reversal world 前編



 間違いなくその日は、何の変哲も無い、ごく普通の日常だったと言える。
 いつものように登校し、いつものように授業を受け、いつものように部室に行った。
 そして、いつものように判子笑顔のイエスマン古泉と、大して面白くもないボードゲームをしたりしつつ、メイド姿の朝比奈さんが暖かいお茶をいれてくれ、窓際の椅子では長門が本を読み、ハルヒはネットサーフィンなんかしている、それが俺の日常だ。
 それは、生徒会発の機関誌騒ぎもひと段落した、もうすぐ三月になろうとする頃だった。何となく、少し前までよりは暖かくなってきたんじゃないかなー、と思えるぐらいの日和だ。
 そんな、ごく当たり前の日常の中にも落とし穴は潜んでいるものなのだと、その時の俺には知る由もなかった。
 まあ、ここ一年程、何処に落とし穴があるか解からんような状態だったが、それでも矢張りこれは日常の一部と言って差し支えのないものだっただろう。
「みくるちゃん!ちょっとこっち来なさい」
「は、はい?な、何ですかぁ?」
 ネットサーフィンをしていたらしきハルヒが、突然朝比奈さんを呼ぶ。呼ばれた朝比奈さんはと言えばびくっと一瞬身を竦めつつ、それでもハルヒに逆らおうなんて事は思いつかないのか、おそるおそるといった風にハルヒの側に行く。
 今までそのパターンで呼ばれて、朝比奈さんにとって喜ばしい展開になった事は殆ど無いというのに、だ。俺は流石に朝比奈さんが心配になり、古泉としていたチェスの手を止める。ちなみに、戦局は言うまでもなく俺の勝ちが間違いないだろというような状況だった。
 古泉の方も、チェスの進行が止まったことに異議を唱える様子もなく、ハルヒと朝比奈さんの方を見ている。まあ、古泉が此処に居る目的はハルヒのご機嫌伺いだから、展開が気になるのも当然か。
「ねえ、みくるちゃん、これ見て」
「ふぇ、あ、あの、これって…」
「次のみくるちゃんのコスプレ衣装の候補に決まってるじゃない!どれが良い?やっぱり此処はミニスカ婦警さんしら、それともメイド服の新調でもしようかしら?今のメイド服も良いけど、他にもいろいろみくるちゃんに似合いそうなのはいっぱいあるのよ!ほら、これなんかどう!?」
 そう言いながらパソコンの画面を朝比奈さんに見せる。勿論、逃げられないようにしっかりと腕を掴んで、だ。
「え、えと…出来れば露出は少ないのが良いです・・・ミニスカートも、出来れば…」
 朝比奈さんにしてははっきりと意見を言った方だと思うが、それをハルヒが聞き入れるかと言えばそれは限りなくノーだと言える。
「なーに言ってるの!みくるちゃんのおっきな胸と、綺麗な足を強調しないでどうするの?やっぱり新しいメイド服もミニで行くべきよね!それからこの胸を強調するようなデザインがいいわ」
「ふ、ふぇ、止めてください〜〜〜っ」
 そう言いながら朝比奈さんの豊満な胸を鷲掴みにして、セクハラ親父よろしく揉み始める。いや、完全にセクハラだろう、それは。
「いい加減にしろよ、ハルヒ」
 俺は立ち上がり二人に近づく。朝比奈さんの胸を掴んでいるハルヒの手を掴み、引き離そうとする。
「…む。何よ。何か文句ある?」
「朝比奈さんが嫌がってるだろうが。その手を離せ」
「何よ、あんただって本当はこうしたいくせに。ほらほら、羨ましいでしょう」
 羨ましいか羨ましくないかと言われればそれは羨ましいが、そういう問題ではない。断じて違う。コスプレ衣装だって、そりゃあ俺だって楽しみかそうじゃないかと言われれば楽しみだが、朝比奈さんを泣かせてまでやる事ではない。
