酒肴



 今日も一日疲れた。
 最近の学生はどうしてこう黄色い声を上げて叫びまわれるのだろう。全員がそうでないとは解かっていても神代はついついそう思ってしまう。
 駅前を歩いていると、ふと前方に見覚えのある顔を見つけた。
 しかし、組み合わせが変わっている。
 其処にあと一人入れば其処までおかしいとは思わなかっただろう。
「遠山さん!今日こそ話してもらうからね!」
「何を?」
「京介とのことだよ!!」
「ノーコメント」
「遠山さん!!」
 詰め寄っているのは蒼だが、傍には深春も居る。そして蒼に詰め寄られて耳を塞いでいるのは遠山である。
「おめぇら、何してるんだ?」
「あ」
「神代先生」
「げっ」
 蒼と深春は驚いた声をあげ、遠山は盛大に顔を顰めた。京介に関する事で詰め寄られていて、其処に神代が現れたら、それは嫌にもなるだろうから、文句も言う気は起きない。
 一体どうしてこういう状況になっているのかは大層興味があるが。
「で、一体なんなんだ、この組み合わせは」
「だって、遠山さんが逃げるんだもん」
「追いかけられたら逃げるのが動物の本能だろ」
「ちょっと聞きたいことがあるだけじゃない」
「そのちょっとに問題があるんだよ」
「なんでさ」
「なんでも」
「ほら、ガキみたいな口喧嘩はその辺にしとけ。こんなとこで言い争ってちゃ目立って仕方ねぇ。どうせならどっか呑みに行くぞ。お前ら付き合え」
 まず最初に遠山の襟首をガシッと掴む。
 それで遠山は諦めたように深々と溜息を吐いた。


