城内の廊下を歩いていると、セシルに呼び止められた。 「シオン」 「セシル…。お前も交代か」 「ああ、暫くな。でも、やっぱり今日も帰れそうにないな」 セシルは深々と溜息を吐いた。 「ユリナの方もか?」 「ああ。まぁ、今は大事な時期だし、仕方ないのは解かってるんだけどな」 「息子の顔が見れないのは寂しいか」 「帰ったって見れないよ。寮暮らしなんだから」 シオンのからかいの言葉に、セシルは苦笑する。 「士官学校は全寮制だからな。でも、今日は週末なんだから帰ってきてるだろう」 「どっこい。うちのセナは気が効くからな」 「? どういう意味だ?」 尋ねるとセシルは機嫌良さそうに笑って前を指差した。 指した先は近衛兵の控え室。軽く人だかりが出来ていて、何事かと思う。近づいていけば、何やら同僚たちが一人の少年を取り囲んでいる。目に鮮やかな赤い髪。あれは・・・。 そう思った途端に少年が振り返った。 シオンたちの方を見て軽く目を見開き、そしてセシルに視線を止めて、名前を呼んだ。 「お父さん」 「セナ、よく来たな」 「それはいいけど、一体近衛隊の人たちに何話してるの…っ?」 「あぁ…ははは」 「誤魔化さないでよ」 むっとした表情でセシルを睨みつけるが、その表情がまた可愛らしい。人だかりの原因は間違いなくこの少年、セシルの息子であるセナだろう。 会うのは初対面でも、その姿は既にみんな見知っている。何せ、セシルとユリナ、二人の親馬鹿ぶりは近衛隊の中でも有名だ。二人が自分の息子の肖像画を見せていない人間など、もう城内に居ないのではないだろうか。 その子が現れて、好奇心の強い近衛の若い連中が大人しくしている筈がない。きっとセシルの親馬鹿ぶりも既に聞いているに違いない。 「門のところでもあっさり通されて、おかしいと思ったんだ…」 「何、役に立ってるならいいじゃないか」 「お父さん!」 真っ赤になって怒鳴っているセナの様子を、セシルは何だかんだで嬉しそうに見つめている。セナもむしろ怒りよりも、近衛隊の中で知れ渡っている恥ずかしさの方が上なのだろう。 何を言っても無駄だと判断したのか、セナは溜息を一つ吐いた。 「はい、着替え。洗い物があるのなら持って帰るけど…」 「ああ、助かる。ユリナのところにはもう行ったのか?」 「これからだけど…」 セナに自分の洗濯物を渡しながら、尋ねるセシルに、訝しげな表情をする。それを見てセシルはにやっと笑った。 「向こうでも多分同じだと思うぞ。ユリナはユリナで肖像画見せびらかしてたからな。いや、女性陣は可愛いもの好きだからもっと大変かもな」 「……お父さん」 「…なんだ?」 「来週は帰らないから」 「あ、おいっ、ちょっと待てっ!!」 セシルが呼び止めるのを無視して、セナはそのまま女性近衛兵の控え室へ向かった。セシルはと言えば、ショックでがっくりと項垂れる。 「来週になれば空きが出るのにーっ、そんなに俺に会いたくないのか、セナぁ…」 「自業自得だろう」 シオンがそう言った瞬間、女性用の控え室から黄色い悲鳴が聞こえた。 「………どう考えてもセナの方が被害者だろう」 「後でユリナに慰めてもらおう」 「親馬鹿夫婦」 セシルの言葉にシオンは呆れ帰って溜息を吐いた。 まぁ、実際セシルやユリナが自慢するのも解かるよく出来た子だろう。気が効くというのも事実のようだ。セシルもユリナも何日も自宅に帰っていないのが解かってわざわざ何も言われずとも着替えを届けにきてくれるあたりが全くよく出来ている。 「それにしても、あの子が俺に憧れてる、と言っていたのは嘘なんじゃないか?」 「何で」 「一度も目が合ってないぞ。お前の隣に居たのに」 「恥ずかしがってるだけじゃないのか?」 セシルの言葉に、シオンは首を傾げる。何か釈然としない。どちらかと言えば、完全に視界から外されていたように思う。 