『…何か?』 『いや、綺麗な一年が居るって聞いたけど、噂以上だな。驚いた』 『…』 『俺は遠山蓮三郎。三年だ。よろしくな』 ふっと眼を醒ます。 懐かしい夢を見た。遠山と出会った時の夢。 あの後、自分は遠山の差し出した手を無視した。しかし、遠山は怒る事もなく、むしろ怒っていたのは周りの方で、ただ、彼は笑っていた…。 思い出して、溜息を吐いた。 彼はあの頃と何も変わらない。性格も、笑い方も。顔は大人びたし、処世なども身に付けたが、根本的なところでは何も変わっていないように、京介には思える。 それでも、何処か変わったのだろうか。遠山と肉体関係を持ってから、思うようになった。どうして彼は、何も迷わずに受け入れてしまったのか。 拒絶してくれていたなら、もっと違う気分で居られたのに、と。それが自分勝手な想いであることは京介もよく解かってはいるけれど。拒絶されたら尚更に、自分は遠山を誘い込んでしまっていただろう。それは、解かってはいるのだけれど…。 京介は溜息を吐いて、頭を振った。 馬鹿な考えは振り払った方がいい。遠山相手に深く考える方がどうかしているのだ。 そう思い、京介はやっと一日の活動を始めた。 遠山といつものように待ち合わせ、ホテルに入る。 最初の時が嘘のように、遠山は優しく京介を抱く。それが時々、もどかしい。彼の本性は何なのだろう。初めて遠山が京介を抱いたあの時、京介は遠山に恐怖さえ抱いた。まるで知らない人間のように見えた。京介の中にある何かを打ち壊すほど強いショックだった。 だからこそ、今この関係があるのだろうが。 京介の中にあった遠山との関係への拘り。朱鷺という妻が居ながら、自分と関係を持とうとする遠山への訝しさ。不信。 彼は、ふざけてはいるが、いい加減な人物ではないと京介は思っていたから。 「どうした、桜井?」 ベッドに座ってぼうっとしている京介に、遠山は尋ねた。 「いえ…、今日、遠山さんと出会った時の夢を見たんです」 「俺と…へぇ、夢の中でも俺の事を考えてくれたのか?」 「古来では、夢の中に人が現れた時は相手が自分に会いたいと思っているからだということですよ」 茶化す遠山に京介はあっさりと切り返す。 「うーん、だったら俺の夢にお前さんが出てくれないとダメなのか」 「出たとしたら遠山さんの妄想ですね」 京介は溜息を吐く。 遠山は苦笑いを浮かべた。 「そう言うなよ。少しは夢を見たっていいじゃないか。まぁ、それは置いといて、だ。出会った頃の夢なんて、随分懐かしいな」 「ええ…碌でもない出会いでしたけれどね」 「碌でもないは酷いな。運命の出会いじゃないか」 「ふざけないでください」 「あながちふざけても居ないんだけどなぁ…」 殊更溜息を吐いて見せながら遠山は言う。 何処までが本気なのか掴めない。だから全部冗談として流してしまった方が精神衛生上はよろしいと京介は思う。 「あの頃は、こんな関係になるとは思ってなかったけどな」 「…そうですね」 遠山は京介を引き寄せ、首筋に口付ける。痕を出来るだけつけない様にしているから、殆ど息が撫で付けていくだけのもの。 少し骨ばった男の手が、京介の服を脱がせていく。 「…遠山さん」 「ん?何だ?」 呼べば、真っ直ぐ視線を返してくる。初めて会った時からそうだ。京介がどんなにキツク睨んでも決して視線を逸らさない。やましいことなど何も無い、決して揺らがない、そんな風に京介を見返してくる人間は、あまり居ない。嘘や誤魔化しなどはほとんどしない。 だから、嫌いになれないのだろうか。 「もし、僕が貴方の事を嫌いだったとしても、貴方は変わりませんか?」 「はぁ?」 その京介の問いに、遠山は呆れたような顔をした。自分でも馬鹿みたいな問いだとは思うが。 「変わるか変わらないかって、その辺の定義が微妙なんだが・・・俺はお前に好かれていると確信した事は一度もないんだがなぁ…嫌われてるかも知れないと思ったことは何度となくあるが」 それもそうか。 京介は遠山に対して好意的な態度を取る事など殆ど無い。利用する時は上手く利用するが、遠山はそれ自体を楽しんでいるようなので気にしない。反対に猫を被るようなこともしなかったが。 そう考えると、矢張りこの人は変わらないのだろう。喩え、京介が遠山の事を嫌いだったとしても。 「まぁ、好き嫌いの問題は別として、変わるか変わらないかと聞かれたら嫌われてても変わらないだろうなぁ、今までとほとんど変わらん。というか、本当に嫌われてたらお前は口を利いてもくれんだろうがな」 遠山はくすくすと笑いながら答える。もっともなだけに京介も何も答えない。 「あの時、言ったよな?俺が朱鷺を好きなのは見返りを求めているからじゃないって。お前の場合だって同じさ」 「――――…だったら、もし僕が遠山さんを好きだと言ったらどうします?」 「……」 流石にその問いには絶句してしまった。そして、最後にはうめき声を出して考えている。本人を目の前にして随分失礼ではないのだろうか。まぁ、これが本気の告白だったらの話だが。 「――――…俺を好きだと言うお前を想像する時点で脳が拒否してるんだが…」 遠山がボソっと呟く。 「だから精神的マゾだなんて言われるんですよ」 「うー、がーっ!違う、断じて違うぞ!!」 