罪悪の心



「ふっ…ぅん…っ」
 陵刀は高宮のモノを口に含んで愛撫する。高宮はその様子をじっと眺めていた。
 此処は高宮の部屋だ。誰も侵入することのないこの場所でのセックスでは陵刀も積極的になる。陵刀の、切なげに顰められた眉は男の情欲を誘うには十分だった。
 高宮はベッドに腰掛け、自分の前に屈み込んでいる陵刀の髪を撫でる。そうすると、薄く開かれていた目は閉じられ、綺麗に潤んだ薄茶色の瞳は見えなくなった。
 それを見た後、高宮は手を伸ばして陵刀の背を撫でる。背骨に沿うように手を滑らせると、びくりと身を震わせる。
「陵刀、もういい」
 高宮のその言葉に、陵刀は顔を上げた。ふと見上げてくる瞳には押さえ切れぬほどの情欲が浮かんでいた。高宮は陵刀をベッドの上に引き上げ、うつ伏せに押し倒した。
 初めて身体を合わせたあの日から、何度となくこうして触れるようになった。それは院長室だったり、高宮の部屋だったりする。陵刀の部屋へは行かない。
 暗黙の了解だった。
 高宮の支配の届く部屋。その部屋に居る間は陵刀も高宮に支配される。
 服の裾から手を差し入れて、もう一度背骨の辺りに触れると今度はぴくっと押さえたように震えた。
「院長…」
 切なげに呟きながら振り返ろうとするが、高宮はそれを許さなかった。
 腰を上げさせ、ズボンのベルトを解く。ズボンの合間から手を差し入れて、下着の布越しに陵刀のモノに触れる。またぴくりと肩が揺れた。
 布を擦りつけるようにして愛撫をすると、陵刀は甘い息を零す。その様子を見て、高宮は笑みを浮かべ、下肢を纏う物を全て脱がせて、後ろに手を這わせる。周りを触れるだけで小さく震える陵刀がどうしようもなくおかしかった。
 既に勃起している陵刀の前に右手を持っていき、漏れ始めている白濁した液体に指を絡める。それを円滑剤代わりにして、指を入れた。
 また、肩を揺らし、どうにかしてその衝撃を押さえようとしている様はある意味健気だ。陵刀は出来るだけ声を殺そうとする。それが常だった。しかし、それも途中までの事で、そのうち理性など飛んでしまうのだから意味もない。
 指をまた一本増やす。陵刀の感じる場所を俄かに刺激しながら、それでも核心に触れないように焦らしていく。そして、またもう一本。
 指を三本銜え込むと、ひくつく其処は、もっと大きなものを求めようと収縮を繰り替えす。最初はまだ慣れなかったこの場所も、今では嘘のように簡単に指を飲み込んでしまう。
 指を抜くと、名残惜しそうにまたひくついた。
 高宮は、其処に自分のモノを宛がい、貫いた。
「―――っ、ぁ…」
 陵刀はその衝撃に、小さく声を洩らした。
 高宮が動くと、それに対応するように陵刀の腰も揺れた。陵刀が一番感じる場所を敢えて避けて、高宮は律動を繰り替えす。
「ぅ…っ……ぁっ…院、長…」
 陵刀は途切れ途切れに呼ぶ。ベッドに押し倒されてから一度も陵刀は高宮の顔を見ていない。それが奇妙な不安を掻き立てた。そう、声すらも聞いては居ないのだ。本当に、今自分を抱いているのは高宮なのだろうかと、疑いたくなる。振り向きたくとも、そんな事をすれば、シーツに顔を伏せてぎりぎり押さえている声が漏れてしまうのが解かり切っていた。そしてその不安が、また陵刀の情欲を駆り立てていく。
 核心を避け続ける律動に焦らされ、頭の中が白く明滅する。
「ぅあっ…あ……はっ、院長…院長っ…」
 もう、どうしたらいいか解からず、繰り返し名前を呼ぶ。応えてはくれないかと。一言、声を聞けば安心出来るのに。そうすれば、こんな馬鹿な不安に陥らずに済む。
「院長っ…」
 もう一度名前を呼ぶと、行き成り角度を変えて、一番感じる場所を刺激された。
「うっ…ぁああ…あ……っく…」
 行き成りの刺激に最早声を殺すことすら忘れてシーツを掴む。強い刺激を何度も繰り返し、射精感も高まったところで、行き成りそれは戒められた。
「ひっ…やっ…ぁあっ…」
 強すぎる快楽は痛みを伴い、陵刀は涙を零した。
 もう、理性など当てにはならない。どうにかしたい、そう思いながらどうしたらいいのか自分でも全く解からなくなっている。
「あっ、あぁっ…やっ…嫌…っ」
