Re Starting Plus



 風がもう冷たい。
 秋も終わりかと思うと、少し寂しいと思う。それが情緒というものだろうか。しかし、遠山はそんな風に考える自分にこそ失笑してしまう。
 ケーキの入った箱を片手に、街を歩く。目的地は決まっているが、途中で寄り道をするつもりで居た。矢張り、ケーキだけでは申し訳ないと思い、コーヒー専門店に入る。
 結構高い、けれど払えないほどの額ではない、そして美味いコーヒー豆を買う。むしろ基準はそんなものではなく、飲む人間の好みに合わせているのだが。
 この豆を見て彼は喜ぶだろうか。そう考えて遠山は口許に笑みを刻んだ。
 もし喜んだとしても、彼は決して自分にそんな顔を見せることは無いだろう。そう考えると思わず笑ってしまう。意地なのか、素直じゃないのか。
 どちらでもいい。
 会えると思って喜んでいる自分が一番可笑しいのだから。


 一度は来たことがある部屋の呼び鈴を鳴らす。
「はーい」
 出てきたのは少年だった。否、二十歳を超えているのだから童顔の青年だ。
「よぉ」
 片手を上げて笑いかけた。相手は突然の訪問に驚いているようだった。しかし彼が部屋の主という訳でもないことは百も承知している。しかし、出迎えられるのならこれくらい可愛い相手の方がいいというものだ。
「…何の用ですか?」
 問われて持っている箱を見せる。
「うちのお姫さんが持ってけって言うんでね」
「朱鷺は来なかったの?」
「社長さんはお仕事が忙しいからな」
 彼、蒼は朱鷺と仲がいいから、本当なら遠山が来るよりも彼女が来た方が良かったのだろう。それにしても、この受け答えだと自分が暇人だと思われただろうか。
 まぁ、別に否定もしないが。
 蒼は何かを逡巡しているように見えた。何かあったのだろうか。どちらにしても自分が問い掛ける義理は無い。それ以前にそれ相応の判断能力の無い子供でもない。
「取り敢えず、上がってください。コーヒーぐらいなら入れますよ」
「それは有難いな。最近冷えて仕方ない」
 蒼に従い、部屋の中に入る。
 其処には部屋主の熊…ではなく栗山深春が居た。何処か途方にくれたような顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。
 その深春が、こちらを見て驚いたような顔をする。
「遠山さん」
 その表情を見て、あまり歓迎されてないな、と思い苦笑いが込み上げた。元々歓迎されるとも思ってはいなかったが。
 其処で部屋を見回すが、目当ての人物が居ない。出かけているのだろうか。否、そもそも余り外に出たがる人間でもない筈だが。
「桜井は出かけてるのか?」
 問いを口にすると、蒼が困ったような顔をした。
「いや、居るには居るんだけど…部屋から出てこなくて」
「出て来ない?」
 これはまた、意外な展開だ。しかし、桜井京介という人間に限って言うなら有り得ないことでもない。それでも彼らを心配させる所業をするのはらしくない、と思わざるを得ないが。
「うん、鍵を掛けて、昨日から出てこないんだ」
「鍵を?そりゃぁ、また…」
 徹底している。余程人に会いたくないのか、もしくは見られたくないものが部屋の中にあるのか。鍵を掛けずとも京介ならば一人の世界に閉じこもることなど容易に出来るはずだ。
 彼らが異常を感じるのも無理は無い。先刻から感じていた二人の常と違う様子は京介が原因か、と思うと納得がいった。
 こういう時は彼の気が済むまでそっとして置くのが得策なのだろうが、目的の人物にお眼に掛かることが出来ないのでは意味が無い。彼らも心配しているのだし。
 そう思い部屋の前まで行ってノックをする。
「おい、桜井?俺だよ、遠山。開けろよ」
 声を掛けるが、反応は返ってこない。これは予想が出来たことだ。むしろ、この程度で出てこられた方が恐ろしい。
 それでは、半分脅迫といってみよう。
「桜井、俺は一応客だぞ?お前、挨拶も出来ないほど失礼な奴だったか?顔出して挨拶ぐらいしたらどうなんだ」
 遠山に侮られることは京介の本意ではないだろう。これで出てこなければ余程のことと判断するが、そんな事はなく、京介は部屋から出てきた。
 常と変わらないように見える。
 遠山は簡単に締めることが出来ないようにドアに手を掛けた。
「遠山さん、何の御用ですか?」
 その口調は慇懃無礼、という言葉がよく似合うものだった。相当怒っているらしい。
「其処の二人が心配してるんだから、出てきてやったらどうなんだ?」
「そういうご用件なら失礼します」
 そう言うや否や、勢いよくドアを閉めようとする。しかし遠山はそれを慌てて押さえる。手を挟まれたくは無い。
「ちょっと待て!!お前、俺の手を挟む気か?この繊細な手が使えなくなったらどうする!」
「面倒なものを作ってきたりしないのなら僕としては好都合ですが」
 今回の訪問はそれと大差ないが、そんなことは今は言わない。こういう応酬は学生時代なら日常茶飯事だった。皮肉った口調も慣れたもの。
「それでは」
 もう一度ドアを閉めようとするが、それは許さない。もう一度閉めて仕舞えば二度と出てこなくなるだろう。お前は天照か。
「桜井――――…」
 もう一度文句を言おうとして、遠山は言葉を呑む。
 一瞬の判断だった。
 京介を押し返し、自分も部屋の中に入り込んで扉を占め、鍵を掛けた。
「え、と、遠山さん!?」
 部屋の外から蒼の慌てたような声が聞こえるが、この際気にするのは止めよう。