「そんな感じじゃなかったがな」 「むしろ俺への怒りでそれどころじゃなかったんじゃないか?まぁ、俺としてはシオン少将に見蕩れてばかりで相手にされないよりはずっといいけどな」 「馬鹿を言うな」 呆れ返ってそう言うと、セシルも笑みを浮かべた。 「ようやく女性陣から開放されたみたいだな」 セシルが視線を向けた方を見ると、ばっちりとセナと目が合った。逸らすこともなく、セナはぺこりと頭を下げた。 「セナ」 セシルが呼ぶと、セナが近づいてくる。まだ多少雰囲気は怒っているようだが、だからと言って無視しようとはしない辺りは大人だろう。 「何?」 「シオンに、門のところまで送ってもらえ」 「え?」 セシルの言葉に驚いてセナはシオンを見る。シオンとしても、セシルに聞き返したい気分だった。一体どうしてそうなるのか。 「別に一人でも平気だし、シオン少将に迷惑でしょう?」 「大丈夫、今休憩中だから。下手に一人で歩かせたらまた他の近衛に捕まるかも知れないだろう?送ってもらえ」 「誰の責任だと…」 セナは溜息を吐いて言うが、セシルの言いたいことは何となく察せられた。まだ子供らしい愛らしさを残しているが、士官学校を卒業したばかりの近衛兵なら十分守備範囲内だろう。時々礼儀のなっていない、ろくでもないのが居るから用心するにこしたことはない。 何しろ、十人中九人は可愛いと評した、セシルの最愛の息子なのだし、シオンにも異存はなかった。 「行こう。送っていく」 「シオン少将?」 シオンの言葉に驚いたセナに笑いかけて頭を撫でた。すると、セナはぱっと頬を紅潮させた。成る程、確かに憧れている、という言葉は嘘ではないらしい。 先ほど感じた違和感は気のせいなのだろう。 「本当に大丈夫ですよ?」 「いいから、気にするな。どうせ暇だしな」 そう言って行こうと促し、歩き始めると、足早に追いついてくる。身長差のせいか、シオンが普通に歩いていても、セナはどうしても早歩きになってしまうのに気づいて、歩くスピードを落とした。 隣に居ても、セナは何も言わないし、シオンも何を言えばいいのか思いつかなかった。 気まずい沈黙に耐え切れなくなってきた時、不意にセナがシオンに話しかけた。 「シオン少将…」 「ん?」 「あの…」 「シオンーーーーーーーーっ!!!!」 何か言いかけたセナの言葉は、高い子供の声で遮られた。 そして後ろからどかっとぶつかって来たものに一瞬前につんのめりそうになる。 「…クリストファー様……」 後ろからしがみついてきた少年を呻くように呼んだ。 「また部屋から抜け出してきたんですか…」 「うんっ」 しゃがみ込んで視線を合わせると、元気よく返事が返ってきた。今頃それに気づいた乳母やメイドたちは散々探し回っているだろう。 「ダメですよ、勝手に抜け出してきたら。部屋に戻りましょう」 「えーっ」 「みんな探していますよ」 そう言っても、クリスは聞き入れるつもりは全くないようだった。ふっと視線をセナに向ける。そしてぱっと笑顔を見せた。 「お兄ちゃん知ってる。セシルとユリナの子供でしょう?」 「え、ええ…」 「セシルがお父様に肖像画見せてたの、僕も見たんだ」 「国王陛下にまで!?」 セナは驚いているが、シオンはそれ程意外とは思わない。むしろセシルなら真っ先に国王陛下に見せに行っているだろう。 しかし、セナはショックが隠しきれないらしい。 「あ、そう言えば名前何ていうんだっけ?」 「セナ、ですけど」 セナが答えると、クリスはにっこりと笑った。 「ねぇセナ、一緒に遊ぼうっ」 「え?」 「ね、いいでしょ?」 そう言いながら、クリスはセナの腕を引っ張る。セナは戸惑ったようにシオンを見た。 「クリストファー様、ダメですよ。国王陛下やセシル、ユリナにだって許可をとらないと・・・」 「だったら僕、お父様に聞いてくるっ!!」 そう言って方向転換し、クリスは走り出した。 