第一話



 後部座席で眠る双子の隣で、セナは窓の外を見る。
 山々が連なり、綺麗な緑色が暮れてきた日の光の所為か、オレンジ色に見える。
「やっぱり車の運転は疲れるな」
 車を運転するロベールは苦笑しながら言った。
「まだ免許取りたてのくせに、ドライブに行こうなんて言うからよ」
「車に乗るのも人間界に来てからだったからな。セナくんも疲れただろう?」
「あら、セナくんは大丈夫よね。まだ若いんだもの」
 ロベールと真理の問いかけに、セナは笑みを返した。
 自動車に乗るのは、まだ少し落ち着かない面もあるが、便利なのは事実だし、嫌いではなかった。馬車が進化したものと考えればそれである程度納得も出来る。
 こちらでは何より、科学が使われているのだから。
「でも、今日にして正解だったな。天気もいいし」
「そうね、楽しかったわ」
 ロベールがドライブに行こうと言い出したのは突然だった。セナの養父であるダナイがウィンフィールドに一時帰国していたのも一つの原因だろう。ダナイが居れば危ないと止められるのは自明だから。
 朝早くに車を出して、山へと車を向けた。ロベールも都会で暮らすのは嫌いではないけれど、矢張り自然の多い場所が懐かしいのだと思う。セナも、久しぶりに緑の空気を吸ってホッとした。
 日が暮れて、今は帰り道。
 穏やかな日常。自分が仕える人が、こんなに優しく、暖かい人たちでよかったと、セナは心底そう思う。近衛兵になることが幼い頃からの夢で、なれた時はとても嬉しくて。人間界に行く事に不安がない訳ではなかったけれど、ロベールや真理はとてもセナに優しくしてくれた。
 とても、穏やかな日々が、まるで夢のようにさえ思えた。
「…っ、おい、前のトラック、おかしくないか?」
「ええ…」
 ロベールの緊張したような声に、真理が答え、セナもそちらに視線を向ける。対抗斜線を走ってくる大型トラックは、ゆらゆらと不安定な走り方をしている。それなのに、スピードはやたらと出ている。いや、それだけではない、トラックはそのまま、セナたちの乗る車に突っ込んできた。
「危ないっ!!」
 ロベールは急いでハンドルを切るが、狭い山道で避けきれる筈もない。
 セナは咄嗟に隣で眠る双子に覆い被さるようにして体を伏せた。
 その瞬間


 キィ―――――ッ!!

 ドンッ
 ガシャン!!


 ガクンッと強い衝撃にセナは息を詰めた。
 その衝撃が収まると、セナは顔を上げた。車は完全に止まっている。フロントガラスが割れ、車は黒い煙を前から出していた。そして、前のトラックは相当量のガソリンを積んでいるらしかった。
 爆発する。
 セナは直感的にそう思い、急いで双子を抱き上げ、車の外に出た。車の来ない、安全な場所だと思われる所に双子を寝かせ、もう一度車に駆け戻った。
「ロベール殿下ッ!!」
 車のドアを開けようとするが、びくともしない。完全に前方のドアは歪んでしまっている。
 セナは助手席側に回り、そちらのドアを開けようと試みる。二人とも気を失っているようで、生きているのか死んでいるのか解からない。
「真理さんっ、真理さん!!」
 セナは真理の名前を呼びながら、何とかドアをこじ開けた。
「真理さんっ、しっかりしてください!!」
 真理の肩を叩き、何とか起こそうとする。セナの声に、真理は意識を回復した。
「セナくん…」
「真理さん、大丈夫ですか?」
「セナくん、双子は、翔と櫂は無事…?」
「ええ、大丈夫です。真理さんも早く出てください」
 セナの言葉に真理はゆっくりと首を振る。
「真理さん?」
「ダメ…車に、足が挟まって出られないの」
「そんなっ…。ロベール殿下は?」
 一瞬セナは息を呑むが、すぐに冷静さを取り戻す。ロベールの体が自由に動く事が出来れば、真理を救い出せるかも知れない。
「ロベール…?」
 セナの言葉に、真理はロベールの方を振り返る。
 そしてその瞬間、ロベールの姿は幻のように消えていった。
「ロベールっ!!」
「ロベール殿下っ!!」
 真理とセナは悲鳴を上げる。助からなかった。ロベールは、死んでしまったのだ。
 しかし、悲観しても居られない。例えセナ一人でも、真理を助け出さなければいけない。真理には子供が居る。双子が居る。彼らを孤児にする訳にはいかない。
 セナは真理を挟んでいる車体を何とか退かそうとするが、子供の力ではびくともしない。大人の力でだってどうにもならないだろう。
「セナくん、車が爆発するわ。逃げてっ!!」
「ダメです!そんなことは出来ませんっ」
「お願い逃げて。このままではセナくんまで巻き込まれるわ」
「いけません!真理さんを置いていくなど!」
 不意に、トラックから人が飛び出してくるのが見えた。突っ込んできた運転手だろう。
「待ってくださいっ!!」
 逃げようとする運転手に、セナは声をかける。
「人が挟まれているんです、助けてくださいっ!!」
 セナは声を張り上げるが、その男は一度振り返ったがそのまま逃げ出してしまう。自分の身の安全を計るならそれは当然だろう。
「セナくん、逃げて!お願い、貴方がいなければ、翔と櫂は誰が守ってくれるの!」
「真理さん…」
「お願いっ」
 真理の言葉に、セナは戸惑う。例え自分が助からなくとも、きっとすぐにダナイは戻ってくるし、事故のことにも気づくだろう。二人を守る人間などたくさん居るはずだ。真理はセナを戻らせるためにそう言っている。それが解かる。
 それでも、真理を放っておくなんて出来ないではないか。今、真理を助けられるのは自分しかいないのだから。