 兎も角もそういう事を昏々とハルヒに言うと、面白く無さそうに唇を尖らせ、朝比奈さんから手を離す。それから苛々とした調子で椅子に座りなおして、またパソコンの画面を見る。
「あんたって、ほんっとーにいっつも同じことばっかり。たまにはもっと変わったこと言ってみなさいよ」
「…変わったことってなんだよ」
「変わったことは変わったことよ!SOS団員ならそれらしく貢献してみなさいって言ってるの!」
「また無茶苦茶な事を…」
 ハルヒは怒っている風だが、実際は拗ねている割合の方が大きいのだろう。本気でハルヒが怒り出したなら、恐らくは後ろで成り行きを見守っている古泉が割って入ってフォローするだろうからな。まあ、だからこそ俺は遠慮なくハルヒを叱れる訳だが。
 そんな感じの口論もまたいつもの事と言えばいつもの事で、その際にハルヒのする発言がどの程度本気だったのかなど、俺が推し量ることの出来る問題ではない。
 しかし、今回の事態を考えてみれば、ハルヒにしてはこの発言、それなりにマジだった…というよりは、いつもの繰り返しのような俺の小言に辟易していたのかも知れない。
 その翌日、俺は十二月のあの悪夢も真っ青のような自体に遭遇するハメになるんだからな。


「キョンくん起きて!ねえ、キョンくん」
 妹の高い声が頭に響く。
 しかし、それはある意味でいつもの事だ。
 あまり寝起きの良い方では無い俺は、大体朝の半分ぐらいは妹に起こされて目が覚める。とりあえず、腹の上に乗られる前に起きた方が懸命だろう。
 むっくりと眠い体を起き上がらせ、欠伸を噛み殺す。
「朝ごはん出来てるよ。じゃ、着替えたら下りてきてねー」
「おー」
 新妻よろしくそんな事を言う妹に、適当に返事を返して着替えをする。
 冷たい水で顔を洗えば、流石にまだ冷たすぎるぐらいで、いっぺんに目が覚めた。
 朝食をとり、学校に向かう。これもまた、日常の風景だ。
 そして、学校まで向かう、あのハイキングコースもまた日常。日常のこの部分だけは、なくなってくれても良いと思うがな。しかし、ある日突然この坂がなくなっていたりすれば、それはそれで慌てるんだろうな、小心者の俺は。
「おーっす、キョン」
 そんなだらだら続く坂道を登っていると、後ろから声を掛けられた。顔を見なくとも、そのアホ丸出しの声でわかる。谷口だ。
「おう、朝から元気だな、お前」
「まあ、あと一ヶ月もしないうちに春休みだからな」
「その前に学年末テストがあるだろ」
「…思い出させるなよ、それを」
 忘れてるとあとでえらい目を見るぞ、と谷口と似たり寄ったりの成績の俺が言うことじゃないかも知れんが、それでもこいつよりはマシだと思いたい、些細なプライドだがな。
 そんなくらだない会話を交わしていると、学校に着いた。着いたからって同じクラスだからそこで別れるなんてこともなく、自分のクラスに行く訳で、朝から別に見たい顔ではないよな、取り立てて。
 そんな事を思い、自分のクラスのドアを潜り、自分の席を見遣り、常にその存在をあきれ返るほど主張しているハルヒの姿をその席の後ろに見ることが出来る筈なのだが、そこにハルヒの姿は無かった。それどころか、全く見知らぬ男子生徒が、其処に座っていたのである。
「……誰だ?お前」
 自分の席にカバンを置き、ついそう問いかける。するとその男子生徒は胡乱気な眼差しで俺を見返してきた。
「はあ?何言ってんの?」
「何だキョン、お前寝惚けてんのか?それともついに頭がおかしくなったか?」