 近くの居酒屋に三人を連れ込むと、座敷に通して貰う。
「ほら、此処ならゆっくり話が出来るだろ。で、一体その面子で集まってたのはどういう訳なんだ?」
 神代の問いに、蒼が説明する。
 簡単に言えば、京介は遠山が好きだが自分ではそれに気づいていない。だが、遠山はそれに気づいているらしい。それで遠山が京介の事をどう思っているのか、どうするつもりなのかを問いただしている、ということらしい。
「何と言うか、まぁ、今更だな、そりゃ」
「今更?」
「こいつらのこれは、学生の頃からだ」
「えぇ!?」
 神代の言葉に、蒼は大声を上げる。逆に遠山は頭を抱えて座卓に突っ伏した。
「やっぱり覚えられてたんですね?」
「あれを忘れる訳ねぇだろう」
「…そりゃそうでしょうが」
「あれって?」
 蒼の問いに神代は平然としながら答える。
「学生の頃な、毎朝迎えに来てたんだよ、京介を」
「迎えに?」
「毎朝?」
「そう、あいつ高校に通ってるくせに大体寝坊して間に合うの三時間目だからな。それでこいつが起こしに来てたんだよ」
 その頃のことを思い出して、神代はにやにや笑う。
「俺が蹴り倒してもなかなか起きねぇくせに、こいつが起こしに来るとやけに素直に起きるんだ」
「あの京介が?」
「あんまりに見事なもんだから、うちの合鍵卒業まで預けちまって」
「そんな、物騒な…」
「しかもこいつ、卒業式にはきっちり京介に預けて返してんだ。見かけによらず律儀でなぁ」
「もうその辺にしてください」
 遠山はその話を聞きながらぐったりしている。
 それがやけに面白くて仕方が無い。
「何だ、その頃の話はそんなに嫌か?」
「嫌と言うよりは、年上の人間に昔の自分のことを言われるのは気恥ずかしいんです」
「成る程」
 確かに、年下年上というのでそういうことは結構差が出てくるものだ。何より、神代は彼らよりも随分年上だ。親子ほど年齢が離れている。そんな人間にその頃のことを話されるのは確かに恥ずかしいだろう。
「でも、本当に今更だろう。学校じゃ公認だったくせに」
「そんなんじゃありません」
「何処がだ。教師までが認める仲だっただろうが」
「〜〜〜〜〜っ」
 遠山は顔を真っ赤にしてまた机に懐いた。
 深春と蒼はそれを不思議そうに見ていた。
「認めてないのは当人達だけってな」
「実際そんなんじゃないんですから」
「お前は、だろ」
「桜井だってそのつもりは全く無かったでしょう。周りが勝手に囃し立てていただけです」
「周りってのは、本人達よりよく見えてるもんだ」
「少なくとも、俺と桜井の場合は違います」
 遠山の目が真剣になった。
「毎日口説きに言っていたくせにか?」
「冗談の範囲でしょう。それは桜井も周囲も解かっています」
「だったら、お前の行動だろう。お前の話は京介の担任から随分聞かされたしな。カミサマ?」
「貴方まで、それを言うんですか」
 遠山は顔を苦々しげに歪めた。どうやらいい思い出ではないらしい。
 まぁ、確かに人から聞いた話ではあるが、それに伴う実感も神代は持っている。確かにあの頃の遠山はあの学校で特別な存在だった。
「じゃあ、話を変えよう。京介のことはどうする?」
「…あいつが決める事です」
「京介が決めた事には何でも従うのか?」
「ええ。二度と逢いたくないと言うのなら会わないし、朱鷺と別れろと言うのなら別れます」
「遠山さんっ!」
「まあ、朱鷺と別れろ、なんてことは、あいつは絶対言わないでしょうがね」
 遠山のあまりの言葉に蒼が声を出すと、肩を竦めて苦笑いを洩らした。
「遠山さん…本気で言ってるの?」
「本気さ。思い切り本気だ」
「…朱鷺の事が好きで結婚したんじゃないの?」
「好きだよ」
「だったら、どうしてそんなことが言えるのさ!」
「どちらかを選ぶしかないなら、そうすると言ってるだけだ」
「京介を選ぶって言ってるの?」
「朱鷺はそもそも俺にとっちゃイレギュラーだからな」
 遠山は苦笑いを浮かべながらも、その目は真剣だった。
「イレギュラー?」
「一生結婚するつもりなんかなかったのにな。参った…」
 そう言って遠山が溜息を吐いた。それだけで、朱鷺に対する想いが本物だと解かる。
「それって、それだけ朱鷺が大切だってことじゃないの?」
「ああ」
「だったら、どうしてそんなこと!」
「恋愛感情ってのは、相手を守りたいと想うのと同時に、傷つけたいとも想うんだよ」
「…朱鷺を傷つけたいってこと?」
「そもそも質が違う」
「質?京介の質の方がいいって?」
「違う。全く異質だから。どっちも選べない。選ぶしかないならより傷つけたくない方を選ぶ。俺は朱鷺が好きだし大切にしたいとも思うけど、傷つけた時に朱鷺がどう思うかそれを見てみたいとも思ってしまう。それに、例え別れたとしても、俺の中にある朱鷺に対する感情は全く変わらない」
 これは、遠山がずっと避けてきた言葉だ。
 神代の介入が遠山にそれを話すことを決断させたのだろう。遠山は京介の保護者として神代を知っている。だからこそ下手な誤魔化しや言い訳は出来なかったのだ。
 遠山の京介への愛情は保護者としてのそれに近いから。
「全く、ろくでもねぇ奴だ」
「解かってますよ、そんなこと」
「お前も、京介もだ。救いようもねぇ」
「そうですね」
「それに加えてお前は卑怯者だ」
「知っています」
 遠山は神代の罵言を素直に受け入れる。
 それから遠山はその目を伏せて言う。
「俺は、桜井が好きですよ。初めて会ったときから、ずっと。それは恋愛感情じゃないことも解かっていた。でも、だからこそ俺は桜井の望むことなら何でもします。桜井を守るためなら、多分俺は他の何を犠牲にしても構わない。ずっとそう思ってきたし、今もそれは変わらない」
 蒼と深春は息を呑んだ。
 遠山は本気だ。
「逆に、俺は桜井が望まない限り何もしない。あいつが言葉にして、行動しない限り、それ以上のことは何もするつもりはない」
 だから、卑怯だと言うんだ。
 神代は心の中で毒づく。
「そして、守るという行為があいつを傷つける。だから、お前らの俺に対する怒りは正しいよ。俺はあいつを傷つける。これからも多分、きっと。あいつが俺に好意を持っているのなら尚更に」
「全く馬鹿野郎だ」
 そう言って、神代は遠山に酒を注ぐ。
「ええ」
 それを、遠山は受けて頷いた。
 蒼も深春も文句は言えないだろう。遠山の本気を目にして、これ以上のことが言える筈もない。昔からそういう男だった。初めて会った時に神代も直感的に思ったものだ。
 この男は京介にとって限りなく危ない男だと。
 それでも尚、この男は京介に何かしら得るものを与えられるのかも知れないと。
 例え京介が溺れていたとしても、京介が求めない限りはただ傍に立ち続けるだけだ。蒼や深春、神代なら途中で絶えられなくなって助けてしまう。だが、遠山はそうしない。何処か甘く誘惑しながら、京介が求めるのを待っている。求めなければそれで仕方ないと思っている。
 危険だが、京介には必要でもあっただろう。
 そんな男に、京介が惹かれてしまうのも仕方ない。
 何をしても助けて、許してくれるくせに、決して京介の前方は塞がない。ただ傍で京介の選ぶ道を待っている。だからこそ必要であるのだと。
 蒼も深春も痛いほどそれが解かっただろう。
 まだ自分でも気づいていない気持ちを自覚した時に、京介がどうするのかは解からないが、例えそれがどんなものでも、遠山は受け入れるのだろう。
 そして、朱鷺に知られたときにはどうするのか。
 恐らく、朱鷺が望むように受け入れるのだろう。
 全くもってとんでもない男だ。
 何でも受け入れるくせに、望めば与えるくせに、求めなければなにもしてはくれない。
 だから、カミサマだと言うんだ。
 神代は横目で遠山を見ながら溜息を吐いた。
 でも、神代はそんな遠山が嫌いではなかった。だから、彼らが何をしようと、ただ見ているだけにする。二人の問題なら、それは二人にしか解決できないのだ。
 どちらにしてもややこしい二人だ。外の人間が口を出してどうにか出来るものではない。
 もし例えば神代が遠山を嫌いなら、直ぐに京介から遠山を引き離すだろう。京介を傷つけながら何もしないことに苛立たずには居られないだろう。
 だが、この男を実際前にして、本質を見てみればそんな気は起きない。
 この男はあくまでも真剣に京介を愛しているのだ。求めるものは与え、それ以上に特別だという証を示しながら、でもそれ以上は何も無い。
 京介が手を伸ばしてくるのを待っている。
 焦れる事もなく。
 ただ只管に。



Fin





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