そして数日経って、何か変化があったかと言えば何もなく。 相変わらず放課後の部室で、朝比奈さんはお茶を淹れ、古泉は俺とボードゲームをしながら朝比奈さんが淹れてくれたお茶を飲む。 そして最近は時折ハルヒと何やらこそこそ話している姿が目立つ。 仲が良いのは結構だが、そういう思わせぶりな態度は非常に問題があるぞ。主に朝比奈さんにとって。ああほら、今だって羨ましそうにお前らを見ているじゃないか、どうするんだ、俺は嬉しそうに笑っている朝比奈さんの顔が見たいのであって、そんな落ち込んでいる様子の朝比奈さんは見たくないのだからな、決して。 「そうそう、皆に知らせておかなきゃいけないことがあったんだわ!」 古泉とこそこそ話していたハルヒが、突然威勢良く立ち上がる。椅子の上に。 「今度の土曜日、いつもの駅前に十時集合よ!絶対忘れちゃ駄目だからねっ」 人の予定も聞かずに勝手に決めるな。まあ、俺も何か予定がある訳じゃないんだが。長門や朝比奈さんや古泉はあったとしても無いと言うだろうしな。 さて、今度は一体何をするつもりなのかね。あの輝かしい笑顔を見るに、市内探索、という訳ではなく、他の目的がありそうだが、現状それを知っていそうなのは古泉ぐらいか。あいつは絶対に教えてくれたりはしないだろうし、長門は何だかんだで知っていそうだが、聞くほどの事でもない気がするしな。結果はいつも変わらん。 朝比奈さんが知っている筈もなく、結局土曜日に答えを知るまでこのままということか。 「じゃ、そういう事で!あたしはちょっとこれから古泉くんと打ち合わせがあるから出掛けるわね。多分帰ってこないから、好きな時に帰っちゃっていいわよ、鍵はよろしくね!」 そう言ってハルヒは元気よく宣言し、古泉の腕に自分の腕を絡めて引っ張っていった。古泉の表情は相変わらずの笑みで、何処となく楽しそうな色が伺える。 本人達は知らないから仕方が無いとはいえ、いくらなんでも朝比奈さんの前であんなに親密そうにしなくたって良いだろう、と思ってしまうのは仕方ない。 「涼宮さんたち、一体何をやってるんでしょうね?」 「どうせろくでもない事でしょう。あの二人がやろうとする事ですから」 「でも楽しそう。あたしもちょっと、土曜日が楽しみかな」 「何事もなければ良いですけどね」 二人の親しげな様子に対して、朝比奈さんが余り気にしていない様子なのを見て、ほっとする。というか、何で俺がこんなに気を使っているんだろうな。 そしてその日、結局ハルヒと古泉は宣言したとおり戻って来なかった。まあ、朝比奈さんと長門の二人に挟まれての下校は、それはそれで良いものではあったのだが。 土曜日当日。 十時前に駅前に着けば、矢張り既に他の四人は揃っていた。 待ち合わせに遅れたものがすべからく他の四人に対して奢らなければならないという、理不尽極まりない上に俺だけにしか機能したことのないこのルールの餌食になるのは、はて今回で何回目だろうか。 ハルヒは相変わらず不敵に笑っているし、朝比奈さんは相変わらず可愛らしく、長門はいつもの無表情、古泉もまた相変わらずの微笑を浮かべ、そして何やら小さな袋を持っている。その中身は何だ。 「それは後のお楽しみ。一旦喫茶店に入りましょ」 俺の奢りのな。 いつもの喫茶店に入り、それぞれ注文すると、ハルヒは俺達の顔を見回して満足そうに頷いた。一体何なんだ。 「それで、今日これからの事なんだけどね、一旦二手に分かれて、十二時に集合ね」 「って、一体何をするんだよ」 「その辺は安心して、あたしと古泉くんがばっちり把握してるから。キョンと有希はあたしと一緒に来て、みくるちゃんは古泉君と一緒ね」 そういえば以前からハルヒが指定するとこの組み合わせが多いな。何か裏でもあるのか? 俺は一瞬探るような視線をハルヒに向けるが、当の本人はそれに気付いた様子もなく、古泉と楽しげに話している。本当に一体何を企んでいるんだ。 「そうそう、古泉くん、今日持って来たもの貸してくれる?」 「はい」 古泉はいつもの笑顔で、今日持って来ていた袋をハルヒに渡す。中身が気になるんだが、まだ見せようという気にはならないらしい。朝比奈さんも中身が気になっているようでしきりに袋に視線を投げ掛けていた。 まあ見せろと言ったところで、ハルヒがその気にならなければ見られる筈もなく、喫茶店を後にして、二手に分かれることになったのだった。 先に歩く古泉と、それについていく朝比奈さんを見送り、溜息を吐く。 「俺はお前が何を考えているのか、さっぱり解からん」 「それってみくるちゃんと古泉くんのこと?」 さらりと聞かれて目を見開く。知ってたのか。 