「シオン少将…」 セナが困った顔をしてシオンを見る。 「すまないが、一緒に行ってくれるか?」 「はい」 シオンがそう言うと、微かに溜息を吐いて、セナは頷いてくれた。 「ね、お父様。いいでしょ?」 国王が居る謁見の間につくと、早速クリスがおねだりしている声が聞こえる。 シオンがセナを伴って入っていくと、国王がこちらに視線を向けた。 「すみません、陛下」 「いや、お前が悪い訳じゃないのは解かっている。後ろの子がセシルの子か」 「はい」 頷いて、セナの背中に手をやる。セナは行き成り国王陛下の前に来て、緊張しているようだった。無理もない。矢張り、連れてくるより待たせておいた方が良かっただろうか。しかし、それはそれで問題がある。 国王のすぐ傍にはロベールが居て、面白そうに成り行きを見守っている。その後ろではダナイが控えていた。 「お父様」 「しかしな、セナには学校だってあるだろう?ダメだよ」 「えーーっ」 駄々を捏ねるクリスに、国王はほとほと困りきった様子だった。 「いいじゃないですか、兄上。遊ばせてあげれば。クリスだって、少しでも年の近い友達が欲しいんでしょう。周りは大人ばかりですから」 「ロベール、しかしな…」 「彼はセシルとユリナの息子で身元もしっかりしているし、確か士官学校でも主席だと聞いています。クリスの遊び相手としてはこれ以上ないでしょう」 「それはそうだが…」 ロベールの言葉に、国王は考え込む。 「シオンの時と同じようにすればいいでしょう?暇な時や休みの日にでも、彼がいいと思う時に遊んでもらえれば。セナくんは、クリスと遊ぶのは嫌かい?」 問いかけられて、セナは慌てて首を振る。 「いえっ、そんなことは」 「じゃあ、いいじゃないか。後はセシルとユリナの許可を取れば」 「それもそうだな。シオン、呼んできてもらえるか?」 「……次の謁見まであと三十分ほどではありませんでしたか、陛下?」 ロベールの言葉に国王が頷くと、ダナイが半ば呆れたように言う。 「三十分あれば大丈夫だろう?呼んできてくれ、シオン」 「陛下…」 「いいじゃないか、私だって少し緊張しているんだよ。今日は大事な日だからね。少しはこういう事で緊張を解したっていいだろう?」 「それは、まあ…」 「だから、呼んできてくれ、シオン」 「解かりました」 どうやら本当に呼んでこなければ収まりそうにない。溜息を吐いて、シオンはセシルとユリナを呼びに行った。 二人を連れて戻ると、セナは居心地悪そうに両親を見た。クリスに捕まらなければこんなことにもならなかっただろうと思うと、可哀想になってくる。 「陛下、シオンから一応事情は聞きましたが…」 「ああ、クリスがセナを気に入ったみたいでな。お前たちさえ良ければ遊び相手になってもらいたい。どうだ?」 「それは、私たちとしては異存はありませんが…」 セシルとユリナは顔を見合わせる。 そのセシルたちの答えを聞いて、クリスはぱっと顔を輝かせる。 「じゃあ、セナと一緒に遊んでもいいんだよね?」 「ああ、でも流石に今日はもうダメだぞ。部屋で大人しくしていなさい」 「えぇーっ」 「今日は、大事な日だからね」 「はぁい」 しぶしぶ頷くクリスに笑いかけて、国王はセシルとユリナを見た。 「すまなかったな、いきなりこんなことになって」 「別に構いませんよ。私たちとしても息子と会える機会が増えるのは嬉しいですし」 「最近仕事が忙しくて全然会えなかったものね」 セシルの言葉にユリナが頷いてくすくす笑う。何処までいっても親馬鹿らしい。 「陛下、そろそろ時間です」 「ああ、そうか。じゃぁ、シオン、セナを門のところまで送ってやってくれ。それから、クリスも部屋に連れて行ってやってくれないか」 「解かりました」 国王の言葉に頷いて、シオンはセナとクリスを部屋の外へと促した。セシルはこのまま国王の護衛につくのだろう。