるだろうと思ってな」
 月読の言葉に隆臣は溜息を吐いた。
「もう勝手にしてくれ」
 その隆臣の言葉に月読は微笑んだ。そして圭麻に視線を移す。
「圭麻…だったかな。君は、失われている記憶を思い出したいと思うか?隠す必要はない、正直に答えてくれ」
「オレは…思い出したい、です。何があるのか解からないけれど、思い出さないほうがいいのかもしれないけれど、けれど、みんなとの繋がりが何なのか全く解からない方が、悲しい…」
 圭麻は真っ直ぐ月読と視線を合わせて言う。
「じゃぁ、そうしようか」
 月読は微笑んで言った。



「これは、スサノヲ様の為に作った剣です。だから、スサノヲ様以外の人が使っても力を発揮することは出来ません。スサノヲ様の力を最大限に引き出すように作ったつもりですが…」
 伊斯許理度売命はその剣を月読様に見せながら言う。
「この剣は、とても危険です。人を簡単に殺してしまえる、否、世界を滅ぼす事だって出来るでしょう、スサノヲ様の力を持ってすれば」
 微かに不安そうな表情が伊斯許理度売命の顔に表れた。その様子に月読は微笑する。
「大丈夫だろう、スサノヲは己の実力を知っている。そして、スサノヲは世界を滅ぼすことを望んでいる訳でもない。ただ、禁呪の札はかけておいた方が良さそうだな」
 月読の言葉に、伊斯許理度売命は頷いた。
 この剣は、とても危険だ。作った伊斯許理度売命自身が出来てしまった物を見て驚いた。こんな物が出来るとは彼自身予測出来なかったのだ。
「それから、最後に、これを預かっていて貰えませんか、月読様」
 伊斯許理度売命は、月読に一つの石を手渡した。蒼い綺麗な色をした石だ。
「これは…?」
「オレは、多分、天照様の鏡を壊した暁には、きっと自分の記憶を封じると思います。ただ、その時にどうしても歪みが生じてしまうことが避けられないでしょう。もし、貴方が見て、その歪みが、今後のオレや、みんなに悪影響を及ぼすようなら、この石を使えば、記憶を取り戻すことが出来ます」
 伊斯許理度売命の言葉に、月読は思わず苦笑した。
「今から、終わった後の心配か?」
「…自分でも、気の早いことだとは解かっているんですけど…」
「まぁ、預かっておくとしよう。何度生まれ変わろうと、これは私と共にある。それでいいんだな?」
「はい…」
 月読の言葉に、伊斯許理度売命は微笑んだ。
「お前のおかげで気が紛れたよ」
「え?」
 月読の呟いた言葉に、伊斯許理度売命は疑問を返した。
「矢張り、人の命は重たいものだからな…自然と気は沈む」
 洩らされた言葉に、伊斯許理度売命は思わず微笑んだ。
 きっと、彼は末永く高天原にいい治世を布いてくれるだろう。
 きっと。



 月読は一つの石を取り出した。
「これは以前、お前から預かった物だ」
 圭麻はそれを不思議そうに見つめる。
「いつの話だ?」
 隆臣がそれに疑問を返す。それに月読は隆臣を振り返り、苦笑を洩らした。
「天珠宮が崩壊したとき、お前が庇ったんだろう。彼だけ生き残っていた」
「そんなことは覚えていない」
「だろうな。その後ずっと彼は神王宮に居た。その時に預かった物だ」
 圭麻は話が読めず、困惑する。けれど、目の前に居る月読は、圭麻の心の何かを刺激した。月読は圭麻に向き直る。
「これは、お前の物だ、伊斯許理度売命」
 圭麻に手渡すと、その石は眩く輝いた。圭麻は思わず目を細めた。
 光が収まってくると、その石の形が変わっているのに気づく。
「これは…勾玉」
「そう、これはお前の勾玉だ。お前が役目を終えたと感じたときに、その全てをこの石に封じ込めた。お前が触れたから、これは元の形を取り戻したんだ」
「オレは……っ」
 何を言ったらいいか解からない。頭の中にいろいろな物が押し寄せてきて、全く整理が出来ない。ただ、とても胸が熱くなって、どうしたらいいのか解からなかった。いろいろな記憶。楽しいことも、苦しいことも、何もかもが一気に押し寄せた。
「オレは…」
 月読は、混乱する圭麻の頬に手を触れた。圭麻ははっと顔を上げて月読を見つめる。
「月読様……」
 この感情を、どうにかしてほしいと思う。どうしたらいいか、圭麻には解からなかった。
 その圭麻の様子に月読は微笑んだ。
「イシコリ、いや、圭麻。お前は、もう十分人の為に生きた。だからこそお前は闇に呑まれる事はなかったが、これからは自分の為に生きて良いんだ。何も我慢することなどない。ただ、思うままにその感情を吐き出せばいい」
 月読は、圭麻の頬に触れていた手を離し、今度は圭麻の頭をかかえる様にして抱きしめた。
「……っ」
 言葉は出なかった。ただ、目頭が熱くなって、頭がガンガンと痛くなった。この痛みは倒れた時と同じものだ。ただ、その時と違うのは、圭麻の瞳から溢れ出してくるものだった。
 本当はずっと苦しかった。ずっと辛かった。でも泣けなかった。ずっと泣くことを自分に禁じてきたのだ。そうしなければ全てのものから否定されそうで怖かった。けれど、そんなことはない。泣いたって、怒ったって、受け止めてくれる人たちがたくさんいるのだ、本当は。
 圭麻が始めてみせる涙に、なんだかみんなほっとしていた。
 泣くべきだったのだ、本当は、ずっと。
 この時やっと、圭麻がずっと押し込めていた感情が息を吹き返したのだ。
 この涙の雫が、圭麻を生き返らせたのだ。
 きっと、これからみんなで、幸せに生きていくことが出来る。
 今度こそ。



Fin



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