 戒められたままの激しい律動に陵刀は拙い口調で抗議し、首を横に振る。
 今自分を抱いているのは誰だろう。こんな風に自分を乱すのは。最早自分が誰に抱かれているのかも解からなくなった陵刀は、ただ、そうであれと望む名前を口にした。
 そうでなければ、救われない。
「やっ…ぁ…先ぱ…先、輩……っ!」
 彼なら、助けて欲しい。どうにか、して欲しかった。
「…あっ、ぁあ…先輩っ」
「陵刀…」
 名前を呼ばれて、ふと我に返る。襲ってきたのは激しい羞恥だった。例え、己の気持ちを院長に知られているとは言え、決して呼んではいけなかったのに。
「う、あっ…うあぁあっ……」
 混乱も極まって、ただ喘ぐことしか出来ない。開放されない痛みと羞恥で、身体は紅く染まっている。涙は止め処なく溢れてきて、汗と一緒に陵刀の頬を濡らした。その姿はとてつもなく淫靡だ。
 その陵刀の様子を見て高宮は陵刀を繋がったまま抱き起こし、今度は膝の上に乗せた。それによってさらに陵刀を深く貫く。
「あっ、ぁぁあああっ!!……ぅっ、嫌…やっ…」
 喘ぎというよりはもう叫び声だった。そんな姿さえどうしようもない色気を放つ。高宮は空いている方の手で、胸の飾りを服の上から摘んだ。そうすると、また嬌声が上がる。
「あ、ああっ……いん、ちょう……ぅあっ…」
「どうした?」
 低い声で耳元で囁けばびくりと肩を震わせ、難く目を瞑った。
「っ!……院長…、もうっ……」
「もう?」
「もう、イかせ…て…っ、くっ…」
 哀願の響きに高宮は笑う。戒めていた手を解いてやると、溜まっていた物が飛び出すが、それだけで足りる筈もない。律動しながら、自分の限界も感じる。本当に我慢しきれなくなったのかキツク締め付けてくるのだ。
「うっ…ぁ……院長っ…院長……っ!!」
「陵刀…いくぞ」
 最後に深く貫いて射精をすると、陵刀も一気に果てる。
「っ…あ、ぁあああっ!!!」
 終わってしまうと、陵刀はぐったりとベッドに倒れこむ。陵刀から自分のモノを引き抜くと、高宮は後始末をする。
 陵刀は息を整えるのに必死だった。これまでの中でも気分は最低の部類だし、何より、高宮が全くと言っていいほど息を乱していないのが悔しい。
「ほら、水だ、飲めよ」
 高宮は冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターをコップに入れて持って来てやったが、陵刀は起き上がる気配を見せない。否、起き上がれないのか。
 それでも喉は渇いている筈だ。高宮は水を自分の口に含み、口移しで陵刀に飲ませた。
「ふっ…ぅん…っ」
 陵刀が水を嚥下したのを見てから口唇を離す。
 陵刀は薄っすら目を開けて高宮を見た。薄茶色の潤んだ瞳が見える。
「大丈夫か?」
「あれ…だけ…やっておいて…今更、聞くんです、か…」
 まだ整わない息の合間に、陵刀は文句を言う。
「あれぐらいしないとお前は素直にならないだろう」
 そう言いながら、高宮は陵刀の鎖骨の辺りを撫でる。快楽を忘れていない身体はぴくっと震えた。陵刀は高宮を睨みつけるが、それも効果は期待できない。
 陵刀の着ているYシャツは第二ボタンまでしか外れていない。それが妙に可笑しくて、高宮は陵刀の服のボタンを外していく。
「院長、何を…」
「もう一回、だな」
「な…っ!」
 高宮の言葉に陵刀は驚いて目を見開く。
「明日も仕事があるんですよっ、そんな…」
「残念ながらこっちはちっともヤった気がしなくてな」
 高宮は笑いながら、全く乱れていない服を示してみせる。
「だけど、仕事…っ」
「どうせ殆ど岩城や鞍智に任せるんだろうが」
「彼らに手に負えないような急患が来たらどうするんですかっ!」
「美坂に任せればいい」
「そんな…っ」
 次の言葉を言おうにも、もう咄嗟には出て来ない。元々、この部屋に居る限りは、高宮に支配されているのだ。陵刀は全身の力を抜いて溜息を吐いた。
「諦めたか」
「もう、どうしようもないですからね…こっちは逃げようにも出来ないんですから」
 高宮はもう一度笑い、陵刀と唇を合わせた。



 やっぱり許すんじゃなかった、そう思ったのは翌日になってからだった。
