時間連鎖 6



 ソファに座って、むすっとした顔をしている桐也を見て、思わず溜息が漏れた。
 コンクールがあった日から、もう一月は経つ。
 そう、あれから一月、桐也が風邪を治したと思えば今度はこちらが忙しくなり、全く会う暇が無かった。
 こちらとしても、出来るだけ早くはっきりとさせたかったから、時間を作りたかったのは山々だが、出来なかったのは仕方が無い。
「いつまでもそう、不貞腐れた顔をしてるんじゃない」
 言いながら、淹れてきたコーヒーを桐也の前に置いて、隣に座る。自分の分を口に含んで、さてどうしたものかと思う。
 私にしてみれば一月なんてあっという間の事だが、学生にしてみれば長くも感じるだろう。しかも、お預けの状態のままだったなら、尚更だ。
「……解かってるよ、暁彦さんが悪い訳じゃないって。仕事だったんだろうし、今まででも、二ヶ月三ヶ月都合つかないからってドタキャンされたことだってあるし、仕方ないって解かってるよ」
「だったらいつまでもそんな顔をするな。折角時間がとれたんだから」
「違うんだよ、そうじゃなくて、別に機嫌が悪い訳じゃないんだけど……あの状態のまま一月も放っておかれて、まあちっとも腹が立たなかったかって言ったら違うけど、そうじゃなくて、だからさ、もう、本当に、限界で、我慢してんの、今も!」
 早口にそう捲くし立てて、じっと熱い瞳でこちらを見られれば、流石に何が言いたいのかは察した。不機嫌なのではなく、欲求不満だということか。
 理解して、思わず苦笑いが漏れた。
「もう、我慢する必要は無いと思うがな」
「暁彦さん、全然解かってないよ」
「何が」
 解かっていないんだ、と聞こうとしたところで、ソファに押し倒された。両肩を押さえつけられ見下ろされて、以前にも似たようなことがあったなと、反芻する。
「今度会ったら、どうしようって、ずっと考えてた。キスだけじゃなくて、その先だってしたいし、それなのに会えないし、この一ヶ月もうずっと、暁彦さんで妄想してたんだよ、俺」
 そのまま、噛み付くようにキスをされて、勿論嫌だとは思わない。しかし、その手がシャツの裾から手を差し入れてくれば、流石に止める。
「待て」
「もう待てない。我慢しなくて良いって言ったの、暁彦さんだよ」
 そのまま舌を押し入れてきて、反論しようとした言葉は奪われる。
 勿論、キス以上を求められるだろうというのも、考えていた。抵抗はあるが、嫌な訳でもない。だからそれは別に構わない。
 だが。
「んっ……ちょっと、待て…っ落ち着け!」
 頭を掴んで押し返すと、不満そうな顔で見下ろされた。全く面倒な、という言葉が出そうになるのを飲み込んで、私の腕を掴んで離そうとするのを何とか押し留めながら、静止する。
「そんなにがっつくな。今更逃げたりしないから、落ち着け」
「健全なる高校生に無茶な事言ってるって解かってる?」
「いくら若くて健全で欲求不満でも、せめてベッドに移動するくらいはしても良いだろう」
「…………解かった」
 今度は素直に頷いて、私の上から身を起こした。
 ふと息を吐いて、困ったものだとは思うが、それでももう、嫌だとは思えない。
 どうしようもないと思って、ただ、少しおかしくなるだけだ。