 谷口、お前には聞いてない。いやしかし、谷口のその反応を見る限り、どうやら谷口にとっては旧知の人間…いや、恐らくは俺にとってもそうなのだろう。
 改めてその男子生徒の顔をよく見てみれば、黒くてさらさらの髪に、意思の強そうな瞳、やたらと整った顔をしている。相手が座っているからよく解からないが、身長は俺より高そうだ。
 まあ、そんな部分部分の話はこの際置いておこう。
「おい、キョン。春休みボケするにはまだ季節が早いぞ?」
 そのいかにもな不審気な眼差し、その表情、確かに、見たことがある。
「……ハルヒ?」
「当たり前だろ。何言ってんだよ、ホントに頭がおかしくなったのか?」
 本当にそうかもな。お前が男に見えるんだから。
 などと、口に出しては言わない。この場合、下手な事は言わない方が良いと、経験上俺は知っている。前にも似たようなことがあったからな。
 しかし、改めて相手をハルヒだと思って見返して見れば、確かに顔のパーツの一つ一つはハルヒのものだと解かる。美形はやっぱり男になっても美形なんだな。
「全く、別に良いけどさ。一樹ちゃんのことまで忘れたなんて言うなよ」
「…いつきちゃん?」
 聞きなれない呼び名に思わず疑問系で返すと、思いっきりネクタイを引っ張られた。
 し、締まる。
「本気で言ってんだったら、この場でぶん殴るぞ?」
「…まて、苦しい、一旦手を離せ!」
 しかし、俺が幾ら文句を言ったところでハルヒが聞き入れるはずもない。
 行動は正しくハルヒそのもので、そして不穏な台詞を言うその顔は真剣そのものだった。いつき、いつきって言ったな、その名前で覚えがあるのは一人しか居ない。
「こ、古泉のことだろ?」
「解かってんならいい」
 あてずっぽうで言ってみれば正解だったらしい。良かった。こんなところで窒息死は御免被りたいからな。
「本当に寝惚けんのもたいがいにしろよな、キョン」
「確かに。自分の彼女のことまで忘れたら、洒落になんねーよなあ」
 彼女?
 彼女と言いましたか。
 それって誰のことですか?いや、この展開から察するにその『一樹ちゃん』であることは間違いないだろうし、それが誰だということになれば古泉のことで、まあ、ハルヒが男になっているのなら、展開的に古泉が女になっていてもおかしくは無いのかも知れない。
 だがしかし、彼女って何だ。俺はそんなものを作った覚えは一度も無いぞ。まあ、それを口に出して言う勇気は、今のハルヒの前では残念ながら無いのだが。
「前にも言ったけどな、一樹ちゃん泣かせたら、本気でぶっ殺すからな!」
「その前にうちの学校の男子全員に殺されるだろ。…しかし、本当に惜しいよな。学校一の美少女が、なーんでキョンなんかの彼女になるんだか」
 学校一の美少女?それは朝比奈さんのことじゃないのか?
「何言ってんだよ、そりゃまあ、あの人も美少女って言やそうだけど、なあ。本当に、女だったらなあ…」
「ばーか、みくるちゃんはアレが良いんだよ。谷口なんかには解からないだろうけどな」
 ああ、正直、嫌な予感がします。
 しかし、この場はこいつらに話を合わせておくしかない。何より、もうすぐ授業が始まってしまうのだから。
 俺は席に着き、兎に角成り行きを整理しようとつとめる。
 朝学校に来てみればハルヒが男になっていた。
 そして、古泉は女になっていて、俺の彼女…らしい。
 朝比奈さんはきっちり言質をとった訳では無いが、谷口の発言から考えると男…のようだ。
 どういうことだ?
 一体誰がこんな世界にした?また長門か?はたまた今度こそハルヒか?