「そりゃあ、見てれば解かるわよ。みくるちゃんの古泉君を見る目なんて、明らかに恋する乙女じゃないの」 「だったらもうちょっと気遣ってやれよ。お前が古泉と仲良さそうにしている度に、羨ましそうな顔してるんだからな」 「なんでそんな事しなきゃいけないのよ。あたしと古泉くんはそんな関係じゃないんだから、別に構わないでしょ。気をつかって余所余所しくなる方がどうかしてると思うわ」 さらりと言い放ち、ハルヒは何処か目的地に向けて歩き出す。 まあ、確かにハルヒの言い分も解からないではないがね、何しろ俺達は結局のところ第三者でしかなく、本人達の事は本人達にしか解決出来ないんだからな。 もしかしたら、ハルヒがよくあの二人をペアにするのは、曲がりなりにもその辺を気遣ってのことなのかも知れない。まあ、そんなこと聞いて本心を言うとも限らず、照れている時は怒った顔しかしないハルヒの事だから、聞かなくても良いかと思う。 結局のところ、問題は二人の間にしかないのだから。 さて、あの二人のことは一旦おいといて、俺達が何処に向かったかと言えば、地元のホームセンターである。シャミセンの餌を買うために何度も立ち寄った事がある場所だ。 そしてハルヒは其処のペット関連の売り場ではなく、農業関係の売り場へと向かった。何故だ。 聞いてもハルヒは答えない。ただ其処を歩きながら、軍手五人分、スコップ五本、鍬二本を俺に次々と渡してきた。何だ、お前は俺達に農業でもやらせたいのか。 以前シャベル二本を持たされて俺と古泉が散々鶴屋山で穴を掘った事を思い出したりもしたが、どうにも今回は明らかに農業スタイルである。 「うーん、こんなものかしら」 その全てを俺に持たせてハルヒは少し考えるように呟く。 「あ、如雨露も居るわね!」 そう言ってまた如雨露を持って来て俺に手渡した。いや、流石にこれ以上持てそうに無いんだがな。俺が荷物持ち要因だという事はよく解かったが。これだけ持つと結構重い。本気で。 古泉と朝比奈さんが一体何をしているのかは解からんが、どうせなら俺もそっちが良かったな。朝比奈さんが居れば何があろうと癒されるし。 「何馬鹿なこと言ってんの。折角のデート邪魔しちゃ悪いでしょ」 「俺は荷物持ちなのに、あの二人はデートしてるのか?」 「違うわよ、別に用事を頼んであるの。でもみくるちゃんからしたら、古泉くんと二人きりってシチュエーションならデート以外のなにものでもないでしょ」 確かにそうかも知れないな。 まあ、俺だって朝比奈さんの邪魔はしたくない。しかしやっぱりこの大荷物を持たされている身としては、正直羨ましいんだがな。 一緒についてきた長門は如雨露を興味深そうに見ている。 何が面白いんだろうか。言葉を発しないから何とも言えないのだが。 「持ちたいのか?如雨露」 聞くと、前髪が少しだけ揺れた。 プラスチック製の何の変哲もない如雨露だが、一体長門の何を刺激したのだろうか。一先ずレジで鐘を払うと、長門は如雨露を持ち、俺は残りの物を全て持って、ハルヒの先導のままに、元来た道を戻る。えーと、待て。 ひょっとしてこの荷物を持ったまままた喫茶店に入るのか? ちょっと勘弁してもらいたいシチュエーションだな。なんて俺が言ったところで無駄なんだろうが。 「あ、そうだ、忘れてたわ!」 「何を」 「肥料買うの。一旦戻りましょ」 「……マジか」 この上更に肥料も持たされるのか?マジでか。本気か。冗談じゃないぞ。 そんな俺の文句もハルヒには関係が無いのはいつもの事で、結局俺はそれも背負わされ、死ぬ想いで今度こそ本当に元の駅前まで戻ることになった。 せめて古泉もこっちに呼ぶべきじゃなかったか。 道中ハルヒにとろいのろいと責め立てられながら、だったらお前が持てと言う言葉を何回か発したがそんな言葉に意味はなく、戻った先には既に朝比奈さんと古泉が待機していたのだった。くそ、古泉のあの相変わらずの微笑が忌々しいことこの上ない。 「お疲れ様です」 「だ、大丈夫ですか?」 古泉は余り意味のない労いの言葉を、朝比奈さんは死にそうになっている俺を本気で心配する言葉をそれぞれ掛けてくれた。まあ、労いの言葉一つないハルヒよりはマシだと思おう。 「それで、そっちは何をしてたんですか?」 「え、えーと?あたしも何に使うかよく解かんないんですけど…。いくつかお買い物を」 そう言いながら朝比奈さんが古泉が持っているビニール袋を見た。こっちは見れば解かる荷物だが、そっちは中身を見なければ解からない。ただビニール袋に印刷されてある店の名前は商店街にある雑貨屋のものだった気がするのだが。 