太刀風 前



「近衛兵の剣術大会?」
 来栖が素っ頓狂な声を出す。
 それは、ある日突然出された計画案だった。
 ウィンフィールド王家に仕える近衛兵全てでトーナメント形式で剣術の対抗試合を行わないか、というものだ。一般の国民も見れるように公開式に。
 ルールは簡単。お互い剣を使い、相手が参ったというか、剣を落とすか、さもなくば審判が止めるまで。
 別にこの案自体に異議を唱えるつもりはないが、この案を出してきた人物が意外で、思わず声が裏返ってしまったのだった。
 何しろ、王家に仕える近衛連隊長、セナ中将はどう考えてもそういう粗雑というか、暴力的…と言っては人聞きが悪いが、ようするに体育会系のノリの試合にはイメージが合わない。
「ええ、陛下も常々この国には娯楽が必要だ、と言っていたでしょう?それぞれの近衛兵の実力を見ることも出来ますし、観衆も楽しめると思うのですが」
「まぁ、それはオレも別に構わないけどな」
 計画案では時期は一ヶ月後になっている。近衛兵もそれなりに数が居るから、何日も使っての大々的な催しになるだろう。勝ち負けの解かりやすい試合は確かに国民も見ていて楽だろうし、命のやりとりではないから心配もない。
「それってお前も出るんだろ?」
「ええ、勿論」
 頷く瀬那に顔を顰める。
「確かお前、剣術はあまり得意じゃないとか言ってなかったか?」
 そう、一番の懸念はそれである。仮にも近衛連隊長なのだから、簡単に負けてもらっては困る。いくら得意分野が違うとはいえ、そう簡単に他の近衛兵に遅れを取るようでは連隊長は務まらない。というか、他の近衛兵がついてこないだろう。
 その来栖の懸念も何処吹く風。瀬那はにっこりと笑って言った。
「ええ、ですから……」














 来栖は苛立たしげに廊下を歩く。
「なーにが、『暫く夜間の護衛は遠慮したいのですが』だ。ようするに一ヶ月の間お預けってことじゃねーか!」
 瀬那と来栖は近衛兵と国王という関係だけではない。恋人同士だ。それが夜会えないということは、つまり練習に打ち込むから一ヶ月我慢しろ、ということに他ならない。
 実際、瀬那が考えていることも解からないではない。
 来栖や紫苑などは以前から知っていたとはいえ、一般国民や他の近衛兵にしてみれば瀬那の近衛連隊長就任はあまりにも突然に思えるものだったに違いない。そのためか、あまり良くない噂が近衛隊のみならず、市街の方にまで伝わっているのは来栖も知っている。このまま放っておいては近衛隊が纏まらなくなってしまう。
 だからこそ、専門外である剣術の試合―――しかも一般公開なのだから、国民も大勢見に来る―――でそれなりの成績を上げれば、悪い噂も自然と消えるだろう、ということだ。
 そのための努力なら、来栖も協力は惜しまない、が…。
「それならオレが教えてやるってのに…」
 剣術の腕ならそこら辺の近衛兵よりはよっぽど自信がある。けれど瀬那は「国王陛下に武術の指南を受けたのでは近衛兵の沽券に関わる」と、あっさり断られたのだ。
 言っていることは至極もっともなのだけれど、矢張り一月もお預けは辛い。
 来栖は深々と溜息を吐いた。
 その時、ふと廊下の向こうから声がした。
「セナ!」
 愛しい恋人の名前を呼ぶ声に、自然に聴覚が反応する。
 このウィンフィールド城でセナを呼び捨てにする人間は限られている。国王であり恋人である来栖や、補佐官の紫苑、養父のダナイぐらいで、他は皆「セナ中将」と呼ぶ。けれど、瀬那の名前を呼んだ声の主は、その誰とも違っていて、思わず気になって様子を伺った。
 廊下の角を曲がった先に、瀬那が誰かと話しているのが見える。
「剣術大会、決まったんだって?」
「ええ。一ヶ月後に」
 どうやら瀬那とは気安い仲のようだが、来栖は見たことがない顔だった。
 明るい金髪に緑色の瞳をした、年は恐らく瀬那と同じぐらいの、長身の青年だった。紫苑程ではないにしても、瀬那よりは僅かばかり身長が高く、一緒に並んでいても全く遜色のない容姿だった。
 着ている服は近衛兵のものだから、恐らくは最近入隊したばかりなのだろう。
「一ヶ月かぁ…長いような短いような、だな」
「まぁ、仕方ないよ。それでキーア、お願いがあるんだけど…」
「解かってるよ、街外れの道場、借りれるようにお願いしといたから。今夜から特訓だな」
「有難う」
 その会話を聞いて、来栖はムカっとする。
 瀬那がキーアと呼んだ男の馴れ馴れしい態度も腹立たしいが、何よりその会話の内容からして来栖相手には断った剣術の稽古をあの男に瀬那は頼むらしい。
 何より、瀬那がタメ口なのだ。
 そんな相手、レオン以外に見たことがない。レオンだって義理の弟で、また小さいからこそなのだろうし、瀬那はいつだって部下にも年下の相手にも敬語を使っているのだ。
 それなのに、あのキーアという男にはタメ口で会話している。
(一体どういう関係なんだ、あいつら!?)