 どうなってるんだ。
 そして、今起こっていることを正確に認識するために俺が出来ることといえば、結局あいつを頼ることだけなのだが。
 時折後ろからちょっかいをかけてくるハルヒの相手を適当にしつつ、昼休みになったら即効文芸部部室…我らがSOS団の本拠地に行く事を決めたのだった。
 しかし、男になっても基本的にやることは変わらないな、こいつ。

 四時間目の授業が終了するチャイムを聞いた瞬間に俺は立ち上がり、教室を出る。後ろから国木田の、
「キョン、お昼御飯は?」
 という問い掛けが聞こえたが、悠長にそんなものを食べている暇はなく、一応自分の弁当箱を引っ掴み、
「俺はいいからお前らだけで食ってろ!」
 そう言い残して部室へと向かった。
 こんな展開で、唯一頼れるものといったらあいつしか居ない。本当なら余り頼りたくは無いが、仕方ない。
 兎も角も全速力で部室に向かい、その前について、一度深呼吸をし、それからノブを回してドアを開けた。
 そしてそこに居た人物を見て、俺は脱力した。
「長門…お前もか」
 いつも長門が居るその位置、窓際の椅子に腰掛けて本を読んでいたのは、やっぱり男子生徒だった。長門より髪は若干短く、俺の知る長門はかけなくなった眼鏡をかけているが、それは恐らく、長門で間違いないだろう。背も俺の知る長門よりは高くなっているように思えるが、座っているからよく解からない。
「…事態は把握している」
 俺の知る長門より低い、しかし長門と同じく淡々とした声が、俺の耳朶を打つ。その言葉を聞いて俺はまじまじと長門を見た。
「……聞いても良いか?」
「本日、一時三十五分に、ごく小規模だが時空震が感知された。その影響範囲を調査したところ、時空震の発生源は涼宮ハルヒにあり、その影響は全てあなたに集約された。詳しい探査を行った結果、我々の知るあなたの情報と、今のあなたの情報に齟齬が発生している。その結果、我々が導き出した結果はあなたは涼宮ハルヒによってこの世界に呼び寄せられた、この世界のあなたの異次元同位体だと判断した」
 相変わらず淡々とした口調で小難しい言葉を言う。長門はあくまでも長門と言う事だろうか。
「つまり、どういうことだ?」
「あなたにとって、この世界は多数存在し、微細に変化している平行世界の一つ。涼宮ハルヒの願望によって、この世界のあなたと、今のあなたは入れ替えられた」
「ようするに、此処は俺にとってはパラレルワールドで、この世界での異分子は俺の方だって訳か。で、この世界の俺は俺が居た世界にいるのか?」
「そう」
 十二月のように長門が改変した訳でも、ハルヒが新しい世界を作ったわけでもなく、俺は元から存在していた異世界に飛ばされたってことか。
「どうすれば元の世界に戻れる?」
「涼宮ハルヒが、あなたが此処に居る意味が無いと感じるようになればいい」
 その方法が、解からないんだがな。
「大丈夫。そう長くはかからない」
「まあ、長門がそう言うなら信じるけどさ」
 しかし、兎も角はハルヒが満足するまではこの世界に居なければならない訳だ。
「やれやれ」
 溜息を吐き、手に持っていた弁当箱を思い出す。
「此処で食っても良いか?」
「構わない」
 まだ聞きたい事もあるが、一応の事態を把握し、空腹を覚えた俺は長門に許可を取る。ところで、長門は昼飯は食わんのだろうか。俺の知る長門は意外と大食いだが、ここの長門は違うのか?いや、俺が此処に直行してくることを見越して、待っていたことも考えられる。
「お前は、食わないのか?」
「もう食べた」
 いつの間に。
 しかし、こうして話していると、性別の違いはあれど、長門は長門でしかない。声に多少の違和感はあるものの、会話におかしさは感じない。むしろ十二月のあの時の方が会話するのには戸惑った記憶があるからな。