ユリナも王妃の所に向かうらしく、部屋の外で別れた。 「すまないな、セナ。嫌だったら断っても良かったんだぞ?」 「いいえ、嫌という訳ではありませんから」 「ならいいんだが」 シオンの言葉にはっきりと首を振ったセナに安心する。あのような場所で否と言える筈もないから、渋々了解したのではないかと少し不安だったのだが、杞憂だったようだ。 年の割りに随分しっかりした子だと思う。まぁ、両親ともに忙しくて、一人で過ごす時間も多かったのだろうから、物分りも良くはなるだろう。その辺りは少しクリスと似ているのかも知れない。 セナの隣をご機嫌に歩くクリスを見て、思わず笑みを浮かべた。以前にロベールが、クリスは見る目があると言っていたが、それは確かかも知れない、と思う。 「このまま士官学校に行くのか?」 「いえ、一度家に帰って洗濯物を…」 そこまで言いかけて、はっとセナが前を向いた。それにつられてシオンもそちらを見る。今日の謁見の客のようだ。シオンは少し緊張して、クリスを傍に引き寄せた。 向こうもこちらに気づいたようで、足を止めた。 「これはシオン少将、お久しぶりです」 「ああ」 短く返事を返すと、相手は苦笑いを浮かべた。 「そう難しい顔をしなくてもいいでしょう。今日の謁見で正式に条約が結ばれれば、黒い翼と白い翼の和解が成立するんです。警戒しないでください」 「それは、解かっているが…」 黒い翼の総帥、レイヤード。そして、後ろに控えているのが腹心であるランだった。実際、今日のために国王陛下もロベールも随分と力を尽くしてきた。しかし、まだ条約は結ばれていない。警戒心は解けなかった。 レイヤード自身は確かに、そう害のある人間にも思えないが、ランは何を考えているか掴めない所がある。だからこそ、余計に不信を感じてしまうのだろうが。 「其処の少年は?見たことがない顔だな」 ランがセナに目を止めて問いかける。ゆっくりセナに近づき、屈み込んで視線を合わせた。 「名前は?」 「セナ、と言います」 問いかけられ、セナは答える。ランの視線を真っ直ぐ見返すセナには警戒心も恐怖の念もないようだった。 「どうして城に居る?」 「両親の着替えを届けに来ただけです」 「両親は近衛か」 「はい」 「お前も、近衛兵になるのか?」 「なりたい、と思っています」 ランの一つ一つの問いかけにセナは答える。それに面白そうに笑ってランはセナの顎を掴んだ。 「黒い翼が怖くはないか?」 「…黒い翼を怖いと思ったことはありません」 その回答に、レイヤードとシオンははっとする。ランはそれほど驚いた様子は見せず、更に問いかけた。 「一度も?」 「はい」 頷いてから、少し笑みを浮かべた。 「だから、貴方のことも怖くはありません」 「…」 「『暴走』するのは怖いけれど、それは、黒い翼の責任ではないでしょう?」 「ふ…っ、全く、こんな子供が居るとはな」 ランはくっくっと喉を鳴らして笑った。けれどその笑いは何処か自嘲めいている。そんなランに、少し悲しそうにセナは微笑んだ。 「貴方は……とても寂しそうに見えます」 「…そうかも知れないな」 「ランっ」 セナの言葉を肯定するようなランの言葉に、レイヤードが焦って声をかける。それに笑い返しながらランは言った。 「レイヤード様、別に貴方の所為ではない。どうにもできないこともある」 「お前…」 「けれど、悪くないでしょう。こんな子が、この国の将来を担っていくのなら」 そう言ってランは立ち上がった。そして軽くセナの頭を撫でた。 「少し長話をしてしまいましたね。行きましょう」 「ああ」 ランに促され、レイヤードは頷くが、何処か釈然としない表情をしている。 そのまま謁見室の方へと向かう二人を見送って、シオンはセナに視線を向けた。不思議な子だ。シオンにとってはランは何を考えているか解からない人間だったのに、セナは「寂しそう」だと言った。