 来栖のことには気づいていない様子の二人が親しげに会話をしているのを見ながら、苛立ちは限界に到達しつつあった。
 その時、不意に後ろから声をかけられた。
「陛下?」
 はっとして振り向くと、紫苑が後ろに立っていた。
「こんなところで立ち止まってどうなさいました?」
「なぁ、シオン。あのセナと話してるヤツ、誰だか知ってるか?」
「え?…ああ、キーアのことですか」
 来栖の視線の先を見て紫苑は得心したように頷く。
「最近入隊したばかりの近衛兵ですよ。どうやらセナが士官学校に通っていた頃の友人らしいですね」
「ふーん…」
 士官学校の友人…と聞いてもイマイチぴんと来ない。瀬那に友人、という図柄が想像できないし、友人だからと言って敬語を使わない、と言えば納得できるようで居て瀬那の性格からして学生時代のクラスメートでも敬語を使っていそうな気がする。
 それとも、そんなことも越えて親しい仲、ということなのだろうか。
 恋人である自分にでさえ、瀬那はいつだって敬語を使っているというのに。
 矢張り何となく面白くなくて、来栖はその日一日不機嫌に過ごすことになるのだった。その被害を被ったのは間違いなく、紫苑とレイヤードの補佐官二人だったのだが。



 翌日。
 来栖は何となく手が空いて、近衛隊の訓練を覗きに来た。
 一ヶ月後に剣術大会を控えていることもあり、どうやら剣の鍛錬を主とした内容のようだった。
 瀬那が来栖がやってきたのに気づいて声をかけて来る。
「陛下。珍しいですね、わざわざ訓練を見に来るなんて」
「ま、剣術大会もあるからな。どんなもんかと思ってさ」
 そう言って訓練している近衛兵達を見回す。今は一対一の打ち合いをしようとしているところで、それぞれ目の前の相手に集中していてまだ来栖が此処に来たことには気づいていないらしい。
 何より、剣術大会でいい成績を残せば、自分達の出世も望めるのだ。実力を示せるいい機会なのだから、そのための練習なら熱くもなるだろう。
「セナからみて、優勝候補って居るのか?」
「そうですね………一番奥の左側にいる二人が見えますか?」
「ああ」
 結構な人数が居るから、全体を見渡すためにそれなりに高い所で監督しているのだが、一番奥の方ともなれば目につきにくい。
 しかし、その瀬那が差した二人のうちの一人が、昨日のキーアという男だと気づく。
「左側の…黒髪で体格のいい、バレルと言う名前の近衛なのですが、得意分野に剣術を指定している者の中では一番の実力者です。重量のある体格にしては動きも機敏ですし、隙のない身のこなしと確かな技術を持っています」
「ふぅん…もう一人の方は?」
 何気ない調子で尋ねてみる。瀬那の様子を伺ってももう一人を説明していた時とは大して違いがないように思えた。
「キーアは本来槍術が得意なのですが、剣術の腕前もかなりのもので、バレルの相手をまともに出来るのは彼ぐらいでしょう」
「槍が得意なやつに剣が得意なやつが負けてていいのかよ…」
「仕方ありません。キーアは以前は郊外の村で傭兵のようなことをしていたそうで、実戦経験が豊富です。その場に合わせた武器を上手く使いこなせるんです。矢張り実践で鍛えていると臨機応変に動けるので、其処が強みになるでしょう」
「…あっち、近づいても問題ないか?」
「そうですね。陛下が来たとなれば皆気合も入るでしょうし」
 そう言って近衛兵に近づいていく。流石に来栖が近くに居ることに気づいたようで、みんなはっとしてこちらを向いて礼を取る。
「ちょっとした見学だ。気にせず続けてくれ」
 来栖がそう言うとまたそれぞれ目の前の相手に集中する。まだ打ち合いは始まっていないようで、ただ睨みあっているだけだ。
「この組み合わせって、セナが決めたのか?」
「ええ、そうですが?」
「ふぅん…」
 流石に見る目がある。
 同程度の実力のもの同士を打ち合えるようにちゃんと見ているのだろう。
「んで、今は何をしてんの?」
「相手を見ることによって気を集中しているんです。私が合図すれば、すぐにでも始められるように」
「見詰め合っている時間が長いと気味が悪いぜ?」
「その程度で集中力をかくようでは近衛兵は務まりませんよ」
「厳しいことだな」
 来栖は思わず苦笑いを浮かべる。
 そうして歩きながら瀬那が話していた二人にも近づく。
 近づいてみればよく解かるが、身長差は然程ないにしても、どちらかと言えば細身のキーアに比べてバレルはかなりいい体格をしている。紫苑と張れるのではないだろうか。
 邪魔にならないように距離を置いて、二人の様子を見ることにした。


 国王陛下の見学、ということで、近衛兵たちはそれこそいきり立っていた。そんな中、キーアはどちらかと言えば飄々とした体をしている。
 厳つい顔つきで睨みつけてくる目の前の男に視線を合わせる。
「全く、セナ中将も見る目が無いもんだな。俺がお前程度のヤツと組むなんてよ」
「…見る目がないかどうかは、実際に手合わせしてから決めろよ」
 バレルの言葉に、瀬那に対する侮りを感じ取り、キーアは眉を顰め、言葉を返す。それに対し、向こうも些か気が立ったのか、口調が荒くなる。
