最近、よく遠山が深春のマンションに来るようになった。 もちろん、目的は京介だが。 蒼としてはあまり嬉しくないのだけれど、京介が嫌がっていないようなので何も言えない。否、最近の京介は、遠山の訪問を愉しんでいるようにも思えた。 以前は遠山が構ってくるのを迷惑そうにしていた筈なのに。 コーヒーを煎れて、遠山の前に置く。京介と向かい合わせに座りながら他愛もない話をする。 「ありがとう」 そう言って、カップを手にとり、一口飲む。それからゆっくりと目を細めた。美味しい、という合図だ。最近遠山とのこういうやりとりが頻繁になった。 蒼も遠山のことを以前ほど悪く思ってはいない。何だかんだと言って京介のことを気にかけているし、京介が本当に嫌だと思うことは決して口にしない。 それでも気に入らないのは、矢張り遠山と京介が必要以上に自分の見えないところで理解し合っている所為だろう。 遠山が頻繁に京介に会いに来るようになったのは、京介が何かとても落ち込んでいた時、遠山から電話があって、一緒に出掛けてからだ。何をそんなに気にしていたのか、深春と蒼には解からなかったし、京介も話してはくれないだろう。その理由を、遠山は知っているようだった。否、知っているのではない、共有しているのだ。 遠山が京介を迎えに来た時、そう感じた。 京介は人に会いに行くと言った。多分、京介がずっと落ち込んでいたのは、その人に関係があることだったのだろう。その人に会いに行ってからは、いつもの京介に戻っていた。 そして、遠山が頻繁に会いに来るようになった。 蒼も自分のコーヒーを飲みながら、遠山を見た。当り障りのない会話しかしないので、蒼が居てもいなくても、あまり変わらない。 「遠山さんって…暇なの?」 「そう見えるか?」 「うん」 「だったらそうなんだろ」 蒼の問いに遠山はにやっと笑って答える。 そんな風に言うから誤解されるんだろうに。蒼は顔を顰めた。 「遠山さん」 「ん?」 京介が遠山に声を掛けると、首をかしげて京介を見る。 「その性格、少しは治したらどうです?」 「今更治ると思ってるのか?」 「…治す気になれば」 「じゃあ、無理だな。結構気に入ってるんだ」 にやにや笑いながら言う遠山に、京介は呆れたように溜息を吐いた。 「その性格をもう少し改善すれば、蒼や深春にもあと二割増しくらいで優しくしてもらえると思いますよ」 「どういう意味だ?」 「根本的なところで性格の配分ミスですね」 「だから、それがどういう意味かって聞いてんだよ」 「どうして気に入られたい人に限ってそういう捻じ曲がった性格を見せるのかが謎だと言ってるんです」 「お前に言われたくないな、その台詞」 遠山は顔を顰める。が、矢張り二人とも楽しそうだ。 「カミサマが何を言っているんです。誰にでも平等で面倒見が良くて優しい遠山先輩?」 「…止めろ、桜井。それだけは言うな」 「その所為で僕がどれだけ苦労したと思ってるんです?」 「それは悪かったって。だけどそれは別に俺が望んだ訳じゃない」 「知っていますよ、そんなこと」 京介はふい、と視線をそらす。蒼は微妙に話が読めないで居る。 「悪いのは、それがどれだけ残酷な事か、理解していない周囲の人間です」 「高校三年間だから我慢しようと思ったんだよ」 「だったら、ずっとそれで通してくれれば良かった」 「無理だよ」 「何故?」 「お前に会ったから」 「下手な口説き文句ですね」 「下手が上手く行く事もあるんだぜ?」 何だか雲行きが怪しくなってきたようだ。蒼は飲み終わったコーヒーカップを持って立ち上がった。京介と遠山は、此処最近三回に一回はこういう口喧嘩をする。それを愉しんでいるようだが、巻き込まれては敵わない。 蒼は少し離れた場所で観戦する事にした。 「少なくとも、僕相手では上手く行きませんよ」 「そうか?」 「ええ」 「だったら、どうすればいい?」 「もう少し性格を改善してください」 遠山は背中を曲げて、膝の上に手を置いて上目遣いに京介を見ながら口許に笑みを刻んでいる。京介は冷ややかな態度でコーヒーを飲んでいた。 険悪にしか見えないが、これで二人は愉しんでいるのだ。 最初の頃は止めようと思ったが、何度か経験するうちに慣れてしまった。この二人はこれで普通なのだ、気にしていたらこっちの神経が持たない。 「改善?これ以上どうやって改善するんだ?」 「よくその台詞を平然と吐けますね」 「今の俺の性格を変えたら困るのはお前だろ?」 