Re Starting ZERO



「京介!京介ってば!!」
 蒼がいくら叫んでも、京介は部屋から出て来ない。
 一体何だというのだろうか。
「な?出てこないだろ?」
 深春は蒼に同意を求める。昨日からずっとこの調子なのだそうだ。時々京介は蒼たちにとっても解からない行動を起こす。それには何か原因がある筈なのだが、今回はその原因すら解からない。
 京介が考え込んだりすると、時々回りが見えなくなったりするけれど、今回は勝手が違う。ちゃんと蒼たちのことを認識しているのに、それでも出て来ない。
 一体どうしてなのだろう?
「京介?一体どうしたのさ」
 ドアを叩いても何の反応もない。
 こうなると後は何もすることは出来ないが、昨日からずっとこの調子、ということは食事もマトモにとっていないということだ。それはいくら何でもいけない。
「どうしよう〜、深春」
「どうしよう、って言われてもなぁ」
 二人して溜息を吐く。
 ひょっとして中で倒れているのでは、とか嫌な想像をしてしまう。鍵をかけて閉じこもるなんて反則だ。だけど、倒れているのではないことは解かる。中で人の動いているような気配がするから。
 しかし、そのうち空腹で倒れてしまうんじゃないだろうか。
 京介の場合、それすらも自覚していなさそうだけれど。
 此処は深春のマンションで、最近一緒に暮らすようになって安心していたのに、こういう展開になるとは流石に予想していなかった。いや、京介相手だから、どんな場合でも有り得るのだろうけれど。

 ピンポーン

 其処に行き成り呼び鈴の音。
 こんな時に一体誰なんだろう?もう少し時と場合を考えてきてくれないだろうか、と無茶なことを考えながら、部屋主の深春に変わって蒼が玄関に行く。
「はーい」
 返事をしながらドアを開けると、意外な人物が立っていた。
 遠山蓮三郎、京介の高校時代の先輩。
「よぉ」
 片手を上げて口元に笑みを刻んだ。
「…何の用ですか?」
 驚いて尋ねると、片手になにやら箱を持っている。ケーキらしい。
「うちのお姫さんが持ってけって言うんでね」
「朱鷺は来なかったの?」
「社長さんはお仕事が忙しいからな」
 遠山は暇なのだろうか。
 ・・・暇なのかも知れない。
 取り敢えず上がってもらうべきなのだろうか。京介があんな状態なのだけれど…。しかし、折角ケーキを持ってきてもらったのに(頼んだ訳ではないけれど)、追い返すのも失礼な話だ。
「取り敢えず、上がってください。コーヒーぐらいなら入れますよ」
「それは有難いな。最近冷えて仕方ない」
 確かにもう秋も終わりに近く、寒くなってきた。
 遠山を部屋に入れると、深春も驚く。
「遠山さん」
 あまり歓迎されていない雰囲気を察したのか、遠山は苦笑した。何だか、この人はいつも笑っている、というイメージがある。
「桜井は出かけてるのか?」
 部屋を見回して、遠山は言う。
 今は、其処に突っ込んで欲しくはなかったのだけれど。ってまぁ、仕方がないか。
「いや、居るには居るんだけど…部屋から出てこなくて」
「出て来ない?」
 遠山は驚いたような顔をして尋ね返す。
 余りこういう事情は話したくないけれど、隠すというのもおかしい気がする。遠山も京介の習性はよく知っているだろうし。
「うん、鍵を掛けて、昨日から出てこないんだ」
「鍵を?そりゃぁ、また…」
 そう言って、京介が居る部屋を見る。京介が手強いのはこの人だって解かっているから、同情されているのかも知れない。
 遠山は部屋の前まで行き、ノックする。
「おい、桜井?俺だよ、遠山。開けろよ」
 声を掛けるが何の反応もない。深春や蒼で無理だったんだから、これぐらいで出てくるとは流石に二人とも期待はしてないが。
「桜井、俺は一応客だぞ?お前、挨拶も碌に出来ないほど失礼な奴だったか?顔出して挨拶ぐらいしたらどうなんだ」
 中には当然聞こえているのだろう、暫くして、部屋のドアが開いた。遠山はそのドアに手を掛ける。
「遠山さん、何の御用ですか?」
 腹が立つほど慇懃な口調で京介は言う。相変わらずメガネと、ばさばさに伸びた前髪で顔を隠している姿に、蒼は安堵する。京介を出した遠山に少し感謝する。
「其処の二人が心配してるんだから、出てきてやったらどうなんだ?」
「そういうご用件なら失礼します」
 勢いよくドアを閉めようとするが、それは遠山が押さえる。
「ちょっと待て!!お前、俺の手を挟む気か?この繊細な手が使えなくなったらどうする!」
「面倒なものを作ってきたりしないのなら僕としては好都合ですが」
 面倒なもの、というのは高校時代のお菓子云々の話だろう。今回もケーキを持ってきたのだからあまり変わらない気がする。
 皮肉の効いた口調も相変わらずだ。それなのに、何故出てこないのだろう?
「それでは」
 そう言ってもう一度扉を閉めようとするが、矢張り遠山が阻む。
「桜井――――…」
 遠山の視線が何かを捕らえて、驚いたように見開いた。そう思った途端、京介を押し返して、遠山も部屋の中に滑り込んだ。
「え、と、遠山さん!?」
 蒼は慌ててドアを開けようとするが、もう鍵が閉められている。
 一体どういうことなんだろう?
 蒼と深春は顔を見合わせた。遠山は、一体何を見て驚いたのだろうか。そして、今中で何が起こっているのだろう。中で京介と遠山は二人きり。
 聞き耳を立てて様子を伺うが、話し声は聞こえない。