「てめぇは槍使いだろうが。剣の腕で俺に敵うモンはいねぇぜ。てめぇなんか五秒で倒せるさ」
「…五秒。そりゃ凄い」
 意気込んだ男の言葉に、キーアは揶揄を含めた笑みを浮かべる。
 その言葉に、バレルは一瞬顔を怒りで赤く染めた。そんなバレルの様子を冷ややかに見ながら、キーアは剣を構えなおす。
「セナ中将に見る目があるかないか、実際俺と戦って決めるんだな」
「てめぇっ!」
 バレルの怒りも限界に到達したらしい。
 多分、自分達の会話はこちらの様子を見ている瀬那達には聞こえていないだろうが、バレルの顔が怒りに満ちているのはバレバレだろう。
 すぐに感情を乱すのは、近衛兵に相応しくない、というのがキーアの持論だ。冷静な判断を誤るようではまだまだだ。剣の腕はいいか知らないが、精神面が追いついていない。
 バレルは今にも飛び掛らんばかりで剣を構えた。その時、丁度よく瀬那の声が聞こえた。
「始めっ!」
 低く澄んだ声が場に響き、一瞬にして打ち合いが始まる。
 バレルもその声を聞いた途端に剣を振るってきた。キーアはそれを受け止め、受け流す。重量はあるが、スピードならキーアの方が上だ。
 更に切りかかってくるバレルの剣を薙ぎ払い、今度はキーアの方が攻勢に出る。バレルに向かい剣を振り下ろすと、キンッ、と堅い金属音がして剣がぶつかる。
「五秒で俺を倒すって言ったな。とっくに過ぎてるぜ?」
「るせぇっ!!」
 カッとなったバレルがキーアの剣を押し返す。
 しかし、感情的になっていることで、あちこちに隙が出来ている。が、すぐに決着をつけても面白くない。少し頭を冷やしてやらなくては、こちらの練習にならない。
 こちらに向かってくるバレルの剣を打ち返し脇を掠めるように振り下ろす。寸でのところで避けたバレルがキーアと間合いを置く。表情が怒りから冷静な、剣士の顔に変わった。キーアが態と太刀筋をずらさなければ、確実にそこでバレルはやられていただろう。
 それを感じ取って、バレルも自分がいかに冷静さを欠いていたか理解したようだ。
「そうそう、隙だらけの相手を倒したってつまんねぇからな」
「……てめぇ」
 低く抑えた声が怒りを表しているが、流石にもうそれに任せて剣を振るったりはしない。それなりに修練を積んでいるだけはある。
 しかし、恐らくは何処かで習ったのであろう太刀筋は読みやすく、数ある手練に打ち勝ってきたキーアにしてみれば、楽な相手だ。
 けれど、流石に簡単にはやられてくれない。近衛兵の中で一番の剣術家を自称するだけはある、ということだろう。何度か剣を打ち合わせながら、相手を観察する。向こうの方が腕力がある分、まともに受けていてはこちらの体力が削られるだけだろう。
 一度間合いを取って相手の隙を探る。
 暫くの間睨み合い、しっかりと地面に足をつける。ピリピリとした緊張感が空気から伝わってくる。強い相手と戦う時は大体こうだ。キーアはこの空気が好きだった。白い翼の王家が黒い翼に乗っ取られた時から、戦いに身を投じることで生きてきたのだ。
 何よりこの瞬間が、自分が生きているということを強く感じることが出来る。
 じりっと睨みあっていたバレルの足が動いたのに気づいて、キーアは一気に間合いを詰めた。キンッっと金属が打ち合う音がしたかと思うと、キーアはすぐに剣を引き今度は左脇を狙って剣を振るう。寸でのところで避けたバレルとの間合いを更に詰め、咄嗟に避けた所為で足元が覚束ない間に足を掛ける。流石にそれは避ける事が出来ず、バレルはその場に尻を付いた。さっとバレルの顔の前に剣を向ける。
 キーアのスピードを生かした攻撃にバレルは付いていくことが出来ず、剣先を目の前に突き付けられれば、最早動くことは出来ない。
 此処でキーアの勝利が決した。
「前言、撤回しろよ、バレル」
 にやりと笑ってキーアは剣を引いた。
「くっ」
 悔しげに呻いて、バレルは拳で地面を叩いた。


 一連の戦いを見ていて、流石に来栖も息を呑んだ。
 それは周囲で手合わせしていた者たちも同様で、いつの間にか二人の戦いに見入っていた。確かに、それだけの価値のある試合だった。
 しかし、バレルにとってその事はかなりプライドを刺激したのだろう。悔しげに顔を歪める。剣使いが槍使いに剣で負けるなど、情けないことこの上ない。それだけ、キーアの実力が群を抜いているということだろうが。
「槍使いに負けるなんて…今まで俺が鍛えてきたのは何だってんだ!」
 プライドが傷つき、自信を喪失したらしいバレルに、キーアも流石に何とも言えぬ複雑そうな表情を浮かべる。しかし何も言えないのは、負けた相手に励まされても嬉しくないのが解かるからだろう。
 そこに、瀬那がバレルに近づき、手を差し出した。
「負けて悔しいのなら、更に鍛えるしかないでしょう?」
「んな簡単に…っ!」
「簡単じゃないからこそ、強くなるんです。負けて悔しいなら、悔しいままが嫌だと思うのなら、強くなって次は勝ちなさい。努力次第で、貴方はまだまだ強くなれますから」
 優しい笑顔でそう諭す瀬那に、バレルは一瞬呆けたような顔をする。けれど、すぐにはっとして、差し出された手を掴んで立ち上がる。
「剣術大会まで一ヶ月あります。頑張ってくださいね」