 俺は弁当を広げ、それから長門に問いかける。
「それで、此処が俺にとってのパラレルワールドってことは解かったけど、俺の居た世界と何処がどう違うのか、お前には解かるか?」
 其処が重要な問題だ。何れ戻るというのなら、少なくともこの世界の俺が戻ったときに不便を感じないように出来るだけ違和感なく過ごす必要があるだろう。それには、俺の世界と、こっちの世界の違いは知っておくべきだろう。
「微細な変化は無数に存在している。しかし、あなたの周囲における変化は、あなた以外のSOS団の性別の反転。それだけ」
「それだけ…って…いや、でも古泉が俺の彼女とかどうのっていうのは…」
「それはあくまで性別の違いによって起こった変化。それ以外の属性には違いはない」
「つまり、性別によってある程度人間関係は変化しているものの、長門は情報統合思念体に作られたインターフェイスで、朝比奈さんは未来人で、古泉は閉鎖空間限定の超能力者で、ハルヒはあのわけのわからん力を持ったハルヒってことは変わりないってことか」
「そう」
 そして、その性別による変化によって、俺と古泉は恋人同士になったってことか。
 まったくもって、実感が湧かんな。
 そう思いつつ、掲示板に貼られている写真を見ると、確かに性別が変わっているのがよく解かる。
 ハルヒと長門は言うに及ばず。
 朝比奈さんは、見た目も、恐らくは身長も俺の知る朝比奈さんと殆ど違いは無く、髪は短いが、あの可愛らしい童顔はそのまま顔だけ見れば美少女としか言いようがないもので、しかし夏の孤島での写真だろうものを見れば、あの隠しても隠し切れないだろう豊満な胸はどこにも無いのがよく解かる。何しろ、水着姿だからな。
 なんと言うか、結構ショックだ、これ。
 そして、古泉はあくまでも写真を見る限りだが、女子にしては長身だろうが、俺よりも背が低く、腰まで伸びている長い髪を軽く結わえている。水着姿はスレンダーで、胸はどちらかと言えば控えめな方だろうか。しかし、容姿を見る限りにおいてはかなりの美少女なのは間違いなく、谷口が『学校一』と言うのも頷ける様子だ。
「この世界の俺は、一体いつから古泉と付き合ってるんだ?」
「昨年の十二月。僕が改変した世界から戻ってきた後。あなたは古泉一樹に告白し、古泉一樹がそれを受け入れた」
 ああ、こっちの世界でもやっぱりあれはあったのか。
 本当に、性別が変わったこと以外は大体同じらしい。

 丁度弁当を食べ終わった頃、不意に部室のドアが開かれた。
「あれ?珍しいですね、あなたが昼休みにここに居るなんて」
 そう言いながら部屋に入って来たのは、間違いなく写真で見たこちらの世界の古泉一樹だった。澄んだ声で俺に話しかける古泉を見て、俺は咄嗟に立ち上がり呆然と固まる。その拍子に、ガタッと椅子が倒れた。
 予備知識はあっても、これは不意打ちだ。何なんだ此れは。
「……どうしたんですか?」
 古泉が訝しげに俺に近寄り顔を覗きこんでくる。
 顔が近い。近いから。
 制服は当然うちの学校の女生徒のもので、その上にカーディガンを着ている。顔も体型も、写真で見たのと大して違和感はない。問題は髪型だった。
 写真では後ろで緩くまとめられていたものが、こちらではポニーテールになっている。一体何故だ、誰の陰謀だ。
 思わず古泉の両肩を掴んで引き離す。顔が近いのは心臓に悪い。掴んでみれば俺の知っているそれよりも当然華奢で心もとない感じがして尚更変な気分がする。
「お、お前…、その髪型は何だ!」
「髪型って、これですか?…だって、ポニーテールがいいって言ったの、あなたでしょう?」
「………俺か」
 思わず脱力する。そういえば、長門は属性に変化は無いって言ってたな。俺のポニーテール萌えもそのままってことか。そういうことですか。
