一粒の種 前編



 それを目撃したのは、本当に偶然だった。
 偶然としか言いようがない。
 何故なら故意に見たいと思う光景では絶対に無かったからだ。というか、どうせなら一生見ずに気付かずに済ませてしまいたかったと本気で思う。
 それは、とある昼休みの事だった。

 何となく、谷口や国木田とだらりと会話しているだけというのも詰まらなくなり、弁当を食い終わると、俺は教室から出て辺りをぶらぶらと歩いていた。
 そして適当に歩いているうちに、ふと見知った顔を見かけた。それがもし、俺の後ろの席の破天荒娘だったなら、触らぬ神に祟り無しとばかりに近づかないし、ニヤケハンサム野郎だったならば向こうが気付いたとしても無視してやった事だろうが、それがSOS団専属のお茶汲みメイドだったなら話は別である。
 何処かぼんやりとした様子で廊下の窓の外を眺めていた朝比奈さんに、俺は声をかけた。
「こんにちは、朝比奈さん」
「え、あ、キョンくん!こんにちはっ」
 俺の声にびくっと一瞬飛び上がり慌てた様子で俺を見、それから一瞬窓の外に視線をやってからまた俺を見た。何だ、窓の外に何かあるのか?
 思わず俺がそちらに視線を向けそうになると、朝比奈さんが早口で捲し立てた。
「ななななな、何でも無いです!良い天気だなあって見てただけなの、ね、キョンくんっ」
「は、はあ」
 貴女が其処までおっしゃるなら別にそれでも良いですが。
 しかし、その言動は明らかに何かあると言っているようなものだと、この人は解かっていらっしゃるんだろうか?そういう所がまた可愛らしいのだけれども。
「じゃ、じゃあ、あたしはもう行くから、また放課後にね」
 そう言って逃げるように去っていく朝比奈さんの姿を見送り、さてどうしたもんかなあ等と思う。個人的好奇心としては、当然朝比奈さんの視線の先が気になる訳で。まあ、結局朝比奈さんに言わなきゃバレないだろうとそっちに視線をやって、目に入ったのが。
 何でアレなのかと思うね。
 そしてどうしてアレを見ていたのかと思うと、更に憂鬱だ。
 何しろ朝比奈さんのあの慌てっぷりからすると、ただ視界に入っただけ、というのとは明らかに異なるだろう。いやもう、何でよりにもよってアレなんですかと聞きたい。
 ああ、流石にあんまりアレアレと言っているのも奴に可哀想だからそろそろ止めておこう。朝比奈さんが立っていた窓の外を見下ろせば、古泉が九組の連中と何やら楽しげに談笑している姿が目に入った。いや古泉、お前友達居たんだな。
 まあ、それはおいておこう。
 兎に角、その先には古泉が居た。まあ、九組の他の誰かを見ていたという選択肢も無い訳じゃ無いが、朝比奈さんが古泉以外に九組に知り合いが居るとは到底思えない。
 とすると、必然的に見ていたのは古泉であり、ただ知り合いが目に入ったからというだけにしては、俺が声を掛けた時のあの反応はあからさまに不審すぎる。まあ、万が一古泉の命を狙っていて機会を探っているとか言うのであれば、俺は間違いなく朝比奈さんを応援しますが、まあ、そういう事はまず無いだろう。というか、無理だろう、明らかに。
 それに思い返してみるに、その時窓の外に向けていた朝比奈さんの視線は、何処か眩しいものを見るような、そう、何度と無く、何度と無く俺が目にした、面白くない視線である。
 此処まで散々引っ張ってみたが、反証が見つからないのだから仕方ない。
 簡単に纏めてみよう。
 1、明らかに朝比奈さんは古泉を見ていた。
 2、その視線の意味は明らかに嫌悪の類ではない。
 3、むしろ好意を持った視線である。
 4、慌てぶりから考えるに、人には余り知られたくない想いである。
 結論を言おう。
 朝比奈さんは古泉に惚れているらしい。
 気付きたくなかった。ああ、気付きたくなかったさ、俺も。見なきゃ良かったと思ったのは後の祭りでしかない。
 しかも先程の様子から察するに、朝比奈さんは見ているだけで想いを伝えるつもりは無いようだった。まあ、仕方無いかも知れないな。朝比奈さんはこの時間軸で恋愛は出来ないと以前言っていたから。でも好きになってしまったものはどうしようもないのも事実だろう。
 ていうかもう、どうしてよりにもよって古泉なんですか。
 見知らぬ赤の他人なら気付かない振りをしていられたのに、古泉相手じゃ嫌でも目に入る。どうしたものかと思うね、ホント。

 そしてその日の放課後の事だ。
 朝比奈さんは相変わらずメイド服でせかせかとお茶を汲んでいるし、古泉は俺とオセロだ。そして長門は窓際で本を読んでいる。いつもの光景である。ハルヒはと言えば、今日は掃除当番で遅れてくるので、今はこの四人だけである。
「はい、どうぞ」
「有難う御座います」
 お礼を言うと、朝比奈さんはにっこりと笑顔を返してくる。相変わらず麗しいです。しかし、昼休みの事は朝比奈さんの中では無かった事になっているのだろうか。次いで古泉にお茶を渡す朝比奈さんは、本当にいつも部活で見る様子と何ら変わった所は無い。
 ひょっとして、俺の気のせいか?
