荒療治



「院長、こんな噂があるのを知ってますか?」
 陵刀は作業の手を止めずに高宮に言う。
「うん?どんな噂だ」
「僕と院長がデキているという噂ですよ」
 その言葉に思わず高宮は笑ってしまう。
「お前の噂をするなんて随分勇気のある奴らじゃないか」
「そういう問題じゃないんですけどね」
 陵刀は溜息を吐いた。
「じゃぁどういう問題だ?そういう噂が出るのも仕方ないだろう、書類整理の度に二人っきりで院長室に篭りっきりとあっちゃな。しかも鍵をかけて、絶対他の人間を入れようとしない」
 高宮が笑いながら言うと、陵刀は少し声を荒げて言った。
「誰の所為だと思ってるんですか、それは。大体、こんな部屋に他の人間の入る余地があると思ってるんですか?貴方は!それでなくてもこんな院長の姿、獣看護婦たちには見せられたものじゃない」
「それでもそこまで厳重に誰も入れないことはないだろう」
「信用問題ですっ!!院長の部屋がこんな不衛生な部屋だなんて噂にでもなったらどうするんですかっ!」
 陵刀は半分本気で怒っているらしい。徹夜も三日目に入るのだから仕方ないといえば仕方ないのだが。
 この部屋は、普段はきちんと整理されていて、普通の院長室なのだが、いざ、大量の書類を整理しようとすると、三日四日の泊りがけはざらである。そうなると生活用品やら、飲食物のゴミ、そして煙草の吸殻なんかが溜まりに溜まって不衛生この上ない。しかも高宮自身は全く片付けようとしないのだから始末に悪い。増えるばかりで減らないのだ。
 ゴミ袋は出来るだけ隅に置いてあるがそれも大分溜まってしまった。陵刀はどうしてこんなにゴミが出るのだろうかと溜息を吐かざるを得ないのである。
「それから院長、灰皿がいっぱいになったらせめてゴミ箱に入れてください、溢れ出したら書類に灰がつくでしょう」
 そう言いながら灰皿の中身を陵刀はゴミ箱に放り込む。少しでも片付けようとしながら、そういう陵刀だって書類整理に追われている。すっかり篭ってしまった煙草の煙に眉をしかめて陵刀は窓を開ける。涼しい風が入ってくるのが気持ちいい。
「すっかり秘書だな」
「雑用係の間違いじゃないんですか」
「一応悪いとは思っているんだがな」
「思っているなら行動で示してください。普段からこんなに書類を溜めなければこんなことにはならないんですからっ!!」
 陵刀は頭を掻きながら書類を見る。もう大分数も減ってきたからあと一時間程度で全部終わるだろう。書類は二科の物が圧倒的に多い。特殊な仕事をしている分だけ雑務も増えるのだ。しかもそれを高宮はなかなかしようとする気にならない。いざやる時には結局こういう状況に陥ってしまう。そして二科の書類が多いわけだから主任である陵刀も自然とこの場に駆り出されるのである。
 この部屋に他の人間を入れないのは陵刀の配慮だ。こんな部屋を見せたら高宮どころか陵刀の人格だって疑われかねない。
 陵刀は書類を片付けながら後どれほどの時間で終わるのか頭の中で計算する。書類整理はあと一時間で終わったとしても、その後の部屋の片付けを高宮は絶対にしない。となると、陵刀がしなければいけないのだから、この部屋を片付けるのにあと二時間といったところだろうか。今は深夜の一時。この調子だと寝ることが出来るのは四時過ぎといった所だろうか。
 明日は絶対に休ませてもらおう、もちろん欠勤扱いには絶対にさせない。そう誓いながら陵刀は片付いた分の書類を分類別に纏めていく。
「カリカリ怒ってるとまるで女房みたいだな」
「止めてください、その例え」
 高宮の言葉にがっくりと陵刀は肩の力が抜ける。