 この古泉に、ポニーテールは非常によく似合っている。淡い茶色の、やらわかい髪が頭の後ろでまとめられ、白い首筋から数本短い毛が落ちているのが尚更に良い。
 これはよくやったと、こっちの俺を褒めるべきなんだろうか。陰謀って何だ、原因は結局俺じゃねーか。ああもう、自分で支離滅裂でよく解からない状態になっているな、これ。
 それぐらいに古泉ポニーテールは衝撃的だったのだ。
「本当に、どうしたんですか?気分でも…?」
「い、いや、気分は悪くない」
 むしろ良いぐらいだ。
 古泉は本当に心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。身長はやっぱり、俺よりいくらかは低いようで、古泉を見下ろしているのは変な気分だ。
「そうですか?でも何だか…いつものあなたと違うような…」
 訝しげな様子で俺を見る古泉に答えを与え、古泉の変化に衝撃を受けている俺を正気に戻らせたのは長門だった。いつの間に立ち上がったのか、古泉の肩を後ろから掴み、俺から引き離す。
「な、長門さん?」
「彼は、こちらの世界の彼の異次元同位体」
「異次元…同位体?つまりは、こちらの世界とは違う世界の彼…ということでしょうか?」
「そう」
 俺から引き離した古泉の肩を掴んだまま、長門が頷く。比べてみるとよく解かるが、今の長門の身長は古泉より二、三センチ高いようだ。俺と比べると逆に長門は二、三センチ低そうだから、適当な計算で古泉は百六十五センチぐらいだろうか。長門は国木田と同じぐらいの身長…だろうな。
 しかし、何と言うか、微妙に長門から圧力を感じる気がするのは、気のせいだろうか。古泉は何も感じて居ないようだし、気のせいかも知れない。何故か相変わらず古泉の両肩を掴んだままだが。
 まあ、それはいい。
 この際、何も知らない古泉の恋人の振りなんて俺は出来るとは思えないから、事情を話してしまった方だ良いだろう。
 俺は長門に聞いた話を改めて古泉に説明すると、古泉は口元に手を当てて、考え込む姿勢をとる。
「なるほど、これも涼宮さんの力だということですか。これで晴れてあなたも異世界人の称号を得た訳ですね」
「全然嬉しくねえ」
 俺の言葉にくすりと微笑み、あなたらしいですね、と言う。
 その様子は古泉であっても、矢張りそんなことを差し引いても美少女で、非常に俺の目には可愛らしく映る。
「でも、どうしてわざわざ涼宮さんはこちらの世界のあなたと、そちらの世界のあなたを入れ替えたんでしょうか?」
「…そういえば、そうだな」
「何か心当たりはあるんですか?」
 そう問いかけられて、昨日あったことを思い返してみる。
 昨日はごく普通の日常だったはずだが。昨日あったことを思い返してみて、ふと気づく。

「あんたって、ほんっとーにいっつも同じことばっかり。たまにはもっと変わったこと言ってみなさいよ」

 あれか。
 心当たりと言っても他には無いからな。
 その時あった事を古泉に説明してやると、得心したように頷く。
「そういうことですか。そう言えば、こちらの世界でも涼宮さんは昨日似たようなことを言っていましたね。こちらの世界の涼宮さんと、そちらの世界の涼宮さんが『いつもと違うあなたが見たい』と願い、その結果こうして入れ替えられるようなことになったのでしょう」
 古泉も矢張り古泉だということだろうか。
 この説明口調はもうお馴染みと言っていいもので、しかし、いつもより高い声、そして目線が俺より下にあるという事実が、長門と違ってやたらと気になるのは何故だろうか。しかも、当の長門は古泉の肩を掴んだままだ。
 まるで俺に古泉に近づくなとでも言っているような気がするんだが、気のせいか?