 だったらこれ以上に嬉しい事は無いのだが。
 などと朝比奈さんの入れてくれた美味しいお茶を飲みながら暢気に考えていると、小型太陽が一つ部室に飛び込んできた。
「遅れてごめんねっ、当然みんなもう揃ってるわね!」
 別に待っては居なかったけどな。俺は朝比奈さんが淹れてくれちゃお茶を飲みに来ているだけだからな。むしろ来てくれないほうがありがたいね。静かで。
 騒がしく入って来たハルヒは、いつもの指定席へと陣取り、パソコンを起動し始める。
 まあ、これもいつもの光景といえばいつもの光景だ。
 俺達はまた気にする事もなくそれぞれ別々の事をするだけだ。朝比奈さんは早速ハルヒにもお茶を汲んで運んでいく。
 その朝比奈さんが淹れてくれたお茶を、ハルヒは全くけしからん事に味わう事もなく二秒で飲み干し、それからネットサーフィンでもしていたのだろう、何かを思いついたのか顔を輝かせる。そういう顔をした時は主に俺と朝比奈さんが憂き目に合うのは規定事項である。
 その何を思いついたかは知らないが、上機嫌のハルヒは、事もあろうに共犯者として巻き込むつもりか、古泉を威勢良く呼びつけた。
「古泉くん、ちょっと来て!」
「はい、何でしょう?」
 こと、ハルヒの命令には殆どの場合において逆らう事の無い古泉である。この時も当然のようにほいほいとハルヒに言われるがままに側に寄っていく。
 そして俺や朝比奈さんには聞こえないように、ハルヒは古泉を引き寄せて耳元で何か囁いている。一体何を思いついたんだ、俺や朝比奈さんに聞かせたくない、つまりはろくでもない事なのはよーく解かったから、一体何なんだ。
 そして古泉はと言えば、相変わらずの笑顔でハルヒの言葉に相槌を打ったり、また何か囁いたりしている。全く仲の良いことだ。と、思い、また恐らく被害に合うであろう朝比奈さんに目をやれば、やっぱり見なきゃ良かったなあなどと思ってしまうものを目にしてしまったのだった。
 つまり、だ。
 ハルヒと古泉の様子を、羨ましげに見ている朝比奈さんが其処に居た訳だ。
 朝比奈さんは俺の視線には気づいた様子はなく、お盆を抱えたまま、何処か羨ましげな目をハルヒに向けている。それは何ですか、自分もハルヒのように古泉とこそこそ話でもしたいということでしょうか。ああくそう、気のせいにしてしまいたかったのに、これでは無理そうだ。
 しかも当の古泉は朝比奈さんの視線には全く気づかず、相変わらずハルヒと仲良く話してやがる。余計にそれが腹立たしい。
 古泉が朝比奈さんとくっつけばそれはそれで腹立たしいが、朝比奈さんが古泉に振られるという展開があれば、余計に腹立たしい。お前は何様だと殴りつけてやりたくなるね。
 まあ、現状古泉は朝比奈さんの気持ちには気付いていない訳だから、振る振らない以前の問題ではあるのだが。
 そしてふと朝比奈さんが俺の視線に気づいたのかこっちを見て、困ったものですね、と言いたげに苦笑いを浮かべた。俺もそれに肩を竦めて答えながら、ああまったくもって、思ったね。朝比奈さんだって俺の視線に気づくんだから、お前も朝比奈さんの視線に少しは気づけよ、古泉。
 うちの学校の男子生徒がこの事を知ったならば、半数以上は立場を代われと暴動を起こすに違いないね。いつか後ろから刺されたとしても、おかしくないな。見た目がお似合いな分余計に腹立たしい。