 ドンッ

 車の前が爆音を上げる。すぐにでもその炎はトラックのガソリンに引火しそうだった。
 時間がない。
「セナくん、早く逃げて!!」
 真理はそう言って、動かせる左手で、ドンっとセナの肩を突いた。セナは数歩後ろによろめく。そしてその瞬間、物凄い光がセナの視界を真っ白に染めた。
 音も何もなく、その白さだけがセナの世界の覆った。
 そしてそこで、セナの意識は途切れたのだった。











 ―――十五年後―――




 夏休みの最終日、翔は双子の櫂と共に、寮の廊下を歩く。
「なっ、櫂、頼むよぉ」
「全く、翔はどうしていつもいつも、計画的に物事を考えられないかなぁ」
 翔は櫂より前を歩き、後ろを向きながら、お願い、という風に両手を顔の前で合わせた。
 櫂はその翔の様子に溜息を吐く。
「な、櫂。頼む!」
「…これで最後だからね」
「やりぃっ!」
 翔は思わずガッツポーズ。これが何の交渉かと言えば、夏休みの宿題である。夏休み最終日にも関わらず、全く宿題が終わっていない翔は櫂に泣きついたのだ。
 櫂は学年一の秀才である。
「あ。翔っ、前!」
 後ろを向いて歩いていた翔に、櫂が声をかける。その声につられるように振り返った瞬間、ドンっと何かにぶつかった。
「ってぇ〜〜〜〜」
 跳ね飛ばされて、翔は尻餅をつく。
「すみません、大丈夫ですか?」
「あ、はい。俺の方こそ、前見てなくて…」
 翔がぶつかった相手は、申し訳なさそうにしながら翔に手を差し出す。翔はその手に掴まり、立ち上がった。
 そして、相手の顔を見た瞬間、翔はぽーっと、頬を染めた。
 櫂は嫌な予感に顔を引きつらせる。
「怪我はありませんか?」
「は、はい。大丈夫ですっ。あ、の…学園の先生…にいましたっけ?」
 居たら気づかない筈はないんだけど、とでも言いたげである。長身のその男は、翔の問いを理解したのか、微笑んで答えた。
「ああ、私はこの二学期からの途中赴任ですので」
「あ、じゃぁ、出産でやめちゃった生物の先生の変わり?」
「ええ、水落瀬那と言います」
 赤い髪に青い瞳。眼鏡が少し堅い感じを与えたが、それでも微笑むと優しげな雰囲気がその身を包んだ。その穏やかな物腰は今までの教師には居なかったタイプだ。
 櫂はじっくりとその教師を観察する。
「じゃぁ、ひょっとして僕の担任になるんですか?」
 櫂が声を出して尋ねると、水落と名乗った男は櫂の方を見て微笑んだ。
「ええ、そうなります。よろしくお願いしますね、御園生くん」
「名前、もう覚えているんですか?」
「学園生の生徒名簿は貰ってありますので」
「生徒全員?」
「寮監もするこになってますから」
「あ、それで寮に居るんですね」
 櫂は納得して頷いた。
 いくら一教師とはいえ、流石に生徒全員の受け持ちはしないから、名簿は貰わない筈である。だが、寮監となれば、生徒全員の相手をしなければならないのだから、それも納得できる。
「もう、全て憶えているんですか?」
「いえ、とりあえず受け持ちの授業のある生徒だけですね」
「それだって凄いよ!俺だったら全然憶えらんない」
「翔の頭と一緒にしちゃダメだよ」
 翔が思わず感激して言うと、櫂は冷たく突っ込む。
 その様子に水落はくすりと笑った。
「仲がいいんですね?羽村くんと御園生くんは」
 櫂はなんだかからかわれた気がして少しムッとする。
「ああ、それでは、これで、失礼します」
 時計を見て、そう言うと、水落はぺこりと頭を下げて去っていった。今まで気づかなかったけど、手には鳥篭を下げている。
「何か、変な先生だね」
 櫂がそう言うと、翔はきょとん、とした顔をする。
「そう?カッコいいじゃん。俺、好きになっちゃったみたい」
 翔の言葉に櫂の口許がぴくっと引きつる。
「好き…?」
「うん。好き」
「どういう好き?」
「んな、子供相手に聞くようなこと言うなよな。当然、恋愛の好きに決まってんだろ」
 ムッとした顔で翔は言うが、櫂はそれどころではない。
 突然現れて、大事な兄をそんな道に引きずりこんだ人間を櫂はその瞬間に敵と見なしたのだった。
「たとえ好きであろうと、好きでなかろうと、翔はもうこれからあの人には接触禁止!!」
「ええっ、何でだよ!!」
「でないと宿題手伝わないからね」
「そんなぁ」
 翔の情けない声を無視して、櫂は苛々と足早に部屋に戻るのだった。




