reversal world 後編



「ったく、ハルヒのやつ、何考えてんだ。男だろうが女だろうが、はた迷惑なのは変わらねえな」
「きっと退屈だったんでしょう。それで何かと考えて宝探しを思いついた。きっと、宝物はそう簡単に見つかるものでは無いんでしょうね」
 廊下を歩きながらぼやいていると、古泉が笑みを浮かべてハルヒの行動を解説する。役回りも古泉そのものだな。
「何か心当たりとか無いのか?俺はこっちのハルヒのことは知らないんだからな」
「さあ、どうでしょうね」
「真剣に考えろ。俺はコスプレさせられるのなんか嫌だからな」
「そうですか?着てみたら案外似合うかも知れませんよ?」
「冗談じゃねーっての」
 古泉は何が楽しいのかにこにこ笑っている。自分がコスプレさせられるかも知れないってのに、余裕だよな、お前。
「大体、何でこの組み合わせなんだよ。どうせなら長門と一緒の方がすぐに見つけられただろうにな」
「長門さんの力を頼ったんじゃ、意味が無いでしょう。それに多分涼宮さんは気を遣ってくれたんだとおもいますよ?」
「…気を遣う?」
 何に気を遣ったと言うのか。解からずに首を傾げていると、古泉が苦笑する。
「もう忘れたんですか?わたしとあなたは、こちらの世界では恋人同士なんですよ?」
「…ああ、そうか」
「本当に忘れてたんですか?」
「ってか、考えないようにしてた。いろいろと調子が狂うからな」
 恋人なんて、どう接して良いか解からないしな。
 大体、それにしたって、ハルヒがそこで気を遣うっていうのがどうにも実感が湧かないんだが。
「酷いですね」
「仕方ねえだろ。実感なんて全然湧かないし、俺にとっちゃ古泉ってのは何考えてるか解からない胡散臭いヤツだからな」
「こちらのあなたにも、同じようなことを言われましたよ」
「それでよく付き合う気になったな」
 俺も、お前も。
 隣を歩く古泉は上目遣いで俺を見る。向こうの俺と古泉ならそうそう有り得ないシチュエーションだ。口元に浮かべた笑みが、少し引いて、若干余韻を残す程度になり、俺を見つめる瞳はそれを通り越して何処か遠いところを見たようだった。
 しかし、すぐに俺から視線を外し、長い前髪が表情を隠した。
「それでも、好きになったんだから仕方ないだろ、って、そう言ったんです、彼は」
 そう言った古泉は、表情が解からないまでも、頬を薄っすらと染めているのが見えて、何とも言えない気分になる。その相手は、俺であって俺ではない。
 それが何故か、酷く残念に思えた。

 その後、ハルヒが隠したらしい宝物を探し回るが、まったく見つからない。途中で朝比奈さんたちに遭遇し聞いたりもしてみたが、向こうも見つからないようだ。長門なら聞けば解かるかも知れないが、流石にそれは反則だろう。
 というか、隠した物がなんなのかすら解からないってのが問題だろう、絶対。
 校内と範囲が限定されているとはいえ、それでも結構な広さで、大きさも何も解からないんだから探しようがない。
 探しているうちに随分時間が経ち、あんまり待たせるとまたハルヒが苛々してきかねない、学校に残っている人間も大分少なくなってきたようだし、流石に焦ってくる。
 廊下の窓からは夕日が差し込み、周囲の陰影を濃くしている。しかし、綺麗な夕焼けだ、と外を眺めているような場合ではない。
「何してるんだ、お前ら」
 途中あるクラスのゴミ箱の中を覗いていると、不審そうな声が掛けられた。いや、確かにそんなところを目撃されたら、不審者以外の何者でも無いだろうが。
「生徒会長」
「会長はもうお帰りになられるんですか?」
 その声をかけてきた人物は、多分こっちの世界でも古泉がハルヒのために用意したのであろう生徒会長だった。相手がこの人で、未だ良かったかも知れない。
「ああ、生徒会の仕事も終わったしな。それで、お前らは何してるんだ?」
「涼宮さんに言われて、ちょっと宝探しを」
「宝探し…?また妙なことをやってんな」
 呆れた様子の会長に、俺も内心で同意する。
 しかし、古泉は宝探し自体のことはどうでも良いのか、会長に歩み寄る。おい、会長に対しても顔が近いぞ、お前。