 寝室に移動して、またすぐにベッドに押し倒されて、上に圧し掛かられる。
「ん……う…」
 相変わらず拙い、急いているばかりのキスに、ただ受け入れるだけも芸が無い。
 桐也の服の襟を掴んで引き寄せて、今度は私から、舌を絡めて行く。
「ふ…っ、んんっ」
 一瞬驚いたような顔をするものの、すぐにまた、積極的な反応になる。
 拙いが、下手では無い。ただ慣れていないだけなのだろう。その証拠に、少し慣れたのか余裕が生まれてくる。
「……暁彦さん、上手いよね」
「経験に差があるからな」
「……」
 私の言葉に不満そうな顔をして、ワイシャツの襟に手をかけて、首筋に噛み付いてくる。歯を立てられて、体が戦慄く。
「俺は、暁彦さんしか知らない。知りたくない」
「桐也…」
「暁彦さんだけ、知っていれば良い」
 必死にそう告げる桐也に苦笑いが漏れる。私だけを見詰めてくる熱を帯びた瞳を見返しながら、そっと前に触れる。
 ズボン越しであっても、はっきりと解かるほど形を持っていて、触れた途端に体が跳ねた。
「…もう、こんなになってるのか」
「だから、我慢してるんだってば…っ!」
 もう一度唇を塞がれて、桐也の方も手を伸ばしてくる。互いに互いのモノに触れて、吐息が熱くなってくるのを感じて。
 密着して、触れ合う、これほど他人の熱を近くに感じたのは、どれくらいぶりだろうか。
 達したのは、桐也の方が先で、何処か口惜しそうな顔をしながら、必死に、拙い手つきで私のモノに触れる、その様子を。
 愛しいと、思ってしまうのだから、どうしようもない。
 こうして触れ合いながら、多分、私が受け入れることになるんだろうな、と考えて。恐らく桐也は、それ以外は全く考えていない様子だし、多分余裕も無いのだろう。
 私としては、矜持を曲げるか、後ろめたくなるか、どちらかの違いでしかないから、別にどちらも大差無いか、などと思うだけで。
 なら、やりたいようにやらせれば、それで良い。
 何もかもが拙くて、慣れなくて、それでも。
 懸命さに煽られる。
「暁彦さん…っ」
 熱い眼差しで見詰められて、押し入られて、中に熱を感じる。膝を掴まれて、広げられて、体が密着する。
「…っ、きりや」
「好き、暁彦さん…大好き…っ」
 体内を貫く熱が動くたびに、痛みを感じるけれど、それ以上の熱に侵される。余裕など全く無い様子の桐也の熱に煽られて、昂ぶっていく自分を感じる。
「ふ……あ…っ」
「暁彦さん…暁彦さん…っ」
 何度も名前を呼ばれて、合間にキスをされる。
 恐らく狙っている訳では無いのだろうが、時折桐也のモノが前立腺を掠めて、その度に背筋を駆け上がる快感を堪えて、目の前にある肩を掴む。
 昔は、本当に小さかったのに。
 どんどん、大きくなって、肩幅も、広くなった。
 大人とはまだ呼べないけれど、子供とももう言えない。
 何よりも、熱く名前を呼ぶその瞳は、もうしっかりと、男の物だ。欲と熱に濡れて、潤んだ瞳が、真っ直ぐに私だけを見ている。
「あ…っ、ぁ、あっ」
「暁彦、さんっ」
「っ……」
 不意に感じる場所を掠められて、体に力が入って締め付けた所為か、中に、桐也の精が放たれるのを感じて、ぞくりと体が震えた。
 精とは別の何かが裡を満たすように感じて、震えた。
「ごめん、暁彦さん、俺、先に…」
「別に良い。それに……これで終わりという訳でも無いだろう?」
「……暁彦さん、ひょっとして煽ってるの?」
「だったら何だ?」
「決まってる」
 再び口を塞がれて、桐也のモノが再び熱を取り戻しているのを感じて。
 目を閉じる。
 それで良い。望むままに。
 何もかもを受け入れて、与える覚悟で、今日此処に呼んだのだから。



