story01 〜愚者〜



 音を立てないように廊下を走った。
 見つからないように。
 見つかったなら二度とこんなチャンスは訪れないだろう。
 早く此処から逃げなければ。
 ただひたすら走る。
 こんな所に一分一秒だって居たくは無いのだから。

 この都一帯の中でも特に大きく贅沢な建物。それが神王宮だった。
 白く何か高価そうな石材の壁と床。地方の貧しい村ではこの王宮の十万分の一の贅沢すら出来ないというのに、どうしてこんなにも恵まれるものと恵まれないものの差は激しいのか。
 さっと走り抜ける。音を立てないように走るのは少し難しいが、それでも早く、静かに走る努力はする。逃げるチャンスは今日しかないのだから。たった一度きりのチャンスだ。此れが失敗すれば二度と日の目を見ることなんで出来はしないのだ。
 この王宮の主、月読は十歳の子供ばかりを集めていた。自分もその一人で、何かを探しているようだった。何を探しているのかは解からなかったが。そして、自分の両親はその為に殺された。此処に連れてこられるために。何て自分勝手なのだろう。そんな男が、今この世界の八十パーセントを支配している。それだけで寒気がする事だった。
 走りながらも周りを見る。何処に監視が居るか解かったものではない。
 走っているうちにすっと影とすれ違う。同い年ぐらいの少年と目が合った。彼も此処に連れてこられた一人なのだろう。
 彼の傍には連絡用の回線がある。彼は告げ口するだろうか。走りながらもすれ違った少年に神経を集中する。此処での選択肢は三つしかない。目立たないようにするか、反抗するか、気に入られようとするか。それらの選択肢の中のどれを彼は選ぶだろう。
 彼が回線のスイッチを入れるのが解かる。気に入られようとする部類だったのか。
「大変です。子供が逃げました」
 その声はやけに無機質だ。
「裏門の方に向かっています」
 その言葉に思わず目を見開き、振り返って少年を見た。
 今自分が向かっているのは正門の方だ。逃がすつもりなのか?どうして?月読に反抗するためか?それにしては保身的な遣り方だ。
 思わず呆然とその少年を見つめていると、彼はにっこり笑った。まるで天使のように無邪気な笑顔だった。
 その笑顔で背中を押された気がした。早く行けと。それに答えるようにこくりと頷き、そこを駆け出した。人が自分の向かうのとは逆方向に集まっていくのが気配で解かった。
 そして、神王宮からの脱出に成功した。