「は、はいっ」
 瀬那の言葉に勢いよく返事をするバレルの頬は戦いの後というだけでなく紅潮している。来栖としては、かなり面白くない。
「あーあ、罪作りなヤツ…」
 ボソっと呟いたような声が聞こえてキーアを見ると、仕方なさそうに苦笑いを浮かべているのが目に付いた。その表情が何だか面白くない。
 しかし、その不機嫌に瀬那は気づいた様子もなく、近衛兵たちに練習を再開させた。
 来栖ももうこれ以上見ている気にはなれず、執務室に戻ることにした。ムカムカとした何とも言えない気分を引きずりながら。




 すっかり日も暮れた夜の街に、そっとワープゾーンが開かれる。
 路地裏に現れた来栖は誰にも気づかれていないかと周囲を見回すが、表通りの喧騒と違い、そこはひっそりと静まり返っていた。
 上手く城を抜け出せたことにほっと息を吐き、そして目当ての場所へと急いだ。
 キーアは街外れの道場、と言っていた。それだけで場所を特定することは難しいが、瀬那の行動範囲から大方の予測はつく。それで一つの道場に目算をつけて、こっそり様子を伺うことにしたのだった。
 ようするに覗き見である。
 何より恋人である来栖を差し置いて瀬那と夜に二人きりで会っているなんて面白くない。いくら古い友人とはいえ、瀬那にしても警戒心がなさ過ぎる、と何のかんのと理由を並べ立てても、一言で表すなら嫉妬しているだけである。
 何しろ瀬那はあの通り、普段はちょっとしたことでも見逃さないぐらい鋭いくせに、自分のことになるとてんで鈍い。自分に好意を持っている人間が近づいてきても全く気づかない。更に親しい友人となれば警戒心など無いに等しいに違いない。そんな状態で二人きりで練習など言語道断である。
 そして、来栖は目当ての道場で、予想したとおり二人の姿を見つけた。
 こっそりと中の様子を伺うと、今は木刀で打ち合っている所のようだった。
 冷たい木の床に素足をつけながら、二人は木刀を振るう。
 少し様子を伺っていれば、キーアもバレルと打ち合っていた時ほどの実力は見せていない。瀬那のレベルに合わせているのだろう。だが、瀬那にしても苦手という割りには様になっていて、心配するほどのことではない気もするが。
 木刀のぶつかり合う音と、床板を踏む音ばかりが響く中で、ふっとキーアの意識が外にずれた。
「陛下…」
「え?」
 キーアの呟きに反応して、瀬那の視線がこちらの方へとずれる。
「隙あり!」
 そう言ってキーアが瀬那の頭の上へ木刀を振り下ろし、当たる寸前でぴたっと止める。そして軽くコツと頭に当ててから笑みを浮かべる。
「どんな時でも剣を交えている時は相手から視線を逸らすなよ。一瞬の隙が命取りだぜ?」
「う…」
 反論も出来ずに黙る瀬那にキーアは笑って、来栖の方へ視線を向けた。
「陛下も、そんなところで見てないで、中に入ってきては如何です?」
 そう誘われて、来栖は無言で道場に入る。
「それにしても、どうしたんです?こんな所まで」
「…そりゃ……」
「セナが心配で見に来たんでしょ?」
 来栖が答えあぐねていると、キーアが代わりに見透かしたように言う。それに、一瞬瀬那は目を見開いて、それからにっこりと笑う。
「大丈夫ですよ、そう簡単に負けたりはしません。そのためにキーアに特訓に付き合ってもらっているんですから」
「…陛下の心配はそれじゃないと思うけど」
「え?」
 見当違いの方向に安心しろと言う瀬那に、キーアがぽつりと呟く。それに疑問を返した瀬那に、ポンっと肩に手を置く。
「いいや、もう…お前はこのままで居てくれよ、な?」
「一体、何?」
 訝しげに尋ねるが、キーアは答えない。
 というか、こっちを無視して勝手に話を進められるのは非常に面白くないが。
「まぁ、丁度いいから少し休憩しようか」
「うん…」
 瀬那はまだ納得のいかないような顔をしながらも頷いた。
 二人が腰を下ろすのに続いて、来栖もその場に座る。何だか、この二人と居ると、自分の居場所がないような気がしてくる。とても、間には入れないような信頼関係が其処にある気がして、居心地が悪い。
「仲、いいんだな」
 来栖が呟くと、瀬那が一瞬驚いた顔をしてから微笑んだ。
「ええ、士官学校の寮で同室だったので、その頃からの友人ですし」
「ふーん、じゃ、その頃は四六時中一緒に居たワケだ」
「まぁ、そうですね…別行動する理由もないですし」
「そりゃ、仲良くて当然だよな」
「…陛下?」
 最初は笑って話していた瀬那も、段々来栖の不機嫌に気づいてきたのか、訝しげな表情になる。
 来栖の知らない、子供の頃の瀬那を知っていて、いつも傍に居た。しかも嬉しそうな笑顔までつけば、嫉妬せずに居られる筈がないというのに、瀬那はそれに気づかない。
 それが瀬那らしいと言えばそれまでなのだけれど。
「セナと陛下も随分親しいじゃないですか」
「え?」
「心配でわざわざ様子を見に来るくらいなんだし」
 な?と同意を求めるようにキーアが瀬那に振ると、困惑したような表情を見せ、曖昧に頷く。流石に友人とはいえ、恋人同士であるなどということは言えないらしい。
「そりゃ、まぁ…連隊長に任命したのはオレなんだから、責任があるっつーか…」