「長門さんの言葉を信用すれば、何れ元に戻るようですし、そう焦らなくても良いでしょうね。あとは涼宮さんに気づかれないようにすればいい訳ですし、性格の方はこちらのあなたとそう変わらないように見受けられますから問題は無いでしょう」
「俺の方としては違和感絶大だがな」
「そうですね。あなた以外のSOS団のメンバーの性別が逆ということだそうですが。あちらのわたしがどんな風なのか、少し気になりますね」
「背が高くて無駄に顔が良いいけ好かない野郎だよ」
 俺がそう言うと、気のせいか古泉の肩を掴んでいる長門の眼鏡の奥の視線が厳しくなった気がする。
 待て、何だこれは。
 そういえばハルヒも妙に古泉を庇うようなことを言っていた気がするが、ひょっとしてこっちの世界の古泉はお姫様的な位置なのか?確かに、このメンバーじゃ紅一点ってことになる訳だから強ち間違っちゃいないが、万が一古泉を傷つけるような発言をした場合、ハルヒのみならず長門にも何らかの制裁を加えられるんじゃなかろうか。
 何か自分の身が非常に心配になってきた。
 しかし、当の古泉は気にした様子もなく笑っている。
「ふふっ、あなたらしいですね」
「…そうか?」
「そうですよ」
 何が楽しいのかくすくすと笑っている古泉に、何となくほっとする。俺はまだ死にたくないしな。
「って、そういえば何でお前は部室に来てたんだ?」
「あ、ああ。忘れるところでした、長門さんに貸りた本をお返ししに来たんです」
 そう言って古泉が手に持っていた本を長門に渡す。というか、本を持っていたのに今気づいた。よっぽどポニーテールのショックがでかかったらしい。そして其処でようやく長門は古泉の肩から腕をはずす。しかし、古泉、お前はその状態に何故違和感を持たない。
 問い詰めたいような気はするが、何だか今は長門が怖いな。
「そう。また何か、貸す?」
「良いんですか?じゃあ…」
 そう言って親しげに会話を交わす二人の姿は、向こうの二人には無かったものだ。こっちの二人は本を貸し借りするような関係らしい。
 それに、古泉とそうして会話している長門は、心なしか表情が緩んでいる気がする。本の話が出来て嬉しいのか、それとも古泉個人を気に入っているのか。それとも両方か。
 これも、性別による関係の違いの範疇なんだろうな。
 そして、結局俺は昼休みが終わるまでこうして部室で過ごすことになった。まあ、貴重な体験と言えばそうだし、古泉であるという事実を差し引いても、こちらの古泉は目の保養になった。何しろポニテの効果は絶大なんだよ。
 俺にとってはな。

 その後、午後の授業を終え、俺は部室に向かう。
 SOS団は健在らしいからな、行かないわけにもいかんだろう。
 部室の前に着き、一瞬の躊躇の後、ドアをノックする。いや、朝比奈さんが男になっているならする必要も無いのかも知れないが、習慣だな、これは。
 そのドアの向こうから、
「はあい」
 と可愛らしい声が聞こえる。朝比奈さんの声を少しだけハスキーにしたような感じだ。
 ドアを開ければ、その瞬間にくらりと眩暈がした。
 メイド服の朝比奈さんが、そこに立っていた。
「あ、あの、キョンくん?どうかしたんですか?」
「い、いえ…何でもありません」
 予想外の出来事にちょっと眩暈がしただけですよ。
 いくら朝比奈さんが男だという予備知識があれど、見た目は朝比奈さんと変わらない上、体のラインが強調されないメイド服の上、さらにカツラかウィッグをつけている姿は、俺の知る女性の朝比奈さんと殆ど変わらない。
 ひょっとして、こっちの朝比奈さんは女装が日常茶飯事なのだろうか。
 部室の中にはすでに長門と古泉が居て、長門は窓際で本を読み、古泉は一人でオセロを出して遊んでいる、本当に、性別以外はいつもの光景としか言いようがない。
「涼宮さんは一緒じゃないんですか?」
「知らん。授業が終わった後、即効でどっか行っちまった。また何か企んでるんじゃないか?」
「ふふ、それは楽しみですね」
「お前はな」
 俺は溜息を吐いて古泉の向かい側に座る。すると古泉は、一緒にオセロでもどうですか、と笑顔で誘ってくるので、どうせ暇だからと了承する。
「はい、どうぞ、キョンくん」
「あ、有難う御座います」
