宵闇



 薄暗い中、身体を起こし、乱れた髪を掻き上げた。
 身体はまだ火照っている。隣で暢気に寝ている相手を見て、遠山は溜息を吐いた。こいつはどういうつもりなのだろう、と考えても詮無いことだということは解かっているが。
 別にこんなことをするのは今日が初めてという訳でもないし、いい加減お忍びの関係にも慣れてきた。慣れてくると本当なら綻びが生じてくるものだが、この男相手ならそれも有り得ない気がした。別に油断している訳でもないのだが。
 考えてみればこれも不倫の内だよな、と思うと苦笑いが込み上げる。不倫なんて、自分はともかく、こいつにこれほど似合わない表現はあったものじゃない。否、そういう事を気にしていなさすぎてしそうな面もあるのだが(というか実際しているのだが)、まぁ、この男の表面を見ていればどうしていたって思いつかない言葉だろう。
 天使のような容貌を見つめながら、遠山は起こさないようにそっとベッドを降りた。ホテルに備え付けられている冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターを取り出してそのまま口をつけて飲んだ。
「僕にもくれませんか」
 ひっそりと声が聞こえる。
「なんだ起きたのか。それとも起こしたか?」
「起きたんです」
 そう話しながら、遠山は京介に近づいてペットボトルを渡してやる。今更遠山が口をつけたのを嫌がるということもないだろう。
 不思議だと思うのは、何故京介が自分とこういう関係を持ったのかということだと遠山は思う。恐らく、京介とこんな関係を持っているのは自分だけだろうと思う。遠山とのことが初めて、という訳でもなかったようだから、他にそういった人間も居たのかもしれないが、今はそういう人間がいないということは確かだ。
 ほぼ一週間に一回のペースで会っているのに、全くその痕跡が見られないのがいい証拠だと思う。
「…後悔、してるんですか?」
 考え込んでいる遠山を見て、京介は言った。何を聞いているのかは解かったが遠山はそれを冗談めかして問い返す。
「何をだ?」
「僕との関係を、です」
 京介にしては珍しくはっきりしない口調だ。長い前髪の奥の瞳が、酷く真剣なのが見える。後悔していると言えば京介は傷つくだろうか。そんなことを考えてしまう。
 例え傷ついたとしても、それを遠山には見せようとしないだろう。そして、そうなれば決して次はないのだということも解かっていた。綺麗さっぱり関係を絶ってしまうのが目に見えているのに、「YES」だなんて言えるだろうか。
 遠山は答えない代わりにまたもや問いで返した。
「お前は?後悔してるのか?」
 遠山はベッドに腰掛けながら尋ねる。いい加減付き合いも中途半端に長いが、この男が本心を見せることは稀だ。知られることを恐れているとでも言わんばかりに。中に入られることがそれほど恐いのだろうか。許してしまえば失うのが恐くなるから。
 そして、遠すぎず近すぎない自分を選ぶのは、離れても傍に居ても楽だからか。そう思っていてくれないと困る。初めて会ってきたときからずっと教えてきたのだから。
「後悔はしていません」
「だったらいいだろうが」
「僕が聞いているのは…」
 其処まで言って止めてしまう。本当に今日は珍しく煮え切らない。何かあったのかも知れないが、それを問うのは野暮というものだろう。今回のこれは憂さ晴らしも兼ねていたのかもしれない。
「俺は傷つかないよ。お前が何をしたってな」
 例え傷ついたってそれは冗談の中に隠してしまおう。そうすることが自分には出来るのだからと。ずっと教えてきたのだ。気づかせないようにするのは簡単だ。大切な誰かを傷つけた分だけ自分を傷つけるのは何年経っても変わらないこの男に、それを教えてやるのは生き甲斐のようなものだと思う。
「お前とこうしているのに後悔だってしない。傷ついたりもしない。そんなに軟な人間でもないからな。俺はむしろ、お前がこうして俺と関係を持っているのが不思議だけどな」
 軽く笑いながら言うと、京介は視線を落とす。
「遠山さんは…僕の顔が好きな訳ではないんでしょう」
 好きか嫌いかと聞かれれば好きだが、聞いているのはそういうことじゃないんだろう。思わず苦笑が漏れる。
「俺が桜井に興味を持ったきっかけはお前のその顔だけどな。お前の顔は好きだけれどそれが全てでもない。初めて会ったときからの不遜な態度に意地になったのが元凶だろうな」
 そう、その時のことはよく覚えている。新入生にえらく綺麗な子がいる、という噂を聞いて見に行ったのだ。噂に違わず、というよりも、想像以上の美貌の持ち主は人に見られるのが不快だったのだろうが、始終しかめっ面だった。
 まぁ、この容姿で噂にならなかったら嘘だろう。なんてったって好奇心旺盛な思春期の青少年達なのだから。珍獣並の扱いをされていたのには同情を禁じえない気もしたが。
 出会った頃のことを思い出しているうちに顔が笑っていたのだろう、京介は出会ったときのようにしかめっ面をした。
「ところで、それはお前が俺とこんなことをする理由にはなってないぞ?」
「理由が、要りますか?」
 問わないでくれと言っているのだろう。わざわざ遠まわしな言い方をするのは自分に対する甘えなのだろうか。そうだったら嬉しいのだが。なかなかそうもいかないのもこの男だと遠山は苦笑する。
「まぁ、いいさ。今は楽しめればな」
 そう言って遠山は京介に口付け、髪を掻き上げて、顔を見る。日常の中でこんな事をすればにらまれるどころではすまないだろうが、今は許される。日常とは程遠いこの場所では。京介は遠山の口付けに積極的に答えてくる。こうしていることは京介にとって楽なのだろう。何も考えずにすむのだから。


 休めるのならば休めばいい。
 此処がその場所になれるのならいくらでも協力してやろう。
 例え其処から一歩も抜け出せなくなるとしても。

 それはそれで面白いじゃないか。



Fin





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