仕事が予想外に長引いてしまい、すっかり夜中という時刻になってしまった。正直言ってこんな時間まで一人で残っているのは怖い。何よりこの病院は昼間見たって不気味なのだ。 鉄生は恐々辺りを見回しながら帰り支度をしようと歩く。 ふと、まだ電気がついている部屋があるので覗いてみた。 「あれ?陵刀?」 そこに居たのは陵刀司だった。机に突っ伏して寝てしまっている。最近はやたらと忙しかったから流石の陵刀も疲れているのだろうか。こんな風に寝ているのは初めて見る。 ふと、以前誰かが言っていた言葉が思い浮かんだ。多分、中学の時の先生か何かだったと思う。 『人はね、寝てるときは誰でも可愛いものよ。どんなに生意気なガキだって、どんなに不細工なヤツだってね』 そう言って笑ったのは女の先生だと思う。ただし、その後に、『授業中に居眠りするガキはどんなに整った顔してたって可愛くないけどね』と付け足されたが。多分、居眠りして注意された時にされた話なのだろう。 改めて寝ている陵刀の顔を見ると、確かに可愛いと思ってしまわなくもない。なまじ、コイツは本当に顔がいいのだから余計にそう思うのだろうが。寝ているときは普段の言動が嘘のように無垢な顔になるのだ。 しかし、このまま寝顔を見ている訳にもいかない。自分だって早く帰りたいし、陵刀だって今のまま寝かせておいたら風邪をひいてしまうだろう。鉄生は陵刀を起こそうと肩に手を置いた。 「オイ、陵刀、起きろよ」 肩を揺らすとぴくっと眉を動かした。 「んっ」 少し身じろぎをしてまた寝る体勢に入っていく。鉄生は溜息を吐いて本格的に起こそうとまた揺する。 「起きろよ、オイ、風邪ひくぞ、陵刀、おい、起きろ」 「う〜ん…」 陵刀は寝ぼけたような顔で顔を上げて鉄生を見る。目の焦点が合っていない。 鉄生を見て、何かを言おうと口を開いたように思えた。何だろうと少し顔を近づける。 「――――――っ」 「え?うわっ」 いきなり抱きついてきて鉄生は慌てる。 「オイ、コラ、陵刀、ちゃんと起きろよっ!!」 怒鳴るような声で言うと抱きついてきていた陵刀の肩がびくっと揺れて慌てて体が離れる。その目は驚いたように見開かれていた。 「あ…ごめっ。寝ぼけてたっ」 「いや、別に、いいけどさぁ、それは…」 謝る陵刀に鉄生も怒る気にはなれない。大体、こんな風に謝る陵刀を初めて見た。 「疲れてるのは解かるけど、こんなとこで寝ると風邪ひくぜ。人間の医師免許も持ってるお前が風邪ひいたなんて言ったら洒落になんねぇじゃん」 鉄生が言うと陵刀は苦笑する。 「うん、そうだね。今帰るところ?」 「おう」 「そう、じゃぁ、僕も帰るよ。起こしてくれてありがとう」 陵刀はにっこりと笑って帰っていく。 鉄生はなんだか落ち着かない気分になった。さっきの陵刀の様子が頭にこびり付いて離れない。 陵刀がふざけて何やかやと自分を脅してくることはよくあったが、それでもそれを実行に移したことはないし(あっても嫌だが)、冗談以外の意味はないのだと流石に理解した。しかし、今の陵刀はどこか違ったように思える。 抱きつく瞬間に呼ぼうとした名前は声には出ていなかったけれど決して鉄生の名前ではなかった。完全に誰かと間違えていたのだ。だから気づいた時本当に驚いていた。そして、陵刀が抱きついてきたときには、むしろ縋り付いてきたのではないかと感じるほど、強く、そして何処か儚い印象があった。 それに…。 (あいつ…あんなに細かったっけ?) いや、それよりもあんなに密着したことなんてなかったのだから解かる筈はないのだけれど。 なんだかやたらとおかしな気分だ。抱きつく瞬間の顔も、何だか切なげで訳が解からない気分にさせられる。 「ああああ、くそっ!!」 鉄生はがしがしと頭を掻き回すと思考を追い払う。こんなことを考えたってどうしようもない。今はとっとと帰る方がいい。 「よしっ、帰るか」 さっきの気分なんて一晩寝てしまえば忘れてしまうだろう。 それでいいのだ、きっと。 Fin |