「だったら、何で任命したんです?」
「え?」
「前からお知り合いだったんでしょ」
「……」
 確信に満ちた言葉に、来栖は何とも言えずに黙り込む。こいつ、武道ばかりの筋肉馬鹿かと思ったら、かなりの食わせ者だ。
 瀬那が来栖と共にウィンフィールドを黒い翼の手から救った仲間だということを知る者は少ない。だからこそ、口さがない噂も絶えないのだ。来栖は別に言っても構わないのだが、瀬那がそういう己の行いを自慢して回るようなことを好まないため、言わずに居るというだけに過ぎない。
「まぁ、いいですけどね。俺はセナがセナなら、別に、誰と親しかろうと」
「なら聞くなよ」
 言葉通りの意味なのかも知れないが、何となく自分の嫉妬心を論われているような気がして、憮然として呟いた。それに気づいているのかいないのか、キーアは明るい表情を崩さない。
「いいじゃないですか、ちょっとした好奇心ですよ」
「キーア…」
「だって、十数年ぶりの再会だぜ?これまで何してたのか、とか気になるのは当然だろ?」
「何って。それは…」
「気になるけど、言いたくないなら言わなくて良い」
 瀬那の困った顔に笑って見せながらキーアは言う。
「最初は変わったのかなーと思ってたけど、根本的なとこは全然変わってないってのは、よーく解かったからな」
「……全然変わってないっていうのも、それはちょっと、どうかと…」
 即ち成長していない、とも取れる言に、瀬那は複雑そうに苦笑いを浮かべる。
「実際、最初に手合わせした時は下手になったんじゃないかと思って驚いたけどな」
「……キーアが強すぎるんだよ」
「昔は苦手って言ったって他と比べてであって、それでも平均よりは上だっただろ。苦手だからって手をつけてないから腕も鈍るんだよ」
「キーアに言われたくない。苦手でもやれって言うなら射撃の訓練もちゃんと出なよ」
「俺は近距離でやりあう方が性に合ってるんだよ。それに俺は接近戦専門だから、撃てなくたっていいんだよ」
「…屁理屈というのにも無理がある」
 瀬那の突っ込みに、キーアはべっと舌を出してみせる。それからまた笑って、
「でもま、最初の頃に比べたら見違えたよな。流石セナ」
「褒めても何も出ないよ」
「本当のことを言っただけだって」
 そう言って笑い合う二人に、また面白くない気分になる。
 キーアと話している瀬那は、本当に子供の頃に返った様に時折幼い表情をする。それは瀬那がキーアに敬語を使っていない所為なのかも知れないが、養父のダナイや、恋人の来栖にさえ見せないような、何処となくキーアという存在に甘えているような、そんな表情。
 瀬那がこんな風に誰かと軽口を言い合うなんて、思いもしなかった。
「さて、あと一本打ち合って今日は終わろうか」
「え?いつもはもっと…」
「陛下をお一人で帰らせる訳にもいかないだろ。遅くなっても困るし」
「ああ、うん」
 はっとしたように来栖を見て、瀬那は頷いた。
「オレは一人でも帰れるぜ?」
「そうはいきませんよ。お送りします」
 来栖がそう言うと、瀬那は生真面目な表情でそう言う。そうされれば、来栖も別段反抗する気にもなれない。ただ、送られ狼にはなる可能性があるな、と考えたりはしたが。
「陛下はそこで見ていてください。剣の腕も相当なものと聞きましたから、アドバイスがあればぜひ聞きたいですし」
 そう言ってキーアは立ち上がる。
 煽てているのか、挑発しているのか、どちらだろう。
 瀬那が続いて立ち上がり、木刀を構えて向かい合う。互いに意識を向け、集中する。しん、と物音一つない静寂が残り、それが緊張感を齎している。
 来栖は息を殺して二人を見つめる。
 ダンッと大きく足を踏み込む音がして、キーアが先に動いた。それに合わせたように、瀬那も足を踏み出す。キーアが打ち込めば瀬那がそれを防ぎ、瀬那が切りかかればキーアがそれを受け流す。
 実力で言えば、明らかにキーアの方が上だろうが、瀬那も負けてはいない。キーアの攻撃を受けながらも、隙を見つければ打ち込む。キーアも決して力任せに攻めることはせず、互いに相手の動きを見て隙を伺う。
 そんな二人の攻防を前にして、ふと来栖は奇妙な既視感に襲われる。
 瀬那の剣さばき、動き方、それが何処かで見たことがあるような気がするのだ。それが何処でだか思い出せない。紫苑のものとは違うし、翔や来栖のものとも勿論違う。身近に居る人間と重ね合わせては見るけれど、どれも合わないし、当然今向かい合っているキーアとも違う。
 キーアは頭も使うがどちらかと言えば力とスピードで相手を押していくのに対し、瀬那は繊細な動きで相手のミスを誘う。
 こんな動き方をする人間を、確かに何処かで見たことがある筈なのに、思い出せない。
 いつの事だったのだろう。
 そんなことをつい考え込んでしまっている間に、キーアが瀬那の木刀を弾き飛ばした。カンッと床に転がったのを見て、決着がついたことを知る。
 見てみれば、二人の様子は対照的だ。まだ余裕のありそうなキーアに比べ、瀬那は随分と息を乱している。キーアの腕はかなりのものだと、来栖も思う。きっと翔ならばキーアの腕前を見れば尻尾を振って対戦を申し込むだろうぐらいに。