まあ、取り敢えずこれから何をするのかは何となく解かるけどな。 一度喫茶店に入るが、妙に注目を浴びているのは気のせいでは無いだろう。この大荷物は流石にきつい。しかし、この際休めるのなら何処でも構わないという気分だったから、視線は気にしない事にしよう。そうしよう。 其処で昼食をとった後、今度はハルヒの先導で俺達が毎日登っているハイキングコースを行く事になった。今度は荷物の半分を古泉が持っているから良いが、坂道を登らなければならないのだから、負担は大して変わらない気がする。 そして何故か如雨露を気に入ったらしい長門は、それだけを持ち、朝比奈さんは午前中に買ってきたビニール袋を持ち、ハルヒは今朝古泉が渡した小さな袋を持って登っていく。 で、此処までくると俺達が行く着く先は最早学校でしかないことは明白で。さて、学校の何処に鍬を使うような場所があっただろうかとまた考えた訳だが、俺が気にする事でもないだろう。 結論はと言えば、園芸部が世話する花壇の一角だった訳だが。 一体どういう交渉の元、其処を確保したのかが俺としては甚だ疑問でならない。朝比奈さんがまた被害に合う事は無いと思いたいのだが。 「普通に使って良い?って聞いたら良いって言ってくれたのよ。園芸部は人員不足らしくて、この辺の花壇まで手が回らないから、好きにして良いって」 「なら良いけどな」 平和的に交渉が済んだと言うのなら、それに越した事はない。 「じゃ、キョン、古泉くん。その鍬で耕してね!落ちてる石ころなんかは脇にどけて」 元々こうする事が解かっていた古泉は良いだろうが、やっぱり俺もしなきゃならんのか。ああ、解かっていたさ、鍬二本を買った時からそうなるだろう事は予想済みだ。ハルヒは兎も角朝比奈さんや長門にそんな事をさせる訳にもいかんしな。 買ってきた軍手をつけて、ハルヒに言われるまま、俺と古泉は花壇を掘り返し、落ちている石を脇に捨てて土を柔らかくする。これがまた、結構な重労働だ。そもそもまともに鍬なんて握った事は殆ど無いんだからな。 縦一メートル、横三メートル程の花壇はそれ程狭くもないが、男二人で耕すには狭い気がする。ハルヒ、もうちょっと考えてくれ。しかし、本当に随分と長い間放置されていたらしく、土は固いし、何やら腐りかけの球根は掘り出されてくるし、そもそも生えている雑草も抜きながらやっているので、結構時間が掛かる。 一通り耕し終えると買ってきた肥料を撒き、それをならした。 ようやく終わったのは始めてから一時間半程した頃だっただろうか。その頃にはハルヒは退屈そうに座り込んでいて、朝比奈さんはいつの間にか部室からお茶を淹れる道具を持って来て二人に振舞っていた。そしてようやく一仕事終えた俺達にも、お茶を運んできてくれた。本当に有り難い事です。 ようやく用意が整ったのを見てとったハルヒは、退屈から開放されたおかげか、また眩い笑顔を浮かべた。 「じゃ、これで準備は整ったわね!」 「お前は何もしてねーだろ」 「あら、そんな事ないわよ。あんた達が耕してる間に、あたし達はこれ作ってたんだもの」 そう言ってハルヒが俺の目の前にずいっと突き出したのは、それぞれの名前が書いてある札、と言えば良いのだろうか。割り箸を半分に割った縦棒にカードを貼りつけ、其処にそれぞれの名前が書いてある。俺のところは相変わらず名前が「キョン」になっているのは最早文句を言う気にもならないな。 どうやら、午前中古泉と朝比奈さんが買ってきたのはこれを作る材料だったようだ。ようするに割り箸と、名前を書くための厚紙、マジックペン、ガムテープである。ちなみに名前が書いてある紙の上にはご丁寧に袋が被せられており、その下の部分を針金でぐるぐると巻きつけてあるのは、恐らく雨が降ったときに名前が消えないための考慮なのだろう。 「それで、此処までしたは良いが、何を育てるんだ?」 兎に角此処で何か植物を育てるのは解かった。というか、これで解からない方がおかしい。しかし一体何を育てるのかはさっぱりだ。コイツの事だから食虫植物とか言い出しかねないし、何処かで拾った適当な何の種かも解からないようなものかも知れないし、ネット通販で見つけた妖しげな実の為る木とかいう可能性も捨てきれない。 「それは、これよ」 そう言ってハルヒが見せたのは今朝方古泉がハルヒに渡した袋だ。まあ、古泉が持って来たんだから、そう訳の解からない物では無いだろうが。 「みんな目を瞑って、この袋から一粒だけ種を取って」 「なんでそんな事するんだよ」 「良いから。早くしなさい!」 そう言われて渋々目を瞑り、袋に手を入れる。いくつか入っているようだが、まあ適当で良いだろう。