「別に困りませんよ」 「じゃあ、変えてみせようか?」 「え?」 そうくるとは思わなかったらしい。京介は軽く目を見開いた。 遠山の表情がすっと変わる。笑みを浮かべていた顔が無表情になった。遠山は腰を上げ、向かいに座る京介の肩に触れた。 「遠山さん?」 京介は遠山に声を掛けるが、答えはない。遠山の目はいつもと違う光を放っていて、それに魅せられた様に、京介は遠山から視線を逸らせない。 蒼は掛ける言葉も思いつかず呆然と見入っていた。 遠山の顔が京介に近づく。唇が触れ合う直前に、遠山はふっと笑った。 「困っただろう?」 「……」 遠山の、悪戯っぽい笑みに京介は眉間に皺を寄せて黙り込んだ。 今日は京介の負けらしい。 「何を拗ねてるのか知らんが、俺に八つ当たりするのは止めるんだな」 「拗ねてなんて…」 「嘘を吐くな」 くすっと笑って、遠山は椅子に座りなおした。 「今日は最初から機嫌が悪かったじゃないか。で、どうだった、感想は?」 「感想?」 「性格、変えて見せただろう?」 「変えたんじゃなくて、本性を見せただけじゃないんですか?」 「お前が俺の本性を知っているとは驚きだな」 にやにや笑いながら、いつもの状態に戻ったようだ。 こうしてこの二人は時々心臓に悪いやりとりをする。見ている方もハラハラしてしょうがない。勝ちの割合は京介の方が多いのに、何故か京介が負けるときはいつも蒼は不安になる。 本当は、遠山は京介のことを何もかも見透かしているのじゃないだろうか?時々、遠山はそんな言動を取る。そういうところが、気に入らない。悪い人ではないし、京介のことを傷つけようとする人でもないのは解かってはいても。 時々、諸刃の剣のように見えて仕方ない。 「貴方は、いつまで正直な気持ちを隠しているんです?」 蒼ははっとする。京介の声は真剣だった。 「貴方はいつまで―――…」 「桜井」 静かだが、強制力を持った声で京介の名前を呼ぶ。 「此処でする話じゃない」 「それは…」 言いかけて、京介ははっと玄関を見た。 「ただいま」 出掛けていた深春が帰ってきたのだ。 「おかえり、深春」 「おう。……遠山さん、また来てたんですか?」 蒼に挨拶を返して、今度は遠山に視線を移し、呆れたように言った。 「ああ、お邪魔してるよ」 「暇なんですか?」 「そう見えるか?」 「見えるから聞いてるんですけど」 「じゃあ、そうなんだろ」 先刻の蒼とのやりとりを繰り返すような会話に、思わず笑ってしまう。 ふと、京介を見ると、そんな深春と遠山のやりとりなど聞いていないのか、じっと遠山を見つめたまま考え込んでいる。 「夕食、食べて行きますか?」 「作ってくれるなら貰う」 遠山の言葉に、深春は苦笑を浮かべた。 深春が買って来たものを冷蔵庫に入れるためにキッチンに行くと、遠山は視線を京介に戻して溜息を吐いた。 「桜井」 「はい」 「考えすぎるなと言ったろう。お前の悪い癖だ」 苦笑いを浮かべて遠山が言う。 「思考は止め処なく流れてしまうので」 「お前はその流れ方に問題があるんだよ」 京介の反論にも遠山はさらりと言い返す。いい加減この恐い会話も止めて貰えないだろうか。そう思いながら、いつまでも二人を見ているより深春を手伝いに行った方が余程健康的だと思い立ち上がる。 キッチンに行くと、深春が蒼の方に振り向いた。 「相変わらず、か?」 「うん」 「俺はあの二人の会話にはついていけないな」 「僕だってそうだよ」 二人して苦笑する。 いつも、お互いの内面に踏み込むすれすれの場所での会話。いつそれ以上踏み込もうとするかも知れない危なっかしい会話。その会話を愉しんでいる二人の気が知れない。 「今日は何を作るの?」 「うーん、何がいい?」 「イタリアン」 「スパゲティ?」 「うん」 「了解」 深春は笑って頷く。 蒼は一度コーヒーカップを下げに、リビングに戻る。 と、なにやら二人の様子がおかしい。 蒼が戻ってきた事に気づいたのか、遠山がこちらを向いて立ち上がる。 「悪い、今日はもう帰るな。夕食はいいや」 「遠山さん!」 出て行こうとする遠山を追いかけようと京介が立ち上がる。が、数歩踏み出したところで足を滑らせた。 「おいっ」 遠山は倒れる京介を支えようと慌てて手を出すが、何しろ身長はあまり変わらない。支えられずに一緒に倒れた。 バッタンッ 大きな音に蒼は一瞬目を瞑る。 「何だ、今の音?」 