「よし、こっちは終わった。そっちは後どれだけある?」
 高宮は椅子から立ち上がり陵刀の座っているソファへとやってくる。そこかしこゴミだらけで足の踏み場をぎりぎり見出しながら歩くのは結構大変である。
「後五十ですかね。それにしても毎回、よくこんなに溜めますね」
 陵刀は溜息を吐く。寝不足でどうにかなりそうだ。
「溜まるものは溜まるんだ。気をつけようと思ってもなかなかうまくいかないものでな」
 高宮は笑って言う。高宮とてかなりの寝不足だろうがその疲れを全く感じさせない。というよりも、疲れていないのだろうか、この人は。
「それにしても五十か。これならあと一時間もかからないな」
「そうですね、僕は早く寝たいですよ」
 陵刀はもう一つ溜息を吐く。書類整理になると溜息が増えるのは悩み物だろう。これだけの数を見れば誰だって溜息が出てくるだろうが。
「膝枕でもしてやろうか」
「寝言は寝てから言ってくださいね。いつも僕より貴方の方が早く寝ているでしょうに」
「何だ、先に寝かせて欲しいのか?」
「え?ちょ…っ」
 行き成りソファに押し倒されて陵刀は慌てる。
「それに、あの噂を本当にするのも面白そうだしな」
「何言ってるんですかっ、此処を何処だと思ってるんです」
「俺の部屋」
 高宮の言葉に陵刀は脱力する。
「ある意味間違ってはいないですけどね…」
「大人しくしていれば気持ちよくしてやるぞ?」
「お断りします」
 陵刀はきっぱりと言う。
「釣れないな」
「釣れてどうするんです」
「おいしくいただくさ」
 高宮はにやにやと笑いながら言う。陵刀はどうしたものかと自分の上に覆い被さっている高宮を見る。言い負かされるのは癪だが、今の高宮に対して今現在の思考回路で勝負することは無謀だと解かり切っている。だからと言って言い成りになるのも嫌だ。
「嫌ですよ、僕は。大体まだ書類が残っているでしょう」
「そんなものは後でもいいさ。残りは俺一人でやったって構わないんだからな。たかが知れてる」
「…それでも、嫌です」
 陵刀は高宮を睨みつけるようにして言う。
「一途だな」
「っ!!」
「お前には似合わない」
 陵刀は顔を赤く染めて言葉を失っている。その様子を見て高宮は笑う。
「こういう時は素直だな」
 そう言って高宮は陵刀の首筋に噛み付いた。陵刀はびくりと身を震わせる。
「院長…っ、やめっ!!当直の人間がいるんですよっ」
「お前が声を出さなければ大丈夫だろう、なんなら口を押さえていてやったっていい」
 そう言ったかと思うと高宮は陵刀に口付ける。一瞬息が止まりそうになって、酸素を求めるように口を開くと、高宮の舌が口腔に入ってくる。
「ふっ…ぁっ…」
 行き成りの深い口付けに陵刀は抵抗を試みるが、体勢的にも体格的にも勝てる筈もない。押しのけようと思っても、蹴り上げようとしても難なく押さえられてしまう。
 舌を絡め取られて、吸い上げられると背筋を快感が襲う。抵抗が弱まったところにさらに深く口付けられ、息が乱れる。
「…んっ…ぅ…っ…ぁ…」
 小さく声を漏らして、どうにかこの口付けから逃れようとするが、上手くいかない。息が詰まって上手く呼吸が出来ない、思考が鈍る。指先に力が入らない。
 抵抗が完全になくなったのを見て、高宮は陵刀を開放する。唇を離すと細い銀糸が後を引いた。
「はぁっ…はぁ…っ…ふ…」
 陵刀は必死に酸素を求めようと呼吸する。どうしようもない敗北感が陵刀を襲う。
 抵抗出来ない。何をされようと、何を求められようと、抵抗できないことを実証されたのだ。例え拒絶したとしても、それは何の意味もなさない。