 そんな調子で約五分。(もっと短かったのかも知れないし、長かったのかも知れない)
 遠山が部屋から出てきた。
「あの…遠山さん…?」
 蒼は遠慮がちに声を掛ける。遠山はこちらを見て苦笑いを浮かべた。今までと違うのは、その瞳が、とても優しげに細められていることだった。
 この人は、こんな顔も出来たのか、と蒼は驚く。
「大丈夫だ。それより、濡れタオルと紅茶、貰えないか?」
「え?」
「昨日から何も食ってないんだろう?だったら丁度いいからケーキを食わせてやる。空腹にコーヒーなんて飲ませられないからな、紅茶」
 今度はいつものように、口の端を上げて笑う。蒼と深春も成る程、と頷く。
「でも、ケーキなんて食べる?」
「食わせるんだよ、嫌でも」
 何か考えがあるらしい。
「じゃ、濡れタオルは?」
「顔を拭かせる。ちょっとは眼が醒めるだろ」
 改めて思うが、この人は根っからの世話好きらしい。やることなすことテキパキしている。
 蒼が紅茶を、深春が濡れタオルを取りに行って、遠山はケーキを箱から出した。ケーキを皿に盛り付けて、濡れタオルを持って遠山は部屋の中に入っていく。今度は鍵を閉めるどころか開け放している。
「ほら、桜井。これで顔を拭け」
 タオルを渡すと、京介は素直に従った。
 一体遠山は、あの五分の間に何をしたのだろう?
 蒼が紅茶を入れて持っていく。サイドボードに紅茶を置くと、遠山と目が合った。何だかとても嬉しそうだ。
「ケーキ、食べろよ」
 その遠山の言葉に、京介は流石に嫌そうな顔をした。当然の反応だろう。蒼は様子を見ている深春の方に寄っていく。
「遠山さん、意外と優しいよね」
「…そうか?」
 深春は、まさか、という風に顔を顰める。
「だって、あのケーキ、あの箱の中に入ってた奴の中で、一番甘くないのだよ。フルーツたっぷりだから、京介でも食べられそうなの」
 そう言うと、深春は改めてそのケーキを見た。深春は余り遠山にいい印象を抱いていないようだし、蒼もそれは同感だった。
 京介の遠山に対する反応、遠山の京介に対する態度。
 それを見ていると、京介が遠山に取られるのではないか、と不安になった。この二人だけ別のところに立っていて、何もかも解かっているのではないだろうか、と。
「食べろ。食べないとお前の高校時代のいろんな話、こいつらに聞かせてやるからな」
 ニヤリ、と笑ってみせる。京介は遠山を睨みつける。しかし、遠山はそれを意に介さない。否、それよりも、遠山は物凄く楽しそうだ。
 京介は嫌そうに、しかしそれでも、フォークを手にとり、ケーキを食べ始めた。遠山は満足そうに頷く。
「全部食えよ。後でこいつらに確認するからな」
 そう言いながら、遠山は部屋を出る。
 高校時代の京介の話はちょっと聞きたかったけれど。
「もう帰るの?」
「ああ、俺もこの後約束があるからな」
 ああ、そういえばコーヒーを入れると言って結局していない。何だか申し訳ない気分になった。しかし遠山はそんな蒼の気分を知ってか知らずか、何やらポケットから取り出した。
「食べ終わったらこれ、入れてやれ」
 よく見ればそれは京介が好きな銘柄のコーヒー豆だった。しかも、結構高い。京介は物欲に乏しいが、食道楽ならぬ、コーヒー道楽だけは結構なものだった。
 それを知っていて、高いコーヒー豆を買ってきてくれたのだろう。
「お前らも、あのケーキを食べる時は飲めよ」
「京介に買って来たんじゃないの?」
 蒼は受け取りながら尋ねる。それを聞くと、遠山は徐に視線を逸らした。
「あのケーキな、朱鷺が作ったんだが……桜井にやった奴以外は、死ぬっっほど甘いんだ」
「え?」
「ようするにな、桜井にやったやつは成功作、あとは失敗作」