 そう何のかんのと考えているうちに、ハルヒとの密談は終わったらしく、古泉が元の位置に戻ってきた。
「おい、今度は一体何を企んでるんだ?」
「何のことでしょう?」
 さっきまでハルヒと何やらこそこそと会話しておいて、誤魔化そうって本気で思っているなら、お前は真剣に頭の中身を調べて貰った方が良いね。
「何れは知れることですよ。僕が話してしまっては、涼宮さんの楽しみを奪ってしまうことになりますから」
「んなもん、俺が知ったことか。俺や朝比奈さんに迷惑が掛かるような真似だけはやめて欲しいもんだね」
 戻ってきた古泉は早速またオセロを再開するつもりらしく、黒の面を向けて緑色のボードに置いた。数枚のオセロをひっくり返しながら、口元には相変わらず微笑を刻んでいる。
「僕としては、涼宮さんが笑ってくれている事が一番重要ですよ」
「俺と朝比奈さんの迷惑はどうでも良いって事か」
「そうは言いませんよ。それに貴方だっていつも疲れたと言いながら毎回楽しんでいるように僕には思えますが」
 知ったことか。
 古泉の発言を無視し、俺はオセロを置き白を量産する。相変わらず弱いな、こいつ。
 本当に朝比奈さん、こんな奴の何処が良いんですか。
 なんて思っても、口に出しては絶対言えないんだけどな。


 土曜日の市内探索。
 相変わらずの方法で二手に分かれ、今回午前中は朝比奈さんと二人きり、と正に願ったりのペアになった。ハルヒは一瞬不満そうな顔をしたものの、古泉に諭すように耳元に何事か囁かれ、すぐに機嫌を直した。別れる時のハルヒの顔は、ニヤリ、というものが一番当たっているだろう。
 一体今度は何を企んでいやがるのか、かなり不安だ。
 そして隣に居る朝比奈さんを見る。
 いつもならば、それこそ朝比奈さんと二人きりというシチュエーションならば諸手を上げて喜ぶところなのだが、どうも今回はそういう気にはなれない。
 何しろ、ハルヒを見送る朝比奈さんの視線は矢張り、何処か羨ましそうなものに思えたからだ。朝比奈さんとしては、俺と二人より、古泉と二人の方が嬉しかったんだろうな、などと思ってしまえば、素直に喜ぶなどどうして出来るだろう。
 まあ、そんな事は考えていても仕方ない。ずっと此処に突っ立っている訳にもいかないしな。
「さて、何処に行きましょうか、朝比奈さん」
「そうですね…」
 少し考えて、ハルヒ達が向かったのとは違う方向へと歩き出す。
 向かった先は、何度となく朝比奈さんとやってきた公園だった。此処でいろいろな事があったなあ、と思わず回想に耽りつつ、隣の様子を伺う。いつもと同じ、可愛らしい朝比奈さんである。変わった様子は見られない。
 まあ、俺がそれに気付いてしまったのも偶然の産物だし、あれを見なければ俺だって未だに朝比奈さんの気持ちに気付かないままだったに違いない。
 それにしても、本当に良いのだろうか。
 俺はこのまま知らない振りをしていても。
 そして、朝比奈さんがこのまま、自分の想いを押し殺し続けても。
 いつか未来に帰るからと言って、本当にそのまま、何もしないで帰ってしまっても良いのだろうか?その時に、絶対後悔しないと言い切れるのか?