 そして数日後。
 翔と櫂、そして翔の親友である直人と、櫂の親友である凪の四人が、直人と凪の部屋に集まっていた。暇な時間は大抵そうすることが最近は多い。
「いい加減、機嫌直しなよ、櫂」
「許せないものは許せないよ。僕の大事な翔があんなぽっと出にとられるなんて」
「でも、あの先生の授業解かりやすいし、すげぇ人気あるぜ。最初の授業ん時、速攻で恋人居ますかーって聞いてた奴居たし。あれは完全に狙ってるね」
 直人の言葉に翔はぴくっと反応する。
「で、恋人居るって!?」
「居ないって」
「やったっ!」
「でもアタック禁止」
「櫂〜〜」
 翔の喜びもつかの間、櫂が冷たい声で水を差す。
「別にそんな意固地になんなくたっていいだろ」
「それが、僕から凪を奪った人間の言う台詞?」
「そんな、人聞きの悪い言い回しするなよ」
 機嫌氷点下の櫂を何とか宥めようとする直人だが、思い切り睨みつけられた。
 元々、櫂は直人のことをあまり気に入っては居ない。凪が初恋の相手だと豪語する櫂は、転校してきた凪に早々とアタックを仕掛け、付き合いだした直人が気に入らないのだ。
 ただ、表面上はそれが軟化したというだけで…。
「でも、今でも櫂は僕の大事な友達だよ」
「凪…」
「だから、機嫌直しなよ、櫂。いくら言ったって、人の気持ちはどうにもならないんだから」
「でも、凪…」
 宥めるような凪と、少し甘えるような口調の櫂に、翔と直人は顔を見合わせて溜息を吐く。
 何処か甘い雰囲気すら漂っているのだ。
「俺、時々この二人のこれが本当に友情なのか怪しくなるんだけど…」
「直人、元気出せよ、大丈夫だって」
 直人は二人を恨めしそうに見ながら呟く。翔はそれを慰めて苦笑した。
「でも、やっぱりアタック禁止」
 その櫂の言葉に、直人を慰めていた翔はがくっと肩を落としたのだった。