「お疲れさん」
 そう言って壁際に置いてあるタオルを瀬那に投げる。瀬那はそれを受け取り、汗を拭う。
「有難う御座います」
「これなら、剣術大会も何とかなりそうじゃん?」
「いえ、まだまだです。他の近衛兵達だってそれこそ必死に練習しているんですから。もっと頑張らないと」
「だからって、根を詰めすぎるなよ」
「はい」
 来栖の言葉に瀬那は素直に頷いて微笑む。
 その二人の様子を横目に見て、キーアは自分の荷物を手に持った。
「んじゃ、とっとと出ろよー。ちゃんと鍵掛けとくように言われてんだから」
「うん、解かった。それじゃあ陛下、出ましょうか」
「ああ」
 キーアに急かされ、瀬那に促され、来栖は道場の外に出た。しんとした夜の空気が肌に心地いい。先ほどまでの息が詰まるような対戦を見ていたから余計かもしれない。それは、実際に手合わせしていた二人の方が実感しているだろうが。
「じゃ、俺はこれで。セナ、ちゃんと送ってけよ」
「解かってる」
「それじゃあ、失礼します」
 鍵を閉めたのを確認して、キーアは深々と頭を下げ、走って帰っていった。
「それでは、私達も帰りましょうか」
「ああ」
 瀬那に促され、来栖も城に向かって歩き始める。
「…別にワープゾーン開いて帰っても構わないんだぜ?疲れてんだろ」
「いえ、キーアにちゃんと送れと念を押されましたしね」
 実際疲れていない筈はないだろう。昼間は近衛連隊長として働いて、職務が終わった後は剣術大会のために訓練を重ねているのだ。だが、瀬那はくすりと笑ってそう言う。何だかそれが面白くなくて、少し忘れかけていた苛立ちが甦る。
 来栖は隣を歩いてる瀬那の腕を掴み、路地裏へと連れ込んだ。
「陛下っ!?」
「黙れよ」
 突然のことに慌てる瀬那を抱き寄せ、キスをする。
 驚いて硬直しているのも構うことなく深く重ね合わせる。堅く引き結ばれていた唇に無理矢理舌を割り込ませ、口腔へと進入させる。そのまま歯列を割り、舌を絡めると、僅かな抵抗の後、瀬那もキスに答え始めた。
「ん…ふ…っ」
 熱い吐息が漏れたのを聞いて、口唇を離す。苛立ちも、幾分か和らいだようだった。
「一体、どうしたんですか?突然…」
 潤んだ眼差しで問いかけてくる瀬那が余りにも色っぽくて、もっと欲しくなったが、それは必死に自制する。流石に今はそれは出来ない。
「別に、ちょっとキスしたくなっただけ」
「…?」
「流石にこれ以上はしねーよ。剣術大会控えてんのに無茶は出来ねぇしな。ま、オレとしては今すぐにでもセナを抱きたいんだけど」
 そう言って笑ってやると、一瞬にして瀬那の顔が朱に染まる。
 その反応で、間違いなく瀬那の心が自分の所にあるのを確認する。そうしなければ安心できないことが少し癪なのだが、キーアと瀬那の仲を見ていると、どうも親しすぎる気がして不安になってしまうのだ。
 少なくともキーアは瀬那に友情以上の感情を持っているのではないだろうか。
「クリストファー様…」
「んじゃま、帰るか。送ってってくれんだろ?」
「あ、はい」
 来栖がそう促すと、まだ若干頬は赤いままだが、瀬那は頷く。その様子が可愛くて、思わず笑みが零れる。歩き出す来栖に合わせて、瀬那も歩く。
 何もしゃべらないまま、けれど何処か暖かい空気が流れたまま、城までの道を歩いた。


















 そして一ヶ月後。
 人々の賑やかな話し声と、明るいファンファーレ、それに乗じたように出店も出て、一種の祭りのような賑わいになっている。
 来栖は憮然としたままその様子を眺めていた。
「陛下、もう少し、表情を和らげてはくれませんか?」
「……何で」
「陛下がそのような不機嫌な顔をなさっていては、国民たちが不安に思うでしょう」
「どうせ向こうからは見えねぇだろ」
 ぶすっとした来栖の答えに、傍に控える紫苑は深々と溜息を吐いた。
 国王である来栖が居るのは、闘技場を見渡せる、それこそ一番高い席にあり、観客からそれ程目立ちはしないものの、其処に確かに居るのだということはよく解かる、そういう場所だ。
 来栖個人としては、こんなところで見ているよりもあの喧騒の中に混じっていろいろ楽しみたいのだが、そういう訳にもいかない。もし抜け出せば、紫苑に大目玉を食らうのは確実であるし、国民にも一発でバレてしまう。
 不機嫌の理由はそれだけということではないが。
 あれからもずっと瀬那はキーアと特訓を続けたらしいが、どの程度上達したのかは来栖には解からない。けれど、それだけ長い間自分以外の誰かの傍に居るということだけで、充分不機嫌の要因になるものだ。
 一ヶ月ぐらいなら待てるだろうと思ったが、今既に限界ギリギリのような気がする。
 剣術大会は近衛兵の数も相当なものだから、三日間行われ、既に二日過ぎたところだった。眼下で行われている試合をただ見ているだけでは詰まらないし、じっとしているのもいい加減我慢の限界だった。
 幸いというか、これまでのところ、瀬那は順調に勝ち進んでいるようだったが、それさえ小さな人影を見つけて見るようなもので、詰まらないことこの上ない。
「逢坂先輩!」