 ベッドの上でまどろみながら、ぎゅうっと強い力で抱き締めてくる桐也の顔を眺める。
 もう離さないとでも言いたげに、決して逃さないように。
 そんな腕に身を任せたまま、ぼんやりと考える。
 結果的にこういう関係になってしまった事への罪悪感は意外と薄い。というよりも、これで満足している自分が居る。
 抵抗があった割りに受け入れてみれば簡単で、拍子抜けするほどだ。
 いや、今も全く抵抗が無い訳ではない。
 桐也はまだ子供だ。
 セックスをしている時はそうも思わなかったが、こうして見れば矢張り子供だと強く感じる。子供なだけでは無いけれど。
 いつか。
 私以外を見るときが来るのではないかと、そう思う。
 まだ若く、これからがある。
 私だけだと、どんなに桐也が言葉を尽くしても、これからは誰にも解からない。今そう思っていても、どうしようもなく嫌になることだって、ある。
 私にとっての音楽がそうであったように。
 子供の頃から当たり前のように生活の一部にあって、努力して、懸命に、懸命に。努力を重ねる事を厭わずに関わってきたものであっても。
 嫌になってしまうことは、憎んでしまうことはあるのだ。
 感情は変わる。
 どんなに変わらないと、そう言ったところで、変わる時には変わるものだ。別にそれは構わないし、そんな事は関係ない。
 どんな風に変わっても、変わらなくても。
 私の気持ちだって変わらないかも知れないし、変わるのかも知れない。
 そんなことを考えたところで、仕方の無い事だ。
 ただはっきりしているのは、一つだけだ。
「ねえ、暁彦さん」
「何だ」
「俺の、何処を好きになってくれたの」
「…さあな」
「さあなって…」
 不満そうに唇を尖らせる桐也のその口にキスをして。
 真っ赤に染まった顔を見て、笑う。
「どうでも良い事だ、そんな事は」
「どうでも良いって…」
「理由なんて、とってつけたようなものは、要らないんだ」
 そんなものは要らない。
 ただ、自分自身がどう感じるかだけが、必要で、大切で。
 たった一つ確かなのは。
「あの時、熱があるのに、体調が悪いのに舞台に立ったお前を見て、失えない、失いたくないと思ったのが、それだけが確かな事だ」
 それ以上に、必要なことなど無い。
 理由だとか、意味だとかそんなものは、些細な事だ。
「俺は、少しでも、暁彦さんの寂しさを埋められる…?」
「……どうだろうな」
 寂しいとか、寂しくないとか、そんな事は考えなくなっていた。
 姉さんを失った時は、確かに寂しくて、辛くて。身内の中でも自分の立場が酷く、孤独だったのには気づいていたけれど。それでも懸命に足掻くうちに、解からなくなっていた。
 その間もずっと、寂しかったのかも知れないけれど。
 特別な人間を作りたくないからと、拒絶していたのだから、当たり前のことではある。
「俺は、暁彦さんが傍に居ても、寂しく思わなくてすむような存在になりたいって、ずっと思ってた。金澤先生と居る時みたいに、独りで居なくても良いようになりたいって」
「……お前は、昔からそうだったな」
 私を見ればすぐに駆け寄ってきて、手を繋いで。強い力で、一人じゃないと傍にいると、訴えるようにして。
 それが、嫌ではなかったから。
 そうして積み重なってきたものが、こうして目の前にあるのなら。
 それも全部、桐也が諦めようとしなかったから、なのだろう。
「暁彦さん?」
「お前が居なくなれば、私はきっとまた寂しくなるな」
 きっと、寂しくて、辛くて、また、誰も好きになりたくないと、そう願うのだろう。
 ふと、抱き締めてくる腕に力が篭って。
「俺は、居なくなったりしない。絶対、暁彦さんより先に、死んだりしない」
「そうでなければ、困るな。まだ、私の半分も生きていないんだから」
「うん」
 頷いて、唇が、額に、瞼に、頬に降って来て。反射的に目を閉じている間に、唇に。
「…ねえ、暁彦さん」
「何だ」
「結婚、とか、しないよね?」
「…ああ、そうだな。周囲が五月蝿くなるだろうが、する訳にもいかないからな」
 桐也を選ぶと決めた以上、結婚などできる筈も無い。
 親類や、ファータどもが五月蝿く言ってくるだろうが、仕方の無いことだ。諦めてもらうしかない、解かってもらうしかない。
 どうしたってもう、その選択肢は選べない。
「良かった…」
「ずっと気にしていたのか」
「当たり前だろ」
 拗ねた顔をする桐也の頭をそっと撫でれば、更に不機嫌そうな顔になる。
「また子供扱いしてる」
「そんなつもりは無いんだが」
「してるよ」
 また唇を塞がれて、今日だけで、もう何度交わしたか解からない口づけを交わして。
 元々器用なのだろう、おぼつかなさは無くなっていて、絡められる舌の動きももう様になっていて、熱を煽ってくる。
「ん、ん…っ」
「もっと、早く大人になりたい」
 子ども扱いするなと言いながら、大人になりたいと願う。矛盾している。
 大人なんて、年をとったというだけの事なのに。大切なのは、積み重ねた経験と感性であって、年月そのものでは無いのに。
「ゆっくりで、良い」
「暁彦さん」
「お前が、どう変わっていくのか、ちゃんと見ているから」
 だから、慌てなくても良い。
 お前が望む限りは、傍に居るから。
 与えられる熱に酔いながら、そう告げる。
「じゃあ、一生、傍に居て」
 本当に、それを願い続けてくれるのなら。
 きっと私はそうするだろう。
 大切だと、愛しいと想う者のためならば、どんなことでも叶えたいと願う。
 だから、桐也が望み続けてくれるというのなら、私はそれに応え続ける。
 そう決めた。
 桐也が、望んでくれる限りは。
 積み重なって、連なった時間を、桐也が成長していく様を、ずっと。
 傍で、見ているから。


Fin


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小説 B-side   金色のコルダ