 一日の授業が終わり、水落がホームルームの終了を告げると、みんな賑やかな声を上げて、帰っていく。櫂も同じように廊下を出た。
 だが、其処で水落に呼び止められる。櫂は相手を気に入らないながらも、取り敢えずは、無表情を装う。
「何ですか、水落先生」
「君が申請していた、化学室の使用許可が下りたそうです。放課後、許可証を化学の中出先生に取りに行って下さい」
「そうですか」
 自然と冷たい声が出てしまう。
「御園生くん」
「なんです?」
「いえ…どうも、君には嫌われてしまったようですね」
 水落はその時、本当に悲しげな顔で言った。櫂はその様子に目を見開く。
 教師が生徒全員に好かれるなんてことは有り得ない。そんなことは水落だってよく解かっているだろう。それなのに、そんな顔をされると、どうも調子が狂う。
 いや、それ以前の問題だった。櫂はむくむくと自分の中に本当にごく少数しか配置されていない「守ってあげたい」衝動が湧き上がってくるのが解かった。今までは翔と凪限定だったのだけれど…。
 だって、この人は絶対狙われる。
 あの人に狙われる!!
 あの人はしっかりしているように見えて実は天然、みたいなタイプが大好きなのだから!!そんな人間を苛めるのが大好きなのだから!!この人は間違いなく、あの人の好みにヒットしてる!!
 いや、それよりも今!!
(見てる、見てるよ今っ!!廊下の影から!こんな顔見たら絶対狙われるっていうのに!!)
 櫂の肩がぴくぴくと震えるのを見て、水落は首を傾げる。
「御園生くん?」
「いえ、何でもありません。それに、先生のことが嫌いだって言う訳でもありませんよ。ちょっと人見知りするから、慣れるのに時間がかかるんです」
 櫂はにっこりと笑顔を作って水落に言う。そうするとほっとしたような顔を櫂に見せた。
(ダメだ、この人。絶対にダメだ!!)
 あの人はこれを間違いなく見ている。そう、あの榊原乱は!!
 そして、そのことを認識すれば、櫂自身の気持ちも自覚せずにはいられない。
 何せ、あの榊原乱と自分の好みは全く同じなのだから。一度は凪を取り合ったほどである。ようするに、自分の好みにもこの人はクリーンヒットしているのだ。
 最初はあまり気に入らなかったのに、一度気づいてしまうと、どうしようもない。
「それじゃ、水落先生、失礼します」
 櫂は頭を下げて、足早に水落の下から去る。
 それからめまぐるしく頭の中を回転させた。
 どうやってあの人から水落を守るか、それが問題なのである。




「翔!」
 また直人と凪の部屋に居た翔に、櫂は駆け寄る。
「なに、櫂?」
「翔、水落先生にアタックしても、別にいいよ」
「え?」
「ええっ?」
「ホントっ?」
 凪、直人は疑問の声を上げ、翔は嬉しそうに櫂に問い返す。
「うん。だって僕も好きになったみたいだからね。フェアじゃないでしょ」
「え?好きって…」
「うん、だから僕も、水落先生を恋愛対象として好きになったって言ってるんだよ」
「ええっ!?何で櫂がライバルになるんだよ!!」
「昨日まで嫌いって言ってなかった?」
「僕にも事情があるんだよ。それでさ、翔。とりあえず僕と手を組まない?」
 櫂は勢いよくまくし立てる。
「手を組むって?」
「水落先生は大人だろう?僕らみたいな子供、なかなか相手にされないだろう?だから、他の人に手を出されないように、何とか僕らで水落先生を守らないと」
「そ、そっか」
「それに、僕が水落先生を好きになったってことが、どういうことか、翔なら解かるだろ?」
「………」
 櫂の問いかけに、翔は一瞬固まる。
「ひょっとして…榊原先生?」
「そうだよ!あの人の好みにも絶対ヒットしてるんだから!!特にあの人の魔の手から水落先生を守らないと」
「た、確かに。解かった、手を組むよ。で、何をしたらいいの?」
「今の僕達にあの人に対抗する手段はほとんどないからね。とりあえず、あの人と水落先生を二人きりにさせないようにしないと…」
 榊原乱、なんだか凄い言われようである。
「櫂、別に其処まで言わなくても…」
「今までの一番の被害者が何言ってんの!」
「そうそう」
「確かに、否定できねぇなぁ」
 凪が乱をフォローしようとすると、いっせいに三人がそれに反論する。凪は苦笑を返すしか出来ない。これが凪の天然なところだろうと思う。
 水落が凪と同じくらい無防備ではないことを願うばかりである。


 とりあえず、波乱の日々は始まったばかり…。



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