 突然呼ばれて、思わず来栖は振り返る。今、ウィンフィールドで来栖をそんな風に呼ぶ人間などないに等しい。その姿を確認して、来栖は目を細めた。
「お前ら、来たのか」
「そりゃー、だってウィンフィールドの剣術大会なんて滅多に見れるもんじゃないし」
「そうそう、血が騒ぐっていうか」
 来栖の問いかけに真っ先に答えたのが従兄弟の翔と、その親友の直人である。この二人は剣道部に所属しているし、まぁ、話をした時から来るかな、という気はしていたのだが。
「全く、相変わらずの剣道馬鹿だね」
「でもでもでも、凄いよね、お祭りみたい」
 後ろで一緒についてきたのか引っ張られてきたのか、翔の双子の弟の櫂とクラスメートの杏里がそれぞれ全く違う感想を述べる。
「本当は三日間全部来たかったけどさ、流石に学校があるからさー。決勝の日は休みと合ってて良かったー」
「まーな。一番盛り上がるのも確実だし」
「水落先生も出てるんでしょう?順調に勝ち進んでるんですか?」
「今のとこな。近衛連隊長なんだから下手に負けられても困るし、一ヶ月間特訓してたんだから、これぐらいは当然だろ」
 来栖の言葉に、櫂はほっとしたような顔を見せ、翔は顔を輝かせた。何となく対照的な反応だと、苦笑する。
「じゃあ、水落先生の試合も見れるんだな。オレ、水落先生が剣を握ってるの初めて見るよ」
「ホントだよな。逢坂先輩、優勝候補って誰です?」
 翔と直人が嬉々として話しかけてくるのに、先ほどまでの不機嫌が吹き飛んでしまう。何より、直人の質問は一月前、来栖が瀬那にしたのと同じものだ。
「一番向こう側の区画で試合してるの、見えるか?」
「あ、うん。こっからだとよく見える」
「あれの、ガタイのいい黒髪の男…バレルっていうんだけど、あいつが剣術を得意としているヤツん中じゃ一番の使い手だ」
「へーっ」
「後、も一つ手前の区画で試合してる、金髪の男がキーアって言って、槍の使い手だけど、剣術の腕前もかなりのもんだ」
 実際二度ほどその腕前を見たけれど、かなりのものだ。
 優勝候補と言うならこの二人に間違いないだろう。が、この二日の試合を見ていて、もう一人。
「…あとは、セナだな」
「水落先生?」
 来栖の言葉に、翔が大きく目を見開いた。
 無理もない、と来栖も思う。今まで誰も瀬那が剣を握ったところを見たことはないだろうし、実際本人も苦手だと言っていたのだ。けれど、この二日の試合を見ていれば、優勝候補の一人に交えてもおかしくないだけの技量が、今の瀬那には見える。
 キーアと対戦しても、今ならどちらが勝つかは解からない。
「本当に、この一月必死んなって特訓してたからな。その成果か、かなりのもんだぜ」
「そうなんだ。あ、あのバレルって人の試合終わったみたいだ。やっぱりあの人が勝ったんだな」
「お前らは下に降りて見てきたらどうだ?出店もあるし、優勝者を賭けた賭博もやってるぜ?」
「国王陛下公認なんですか?」
「まーな。オレが規制したってやるヤツはやるんだから、いっそこっちがちゃんと見張った上でやった方がよっぽど健全だろ」
 櫂の問いかけに来栖が答えると、少々呆れた目で見られた。まぁ、無理もないか。
「でも、下の方がよく見れるし、行った方が面白いと思うぜ?」
「逢坂先輩は行かないの?」
「オレは行けねーの」
 翔の無知な問いかけがちょっと恨めしい。人が親切に言ってやってるんだから素直に頷いて行けばいいものを。今はいっそ国王という立場を捨てて、一人の人間としてあの試合を鑑賞したい。
 が、それは許されないのも解かっているから、自然と不機嫌顔になる。
「じゃあ、僕たちは下で見ていますよ。逢坂さんの分まで」
「あーあー、楽しんできてくれ」
 嫌味たらしくそう言う櫂に頷き、来栖は手を振る。
 四人が降りていくのを見送った後、来栖は溜息を吐いてまた闘技場へと視線を移した。




 翔たちは活気付いた闘技場を歩きながら、瀬那の姿を探した。
 瀬那もこの中の何処かで試合をする筈だ。
 それはいいのだが、瀬那を探す筈が、翔と直人が出店に気を取られて、櫂と杏里がそれを引き戻すのに随分時間がかかってしまった。確かに、辺りから漂ってくる出店で売られる食べ物のいい匂いは食欲をそそるだろうが、それとこれとは話が別だ。
「ほら、行くよ。全く、余計なことに時間を使って…」
「だってさぁ…」
 櫂が小言を言うのに、翔は不貞腐れた顔で言い訳をする。
 翔と直人を促しながら歩いていると、聞こえてくる人の声からどうやら今は準決勝らしいということが解かる。しかも瀬那の方の試合は終わってしまったらしい。
「……翔たちがあちこち走り回る所為で水落先生の試合見逃したじゃないか」
「…ごめん」
 流石に事実を突き付けられると文句も言えず、翔は素直に謝る。
 とりあえず、今やっているもう一つの試合の方を見ようと、四人は歩く。人から聞いた話によれば、準決勝はどうやら来栖が優勝候補と話していたキーアとバレルの試合らしい。
 人ごみを掻き分け、何とか試合の見れる場所に出た。
 今まさに戦っている最中で、四人の視線は一気に試合をしている二人に集中していった。どちらもかなりの使い手である事はすぐに解かる。
「すげー…」