「そんなことより、いくら校内に殆ど誰もいないとはいえ、ちゃんと生徒会長らしくしてください。こんなところ、いつ誰が通りかかるかも解からないんですから」
「はいはい、解かったよ。まったく、良い女なのに口煩いのは減点だぜ」
「別にあなたに好かれたいとは思ってませんから」
 そう言いながらも、話している二人は楽しげだ。何と言うか、距離感が近い。ごく当たり前のように軽口を叩き合い、それを楽しんでいる。
 その様子が、何だか面白くない。
 向こうでもそうだ。
 古泉は、俺には見せない顔を会長には見せる。他の誰に対しても見せない顔を、会長にだけは見せているようで、それが気に入らない。
 そんな俺の内心の不満が、表情に出ていたのだろう、会長が楽しげに笑う。
「じゃあ、そろそろ私は帰るよ。君の彼氏が後ろで睨んでいるからな」
「え?」
 生徒会長モードの話し方になった会長にそう言われて、古泉は不思議そうに俺に振り返る。会長は古泉の肩を軽く叩いてから、
「あまり遅くまで残るなよ」
 とそう言い残して帰っていった。
 俺は何となく居た堪れない気分になって古泉から視線を逸らす。
「…どうかしたんですか?」
「別に」
 古泉は、どうして俺が不機嫌になっているのか解からないんだろう。当然だ、俺もよく解からん。古泉の恋人はこの世界の俺で、俺じゃない。ああ、何かややこしいな。
 それなのに、何で俺は生徒会長に嫉妬するような感情を抱いているのか、自分でもよく解からないんだから仕方ない。
 じっとこちらを見つめる古泉の視線に耐えがたくなって、俺は話を反らす事にした。
「それより、とっとと宝物を探して帰ろうぜ。いい加減本当に下校時刻になっちまう」
「…そうですね」
 古泉も追及するつもりはないのか、俺の言葉に同意する。
 それに乗っかって俺は頭の中身を切り替える。
「しかし、ハルヒの言う宝物って何だろうな」
「そうですね。涼宮さんにとって価値のあるものでなければ、宝物なんて言い方はしないと思います」
「それで、その大切なものをハルヒなら何処に隠すかって事だよな」
「……………そう、ですね」
 そこで、何か気づいたのか古泉が随分間を取って同意する。
「何か思い当たることでもあるのか?」
「……涼宮さんは、大切なものを何処に隠すのか」
「ああ」
「……そんなに、考える事は無かったのかも知れません」
「どういう意味だ?」
 俺の問い掛けに、古泉が微笑む。
 赤い日差しを受けて鮮やかに、眩しく。思わず目を細める。
「部室に戻りましょう」
「え、おい!」
 そう言って、古泉は俺の手を取って踵を返した。
 俺の知っている古泉のものとは違う、小さくて、柔らかな手だった。

 古泉に手を引かれるまま、俺達は部室に戻った。
 部室には、当然の如くハルヒが居る。そろそろ退屈しているんじゃないかと思っていたが、どうやらそうでも無いらしく、機嫌は良いようだった。
「おかえり、キョン、一樹ちゃん。宝物は見つかった?」
「…やっぱり、今回の宝探しは少しずるいですよ、涼宮さん」
「そう?」
 古泉が、ハルヒに不満を口にするのは珍しい。いや、こちらの世界の二人がどうなのかなんてよく解からないけれど、俺の感覚では珍しい、としか思えない。しかし、ハルヒは全く気にした様子もなく笑う。
「だって、涼宮さんの宝物って、隠せるようなものじゃないじゃないですか」
「一体どういう事だ?俺はまだ答えを聞いてないぞ?」
「よく考えてもみてください。涼宮さんが宝物と言うからには、涼宮さんにとって大切なものである筈です。だけど、そんな大切なものを涼宮さんが宝探しとはいえ、自分の目に見えないところに置いておく訳がありません」
「それで?」
 ハルヒは楽しげに古泉を見て笑っている。古泉が答えを見つけたのが嬉しくてならない、という様子で。
 しかし、自分の大切なものを目に見えないところに置いておく訳が無い、と古泉は言っていたが、バレンタインの時はすぐに掘り出すとはいえ、チョコレートを山に埋めていたんだがな。いや、こっちと向こうでは矢張りハルヒの人格にも少なからず違いがあるのかも知れない。