その後、長門と朝比奈さんも続いて種を取り、最後に古泉、残ったのがハルヒの分になるらしい。というか、それぞれ一粒ずつならこんなでかい花壇じゃなくて鉢植えで育てりゃ良いんじゃないか? 「何言ってんの、花だって広いところでのびのび育った方が嬉しいに決まってるわ!ねえ、古泉くん」 「そうですね」 古泉は相変わらずのニヤケ面でハルヒに同意する。 さて、それぞれ手に取った種だが、俺はそういう事には詳しくないから何の種だかさっぱり解からんのだが、どうにも各自種類が違うらしい。 というか、一体何が面白くてハルヒはこんな事を思いついたんだ? 「種は全てこの時期に植えるものですよ。ただ、開花時期はそれぞれ異なりますが」 「各自、自分の花は責任もって自分で育てなさい。もし枯らしでもしたら承知しないんだからね!じゃあ、それぞれ自分の種を植えて、その前に自分の名前が書いてある札を差して頂戴」 何を意図した事なのかさっぱり解からんのだが、ハルヒの指示に従い、俺たちはそれぞれ種を植えた。そして長門が持っていた如雨露に水を入れ、その上に撒く。 なんと言うか、妙に懐かしい気分にさせられる光景だった。小学校の時には花壇で花を育てたりしたもんだよな、そういえば。 そう思うと、ちゃんと世話しないとな、なんて気分になってしまう。まあ、毎日の世話ってのは結構億劫だったりもするもんだが、各自がちゃんとやれば自然と自分もやろうという気になる気がする。ハルヒは兎も角、長門や朝比奈さん、古泉辺りは世話を忘れるなんて事は無さそうだしな。俺はそれに続くとしよう。 それに、どんな花が咲くかさっぱり解からないという状況は、少しばかり楽しみでもある。 その帰り道。 俺は古泉と並んで歩きながら、花壇を耕していた時からの疑問を問いかけた。 「結局、何でハルヒは花を育てようと思ったんだ?」 「ネットサーフィンをしているうちに、花を育てている人のブログに行き当たったようで。生き物を始めから育てるということに、興味をもったのだと思いますよ。ですが、ただ育てるだけでは詰まらないですから、今回のように一人一人違う花にしようと思ったんでしょう」 「で、お前はハルヒの協力をしてたのか」 「ええ、特に問題があるとも思えませんし、生き物を育てるのは良いことでしょう。緑が増えるのは地球にも良いことです」 俺達が育てる程度の緑じゃ大した事はないだろうけどな。 「これぐらいの事ならば喜んで協力しますよ。あなただって今回の事はそう悪いとは思っていないでしょう?何より涼宮さんが楽しそうですし」 確かに前を歩くハルヒは矢鱈と楽しそうだ。今回は肉体労働はあったものの、それ程おかしな事が起きている訳でもないから、許容範囲だろう。 朝比奈さんにも被害がいってないのが一番大きいな。 古泉は俺の言葉にいつもの微笑を見せて、前を歩いているハルヒ達に視線を向ける。その瞳がやたらと優しげな光を宿していて、何とも言えない気分になる。 恋愛感情ではないにしろ、古泉は俺に一番大切なのはハルヒだと言ったんだから、まあ、その視線もそういう、親愛の情のようなものなのだろう。古泉が視線を向けているのは間違いなくハルヒだという事が、一番問題なんだけどな、今は。 少しは朝比奈さんにも目を向けろよ。 あんなに可愛らしい方なんだぞ、そんな人がお前を好きだと言ってるんだ、もうちょっと目を向けたって良いだろうが。 なんて、口に出して言う訳にもいかない。 そんな訳で、結局俺もまた、ハルヒ達の方を見ながら、平日と同じように五人揃っての帰途を辿ることになるのだった。 違うのは全員が私服という点ぐらいだった。 そして翌日。 やっぱり世話しなきゃいけないんだろうなあ、などと思って日曜であるというのに学校への道を辿っている俺は一体何なのだろうか。 何よりも予感がする。 昨日みんなで種を埋めた花壇に行けば、既に全員が揃っていた。 「おっそいわね、キョン!何も言わなくてもみんなあたしより先に此処に来てたわよ」 「何も言わなくても此処に来ただけ褒めて欲しいもんだな」 相変わらずのハルヒの理不尽な物言いに溜息を吐きながら、俺は物好きなやつらを見回した。なんて言ったって、俺も此処に来ている時点で物好きの仲間入りか。 古泉は相変わらずの笑み、朝比奈さんも何処か楽しそうだったし、長門は早速というべきか如雨露を抱え込んでいた。 昨日手入れをしたばかりだから、雑草が生えているなんて事も無く、長門が率先して水撒きをしたがった為に、結局俺は何もする事は無かったのだが、なんとも穏やかな気分になる。 「でもやっぱり、昨日の今日じゃ変化は何も無いわね。