 身体中がだるく、寝不足でどうにも仕事になりそうにない。もう、ほとんど一日鉄生や鞍智に仕事を任せっ放しだった。ただ、彼らも陵刀の体調が宜しくないのを察して文句はあまり言わなかったが。
 たった一つの救いは、余り重い症状の患蓄が来なかった事だろう。
 疾うに帰宅出来る時間は過ぎたが、それでも動き出すのが面倒で陵刀は机に懐いていた。寝不足で半分夢現の中、このまま此処に泊まっていくのもいいかも知れない、と思い始めていた。動くのは面倒だし、当直の人間に言って仮眠室で休ませて貰う事も出来るだろうと考える。
 そうなればそうしようと思って陵刀は顔を上げた。
「あれ、陵刀、まだいたのかよ」
 そう言って声を掛けてきたのは鉄生だった。
「鉄生くん、遅くまでお疲れさま」
 にっこり笑って言うと鉄生は嫌そうな顔をする。
「にしても、今日はどうしたんだよ、朝からすっげぇ疲れた顔してっしさぁ」
 鉄生はそう言いながら、陵刀の座っている椅子の近くまで歩み寄ってくる。
「ん〜、ちょっと、寝不足でね」
「はぁ?一体何でそんな……」
 言いかけて、鉄生は止めた。訝しく思い、陵刀は鉄生を見上げる。鉄生は少し言い難そうに頭を掻きながら、首の後ろのところに指を差す。
「…此処、キスマーク」
「えっ?」
 陵刀は思わず、其処を押さえてしまう。しかし、実際に見ていないから本当にあるのかすら解からないのだけれど。昨日は全く余裕がなくて、そんな物がいつの間につけられたのかも気づかなかった。
 その陵刀の様子に、鉄生は溜息を吐いた。
「そういうこと、するのはお前の勝手だけどさぁ、翌日に支障来すようになるまですんなよ」
「…相手が離してくれなかったんだよ」
 陵刀は苦笑しながら言う。その応えを聞いて、鉄生はすっと真顔になる。
「誰?相手」
「え?」
「男なんだろ?」
「どうしてそんな事聞くの?」
 鉄生が何を言いたいのか、陵刀には理解できなかった。他人の恋愛ごとに首を突っ込むタイプには見えないのだけれど。
「しかも、抱かれたんだな?」
「鉄生く…」
「好きでもない奴に。好きな奴がいるくせに」
 その最後の言葉で、陵刀はもう、声が出せなくなった。全て当たっている。否定のしようもない。けれど。どうして、そんなことが彼に解かるのだろう。
 陵刀の困惑したような表情を察してか、鉄生は苦笑いを浮かべる。
「抱く側だったら、こんな場所に痕なんてつかないだろ。寝てる間に付けられたって線もないことはないんだろうけど、お前、絶対寝てる間も相手に後ろ見せそうにねぇし、だったら、後ろから抱かれているときに付けられたって方が自然じゃねぇ?したら相手は男しかいねぇし。付けられたのも気づいてないっぽいから余計にそうなんじゃねぇかなと」
「君…獣医より探偵になった方がいいんじゃない?」
 陵刀は、半ば呆れたように言う。
「けど、好きでもない奴にっていうのは…」
「本当に好きな奴に抱かれたんだったら、お前、今そんな顔してねぇだろ」
「そんな、顔…って、どんな?」
「セックスした事自体が悪いこと、っていう感じの顔」
 何もかもが図星で、作った笑顔で誤魔化すことも出来なくなった。鉄生の目から、思わず視線を逸らした。
「だからって、君には関係な―――…っ」
 逸らせた顔を、顎を掴まれて無理やり視線を合わさせられる。
「好きでもない奴なら、誰だって同じだろ」
「えっ―――――、んんっ…」
 鉄生の言葉に驚いて目を見開き、聞き返そうとすれば口付けられた。陵刀は慌てて鉄生を引き剥がそうとするが、身体に力が入らない。
「ふっ…ぅんっ…」
 鼻にかかった様な息が漏れる。右手で顎を掴まれ、顔を逸らすことも出来ない。指に力を入れられ、歯列を無理矢理開かされて、舌を入れられる。
「はっ…ぁ……んんっ……」
 上顎をなぞられ、舌を絡め取られる。完全に鉄生のペースに追い込まれている。それ以前に、鉄生にこういうことをされているという衝撃が上で、正しい対処も思い浮かばない。
「ふぁ…あっ…!…っん」
 ぞくりと、快感が背筋を襲う。
(こんな上手いなんて、ずるい…っ)
 あまり経験がありそうにも見えなかったのに。つい、そう考えてしまうのは現実逃避だとは解かっているのだけれど。そのまま快楽に身を任せてしまえば、楽なのだと、頭の何処かが訴えかけている。