「つまり、涼宮さんがずっとこの部室にいる以上、宝物は此処にあるということです」
「……って、ちょっと待て。じゃあ俺たちが散々探し回った意味は何だ?」
「気づかなかったキョンがバカなんだろ」
「んなこと解かるか!」
 だが、何と言ったところで俺の文句にハルヒがそう堪える訳もなく、相変わらず視線は古泉に注がれている。
「で、宝物が何なのかは解かったの?一樹ちゃん」
「それは少し悩んだんですけど、涼宮さんにとって大切なもの、という事を考えれば、この部室にあるもの全て、この部室全部が宝物なんじゃないでしょうか?それも、わたしたちSOS団員を含めて」
「大正解!さっすが一樹ちゃんだね」
「お褒めいただき光栄です」
 ハルヒは上機嫌で古泉を褒める。ひょっとすると、ハルヒは古泉がこうして答えを見つけて帰ってきてくれるのを待っていたのかも知れない。はっきり言って、俺はさっぱり役に立たなかったからな。
 それに、見る限り、ハルヒと古泉の関係は、矢張り俺の世界の二人の関係とは違って見える。なんと言うか、ずっと距離感が近い気がする。そうと聞かなければ、周囲はこの二人をこそ恋人同士だと勘違いしてしまいそうな雰囲気だ。
 というか、それ以前にあれだけ美少年に囲まれててなんで俺なんだろうな、古泉よ。
 まあ、それにしたって古泉が答えを見つけてくれたおかげで、俺はコスプレする事を免れた訳で、その後暫くしてから結局答えがわからずに戻ってきた朝比奈さんと長門は翌日コスプレ撮影会をする事を命じられてしまった。
 まあ、可哀想だとは思うが、朝比奈さんにしてみればいつもの事、長門は気にせず淡々とこなしていそうだが。
 自分の身に降りかからなくて、俺は非常にほっとした。
 ちなみに、見つけた人には宝物をプレゼント、とハルヒが言っていた訳だが、ようするに好きな日一日部室の占有権を与えられるらしい。
 まあ、それを遣うのは古泉の好きにしたらいいけどさ。俺は何もしてないからな。


 夕暮れも終わりかけの時間、SOS団そろって帰るのは、俺の知るものとそう変わらず、隣を歩くのは古泉で、身長差だとか、歩くたびに揺れるポニーテールだとかが気になる事以外は、会話もまた俺の知る男の古泉とのものと、さして変わらない。
 そして、次々と分かれ道に至り帰って行く中で、俺と古泉は二人歩いていた。
 最後に別れるのも、いつものこと、だが。
「…少し、話していきませんか」
 帰り道の途中にある児童公園を指して、古泉が言う。
「それは別に構わんが…」
「じゃあ行きましょう」
 そう言うと古泉が先立って公園へ入っていく。俺はその後について歩きながら、古泉の後姿を眺めた。こうして後姿だけ見ると、俺の世界の古泉とは全く別人のように思える。顔を見て、話をすれば矢張りこれも古泉だと思うのだけれど、性別の違いというのは、結構大きなものかも知れない。
 少なくとも、俺たちSOS団の関係が多少なりとも変わる程度には。
 古泉は公園の中を歩き、そしてブランコに腰掛ける。
「もうすっかり夜ですねー」
 空を見上げてそう呟くのにつられて、俺も空を見上げた。すっかり周囲は暗くなり、空には星が瞬いていた。古泉の隣のブランコに腰を下ろし、軽く漕いでみる。ブランコになんて乗ったのは何年ぶりだろうか。
「お前も、天体観測が好きだったりするのか?」
 星空を見上げている古泉にそう問いかけると、こちらを向いて微笑む。
「向こうのわたしもそうなんですか?ふふ、やっぱり性別は違ってもわたしはわたし、なんですね」
「確かにな。性格は余り変わらん」
 何処と無く無邪気、という言葉が似合いそうな様子で、不思議な感じがする。
「あなたがちょっと羨ましいですね」
「何がだ?」
「だって、向こうには女性の涼宮さんや朝比奈さん、長門さんがいるんでしょう?ちょっと会ってみたいです」
「そうか?まあ、全員美少女だけど、結局みんな割りとそのまんまだぜ?」
「それでも、です。こちらとは違った意味で楽しそうじゃないですか」
 そうかね。まあ、古泉まで女になったあちらの世界というのを想像してみれば……俺のハーレム状態じゃないか。間違いなくうちの学校の男子全員に袋叩きに合うな、俺。