早く芽が出てこないかしら」 「そんなにすぐに出る訳ねーだろ」 気の早いハルヒの言葉に俺は呆れながらも、妙な予感を抱いていた。 いや、考えすぎだと思いたいが。 いつものニヤケ面に視線を向ければ、苦笑いを浮かべながら大げさなジェスチャーで肩を竦めた。ああ、そうかい、これぐらいなら俺も知ったもんか。 明日どうなっていようと、それこそ時期はずれに桜が満開になったことよりは人の目を引かずに済むだけマシってもんだろ。 こんな花壇、うちの団員以外にわざわざ見に来るヤツなんていないだろうからな。 ちなみに、その時朝比奈さんはハルヒの言葉を聞いていたが何も感じては居ないようで、必死に何やら本と睨めっこしていた。 どうやら花の育て方やら、花言葉なんかが書かれた本らしく、それを熱心に読んでいる。昨日の今日でこれとは恐れ入る。相変わらず勉強熱心な人だ。 水遣りを終えた長門はそのまま如雨露を抱えていて、ハルヒは念でも送っているのか花壇を睨みつけている。古泉は相変わらずの微笑でそれを見守り、俺は朝比奈さんに声をかけた。 「何か面白い事でも書かれてますか?」 「あ、はい。この時期に植える花を調べてたんです。これを見ながらどの花が咲くのかなって考えたら、楽しくないですか?」 「そうですね」 むしろ楽しそうな朝比奈さんの顔を見ている方が俺は楽しいんですけどね。 「種の形を見れば、誰がどの花の種を植えたのかも解かるんですけど、よく見てなかったから自分のしか解からないですね」 「朝比奈さんはどの花の種を植えたんです?」 俺の問い掛けに、朝比奈さんはくすりと笑みを浮かべた。 「花が咲くまでのお楽しみです」 それから、少しだけ笑みを小さくして呟く。 「それに、上手く花を育てることが出来たら…」 呟いた後に、ちろりと古泉に視線を向ける。何となく解かるような気がして、俺はこっそり溜息を吐いた。本当に羨ましいぜ、古泉。 まったくもって立場を代わって欲しいもんだ。 ただ、朝比奈さんにとっては古泉でなければ意味が無い事なんだろうから、俺の内心の呟きは全く意味の無い事な訳だったが。 さて、更に翌日。 ようするに月曜日、通常通り学校がある日だ。 放課後いつものようにSOS団部室(本当は文芸部部室)に向かうと、既に全員揃っていた。いつもと違うのは、ハルヒが今にも何処かに行きたそうに俺の到着を待っていたこと、同じく長門も行きたそうに如雨露を抱え込んでいたこと、そして古泉と朝比奈さんが何やら親しげに本(恐らくは花の本)を見ながら会話していた事だった。 いや、うん、花壇に植えた種のために其処まで情熱を傾けられるお前らは心底凄いと思うよ。俺だってちゃんと世話はするつもりだったが、言いだしっぺのハルヒは兎も角、長門、水を遣りたいのは花を育てたいからなのか?それとも水を遣る事そのものが目的なのか? 「遅いわよ、キョン!ほら、早く花壇に行きましょ」 今回俺が遅れたのは掃除当番だったからで止むを得ない事だったんだが、そんなに楽しみにしていたんなら、俺を置いて先に行けば良かったんじゃないのか。 「何言ってるの。あの花はみんなで植えたんだから、みんなで育てるのよ。当然でしょ」 ああそうかい、別に良いけどな。 まあ、こんな事で言い合っていてもどうしようもないし、花壇に行くのは俺も最初から解かっていた事だから、素直に全員揃って種を植えた花壇に行く。 すると、まあ、半ば予想してはいた事だったが、な。 「あら?」 「え?」 そんな声を漏らしたのはハルヒと朝比奈さんである。俺と古泉と長門は半ば予想済みの事態に呆れと諦観を滲ませてその光景を見ていた。 ようするに、本来二日で芽の出る筈もない種が、既に芽が出ていたのである。明らかに異常だ。 「随分芽が出るのが早いわね。それともよっぽど気の早い種だったのかしら。何より花もこれだけ広い花壇で種も五つだけですもの、栄養もその分いっぱい貰ったのね」 「そ、そうですね」 ハルヒの言葉に同意をしながらも、朝比奈さんもようやく事態に気付いたようで、俺に視線を向けてくる。しかしハルヒ、気が早いからって、その育ち方は異常だろ。まあ、本人が疑問に思わないだけ良いことなんだろう、きっと。 広めの花壇に、等間隔で植えた俺達の種は見事にそれぞれが立てた名札の前に芽を出している光景は何とも言えないものがある。 「まあ良いわ。水をあげましょ」 そう言ってハルヒが指示をすると、如雨露を抱え込んでいた長門が水遣りを始める。 いやまあ、結局俺達はする事が無いんだけど、どうすべきかな。雑草が出ればそれを取ったりするのが俺や古泉の仕事になるんだろうが、それが出る前に花が咲いてしまいそうだ。 