 思う存分貪られて、最初抵抗しようとして、肩を押していた手も、最早添えている状態としか言えなくなると、鉄生はやっと陵刀を開放した。
「…はぁ…はっ…鉄生、く…どう、して……こんな…」
 途切れ途切れの声で、陵刀は尋ねた。瞳は潤んで、濡れている。その質問に、鉄生は思わず笑ってしまった。今更、理由を問うのだろうか、と。
「多分、陵刀が好きだからだよ」
「……そんなの、思い違いだよ、気の迷いだ…」
「かもな」
「だったら…」
「だから、今確かめた」
 鉄生の目はあくまでも真剣で真っ直ぐだ。陵刀はその視線に耐えられなくて、目を逸らす。
「本当に好きでもなかったら、男同士なんて気持ち悪ぃだけだろ。お前と違って俺はノーマルな訳だし。けど、俺はお前とキスして気持ち悪ぃなんて思わなかった。むしろ、気持ち良かった。これだけで十分だろ」
 真っ直ぐぶつけてくる言葉に、陵刀は恐怖した。
 人の好意は、ただ、怖い。
 だから、信じないようにしているのに。
 鉄生はそうはさせてくれない。
 陵刀には今自分がどんな顔をしているかよく解かった。目を見開いて、恐怖に顔を引きつらせている。
 逃げるように立ち上がろうとした。
 けれど。
 ガタンッ
 先刻まで陵刀が座っていた椅子が大きな音を立てて倒れた。陵刀は足が立たなくて座り込んでしまう。キスで完全にやられてしまっている。
 自分でも滑稽だと思ってしまう行動を、鉄生は笑いもせずその真っ直ぐな目で見つめた。
「陵刀…」
 鉄生は陵刀の腕を取って立ち上がらせる。支えられて立ち上がれば自然と密着してしまう事に陵刀は拒絶反応を示したが、鉄生はそれを許さなかった。
「昨日、誰とシた?」
 腰を掴まれ、耳元で囁かれて陵刀は震える。
 鉄生の腰を掴んでいた手は、下着の下に滑り込んだ。それで陵刀は今度は本気で拒絶しようとするが、矢張り手に力が入らず、どうにもらなない。
「鉄生くんッ、やめ…っ」
 言いかけたところで、鉄生が蕾の入り口に触れた。そして、中に指を入れる。
「やめっ、やめて…っ」
 必死で訴えるが、鉄生が聞き入れる様子はない。
「今までこういうのキョーミなかったけど、やり方ぐらいは知ってんだぜ?」
 そう言いながら、鉄生は中の指を蠢かせる。陵刀の感じる場所を探すように。
「うっ―――ぁっ…」
 陵刀は甘い吐息を零す。心は拒絶しているのに、身体はどうしようもなく疼いた。
「ああ、感じんだ?前、勃って来たぜ?」
「やめっ…鉄生く―――っ」
「なんで?昨日もこういうことしてたんだろ」
 その言葉に陵刀は青褪める。好きでもない相手とするなら誰とでも同じだろう。もう一度、そう言われているのと同じなのだ。
 けれど、陵刀にとっては違うのだ。高宮に抱かれることと、鉄生にこんな風にされることは全然違う。けれどそれを陵刀は鉄生に伝えられない。きっと解からない。
「んっ…はっ―――ぁ―――…」
 鉄生の指は確実に陵刀に快感を与えていく。心と身体が反比例に動いていく。恐怖に引きつる心と、快楽に高揚する身体。
「なぁ、こういう事されるのがスキなんだろ…?」
「ちが…っ」
 そこに鉄生の頭上にガンッと何か固い物がぶつかった。
「ってぇーーーーー!」
 鉄生は頭を押さえて座り込む。陵刀も腰を支えていた手がなくなって、床に腰をついた。陵刀は呆然と鉄生の後ろを見た。其処に居たのは高宮だった。
 書類の挟んであるバインダの角で叩いたらしい。
「お前ら、こういうことをするのは勝手だが、院内で・・・いや、誰かに見られるかもしれない場所ではするな。せめて鍵のかかる部屋でしろ。見られて変な噂が立ったらどうする。大体岩城、お前うちのエースを再起不能にする気か?」
「再起不能?」
 そこで鉄生はやっと冷静に陵刀を見つめた。怯えたように鉄生を見つめる陵刀を。こんな陵刀の顔は、今まで一度だって見たことがない。鉄生は自分が取り返しのつかない事をしてしまったということをようやく悟った。
「おい、陵刀、大丈夫か?」
 声を掛けられて、陵刀は鉄生から高宮に視線を移した。相変わらずその顔には怯えが残っている。高宮は陵刀の腕を掴んで立ち上がらせる。