「観念したのか?」
「どんなに…抵抗したって無駄なら、何も…しない方がマシです」
 まだ息を吐けなくて、途切れ途切れの言葉で陵刀は言う。けれど、睨む瞳は衰えない。それでも先程の快感に潤んでしまっていては何の意味もなさないが。
「そんな顔をさせたい訳じゃぁないんだがな」
 高宮は溜息を吐く。
「じゃぁ、何がしたいんですか、貴方は」
「俺がお前を好きだと言ったらおかしいか?」
「なっ…」
 何か言おうとした陵刀の言葉を遮るように、高宮は陵刀の中心を服越しに掴んだ。痛みにも似た感覚に陵刀は背を震わせる。
「そんなもの…っ、信じない」
「不毛だな」
 陵刀は高宮を睨みつけて言うが、返された言葉はどうしようもなく痛い。そして言葉を紡ぎながらも、高宮は愛撫の手を止めようとはしなかった。
「うっ…やめ…っ」
 抵抗の言葉を紡ごうとする口に高宮は己の指をねじ込む。
「この服は脱がせやすくていいな」
「っ…ふっ…」
 高宮はもう片方の手を服の舌から滑り込ませて、陵刀のきめの細かい肌を這わせる。
 陵刀の感じるところを探りながら、陵刀の口に入れた指を舌に絡める。陵刀の唾液に濡れた指は妖しく口腔を愛撫する。息苦しさを感じ始めた頃に、指は引き抜かれ、今度は後ろの口に指を一本突き入れた。
「うっ…く…」
 快感と、僅かな痛み。最早与えられる感覚を追うことしか出来ない。そしてその間にも指は一本ずつ増やされていく。陵刀の中を探るように蠢かせ、感じるところを探そうとする。
 別にこういうことをされるのは初めてではない。けれど、それはもう何年も前の事だ。久しぶりの感覚はどうしたって慣れようがない。自分の中を蠢く指に、陵刀の全神経は向かってしまう。力を抜くことすら出来ずに、ただどうにかなれと祈るしかないのだ。
 それでもその指は確実に快楽を引き出していく。陵刀の感じる場所を見つけ出すと、そこを重点的に攻め始める。
「あっ…ぅ…んっ…」
 漏れる声を押さえようと、陵刀は指を噛む。此処は、二人きりのようでいて二人きりではない。当直の者がいつこの前の廊下を通るのかも解からない。しかも壁が薄いこの建物で声なんて出してしまったら。
 考えるだけでも恐ろしい。
 しかし、そうやって考えることすら襲いくる快楽の前では無意味だ。
 高宮は差し込んでいた指を引き抜き、一気に陵刀を己自身で貫いた。
「―――――――っ」
 声にならない叫びが漏れる。あまりの息苦しさに陵刀は高宮に縋り付いた。
「うあ…っ…あっ…」
 苦しい。苦しくてどうしたらいいのか解からない。痛さよりも熱さが、そして苦しさが襲ってくる。
「全く、こうしていると可愛いんだがな」
 自分に縋り付いてくる陵刀に、高宮は笑う。
 腰を動かせば耐えるように陵刀は高宮の背に爪を立てた。
 衝撃ですっかり萎えてしまった前を愛撫してやると、陵刀は甘い息を漏らす。
 腰を揺らして先刻見つけた感じる場所を刺激してやると、すぐに元気を取り戻す。その間、陵刀は絶えるように眼を閉じていた。
「素直じゃない」
 快楽に弱いくせにそれを認めようとはしない陵刀に、高宮は笑みを浮かべる。実際の言動とはかけ離れている精神が思わず笑みを誘うのだ。
「っ…それは、光栄ですね」
 耐えているのだって辛いだろうに、陵刀は無理にでも笑みを作ってみせる。いくら身体が墜ちようと、心は墜ちないと言いたいのか。
 そう言うのならば期待に応えたくなるものだ。高宮は動きを激しくして、陵刀を責めていく。
「っ……ぁっ……」
 限界が近くなって来ているのだろう、声を殺すのも辛くなってきている。疲労も溜まっているだろうから早く終わらせてやった方がいい。