 しかし、遠山は部屋に入ってしまってから後悔した。否、判断は間違って居ないとは思うが、それにしてもこれは――…。
 どうするべきか、と考えようと思っても、それは京介に阻まれた。
 予想しなかった訳ではない。しかしそれは、あまりにも突然の口付けだった。
「んっ―――…」
 貪るように、切羽詰ったような雰囲気を感じて、引き離そうとした手を止め、京介の口付けを受け入れた。
 誘っている。それも、あからさまに。
 それは一瞬のうちに感じたものだった。だからこそ、京介は深春や蒼の前に姿を現すことを拒んだのだろう。長く目に触れていれば、気づかれない筈は無い。それを忌避してのことだったのだ。
 自慰をして慰めることはいくらでも出来た筈だ。それが出来ないというような変に曲がったプライドの持ち主でもない。ただ、誰かに抱かれたがっているのだ。
 京介がやっと口唇を離すと、遠山は苦笑した。
 望みを叶えてやるのは別に構わない。しかし、今の状況で京介を抱くことも出来ないだろう。蒼や深春が中を伺っているのは明白だ。
 遠山は京介を座らせた。
「遠山さ―――…」
「黙ってろ」
 何かを言いかけた京介に、遠山は低く耳元で囁いた。
「声、出すなよ」
 そう言って京介の前に跪き、前を寛げた。慌てたように伸びてくる京介の手を押さえた。普通に扱いてやるだけでも良いだろうが、拭くものが見当たらない。口淫をして飲み込んでしまった方が解からないだろう。多少匂いは残るだろうが、その程度なら誤魔化すことが出来る。
 これで抱くのと同じ効果が得られるとは思わないが、幾分か楽にはなるだろう。
 京介のそれを口に含むと、ぴくっと震えるのが解かった。先程の口付けだけで結構感じていたようだから、早く済みそうだ。
「っ―――…」
 上目遣いに京介を見ると、声を出さないように手で口を塞いでいるのが見えた。仄かに悪戯心が湧くが、此処は押さえた。
 舌を使い、舐めあげ、甘噛みして射精感を煽って行く。
 身体が快感に震えている京介を見ながら、感じる場所を探る。質量が増していくのは、少し息苦しいが。
「ふっ…―――――っ…」
 声を殺すのも辛くなってきたようだった。その瞳も潤んでいる。
 部屋の外に居る二人も気になるので、早く終わらせようとペースを速める。もう限界かと思われるところで、遠山は一気にそれを吸い上げた。
「―――――――っ!!!」
 独特の苦味のあるそれを、遠山は余すことなく飲み込んだ。旨いものではないのは確かだが、それを気にすることも馬鹿馬鹿しい。
 京介は荒くなった息を押さえようと、呼吸を繰り返す。そんな姿も艶かしい。
 そろそろ出て行かないと怪しまれるだろう。遠山は自分が持っているメモ帳のページに携帯の番号を書き込み、破って京介に握らせる。
「…遠山さん…?」
 荒い息がようやく収まってきた京介は訝しげに遠山を見る。
「我慢が出来なくなる前に電話しろ。時間がある限り会いに行く。いいな?」
 それだけで意味は通じただろう。一瞬、逡巡したように見えたが、それでも京介は頷いた。それを確認して、遠山は立ち上がる。
 外で待たせている二人が余りにも哀れだ。