 五年後。
 静かな森の外れ。
 今は小さな洞窟の中で身を隠している。他に、神王宮から逃げて来た四人の仲間と共に。
 しかし、その中でも自分は浮いている。
 心の中には決して譲れない領分があって、それは他の四人には決してないものだ。月読を殺すという目的は。
 あの優しく明るく能天気な四人はそんな事は考えないのだろうか。
 己の両親を殺されて。
「隆臣、こんな所に居たんだ」
 呼ぶ声が聞こえて振り返る。ポニーテールにした長いこげ茶色の髪が揺れる。
 結姫。純粋で正義感が強くて、誰に対しても優しい。
 自分とは全く違う種類の人間。
「やっぱり、月読を殺すの?」
 結姫は何の心配をしているのだろうか。自分の?それとも月読の方か。
「当たり前だ。その為にずっと生きてきたんだからな」
 両親を殺した月読を殺す。仇はこの手でとる。逃げてくる時にそう誓ったのだから。
「…神王宮に居る、他の人達は大丈夫かな…?」
「さぁな」
 他の人達、と言われると真っ先に思い浮かぶのはあの少年だ。無邪気な笑顔の少年。
「あの、男の子も…」
 彼は他の四人が逃げる時も同様の手助けをしたらしい。一番最初に逃げたのは自分。その後から次々と逃げようとした人間が居たらしいが、上手く逃げ出せたのはこの五人だけ。
 あの少年に助けられたのは自分達五人だけのようだった。
 結姫達の話では彼は他に逃げようとした子供は全く手助けしなかったらしい。否、それよりも逃げた事を月読に告げていた。月読はあの少年を信頼していたらしい。それは当時の事だが。
 裏切られている事を知ったら月読は何と思うだろうか。
 今でもはっきり思い出せる。あの黒髪と、赤い瞳を。血のようにも、夕焼けの色のようにも見えるその瞳を。あの笑顔を。
「あいつは大丈夫だろ」
 確信に近い想いでそう言う。
「そうだね」
 あの瞳が、とても気になった。あの無邪気な笑顔としている行動。ちぐはぐな少年。それは五人ともが同じ想いだった。
 簡単に捕まるような人間ではないだろう。
 聞いた声は無機質で、出来るなら個人的に声を交わしてみたいとも思う。再び神王宮に向かえば、またあの少年に会えるのだろうか?
 今は月読の追っ手から逃れてこんな所に居るが、何時か。何時か、月読を殺しに、再びあの都へ。その時に、あの少年はどんな瞳で自分の事を見るのだろうか。
 嘲るだろうか?馬鹿だと笑うだろうか?それとも、またあの無邪気な笑顔で笑いかけてくるのだろうか?
 どれにしても面白いと思う。
 何故か、気になった。何故かは解からないのだけれど。
「隆臣ーーーーっ!!!」
 どかっと言う音がしたかと思うと、一人の少女が隆臣に体当たり…もとい抱きついた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
「…那智」
 隆臣は硬直してしまい、結姫はそれを見てなんとも複雑な表情を浮かべる。
 薄い黄金色の髪に緑青色の瞳。ぱっと見ればかなりの美人だが、問題は性格である。
「離れろっ!!」
 ついさっきまで硬直していた隆臣がばっと那智の腕を振り解く。
「え〜〜、いーじゃんかよ。減るもんじゃなし」
「いいからくっつくな!!」
 隆臣は那智が苦手だ。
 何故だか解からないがくっつかれると寒気がする。
 端から見れば美人だが、言葉遣いは男っぽく、行動は大胆。何より自分の事を好きだという。
 隆臣は知らず知らずのうちに溜息を吐いた。
「相変わらずモテモテだな、隆臣」
 ニヤニヤ笑いながら体格のいい男が寄ってくる。その後ろにはどうみても貧弱そうな体つきの眼鏡の少年が。皆同い年なのだが、どうしてもそう見えないのはこの二人を比較しているからか。
「嫌味かそれは」
「お、よく解かったな」
「喧嘩売ってんのか、てめぇは」
「冗談だって、気にすんなよ」
「泰造、どうかしたの?皆出てきて」
「いや、何でもないんだけどさー。じっとしてんもの嫌でさ」
 泰造は頭をぽりぽりと掻きながら言う。
 体格のいい泰造は、五人の中では一番力があるだろう。隆臣とは喧嘩友達のような関係だった。
「でもそろそろ洞窟に戻った方がいい。一雨きそうだ」
「そうだな」
 西の空を見上げれば灰色の雲が近づいてくる。通り雨だろうが濡れないに越した事はない。眼鏡の少年、颯太は、前髪の人房だけ少し色が薄い髪をかき上げる。
「那智、また隆臣に迫ってたのか?」
「何だよ、颯太。悪いか?なんならお前にも迫ってやろうか?」
「お断りだっ」
「何だよ、照れんなよ」
「照れてないっ!!」
 颯太と那智が言い争いを始める…というか、那智が颯太を揶揄い始めるが、それは何時もの事なので他の皆は放っておく。というか、那智も颯太に構っている間は近寄ってこないのだから丁度いい。颯太には悪いが。