しかも、ランはそれを肯定した。 「シオン」 クリスに服の袖を引っ張られ、そちらに視線を向けた。 「レイヤード、優しいよ?この前、遊んでくれたもん」 「…そうですね」 シオンはクリスに笑みを浮かべた。敏感な少年たちはちゃんと感じ取っているのだ。彼らの本質を。 「セナ」 「はい?」 名前を呼ぶと、こちらに視線を向ける。 「黒い翼を、一度も怖いと思ったことがないというのは、本当か?」 「はい」 シオンの言葉に、セナは頷き、少し迷ったようにしてから続けた。 「僕が会った事のある黒い翼は、とても、寂しそうな目をした人ばかりです。そんな人を、怖いとは思えません。レイヤード様は…今は寂しそうではなかったけれど、それは近くにラン様がいるからでしょう?」 「そうか。セナは優しいな」 「そんなことは…」 シオンの言葉に、困ったような、解からないような顔をする。けれど、本当にそう思った。セナは優しい。だからこそ、相手を思いやることが出来るし、黒い翼の多くが抱えている孤独にも気づくことが出来るのだろう。 セナと話した後のランは、シオンが今まで思っていた「得体の知れない」人間ではなく、確かに少し寂しそうに見えた。 そして、人間らしい表情をしていた。 話しながら歩いているうちに、門のところについた。 「それでは、失礼します。送って頂いてありがとうございました」 「いや」 礼儀正しいセナに笑みを浮かべて首を振る。 「バイバイ、セナ。絶対また来てね」 「はい、出来るだけ早いうちに、また」 クリスがそう言うのに頷いて、セナは微笑んだ。 それからシオンの方を見て頭を下げると、門の外へと向かった。 「それじゃあ、お部屋に戻りましょう、クリストファー様」 「うん」 頷いて、それから抱っこして、と手を出すクリスをシオンは抱き上げる。 セシルが言うようにしっかりしていてとても可愛らしい子だったが、何処か不思議な雰囲気の子だった。子供らしい無邪気さを見せると思ったら、不意に何もかも見透かしたような目をする。 ランと対峙していた時がまさにそんな表情だった。そんな表情をしたセナに、自分は真っ直ぐ視線を返せるだろうか。後ろめたいことは何もないと思うのに、何処かで何かしてしまったのではないかと後ろを振り向きたくなるかも知れない。 ともあれ、また近いうちに会うことになる。 それが嬉しいような、後ろ暗いような、妙な気分だった。何かがざわり、と自分の胸の裡を撫でていったのだった。 士官学校の寮の入り口のところで、後ろから急に抱きつかれた。 「セナーっ!」 「うわっ」 ちょっとした衝撃に驚いて振り返ると、すっかり見慣れた顔だ。いや、セナにこんなことをしてくるのは彼ぐらいしか居ないのだけれど。 「…キーア。…一体何?」 「つれないなぁ、久しぶりの再会だっていうのに」 「会わなかったのは昨日だけだと思うけど」 「冷静に突っ込むなよ」 そう言ってからようやくセナから離れた。キーアはセナとは寮で同室の友人だった。明るい金髪に、綺麗な緑色の目をしている、ぱっと見でも華やかな雰囲気を持っている少年だ。 士官学校は全寮制で、通常四、五人が同じ部屋で暮らしているが、各学年の主席と次席は二人部屋になる。セナは主席、キーアは次席で、入学した頃からずっと同室だったから、自然と親しくなった。 「お城に行ったんだろ?シオン少将には会えた?」 「うん」 「いーなーっ、カッコ良かった?近くで見るとやっぱり大きかった?」 「うん、凄く」 羨ましそうに聞いてくるキーアに思わず笑みが浮かぶ。近衛連隊長のシオン少将は近衛兵を目指す少年の憧れの的だ。例に漏れず、キーアもセナも憧れを持っている。そんなシオンと近くで話せただけでも夢のようなことだった。 ただ、気にならないことがない訳ではないけれど…。 