 ドアを開けてみると、心配そうな顔をしている蒼が居た。
「あの…遠山さん…?」
 遠慮がちに掛けられた声に、思わず先程の京介の様子を思い出し、苦笑した。自分でも変だと思う、彼に対する行為。
 正当性はあるのだ。京介が望むなら何でもする。それは疾うに決めていたことだ。
「大丈夫だ。それより、濡れタオルと紅茶、貰えないか?」
「え?」
 突然の申し出に驚く蒼に理由を付け足す。
「昨日から何も食ってないんだろう?だったら丁度いいからケーキを食わせてやる。空腹にコーヒーなんて飲ませられないからな、紅茶」
 そう言うと、蒼も深春も納得して頷いた。
「でも、ケーキなんて食べる?」
「食わせるんだよ、嫌でも」
「じゃ、濡れタオルは?」
「顔を拭かせる。ちょっとは眼が醒めるだろ」
 本当は少々理由は違うが、そう言っておいた方がいいだろう。
 蒼が紅茶を、深春が濡れタオルを取りに行って、遠山はケーキを箱からだし、皿に盛り付けた。深春からタオルを受け取ると、部屋の中に入る。
 今度は必要もないので、ドアを閉めずにおいた。
「ほら、桜井。これで顔を拭け」
 タオルを手渡すと京介は素直に従った。これを拒絶するとは思っていないが、素直に従ってくれるのは矢張り嬉しいものだ。
 蒼が紅茶を持ってくると、視線が合った。緩んだ顔を見られたが、この際どうでもいいだろう。
「ケーキ、食べろよ」
 そう言うと、京介は嫌そうな顔をする。これも予想通りだ。しかし、京介が一番食べやすそうなのを持ってきたのだから、食べて貰わなくては。
「食べろ。食べないとお前の高校時代のいろんな話、こいつらに聞かせてやるからな」
 顔を覗き込みながら脅す。ニヤリ、と笑みをつけて。そうすれば京介が睨みつけてくるのは解かっていたので、動じるはずも無い。否、むしろ予想通りの行動は楽しい。
 遠山が引くつもりがないのを感じ取ったのだろう、京介は嫌そうにフォークを手にとり、ケーキを食べ始めた。
 それを見て遠山は満足げに頷いた。
「全部食えよ。後でこいつらに確認するからな」
 最後にもう一度脅してから、遠山は部屋を出た。
「もう帰るの?」
「ああ、俺もこの後約束があるからな」
 蒼が尋ねてきたのに遠山は頷く。最初はコーヒーを飲ませてもらう予定だったが、まぁいい。別のものを頂いた。
 それからコーヒーで思い出した。ポケットから先刻買った豆を取り出す。
「食べ終わったらこれ、入れてやれ」
 それぐらいはしてやらないと、可哀想だろう。
 旨いコーヒーを飲めば少しは機嫌も直るだろうし。
「お前らも、あのケーキを食べる時は飲めよ」
「京介に買って来たんじゃないの?」
 遠山が手渡すと、蒼は不思議そうに尋ねる。それを聞くと、遠山は蒼から視線を逸らせた。
「あのケーキな、朱鷺が作ったんだが……桜井にやった奴以外は、死ぬっっほど甘いんだ」
「え?」
「ようするにな、桜井にやったやつは成功作、あとは失敗作」
 今日の本懐は桜井にその成功作を食べさせることだったので、それは達成されている。まぁ、京介に食べさせたいと思うのが、やはり乙女心というものなのだろう。
「って、それ、僕たちに失敗作の処理させようとしてたの!!?」
「だから流石に悪いと思ってこの豆買って来たんだよ」
 蒼の怒りはもっともなだけに苦笑いしか浮かんでこない。
「そんなの遠山さんが食べればいいじゃない!」
「俺はもう、五個は食った」
 その時のことを思い出し、胃が凭れたような気がして口許を押さえた。
「これ以上食うと流石に太る…つーか、糖尿病になる。だから精々一個ずつなんだから食ってくれ」
 そう言うと、流石に蒼も反論する言葉がないらしい。
 そう、あれは酷かった。やっと成功作が出来ても遠山は食べる気にもなれなかったのだから。
「じゃぁな、桜井がちゃんと食べてなかったら、後で電話してくれ。そうすれば朱鷺が押しかけて行くだろうからな」
 そう言って遠山はその場を後にした。
 この後ケーキを食べる彼らのことを思うと哀れになるが、それはそれ、これはこれ。


 歩きながら、今日の京介のことを思い出す。
 電話は、掛かってくるだろうか。どちらでもいい。捨ててしまってもいいと思って渡したのだから。
 ずっと会っていなかった京介との再会。ひょっとしたらこんな事になるのかも知れないと、何処かで思っていたのかも知れない。京介に、大切な人間が出来ているのを見て。
 安心したのだ、あのままで居るのは余りにも哀れだ。
 だからこそ、彼らに見せられない素顔もあるのだろう。京介は遠山を選んだのだ。あの瞬間に。でなければ、喩え遠山が気づいていたとしてもあんなことをする筈が無い。
 そんな風に受け入れられるのならば、それもまたいい。
 そう思いながら、遠山はその頬に冷たい風を受けた。


 京介から電話が掛かってきたのはその数日後のこと。



Fin






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