しかし、五本出ている芽も、種類が違う所為か、似ているようでそれぞれ違う。ちょっと面白いかもしれないな、これは。育っていくとどういう風になるのか、楽しみではある。 「まあ、一夜にして花が咲いていた、というのでないだけ、マシでは無いでしょうか。まだ育てる過程の楽しみというものまでは飛ばそうとは考えていないのでしょう」 「過程ったってな、この調子じゃ苦労もせずすぐに花が咲くぞ」 「そうですね、この調子なら一週間ぐらいで花が咲きそうです」 余り深刻には思っていないらしい古泉が、相変わらずのニヤケ面で言った。まあ、俺もこんな花壇の花が通常より早く咲いたところで、さして気にも留めないだろう。 「だが、そんなに早く咲くと、ハルヒが疑問に思うんじゃないのか?」 「そうですか?気が早いだけで全てを済ませてしまっているようですので、花が咲くのが早くても気にも留めないと思いますよ」 それは否定できないな。 しかし、それが当たり前だと思ったら、それはそれで拙いんじゃないのか。 「その時はその時で何なりとフォローしますよ。そうですね、特別に品種改良した、一週間で花が咲く種だった、とかいうのはどうでしょう?」 「そんな種があったならぜひとも見てみたいもんだな」 まあ、そういう系統の説明はお前に任せよう。俺は何がどうなっても知らんからな。 一週間で咲くのなら苦労も何もあったものではないが、それでも花は育ってるんだからまあ良いんだろう、きっと。本来の時期に咲いたならばそれまでにハルヒが世話に飽きてしまう可能性もあるから、そのまま枯らすよりはきっとこの方が花にとっても良いに違いない。 そう思っておこう。 水を遣り終えると、俺達は部室に戻ってまたいつもの一日を過ごす。 ただ少し違うのは、朝比奈さんが花の本を熱心に読み、時折古泉と言葉を交わす事だった。古泉と何か言葉を交わすたびに嬉しそうに顔を綻ばせる朝比奈さんは、本当に可愛らしい。俺やハルヒに向けられる笑顔と、古泉にだけ向けられる笑顔の違いに、古泉自身は全く気付いていないようだったが。 実は鈍いのか、古泉。 なんて、俺もたまたまあのシーンを目撃しなければ、気付かなかった可能性が大だから、人の事は言えんのだが。 それでも、朝比奈さんが嬉しそうなのは良いことだ。花に関しての会話が古泉との親密度を上げる役に立っているようで、うん、ハルヒもたまには良いことをするじゃないか。多少の嫉妬心はあるが、朝比奈さんの幸せが何よりの優先に決まっている。 そしてそれから後も順調に花は成長していった。 なんと言うか、花の成長過程を解かりやすく載っている本を眺めている気分になるくらいに、日々成長していく花を見るのは楽しくもあったが、少々味気なさ過ぎないか? ハルヒはそれで満足しているようだったが。 「明日にでも花が咲きそうね。土曜日だけど、全員学校に集合よ!良いわね!?」 その宣言に苦笑しながらも、早くも蕾をつけている花達を見れば全員咲いた姿は見たいと思うものだ。そして此処まで成長すれば、誰もが自分が植えた花が何なのかもう解かっている。 いや、一週間前までなら解からなかっただろうが、朝比奈さんが花の本を読んでいてくれたおかげで俺まで花の種類に詳しくなった。それは古泉やハルヒ、長門も同様のようで、それぞれ何の花が咲くか解かっているものの、それでも花が咲くのが楽しみで仕方が無い。 明日が待ち遠しいと、思う気持ちも確かに俺にもあったのだ。 そして土曜日。 種を植えてから丁度一週間。 朝から学校に行くのにも不満は無い。きっと花が咲いたのを見逃した方が勿体無いだろうからな。 そして学校に着くと、矢張り俺が一番最後だった。そしてハルヒに文句を言われるのもまたいつもの事。 「キョン、遅いわよ!」 「お前らが早すぎるんだよ」 つーか、お前集合時間すら言ってなかっただろ、確か。 既に花壇の前に揃っている皆はもう、自分の花が咲いているのを確認したのだろう。俺も当然自分の札のついている花壇に目を向けた。 俺の花は赤い花びらに黄色の縁取りがされているような、何とも言えず目立つ花だ。こういうのはハルヒ向きじゃないのかと思うね。 オオテンニンギクというらしい。聞いた事も無い花なんだが、俺が無知なのか、古泉のチョイスがおかしいのか、どっちだろうな。名前からして菊の一種だってのは解かるんだけどな。ハルヒ向きに態と珍しい花を選んだ、というのが一番考えられそうな事だが。 此処でホウセンカとか朝顔とか小学校でも育てたような花だったら拍子抜けだからな。 ちなみに、ハルヒの花は俺と同じキク科の花で、オオキンケイギクというらしい。名前も何だか似ているな。