京介の言葉に、遠山は変な声を出して否定する。終いには綺麗に整えてあった頭を掻き回している。ボサボサになった髪を見ながら、京介は髪が下りただけで幾分か幼く見える遠山に、そっと近づく。 「桜井?」 「好きですよ?遠山さん」 笑顔のおまけ付きで言ってみると、さーーっと遠山の顔から血の気が引いていった。それがやたらと可笑しい。 「うーわー、恐ぇ!!嘘だって解かってる分尚更恐いぞ、お前!!!」 遠山は本気で慌てている。というか、京介から少しでも離れようと後退っている。 これくらいの意趣返しはありだろう。最初の時は散々な目に合わされたのだ。彼の所為でいろいろと頭を悩まされたし。まぁ、半分八つ当たりだが。 暫く京介と遠山は見詰め合い、それから遠山は深々と溜息を吐いた。 「悪かった…俺が悪かった。だから、頼むから止めてくれ、本当に」 降参というように両手を上げながら、遠山は京介に言う。 「何が悪いと思ってるんですか?僕はただ貴方に親愛の情を示しただけですよ?遠山先輩」 「最初の時のを怒ってるんだろーが。ていうか、親愛の情だって?お前、全く逆だろう。目が笑ってねぇよ…」 半分正解。残りの半分は個人的八つ当たりなので、中に入れてしまうのは可哀想だろうか。 げんなりとしている遠山を見て、京介も満足することにする。 「さぁ、続きをするんでしょう?」 「お前な…、ああ、もういいや」 文句を言おうとしたのだろう、それを途中で止めて諦めたように苦笑を浮かべた。 京介はその遠山の顔が苦手だった。 その顔を見ていると自分が子供扱いをされている気分になってしまう。それは遠山の受容の意なのだ。どれだけ困らせてみても、そんな風に苦笑されれば、胸の何処かがシクリとする。 京介はそれを振り払うように遠山の首に手を回し、口付けた。 気だるいながら、それでも京介は目を醒ます。 遠山は矢張り起きていて、京介を見て目だけで笑った。 「…水」 掠れた声で言う京介に遠山は頷いた。 水を取りに行った遠山を見ながら、京介は身体を起こす。遠山に会う頻度は一週間に一度。本当はそんなに頻繁に会う必要もないのだろう。京介の中にある澱を吐き出すためなら、精々三月に一回でいいのだ。だが、京介は遠山との関係に、別の目的を見出してしまった。 遠山との行為は、最初の時を別としても、京介を快楽に溺れさせるには十分だった。今まで相手にしてきた男達とは全く違う。上手いとか下手だとか言えるほど経験がある訳でもないが、それでも、遠山との行為は今までの誰よりも京介に快楽を与えてくれた。 それが欲しい。 頭の中が真っ白になるまで追い詰められて、日々のいろいろな事を、その間だけは忘れられる。 「ほら」 遠山がペットボトルに入った水を差し出してくる。 京介はそれを受け取って口をつけた。冷たい水に喉が潤う。大げさかも知れないが生き返ったような気がする。 「ありがとうございます」 「…いや」 礼を言えば、少し間を置いて遠山は答える。その様子に、京介は遠山を見つめた。 「遠山さん?」 遠山は無言で京介の持っていたペットボトルを受け取り、横に置く。それから京介に行き成り口付けた。 「ぅんっ―――…」 突然のことに、京介は慌てて遠山を引き離す。 「桜井―――…」 掠れた声が、京介を呼ぶ。その声に背筋がぞくりと震えた。 「遠山さっ…」 「俺は、お前が俺のことを好きでも、嫌いでも、変わらないよ」 遠山の言葉に、思わず目を見開いて遠山を凝視する。 言葉が出ない。先程した質問の答えなのだと、暫くしてから察する。 「変わったとしても、結局それは俺でしか有り得ない。なら、何でもいいと思ってな」 そう言って、やっといつものように笑った。 「それと同じように、桜井は桜井でしか有り得ない。だったら、桜井が俺の事を何と思っていようと俺が変わる必要なんて、何もないじゃないか。そう思わないか?桜井」 遠山の言葉に納得しながらも、京介はまた別のことを考える。遠山に「桜井」と呼ばれるのは不思議な気分がする。他の誰がそう呼ぶのとも違う、おかしな気分だ。以前深春に「桜井」と呼ばれていた時も似たような気分を味わう事はあったが、いつしか深春は「京介」と名前で呼ぶようになった。 そして、今こんな風に呼ぶのは矢張り遠山だけだと。 京介は決してそれが嫌ではなかった。否、そう呼ばれると何処か安心している自分が居る。遠山に「桜井」と呼ばれる事に、安心している。そう呼ばれる事に。 その声の調子や低さが。何処か耳に馴染んで京介を呼ぶのが。 「桜井?」 黙っている京介を見て、遠山は訝しげに見つめてくる。 その、何処か甘やかしてくるような口調が、安心する。 「いえ、何でもありません」 京介はゆっくりと首を横に振る。 「?」 まだ訝しげにしてはいたが、それでも問い掛けてくることはしなかった。 その遠山がもたらす空気が時々酷く居心地が良くて、しかもそれに知らずに甘えてしまっている自分が居る。それに気づいてしまうと只管自己嫌悪に陥って。 馬鹿みたいだと、自分で思う。 それでも、結局遠山との関係を絶つ事が出来ないで居るのだからどうしようもない。 絶つどころか、新に増やしてしまっている。 不倫の真似事までして。 京介は、小さく遠山に気づかれないように笑った。 Fin |