 何しろ、この古泉も含め全員美少女だ。間違いなく殺られる。
 そう考えると、古泉が男でよかったのかも知れん。
 こっちは古泉が逆ハーレムだけどな。
 しかし、何故かは知らんが、今の古泉は妙に無邪気というか、はしゃいでいるというか、そんな感じがするのは気のせいだろうか。ひょっとして、俺と一緒にいるからか?一応、この世界では恋人らしいからな。
 そう思って改めてみてみれば、面食いの俺が惚れるのも無理はないくらいの美少女だと思う。他のメンバーは男だから、選択肢も無いというのもあるが、それを差し引いたって、可愛い。
 俺が言ったからといって、律儀にポニーテールにしてくるところも、こうして、俺の前でだけ無邪気に笑ってみせるのも、恋人だからだというのなら、なってみたいと思うのも無理は無いだろう。
「……あなたの世界の涼宮さんは、笑っていますか?」
 ふと、古泉が呟いた。
 さっきまで、無邪気にはしゃいでいたように見えたのに、何処か神妙な声で。
「え?」
「あなたの世界の涼宮さんは、笑っているんでしょうか?」
「あ、ああ。不機嫌な時もあるけど、結構毎日楽しそうだぜ」
「………良かった」
 そう言って、ほっとしたように笑った古泉の表情を見て、胸がざわついた。俺に向けるものとは違う、多分、他の誰に向けるものとも違う、ハルヒにだけ、向けられる微笑みだった。
 その微笑みは酷く綺麗で、穏やかで胸を掻き毟られるような何かが、俺の体を走った。俺をこうして引きとめたのも、先ほどまでの会話も、全部これが聞きたかったからなのか。そう思った瞬間にブランコから立ち上がり、古泉の腕を掴んでいた。
「……あ、あの?」
「お前の恋人は、俺なんだよな?」
「え、あ……」
 古泉は、戸惑ったように俺を見る。
 当然だろうと思う。自分でも信じられない。
 俺は、ハルヒに嫉妬してる。古泉の心の、何処かを確実に自分のものにしているハルヒに、嫉妬している。しかし、その事を冷静に考えるよりも、俺は感情を優先させていた。
 つまり、俺は古泉にキスしようとした。
 古泉は一瞬目を見開き、一度受け入れるように目を閉じた。
 しかし、そのまま顔を近づけ、唇が触れ合う直前、古泉は身を引いてブランコから立ち上がった。
「すみませんっ」
「…古泉」
「すみません、あの…」
 古泉は酷く狼狽しているようだった。立ち上がって、自分の口元を押さえるようにして、それから、泣きそうな顔で俺を見た。
「ごめんなさい。違うんです。あなただけど、あなたじゃないんです……わたしが好きなのは、あなたじゃないんです」
「古泉」
「どんなに同じようでも、やっぱり違うんです。ごめんなさい…」
「古泉、もういいから。俺が悪かったんだ」
 落ち着かせるように古泉の手を掴んで視線を合わせる。相変わらず泣きそうな顔で、それでもおずおずと俺に視線を合わせた。
 ああ、こいつは俺の古泉じゃない。
 俺の古泉は、きっとこんな顔、俺の前じゃ絶対しない。
 それと同じように、この古泉にとっての俺は、俺じゃない。
「お前の恋人は俺じゃない。それなのにキスなんてしようとした、俺が悪いんだ。だから、謝るな」
 俺がこの世界に戸惑ったように、きっとこいつだって戸惑ったに違いない。
 同じ姿をしている分、もしかしたら余計に。
 恋人と同じ姿をして、殆ど同じ性格をして、それでも違う人間だと言う事に、こいつだって戸惑ってたんだ。それを見せないようにしていただけで、ずっと。
「ごめんなさい……ごめんなさい……あなたが、彼と似ていると思えば思うほど、どうしても…」
 古泉が、謝る。泣きそうだった顔は、本当に顔を手で覆い、泣き始めるまでになった。それでも俺は、どう慰めたら良いのか解からない。
「会いたい……彼に、会いたい……」
「ああ…」
 泣きながらそう言う古泉に、他に掛ける言葉が無い。どうしたら良いんだろう、俺が側に居るだけで、きっと今の古泉は辛いんだろう。俺はこいつの恋人じゃないから。
「悪い………長門も、そう長くはかからないって、言ってたから。だから、近いうちにちゃんと元に戻るはずだから……」
 どうせなら、今すぐ元に戻してくれ。