 雨は小一時間ほど降ってやんだ。
 通り雨とはこういうものだろう。隆臣は立ち上がり、洞窟の外に出る。
「隆臣?」
「少し辺りの様子をみてくる」
「待てよ、オレも行くっ!!」
「お前が来ても足手まといなだけだろ」
 颯太が言い出したのに鼻で笑えばむっとしたような顔をする。正直な反応だな、と思う。
「大丈夫だよっ!」
「まぁいいか。行こう」
「ああ」
 何となく、颯太も一緒に居た方がいい気がした。こんなモノは勘以外の何物でもないが、普段洞窟の中で待っているはずの颯太が言い出したことから、この勘は外れていないのだろうと思う。
 本人は気づいてないだろうが、そういう勘には優れている奴だ。
 暫く森を歩いていると、颯太から何か言いたげな雰囲気が漂ってくる。
「何だよ」
 雰囲気に訴えかけられても困る。イライラしてそう尋ねると、やっと颯太は口を開く。
「…あんまり、結姫に冷たくするなよ」
「は?」
「だって、結姫はお前のことが―――…」
「だから何だって言うんだ?オレが何時あいつに冷たくした?」
「だけど、お前結姫と話してる時は何時も…視線を合わせようとしないじゃないか」
「あいつの目は苦手なんだよ」
 真っ直ぐすぎて。自分には見れない。
 迷いの無い瞳はいつも自分には強すぎる。だから苦手だ。
 真っ直ぐすぎて、視線を合わせることが出来ない。それは、自分が歪んでいるからだ。迷いの無い、それでいて悲しみを称えた瞳を。何故だろう。全然違うのに、結姫もあの少年も同じ瞳をしている。
 笑顔の底で泣いている。
 あの少年の瞳を思い出すと、誰かの今にも泣きそうな顔とだぶる。あれは、誰だろう。

 森がやけに静かだ。
 何時もは鳥が囀り、虫が鳴き、獣の咆哮が聞こえるというのに。
 ついさっきまで何か言おうとしていた颯太は、とうとう諦めたようだった。颯太は、結姫と共に逃げて来た。颯太が、結姫を連れて出てきたのだ。何故、そうなったのか経過は知ろうとも思わないが、それでも颯太は結姫と一緒に逃げて来た。そして、何故か皆自分の元に集まってくる。これは偶然なのか、必然なのだろうか?それでは、皆があの少年を見たことも?
 ガサッと草が踏まれる音がする。この静かな森の中に不自然な。二人は警戒しながら辺りを見回す。
 草叢からこっちに向かっているのが解かり、隆臣は剣を構える。
 そして目の前に現れた姿を見て、二人は何の行動にも出なかった。ただ呆然と見つめるだけ。
 そこには、綺麗な女性が立っていた。