偶然か?ただ、こっちは黄色い、可愛い感じのする花だ。ハルヒのカチューシャと色的にはお揃いと言って良いだろう。 長門の花は白くてある意味長門らしい花だった。名前はフリージアというらしい。可憐というよりはしっかりしていて、けれど涼やかな印象を漂わせているような気がする。 古泉の花は、聞かなくても名前がわかる。もっと大量に咲いていたなら誰でも一目で解かるだろう。白くて小さくて、可憐でか弱い雰囲気というのならこれ以上無いだろう、そう思えるような花だ。カスミソウと言えば誰だってすぐにその雰囲気ぐらいならば思い浮かべられるだろう。しかし、よりにもよって古泉にこれかと、思わないでもないな。似合っているのかいないのか、微妙だ。 そして、朝比奈さんの花は、小さくて可愛らしい、正に朝比奈さんらしいものだ。手に持っている姿はさぞや似合う事だろう。青い小さな花が固まって存在を主張しているようなそんな健気さが伺える。名前だけなら誰もが知っているだろう、勿忘草だ。ちなみに、俺はこの花を見てもそれが何の花かなんてのは流石に解からなかったが。 しょうがないだろ、花の名前と見た目が一致しているのなんて、余り無いんだから。 兎に角も、それぞれ開花時期が異なる花が全て咲き揃っている姿というのは、壮観というよりは異常で、しかも種は一つずつしか植えていないから、花壇は結構寂しいのだが、それでも何となく、嬉しいという気分になるのが不思議なところである。 「あの、涼宮さん」 それぞれみんな咲いた花を眺めていると、朝比奈さんが口を開いた。 「なあに?」 「この花、とっちゃ駄目ですか?あの…」 「花を?うーん、折角咲いたのに勿体無い気はするけど…いいわ。その花はみくるちゃんのものだもの、みくるちゃんの好きにしたら?」 「有難う御座います」 ほっとしたように微笑む朝比奈さんの姿がまた可愛らしい。 しかし、その行く先を思うと素直に癒されるだけでは済まないのが恨めしい。 「そうね、いっそみんなこの花を持ち帰りましょ。花の命なんてどっちみちそう長く無いんだし、少しでもそばに置いておくべきだわ」 ハルヒが突然そう宣言し、という訳で俺達は全員、自分達の花壇の世話をしに来ていた園芸部員に鉢植えを貰い、其処に花を植えなおし、それぞれ持ち帰る事となった。だったら最初から鉢植えで育てろよ、と思うのだが、それは最初に言って却下されたのだったか。 「あ、そうだ。あたしこれから用事があるから急いで帰らなきゃいけないのよね。ということで、今日はここで解散、じゃあね!」 そう言ってハルヒは鉢植えを抱えて足早に去って行った。全く、行動が唐突というか、脈絡が無いというか、まあ、其処がハルヒらしいと言えばらしいところだ。長門も帰るのか、既に自分の鉢植えを大事そうに抱えて背を向け歩いていた。 残っているのは俺と古泉と朝比奈さん。 この場合お邪魔虫は俺だろうから、俺もさっさと帰るべきだろうかね。 そう思って朝比奈さんに目を向ければ、何やら訴えるような視線を向けられる。 えーと、何ですか。それは帰るなって事ですか。いやいや、俺はお邪魔でしょ、ねえ。そういう事は二人っきりの時にするもので、明らかに俺の存在は必要ないでしょう。 などと視線でもって送ってみても、朝比奈さんはぷるぷると古泉に気付かれないように首を振った。二人きりは緊張しすぎて駄目って事ですか。そうこうしている間に、古泉は俺と朝比奈さんの間にある妙な空気に気付いたのか、いつもの笑顔で、自分が邪魔なのだろうと勘違いしたのか、「僕ももう帰りますね」と言った。 いや待て、帰らなければならないのは俺であって、お前じゃない。邪魔者は俺であって、当事者はお前の筈だ。ていうか、お前は帰っちゃならないんだよ。 などと口にするのは俺の役目では無いから思いはしても言わないけどな。つーか、誰か助けてくれ。何で俺がこんな微妙な空気の中に居続けねばならんのだ。 そのまま帰ろうとする古泉に、朝比奈さんも覚悟が決まらずに居た様子だったのが思わず声が出たという感じで、古泉を呼び止めた。 「こ、古泉くんっ」 「はい?」 帰ろうとしかけていた古泉が振り向き、朝比奈さんに視線を向ける。朝比奈さんは勿忘草の植えられている鉢植えを大事そうに抱えながら、顔を真っ赤にしている。 いや、ほんとーに、俺は帰りたいんですけど。でも時折涙目でちらちらと俺を見るもんだから帰れない。俺は朝比奈さんのそんな表情を振り切って帰れるほど薄情じゃないんだ。 「なんですか?」 もじもじとして次の言葉を発さない朝比奈さんを、優しく促すように古泉が問いかける。