 女の子が泣いているのに、何も出来ないってのは、非常にやるせない。それも、少なからず惹かれている相手が、泣いているのに。
 そんな風に、慰めもろくに出来ないで居ると、一陣の風が俺達の間に割り込んできた。
「何やってんだ!」
 それは行き成り俺の胸倉を掴み上げた。
「一樹ちゃん泣かせたら、承知しないって言ったよな!?」
 一体どこから現れたのか、というか、いつから見てたのか、ハルヒが現れた。一体お前、何で此処に居るんだ。
「煩い、たまたま通りかかったんだよ。それより…っ」
「待ってください、涼宮さん!」
 ハルヒが本気で俺を殴ろうと腕を振り上げたところを、古泉がハルヒの腕を掴んで止めた。
「止めるなよ。いくらキョンでも、一樹ちゃん泣かせるなんて…」
「違うんです、これは。目にゴミが入っただけなんです!だから止めてください!!」
 下手な言い訳だろうと思うが、それでも古泉が必死で止めて入るものだから、結局ハルヒも拳を下ろした。俺としては、一発殴ってもらった方がすっきりする気分だったけどな。
「一樹ちゃん…」
「本当に、目にゴミが入っただけで、彼は何もしてないんです。だから…」
「解かった…もういいよ。一樹ちゃんがそう言うなら」
 そう言って、無理矢理笑ってみせる古泉の、涙で濡れた頬をハルヒが指で拭う。多分、納得はしてないんだろう。それでもハルヒは古泉が望むから拳を収めて、そして泣いている古泉を慰めるように優しく頭を撫でた。
 それだけで、ハルヒがどれだけ古泉を大切にしているか、言葉にしなくても解かる。
「本当にすみません、誤解させてしまったみたいで。遅くなってしまいますし、そろそろ帰りますね」
「あ、送ってくよ」
「いえ、一人で大丈夫です。有難う御座います」
 そう言ってぺこりと頭を下げる。
 ハルヒは少し残念そうに笑う。俺は、送っていくとは口に出来なかった。多分、俺が側に居るほうが、古泉は辛いはずだから。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
「ああ」
 最後に古泉は笑みを見せて、帰って行った。
 取り残された俺とハルヒの間には、気まずい沈黙が残る。
 どうにも立ち去り難い空気で、その場に留まっていると、ようやくハルヒが口を開いた。
「……一樹ちゃんに何したんだよ」
「……」
「一樹ちゃんが庇わなきゃ、本気で殴ってたぞ」
「ああ」
 そうだろうな、と思う。あんな風に怒るハルヒは、あちらの世界でも見たことが無かった。
「お前、本当に古泉が大事なんだな」
「当たり前だろ。俺にとって、一樹ちゃんは一番大事な子なんだ」
「…好きなのか?」
「そういうのとは違うんだよ、何か。…まあ、だから兎に角!次にまた同じようなことがあったら、一樹ちゃんが止めたってぶん殴ってやるからな!」
「ああ、解かってるよ」
 そう言って笑うと、ハルヒも溜息を吐いて笑った。
 そう言って何となく笑い合いながら、俺とハルヒはそれぞれ自宅へと帰った。
 俺とハルヒの関係も、矢張り少しこちらでは違うのかも知れない。なんと言うか、今日感じた限りでは、あちらの世界とは違う、もっと気の置けない、親友という感じがした。
 無言の信頼が、其処にあるように感じた。
 長門は、性別以外は大きく変わったものは無いと言ったが、その性別の変化が、かなり大きな変化だったのは間違いないだろう。
 俺は自宅に戻り、夕飯を食って、眠りにつく。
 明日は、元の世界に戻っていることを願って。
 古泉のためにも。そして、向こうの世界のいる俺のためにも。


 翌日、やたらと爽やかな気分で学校に向かう。
 妙に早く目が覚めて、すっきりとした気分でいつもと違い余裕で教室に着いた。
 俺の席に目をやり、そして後ろの席を見て、笑みが零れた。
 その席には当然、涼宮ハルヒが座っている。
 俺がよく知っている、女の涼宮ハルヒが。
 何だか、昨日のことが出来の悪い夢のように思えるが、そうでない事はすぐに知れた。
 自分の席に行き、カバンを机の横に引っ掛けると、ハルヒが話しかけて来た。
「何朝っぱらからにやにやしてんのよ、気持ち悪いわね」