 翔も思わず、という風に声が漏れた。
「いいなー、オレもやりてー…。飛び入り参加とか駄目かなぁ」
「駄目に決まってるでしょ」
 翔の言葉に突っ込みながら、櫂も目の前の試合からは視線を逸らさない。試合が長引いているのは、間違いなくこの二人の実力が拮抗しているからだろう。
 キーアが打ち込めばバレルがそれを受け流し、バレルが切り付ければひらりとキーアがそれを避ける。どちらも決定的な技を打ち込めないで居る。
 四人が息を殺して試合に見入っていると、ぽんっと翔の肩に手が置かれた。
「うわぁっ!」
 驚いて思わず大きな声を出すと、他の三人もびくっと後ろを振り返る。其処に居たのは先程四人が探していた人で、声を掛けようとした本人も翔の驚きように吃驚したようだった。
「水落先生!」
「びっくりしたー…」
「すみません、まさかそんなに驚くとは思わなかったので…」
 四人の驚きように、瀬那が苦笑いを浮かべて言うと、翔たちの顔にも同じような表情が浮かぶ。
「試合に集中してたから。でも水落先生、決勝進出決まったんだよな。おめでとう」
「本当に。剣術が苦手だなんて嘘じゃないんですか?」
「運が良かっただけですよ」
 翔と櫂の二人がそう言うと瀬那は謙遜してみせるが、それこそ何十人も居る近衛兵の中から勝ち残ってきたのだから運だけではないだろう。
「それより良いんですか?試合はまだ途中ですよ」
「あ、そうだ!」
 翔は慌てて試合をしている方へと視線を移す。まだ決着はついておらず、今は膠着状態を保っている。張り詰めた空気がこちら側にも伝わってきそうだった。
「水落先生はどっちを応援してるんですか?」
 杏里の問いかけに、瀬那は微笑を浮かべる。
「近衛連隊長としては、どちらか個人でなく、二人とも応援していますよ」
「それじゃあ、セナ個人としては?」
 瀬那の言葉の裏を取って櫂がそう問いかけると、視線を試合に移しながら言った。
「キーアの方ですね。古い友人ですし、この一ヶ月の特訓にも付き合って貰いましたから」
「え?そうなの!?」
「水落先生に…友人……?」
「さり気無く酷い反応ですね…」
 一様に驚いてみせる面々に、瀬那が少しばかり肩を落とすと、翔が慌ててフォローする。
「あ、いや。何ていうか水落先生に友達って何かイメージじゃないっていうか…」
「翔、それ全然フォローになってないから」
「でも、水落先生が人間界に来る前の友達だろ。居てもおかしくないんじゃない?」
「そうだよそうだよそうだよ、水落先生にも友達ぐらい居るよね」
 微妙な方向に納得している四人に、瀬那は溜息を吐く。自分に友人が居ると言うのはそんなにおかしな事だろうか、と少し考え込んでしまいそうになる。
 その時わっと群集の空気が動いて、自然とみんなそちらに視線を移した。
 バレルが動いてキーアに切りかかる。キーアはそれをかわして素早く後ろに回りこむと、剣を振るう。バレルもすぐさま振り返り、それを受け止め弾き返すと、また間合いを開いた。
 それが殆ど一瞬の出来事で、観衆も息を詰めてそれを見守っている。
 今度はキーアが間合いを詰め、剣を振るう。スピードを活かして何度も剣を打ち込み、バレルもそれを受け流すが、勢いに当てられ、少しずつ後退していく。それに気づいて、バレルは逆に向かってくる剣と自らの剣を打ち合わせ、力押しに振り切った。キーアは一瞬身を引いた後、すぐにバレルの懐に飛び込んで、そのまま脇腹に向かって剣を切り付けた。
 翔達は思わず目を瞑る。あんな風に剣で切られて生きている筈がない、そう思ったのだ。会場も水を打ったかのように静まり返っていて、それが尚の事翔たちの恐怖心を注いだ。
 しかし、それも一瞬の事で、わっと歓声が上がった。
 恐る恐る目を開くと、バレルは倒れては居るものの、血が流れている様子はない。
「あれ…?」
「どうしたんです?」
 呆けたような翔たちに瀬那が問いかける。
「いや、絶対切れてると思ったのに…」
「え?…ああ、あれはちゃんと刃引きしてある剣ですよ。幾らなんでも実践に使うようなものでの試合など、陛下が許可する訳ありませんから」
「そう言われてみれば、そうですよね…」
「確かに…剣道の試合にマジで切れる刀使ってちゃ洒落になんねーもんな」
 言われて納得する四人に、瀬那は苦笑する。予めそれを言っておいた方が良かっただろうか。
 しかし、実際に戦闘で使用する剣など使っていては、それこそ怪我人だけに納まらず、死人が出ている可能性もある。観衆も、そんな試合を陽気に楽しんだりはしないだろう。刃引きしてある剣なら大体は打撲か、悪くても骨折程度で済む。まぁ、それでも充分大事だから、そうなる前に審判が止めるのだが。
 先程の試合でキーアが勝ったことで、次は決勝戦、瀬那とキーアの試合になる。
「それでは、私はそろそろ行きますね。最後の試合がありますし」
「うん。水落先生、頑張って!」
「ええ、出来る限りのことはしますよ」
 そう言って離れていく瀬那を見送って、他の四人もキーアと瀬那が試合する区画へと移動して行った。


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