それに勇気を得たのか、今度は真っ直ぐに古泉を見て、手に持った鉢植えを古泉に向かって差し出した。 「これ、受け取ってくれませんか?」 「…僕に、ですか?」 朝比奈さんの言葉に、古泉は流石に驚いた顔を見せ、それからちらりと俺を見て、また朝比奈さんに視線を向けた。 「は、はい。あの、駄目ですか…?」 潤んだ瞳て古泉を見上げる朝比奈さんはこれ以上なく可愛らしく、俺が古泉の立場なら迷うことなく抱き締めて差し上げるところだ。というか、此処で嫌だとか言ったら、古泉を殴る。本気で。 まあ、そんな俺の殺気に気付いた訳では無いだろうが、古泉はすぐにいつものような笑顔を取り戻し、自分が手に持っていた鉢植えを地面に置き、朝比奈さんが差し出す勿忘草の鉢植えを手に取った。 「有難う御座います。綺麗ですね」 「いえ、こっちこそ。その、は、鉢植えが二つもあったら持って帰るの大変ですよね、御免なさいっ」 朝比奈さんは古泉に渡す事に必死で、古泉にも自分の分の鉢植えがあるのだという事に今まで思い至らなかったらしい。其処で慌てて謝る朝比奈さんに、相変わらず古泉は微笑を浮かべながら、 「別に構いませんよ。でも、そうですね…。じゃあ、僕の方の鉢植えを朝比奈さんに差し上げますよ。この花はむしろ僕より朝比奈さんの方が似合うでしょうし」 朝比奈さんに貰った鉢植えをそっと置き、カスミソウの植えられた鉢を朝比奈さんに差し出した。確かに古泉の言うとおり、カスミソウなんていう儚げな花は朝比奈さんにこそよく似合う。しかし、相変わらず気障な事をさらっとやってのけるヤツだな。 「は、はい。有難う御座います…」 「こちらこそ。こちらは大切にさせて頂きますね。それでは」 そう言って今度こそあっさりと古泉は去って行った。 さて、あれは朝比奈さんの気持ちに気付いたのかどうか。つーか、あんな風に可愛らしく花を渡されたんだからもっと感激したって良いんじゃないか。うちの学校の他の男子生徒があんな風に可愛らしく朝比奈さんに花を渡されたら、それこそ天に舞い上がらんばかりに感激し、喜ぶに決まっているというのに、素っ気無いと言うか、味気無いというか。 受け取っただけ良しとすべきなのだろうか。 「良かったんですか?あれで」 「はい。ごめんなさい、キョンくん、つき合わせちゃって」 そう言って古泉に貰った鉢植えを大事そうに抱えて、朝比奈さんが微笑む。正しく女神のような微笑みに、思わずこちらも微笑を浮かべてしまう。 「俺は良いですけどね。告白しなくても良かったんですか?」 「良いんです、とてもそんな勇気ないし、もしそれで、受け入れてもらえたとしても、いつかお別れしなきゃいけないから」 そう言って寂しげに笑う朝比奈さんに、胸を締め付けられる。くそう、今すぐ抱き締めてしまいたくなるじゃないか。だが、それは俺の役目じゃないだろう。古泉、今すぐ戻ってきて朝比奈さんを抱き締めてやれ、今なら許してやる。 などと考えたところで、古泉が戻ってくる筈も無い。 「あたしが選んだ種が、勿忘草の種だって気付いた時に、決めたんです。花が咲いたら、それを古泉くんに渡そうって」 「勿忘草だから、ですか?」 「ええ。キョンくんは、勿忘草の花言葉、知らない?」 知りません。花言葉などというものは調べようと思ったことすらない。 「一体、勿忘草の花言葉に、一体どんな意味があるんです?」 「私を忘れないで」 俺の問い掛けに答えた朝比奈さんの言葉に、思わずどきりとする。 いつかは居なくなると解かっている朝比奈さんのその言葉には、ずっしりと重みがあった。『私を忘れないで』という、その言葉に、一体どれ程の意味があるのか、俺には想像して余りある。 「古泉くんが、勿忘草の意味を知っているかどうかは解かりません。でも、知らなくても、こうしてあたしが花をあげたこと、覚えてくれていたら良いなって、あたしが居なくなっても、SOS団にあたしが居た事を覚えていてくれたら、それで良いんです」 そう言って笑う朝比奈さんは、顔に笑みを浮かべてはいるけれど、何処か泣き出しそうに切ない表情に見える。それは決して俺の気のせいでは無いだろう。 何れは来る別れ。 それが特に、好きになった相手と別れなければいけないというのなら、それはどんなに辛いことだろうか。 俺に出来るのは、朝比奈さんの古泉に対する想いを見守って、そして出来れば、多くの幸せな思い出が出来ることを祈る事だけだ。 「忘れませんよ、絶対」 「キョンくん…」 「忘れようったって、忘れられる筈無いですよ、SOS団の事を」 「そうですね」 くすり、と笑って見せる朝比奈さんの顔は、女神だって裸足で逃げ出す程に、神々しく美しかった。 Fin |