 せめて、気持ちを告げるくらい、したって良いんじゃないか。
「キョンくん?」
「は、はい、何でしょう」
「どうしたんですか?今日は随分難しい顔してますね」
「ああ。いえ、ちょっと考え事をしてたんですよ」
 と、苦笑いを浮かべて答えると、朝比奈さんが心配そうな顔を向けてくる。
「何か悩み事ですか?あたしで良かったら相談にのりますけど」
 そう言って下さるのは有り難いですが、むしろ悩んでいるのはあなたの方では無いですか。言ってしまった方が良いのだろうか、それこそいっそ、はっきりと。
 俺が悩んだのは一分にも満たなかっただろうが、それでも本気で熟考し、俺は口を開いた。
「朝比奈さん」
「はい?」
「古泉の事が好きなんですか?」
 考えた割りには気の利かない、それこそ思い切りストレートな言葉が出た。いや、率直過ぎるだろ、俺。そして俺の言葉を聞いた朝比奈さんの反応はと言えば、一瞬ぽかん、と口を開け、その後みるみるうちに顔が真っ赤になり、冷や汗をだらだらと溢れさせ始め、最後には目を回したように手を違う違うと振り回した。
「は……え、ぇええええっ!……ち、違います、そんな、そんなこと!!」
 まあ、こんな感じの事を口にしていたように思うな。
 すみません朝比奈さん、その様子を見れば、図星だって誰が見ても一目で解かりますから。いくら否定しても既に遅いです。
「朝比奈さん、落ち着いて、落ち着いてください、ね?」
「だ、だって、キョンくん、何で…っ」
 何で、と言われても、気付いてしまったんだからしょうがないでしょう。いやはやまったく、気付きたくはなかったんですけどね。
 まあ、そんな事よりも。
「そんな事って…」
「古泉に、言うつもりは無いんですか?」
「言えません、言っても仕方ないですから」
 俺の言葉に、先程までの慌てぶりが嘘のように、しゅんと落ち込んだ表情を見せる朝比奈さんに心が痛む。けれど、本当にそれで良いのか?
「いつか未来に帰らなきゃいけないから、ですか?」
「それもあります。でも、それだけじゃなくて…あたしに好きだって言われても、きっと古泉くんは困るだけだから」
「そんな、言ってみなきゃ解からないじゃないですか。もしかしたら古泉だって、朝比奈さんの事好きだって言うかも知れませんよ」
「いいえ、有り得ません。だって、古泉くんが一番大切にしているのは、あたしじゃないもの」
 そうはっきりと言い切った朝比奈さんの瞳は真剣だった。そう思っている事に嘘は無いのだろう。しかし、古泉が一番大切にしている人っていうのは、一体誰だ?
 朝比奈さんは、何処か遠い眼差しをしながら言葉を続けた。
「ずっと見てたんだから、知ってます。古泉くんが誰を一番見ていて、一番大切にしているのか。古泉くんは誰にだって、あたしにだって優しいけど、その人とは比べられません」
「それって…」
 それが、誰の事を言っているのか、俺にも何となく解かった。
 古泉が一番誰を気をつけて見ているか、それは俺だってよく解かっている事だ。あの朝比奈さんの羨ましげな視線も加えれば尚更に。けれど、それは任務の一環じゃないのか?
「任務だけで、あんなに優しく出来ないと思います。古泉くんは、本当に涼宮さんを大切に想ってるんです、だから…」
 だから、あたしが好きだって言ったって、迷惑でしか無いんです。
 そう呟く朝比奈さんに、俺が何を言えるだろう。確かに、朝比奈さんは俺よりずっと古泉を見てきたのだろうし、その朝比奈さんがそう言うのなら確かにそうなのかも知れない。
 古泉はいつもハルヒのご機嫌取りのイエスマンだが、確かにその位置を楽しんでいた節がある。それは、古泉がハルヒを好きだからなのだろうか。
 そう言われればそんな気もしてくるし、思い出すのは十二月の、あのハルヒが消失した世界で出会った古泉の事だ。あの古泉は面と向かって俺にハルヒを「好き」だと言った。その古泉の言葉が、俺のよく知るあの古泉にも当て嵌まったら?