「そうか?」
「ま、昨日のあんたの方がよっぽど気持ち悪かったけど」
「……昨日?」
 一体何をした、昨日の俺。
「覚えてない訳?あんた、昨日あたしのこと誰だって聞くわ、部室に行けば行ったで、古泉くんの顔見るなり泣き出すわ。ほんっと気持ち悪いったらなかったわ!後で古泉くんにも謝っておきなさいよ!!」
「ああ、そうだな…」
 なるほど、離れ離れになった恋人の片割れはそういう状態だった訳か。
 ていうか俺のことじゃないんだが相当自己嫌悪だぞ、これは。妙に爽やかだった気分が一変して、憂鬱な気分になる。
 まあ、無理も無いのかも知れないが。俺だって男の朝比奈さんを見たときはそれなりにショックを受けたんだ。自分の恋人が男…しかも自分より背の高いハンサム野郎に変わってたとしたら、そりゃあ泣きたくもなるだろうな。
 それでも正直、何て事をしてくれたんだ、って気分ではあるが、まあ、仕方ないことなんだろう、きっと。そう思っておこう。
 俺も、向こうの古泉を泣かせた手前、人の事は言えないしな。あっちはあっちで、俺の事を恨んでいるのかも知れん。
 此処は、お互い様ってことにしとこう。どうせ、俺自身に文句は言えないからな。


 その後、部室で古泉と顔を合わせると、にっこりと笑顔で迎えられた。
「お帰りなさい、と言うべきでしょうか?」
「…そうだな」
「正直、僕としても驚きましたけどね。昨日は顔を合わせた途端、行き成り泣き出されて、何かと思えばパラレルワールドのあなただというのですから、驚きです。しかも、その世界の僕が女性で、涼宮さん、朝比奈さん、長門さんが男性で、しかもあなたと僕が恋人関係とは、いや、なかなか面白い世界ですよね」
「……今朝ハルヒに、昨日俺がお前を見て泣き出したと聞いて謝っておこうかと思ったんだが、その必要は無いみたいだな?」
 ああ、会った途端にこれか。
 向こうの古泉の方が絶対まだ可愛げがあった気がするな。
「おや、残念ですね。あなたからの謝罪なんて滅多に聞けないのに。それに、いきなり泣きつかれて気持ち悪かったのも本当ですよ?」
「さっきの発言を聞くと面白がっていたようにしか聞こえんがな」
「まあ、興味深かったのは事実です。ああ、そうそう、パラレルワールドに行った事で、あなたもついに異世界人の称号を手にしたということですね。おめでとうございます」
「……ああもう、全くお前は」
 結局どこの世界でもこいつはこいつだな。
 そう思うと思わず笑い声が漏れた。
「…どうしました?急に笑い出すなんて」
「いや、元の世界に戻ってきたんだと実感してたんだよ」
「それは何よりですね。……性別が違うという事は、人間関係にもそれなりに変化が現れていたのでしょうし、大変だったとは思いますが」
「俺と古泉とかの話か?」
「いえ、あなたと涼宮さんの話です」
 そう言われて、思わず首を傾げる。
 まあ、確かに男女の違いで少し距離感も違うような気はしたが、基本的に何も変わっていないように思えるんだが。
「まあ、僕のことも含め、ですけどね。向こうの僕とあなたが恋人関係になれたのは、偏に涼宮さんとあなたが同性だったからこそだと思います」
「どういう意味だ?」
「言わなければ解かりませんか?」
「…言わんでいい」
 聞きたくも無い。
 今までの経験上、古泉が何を言い出すかなんてのは大体想像がつくからな。
 しかし古泉よ、いくらお前がそれを望んだとしても、多分俺は今回の出来事で自覚しなくても良い事を自覚しちまったからな。
 頭の中に、古泉の言葉がちらつく。
 それは向こうの俺が、古泉に言った言葉らしいが。

「それでも、好きになったんだから仕方ないだろ」

 まったく、本当に言う通りだ。
 それでも、好きになったんだから、しょうがないよな。
 相変わらずの判子笑顔のそいつを見て、妙に安堵している俺には、向こうで涙を見せた古泉の相手をするのは正直無理だろう。
 だから、それで良いんだ。
 俺には、俺の古泉が居るんだからな。


Fin


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