 前を刺激して、どんどん追い詰めていく。締め付けて、貪欲に欲しがる身体に思わず苦笑いが浮かぶ。素直なのか、そうじゃないのか。
「あっ…ふっ……ぁあ…」
 限界が来たのを悟ると手の動きを早め、腰を突き上げた。押さえられないだろう声を押さえる為に、口付けて。
「あぁっ…ぅんっ―――――――っ!!」
 射精を終えてしまうと、ぐったりと陵刀は眠り込んでしまった。否、気絶した、という方が正しいのだろう、無理をさせ過ぎたと思いつつも、あまり後悔していない自分に笑ってしまう。
 限界がきていたのだ、流石に。
 疲れきった様子に、哀れだと思ってしまう。限界が来ていたのは陵刀だ。己の求める物を求めないくせに、それを補うことすらもしようとしない。だったら無理にでも与えてやるしかないではないか。仕方がなかったのだと言い訳がきく。どうしようもなかったのだと思い込むことが出来る。
 そうしなければいつか壊れてしまうだろう。
「全く、どうしようもない奴だな」
 欲しいものを求めることが出来ればこんな風にならずにすむというのに。
 取り敢えず、高宮は陵刀を寝かせたまま、残りの書類を片付けることにした。


 目が覚めたのは午前五時を回った頃だった。
 頭はすっきりしている。それが睡眠の所為なのか、それともまた別の理由からなのかは解からないが。
 高宮は椅子に座って眠り込んでいる。あの体勢だと起きた後に身体が辛いだろう。書類は全部終わっているようだが、まだ部屋は汚いままだ。みんなが出勤してくる前に片付けてしまわなければいけない。高宮が自分に掛けてくれていた毛布を、今度は高宮に掛けてやろうと傍に寄る。早朝の空気は冷えるから風邪を引きやすい。
 毛布を掛けようとすると、ぐいっと腕を引っ張られた。
「えっ」
 一瞬口唇が触れ合い、すぐに離れる。
「寝たふりですか?」
 陵刀は呆れたように高宮を見る。
「さっきまでは本気で寝てたさ。気分はどうだ?」
「一眠りしたので頭はすっきりしてますけどね、身体は最高にだるいですよ」
「解かってるよ、今日は一日休んでいい」
「当然、出勤扱いにしてくれますよね?」
「ああ」
 半分脅しに近いような言葉を吐く陵刀に高宮は苦笑する。元々そのつもりだったのだろうが、更に理由を与えてしまったらしい。
「それにしても本当にすっきりした顔だな。ここ最近は煮詰まってたようだが」
「…どういう意味ですか」
 にやにやと笑う高宮を牽制するように陵刀は睨みつける。
「岩城のお前を見る目が変わったのは気づいてるか?一体何やらかしたんだ」
「……寝ぼけて抱きついてしまったんですよ」
 決まり悪そうに答える陵刀に、高宮はさらに笑みを濃くする。
「誰と間違えたんだ?」
「院長には関係ないでしょう」
 解かっているくせに尋ねてくる高宮に陵刀は拗ねたように言う。
「ああ、そうだ、シャワー室使いますよ、中に出したでしょう、気持ち悪いったらない」
「解かった、文句はいくらでも聞いてやるさ、聞くだけならな」
「だったら、シャワー浴びて出てくる前に少しぐらい片付けて置いてくださいよ、勿論、聞くだけじゃなく実行に移してくださいね」
「解かった解かった。行って来い」
 高宮は観念したとでも言うように両手を上げて言う。
「本当に女房みたいな奴だな」
「だから、それはやめてくださいって」
 陵刀は諦めたように溜息を吐いた。



Fin





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