 オセロを始めてすぐに朝比奈さんがお茶を持ってきてくれる。朝比奈さんだけを見ていると、本当に元の世界と代わりが無いように思えてならない。ああ、あの隠しても隠し切れない豊満な胸は、流石に一緒とは行かないが、それ以外は殆ど変わりない。
 ハルヒや長門や古泉と違って、見た目に余り変化が無い所為だろう。
 まあ、目の前に視線をやれば、もう明らかにいつもと違う姿の古泉が居るわけだが。
 朝比奈さんは古泉の方へと行き、そちらにもお茶を置く。そうして見ると、美少女が二人和やかに話しているように見えるから不思議だな。俺の世界のSOS団では美少女二人が和やかに話すなんて事は無い光景だ。
 何しろ、長門は無口だし、ハルヒは和やかなんて言葉は遠い世界にあるヤツだ。
 まあ、この朝比奈さんは見た目は美少女でも中身は男な訳だが、見ている分には美少女で、そしてこちらの世界の古泉も紛れも無く美少女で、うん、相手が古泉だということを差し引いても、充分に目の保養になる光景だ。
 その後朝比奈さんは長門の方に行き、そちらにもお茶を出す。こちらは一変してどこかびくびくとした様子なのは、こちらの世界でも朝比奈さんは長門が苦手だということだろうか。
「朝比奈さんを見ていると、相手が男だってことを忘れそうだな…」
「そうですね。わたしも時々忘れそうになります」
 そう言いながらオセロをひっくり返す。どうして其処を選ぶんだろうな、古泉よ。もうちょっとマシな手があるだろう。
 俺はすぐに次を置き、ひっくり返す。それでも古泉は始終笑顔で、そういうところも古泉のままなのか、と思う。
「なあ、古泉」
「何でしょう」
「SOS団のメンバーが男ばっかりって、大変じゃないのか?」
「おや、気遣ってくれるんですか?」
「茶化すな」
 軽く睨み付けると、相変わらず微笑んだままで、
「朝比奈さんを見ていると、どうにもそういう気がしないんですよね。それに、涼宮さんも、他のみなさんもその辺りは気遣ってくれますから」
「ふーん。ならいいけどな」
 ハルヒが気遣う、というのがどうにも想像しづらいが、男のハルヒは、ひょっとしたらそれなりのフェミニズムを持ち合わせているのかも知れない。
 そんな事を考えていると、ドアの向こうから誰の物か明らかな足音が聞こえてきた。この騒々しさを出せるのは一人しか居ないだろう。
「みんな、おっまたせー!」
 元気よく現れたのは、当然ハルヒだ。
 悔しい事に、この世界のハルヒは俺より背が高い。多分、俺の世界の古泉と似たりよったりだろうが、この際他の二人が俺よりも背が低い事を喜んでおくべきだろうかね。
「ふっふっふ、みんなよく聞け!これからSOS団メンバーを二手に分けて宝探しをします!」
「宝さがしぃ?」
 また今度は突然何を言い出すのかと思えば。宝探しといえば、俺の記憶ではつい先日鶴屋山を掘り返した記憶が新しいんだが、流石にこっちの世界ではやってないのかも知れない。何か、普通に古泉がチョコレートを全員分作ってきてくれてそうだよな。
 そんな俺の記憶など、この際ハルヒには関係ないだろう。
「そう。探すのは校内限定。見つけることが出来たらその宝物は見つけた人にあげよう。組み合わせはみくるちゃんと有希、一樹ちゃんとキョン、俺は審判役だから、宝物見つけたら俺のとこまで持ってくるんだぞ」
「待て、その宝物ってのは一体なんなんだ?」
「それを教えたら面白くないだろ?ちなみに、見つけられなかった方の二人には罰ゲームとして俺が選んだ特製コスチュームでコスプレアーンド写真撮影をさせてもらうからな!」
「ちょっと待て!」
 何だその罰ゲームは。
 しかも特製コスチュームって何だ。朝比奈さんに女装をさせていることを考えても到底まともなものだとは思えない。そう思っているのは俺だけでは無いようで、朝比奈さんはコスプレの発言でびくっと肩を揺らせた。
 こっちの世界でも朝比奈さんはハルヒにいろんな衣装を着せられてるんだろうな、きっと。そして主に女装なんだろうな、多分。
「異議はキョン以外なら認めるよ。…ないね?じゃ、よーーーーい、スターーート!!」
 俺以外って何だ!
 そして勝手に唐突に始められた宝探しに、俺達は部室から追い出されるように出る羽目になったのだった。



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