深春もその音に驚いてキッチンから出てくる。 遠山の上に京介は倒れこんで、遠山は思い切り頭を打ったようだ。 「――――ッたぁ…」 遠山は頭を押さえて顔を顰める。 「ったく、顔面から倒れるつもりか、お前は」 自分の上に被さる様にして倒れている京介に、遠山は悪態を吐く。それでも結局倒れようとする京介を庇いに入っているのだからお人好しだろう。 京介は少し身体を浮かして遠山の顔を見た。だが、それ以上起き上がろうとはしない。遠山は途惑うように京介を見る。 「おい、桜井?いくらなんでもまずいだろう、この体勢は」 様子のおかしい京介に茶化すように言うが、あまり変化はない。蒼も実際この体勢はまずいと思うが。どう見ても、京介が遠山を押し倒しているようにしか見えない。 否、そうなのかも知れない、本当に。 遠山が逃げられないように腕を押さえた。 「貴方は、一体何を考えているんです?」 「桜井?」 「解からない。貴方が、何を考えているのか。僕は…」 蒼や深春の位置からは、京介がどんな顔をしているのかは見えなかった。けれど、常とは違う雰囲気に息が詰まった。 遠山は京介の言葉に軽く目を見開き、それから困ったように笑って、京介の頭を軽く叩いた。 「解からなくていいさ、今は」 そう言って京介の肩を押し、起き上がるように促す。京介もそれに大人しく従った。 二人は立ち上がると、軽く視線を交わした。 「いつなら、解かるんです。いつになったら…」 「お前次第だよ」 京介の問いに返す遠山の言葉は残酷だ。答えになっていない。でも、そう言う遠山の京介を見る目は優しく、さも京介を愛しいというように見つめている。惜しみない愛情をその瞳に湛えている。 「お前が一つ答えを出したら、教えてやるよ、俺の事も」 「答え?」 「ああ」 「何の?」 「お前の気持ちだよ」 そう言って、また京介の頭を軽く叩いた。それから、蒼たちの方に視線を移す。 「じゃ、俺は帰るから。悪いな」 苦笑を浮かべて、遠山は部屋から出て行く。 京介は暫く呆然と其処に立っていたが、はっとしたように遠山を追いかけて出て行ってしまった。 そんな二人のやりとりを見て、ふとある考えが頭を過ぎった。 「ねぇ、深春。僕、すっごい嫌な考えを思いついたんだけど」 「言うな。俺も同じだ、多分」 「どうしよう…」 「どうしようもねぇだろ」 「そうだけどぉ」 「あの二人の問題であって、俺たちにはどうしようもないだろ」 深春の言葉は正しい。でも。 「悔しくない?」 「悔しくないわけないだろ」 「だよね」 以前から遠山を気に入らなかった一つの理由。 遠山が、自分たちから京介を取っていくような気がしたから。それは強ち間違っていなかったのかも知れないと思う。遠山はそんなつもりはなかったとしても。 遠山が京介に対して好意を持っている事は誰の目にも明らかだったけれど、朱鷺と結婚しているのだから、それが恋とかそういうものではないのだろうと思っていた。否、今でもそれは変わらない。遠山が京介に対して持っているのは恋愛感情ではなくて、どちらかというと、京介が蒼に対するような愛情に近い。 けれど、京介は違う。今まで気づかなかったけれど…否、きっと京介自身は気づいていない遠山への感情。先刻のやりとりでそれが解かった。 見透かしているのは遠山の方で、囚われているのは京介の方だった。 遠山の心が見えないことに不安になって、それを知ろうともがいている。京介らしくない。解からない事に対して、必要以上に不安になっている。そうまでして遠山の心を知りたいと思っている。 それは十分恋と呼ばれるものじゃないのだろうか。 きっと、遠山はそれに気づいている。でも、京介自身が答えを出さないうちは、何も言うつもりはないのだ。 でも、答えを出したとしてどうするのだろう。京介が遠山に対して自分の気持ちを告げたなら。受け入れる事なんて出来ない筈だ。遠山には朱鷺がいる。 一体遠山はどうするつもりなのだろう。 「京介…帰ってくるかな」 「どうだろうな」 深春と蒼はそろって溜息を吐く。 以前から何となく解かってはいたのだけれど。 京介は自分の感情に関してはやたらと鈍い。だから、気づくのはもう少し先だろう。気づくまでは今のままでいいのかも知れない。 「取りあえず、三人分、かな」 「手伝うよ」 「ああ」 深春と蒼は言葉を交わしながら、一度遠山にきっちり問い詰めなければいけない、と思い始めていた。お互いにしっかりと頷きあった。 Fin |