「って、それ、僕たちに失敗作の処理させようとしてたの!!?」
「だから流石に悪いと思ってこの豆買って来たんだよ」
 遠山は苦笑いを浮かべながら言う。
「そんなの遠山さんが食べればいいじゃない!」
「俺はもう、五個は食った」
 それを思い出したのか、遠山は口元を押さえる。
「これ以上食うと流石に太る…つーか、糖尿病になる。だから精々一個ずつなんだから食ってくれ」
 どうしよう、流石に同情したくなった。
 しかも、結構甘いもの好きそうな遠山がそんなことを言っているのだ。一体ケーキはどんなものなのだろう。
 何となく恐ろしくなった。それ以前に朱鷺は料理が上手そうには見えないし。ひょっとして家事全般遠山がやっていたりするのではないのだろうか。いや、お手伝いさんとか居たりするのかも。
「じゃぁな、桜井がちゃんと食べてなかったら、後で電話してくれ。そうすれば朱鷺が押しかけて行くだろうからな」
 そう言って遠山は帰っていった。
 蒼は室内に戻った。
 深春は京介の居る部屋からケーキの皿を持って出てきた。
「全部食べたんだ」
「ああ、昔の話をされるのがよっぽど嫌だったみたいだな」
「でも僕、ちょっと聞きたかったなぁ」
 そう言って深春と蒼は笑い合う。
「あ、そうだ。遠山さんがこの豆、くれたんだ。食べ終わったら飲ませてやれって」
「ああ、今は無理だな、寝ちまってる。昨日は寝てなかったみたいだからなぁ」
「そうなの?」
 折角買ってきてくれたのに、勿体無い。
「じゃぁ、僕たちが先に味見しよう。遠山さんが持ってきてくれたケーキを食べて」
「そうだな、そうするか」
 深春も頷く。
「だけど、そのケーキ、すっっごく甘いらしいよ」
「え?」
「京介にあげたの以外は失敗作だって」
「……捨てるってのはダメなのか?」
「勿体ないよ。それに、朱鷺に後で感想聞かれたら恐いよ?」
「………コーヒー、頼む」
「うん、ケーキ、お願いね」
 そう言って、二人はケーキを食べる準備をした。
 実際に見てみれば、普通のケーキと変わらないのだけれど。
 コーヒーとケーキ。
「いただきます」
 深春と蒼は、一口食べる。
「…!」
「うっ」
 二人同時に口を押さえた。そして、コーヒーを一気に飲む。
「あ、甘い…」
「というより、こんなのケーキじゃねぇ」
 何とも言えないぐらい甘い。遠山が「死ぬほど」と言ったのが解かった気がした。甘い、何を言うよりも先に、甘い。砂糖の方がまだ甘くない気がしてしまうのは気のせいだろうか。
 こうなれば、これはコーヒーで流し込むしかない。マトモに食べるなんて出来ない。甘党の人だってこんなの食べられるはずが無い。これを本当に五個も食べたのだとしたら、遠山を尊敬する。
 そう思いながら、蒼は今日見た、遠山の意外な表情を思い浮かべる。きっと深春の位置からは見えなかっただろう。
 ただそれが、愛しくて愛しくて、仕様がない、というような、表情。
 この人にそんな顔が出来たのか、と思うと同時に、あんな表情を朱鷺にも見せるのだろうか、と思った。そして、京介に。
 あの顔を見たのは蒼だけれど、それは蒼に向けたもので無い事はよく解かる。あれは、京介のことを考えていたのだろう。
 だけど、何故。
 何故、京介に。
 朱鷺ではなく、京介に。
 まずい事を知ってしまったような気がした。知ってはいけないことを。
 其処で、深く考えることを止めた。
 気にしない方がいい。
 恋だろうが、愛だろうが、あの人の中にある感情に、自分がついていけるとは、蒼には思えない。

 だから
 ただ

 彼が、京介を傷つけることが無いように
 彼が、京介を裏切る事が無いように


 見ていよう



Fin






小説 B-side   建築探偵TOP