「でも、何かお父さんたちが僕の肖像画皆に見せてたみたいで…」 「ああ。親父に聞いたことあるな。セシルさんに見せびらかされたって」 「…もっと早く教えてよ。凄く恥ずかしかったんだから。皆僕のこと知ってるんだもん」 「だって知ってると思ってたからさ。でもうちの親父だって恥ずかしいぜ。『うちのキーアの方が可愛い!』ってその後セシルさんと喧嘩になったらしいから」 「それ、キーアのお父さんが言ってたの?」 「んにゃ、親父の同僚の人。流石にあの時はオレも恥ずかしかったぜ。セシルさんにしてもうちの親父にしても、親馬鹿だよなー」 キーアの父親も近衛兵をしている。部署は違うらしいが、同じ年の子供を持つ所為か、それなりにセシルとは親しくしているらしい。 それにしても、恥ずかしい父親たちだ。 「あのね、キーア」 「ん?」 「僕、クリストファー様の遊び相手、することになったんだ」 「……………はぁ!?」 沈黙の後、本気で驚いた声を出してセナの顔を見るキーアの口を慌てて塞ぐ。 「もうちょっと、静かにしてよ」 「ちょっと待てよ、だって、何でそういうことになる訳!?」 「声小さくして…、お願いだから」 「…悪い」 そう言ってキーアはちろっと辺りを見回す。取り合えず、誰にも聞かれては居ないらしい。 「んで、何でそういうことになったんだよ?」 「偶然と成り行きで…」 「わかんねぇって、それじゃ」 そう言って、隣を歩くキーアに軽く見下ろされる。精々五、六センチなのだけれど、キーアの方が背が高い。近くを歩いているとよく解かるから、実はそれがちょっと悔しかったりする。大体にして、セナは同級生の中でも小柄な方だった。 「偶然なんだよ、本当に。シオン少将とお城の廊下を歩いていたら、クリストファー様が来て、それから何でか解からないけれど遊び相手にって…あっという間に」 「……絶対それ、他のやつらに言うなよ?」 「言わないよ。でも、すぐに知られるだろうけど」 「…噂広まるの早いからなぁ」 キーアとセナは揃って溜息を吐く。 クリスの遊び相手なんてそれこそ、士官学校に通っている誰だってやりたいと思うだろう。それこそ、まだ三歳で幼いにしても、とても綺麗な容姿をしているし、それで気に入られればそのまま王太子付きに、と考える者も居るだろう。 セナとしては其処まで考えては居ないけれど、矢張り純粋に嬉しいと思う。 矢張り国民にとって王族は憧れだから。 今日一日あったことを色々考えると本当に目まぐるしくて、疲れてしまう。黒い翼のレイヤードとランに会ったことにしてもそうだった。何故ランが自分に興味を持ったのかは解からなかったけれど、もしかしたら何か気づかれたのかも知れない。 ランに言った言葉は嘘ではないけれど、本当にそれが全てだろうか、と自分で考えてしまう。 黒い翼は寂しそうだ。同族同士傍に居ても癒されない孤独があるのだろう。それはきっと、無理矢理元々居た家族や友人と別たれた寂しさなのだ。 誰も望んで黒い翼が生える訳ではないのだから。 「おい、セナ?」 「…え?」 「どうした、ぼーっとして」 「あ、うん。今日はちょっと色んなことあったから、気疲れしたのかな」 「気疲れには身体の疲れ。手合わせしようぜ。オレ、先生に言って道場の鍵借りてくっから」 「…そうだね」 キーアの明るい提案に、セナも頷く。 「んじゃ、早速行って来る。セナは先に道場に行っててくれよ」 「うん」 「今日は負けないからなーっ!!」 既に先に走り出しているキーアの言葉に思わず笑みが零れる。今のところ、キーアとの手合わせは三回に二回はセナが勝つ。 だからこその言葉なのだろうけれど、根に持ったりせず真っ直ぐに前に向かって進むキーアと一緒にいるのは快い。 あまり考え込んでばかり居るのもよくないと、頭を振って先ほどまで考えていたことを追い払う。 そうして、セナは道場に向かって歩き出した。 |