 よく古泉は冗談めかしてハルヒの事を「魅力的な人だとは思います」と言って、完全な好意を示した事は無いが、さて、どうなのだろうか。
「でも、朝比奈さんは古泉の口からそれを聞いた訳じゃないんでしょう?」
「それは、そうですけど…」
「だったら、朝比奈さんの勘違いかも知れないじゃないですか。何だったら俺が聞いてみますよ、だから、そう簡単に諦めたりしないでください。未来に帰るまでの間に、いっそはっきりケリをつけておいた方が良いと、俺は思います」
「キョンくん…」
 朝比奈さんの、何処か潤んだ瞳が俺を見上げる。
 本当に、思わず可愛くて抱き締めてしまいたくなるような様子だが、ああまったくもって、本当に、この人を好きにならない男が居るなら見てみたいね。
 古泉がそれに当て嵌まったら目の前に実現してしまう訳だがな。
「兎に角、せめて古泉がハルヒの事を好きかどうかぐらいは、聞いてみます。そうすれば、朝比奈さんだって決心がつくでしょう?」
「…うん、有難う、キョンくん」
 そう言って嬉しげに笑う朝比奈さんに、俺も笑みを返す。
 そんな話をしているうちに、集合時間までもうすぐという時間になった。二人で並んで戻りながら、さて、午後古泉と二人でペアになれれば一番良いんだけどな、などと考えるのだった。

 そして午後の部。
 はて、俺にも願望を実現する能力でも備わっただろうか、とついつい考えてしまうのも無理は無いと思いたいね。見事に男女真っ二つに分かれた組み合わせは、いっそ凄い。長門に操作を頼んだ訳でも無いのにな。
 古泉は相変わらず微笑を浮かべていて、ああ、いっそその顔が腹立たしい。いや、その顔を入れ替えて欲しい。しかしてそれで朝比奈さんの好意が俺に向けられるかと言うと、かなり疑問だ。その前に朝比奈さんはこいつの何処を好きになったというのだろう。
「どうしたんですか?さっきから考え込んで」
「何でもない。それより、お前はどっか行く当てでもあるのか?」
「特にありませんね」
 ああそうかい。じゃあもう適当にぶらぶら歩くか。
 古泉は俺の言葉に反論する様子も見せず、大人しくついてくる。
 さて、どう切り出したものだろうか。行き成り言い出しては確実に古泉に不審がられるし、俺の口から朝比奈さんの気持ちを漏らしてしまう事があっては拙い。何とか上手い会話の誘導方法は見つからないものだろうか。
「本当にどうしたんですか?それとも、矢張り僕よりは女性陣のうちの誰かと一緒の方が良かったでしょうか」
 そりゃあ、うさんくさい笑顔のお前と一緒よりは朝比奈さんやら長門やら、まあハルヒと一緒の方が良いと言えば良いな。
 何しろ其処に居るだけで華やぐってものだ。
「それはそうでしょうが、しかし、それも我慢してください。午前中は朝比奈さんと一緒でご満悦だったんじゃないんですか?」
 だったら良いんだがな。
 俺は今の状態で朝比奈さんと二人きりを喜べる程無神経じゃないんだ。
 しかし、この会話の流れはむしろ好都合では無いだろうか。今なら自然に話が振れるだろう。
「そういうお前こそ、どうなんだ?誰か一緒に行動したい奴とか居ないのかよ。ハルヒでも朝比奈さんでも長門でも良いが」
「はあ、別にこれと言った希望は有りませんね。誰と一緒であろうと、それなりに有意義な時間は過ごせると思いますし」
 なんと言うか、まあ。俺の意図している事が解かっているのかいないのか、さっぱり解からん。もういっそ直球で聞いてしまおう。回りくどく言ったところで、古泉相手だと回りくどい回答しか返って来ない。
「おまえさ、ハルヒの事が好きなんじゃないのか?」
 俺の問い掛けに、古泉は一瞬探るような視線を向け、それから前を向いて歩きながら口元に笑みを刻んだ。
「好きか嫌いかという二択ならば、勿論好きですよ。ただし、恋愛感情があるのか否かと聞かれれば、答えは否です」
「そうなのか?お前はやたらハルヒの事ばかり気にしているから、てっきりそうなんだと思ったが」
「僕が涼宮さんを気にするのは任務の一環だと、貴方も解かっている事だと思ってしましたが」
 任務にしては、お前はハルヒに対して親密すぎるだろうが。
「おや、妬いてらっしゃるんですか?」
「違う」
 器用に肩眉を上げてみせる古泉に、吐き捨てるように言うと、くすくすと笑う声が聞こえて余計に腹立たしい。こいつほど俺の気分を逆撫でするのが上手い奴などそうは居ないと思われる。
 大体、そういう誤魔化し方は、俺は好きじゃないぞ。