「圭麻さんっ!!」
 溢れんばかりの笑顔で一人の少女が駆け寄ってくる。
 琥珀色の瞳に薄桃色の髪が眩しいぐらいの笑顔と共に抱きついてくる。
「伽耶様、何か?」
「やっと課題が圭麻さんに追いついたのっ!今度また一緒に授業が受けられるわ」
 本当に嬉しそうに伽耶は笑う。
 何がそんなに嬉しいのかと思うほどに。内心溜息をつきながらも圭麻はにっこりと伽耶に笑いかける。
 月読に取り入り、他に連れてこられた子供達とは全く違う待遇を受けるようになったが、実際はこのお姫様の子守りに当てられている。あのまま他の子供達と同じように地下の部屋に押し込められるよりはずっとマシだが。地下から出るのにいちいち許可を取らなければいけない生活にはうんざりだった。
「圭麻さん、本当に頭がいいんだもの。すぐにまた離されてしまうわね」
 くすくす笑いながら言う様は普通男なら誰しも見とれるものだろう。それほどの美人だ。
 月読の一人娘「伽耶」。
 何の苦労もなく暮らしてきた。月読が何をしているのか知っているのだろうか?知っているだろう、勘のいい女性だから。けれど、それを敢えて口にする事も出来ない。臆病だから。自分の父親を責めるのが嫌だから。暖かく囲まれている世界を壊したくないから。
 人は我侭になるように出来ている。持っているものは決して失いたくないと思ってしまう。喩えそれが紛い物だったとしても。皆我侭だ。自分も、彼女も、月読も。だから相容れないのだと、解からないのだろうか。
 自分が月読を憎んでいると言う事を、この少女は察してはいないのだろうか?純粋に信じきった瞳で自分を見てくる少女。
 笑顔を返しながらも、何時も心は冷めている。笑いながらも笑っていない、そんな自分。
 誰より良く知っている。自分は薄情な人間だと。両親を殺されて、恨みもしたが、逆に安堵もした。これで、開放されたと。これで、自由になれると。微かな安堵と共に僅かに残る良心が痛む。
 笑って人を騙しながら、何処か遠くを見ている気分になる。何時まで待てばいいのだろうか。
「何!?天照が居なくなっただと!!?」
 行き成りの声にはっとする。すぐ近くの部屋で声がする。
「はい、影も形も見当たりません」
「探せ!!探すのだ!!草の根分けてでも探し出せ!!!」
「は、はい!!」
 報告に来た月読の兵は慌ててその部屋から出て行く。
「おば様が…?」
「しっ」
 伽耶が震えた声をもらす。それを押さえさせて、伽耶を自室に戻るように言う。
 それを見送って、声がした部屋に耳をすませる。
「こんな時に居なくなるとは…勘付かれたか」
「しかし、隠れるところなどそうは無いでしょう。探せば必ず見つかる筈です」
 月読と、もう一人は側近の社だ。
「見つけ出せ。そして、殺せ!!この世界は私が手に入れるのだ!!」
「はい、必ずや」
 社は平伏する。
 月読と天照。二人でこの世界を二分する力を持っている。月読はどんどんと支配を拡大し、直に天照を殺そうと企んでいた。自らの妹を。
「圭麻、そこに居るのか」
「はい」
 呼ばれて部屋に入ると、さっきとは打って変わったような口調で圭麻に接する。
「天照が消えたという事は、側近の思兼神も動いている筈だ。お前に連絡をとってくる可能性がある。その時は必ず私に知らせてくれ」
「はい」
 圭麻は何時もと同様ににっこりと微笑んで頷く。
 何も知らずに世界が自分の手中に入ると思っている愚かな男、月読。
 この世で、一番愚かな男だ。
 圭麻は、その部屋を辞して、そして嘲った。



「貴女は…?」
 最初に声を出したのは颯太だった。
 その女性は切羽詰ったような顔をしている。何か、言いたそうな顔を。
「私の名前は鳴女と申します。貴方がたに頼みたい事があって参りました」
 隆臣は訝しげな顔をする。
「頼みたい事?」
「はい。他の方々も一緒に聞いた方が良いでしょう。聞いてもらえませんか?」
 隆臣は鳴女の真剣な顔を見、それから颯太を見た。
 後の判断は颯太に任せよう。此処で追い払うも迎え入れるも颯太が決めればいい。視線が合えば、颯太は軽く頷く。
「解かりました。来てください」
 颯太の言葉に、その女性はほっとしたように笑った。

 洞窟に戻ると、結姫達は驚きながらも鳴女を歓迎した。
 ある意味この警戒心のなさは敬服するものがあるな、と隆臣は溜息を吐いた。
 それとも、自分の警戒心が強すぎるだけなのか。否、そんな事は無いだろう。普通は誰だって警戒する。こいつらが馬鹿正直なだけなのだと、そう思う。
「行き成りの訪問で申し訳ありません」
 鳴女は丁寧な口調で言う。
「私は、鳴女と申します。天照様に仕える、思兼神の役職に就いている者です。私のお願いを聞いていただけませんか?」
「お願い?」
 結姫が聞き返す。
 お願いとは何なのだろうと興味をそそられている部分がある。
 この切羽詰った状況なら、ろくなお願いではないのだろうと思う。ましてや、天照の側近などと言えば、かなりの重役。それが天照の傍を離れてこんな処まで来ている。よほどの事があったのだろうが、面倒くさくなるのは嫌だった。
 素性ははっきりした。自分たちを傷つける事もないだろう。
「はい。大変言い難いのですが…」
「いいから、要件を手短に言え」
 隆臣はイラつきながらもそう言う。
 そう言われて鳴女はじっと皆の顔を見て、それからすっと息を吸った。


「神王宮君主、月読を殺していただきたいのです」



――――それから、運命の歯車が回りだした…――――



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