「一人で立てるか?」
「いえ…」
 その応えに、高宮は倒れた椅子を立たせて陵刀を座らせた。心神喪失、というような陵刀の顔を見て、高宮は眉を顰める。まぁ、どちらにしろ十分は立ち上がれないだろう。昨日無理させたこともあるし、今日鉄生に襲われたのもある。それに加えて精神的ダメージが大きい。
「陵刀、立てるようになったら、仮眠室に行ってそこで休め。当直の人間にはこちらから言っておく」
 陵刀は返答を返さず、頷いた。
 本当は一人にするのは心配なところだが、鉄生が同じ空間に居ることは気詰まりだろう。
「岩城、お前は着いて来い」
「あ、はいっ」
 いつになく真面目な返答はそれだけ緊張しているのだろうか。全く厄介なことになったものだと高宮は内心溜息を吐いた。


 廊下で話すことでもないので高宮は鉄生を連れて院長室に入った。
「…で、岩城、お前陵刀に好きだって言ったのか?」
 院長の質問に、鉄生は取り敢えず頷いた。
「言った」
「成る程な。お前もそれさえ言わなきゃ陵刀もヤらせてくれただろうになぁ」
「…どういう意味?」
 さっぱり解からない、と鉄生が言う。高宮は苦笑した。
「あいつは人の好意が怖いんだよ。詳しくは知らんが何やらトラウマがあるらしい。俺や美坂みたいな相手なら冗談だとはぐらかせて終わりなんだろうが、お前みたいなタイプはそれも無理だからなぁ」
「?…どういう意味だよ」
「お前はやたらと真っ直ぐというか、聞き分けがないというか…卑怯さを知らない、とでも言えばいいのか。こういう事で嘘は言わないタイプだろう。陵刀もそれがよく解かってるから否定できなくて追い詰められるってことだ」
 高宮の言葉に鉄生は言葉を返せなかった。何より暴走し過ぎた自分が悪いことはよく解かっている。そしてもう元には戻れないことも。陵刀はいままで通りにしようとするだろうが、きっと鉄生と接触するたびに怯えた目を向けるだろう。
「好きだと言っても襲わなけりゃ良かった、襲っても好きだと言わなけりゃ良かった。どちらもやってしまったら救いようがないな」
 高宮は溜息を吐いて言った。
「岩城、悪いことは言わん、陵刀は諦めろ」
「え?」
「あいつに好きな奴が居るのはお前だって気づいてるんだろう。あいつはそれを相手に伝えていない。自分が誰かに好意を持つことすらも怯えているからだ。好きだと言って、相手も自分を好きだと言ったとしても陵刀は信じることが出来ないからだ」
「なっ、なんだよ、それっ!!」
 それでは、決して陵刀は幸せになれないではないか。どれだけ相手を想っても実らないなら。どうしたって、受け入れられないなら。幸せになんてなれない。その想いの重責に潰されるだけだ。
 鉄生の剣幕に高宮はまた溜息を吐いた。
「岩城、お前にトップシークレットを教えてやる。誰にも言うなよ?」
「え?…ああ」
 真剣な顔の高宮に鉄生は思わず頷く。
「俺は陵刀が誰を好きなのかを知っている。そして、そいつが陵刀のことが好きだってこともな」
「えっ、じゃぁ…」
「そう、ようするに両思いだ。だが、そいつは陵刀がどういう人間かよーく知ってるからな、敢えてそれを伝えていない。ちゃんと想いを伝えて両思いになれるように、陵刀に負担をかけないように機会を伺ってる。だから、お前が何をしようと無駄だ」
 高宮にそう言われて鉄生は反発したい気持ちもあったが、それでも何も言えなかった。つい先刻陵刀を追い詰めたばかりだ。そんな労わりが自分に出来ないこともよく解かっていた。
 けれど、諦めると、簡単に出来るだろうか。
 気づいたばかりの想いに。
「…努力する、って言っとく」
 その鉄生の言葉に高宮は苦笑した。
 そしてもう帰っていい、と手を振って示すと、鉄生は何も言わず出て行った。
 高宮は背凭れに全体重をかけて上を見る。
「さっさとくっつかないからこうなる」
 溜息を吐きながら高宮は言った。
「あいつを呼んだ方が早そうだな…」
 そう一言呟いて、高宮は自分も帰るために立ち上がった。



Fin






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