「すみません、そうですね、涼宮さんに対し、一定の友人以上の親愛の情を抱いているのは事実です。だからと言って、それが直接恋愛というものに結びつくかと言えば、それは違うでしょう。貴方だって、SOS団のメンバーをそれぞれ、また違った形で大切にしているように、僕もそうであるだけの事です」
 まあ、確かにそれは説得力のある言い分だ。恋愛感情云々はおいといて、確かにSOS団のメンバーは俺にとって相当大事な位置を占めるようになっているのは事実だからな。
「貴方が、僕が特に涼宮さんと親しくしている、愛情を持っているように見えるというのなら、それは事実です。現状、僕にとって一番大切な人は涼宮さんですから」
「それは恋愛感情とは違うのか」
「違います。はっきり違うとそれは言い切れます。確かに魅力的な人ではありますが、涼宮さんは僕にとってそういう存在ではありませんし、涼宮さんにとってもそうでしょう。僕と涼宮さんの関係性を上手く表せる言葉が出てこないので、説明し難い事なのですが、恋愛以外の、全ての愛情を涼宮さんに対して抱いている、というのが一番近いかも知れません」
 それはまた、大げさなもんだ。
 というか、こいつはそれを正気で言っているのだろうか。なんつーか、恋愛じゃないにしても重い愛だな、それは。
「少なくとも涼宮さんはそれを重いとは思っていないようですが。それに、涼宮さんが僕に向けている感情も、否なるものではあれど、近しいものだと思いますよ」
「じゃあ、朝比奈さんや長門は?二人に対してもそういう感情は無いのか?」
 流石にこれを聞くのは朝比奈さんに申し訳無いだろうか、と思うのだが、一応聞いておきたいところだ。ハルヒの事を一番大切だと言い切ったのは事実だが、だからと言って恋愛感情が他の誰かに向かって居ないとも言い切れない。
「貴方が何を知りたいのか図りかねるのですが…」
 それはどうでも良い。質問に答えろ。
「まあ、知りたいというのなら別に構いませんが、もちろん好意は持っていますが、お二人に対するものも、恋愛感情とは違いますね。仲間に対する、親愛の情はありますが」
 うちの高校でもかなりのレベルに達する女生徒三人に対してそれだけというのは、あまりにどうかと思うのだがな。もうちょっとときめいたりとか、しないのか。
「可愛らしい人たちだとは思いますが、そもそも僕はお二人がどういう立場の方か知っています。ですから最初の時点で、僕は彼女達にそういう対象として見る事を考えていません」
 つまり最初の時点で既にNGなのか。
 全くどうしたものかね。ハルヒに対する感情が恋愛感情で無いというのは朝比奈さんにとっては喜ばしい事なのかも知れないが、それと同時に、朝比奈さんに対しても全くそういう感情は抱いていないとすっぱり否定されてしまった。
 しかも、その言葉にはどうにも嘘が見えない。いつもみたいに誤魔化すようなふざけたような言葉ならばもっと怒って真剣に考えろと言ってやる事も出来るのだが、どうにも古泉の言葉を聞く限り、ヤツに怒る事も出来そうにない。
「じゃあ、彼女とかは居ないのか?町で見かけた女の子を可愛いと思ったりとか」
「まあ、僕も人並みな男子高校生ですし、そういうことに興味が無いわけではありませんが、特定の誰かに対して、現在そういう感情は抱いてはいませんよ」
 ほんっとうにすっぱりきっぱり否定しやがった。
 どうしたものかね。
 俺がそう考えていると、古泉は明らかに不審そうな目を俺に向けてくる。いや、うん、まあ聞きたい事は俺にも解かる。一週間前の俺が見たら、俺の今の言動など気持ち悪くて仕方が無いからな、だがこれは朝比奈さんのためだ。
 兎に角ハルヒの事に関してはありのままを告げて、朝比奈さんに対する事には言葉を噤んでおこう、俺が言う事じゃないしな。
「僕としては、現在は他の女性よりも貴方の方が気になりますね」
「…まさかお前ゲイだったとか言わないよな?」
「だったらどうします?」
 にっこりと不敵な笑みを浮かべる古泉に、一瞬冷や汗が流れる。冗談じゃない、俺はそっちの気はすっぱりさっぱり猫の毛程もないんだからな。
「知っていますし、僕だってその気はありません。僕が気になるのは、貴方がどうして今更僕の恋愛感情が誰に向いているかという事に対して興味を持ったか、ということです」
 ちっ、やっぱり其処に突っ込むか。
 しかし朝比奈さんの事を言う訳にもいかんし、やっぱり適当に誤魔化すしかないだろう。
「ちょっと気になっただけだ。お前は隠れて彼女を作っていてもおかしくないからな」
「そうですか、あなたがそう言うのなら、それでも良いでしょう」
 あっさり引き下がったように見えるが、実際のところ全く信じてませんって言ってるよな。いやまったく、本当に違うからどうしようもないんだけどな。いや、俺個人としても多少気になるところではあった訳だが。
 しかし、これ以上突っ込むとヤバい。
 此処で引き下がるのが懸命だろう。朝比奈さんには後でこっそり教えるとして、さて、暫く俺はひょっとしてひょっとしなくとも、古泉に不審の視線を向けられる事になるのだろうな。
 自ら買って出たとはいえ、古泉なんぞに見つめられても全く嬉しく無いんだが。
 いや、これは自業自得と言うのか、ひょっとして。
 今更だが、何で俺はこんな不毛でどうしようもない役回りを買って出てしまったんだろうな。

 その後、再びハルヒ達と駅前で合流し、解散ということになった。
 好都合な事に、ハルヒは古泉と何やら話があるらしく、二人で何処かに行ってしまったし、長門もすぐに帰って行った。
 長門は兎も角、ハルヒと古泉が何を企んでいるのかは、非常に気になる訳だが、まあ今はそれどころじゃないな。朝比奈さんが優先だ。
「朝比奈さん」
「は、はい」
 どうやら緊張しているようだ。午前中の会話から、俺が古泉にハルヒに関する事を聞いたのは朝比奈さんも当然予想済みだろうしな。答えがどうなっているのか、緊張するのは当然だ。
「古泉に聞きましたけどね、ハルヒに対しては、別に恋愛感情で好きだという訳じゃないって言ってましたよ」
「そう…なんですか?」
「ええ。それどころか、今は好きな人は居ないと言ってたんで、そう簡単に諦めないでください」
 嘘は言っていない。誰も好きな人が居ないと言う事は、これから出来るかも知れないと言う事な訳だしな。
「そう、ですか…」
 呟く朝比奈さんの表情が、何処か嬉しげになるのを見て、俺もほっとする。やっぱり朝比奈さんは笑っている方が良いですよ。朝比奈さんのためならば、一肌でも二肌でも脱ぎますからね。
「有難う、キョンくん」
 微笑む朝比奈さんは本当に可愛らしい。本当に古泉は勿体無いぐらいだ。
「いつか未来に帰らなきゃいけないけど、それでもあたし、頑張ってみます。せめて、気持ちを伝えるぐらいは出来るように」
 強い意志の見えるその瞳に、俺は安堵して、そして気になっていた事を訪ねた。
 いや本当に、これは切実に聞いておきたいのだが。
「ところで朝比奈さん」
「はい?」
「古泉の一体何処が好きなんですか?」
 俺が言うのもなんだが、確かに顔は良い、頭も良い、運動神経も良い、黙って立ってりゃ嫌でも異性の目を引くだろう事請け合いのヤツではあるが、内心は何を考えているんだかさっぱり解からない。何より立場的に問題がある事は、朝比奈さんだって最初から解かっていた筈だろう。
 それでも好きになったのは、古泉のどういう部分に対してなのか。
 気にならない筈はない。
「え、えーと、あの…それは…」
 俺の問い掛けに朝比奈さんは傍目でも解かるぐらいに顔を赤く染めて、口篭る。一挙手一投足全てが可愛らしい朝比奈さんの様子を見ながら、これを見て古泉に嫉妬しないヤツが居るだろうかと本気で思うね。
「何処がって…その…言葉では言い表せません。本当に、いつの間にか好きになってて…駄目だって思うのに、やっぱり古泉くんを見ると、好きだって思って…」
 真剣に悩みながら言葉を紡ぐ朝比奈さんに、本気なのだな、と改めて思わされる。ここまで真剣に好きなのだと解かれば、嫉妬を通り越して応援したくなるから不思議なものだ。
 いつか別れると解かっていても、それまでの間くらい、めいっぱい幸せにしてやって欲しいもんだね。俺は無理のようだから、古泉に。
 しかして古泉の方は朝比奈さんの気持ちも知らない上に、現状誰も好きではないそうで。さて、どうしたもんかね、俺は最早徹底的に朝比奈さんを応援する心構えなのだが。
「俺には、大した事は言えませんけど、頑張ってください」
「…有難う」
 俺の言葉ににっこりと笑顔を見せる朝比奈さんを見てそれでもやっぱり、古泉には勿体無いなあなどと思ってしまうのは、最早どうしようもない事だと思っていただきたい。
 朝比奈さんを応援する意思に変更は無いからな。



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